2007年7月31日火曜日

横浜市防災訓練

横浜市の防災訓練が9月1日(土)に行われます。今回は都筑区がメイン会場になりますので、都筑区医師会も協力します。新米の防災担当としても、初仕事になり参加します。というわけで、クリニックは午前中休診になります。午後からの診療になりますので、このブログをお読みの数少ない皆様は、この件を口コミで広めておいていただければ幸いです。都筑区の情報を収集している皆様、というかビタミンママの皆さんとか、都筑区探検九の一部隊の皆様も、参加してください。お願いします。
今回の参議院選挙で元アナウンサーの某氏が3年間投票をしていなかったということで、非難にさらされていましたが、実は自分は過去に防災訓練に参加したのは随分昔のことで、それでいいのかと言われそうです。ゴメンナサイ。

2007年7月30日月曜日

Explorations / Bill Evans

Jazzです。Evansです。

中山康樹氏曰く、「マイルスを聞けば主要ミュージシャンは全部ついてくる、マイルス芋蔓式の法則」。C.Parkerから始まりColtrane, Rollins, Milt Jackson, Monkを経てBill Evansと来る。

マイルスとつるんだからエバンスはジャンキーになり、命をおとすところまでいった(と、いわれている)。マイルスのもとを辞した後は、スコット・ラファロ、ポール・モチアンと伝説のトリオを結成。

"Portrait in Jazz"は一家に一枚のマストアイテムとなっている。そして、直後にラファロが死亡したため、Village Vanguardでのライブが次に取り上げられ、"Explorations"はあまり話題に出ない。

でも、自分はこれが一番気に入っている♥。


確かにAutumn Leavesはいい。でも、過去のフォーマットを引きずってはいないだろうか。Explorationsでは、ライブで示されたエバンスのリリカルなスタイルが初めてスタジオ録音として記録されたものではないでしょうか。

いわば、エバンスがスタイルを確立したのはこのレコードからでは、というと言い過ぎか。最初の曲、Nardisはマイルスの作曲、にもかかわらずマイルス自身は一度も録音していない。エバンスが死ぬまで演奏し続けた曲の一つ。

まるでエバンスのためにあるかのようなメロディラインは何度聞いても素晴らしい。テーマの呈示の後は、いきなりラファロのベースソロとなる。続いて単音を転がしていくようなエバンスのソロが始まるが、比較的短めで終了してテーマに戻るのである。

エバンスはここでは、ラファロを押し立てて、自分は美しいテーマにのめり込んでいるのであろう。ソロはこれからいくらでもやるから、今日はラファロを聞いてくれといわんばかりである。

エバンスは目一杯キーを叩くことはしない。いつも押し切る一歩手前でやめている。単音でも、ブロックコードでも、早くても、遅くても。鍵盤が軽く揺れているのが見えるようであり、それがエバンスのスタイルになったリリシズムの根本であるようなきがします。

2007年7月29日日曜日

正札附

これは昭和の大落語家、六代目三遊亭圓生の出囃子の曲名です。

三味の単音で「チン・チン・チン・チン・チンチトチン・・・」と始まり、「えー、昔はってぇと・・・」としゃべりだす。ここで必ず湯飲みから白湯を音をたててすするんですね。そこまでで、すでに圓生ワールドにトリップしてしまうんです。

20年間育ててきた自分のパソコンの漢字変換辞書には、当初から「圓生」を登録してあります。しばしば「リウマチの圓生は・・・」などと誤変換してしまいます。

落語との出会いは高校生の時でした。当時はロック少年であり、ジャズを聞きだしその一方落語にはまるという支離滅裂な状態であったわけですが、アイドル的には古今亭志ん朝が一番人気でしたが、圓生の貫禄のある、それでいて艶っぽい芸風は高校生も魅了しました。

文楽・志ん生・金馬といった名落語家はすでに鬼籍に入り、小さん・馬生は暗くて気分が乗らない。むしろ、そこを通り越して談志の方が、よほどするどさがあり楽しかったですね。

