2008年4月30日水曜日

スパゲッティ三昧 その2

去年の10月のスパゲッティいろいろの話題から半年。その間にも色々食べては来ましたが、今回はちょっと和風で攻めてみたのです。

中央は当たり前のミートソース。そして一番右。我が家の定番、ペペロンチーノ。その上、和風#1なめたけとベーコンで塩こしょうで味付けして、水菜を生のまままぜたもの。★★という感じです。

続いて、その左は、和風#2たらこスパゲッティですが、今回はとびこをまぜてみました。とびこのプチプチした食感が大変あっています。

そして一番左が、本日の一押し。和風#3あさりとしめじのスパゲッティ大葉そえでございます。アップでご覧ください。★★★★くらいでしょうか。大好評でした。ニンニクをオリーブオイルで炒めて、アサリとしめじをいれます。コンソメの素と醤油を大さじ一杯いれてなじませたら、パスタを投入して、千切りにした大葉をとばーっと乗せて出来上がり。

是非、お試しを。

筍ご飯弁当

昨夜は大皿いっぱいの筍煮、残ったのを細かく切って鶏肉を追加して、今日の弁当は筍ご飯弁当。この1週間の内に3回目です。

隣にもお裾分けしたりして、せっせと食べてきた筍もあと、チンジャオ用に細切りにした分を残すのみとなりました。さすがに、続けて食べる気力が無いので、冷凍しておきます。

目一杯季節の食材を腹一杯食べ尽くすのは大変です。

2008年4月29日火曜日

内科小児科 宗定医院

昭和34年に渋谷区南青山、青山通りを挟んで青山学院大学の正門のはす向かいにそういう名前の診療所がありました。当時は青葉町と言っていたと思います。借家で、大家さんは隣の家の方だったと思います。確か平屋だったのではないでしょうか。

青山通りには都電が走っていた頃です。渋谷川という「どぶ川」が渋谷駅の近くに流れていて(今は、上をふさいで遊歩道と称しています)、駅のところには東横デパートがあり、なぜかロープウェイがありました。デパートの屋上は遊園地、いろいろな乗り物があって楽しく過ごせます。お腹がすいたら、屋上の1階下には大食堂があり、ここでお子様ランチを食べるのです。

確かその頃は少年マガジンが50円くらいで、厚さは1cm以下でした。「黒い秘密兵器」「サブマリン707」「伊賀の忍者影丸」などが人気だったように思います。そして、少年月刊誌といえば、鉄人28号と鉄腕アトムを擁した「少年」の一人勝ちでした。「冒険王」とか「ぼくら」なんていうのもありました。

5大付録付きなんていうのが、必ず毎月ついていて、探偵セットとか忍者セット、人気キャラのペーパークラフトなどが楽しくてしょうがない。話がどんどん三丁目の夕日状態ですが、宗定医院に戻りましょう。

九州から出てきた若い医者が院長です。まだ34才。なんで、いきなり東京に出てきたんでしょうかね。院長の未亡人によると、どうもこどもの教育のためらしい。そりゃ、こどもとしては責任重大ですね。それから数年して、東京オリンピックの年に、そこから原宿側に数百メートルほど離れた場所に家を買いました。表参道まですぐの場所です。

その頃は、参道ですから静かなもんです。明治通りとの交差点付近に多少はビルがありましたが、平屋か2階建てくらいのお店が数えるくらいしかありません。GAPのところはセントラル・アパート、ロッテリアのところの八角ビルの前は八角館という2階建ての焼き肉屋さんでした。その隣は自転車屋さん、その隣は薬屋さん、その隣は・・・駄菓子屋さんもあって、やさしいおばあさんが店番をしていました。

平屋建ての宗定医院は、たぶん順調だったんでしょう。数年後には、建て直しをしました。とはいえ、診療を休むわけにはいかないので、家の半分を壊して、半分作って、出来上がったらそっちで診療を行いながら、残りを立て直すというかなり強引な方法だったと思います。

院長の両親は杉並区の高井戸に住んでいましたが、父親の具合が悪くなってきたようで、立て直してから両親を呼び寄せて同居しました。でも、数年後に父親が亡くなり、さらに数年後に母親も亡くなりました。二人とも、自宅で自分で看取ったのです。まぁ、医者だからできたようなもので、今では考えられませんよね。

母親の時は、倒れてから長かったので、家族、特に院長夫人は看病で相当大変だったようです。院長は自分が死ぬときは、少しだけ家族に看病させてからすぐに死ぬのがいいと言っていました。

それからは、多少息子が大学浪人をしたりはしましたが、渋谷区の医師会でも理事をやったりして、それなりにいい仕事をしたみたいです。ただ、自宅で診療所をやっているので、ずっと家にいるのと息がつまってしまうのか、夜になるといつもいなくなってしまいました。遅くに寿司折りや焼き鳥をぶら下げて帰ってくることが度々ありました。

幸い息子が医者になれたのですが、その息子は整形外科をやりたいと言い出します。院長はたぶん診療所を継いでくれることを期待していたでしょう。でも、その頃になると原宿はどんどん若者の街として栄え、住民はどんどんいなくなっていたのです。いくら継ぎたくても患者さんがいなくてはしょうがないので、院長は好きにして良いよと言っていました。

息子は整形外科医としてキャリアを積み、病院の医長なんかもやって医者らしくなった頃に、院長は倒れました。手足がうまく効かないようで、明らかに脳血管障害でした。でも自分で何とかすると言って聞きません。1週間位して、いよいよ自分でトイレにいけなくなり、院長夫人から息子にSOSが来ました。

息子は夜中に自分の大学の病院へ院長を運びました。CT検査で脳幹部硬塞というもっとも重篤な状態で、心不全も併発していたのでした。そして数日後に息を引き取りました。しっかり家族に看病をさせて、家族が疲れる前にさっと幕を引いてしまったのです。なかなか、いい人生だったのではないかと思います。

宗定医院は40年くらいの歴史を刻んで閉院しましたが、ちょっと名前は変わっているかもしれませんが、横浜のどこかで息子が心を引き継いでいるはずです。

2008年4月28日月曜日

GOLDEN WEEK

知らない間に「みどりの日」が「昭和の日」になっていた。い、い、いつから変わったの? えっ、去年から・・・知らなかった。じゃあ、大正の日とか明治の日は作らなくていいの? そんなことを言っていたらきりがない。

そんなに休日ばかり整備してどうするのだろう。休みが増えると、あちこちでお金を使う人が増えて経済効果があると言われたのはバブルの時の話です。

だいたい5月4日が休日となったのはいつからだっけ。飛び石連休という味のある言葉が死語になっちゃったですね。

医療機関での仕事をしていると、9連休とか10連休とか11連休なんていうのは夢のまた夢。休めば休むほど自分の首を絞めることになる。仕事が貯まるばかりだし、患者さんからも怒られる。

だいたい開業してみると休めば休むほど患者さんが減るわけで、休んだら終わりだぞ、という恐怖が必ずどこかに潜んでいるのです。思い切って、どばーっと休みたいという気持ちも無いわけではありませんが、休み明けには患者さんはまったく来ないのでないかと。

整形外科は、予約制だけでやっていけるような科とは違い、ケガなどの飛び込みの患者さんでもっているようなものですからなおさらのことです。

休むくらいなら、カレンダーの文字を黒く塗り直したい気分の休日前日なのでした。

2008年4月27日日曜日

Wilhelm Kempff / Beethoven Piano Sonatas

小さい頃にちょっとだけピアノをやったことがありますが、ほとんど自分で弾けるわけではなく、純粋に音楽ファンとして聴いて楽しむためのピアノ。さらに、クリニックのBGMに使えれば一石二鳥。

もともとは開業して間もなくGlenn Gouldの演奏するGoldberg Variation (J.S.Bach)との出会いから始まったわけです。おや、クラシックはやはりしっかり聴いてみたいと思わせてくれました。それまでも、まったく聴かないわけではなかったのですが、クラシックのCDを買うなんて言うのは年に1回か2回くらいでした。

もともと交響曲は好きではなく、オーケストラ作品よりも室内楽や器楽曲が好みでしたので、Gouldのピアノから始まったクラシック漁りもそのあたりが中心。たまたま手に入れた、アシュケナージとアラウのピアノ・ソナタで、ベートーヴェンが交響曲だけの人ではないとあらためて知らされたわけです(遅すぎ)。そうなると、ソナタ全集をいつかは手に入れたいと思うのは誰もが通る道のようで、いつものHMVでもしばしば検索して検討に検討を重ねるようになりました。

でも、ベートーヴェンのピアノ・ソナタは高いんですよね。できるだけ値段が安くて枚数の多いセット物を中心に、いろいろ買っていたのですが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタとなると5000円以下はちょっと無い。もちろん、レコードの時代に比べれば、ずいぶんと安くはなったわけですが、何となく躊躇していたわけです。

他のピアノ曲をいろいろ購入しているうちに、こんなピアニストがいるんだ、こんな演奏もあるのか、などといろいろわかったつもりになってくると、とにかくこれだけは名もない安い全集だけは避けたいと思うようになってきました。でもって、いろいろ検討した結果、ついに購入決定したのがこれ。Wilhelm Kempff の全集です。

