2007年6月20日水曜日

クリント・イーストウッドの西部劇

西部劇というのは、なんかとってもアメリカですよ。
代表作は? 古くは駅馬車。OK牧場の決闘。ジョン・ウェインならリオ・ブラボー。誰もが知っている、シェーン。変わったところで、ゲーリー・クーパーとグレース・ケリーの真昼の決闘。荒野の七人は黒澤映画の換骨奪胎。最高の失敗作といえば、天国の扉。

クリント・イーストウッドは、正統派(?)西部劇のテレビ版「ローハイド」で注目を浴び、本来はそのまま西部劇スターとしてジョンの次の世代を負う運命であったはず。しかし、ちょっと小遣い稼ぎにイタリアに行っちゃったのが、大きく軌道を変えることになったのは周知の事実。セルジオ・レオーネの「荒野の用心棒(1964)」で一躍名が売れ、日本ではマカロニ・ウェスタン(アメリカではスパゲッティ・ウェスタン)という言葉が生まれる。続いて「夕陽のガンマン(1965)」「続・夕陽のガンマン(1966)」と出演、人気を不動のものにしてアメリカに凱旋。
自らのプロダクション、マルパソを設立しマカロニ風味から脱却すべく「奴らを高く吊るせ(1968)」に出演。さらに映画制作の師匠ドン・シーゲルの監督で「真昼の死闘(1970)」、荒野の七人のジョン・スターシェス監督で「シノーラ(1972)」。ただどちらもいまいちの失敗か、というのも「真昼の死闘」はしょうがなく使った売出し中だったシャーリー・マクレーンが浮いちゃってるし、「シノーラ」はスタージェスに往年の切れ味が無いんだよね。

そいでもって、ついに自分でメガホンとっちゃったのが「荒野のストレンジャー(1973)」。日本ではマカロニのイメージを配給会社が引きずって「荒野の・・・」っていうタイトルを付けちゃったわけですが、これは正統派アメリカ西部劇でもマカロニ・ウェスタンでもないイーストウッド・ウェスタンであった。名無しの幽霊っぽいガンマンが登場し町の悪者を退治する、でもそこには守るべき正義は無く、ガンマンは再び陽炎の砂漠に消えていく。やるーっ!!

次の「アウトロー(1976)」では、またまた独自の世界観を見せ付ける。南北戦争の時代に家族を殺された復讐のために北軍の兵士をおいかけるジェーシー・ウェールズ。一目でイーストウッドの映画だとわかるショットが続く。だんだんついて来るさまざなアウトロー仲間が増え、いつのまにか擬似的な家族を形成。ここにも水戸黄門的な勧善懲悪の図式は無い。しかし、イーストウッドはこのあと西部劇から遠ざかり、ハリウッド自体が製作する西部劇もしだいに数が減っていく。


およそ10年ぶりに「ペール・ライダー(1985)」でイーストウッド西部劇が復活する。これは、いってみれば「荒野のストレンジャー」のセルフ・カバーであった。雪の残る山間にフェード・インしてくる「牧師」。金探しを続ける集落を襲う、実業家の雇ったならず者。金採掘をめぐる利権にからんだ対立。牧師はガンマンとなり実業家が呼び寄せた悪徳保安官と対決し、集落に平和が戻る。再び牧師は雪景色の中にフェード・アウトしていく。おまけにその後からシェーンのパロディ風のエンディング。要するに衰退した西部劇に対するクリント・イーストウッドのオマージュなのである。

そして「許されざる者(1992)」は、イーストウッド自ら「最後の西部劇」と位置づけ作られた。アカデミー作品賞・監督賞などを取りついにハリウッドはイーストウッドに対して長年のキャリアに対して正当な評価を与えたのであった。明確にイーストウッドは変わった。自分の老いを隠さず、むしろそれをさらけ出す。豚と格闘して、糞まみれ。バキューン、でも的に当たらない。そんなガンマいるか。馬に乗り損なって振り落とされる。ンなばかなぁ。しかし、ここにもイーストウッドの美学があり、またらしさがある。相手はジーン・ハックマン演ずる保安官。休みには日曜大工もする気のいい奴で、悪徳ではない。保安官にも、すじが通っている。どちらが正しいとかではなく、その時代を生きるための術は人それぞれで、それぞれの正義が真っ向からぶつかり合う時代があったということ。