圓生はスタジオ録音で、自分の演目のかなりのものをレコードに残してくれました。当時、毎月2セットずつ発売され全部で50セットくらいの壮大な企画だったのですが、1セットがレコード3枚組みで6000円くらいでした。さすがに高校生には買いきれません。そこで友人と二人で分担して買っていったのですが、だいぶ買い損ねました。

それでも、だいぶがんばって、今でも手元にかなりの枚数が残っています。ロックやジャズのレコードはかびてしまったので処分して、ぜんぜん残っていないのですが、圓生のレコードだけは実家に置いていたので難をまぬがれました。

数年前に、何とかしてもう一度聞きたくて、わざわざレコードプレイヤーを買いました。この企画の面白いところは、すべての出囃子を圓生が練りに練ってすべて変えているところなのです。まるで、出囃子や小唄・端唄の音楽辞典状態なのです。その中で、やはり正札附が出てきたときにはものすごく嬉しかったのを覚えています。


1979年9月3日、圓生永眠。もう30年近く経ちますが、今でも悔しく思い出されるのは、9月4日の朝刊の1面が「上野動物園パンダのランラン死す」だったことです。

自分にとっては、圓生が亡くなったことの文化的喪失は何事にも変えられないものでしたので、「なんでパンダごときが圓生より幅をとっているんだ!」と、思ったわけです。

さて、今夜は「三軒長屋」をたっぷり1時間楽しみましょう。

2007年7月28日土曜日

自分の実践する医療のスタンス

セカンド・オピニオンについて書いていて、この事にもふれたくなったので、だいぶ話が堅くなりますがしばしご辛抱を。
自分は東海大学医学部の卒業で、あまり深く考えずに母校に残り研修をしてきました。その中で、「塩化カリウム事件」と遭遇しました。平成3年、助手に採用された年のことです。この事件を起こした医師は間接的に知っていたので、大きな衝撃でした。大学は全体の職員を体育館に集め何回もミーティングを行い、この事件から学ばねばならないことを必死に模索し、インフォームド・コンセントの重要性を答えの一つにしました。インフォームド・コンセントという言葉は、やっと使われるようになったばかりで、一般の方にはまだ知られていなかったと思います。
平成12年に東海大学を辞して、東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センターへ移りましたが、平成14年に女子医でも事件が起こりました。死亡事故に対してのカルテ改ざんです。たまたま教員の研修会に参加することになっていたところでしたので、ここでもミーティングが行われました。やはり、ここでの答えのひとつはインフォームド・コンセントでした。
この二つの日本における重大な医療関係の事件の現場に居合わせたことは、自分の実践する医療のスタンスに影響を与えないわけにはいきません。特に手の外科というジャンルを主として扱っていたために、患者さんとの会話(一方通行の説明ではなく双方向であるとがこだわり)は大変重要なものと考えています。手は大変複雑な機能を必要としており、患者さんの要望通りの機能再建は大変難しく、自分が100点満点の手術だと思っても、「まだ、××ができない」という、不満を残しやすいのです。したがって、手術をする前にどこまでできて、どこからできないのかを明確にしておく必要があります。場合によっては「やっても変わらないかもしれない」、あるいは「やってみないとわからない」という話まですることがあります。もちろん、それなりの成算があるから手術をお勧めするわけですが、少なくとも手術の話をしてから一度は帰ってよく相談をして考えてきてください、と話してその場で決定しないようにしました。患者さんとの会話が30分以上かかることは普通のことでした。
二つの事件の間で、直接自分が関係する一つの出来事が、今でも忘れられません。出向して医長をしていたときですが、骨折の若い男性で治療もだいたい終わる頃に、「まだここが痛い」といって指をだされました。レントゲンを撮ってみたら指の骨折があったのです。完全な見落としでした。自分は院長にどのように対応するかを相談しました。「それは先生のミスですか?」と聞かれ、正直にそうだと答えました。院長の返答は、「ミスだというなら患者さんに謝りなさい」というものでした。謝っていいとなってかえって気持ちが楽になり、患者さんに説明して手術をさせてもらうことができました。
とにかく、患者さんとの関係を作ることが最も大切であること、そのためには限られた時間の中で最大限の会話をする努力をすることが重要だと考えています。そして、できること、できないこと、わかること、わからないことをはっきりさせていくことも忘れてはなりません。あまりまとまりのない話になってしまいましたし、偉そうなことばかり書いてもしょうがないので、今日はこの辺で・・・m(_ _)m

