2008年6月30日月曜日

んぱかカマーチ

こどもが小さい頃にやっていた女の子アニメの主題歌のタイトルです。

まぁ、それはどうでもいいわけで、今月のブログは「いろは歌」の順番にひらがな47文字でタイトルをつけてみました。

正式ないろは歌では「ん」は無いわけですが、習慣的に最後につけることがあるので、全部で47+1文字で48タイトルということになります。

何気なく始めてみたものの、けっこう大変。ネタが思いつかないときは、最初の1文字が決まっていると書きやすい。ところが書きたいことを思いついたときは、出だしの文字が決まっているのでタイトルがつけにくく、見送ってしまったネタもいくつかありました。

来月はアルファベットでやろうかなんて思ったりもしましたけれど、こんな馬鹿なことはあまりやらないほうが良さそうです。それにしても、いろは歌というのはすごいですよね。究極の言葉遊びではないでしょうか。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

外国にもアナグラムという文字の入れ替え遊びなどがありますが、これだけの文字数を意味を持たせて使い切るというは並大抵のことではありません。とにかく最初に思いついた人はすごいとしかいいようがない。

作者についてはいろいろな説があるようですし、また暗号説など諸説入り乱れて興味がつきません。言葉の文化が次第に消えていくということを昨日書きましたが、こういうものは日本人としての特質となる部分ですから、継承されていくべきものであろうと思います。

ブロガーの方は、一度挑戦してみるといいかもしれません。二度はいりませんが・・・

2008年6月29日日曜日

ゑんがちょ

昭和の舞台作家で評論家だった宇野信夫さんは、しばしば江戸時代からつたわる言葉の誤った使い方を指摘していました。

しだいに時代の変遷の中で言葉に代表される「文化」が変質していくことを嘆いていたわけですが、最近は情報量が肥大化して、さらに伝達の速度もものすごく速くなったため、言葉の変質はもはや止めようがありません。

数年前に使われていた言葉さえ使わなくなり、流行語大賞というのもむしろ「使わなくなった言葉の博物館」という方があっているように思います。そんなですから、自分がこどもの頃によく使った言葉なんて、いまのこどもにはまったく通じないでしょう。

「えんがちょ」というのは、道ばたで犬のウンチを踏んだときになどに「やーい、えんがちょだぁ!!」などと言ってはやし立てるときに使いました。すると踏んだこどもは誰かにさわると「えんがちょ切った」といい、さわられたものはくやしがる。

今から考えるとなんのことだかよくわかりませんが、そうやって普通に使われていたんですよね。「閻魔の庁」が語源という説があるようですが、使っていたこどもにとってはどうでもいいことで、仲間はずれと仲直りをするための効率的な方法の一つだったのかもしれません。

自分が通った小学校の超ローカルな言葉で「ぼんちんまんぱん、ったからったったぁ~」というのがありました。片手を胸の前、もう一方を股の前でグーパーしながらがに股になって、この言葉をいいながら向かってくるのです。内容はけっこう下品なので、あえて解説しませんが、まぁいつの時代にもこういうわけのわからないものが流行るんですよね。

後世に残る必要もありませんが、もしもこのブログを読んでいる方で、これをやっていおじさんがいたら連絡くださいね

ひっちこっく

Alfred Hitchcock・・・アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980)はサスペンスの神様として君臨した映画監督。映画には芸術性を追求するものと娯楽性を追求するものがありますが、ヒッチコックはサスペンスを一貫した題材として取り上げ、映画の娯楽性を高めたことで偉大な功績があります。

笑いの中に寂しさを同居させ娯楽性と芸術性を併せ持った巨匠といえばチャップリンですが、ふたりとも母国のイギリスから戦禍を避けてアメリカに渡り、それぞれ違った足跡を残しました。

チャップリンは絶えず、笑いの中に権力に対する皮肉を混ぜることで、「反体制的」な人間というラベルを貼られ、晩年まで正当な評価を受けずにいました。

一方、ヒッチコックは「風と共に去りぬ(1939)」の大成功で当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったプロデューサーのセルズニックによってアメリカに招かれたため、最初のアメリカでの映画「レベッカ」でいきなりアカデミー作品賞をもらいます。

しかしセルズニックのとでは思い通りの仕事はなかなかできない。しだいに自分に付いてきた名声により独立し、作りたいものを作るようになります。ここからヒッチコックの映画実験が始まりました。

救命ボートという限定された空間のみでドラマが進行する「救命艇」、実際の時間経過どおりに犯罪が起こって犯人が追い詰められる「ロープ」、また「ロープ」では映画のサダ医の特徴であるカット割りを排除して、すべてのシーンを連続させたりもしました。