理由? 戦前のシュナーベルさんや、バックハウスさんとか、いろいろ定番はあるようですが、ケンプさんもだいたいネットのどこで見ても褒めてあります。それとHMVのuser reviewというのが、けっこう参考になるんですよね。個人個人で好き嫌いがありますので、賛否はあまり気にせず多くのreviewがついていることがポイントです。 ギレリスとどっちにするかかなり迷いましたが、ギレリスは残念ながら全集が完成していないんですね。

他に北欧の女流ピアニストのものが1700円くらいと超格安で出ていますが、やはりちょっと無名過ぎ。バックハウスは2回全集を作っていて、古い方が評判がいいようですが、モノラルなんです。昔から聞いていて買い直すわけではないので、やはり音のいいもの。できれば70年代以降のステレオ録音というのも大事な条件なんです。ケンプは古い全集はHMVでは入手不能。この新しい方の録音は60年代ですがステレオ。

大好きなグールドもかなりの録音を残しているのですが、やはりベートーヴェンとなると演奏は異端の部類に入ってしまうんですよね。さすがに、いろいろ何セットも購入して聞き比べるというところまではいかないので、どれか一つということでこれに決めました。

値段は国内版だと9枚組で16,514円ですが、輸入物ならなんと6,923円という半額以下で購入できました。というわけで、まだ手元には届いていないのですが、ついに買っちゃったという勢いで、文を書いてしまいました。在庫ありなんで数日中に届くはず、連休中は「当直しながら」ベートーヴェンのピアノ・ソナタをじっくり聴くことにします。

Let's 医師会 4月

ここで医師会のタイトルで毎月書くことが恒例化してしまいました。というのは、自分の記録ということもあるのですが、主な目的は医師会がどんな仕事をしているかを、このブログを読んで下さる一般の方に知ってもらいたいということです。

最近の医療関係のニュースでは勤務医の問題に焦点が置かれ、開業医についてはほとんど忘れられているような状況があります。自分も、これまでにもブログに書いてきたように、十分に勤務医をこなしてきたと自負しているわけで、開業医になって初めて両方の立場というものがわかってきました。

もちろん医師会は、勤務医の方も参加していますが、医師会活動に参加している、つまり実際の医師会の大きな仕事である地域医療を行っているのは、ほぼ開業医のみといっても怒られないと思います。つまり、勤務医が医師会に参加している目的は、病院と診療所の連携(病診連携)の強化が最大の目的だからです。ですから、そういう意味で勤務医の方を批判するつもりはありません。

医師会という団体は公共性の高い任意団体であり、昔の「政治圧力団体」というイメージは現在ほとんどありません。実際に医療の現場にいる立場からは、もう少し強さを求めたい気持ちはありますが、現状では公共性という点があまりに忘れられているのではないかと考えています。

住民の方はほとんど意識していないかもしれませんが、自治体レベルの健康事業の大半を請け負っているのは医師会であり、もしも医師会がなければ、行政が直接使える医療現場は保健所だけになってしまい大変なことになっていると思います。

開業して間もない、整形外科の自分でさえ、予防接種、防災訓練、地域ケアプラザなどへの協力をしています。都筑区の災害時医療についても来月から区役所との会議を行い、本当に効果的な活動ができるように相談をしていくことになっています。

さらに内科・小児科系の先生はさらに夜間・休日診療所での診療も行います。住民の方の健康の底辺を支えている力になるために、各自が時には自分のクリニックの仕事を犠牲にしてがんばっているということを、是非知っていただきたいと思うわけです。

ここからは、医師会に入っていない開業医の先生へのメッセージ。だから、雑用が増える医師会には入りたくないと思っているのでしょうけれど、これらの活動がめぐりめぐって自分に返ってくるんです。それに、今回の診療報酬改定のように、ぐちゃぐちゃの新制度が加わったりして混乱を極めているような時は、医師会に入っていることでどれだけ助かるか。様々な情報の交通整理と、いろいろなことの代行もしてくれます。さぁ、Let's 医師会!!

・・・今回は医師会の宣伝でした(^^;)

2008年4月26日土曜日

光陰矢の如しとはいうけれど

実際、月日がたつのははやいもんです。うちのクリニックが開業したのは2005年12月、下の写真は2005年の夏に開業が決まってパンフレット用にクリニックの部屋からセンター南駅前のバスロータリーを写したパノラマです。上はつい数日前に同じようにして撮った写真。その間3年弱。

あっという間・・・でもありません。いろいろありました。まだまだいろいろあります。クリニックの窓から見えていた正面の土手になっていたところには、どちらもビルが建ちました。右はオズマーク、左はあうね。そして、最後の空き地、センター南最大のポイントと思われる駅に隣接するところも建築計画が本決まり。

数年後の写真では、駅舎も隠れてしまうことになります。そもそも、この場所に決めた最大の理由がこの景観でした。とにかく広々とした気持ちのいい景色が最大の魅力だったのです。ビルが建って多少は迫ってくるところは否定できませんが、バスロータリーがある限りは十分にゆったりとした空間は確保され続けるはずです。

2008年4月25日金曜日

うちの筍ご飯

しょせん、筍ご飯ですから。そんなに味が変わるわけでも無いのですが、もしかしたらこんな作り方はあまりやる人はいないかもしれないと思うんですが。

さとちんさんのブログでも連日筍ご飯と紹介されていましたが、うちはこれが二日目。残りの筍を使い切るには、たぶん1週間くらい続きそうです。

というわけで、どうやって作っているかというと、ご飯は普通に炊いています。筍を細かく切って、鶏のもも肉もなるべく小さく刻みます。別鍋でだしの素と醤油と砂糖を入れて、汁少なめの濃いめの味で煮ます。15分くらい煮たら、ご飯のジャーにじゃーっと入れます。よーく混ぜたらできあがり。

こうすると、筍によーく味がしみていて旨い、と我が家では考えられているのです。どうですか?

ニッポン人弁当

塩鮭。
竹の子煮。
牛蒡と人参のきんぴら。
ほうれん草。
柴漬け。

あとは味噌汁があれば、あー、ニッポン人だなぁ、としみじみと実感する弁当です。時節柄、しばらく竹の子料理が続きます。朝から1時間もかかっちゃったぞ!!

2008年4月24日木曜日

徒然草

今日は週末にオープンのあうね港北をネタにするつもりで写真を撮っていたのですが、あざみ野棒屋先生に先を越されてしまいました。うーん、困った。ショックでネタを思いつきません。

センター南医療ヴィレッジで木曜日に診療を行っているのは今年からうちだけになってしまいました。これって、けっこう寂しいもんがあります。

それにしてもなんでクリニックは木曜日休みが多いのでしょう。もともと週の真ん中で患者さんが少ないので休みにする診療所が多かったのでしょうか。それで、木曜日に医師会の行事が多くなったり、いろいろな勉強会や懇親会などが企画されるようになって、さらに木曜日に診療がしずらくなったのかもしれません。

自分の場合は、午前中だけクリニックを開いていますが、午後は休んでいるわけではありません。横浜新緑総合病院の外来、大学の外来、そしてそれぞれの病院で手術、あるいは引き受けている講演会などで、休みのことはまったく無いといっていい状態です。

先週は手の腱が4本切れたリウマチ患者さんの手術を女子医大で行いました。今日は横浜新緑病院で同じく腱が3本切れた方の手術をしてきました。

外科系の医者にとって手術というのは、ある意味もっとも存在価値がある部分ですから、開業してしまうとほとんどの場合外来だけになってしまうということが、もっとも心配な部分なのではないでしょうか。自分も最初は開業して、手術は終わりと思っていました。

しかし、実際にはコンスタントに手術を続けていますし、クリニックでも腱鞘炎(ばね指)や手根管症候群(手のしびれ)、リウマチの方の指の滑膜切除、あるいは小さな腫瘍切除といった局所麻酔で10分間程度で終わる手術をしています。開業してはじめの頃は他へ紹介していたのですが、結局自分の説明と他の先生の説明が必ずしも同じとはかぎらず、まどろっこしいので自分でやった方が早いと考えたのです。

というわけで、今日はネタを思いつかないまま徒然なるがままに書いてしまいました。明日は天気も回復ということなので、がんばるぞ!!