セカンド・オピニオン

セカンド・オピニオン ( secomd opinion ) 、つまり別の医者に診断・治療などの意見を求めることは、現在の医療環境の中では大変意味のあることです。昨年の診療報酬改定で5000円(3割り負担で1500円)の高い値段設定でセカンドオピニオンを希望する患者さんへの資料を渡す値段が設定されました。うちでも、主としてリウマチがらみでそういう目的の患者さんが何人かいらっしゃいましたが、K先生のいうように、実際に資料を持ってきた方はいません。
発信元の医者の中に、セカンドオピニオンを勧める意思が、いぜんとして希薄なのでしょうか。自分は自信をもって医療をしているつもりですが、医学に100点満点の答えは存在しないと考えていますので、いろいろな意見を聞くことは大変重要だと感じています。患者さんも医者に、「他のところで意見を聞きたい」とは言いにくいのだと思います。その結果、資料を持参しないで受診する方が増えるのだと思います。また、診療報酬も資料を作る側にのみ設定されていて、相談を受けた側は診察料しかなく、通常相談にきた場合にはかなりの時間を割くことになり通常の診療をむしろ圧迫します。
やはり、いつでも患者さんが話しやすい雰囲気と時間を提供することが、医者に求められているのだと思います。しかし世界でもっとも低レベルの医療費をさらに引き下げることにやっきになっている政治家の方には、そこのところはわかってもらえないのでしょうね・・・

2007年7月27日金曜日

焼魚・・・さんま part2

最近はメタボリック症候群という言葉が市民権を得て、食生活の改善に対する意識が高まっているのは、我が家も同じ。確かに、子供の頃は、焼魚がメインのおかずであることが多く、だからこそハンバーグはご馳走だったのです。でも、魚は今高いですね。肉のほうが安い。鰯は1尾数十円でしたよね。魚屋さんの店先に捨てておかれるような感じでした。今は安いときで60円くらいでしょうか。鯵・鰯・秋刀魚などは食卓レギュラーですが、ただ焼いただけで、ちょっと醤油をたらして食べると美味しい。なんか、日本人をしていてよかったーっというところです。
今日は、この前蒲焼にした安いサンマの残りを焼いて食べました。油が乗っていて、煙が出る出る。サブメニューは、豆腐です。小松菜と豆腐をだしの素・砂糖・塩・醤油・七味と一緒に煮ます。健康的で栄養たっぷり、さよならメタボ。さらばコレステ。

2007年7月26日木曜日

イカのトマトソース煮


今夜のおかずはイカのトマトソース煮です。近くのスーパーで、スルメイカのげそだけが安く売っていました。6ハイ分で100円です。ここに以前に紹介した鶏肉の胸肉とたまねぎ、ピーマンなどを入れて作ります。味付けはコンソメスープにちょっと冷蔵庫の中で古くなってきたトマトを煮込み、ケチャップとコショウで整えます。もともとペスカトーレというパスタメニューがあるくらいですから、イカとトマトの相性はいがいと悪くない。