「ダイアルMを廻せ」では、劇場での演劇そのままの映像化、いきなり死体が転がっていて、これを移動させることのみをテーマにした「ハリーの災難」、定点カメラからの撮影のみで盛り上げる「裏窓」、開始早々に主演女優をいきなり殺してしまった「サイコ」、鳥が人間を襲う想像しうるすべてのパターンを見せきった「鳥」など、並べたらきりがありません。

これらの実験的手法は、今でもいろいろな映画に踏襲されスタンダードな手法となっています。これらを最初に考えたヒッチコックの天才がなかったら、ハリウッドはスターにのみ支えられた内容の無い映画を作り続け、今頃は忘れられていたことでしょう。

日本の映画にももちろん大きな影響があるわけで、笑いの要素を中心の作品作りをしていますが、今乗りにのっている三谷幸喜も、作品の作り込みは非常に似ている部分がありヒッチコックの影響をものすごく受けているはずです。

映画好きな人はフランスのトリフォーと対談形式で語られた「映画術」という本を絶対に読んで下さい。そこには映画を見る人、作る人、語る人すべてに役に立つ、まさに映画のすべてが語られています。そして読んだら、ヒッチコックの名言「たかが映画じゃないか」が本当に理解できることでしょう。

2008年6月28日土曜日

もより駅はたまプラーザ

自分は、1999年に横浜市民になったんですよね。その前の10数年間住んでいたのは本厚木。その前はというと、渋谷。

今の青葉区民になったのは、その前の5年間を緑区の病院で働いていてので、土地勘があったということと、こどもの学校を選ぶ関係だったんですよね。不動産屋に連れられて、いろいろ見て回ったんですが、結局今の家を購入。

さて、交通はというと、バスでたまプラーザ駅にでるという説明。なるほど、最寄り駅はたまプラーザですか。何か素敵な名前ですよね。プラーザですよ。プラザじゃないんです。最寄り駅はどちらと聞かれたときに、ちょっと自慢したくなるじゃありませんか。

ところがあらためて、地図をよ~く見ていると、あれれ、あざみ野でも同じ距離。さらに小田急線の新百合ヶ丘や柿生でも大差ないじゃありませんか。

引っ越した頃は、横浜市営地下鉄があざみ野から新百合ヶ丘まで延びる計画があって、近くに駅ができるでしょうみたいな話がありましたが、今ではそんなまぼろしは消え果ててしまっています。

となると、どこの駅にもバスで10分以上かかる中途半端な場所という感じがしないでもありません。そもそもたまプラーザは市営地下鉄が避けてしまった時点で、いまいち盛り上がりに欠けていますし、横浜市と東急、横浜市と川崎市の関係がいろいろ取りざたされるのも無理がありません。

せいぶつがくてき製剤

生物学的製剤と呼ばれる薬品は、関節リウマチをはじめとした炎症性疾患と呼ばれる病気の治療薬として、まさに時代の寵児然としています。

主だったリウマチ関連の学会での発表も、この数年は大多数が生物学的製剤に絡んだものであり、当然新刊書籍もこれらの薬剤を中心としたものばかりが目立っています。各製薬会社はシェア争いにしのぎを削り、さらに新しい製剤の開発が進められています。

患者さんにとっては、もちろん悪いことではありません。ただし薬の値段が問題。月平均にすると、いくつかある薬のいずれにしても自己負担3割の方で3~4万円もかかります。

国保の方(一般的には個人事業主)は、高額療養費制度を利用できる額にかかりません。社保の方(一般的には会社勤めの方)は、加入している保険組合によっては月の自己負担の限度額がそれ以下のことがありますので、必ず問い合わせておくことをお勧めします。

最近、新しく認可されたのはアボット=エーザイのヒュミラと中外製薬のアクテムラの2種類。ヒュミラは先行している田辺三菱のレミケードと同様の機序による薬ですが、レミケードが点滴で行うのに対して、こちらは皮下注射で投与可能であるところが一番の売りでしょうか。

安全性としては、レミケードでほぼ実証済みみたいなところがありますので、比較的安心して使えそうです。また、皮下注射が使いやすいことは先行するワイス=武田のエンブレルで証明されました。

一方のアクテムラは、これまでにはないまったく別のターゲットで効果を出します。そのため、どのような副作用が出るのか、多少不明な点があります。

また薬そのものの効果として従来使われている炎症の指標、つまりリウマチの病気の勢いを判定する検査項目が、病勢にかかわらず陰性化してしまうことから副作用の発見が難しくなることが心配されています。しかし、ターゲットが異なるため、他の製剤に無効な患者さんでも効果が出ることが期待されるので、今後が楽しみです。