2008年4月23日水曜日

リウマチ気質

関節リウマチの患者さんは、「リウマチ気質」という特殊な性格を持っているというようなことがよく言われます。いわゆる粘着気質のパワーアップ版みたいなもので、細かいことにうるさくて、次から次へと質問をしてきてやっかいというような意味が込められているように思います。

自分も以前は、そういうイメージをもっていたことは否定しません。しかし、リウマチセンターというところで勉強してみて、こういう考え方が大きな過ちであることに気がつきました。

つまり、患者さんが「リウマチ気質」になるのは医者の知識と経験の不足が原因なのだとわかったのです。しかも、関節リウマチという病気に特別なものではなく、どんな病気でも共通の話なのです。どんな病気でも、患者さんは自分はどうなるのか不安になります。治るのか? 治らないのか? 誰だって知りたいことです。

医者の仕事は病気の治療ですが、その前にそういう患者さんの不安を取り除くことが大きな仕事であるはずです。ところが、知識がなければ、患者さんに十分な説明をすることはできません。かりに知識があっても経験がないと、それを自信をもって伝えることが出来ません。

患者さんの不安を解消できなければ、患者さんはよりたくさんの不安を抱えて医者に多くの質問をしてくるのです。特に関節リウマチでは、場合によっては副作用で死ぬかもしれないような薬を飲むように言われるわけですから、なおさらです。薬を飲むことによって得られる利益と、失うかもしれない不利益を十分に理解していることが必要なのです。

実際に、その結果を勉強することは通常の外来では数も足りなければ、時間も足りません。リウマチセンターで、ほとんどすべての患者さんがリウマチであるという環境は、それらを勉強する環境としてはこれ以上の物はありません。

ですから、「リウマチ気質」というものはないと断言します。患者さんにしっかりと説明し理解してもらえれば、みんな「普通」の患者さんであることに変わりありません。いろいろな報道があってもぶれることなく、これからも信念を持って患者さんとの関係を作っていきたいと思うのでした。

2008年4月22日火曜日

あすなろ水族館

クリニックの受付でかわいがっているメダカ2匹。卵をうみました。

写真だとよくわからないのですが、半透明の卵が数個。ちゃんと孵化するかどうか楽しみです。

受付スタッフは力が入っているので、楽しみ。楽しみ。

あわてないリウマチ治療

今、リウマチ学会というのをやっているんですよね。札幌ですよ。遠いです。日・月・火・水とやるんです。とても貧乏クリニックの院長は、クリニックを休みにしてでかけるわけにはいきません。ゴールデンウィークが近いので、あそこやってんの? と言われてしまいます。

こういうところは大学の勤務医の方が都合がよかったところです。幸い、リウマチ学会についてはネットでもかなりの速報が見れますので、何とか行ったつもりで勉強できます。ですから、大学の非常勤はやめられません。こういう新しいことに不利なところを補うのに大変好都合です。

今回の学会では、昨年12月のエンブレル副作用死亡ニュースの後始末的な話題が早くもニュースになっています。またまた新聞社によって表現はまちまち。いったい、メディアはどこに客観性を持っているのか、疑問を感じるわけです。

でも、少なくとも自分のクリニックでこの薬を使用している方々については、十分にお話ししているつもりです。あわてず、騒がず、どっしりいきましょう。

それはそうと、エンブレルの安全性について報告した針谷(はりがい)先生は東京医科歯科大学教授で、女子医科大学膠原病リウマチ痛風センターでの先輩です。大変素晴らしい先生で、患者さんに対しての態度も大変見習うべきところがあります。もちろん研究も熱心で、だから他の大学で出世っているのですが、こういう患者さんに本当に向き合った先生方がどんどん医療を引っ張っていただけると、自分たちのような開業医もありがたいと思うのです。

2008年4月21日月曜日

でぶゴミ

クリニックのあるビルの事業所ゴミ置き場。一番奥のパツンパツンのがうちのです。まわりを少し固めの紙箱などを開いた物で囲っておいて、ゴミを詰められるだけ詰めていきます。さらに、全体重を乗せて踏みつぶすのです。最後に何とかガムテープを一枚とめれればOK。完成です。けっこう力がいりますよ。これをゴミ置き場に並べると、何となく満足感にひたるのでした。

まだまだ作るよどこまでも

大学生は弁当がいらないので、これからは最大4個の弁当作りでいいかと思っていたら、お金使うのがもったいないので作れって・・・

これほとんどGoo Cup状態。イマジネーションのかけらもありません。でも、ほか弁を食べていると、弁当のおかずの参考になることはまちがいありません。

まぁ、よしとしましょう。

2008年4月20日日曜日

日曜日の過ごし方

日曜日に2週続けて朝から家にいるというのは久しぶりのことなので、日曜日に家で何をして過ごすか忘れてしまっていたようなきがします。

普段、朝6時に起床するのですが、日曜日とは言っても長年の習慣で9時、10時まで朝寝をすることができません。やはり6時に目が覚めて、目が覚めるとやはり起きてしまいます。そして都筑区ブロガーの更新をチェック。

そうこうしているうちに、一人また一人と起きてくるので朝ご飯。今日は残りご飯でオムライス。玉子たっぷり、とろ~りです。洗濯機は3回まわしました。それからは庭の掃除。随分放置していたので、草ぼうぼう。最近の強風でゴミが飛び散っています。段ボールをたたんで紐で縛る。これだけでも結構体力使いますわ。

だいたい片付いたところで、もうお昼です。本日は熊本もっこすラーメンでしたから、簡単。ショップチャンネルをしっかり見た後、かみさんはスポーツジムへお出かけ。

午後は、今度ヘルパー研修会の講師をすることになっているので、その予習。合間にネットをチェック。乾いた洗濯物を取り込んで、たたんだりしているとだんだん暗くなってきた。

そろそろ夕食の支度でもするかいな。スパゲッティをゆでて、ピザに具材をトッピング。ペペロンチーノにしようと思っていたら、素がない。あれあれ、しょうがないのでコンソメ+一味唐辛子+にんにく+バジル+オリーブオイルで自家製になってしまいました。

オープンを暖めているところへ、かみさんが帰宅。さっそくピザを焼きます。何となくイタリアンな夕食が終了すると、日曜日も終了。

何か、こんな普通の休日の過ごし方でよかったんかいな。とにかく、しっかり睡眠取って、また月曜日からがんばらないとね。

もっこす見つけたとです

またまた棒ラーメンの逸品を見つけましたよ。今度はアベックラーメンでおなじみの五木食品熊本もっこすラーメンです。

インスタントラーメンは基本的には大好きでして、特に棒ラーメン系は、何ともいえない懐かしさと相まって、思わず手に取ってしまうのは性というものでしょうか。

さとちんさんに教わったロン龍もなかなかのものですが、今回見つけたのは九州系豚骨味のスープに、何と言っても焦がしにんにくのマー油がたっぷり。

紅しょうがをのせれば、そこは阿蘇は火の国、もっこすたい。生の熊本ラーメンには、もちろん及ばんとですが、これでん十分に雰囲気ば出てるとです。一袋に一食入って100でしたけん、興味ば持った方は是非試してみとって損はなかたい。

2008年4月19日土曜日

ちょっと一言

ルーキー ・・・ くぅ~、今時の熱血ものはひと味違う!! ウォーターボーイズ不良版かぁ? まぁ、一応これからの展開を期待しよう。
ごくせん ・・・ 仲間かっこよすぎ。ガレージの入り口吹っ飛ばして参上するとこなんざ、スーパーマンかバットマンか。無邪気に楽しめる予感。

どっちも今時の高校生がテーマ。とはいえ、自分も高校の時、授業中に酒飲んでる奴がいて、飲んでるのはいいんだけど、うるさいもんで「ちっと静にしてよ」といったら殴られたことがあったっけ。まぁ、ファッションや髪型が違っても、本質はそんなに変わっちゃいないような気がすんな。

リウマチ指を無理して動かしていいの?

リウマチの手の問題は、けっこう解決するのは大変なのです。自分で言うのもなんですが、実際に手術をする医者も少なく、人工膝関節置換術は誰もがやりますが、手のこととなるとみんな手を出しません。

ですから、患者さんにも説明があまりされないため、「手のことはしょうがないわ」と最初からあきらめてしまっている患者さん(医者も含む)が多くなります。しかし、医者からきちんと説明ができて、理解してもらえれば、いろいろとお得な情報はあるわけです。

歩けなくなることは大問題ですが、手が使えないことは本当はもっと大きな問題です。歩けなくなっても手が使えれば、杖や車いすを操作して移動できます。手が使えないからといっとて、足で代用はできません。

さて、昨日初めてコメントをいただいたhiroさんから、リウマチの手についての質問をいただきました。こちらにも質問をコピペしておきます。

「最近手指が動きづらくなってきてまして、暇さえあれば反対の手を使って、固まってなるものか、えいえいとグーパーを繰り返しています。
…が、これはもしかして腱には危険ですか?
実は、動かしたあと掌の中央が妙に疲れるのでアレ?と思っていたりしています」

ぶっちゃけて言うと、けっこういろいろな可能性がある質問なので、実際に見ないで答えるのは大変にむずかしいのですが、あえて「誤診」をおそれず説明いたします。

指が動きにくいという状態は、関節(および骨)が原因の場合と腱が原因の場合があります。
その前に基本用語の確認。指の関節の名前は指先からDIP関節、PIP関節、そして指の付け根のMP関節という3つがあります。ただし、親指だけはDIP関節とPIP関節の区別はないので、IP関節と呼びます。

①関節が原因の場合

リウマチでは、典型的にはMP関節が腫れて起こる白鳥の首変形というものと、PIP関節が腫れて起こるボタン穴変形があります。最初はちゃんと動きますし、元の形に戻そうとすれば戻りますが、しばらくするとだんだん変形が完成して戻らなくなります。

この間に関節の骨が壊れて、最終的には固まってしまうわけです。ですから、この場合はhiroさんように反対の手を使ってでも、多少痛くても動かすようにしていた方が固めにくく出来るのでいいと思います。固まっていなければ、場合によっては手術で挽回できることがあります。