見たいなぁ。イーストウッドの西部劇。もう70才を超えて、おじいちゃんだけど、まだまだいい味ですよ。年齢とともに世界を描ける俳優なんだから、またやってほしいよね。

2007年6月15日金曜日

クリント・イーストウッドのDirty Harry

イーストウッドの代名詞とも云える「ダーティ・ハリー」シリーズ。全部で5作あるけど、実際のところロサンジェルス市警のハリー・キャラハン刑事のキャラクターが際立っているのは第1作だけだよね。

第2作は前作のヒットを受けて作られたわけだけど、全体のイメージは引き継いでいるものの、むしろその中で刑事アクション物の色彩を強く出しているし、3作目になるとそれがさらにパワーアップ、さすがにマンネリを嫌って休養に入るわけです。

ちょっと時間をおいて、イーストウッド自らメガホンをとった4作目は、時代がかわりキャラハンも変わらざるえない。キャラハンを終わらせるためのレクイエム的存在。第5作は、イーストウッドが後輩のために一肌脱いで付き合ったっていう程度の作品。映画は読み切り小説だったので、シリーズ化されるものは当時は珍しく、それだけ人気があったということ。

1960年代のアメリカは明らかに病んでいて、ベトナム戦争の泥沼の中からそれまでの体制に対抗する様々なピープルが世に出てきて犯罪が急増した。60年代後半からハリウッド映画界もニューシネマと呼ばれる新しい感性を押し出した映画を数多く製作しだした。巨大なセットを組み人気スターを起用した金をかけた大作は過去のものとなる。

映画の題材はより身近なものに求められ、観客がより共感しやすいテーマが喜ばれるようになった。ただ何となくカーニバルを見に行くバイク乗りの破滅的行程を描く「イージー・ライダー」、反戦活動に関係して悲劇的結末にいたる「いちご白書」、死に方を求めてギャングを続けた「俺たちに明日はない」、いずれをとっても行き場を失ったアメリカの迷走の縮図だ。

刑事ものも当然変化を余儀なくされる。ポパイことジーン・ハックマン演じる「フレンチ・コネクション」は1971年アカデミー作品賞を受賞した異色作であった。

同じ年、B級映画監督とされていたドン・シーゲルが、マカロニ・ウェスタンで一躍名を上げた非主流派西部劇スターのイーストウッドのアウトロー・イメージにそういう時代の風をうまくのせてしまった。

キャラハン刑事は個人主義である。単独行動が好きで、本人は「俺の相棒は死ぬから」とうそぶいているが、実際のところハリーが勝手をするから相棒が困るわけで、自分の価値観だけで行動するところはまさに現在の「アメリカ」に通ずるというといい過ぎか。

悪い奴は悪いんだから、撃ち殺す。ある意味ではわかりやすい行動原理。体制にくみすことなく、名誉に対する執着もない。最後に警察官バッヂを投げ捨てていくキャラハンに、痛烈な風刺がこめられていた。

イーストウッドにとっても、それまでのイメージを転換させるおおきなターニング・ポイントになった。この前にシーゲルとは「マンハッタン無宿」で一緒に仕事をしていたが、これは西部劇をそのまま現代にもってきたような映画で、イーストウッドの役回りは、まさに保安官助手であった。

「ダーティ・ハリー」では部分的にイーストウッドが監督を行った部分があることは有名な話で、このあと監督デヴューする布石となる。アウトロー的な部分を残しながらも、都会の中に混ざり合った軽快なアクション・スターとしての一歩となったのだ。

第4作の「Sudden Impact」は、そのきめぜりふがあまりにも有名になってしまい、一見それまでのキャラハンの流れを受け継ぐもののように勘違いしやすい。「Go ahead, make my day (さぁ撃てよ、俺にも撃たせてくれよ)」なんてかっこいいじゃありませんか。

ところが、ちょっと違うんですな。まず、いきなりキャラハンはいつものように無鉄砲にやっちまうんですが、それで上司に怒られ事実上飛ばされちゃう。お前みたいに好き勝手やる時代遅れはいらない、みたいなことをいわれちまう。

ダーティ・ハリー登場して14年。時代はかわったね。人権擁護団体が出てきて、何かと口を挟んでいくんじゃ、さすがのキャラハンもうんざりだ。第1作のバス飛び乗りのパロディと思えるのが、老人ホームのバスに飛び乗りカーチェイス。しかしキャラハンに喝采を送るのは老人ばかりだ。