さて、このような副作用をたいへんに心配する新薬は、市販されても厚生労働省への全例登録というシステムが定着しています。これはより安全性と有効性を確認するという意味で悪くはないのですが、実質的には治験(市販される前の治療実験)の続きみたいなもので、まだ完全にオープンに使用できるわけではありません。

一番手のレミケードでは、大きな制限はありませんでした。二番手のエンブレルはリウマチ専門医限定で行われました。そして、新しいヒュミラは学会の認定した教育施設限定となっています。

ですから、うちのような小さなクリニックでは当然使えないわけです。まぁ、同様のレミケードがあるわけですから、特に困ることはありません。

逆にびっくりしたのは、アクテムラの使用施設としてうちクリニックにOKがでたこと。リウマチ専門医で、生物学的製剤の使用実績によって可否がきまるようです。アクテムラは点滴で行うため、点滴をする場所や緊急時の連携医療機関の有無などが考慮されるようです。

ただし、アクテムラはまったく新薬であり、適応は慎重にされるべきであり、うちのようなクリニックではいきなりどんどん使うというわけにはいきません。おそらく3ヶ月程度で最初の全例登録の結果報告がまとまることでしょうから、それを見て安全性などを確認してからが使いどきではないかと考えています。

実際、この薬についての主な文献は開発者のグループのものばかりですから、もう少しいろいろな施設からの報告を知りたいところです。

2008年6月27日金曜日

すいてるクリニック

今日は患者さんが少なく、Dr.Mが読んでいるかもしれないところでわざわざ書くのも恥ずかしい話ですが、うちでは50人を超えると大台なんです。しかし久しぶり50人を下回るんじゃないかという感じでした。

最近は梅雨空ですから、天気になると洗濯が忙しいので整形外科なんぞに行っているヒマはないのではないかと思ってしまいます。

開業してすぐの頃に、当然暇なわけですが、患者さんに「このクリニックはいつでも空いていて、すぐ見てもらえるのがいい」と言われ、くやしいのですが否定もできず、「いつか見てろよ」と心の中で誓ったものでした。

今でも、その患者さんは何かあると通院してくれるんで、「どうです、ちょっと待つようになったでしょう」というと、「ははは、まだまだ他のところより早いよ」と言われてしまいます。

はじめは患者さんもいないので、物理療法でも牽引に電気にホットパック、うちにあるのは何でもどうぞ、それも好きなだけやっていってください、みたいな状態だったんんです。

ある時、週に数回来ては数時間すごしていたお年寄りがいたんですが、ぷっつり来なくなりました。たまたまその方の知り合いの方から、その理由を聞かされました。「あすなろさんは患者さんがいなくて、話し相手がスタッフばかりでつまらないからやめた」ということでした。

なるほど、そんなことも確かにありそうな話だなぁ、と思ったのですが、病院に行く目的を考えるとちょっと?というところはあるにしても、満足させられなかったことには違いがありません。

実際、銭湯や床屋が少なくなって寄合所がなかなかない時代ですから、お年寄りにとって診療所の役目のどこかにそういう部分があることはしかたがありません。患者さんが少なければ仲間がいない、患者さんがおおければお待たせする。ジレンマです。

ほどほどにバランスがとれているくらいにちょうどなれればいいんですけどね。

2008年6月26日木曜日

あすなろ整形外科クリニック

というのが、クリニックの正式名称ですが、その由来についてはクリニック・ホームページの開業物語に書いています

さて、実際使っていると、けっこう長いんですね。電話の応対などで、フルに名乗るとけっこう面倒なんです。広告などでもクリニックを入れると、けっこうスペースを使ってしまうわけです。

でもって、最近はわりと「あすなろ整形外科」で終わりにしてしまっていることがあります。近くの町会の回覧板や学校の吹奏楽部演奏会の協賛などはクリニックを省いてしまいました。

あすなろ整形外科という名称では、インターネットで検索すると札幌が一番有名のようです。続いて山口県山口市にもあります。もう一つか二つ見たような気がしますが、意外と見つけられません。

比較的ありそうでない名称なのかもしれません。神奈川県レベルでは固有の名称として識別できるようです。最近は、「駅前のあすなろさん」とか「お医者さんビルのあすなろ整形」などという感じで知られているようです。

ただし、「あすなろ」というのは使いやすいのか、「都筑区 あすなろ」で検索すると、老人施設(うちと関係がありますが)、塾、グループホーム(港北区)、音楽教室(川崎市多摩区)などなどいろいろありそうです。