親指のIP関節やMP関節は横へぐらつくような不安定性がしばしば出ますが、この場合はもともと大きく動かして使う関節ではないので、必ずしも動きが保たれていることがいいとは言えません。最終的には手術でも好んで関節を固定することがあります。動かないけど、安定性が増して痛みがない方が使い勝手が良くなるのです。

②腱が原因の場合

これにはいろいろな場合があります。まず指を伸ばすための伸筋腱の問題。伸筋腱は手の甲にありますが、平べったい腱なので、手首の炎症が強く、骨の変形が強い方はしばしば断裂してしまいます。

いきなり、ある日を境に切れて動かなくなることがありますが、だんだん動かせなくなってついに切れてしまう事もあります。そういうときは、何となく指が伸びにくいという感じがあるものです。この場合は、無理に動かしていると断裂を早めることになりかねません。

ただし、いずれは切れてしまうことは避けられませんので、その時はしょうがないと腹をくくって、関節の拘縮を防ぐために動かし続けることも無駄なことではありません。

手の平側には、指を曲げるための屈筋腱が通っています。伸筋腱に比べると屈筋腱が断裂することは少ないのですが、たいてい手首の付近で断裂するか、あるいは指の付け根付近で切れます。腱の周囲にリウマチ特有の滑膜炎組織がまとわりついて、腱がしだいに弱くなっていくのです。

手首では手根管(しゅこんかん)と呼ばれる狭い場所があり、ここで腱同士が癒着したりして、動きが悪くなってきます。無理に動かすと多少痛みを感じるかもしれません。指の付け根では腱鞘(けんしょう)というトンネルの中にそれぞれの指にいき腱が入っていくので、ここで摩擦が起きやすくなります。やはり、動かしすぎると痛みがでるでしょう。いずれにしても、あまりがんばって動かしていると腱が切れることにつながります。

しかし、伸筋腱の場合と同じで、動かさなければ断裂しないという保証はありません。どうせそのうち切れると居直ってしまえば、動かして損はありません。あとは、そのへんをどう考えるかということですね。伸筋腱断裂は場合によっては、あまり不便がないために放置している方も少なくありません。しかし、屈筋腱は不便がないということは少ないので、積極的な手術を考えるべきだと思います。ただし、屈筋腱はなれていない医者が手術するとたいていうまくいきません。よーく、相談をしてください。

2008年4月18日金曜日

雨にも負けず

いつもの院長のぼやき。整形外科は、寒いとヒマ。暑いとヒマ。雨が降るとヒマ。そして晴れると、みんな遊びに出かけちゃう。そんなわけで、最近のように天気が悪い日が多いと、つらい。

人の不幸を商売にしているようなもので、患者さんが来ないことは喜ばしいことではありますが、おかげで当直バイトを減らすことができません。

今年になって、丸々1日休みというのは、まだ3日しかありません。木曜日の午後もクリニックを閉めた後に毎週手術を中心としたなんかの用事がはいってしまい、のんびりできません。

そんな訳ですから、評判は大いにきになるところです。他へかかっていたお年寄りが、3年通えば直ると言われ、うちに来ました。3年たったら、死んでいる、そんなには待てない、というのです。さすがに3年は長すぎます。

でも、特別な病気ではないので、いろいろと手があるわけではありません。やれることは限られています。責任重大です。となると、なるべく患者さんと話をしてどうすればいいのかほ納得してもらうしかありません。

まぁ、うちでなかなか良くならないために、いつのまにかいなくなった患者さんもたくさんいるはずです。患者さんと医者との相性もありますからねぇ。

とにかく、雨を止め!!

2008年4月17日木曜日

手術の賞味期限

関節リウマチの患者さんは、しばしば手術が必要になります。歩行に障害を来すことは重大な生活上の不便を伴いますので、膝や股関節の手術、あるいは足の手術が多くなります。

自分は女子医科大学膠原病リウマチ痛風センターに常勤でいた時には、主として手の外科とよばれる範囲を専門にしていました。実際には膝関節以外は何でもやっていました(膝は教授を筆頭に専門の先生がいくらでもいましたので)。

開業してからは、手術の時間も限られるので、めんどうな手の手術ばかりをするようになってしまいました。

リウマチ手で手術になることが一番多いのは、手の伸筋腱断裂です。伸筋腱というのは、指を伸ばすための筋肉の紐の部分です。手首の関節炎のために痛んでしまい切れてしまうのですが、しばしば小指の方から順番に断裂してしまいます。

小指だけなら、比較的不便が少ないのでほったらかしにしている患者さんも多くいますが、薬指、中指と順番に切れてくると大変に不便です。だいたい、この辺までに患者さんは手術を決断します。そうすると、人差し指には予備の腱があるので、一本を切断して、切れた他の指につなぎ直すという方法が簡便ですし、あとの動きも良好です。

今までに、人差し指も切れてしまい、親指以外の指が全部伸ばせなくなってしまった患者さんの手術を2回したことがあります。1回目は切れてから数ヶ月でした。きれた後の断裂した腱の状態がわかりやすく、一番縫いやすい腱を利用して再建しました。術後成績は十分生活に使える用になったと思います。

そて、もう一度は・・・今日です。今回は・・・困った。何てったって、断裂したのが5年前からのことなのです。半年くらい前に最後の砦の人差し指が伸びなくなったために、ついに手術を決断されたのです。

さて、実際手術で中の状態を観察してみると、なんと腱がありません。唯一比較的最近まで動いていたと思われる人差し指さえ、何となく残っているかなぁ・・・という程度。他の指の腱は完全に萎縮してしまい、見つかりません。さすがに5年の月日は長すぎです。予想していたとはいえ、予想以上のものです。

しかたがないので、別の場所から余分な腱を切り取ってきて、1本の弱々しい腱と、全ての指の腱の断端を結びました。ただ、もとの原動力になる筋肉がどれだけ動くかが問題です。しかし、つながなければ偶然にも動くことさえありません。とにもかくにもつながれば、後のリハビリ次第である程度の動きができる可能性があります。さぁ、これからが大切ですよ。何とか動いてもらいたい物です。

関節リウマチの患者さんに限らず、日本人は手術をできることならしたくないという思いが強いのです。自分も日本人ですから、わからないわけではありませんが、今日の例のように時間がたてばたつほど、手術は難しくなり、手術の効果もわからなくなってくることがよくあることを、是非知っておいてもらいたいと思います。

たいてい手術のリスクばかりを気にすることが多いのですが、手術をしないリスクもあるということです。自分は手の機能回復に対しての手術の説明をリウマチの患者さんにする場合には、「賞味期限」を併せてお話しします。

つまり、今の状態ならば、こんな手術をしてこのくらいの回復が期待できます、という話と同時に、しない場合はどうなるかという説明をして、さらに「この話の有効期限は6ヶ月間くらい」というように付け加えるのです。

今日は、やはりリウマチの手術は「やり頃」があるということを、あらためて認識したのでした。

あすなろ菜園

クリニックの窓際はとても日当たりがよいので、植物を育ててみることにしました。っていうほどではないのですが、どうせ作るなら食べれる物・・・どこまでも食欲を満たすことしか考えていません。

と、いうのも、三ツ矢サイダーのおまけに野菜の種がついていたんですよね。そんなわけで、サニーレタスです。最初はかいわれだいこんかと思いました。三つ葉になって、ヒョロヒョロ伸びてますが、これがほんとにサニーレタスになるんかいな。

うーん、まだ半信半疑なのでした。また経過報告したいと思います。

2008年4月16日水曜日

やっぱり、肉ですから・・・


こんなの食べていいのかしら。分相応という言葉がありますけど、これいったいいくらなんでしょう。入手先は明かせませんが(違法ではありませんけど)、頂き物です。

とにかく、スキヤキです。そうなんです、スキヤキなんです。

はぁ~、やはり肉ですから。問題ありません。とにかく肉。肉。他に言葉がみつかりません。

いきなり食べ終わった後の感想で申し訳ありませんが、次男曰く「こんなのは3ヶ月に1回で十分」って、前にスキヤキしたのは半年以上前ですから~。こんな肉は年に4回も食べれません。

長男曰く「まだ肉あるの?」って、いったいどんだけ食べれば満足するんでっか。長女曰く、「旨~い」って、普通の反応。かーさん曰く「生まれてこんなに旨いスキヤキは初めてだ」、ってそれは大袈裟じゃないっすか。

とーさん的には・・・霜降りは、確かに旨いんですけど、ちょっと油多すぎで一切れが旨さの適量ですかね。って、そんなかっこつけたこと言っている場合じゃないっす。とにかく半年以内には、またこんな肉を食べたいとおもうのでした。

2008年4月15日火曜日

さらば母校

大学の助手になって、2年間は大学、次の4年間は外の病院で医長、大学に戻ってまた2年間をすごし、そしてまた外の病院に医長で出向。いつの間にか医者になって13年間が過ぎ、14年目になっていました。がむしゃらに突き進んできたという表現がぴったりでした。