2007年7月25日水曜日

Glenn Gould / Goldberg Variation 1981

K先生に「高尚な話題」と言わしめた以前の文章を再録します。

中学生の時に、いろいろな音楽を聴き出して、やはり友人からの影響か天地真理を聞いたすぐ後にクラシックも聴いていた。

最初からバッハは好きで、特にハープシコードの音色にはまっていた。そんなときに、レコード屋でバッハのインベンションを見つけて買って帰る。

レコードの針を降ろしてびっくり。なんとピアノの音ではないか。演奏者は・・・グレン・グールド。そんなこともわからず買うのもいけないが、とにかくつまらない。何かが違う。どうもしっくりこない。ほとんど聴かずに、棚に並ぶだけになってしまった。

最近、たまたまピアノの演奏を探していて、再びグールドにめぐり合った。30年以上たって、その間にグールドは亡くなっていた。ゴールドベルク変奏曲が有名であることは知っていたが、映画でレクター博士がじっと耳を傾けていたのがこれであったとは、やはり自分は無知であったと思い知らされる。

それにしても、これがいい。長い時間が、自分の耳と感性をここまで変えてしまうとは驚きだ。クラシックの評論家先生にはいろいろ文句を言われ、評価が低いが、一般人にはこれほど愛すことができる演奏はないのでは。

そこが、クラシック音楽がもう一つひろまらないポイントではないかと思う。この数ヶ月で、他のバッハ作品も含め聴き続けているが、飽きない。バッハは素材で、あくまでもグールトの作品になっているということか。

この年になって、あらたに聴くべき音楽にめぐりあうとは、とても幸せである。マイルスとクラプトンと、そしてグールトはずっと聴きつつけることだろう。

確かに「硬い」ですね。でも、この1年間でもっとも聞く回数が多かったのは、確かにグレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲、それも1981年新録音版です。自分のHPにわざわざ書くくらいですから、相当まいっているわけです。皆さんも是非どうぞ。

さんまの蒲焼

清水台のマルエツで解凍ものの秋刀魚が1尾89円。安い!!と、いうわけで買ってきました。どうしようかと考えましたが、普通に塩焼きでもいいけど、弁当に持っていくにはちょっと問題。そこで、蒲焼にしました。はらわたをとって開きます。フライパンで焼いて、骨を取り除きます。だいたい火が通ったら、しょうゆ、みりん、山椒、しょうがなどで味を整えてしばらく煮込みます。本当は小麦粉をまぶして唐揚風にするようですが、カロリーが上がっちゃうのでうちではやりません。鰻とはちょっとちがいますが、それなりに美味しいおかずです。
生活習慣病のことを考えると、お肉は少なめにしたいものです。町を歩いている人でお腹がぽっちゃりの人は、現代日本では本当に多いですよね。人のことはいえませんが、気をつけたいと思います。

2007年7月24日火曜日

ブログ公開~医師会の仕事 part2

さて、いよいよブログを公開いたします \(^o^)/
このブログはいろいろな話題に言及するかもしれませんが、さしあたって自分の興味の範囲での話題、日々の雑感を書いていきます。さしあたってのカテゴリーは「クリニック」「今日の音楽」「食の歳時記」の3つです。地域情報を収集していくのはK先生におまかせします。
医師会の仕事の中で、今回は防災・救急担当について説明します。とはいっても、なりたての新人役員ですので、実はまだ何をするのかわからない。センター北のN先生が長らくがんばってやっていた仕事で、N先生が市の理事になったため、かわりにやることになったのです。すぐに仕事になるわけでもなく、右を向いても左を見てもちんぷんかんぷんです。しかし、時間は待ってくれません。9月1日は防災の日。都筑区では大規模な防災訓練が行われますので、防災担当者としては最初の大仕事になります。さらに12月には防災関連の講演会が企画されており、これの最終の詰めをしなければなりません。他にも・・・・
開業医という立場は地域あってのものですから、地域に貢献して根付いていくためにもいい役回りだと思います。ただ、自分のクリニックがまだ軌道に乗り切れているわけではないので、その点がつらいですね。皆様!!よろしくお願いします!!