そういうイライラを吹き飛ばすのが、「Make my day !!」である。ラストのかっこよさは、イーストウッド自らが用意した、キャラハンを葬るための最高の花道でしょう。
すべての人々がキャラハン化した今のアメリカでは、もはやダーティではなく、埋もれてしまったキャラクターとなった。一時代が終わり、もう復活することは無いだろう。

2007年6月2日土曜日

膝の老化を考える(2)~よる年波を押し返すために

さて、その一では膝の老化について勉強し、私達一人一人がどうすればこれを予防できるか考えてみました。しかし、どう頑張っても痛みが出ることは有りますから、病院に行くことは多いと思います。実際整形外科の外来で、その日の新患の2~3割りは膝が痛いお年寄りです。

「おや、田中さん。どうしました」

「最近膝が痛くてしょうがないんですよ。鈴木さんはどうされたのです」

「私もなんですよ。階段が辛くてね」

「お灸がいいと薦められてやってみたんですけど」

「あら、低周波がいいそうですよ」

「じゃ、今度やってみようかしら」

「でも、水泳がいいと言う人もいるのよね」

「田中さん診察室にお入り下さい」

「あら、呼ばれたわ。それじゃお先に・・・」

なんて会話がされるのは珍しくはありません。田中さんも鈴木さんもいろいろな治療方を聞きかじっています。スーパーマーケットの試食品コーナーみたいな物といったら失礼でしょうか。しかし、本当のところ何が一番いいのかはわかっていません。今回は、病院で行っている実際の治療方を紹介していくことにしましょう。

病院に行くとたいていはレントゲン写真を撮られます。そして、膝の隙間が無くなっているとか、骨の出っ張りができているとか云われます。そして、臨床症状としての痛みが中心の場合には、とりあえず、何等かの痛みを抑える薬を使おうということになります。

程度の軽い物では、湿布・塗り薬といった外用薬が使われます。これらの薬の中には消炎鎮痛剤が含まれており、老化した関節の中に生じた炎症反応を抑えて痛みを軽減します。湿布は貼ったときに冷たい感じがするものと、だんだん暖かくなってくるものとがあります。これは、基本的には貼って気持ちが良ければ、どちらでも構いません。積極的に冷やすことは避けたほうがいいのですが、湿布のひんやりした感じは最初だけで冷却しているわけではありません。一方暖める貼り薬は、皮膚への刺激が強いのでかぶれやすく注意が必要です。もう少し痛みが強い場合は、これらの消炎鎮痛剤の内服薬を使用します。一般に消炎鎮痛剤は胃粘膜を荒らすことが多いので、原則として食後に服用して下さい。

ところで、よく関節に「水が溜まる」ことがあります。これは関節水腫という状態で、関節内の炎症反応によって関節のまわりをとりかこんでいる関節の袋の中に関節液が過剰に貯留したために生じます。「水は抜けばくせになる」と考えている方がよくいますが、もちろん関節の袋はそのまま存在しているわけですから炎症が残っていれば再び溜まってくるのは当然です。しかし、当然だからほっといてよいと考えるは間違いです。関節液が溜まりすぎると、関節がぱんぱんに張って動きが悪くなり、動くときの痛みが強くなります。そして長く続くと関節は固くなってきますから、よけいに痛くなるという悪循環をします。ですから毎週のように針を刺す必要はありませんが、あまり溜めてもいいことはありません。故人曰、「ためていいのはお金だけ」。

同じく針を刺すにしても、薬を膝関節内に注入する場合があります。普通は、がさがさしてきた軟骨のうるおいを保ちなるべくスムースに関節面が動くようにするための薬や、関節内の炎症をなるべく抑えるためのステロイド剤を単独あるいは一緒に使います。使い方も短期集中で使う方法やどうしても痛い時だけ使う方法など様々です。いずれにしても老化による変化は絶対に元に戻りませんから、薬で痛みが減っても、「勝って兜の緒をしめ」ることが大切です。

これらの保存的治療で効果がない場合には、手術的治療が必要になります。簡単なものから3つだけ紹介しましょう。最初は、炎症を起こしている関節の袋の内側の膜を切除し、凸凹になった関節面を削って滑らかにする方法です。これは簡単に云うと、関節の中の大掃除と考えれば良いでしょう。とりあえず効果が有りますが、またゴミは溜まりますから、効果の持続はやってみなければわかりません。ただし、高齢の方や、あまりおおげさな手術をしたくない方には良い方法です。