整形外科ですと、やはり外傷が中心になってしまいますので、いわゆるCold Diseaseと呼ばれる「病気」に対する時間が少なかったという思いがありました。

特に大学で腫瘍をやっていると、抗ガン剤としてメソトレキセートという薬を使用するわけで、この人を簡単に死なすことができる劇薬が、リウマチにも効果があるといわれていたため、リウマチに対する興味がだんだんふくらんできたのです。

とはいっても、このころは痛み止めを処方するような感覚で、抗リウマチ薬を処方していました。血液検査も最初にしたっきり、その後は半年くらい平気でした。どうしてもうまくいかなければ、手術すればいいという安易な考えがあったことは否定できません。それは大多数の一般的な整形外科医のリウマチ診療のスタイルだったと思います(もちろん、ちゃんと診療をしていた整形外科医もいたわけですが)。

さて、今度の病院は遠い。すでに横浜市青葉区民となっていたので、東名高速で厚木までいきます。そこから海に向かって、毎日片道50km弱のドライブ。最初に出向した病院の時は、逆に本厚木に住んでいたので、厚木から横浜インターまで毎日東名高速を利用していました。

今回の長距離ドライブはさすがに疲れます。腰が痛くなります。しかも、医長とは言っても病院長が同じ医局の先輩で、いろいろあーしろこーしろとうるさい。特に院長ともなれば、営業一本槍でして、ずいぶんと意に反した入院がありました。まぁ、立場が違いますからしょうがない。

しかし、下に二人いる後輩はなかなかがんばりやが揃っていました。手分けして仕事をこなすことができたので、ずいぶんと仕事ははかどりました。また、ここに何年かいるのかなぁ、と思っていたところが、大学の教授から呼び出し。教授は入局したときの先生は退官していて、数年前からあたらしい教授になっていました。

さて何だろうと思って出かけていくと、「T助教授が今度女子医科大学のリウマチセンターの教授になって転出することになった。ついては、手の外科をするものがいないので、君、いかないかね」という話。リウマチに興味を持っていたところなので、これは願ったり叶ったりの話でした。

さらに「大学を移るのだから、こっちは退職してくれていいよ」という。これには、正直ショックでしたよ。これは、別の言い方をすれば、こっちの大学ではいらないよ、と言われたようなものです。これまで、自分的には随分がんばってきたつもりですし、それなりの貢献もしてきている気になっていたところですから、なかなか落ち込みました。

しかし、やはり前向きに考えることが大切なんだと思い、自分を必要としているところでがんばることが一番いいことだと考えるようにしました。現在の教授、当時の助教授が送別の飲み会で、まさか退職してしまうとは聞いていなかった、退職すると聞いていれば反対したのに、と言ってくれたのは嬉しかったですよね。

まぁ、決めたことは戻れません。新しいボスともいろいろ話をして、とにかく5年間はできるだけお手伝いさせていただき、そしたら開業しようと決心したわけです。そして14年間医者として育ててくれた母校とお別れすることになりました。ちなみに退職金はおおよそ100万円でした。

卒業した大学ですから、学生時代から数えれば20年間お世話になったわけです。学生の時に母が膝が痛いといって受診させたことがありました。研修医の賞をいただいたこともありました。父が倒れて夜中に東名高速で大学病院に運びましたが、数日後に亡くなったのもこの病院でした。同窓会の役員をやったのも、この頃から用務員さんの素質があったのかもしれません。

さぁ、これからは自分のことなど知らない人たちのところで新しい一歩です。そう思うと、何かいろいろと楽しい感じがしてしまうのでした。

2008年4月14日月曜日

揚げ物万歳

うまい米が食べれるうちに、思いっきり丼物を食べたい!! という魂の叫びは、家族全員の願いでした。

丼の王者と言えば、我が家では、そうです、カツ丼なんです。特に次男は毎日カツ丼を与えていることが出来れば、何の文句を言わないだろうというくらい無類のカツ丼好き。

というわけで、今日は帰りに荏子田の丸正(あざみ野棒屋先生が餃子の材料を買いに行くスーパーです)によって20% OFF になっているはずのロースカツを・・・えっ? 無い? まじですか!? ガビ~ン・・・

しかし、一度ついた火は簡単には消すことはできません。そこで、特売のヒレ肉を買って帰りました。ということは、帰ってすぐに豚カツ作りです。衣をつけているそぱから、どんどん揚げていきます。

揚げている油の臭いは1日働いた後のからだにはつらいものがあります。うーっぷ、ふぅ~。しかし、豚カツマシーンと化して次から次へと作りました。あぶらに焦げたカスが増えてきても何のその。多少のことは目をつぶって、せっせと揚げていると、ちょうどご飯が炊きあがりました。

タマネギとだしの素を入れて煮立てたところに、揚げたてのカツを入れて玉子でとじてできあがり、久しぶりに3匹の肉食恐竜が食卓で暴れていました。

2008年4月13日日曜日

Milky Queen

いつも我が家では10kgで3000円から3500円程度のお米をたべています。つまり、スーパーで特売になっている、手前に山積みになっている袋を購入するわけです。

ただ、いくら安いからと言って、業務用スーパーや安売り酒屋にある10kgで3000円以下の米だけは手を出しません。お米だけは安い・まずいというのは間違いがないところで、安い物は古々米でべちゃべちゃしていたり、ブレンド米でぼそぼそだったりしますよね。

とはいえ、自分はあまりお米の味の差がよくわからないので、それほどこだわりはありません。しかし、過去にこれだけは「違う!!」と感じたお米があります。それがミルキークィーンです。詳しく説明しているサイトがありますので、一部引用します。

ミルキークイーンは、農林水産省のスーパーライス計画の中で誕生した新種のお米で、低アミロース米として開発されたそうです。アミロースという成分が少ないと、粘りが強くなり、モチモチとした食感があります。また、冷めても硬くなりにくい、炊いてから時間が経ってもおいしく食べられるという性質があるので、おにぎりやお弁当のご飯に適しています。

確かにモチモチしているんですよね。確かに味が違うんですよね。塩むすびをつくって食べてみるとわかります。餅米のような食感があり、米の一粒一粒が生きています。

ところが高い。高いですぅ~。たまたま、ひさしぶりにチャレンジしようと思い購入しましたのが福島県産ミルキークィーン5kgですが、清水台のマルエツで3500円しました。いつも食べているお米の2倍です。

いつもこんなお米を食べたいと思いますが、なかなかそうもいかないので、短い期間ですが今回だけ贅沢をしましょう。我が家では5kgの米はたぶん1週間もちません。

2008年4月12日土曜日

とーちゃん・かーちゃん・クリニック

あざみ野棒屋先生にいわれてしまいそうですが、うちもとーちゃん・かーちゃん・クリニックを爆進中なのであります。

今日はうちの長女がバイトスタッフデビューでした。4月から大学生になりまして、時間を作ってもらいました。これから時々クリニックを手伝ってもらいます。

それにしても、それなりのトレーニングを少しはしましたけれど、気が気じゃない。とはいえ、診察室中心のこっちと、リハビリ室中心のあっちでは、忙しい時間帯は逆なんです。

こっちがヒマなときはリハビリ室で、一緒に説明しながら患者さんとのトークを楽しむ余裕があります。しかし、診察の患者さんが立て込んでくると、もうアップアップでリハビリ室を気にする余裕はありません。

今日は、午前は最後の1時間に診察が集中し、こっちは過換気状態です。午後も終了前1時間に患者さんが立て込みました。こうなってくると、とてもリハビリ室で新米スタッフがどんな風に活躍しているかどころではありません。

特に午後はうちの社長が長男の学校の父兄会に出かけてしまったため、採血や点滴なども自分がしないといけないので大変です。幸い、なれている患者さんばかりだったので、逆にいろいろあーして、こーしてという具合に教えてもらえたようで、何とかこなしていました。

終わってからの感想は、「たいしたことないじゃん」とくれば、もう怖いものなしです。とにかくこれからも、ちょくちょく登場することになりますのでかわいがっていただければ幸いです。

2008年4月11日金曜日

大学助手生活 2回目

4年間、外の病院に出向していると大学に戻っても病棟などはほとんど知らないスタッフばかりになっています。大学の看護師さんは平均的には3年程度でやめてしまうそうです。病棟に行っても、まったく知らない病院にいるようなもので、これには困った。

何かを頼もうにも、何かとても雰囲気が固い。こりゃ、何とかしないと仕事がスムースには進まないぞ。どうしようかと思っていた、ちょうどその時、たまたま病棟で一人の看護師さんがマイクを向ける振りをして「ハイっ、どうぞ1曲お願いします」

あまりにとっさのことで、ついつい口から出てきたのは「カラスなぜ鳴くの、カラスは山に・・・」
周りにいた看護師さん達は、一瞬呆然としたようですが、次の瞬間爆笑。「なんだ、面白い奴じゃん」ということになって、やっと軽口が叩けるようになったというわけです。

それでわかったのは、同期の医者が「今度帰ってくる奴は、大変怖い奴で、とにかくちゃんとやらないとすぐに怒鳴り出すから気をつけるように」と触れ回っていたということだったんです。なるほど、どうりで固いはずです。でも、それからは雰囲気が和らいで、楽しく仕事ができるようになりました。

さて、出向している間に考えていた大学に戻ってやりたいことがあったわけですが、それは手関節鏡というものでした。関節鏡というのは関節の中をのぞける細い棒で、膝のような大きな関節に対しては普通に行われていました。

