2008年2月16日土曜日

T教授への手紙

拝啓
まだまだ寒い日が続いておりますが、少しずつ春の気配も感じられる日々となってまいりました。

さて、そもそもT教授と初めてお会いしたのは医学部の5年生の時(1984年)です。自分の母が膝の痛みを訴えて、「大学の先生の診察を受けたい」というので、膝の専門は誰かと思ったら、4年生の系統講義の授業の時にはいなかったはずの新しい先生のいるとのこと。そこで学生の分際で、母を診ていただきたいと挨拶にしに行ったのが、初対面ということになります。当時、K大学から移られてきたばかりのT先生は40歳そこそこだったはずで、今の自分よりもはるかに若い。

そして医者になって入局してすぐの時に、新人向け研修会があり、最初のテーマが膝でした。「とりあえず3週間ギプスを巻いてから考える」では遅すぎるというのは、今でもしっかりと実践させていただいている教えとなっています。

関節の中に出血している患者さんが来ると、T先生にインストラクターをお願いして関節鏡をやりました。何回かやっているうちにパンチなどの道具を使わせてもらえたときは、嬉しかったのを覚えています。

ある手術では、いざ始まるとT先生は患肢とは反対側に立つので、そっちからやるのかと思いながら、自分が患肢側に立つと、「さぁ、やって」と言われ目を白黒させたことがあります。さらに骨肉腫のこどもたちとの関わりで随分と教えていただいたりもしました。

T先生はアイディアマンで、いつも何かしらもっと効率的に手術することを考え、いろいろなオリジナルの道具を走り書きしているのです。実際に膝靱帯再建手術の道具などはその代表で、発明家的なセンスは大いに見習わせていただきました。

その後、たまたま手の外科関係を中心にするようになったので、自分は「隠れ膝班」とこっそり名乗っていましたが、1999年に当時の教授に呼ばれ、「女子医に転出したT先生が、手の手術を手伝って欲しいと言われているので、君行きたまえ」といわれたのです。

これは、ある意味母校ではいらないよ、と言われたようなものでしたが、以前より興味があったリウマチをしっかり勉強できるし、T先生の下なら仕事も楽しくできると思い、何でもポジティブに考えたい自分としても二つ返事で受けさせてもらったわけです。

そして、女子医に移ってからは、リウマチの難しさを知ることができましたし、それまでほとんどやったことがない指や肘の人工関節を積極的に取り入れ、大変に充実した5年間を過ごすことができました。今の自分にとっては、それまでの15年間と同じ、いやそれ以上の医者としての基盤を作ることができたのは、まさにT先生のお陰と思い、感謝している次第です。

T先生は3月で定年となり退任されるわけですが、むしろ手かせ足かせがなくなり、自由奔放にご活躍されることと思います。ますます、意気盛んに仕事をされることを心から祈念いたしております。くれぐれも、ご自愛いただきますようにお願いいたします。

敬具

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