2008年3月23日日曜日

昔の研修医 part2

医学は机上の勉強だけでは不十分で実践を伴う学問ですから、医学部を卒業しただけではな~んにもできません。それは新研修医制度の今でも同じ。いくらベッドサイドの実習をしても、それはあくまでも学生としてであって、医者としてはゼロであることに違いはあません。

自分が医者になって、さぁ病棟で仕事をしろといっても何にもできるわけではなく、はじめは先輩医師のあんちょこを一生懸命まねていたんですよね。とりあえず、こういう指示を出しておけというマニュアルは大変ありがたく、看護師さんもその辺はわかっていますから、いろいろ教えてくれるわけです。

ただ婦長はそんなにやさしくなく、出した指示に突っ込みを入れて研修医を「鍛え」てくれるのでした。「なんでこの点滴なの? なんでこの薬なの? 何であれしゃいけないの?」という具合に容赦ない攻撃を仕掛けてきます。

点滴を入れるために留置針を指す仕事は最初の関門の一つ。ヒトに針を刺すというのは、街角でやったら傷害罪行為ですよ。自分もはじめはポケットに10本くらいの針を持ち歩いていました。患者さんが許してくれても、ポケットの予備が無くなったら終了。患者さんには心から謝って、他の先生に頼みます。

これは完全な敗北ですが、なんでもがんばればいいというものではありません。入りそうな血管をつぶしきってしまったら、大変なのです。これは慣れてきても時々あることで、「手を変える」とすっとうまくいくことは珍しくありません。自信と過信は紙一重。患者さんという相手のいることを忘れてはいけません。

整形外科は午前中の病棟の大きな仕事は包帯交換処置です。当時は100人くらいの入院患者の処置をするのに、急いでやっても昼間で目一杯かかりました。一年目のぺーぺーは肉体労働なら何とかできます。とはいっても、少ない人数でぎりぎりですから、慣れてきてもかなりあせってやることになります。

そこで、ついついやってしまうのが、「セッシを鳴らす」ということなんです。セッシというのはピンセットのこと。看護師さんからガーゼなどをもらうときに思わずカチカチと音をさせてしまうのです。ある時、中堅の看護士さんに「セッシを鳴らすなんて、10年早いよ!!」と、びしっと言われたことがあります。

またある時はマニュアル通りに指示を書いていると、看護師さんから「なんでこの点滴なの?」と切り返され、答えられずにうなっていると、「考えたって分かるわけないだから、××先生(先輩)に聞いてきないさいよ!!」などとも言われてしまうのでした。

それでも一ヶ月すると、だいぶ様子がわかってきて、何となく形が作れるようになってくる物です。そうすると先輩医師からもやらせてもらえることが増えてきます。さらに一ヶ月経てば、簡単なことなら進んでやることができます。皮膚を縫うことは手術の基本ですから、やりたくてやりたくてしょうがない。

切り傷の患者さんが来ようもんなら、ほとんど鴨が葱背負って来た状態です。呉服屋の小僧のように縫ってばかり。最初はでこぼこでもぎざぎさでも、とにかく縫えれば満足(ゴメンナサイ)、何か医者らしいことをやっているなぁと一人自己満足している。

薬を出すときも、先輩マニュアル通りに馬鹿の一つ覚えのような銘柄を書きます。まぁ、それでもだんだん自分の考えが(しばしば誤りや思いこみがあるものの)入ってくるので心配はいりませんが、この辺は誰でも通る課程の一つですよね。

前期研修医のうちは自分の外来はありません。通常の外来では、処置当番、問診当番などに分かれていて、その中でも一番緊張するのが教授や助教授の書記当番です。これはドイツ語からベシュライバーと呼ばれていますが、教授が外来診察する横で、カルテに話や所見を書いていく仕事なんですけど、教授の外来をてきぱき進行させる使命があるわけですが、結局自分にとっては診察技術を学ぶ場なわけで、専門用語の単語もまとも分かっていない研修医が書いたカルテほどひどいものはありません。なんじゃこりゃ状態です。

ある時助教授が腰痛のヒトを診察台に腹ばいで寝かせて足を上に持ち上げていました。患者さんはそのたびに「ギャー」と痛がります。「ストレッチテスト陽性だな」なるほどこうやってやるんだ。勉強になるなぁ。後でレントゲンを見てびっくり。足の付け根の骨折だったんです。

それから、教授の書記の当番の時のことです。朝の病棟の仕事が多くて、外来に降りるのに少し遅刻してしまいました。降りたときには教授はすでに来て「書記なしで外来をやれというのか!!」といって近くのゴミ箱を蹴飛ばして帰ってしまったと言うんです。教授室に謝りに行って外来を始めましたが、うちの教授のいいところは後にひきずらないところ。始まればニコニコしていました。そんなこんなで仕事を覚えていくんですよね(教授の扱い方を含む)。