しかし、手関節に対しては、やっと学会で話題になり始めたところだったのです。自分が手の外科のいろいろを教わった先生は、主に末梢神経や腱が専門で、場所では肘を得意にしていました。手関節を中心にしている先生は、全国的にもまだ多くはありませんでした。

ということは、手関節でがんばれば少なくとも自分のいた大学では一番になれると考えたわけです。当時、手関節鏡をやっているところは大変少なく、自分の大学にはとにかく道具も無ければ、どうやっていいかもわかりません。そこで上の先生に1週間でもいいから、国内留学させて欲しいと頼んでみたのですが、即却下。

しかたがなく、手術室の倉庫に行って、何か使えそうな道具はないかあさることにしました。おや、こんなのがある。使えそうじゃん。おー、これもいいかも。ところが肝腎の関節鏡は膝関節用のものと、それより少し細めの足関節用のものしかない。

通常手関節用は太さが2mm程度で、とても膝関節や足関節用では太くて隙間に入りそうにありません。とはいっても、1本30万円くらいするものをおいそれと買ってもらえるわけもなく、しかたがなく足関節用のものを無理矢理使うことにしました。今だから正直に告白しますが、随分無茶なことをしたと思います。

外来で手首が痛いという人が来ると、それは蜘蛛の巣にかかった虫のようなものです。検査をして、手関節鏡の適応があるとわかると入院予約です。そんなこんなで、だんだんいろいろなことができるようになってきました。

もう一つ積極的に取り組んでいたのが腫瘍。整形外科で腫瘍と言えば骨肉腫です。主に10代前半のこどもに発生し、しかもよくて足を切断。高率に数年以内に死亡するという怖い病気です。それでも患肢温存という考え方が発達してきて、抗ガン剤を使った治療方法が広がってきました。

関節リウマチの治療薬に抗ガン剤であるメソトレキセートというのがあるのですが、リウマチの方には1週間で6mgを投与するのが標準ですが、骨肉腫の治療では1週間に10数グラムを使用します。この量は使った後に何もしなければ、まちがいなく次の週には患者さんは副作用で死んでいるという量なのです。

ですから、使う方も使われる方も大変です。もう、これは骨肉腫に勝つか負けるかの戦いなのです。とにかく毛は無くなるし、薬で吐き続けるし、楽なことは一つもありません。こどもにそれを理解させ、逃げ出さないようにすることは本当に大変なのです。

しかし、なぜか骨肉腫になってしまうこどもたちはとても素直でいい子ばかりなんです。みんな本当にがんばる。どうして、このような不幸を背負わなければならないのか、神様がいるなら恨みたくなるのです。

それでも抗ガン剤が効けばいいのですが、効かないために予定を繰り上げて患肢の切断手術をする時ほど情けないことはありませんでした。命を助けるためにしかたがないことだと思ってみても、整形外科医としては切断というのは敗北を意味します。最も最低の手術だと思っています。

そんなことをしているうちに2年間が過ぎ、また出向するようにいわれました。今度はすでに大学から人を数人出している一般病院の医長です。まぁ、人事は命令ですからしょうがありません。2回目の大学助手生活が終わることになりました。

2008年4月10日木曜日

迷走する五輪

自分は中国のチベット問題について意見を言えるほど勉強をしていません。ダライ・ラマ14世についても、テレビで報道されている以上のことは知りません。ただ、最近の聖火リレーのニュースはいろいろ考えるところがあります。

建前としてはオリンピックはスポーツの祭典であり、スポーツと政治を混同することはよくありません。しかし、スポーツはもともと戦争をシミュレートしたものであり、過去のオリンピックが国の威信を賭けたものであったことは誰にも否定できません。

当然、政治的な思惑が入り込むことは、当然のことだと思います。しかし、今回のチベット問題は基本的には中国の国内問題であり、どうしても抗議をしたい人は、直接的な中国への非難行動を取るべきなのではないかと思います。オリンピックを利用することは、方向性が違うのではないでしょうか。

今日もサンフランシスコでのリレーが、急遽予定を変更して、誰にも見えないところを走って、いつ終わったかもわからないように行われたというニュースがありました。なんなんでしょうか。

そんな聖火リレーにどんな意味があるんでしょうか。だったら、最初からアテネから中国に火を直送すればいいわけで、世界中をまわる必要はもともとありません。

ここで、見えてくるもう一つの問題は、オリンピックの商業化ということでしょう。オリンピックが大きな経済的効果があるから、各国は必死で招聘したがるわけで、もともと聖火リレーのショー化も大きな利益を得ている人がいるんでしょうね。

もともと開会式なども華やかでしたが、今のように一大イベントとなったのはいつからでしょうか。たぶん、ロサンジェルスからではないでしょうか。オリンピックがショーと化すに従って、真の実力は各種の競技のワールドカップで競われるようになってしまいました。ますます、スポーツ競技としてのオリンピックの価値が無くなっていることはまちがいありません。

今回の問題が、ますますオリンピックの価値の低下に火をそそぐことになるのでしょうか。純粋にスポーツとして参加する大多数の選手達の気持ちを考えると、今年の北京オリンピックが無事に開催されることを願ってやみません。

2008年4月9日水曜日

何で野球は国民的スポーツから陥落したのか

まぁ、そんな大袈裟なことではないのですが、まずスポーツに限らずレジャーの多様化ということでしょうかね。自分が子供の時は、はっきり言って野球しかありませんでした。こどもは誰もが黒い野球帽をかぶり、オレンジ色のYGのロゴがついていたのです。

昔は、東京に住んでいると、テレビやラジオの中継は巨人VSどっかしかやってません。8時54分で終了すると、急いでラジオに切り替えるのでした。さぁ、実物を見れると言うときでも、父親に連れて行ってもらえるのは後楽園球場か神宮球場です。後楽園はなかなかチケットが手には入れませんから、たいていは歩いても行ける神宮。

こどもの時に実際に見た試合といえば、巨人VSサンケイアトムズ(今のヤクルト)しかありません。当時は神宮球場は外野が芝生で、寝転がったりできました。ミットを持って行って父親とキャッチボールしながら観戦したこともあります。

当時のサンケイは、最下位の常連でエラーばかりで、はっきり言ってへたくそでした。クラスのほとんどの男の子は地域の野球チームに入っていました。

サッカー? ありましたよ。

今と違って実業団の地味なスポーツで、走り回っているだけで疲れるし、だいたい点が入らないので、見ていてもやっても面白くない。平成5年5月、出向していた病院でテレビを見ていて、まるでこのオリンピック開会式のような派手なパフォーマンスに驚いて見たのがJリーグの開幕でした。

そこからサッカーの爆進が始まりましたよね。プロ野球は気がついたときは、こどもの心から離れてしまいました。長島や王が少年雑誌の表紙を飾っていたのは過去のこと。自分も男の子ができたらキャッチボールをしたいなんていう、普通の夢がありましたが、いざそうなってみると、こどもはサッカーしか興味がありません。

野球のテレビ中継は縮少。良くも悪くも巨人という絶対的な球団があったのは過去のことで、いくら張本が「喝っ!!」と言っても、スター選手が大リーグにどんどん流出してしまうので、ますます貧弱な国内事情です。

さて今シーズン・・・終わりました。金本は今日こそは2000本安打を打ったのでしょうか、えっ? 出なかった、そうですか。まあ、いいでしょう。その程度の話題でつないでください。おっと中日、がんばってますね。完封負けでもいいじゃないですか、金本を抑えたんですから。まぁ、中日と阪神だけで今シーズンは続けてください。

お願い

最近、コメントに変なのがつくようになりました。
他の方のブログを見ていても、増えている感じですよね。
そこで、大変面倒ですが、確認入力をするようにしました。
申し訳ありませんが、かわらず楽しいコメントをいただけるように書き続けますので、ヨロシクお願いいたします。

2008年4月8日火曜日

医長生活

医者になって8年目になって、助手として出向した先は横浜新緑総合病院、当時は総合はついていませんでした。前年の平成4年4月から週に1回バイトで行っていました。もともと横浜緑病院という名前で、いわゆる老人病院だったのを平成3年10月から別の医療法人が買い取り、女子医科大学の外科教室が中心になったてこ入れを始めたのでした。

バイトで行っていたときは、他に2人のバイトの先生が慶応大学から来ていて、3人が1日おきに整形外科外来と手術をやっていたわけです。その間を取り持つお年を召した先生がいまして、この先生が入院患者さんのマネージメントと手術の手伝いをしてくれていたわけです。

でも、さすがに常勤がいないとなかなかはかどりません。さて、いわゆる一人医長ということで、常勤にはいったわけですが、初日に驚いた。これが整形外科の入院患者さん、つまりあなたの担当です、といわれて紹介されたのは50人をこえるお年寄り。まだ旧横浜緑病院時代の雰囲気が色濃く残り、救急をどんどんやりますという状態ではありませんでした。