2007年7月22日日曜日

都筑区新着情報探検隊

うちの隣のK先生はすごい。泌尿器科学会で知らぬヒトはいないくらいの人物にして、都筑区の新着情報の収集能力にかけては右に出るものはいない、といっても過言ではない。これも自分のクリニックのホームページ依存度からくる仕事といわんばかりの「言い訳」めいた理由があるようだが、なかなかそれだけでは説明がつくものではない。ららぽーとが始まると、すぐに出没し、ノースポートの仕上がり具合もチェック。ミナモなんて朝飯前。ここにビルができる的に情報は、どこから仕入れているのだろうか。九の一部隊の活躍があるとはいえすばらしいものです。
それに比べて、自分は人がざわざわしているところは好きではないので、新しい店ができてもしばらくして空いてからでいいや、と思ってしまうタイプ。とにかく待つのが嫌なので、すっと入れないとめげてしまう。ですから、新着情報なんてものはまったく持ち合わせていないので、こういんブログを書くにもネタに困ってしまうのです。都筑区の情報では柚の木交差点近くの大黒天というラーメン屋さん。K先生に推薦されて、開店してからだいぶたってから行ったのですが、なかなかどうして特徴のある坦々麺で、けっこう気に入りました。と、思っていたら閉店してしまいました。うー、残念。もっと食べておくんだった。

医師会の仕事

医師会というと、普通の方は何を想像するのでしょうか。自分くらいの年より上だと、昭和の大人物武見太郎日本医師会長を思い出すのではないでしょうか。いい意味でも、悪い意味でも医師会という組織を作り上げた人物です。政治色を濃く出し、圧力団体としての価値を高めたことは組織の中では高く評価されます。しかし、一般には医師の傲慢さの象徴となってしまったのは否めません。
自分が開業するときには、医師会に入るかどうかについてはあまり悩みませんでした。これはに父が内科開業医として医師会の仕事を随分とやっていたので、普通のことのように思えていたからでしょう。むしろ、入れてもらえるかの方が心配でした。実際は、さほど心配なことはなく入会しましたが、新規開業医に対する排他的な雰囲気は実体験させてもらえました。確かに個人事業所である開業医は、直接のライバルが増えることに対して警戒感を持つことは当たり前のことです。しかし、一度入会すれば、今度は組合ですから、個人でできないことを協力してやっていくことも当たり前。
現在のように内容はほとんど吟味されずに、現場の声を聞かず、医療費を減らすことだけにやっきになっている政治がまかり通っている時代ですから、弱小開業医は一致団結することが重要です。正直云って勤務医と開業医の両方を経験して、勤務医は本当に楽だったと思います。最近は、勤務医の「激務」という話題がよく出ますが、一部の科に実際存在することは認めますが、大多数の科にとっては、医師の「サラリーマン」化が進んだ現われではないかと思います。数年前の研修医制度改革により、今後更に進むことは間違いなく、日本の医療の根底が崩れる危険を感じます。ここまで医療費が抑制され診療報酬がどんどん下がれば医療のモチベーションは下がり、サラリーマン化に拍車をかけてしまうでしょう。程度の問題はあるにしても、医療の成果が出ないとすぐ医療ミスとして訴えられ罪人となるなら、若い医者はどうやって育てはいいのでしょうか。とにかく医療をめぐる問題はあまりに多く、出口の見えない迷路のなかにあることは間違いのないところです。
話が重い方へそれてしまいましたが、自分のクリニックのあるセンター南医療ヴィレッジには5人の医師がいるわけですが、このたび自分も医師会の仕事にたずさわることになり、5人中3人が理事会に出席という状況になりました。一番古い開業の先生でも2年ちょっとですから、これはけっこう異例のことではないでしょうか。自分は偶然ですから大きなことはいえませんが、都筑区の医療の中心になっていけるように努力しないといけないと思います。

青い果実/山口百恵

♪こーわくないっ、ア・アン・アン。当時の大人はこの歌詞にどぎもを抜かれたという。山口百恵と同学年の自分は、友達同士の中で自然とアイドルの担当が振り分けられていたのです。