次は、膝の下ですねの骨を切って、すこし角度を外に向けてつなげ直す方法があります。膝関節での大腿と下腿との角度を変えて関節の接触する場所をなるべく痛んでいないところに変えるというものです。関節の形がある程度残っている場合には大変効果が有り、普通は何年も効果が持続する優れた方法です。最後に、変形がひどい場合、これは自分の関節はあきらめて人工関節に取り替えます。動きには多少制限が出ますが、人工の関節に神経は通っていませんから痛みは無くなります。

いろいろ治療について考えましたが、人生に限りがある以上、老化は避けられませんから、いちど痛みが出はじめたら、これとうまく付き合っていくことが大切です。現在の自分に必要な活動力をよく認識して、あるときは守りに徹し、またあるときは積極的に攻撃して、忍び寄る年波を押し返しましょう。

2007年6月1日金曜日

膝の老化を考える(1)~忍び寄る年波に勝つために

どなたにも年を取ったと感じる時があるものです。ある人は、翌日に酒が残るようになった時、またある人は子供が生意気を言うようになった時かもしれません。しかし確実に年を感じるのは、体のいうことが利かなくなった時でしょう。「立ち上がる時に痛む」、「歩き出しがつらいが、歩きだせば大丈夫」、「階段の昇り降りがつらい」、「風呂に入ると少し楽になる」といった症状を訴える患者さんが大勢います。この方々が問題にしているのは、膝です。ある程度年を取られた方ならば、多かれ少なかれこのような症状に心当たりがあることと思います。

本来人間の耐用年数なんてたいして無いわけで、昔は「人生六十年」とか申しました。それが、医学や生活環境の進歩によって八十年を越えてしまいました。あちこちがいたんでくるのは当然といえばそれまでですが、現実には何とか鞭打って頑張らねばなりません。高齢化社会の到来を胸を張って迎えるために、いたんだ膝関節をながもちさせる方法を考えてみましょう。

整形外科で扱う典型的な老化現象の発生部位は膝の関節です。では年を取ってくるとどのような変化が起こってくるのでしょうか。関節の部分では固い骨と骨が擦れ合って動いています。ただし直接骨どうしが当たればごつごつしてしょうがありません。実際には擦れ合う面には軟骨という軟らかいすべすべの骨がかぶっていて動きを滑らかにしています。しかし軟骨は次々に再生するような組織ではありませんから、擦れ合っているうちにしだいに表面がけば立ち、そしてすり減ってくるのです。さて軟骨が無くなってしまうと、骨と骨が直接ぶつかるようになり、骨そのものの変形がしだいに強まっていきます。

特に動きが大きく、いつも体重の重みによって負担を受けている膝の関節では影響が強く出ます。普通の人は膝の内側の方にかかる体重の方が大きいので、内側に症状が出ることが多いのです。従って変化が進むといわゆるO脚になっていきます。また年を取ってしだいに足の筋力も低下してくるために、関節の不安定性が起こり、膝がグラグラしやすくなってくることも、これらの変化に拍車をかけます。このような関節の変化を総称して変形性関節症と呼び、膝の場合には変形性膝関節症と言います。その人のそれまでの人生でかけてきた負担の程度によって、出現する症状の度合も千差万別です。これは「病気」かと聞かれると、老化現象を基盤にしている生理的な変化、つまり誰にでも起こるものですから、純粋な意味での病気ではありませんが、その生理的な範囲を越えたときに症状が出ると考えれば、立派な病気でしょう。

さて何となく敵の正体がわかってくれば、いくつか防衛するための対策が考えられます。第一の作戦は、若いころからなるべく関節を使わないようにするということです。しかし、これは非現実的ですし、実際使わなければ人間の体はどんどんバカになってしまうので、この作戦は却下します。しかし若いころから、あるいは症状の出現する前から過度の負担をかけないようにできればそれにこしたことはありません。使えばいたむし使わなければバカになる。軟骨がすり減っていくのはしかたがないとして、現実的な作戦を考えましょう。

年を取ってから関節を使うような運動を避ける、しかし下肢の筋力トレーニングはかかさない、体重を増やさないようにするなどいったことは現実的かつ基本的な予防対策として重要です。特に適切な運動によって筋力を維持し関節の安定性を獲得できればかなりの症状を抑えることができます。それでも絶対ということは無い医学の世界です。実際の医療の現場ではどのような治療が行われているのでしょうか。続いて、飲み薬、注射、そして手術といった究極の老化膝治療を紹介します。