これはしんどい。いくら「老人病院」的で患者さん一人あたりの仕事量が少ないとはいえ、外来・救急はどんどん急性期を受け入れていくという方針ですから。ふつうなら整形外科の場合、一人の医者が見れる入院患者数は10~20人です。しかもほとんど患者さんが亡くなることの少ない整形外科で、肺炎とかで毎月数人は亡くなるわけです。涙ちょちょぎれもんです。

バイトの時に非常勤整形外科の連絡を担当してくれていた先生は、手術だけは手伝ってくれるのですが、ただこれが問題。手術をしていると、「はぁ~、こうやって手術するんですかぁ。なるほどぉ~」という具合で、助手ではなくギャラリーになってしまうのです。年を取っている方なので、あーして、こーしてと命令するわけにもいかないので、ずいぶん困りました。

でも、こういう条件下での手術は鍛えられましたよ。あれがない、これがないは当たり前ですし、贅沢はいっていられません。とにかくあるもので何とかしなければいけません。さらにギャラリーに解説をしながら手術をしなければいけません。

とにかく、最初の1年間で200例くらいの手術をして、急性期の患者さん中心にだいたい30人くらいの入院患者数に整理されていきました。おかげで、次の年はもう一人人員を増やしてくれることになりました。

そういうわけで、平成6年4月に2年後輩が来ることになりました。これはもう鬼に金棒です。すでに出来上がっていますから、ほっといても問題がありませんので、仕事を分担してはかどります。手術件数も300件弱に伸びました。

平成7年4月からは、今度はもっと下の学年の後輩が出向してきたのですが、これがまいった。本人の名誉もあるので詳しくは書きませんが、とにかくほとんど教えないといけないのです。しかも、かなり意地っ張りの性格なのか、なかなか「はい」といってくれない。でも、仕事は減りませんから、自分の負担が急増。

そして、平成8年4月。今度は、とても熱心な後輩がやってきました。これは教え甲斐がある。自分でもどんどん勉強するし、患者さんへの対応もやさしい。病院職員との関係もうまくこなし、いうことなし。いろいろやらせても、どんどん覚えてくれるので、こっちも楽しい。しかし、残念なことに彼についてはすでに書いたとおりです。

一方、自分の方で、しだいに考えるようになりました。つまり出向して1年目は無我夢中、2年目は拡大して充実、3年目でやりたいことはだいたいやった、そして4年目は新しいことがほとんどありませんでした。だんだん知識を切り売りしているような感じがしてきたんですよね。そろそろ大学に戻ってさらに新しいことに挑戦したくなってきたのです。

いつまでも居心地の良い外の病院でぬくぬくしていてはいけないなぁ、思うようになり、次の年は大学に戻してくれるようにお願いしました。自分の専門性というものを考えて、やりたいことがいろいろあったのです。

2008年4月7日月曜日

鶏塩ラーメン

今日はラーメン。とはいっても、3食198円の麺たけ使います。単独の麺を買うより安上がりだし、スープの素はあとで他の中華風料理につかえます。

でもって、今夜の味は鶏塩です。お湯を沸かして、鶏むね肉をうすく切った物をいれて煮ます。本当はガラでしっかりスープをとりたいところですが、時間がないので鶏ガラスープの素を使ってしまいます。塩とニンニク、一味唐辛子、ごま油で味を調えます。

上にのせるトッピングは、煮卵、メンマ、万能ネギ、チャーシュー、水菜(生で使います)、ワンタンのかわりの余っていた餃子の皮、そして海苔といったところです。

鶏ガラベースはラーメンの基本ですよね。いろいろ濃いめの味が話題を呼ぶラーメン業界ですが、たまには基本を思い出してみると、意外にそのうまさにびっくり。特に水菜を煮ないで乗せるのは、なかなかいい感じです。満足度の高い自前ラーメンでした!!

2008年4月6日日曜日

大学助手生活 1回目

さてさて、3月の後半で昔話のシリーズとして自分の研修医時代(80年代)を振り返りましたが、その後はどうなったの? という質問はどこからもきません。来ませんが、勝手に話を進めることにします。

5年間の研修医が終わると、いったん退職し改めて助手採用試験を受けます。助手というのは大学の教職員の最低ランクの役職ですが、正職員であることがパート労働者の研修医とは根本的に違います。各教室の教授の直接の配下に入るところも、病院長の配下であった研修医とは違うところです。

まぁ、あまり形式はどうでもいいのですが、医学部というところと他の学部との大きな違いを説明しましょう。医学部には通常付属病院があって、ここでの診療を通して直接収益が出るのです。一般的には利益が出るお店を持っている学部・教室というのはありません。つまり。普通は大学の教室は研究と教育という二つの柱があるわけですが、医学部職員の場合はさらに診療という、ある意味もっと大きな柱が加わるのです。

基本的には診療が時間を制約する一番大きなポイントで、通常の勤務時間は診療だけでほとんど占められ、研究はそれ以外の時間を使うしかありません。教育は、当然診療時間の中から、何とか絞り出したところで行うことになります。

医学の情報量は前後に数百倍になっていると言われていますが、特にその増加のスピードは加速度的に増えているので、一人の人間がすべてをこなしていくことは基本的に無理になっています。専門的な部分で深く追求するか、全体的な部分を浅く広くこなしていくかという二つの選択肢が用意されていくことは必然といえるでしょう。

ちょっと説明が長くなってしまいましたが、当時の東海大の整形外科教授の基本方針は、「何でもこなせる整形外科医」になることでした。これは東海大学医学部の教育の基本方針である「名医より良医を」にも通じるところです。

ですから、助手になって、研修医を数人単位であずかってチームを作り入院してくる患者さんの主治医になっていきました。基本的にはチームの患者数が平均化するように振り分けされていたので、内容はいろいろ。

脊椎(首や腰)や骨盤、肩・肘・手といった上肢、股・膝・足といった下肢、なんでもありです。おかげで手術もなんでもやることができました。三次元的なセンスが要求される整形外科手術では、一度でも中を見たことがあるかないかは大変重要なポイントになります。

とはいっても、やはり大学にいるからにはある程度の専門性というものも無視はできません。たまたま症例が多かったので腫瘍についてだいぶ勉強することが多くなりましたが、それと同時に手の手術をすることが次第に増えてきました。

ただし、教授が専門性より広域性を重視している以上「自分は××が専門です」と表明するわけにはいきません。なんとなく手が多い、というような雰囲気のまま毎日をこなしていたのです。

ごく一般的な生活は、だいたい7時半くらいに病院に到着、病棟に行って自分の担当の患者さんを回診、チームで打ち合わせをしておきます。9時からは外来または病棟全体回診、あるいは手術ということになります。午後はたいてい手術室で過ごすことがほとんどで、週に1回くらいは自分のことをすることができます。夕方からはカンファレンスなどが無いときは回診して終了。当直でなければ7時くらいには帰れます。

他にもいろいろ雑用がありましたけど、標準的にはそんな生活。助手になって2年目に週に1日バイトで行っていた病院から常勤の整形外科医を出して欲しいという依頼があって、助手としての大学生活は2年間でいったん終了することになりました。

さて出向ということで、出向いていった病院とは? 話は次回へ続きます。

青山テルマ / Diary

たぶん今年のJPOP界で最も話題性の高い新人は(ジェロを除けば)青山テルマでしょう。

先日も渋谷の街頭でのプロモーションに普通のバスに乗って登場。集まった人たちはアルバムジャケットの写真のような白いヘッドフォンをみんな持っていたとか・・・

ちょっと黒人っぽい顔でソウル感ある歌い方、だけどわりと癒し系の声色で、今時の流行が嫌み無く詰め込まれている感じがしますね。

もともとSoulJaの「ここにいるよ」のラップの後ろでコーラス部のボーカルを担当していたわけで、ラップは遠距離恋愛をけっこう日本語的につぶやいているところが面白かったわけです。そこでコーラス部分をふくらませてアンサーソングとして「そばにいるね」を出したところ大ヒットになりました。めでたし、めでたし。

って、それだけでは終わりません。ヒップホップ系のDS455や田中ロウマ、さらにMAKAIといったアーティストにぞくぞくとfeaturingされ、どどど~んと大活躍。そしてついに1st Albumリリースという大お祭り騒ぎ状態になっているわけです。

SingleとしてはONE WAYとそばにいるねの2つしか出していない新人としては八面六臂の活躍といってよいと思いますが、逆にせっかくのいい感じの歌手なので、一気に燃え尽きないか心配。

いろいろ各人に事情があるのでしょうけど、この数年消えていった実力派シンガーが少なくありません。メディアは話題のところに一気に群がらないで、ゆっくり育ててもらいたいもんだと思います。

2008年4月5日土曜日

社会派ブログで疲労度アップ

4月1日に始まった後期高齢者医療制度については、都筑区ドクターブログでもたびたび話題に上っています。制度がスタートしてからフクダ総理の「名前を変えましょう」発言など、もうボロボロで、いったいどうしたいのか訳わからん状態です。

Dr.Mは昭和の日本医師会町武見太郎のような強い発言力の必要性を書いていました。もちろん、武見太郎氏については賛否両論あるでしょうし、医者だけが暴走してもしょうがないのですが、もう少し医師会としてのしっかりとした意見を表に出すべきであろうことは容易に感じることができるのです。