桜田淳子担当に付き合って、所沢の西武園までファンの集いに行き、友人が握手をするところを写真に収め、かわりに千葉県のマザー牧場で初めて行われた山口百恵ファンの集いに一緒に来てもらいました。

2作目の青い果実で大ブレークをして、3作目の春風のいたずらが出るのに合わせて行われたイベントでした。なんか、コートを着ていった覚えがあるので、そんな季節でしょう。

ファンクラブはまだそんなに大きくはなく数千人規模だったと思います。バス数台で行けたくらいですから。屋外の簡易特設ステージでの新曲披露のなかで、最初のテレビドラマ「顔で笑って」の主題歌を百恵ちゃんと一緒に歌うコーナーがありました。

この曲は宇津井健さんと親子でのデュエットという設定になっており、宇津井さんのパートはお父さんの歌詞ですから、これを中高生のファンに歌わせるというのも、随分な企画です。

司会のヒトの「歌いたい人!」の掛け声で、皆が一斉に手を上げるわけで、そんな純真な少年の一人に自分も混ざっていました。しかも、「ハイ、君」と指されたのが自分ですから、そこからは宙に舞う気分で、よく覚えていません。

なんとか歌ってステージから降りてきて、友人に「写真とってくれた?」と聞いたら、「あっ、忘れてた!」というわけで、今となっては証拠はありません。青春の1ページというやつですかね。

その後は、引退するまでしっかりファンをやって、レコードも随分買いました。山口百恵はだんだんよくなってくるんですね。最初の頃は千家和也作詞・阿久悠作曲でアイドル歌謡曲の王道という感じですが、世間でも知られているように阿木曜子作詞・宇崎竜童作曲になって、POPSとしての娯楽性と音楽としての芸術性が加わり、まさに歌謡会最強のトリオだったと思います。

そういう意味で、自分のベストは最後のシングル曲「さよならの向こう側」です。CD持っている人は、今日は是非引っ張り出して聞いてみましょう。

2007年7月21日土曜日

センター南医療ヴィレッジHP

あすなろデザインハウスの仕事として、センター南医療ヴィレッジのホームページを作りました。これは、もちろん自分が入っているクリニックモールのことですが、これまでベルヴィル茅ヶ崎というビルの名称しか無いため、せっかくいろいろなクリニックが揃っているのに連携感が希薄だったのです。そこで、このまえ運営会議と称して納涼会を行い、皆でモールの愛称を決めました。愛称が決まったからには、これを役に立てない手はありません。幸い、全員がホームページを持っているので、これをリンクするポータルがあれば便利だということで、台風で暇だった日曜日にいっきに作りました。内容はあまりありませんので、階層も深くなく比較的簡単に作り上げました。yahooとgoogleとMSNの3大検索サイトへの登録をして早くも検索にひっかかるのは嬉しいものです。そろそろ自分のクリニックのホームページも作りなおさねば、と思いましたが、こちらはけっこうボリュームがあるので簡単にはいきそうにありません。開業前で時間がたっぷりあった時だから可能であった、というところでしょうか。その後もなかなか更新は遅々として進んでいないのです。ブロクを整備している場合ではない!?

2007年7月19日木曜日

ザーサイ

なんでも気がつかずにいることはよくあります。結構大人になるまで、メンマとザーサイが違うものだとは知りませんでした。メンマはもともと支那竹と呼ばれていましたが、タケノコの一種。ザーサイはからし菜の一種の太った茎から作られます。
うちの近くには横濱家というチェーンのラーメン店がありますが、ここではザーサイは薬味の一つとして食べたいだけ食べることが出来ます。一時、いろいろ並んだ薬味から消えたことがありますが、うちでは「かみさんがガバガバ食べ過ぎたせい」と考えられていました。横濱家のザーサイは比較的塩味がきつくないので、かみさんのお気に入りなのです。
そこで、今日はザーサイのかたまりを買ってきました。よく売られている味付けした状態より、かなり安いのです。しかし、そのままでは塩辛くてとても食べれません。これを食べれる形までもっていくのは、意外と簡単なようでめんどくさい。言葉で書けば、「薄切りして水で塩抜き、茹でたらゴマ油とラー油でさっと炒める」となります。それなりに大変ですが、お茶漬けで食べたり、豚肉と炒めたり、いろいろと用途が広いので、是非お試しあれ!!

