2008年2月12日火曜日

My Funny Valentine


1986年2月。朝から晩まで学生室と呼ばれる小さな部屋に仲間数人とこもって、医師国家試験の勉強をしているときでした。楽しみといえば、昼飯のメニューを決めるアミダクジ。付属病院内の食堂、とんかつ定食の出前、中華定食の出前。この中からアミダクジの勝者が決定権を得るのです。誰が言うともなく、そういえば今日はバレンタインデイだなぁ。

そういえば、いつからこの風習が定着したんでしょうかね。女性から一方的にチョコレートを送って愛の告白をするというのは、日本独特のものだそうで、戦前のモロゾフの戦略から始まったようですが、実際に定着したのは1970年代くらいなのではないでしょうか。実に日本のチョコレート消費の1/4がバレンタインデイの前後だというのは驚きです。

イベントとして楽しむという意味では、悪くはありませんが、菓子メーカーの謀略に乗っているようなところもなきにしもあらずですので、なかなか評価は分かれるところですよね。まぁ、それをいったら玩具メーカーの謀略に乗せられるクリスマスというのもあるわけで、あまり堅苦しく考えない方が身のためかもしれません。

さて、話を戻しますと、アミダクジをやっているところにテニス部の1学年先輩が学生室に入ってきました。当然、すでに医者になっているわけで、袋の中から、どさーっとたくさんのチョコレートを机の上にばらまいたのです。
「どうだ、どうだ、医者になればこんなにもらえるんだぞ。お前らは勉強でそれどころではないから、お裾分けだ。ガッハハハハ」
自分たちはあっけにとられましたが、よーっし必ず試験に合格して来年のバレンタインデイにはチョコレートをもらいまくるんだ、という気合いがたいそう入ったものでした(←動機不純、でもけっこう素直)。

さて、念願かなって国試に合格して医者になり、最初の年は3ヶ月ずついろいろな科をローテーションして研修をします。そして、いよいよ1987年2月。自分は放射線科というところにいました。放射線科は地下。1日中日の差さない場所で、朝から胃透視、大腸造影をこなし、昼からはレントゲンのレポート書きと血管造影検査。かなり忙しく働いたのであります。ちなみに、ここで全科の疾患を勉強できたことは大変役に立ちました。

放射線科は当然病棟というものがありません。と、いうことは看護婦さんはほとんどいません。当然外来もありませんし。数少ない看護婦さんは、かなり年配の方ばかりだったのです。放射線技師さんもほとんどが男性です。当然、バレンタインデイなどという異国の習慣とはまったく無縁の世界なのであります。

昼に売店で昼ご飯を探していると、整形外科外来の看護助手をしている「浜さん」というベテランのおばさんに声をかけられました。「どうだい、チョコはもらえたかい?」「いいえ、ゼロ個です」「なんだって、若いのにそりゃないね。ちょっと、こっちへきな」そういって、売店のチョコの棚のところで浜さんは、どさーっといくつものチョコを手に抱えてきて、さっさと会計をすますと「ほれ、これでよかったら食べな」といって渡してくれたのです。たぶん明治のミルクチョコとか、グリコのアーモンドチョコとか、そんなものばかりでしたけど、下手な義理チョコよりも、しんそこ心のこもったプレゼントだったと思います。

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