そういう意味で、今日のニュースの中で、茨城県医師会が都道府県レベルの医師会で初めて、制度撤回を求める声明を発表したということは、医者としては多いに注目すべきことだったのではないでしょうか。

今の政治に対して明らかなNOを突きつけることは、大変な勇気が必要だと思います。たぶん茨城県医師会内でも、いろいろな意見が出ていることと思います。

総理大臣の発言からして結局政治は始めに医療費を抑制ありきで、実際の国民のことを考えていないことは火を見るより明らかになっています。現場の患者としての国民の混乱などは、始めから予想されていたことで、実際に始まってからあたふたしている様子は何を今さらという感じです。

これからの高齢者が増加し続ける日本で、よりお金のかかる高度な医療を提供していくことを考えれば、より無駄を省くことは必要ですが、医療費はむしろ増やしていくことは必要最低限の政治サービスではないのでしょうか。国民に向いていない今の政治は、何に向いているのでしょうか。

そういうやり方に迎合するだけの医師会であれば、会を作っている目的の多くは無いも同然なのかもしれません。茨城県医師会の行動は、医師会の今のあり方に対して一つの問題提起として大きな意味があります。

ただの政治圧力団体であってはならないのですが、実際に地域の多くの健康維持事業に協力をしているからには、もっと医師会の存在を一般の方に知ってもらい、医療を良い方向に持って行くための行動を取ってもらいたい物だと思ってしまいます。自分たちも明日の高齢者なのです。

あざみ野棒屋先生もいうように、こういう政治ネタは落としどころが難しいので、あまりくどくど書きたくないという気持ちもあるのですが、まじめにやればやるほど苦しい今の医療って、一体何? という本音をどこかで出さないと息がつまりそうです。

2008年4月4日金曜日

鶏ネック鍋

いつものお肉屋さん・・・青葉区すすき野の某所・・・で鶏ネック(118円/100g)を大量に買い込みました。と、いっても残っているの全部でいいや、と言って1.2kgほど。

ネックというのは、もちろん首の肉。よーく動くところなんで、筋肉がしっかりしていて歯ごたえがいい。味も濃い。ちょっと塩を振って炭火で焼くと最高なんですが、今夜は違います。

鍋です。冬への決別を込めて、そして長女の大学生活ゼロ日目を記念して、というわけで鶏ネック鍋なのです。他に入れる物は、絶対にはずせないのがニラともやし。

今回はあとは椎茸、豆腐、水菜、うどん。とにかくネックから味がでるので最高に旨い。味付けは白だしだけです。500mlで300円程度で売っていますけど、ちょっと待った!! ネック以外はほとんど金がかかっていないので、白だしだけは贅沢しましょう。

萬藤の白だしです。1000円/900mlくらいです。やはり安い物とは格がが違います。ちょろちょろ出てくる箸をはじいて、やや鍋としては長めに煮込んで味を染みこませましょう。翌朝雑炊にしようなんてことは不可能なくらい、汁まで無くなってしまいます。

う~、食った、食ったぁ。

2008年4月3日木曜日

家族の会話

その1

長男がどこからかおみやげで沖縄名物のちんすこうをいただいてきました。ちんすこうは金楚糕と書きます。小麦粉と砂糖以外にラードが入っているのが特徴で、濃厚な味は愛好家にはたまらないようです。

母「ちんすこう好き!!」
長女・長男「ちんすこうだ」
父「うーん、あまり好きじゃないんだよね」
次男「ちんすこう・・・って食べ物なの?」
全員「????」
次男「中国の川じゃないの?」
全員「それは揚子江(ようすこう)だぁ!!」

その2

ノンちゃん雲に乗るの作者の石井桃子さんが亡くなりました。誰もがお世話になった童話ですよね。
次男「漫画家の石井ひさいちはノンちゃんのモデルなんだってよ」
父「えーっ、石井ひさいちは石井桃子さんの息子なんか?」
次男「だって新聞の漫画に書いているじゃん」
全員「それはののちゃんだぁ!!(朝日新聞)」

2008年4月2日水曜日

センター南宣伝だぁ!!

都筑区に続々とできるショッピングビルはどれをとっても同じ、金太郎飴の街という評判もちらほら。さて、われらが期待のコーナンのビルが開店して1ヶ月、全館が揃いました。

ちなみに事情を知らない人のために、ちょっとだけ解説をすると、自分のクリニックのあるベルヴィル茅ヶ崎ビルというのは、横浜市営地下鉄のセンター南駅北側のバスロータリーに面しているわけで、地の利はいいはずなんですが、これまでは港北東急のある南側への人の流れが中心で、北側はいまいちだったわけです。ビルのすぐ後ろ側にできたホームセンターコーナンのビルは北側に人の流れを作るエースとして期待が大きかったわけです。

さらに3月30日に市営地下鉄グリーンラインが開業したことで、センター南は緑区の中山、青葉区のあざみ野、港北区の日吉、そして横浜の4方向への乗り換え拠点となったわけです。

コーナンのビルの特徴は、なにしろ日常的な店がそろっていることでしょう。ららぽーと横浜、ノースポートモール、minamoなど次々と出来たショッピングモールはいずれも、ブランド性の高いモダンな店を取りそろえ毎日でかけるようなものとはちょっと違います。

コーナンはいわゆる日常雑貨、エディオンは家電、西松屋は赤ちゃんグッズ、ジャックは安いカジュアルファッション(キングサイズあり)、洋服の青山は通勤服、スポーツオーソリティはちょっとしたスポーツ用品という具合です。はっきり言って「かっこいい」お店はありません。そのかわり敷居は低く、普通に毎日でかけやすい店が揃っているというのが特徴でしょう。本当はこれにスーパーがあれは鬼に金棒だったんですけど、残念ながらはいりませんでした。

でも贅沢は言いますまい。今まで、ビルの裏の道は昼間でもほとんど人通りはありませんでした。それが、今ではわさわさと人が歩いているのです。我々センター南医療ヴィレッジとしては、これほど嬉しいことはありません。

さらにコーナンのフードコートの丸亀製麺のうどんと港北食堂の定食は昼ご飯に最適。なんだかんだ言って、自分と社長でこの1ヶ月間に10回近く利用させていただきました。さらに小さなつくりですが、本屋さんがオープンしたので、ちょっと雑誌程度はわざわざ港北東急のほうまで行かなくてもすむようになりました。

4月になって新たに都筑区にお出でになった皆さんにも、うちのクリニックが目にとまる可能性が増えたのではないでしょうか。今日もうどんを昼に食べましたが、少なくともフードコートは満席に近い状態で、おもわず食べている人たちに声を出さずに「よろしくお願いいたします」と念じてしまったわけです。

2008年4月1日火曜日

4月1日

・・・はエイプリル・フール。嘘を言っても許される日。とはいっても、節度のある、ユーモアたっぷりの嘘でないと、後に遺恨を残します。でも、実際気のきいたジョークは難しい物で、なかなか思いつきません。

それに4月1日は人が動いて初日であることが多いので、いきなり冗談を言う余裕は無いのであります。都筑区でブログをせっせと書いている四人衆。今朝はだれか一人は思いっきり冗談を書いてくれるかと思いきや、Dr.MもDr.Flickerも現代の医療問題に嘆き、あざみ野棒屋先生は過去に悔いたような内容です。

それにしても、この三人は朝アップ組なんですが、Dr.FlickerはAM5:50頃、Dr.MはAM6:05頃、棒屋先生はAM6:30頃ですよ。ということは何時に起きて書いているんでしょうか。自分も朝は強い方ですけど、時間制限のある朝にはあまり書きたくないのです。今朝も必死にエイプリル・フールのジョークを考えてみたのですが、やはり思いつきません。

特に今朝は、今日から変更になった診療報酬改訂通りに電子カルテが動くか心配でした。そして、ここからはちょっと暗い話になります。

出向していた病院で医長を四年間やって、その最後の年。自分にとっては、手取り足取り自分のわかることを可能に限り伝えてきた仲間がいました。4月1日からは自分は大学に戻るし、その後輩もやはり大学に戻ることになっていました。3月31日に最後の回診、そして、明日は大学で会おうといって別れました。

翌日、大学に行くと、気心の知れた仲間と朝からいろいろ歓談。こんなとこが変わったよ、とかいろいろ話をしていたのですが、昨日まで一緒だった彼が来ない。同級生が電話をしても出ないし、無断で休むようなやつではないことは誰もが知っています。そこで彼女に連絡して見に行ってもらいました。そしたら・・・奴は死んでいました。いわゆる突然死です。原因はわかりませんでした。

そんなことってあるかい。そりゃないでしょう。これからいくらでも人を助けることができたやつなんですよ。とても良い奴で、自分にとっても本当にいろいろ教え込んだつもりの仲間だったんです。それ以前も、それ以降もマンツーマンで1年間みっちり過ごした後輩はいません。自分の分身のようなものだったと思います。

いろいろ働かせすぎたのかもしれないと悩んだりもしましたが、彼がやった手術のリストを作って、ご両親に差し上げました。こんなにいろいろな手術をやったんですよ。こんなに医者らしくなったんですよ。そう伝えたかったんです。ですから、もう10年以上になりますが、いまだに4月1日は冗談は言えません。

暗い話ですみません。