2007年7月17日火曜日

Jeff Beck / Blow by Blow

世に言う三大ロック・ギタリスト、クラプトン・ベック・ペイジ。

音楽として一番好きなのは今でもクラプトンですが、ギタリストとしてはジェフ・ベックに憧れます。わが道をいく風のアルバム作りで、今でもがんばっていますが、正直いって1975年に発表された「ブロウ・バイ・ブロウ」がギタリストとしてのピークだったのかもしれません。

最初に聞いたのが中学2年の頃で、いわゆる第2期ジェフ・ベック・グループの「ラフ&レディ」。ストレートなハードロックにはまりつつあった少年には、やたらと黒人っぽい音楽に聞こえた。マックス・ミドルトンのピアノが新鮮で、からみつくベックのギターに夢中になったものです。

アメリカン・ハードロックのカクタスと合体したBBAもよかったが、あっという間に解散。今頃ベックはどうしているのやら、と思っていたところに出たのが「ブロウ・バイ・ブロウ」でした。

もうボーカルはいらない、俺のギターだけ聞いてくれ的な論評がいろいろ出ましたし、哀しみの恋人たち(なんという邦題)は泣きのギター曲のスタンダードとしての地位を確立しました。とにかくトータル・アルバムとしての構成のすばらしさはプロデューサのジョージ・マーティンの仕事。

しかし、その後はどうでしょうか。ギター一本で勝負状態が続いており、次第にバックは打ち込み、ライブは最小人数でという感じで、音楽を聴くというより、ベックのギターを見るという感じでしょうか。でもクラプトンじゃないから、ベックはこれでいいのかも。

The Carpenters / Mr.Gooder

自分の音楽の趣味は種々雑多で、なんでもこいのてんこ盛り状態です。

この原因は小学生の時の友人、渋谷の駅近くのお店の息子のせいなのです。彼はクラリネットを吹いていて、クラシックを教えてくれましたが、家に遊びにいくと当時は珍しいステレオセットでビートルズやカーペターズも聞かせてくれるのです。

その中で、今回とりあげるのは「ミスター・グーダー」。シングル曲ではない(2枚目のアルバム)ので、現在手に入れやすいベスト盤などにはたいてい収録されていません。

印象的なフルートを用いたイントロから、あーこれがカーペタースだよね、というようなコーラス。そしてカレンのポーカル。とソフトジャス的なジャック・ルーシェ風アレンジ。最後のスイングル・シンガースにも負けない「ダバダコーラス」。

初期のカーペンターズの魅力がすべて詰まった曲だと思うのは自分だけ?

2007年7月16日月曜日

鶏の胸肉のおいしい料理

鶏肉は比較的健康的で、良好な蛋白源だと思いますが、もも肉ならから揚げでも煮物でもいろいろ使えて便利です。それに比べ胸肉は淡白で、シーチキンの反対でフィールドツナとでもいいましょうか・・・。なかなかメニューが追加しにくい食材です。そこで、切り方を工夫してみることにしました。普通なら、そのまま肉の線維に直交するように包丁を入れてしまうのですが、これをなるべく斜めに入れるようにして、線維の切らないようにしてみます。こうすると加熱したときに肉汁が残りやすく柔らかで、肉そのものの味が残っているように思います。是非試してみてください。斜めに薄くスライスして、醤油とお酒と七味で一晩つけて食べると・・・・\(^o^)/という感じ!!