クリニックの名称、というか一般の店舗の名称も同じだと思いますが、地名を使う場合と自分の名前を使う場合が多い。

地名の場合には、どうしても似たような名称が同じ地域に集中しやすいことが欠点です。一度認識してもらえば場所がわかりやすいけど、逆に認識したらもう場所はわかっているので意味を持ちません。

自分の名前を使った場合は、差別化はたいへんはっきりしていますし、また中心となる人物がはっきりしています。自分の名前がわかりやすい名前の場合、あるいは自分の名前に自信がある場合などは大変高い効果があるといえます。

自分の場合は「宗定」という名前が、正しく読まれることが少ないということと、多少古めかしい感じがするというところが難点です。

さよなら三角またきて四角

さよなら三角 またきて四角
四角は豆腐 豆腐は白い・・・・

と続く言葉の連想ゲーム。最後は「光は親父のはげ頭」で締める。それにしても光らせるためには、相当磨きを入れないと。

自慢じゃありませんが、自分はけっこう髪の毛あります。まだ、薄くなってきたという感じはしていません。それで、若く見られることが多い・・・のでしょうか。

でも、ホントのところ、40歳を過ぎて来ると、若く見られても嬉しくはない。同年齢で、あまり老けている方を見るのはがっかりしますが、適度に押し出しがあって、落ち着いた紳士、どこかの会社の重役風に見える方には嫉妬を感じるのです。

別に威張ろうと言うわけではありませんが、かといって自分よりずーっと若い方にため口で話しかけられると、多少複雑な気分になります。やはり年齢相応というのが無理が無くいいもんです。

最近はあまり聞かなくなった言葉ですが、「ロマンスグレー」というのがありました。二谷英明さんは、まさにかっこいい白髪が売りでした。ある意味あごがれましたね。年を取ったら、二谷さんのような白髪の似合うようになりたい、と思っていました。

小鬢(こびん)にはだいぶ白髪が増えてきましたが、何とかロマンスグレーになるまで禿げないでいられるでしょうか。これも、うまく年を取ると言うことのひとつかもしれません。

2008年6月25日水曜日

きゅうり

きゅうりは成長が早いんですね。この1週間くらいは毎日5cmくらいは伸びていました。最初にできたきゅうりの実は栄養不良なのか、ちゃんと育ちませんでしたが、その後きゅうり専用の肥料をばらまいたところ、あれよあれよと大きくなっています。

ふだん、スーパーで簡単に4本198円とかで購入していますが、こうやって育ててみると生産者の方の苦労がよくわかります。見ていても楽しいし、一通り野菜を作ってみるというのはいいかもしれないですよね。

きゅうりはだいたい大きくなって、あとは実が太るのをまつばかり。ミニトマトは今花盛りです。あすなろ菜園も、そろそろ次のものを考えようかな。

2008年6月24日火曜日

ゆずの里


馬路村。うまじむらと呼びます。四国です。南国土佐です。ゆずの名産地です。

なんで馬路村かというと、以前渋谷で土佐料理を食べに行ったら、ソフトドリンクメニューに「ごっくん馬路村」というのがあって、こどもたちは何が出てくるのか楽しみで注文しました。

これがゆずのジュース。ちょっと苦みがあって、でもさわやかな飲み心地がなかなかよろしい。

というわけで、その後何回かインターネットで注文して買ったことがあるわけです。JINROなどと混ぜてもよし、大人もけっこういけますよ。

2008年6月23日月曜日

めだかの学校


めだかの学校は、受付水槽の中
そっとのぞいて見てごらん
そっとのぞいて見てごらん
みんなで元気に育ってる

あすなろ水族館のめだかさん。♂・♀一匹ずつから始まって、卵を産むわ産むわで、どんどんかえってベビーめだかが一番多いときで30匹近くいました。

おかあさんは、残念ながら産むだけ産んで死んでしまいました。ベビーも半数以上は死んでしまい、今は1cm以上になったのは10匹程度。

スタッフが一生懸命に、水替えや餌やりをしていますが、やはりなかなか育つものではないのかもしれません。何とか生き残ったものは強い生命力があるんでしょうから、大きくなってもらいたいものです。

2008年6月22日日曜日

みけねこ

もともと住んでいた渋谷の実家。隣の家との距離は数10cmで、こどもの自分でさえ、窓からとなりのベランダに簡単に飛び移れそうでした。

自分は実際にはやったことはありませんが、それをいとも簡単に毎日のようにやっていたもんがいました。それが隣の三毛猫。名前はみけ。

う~ん、あまりに安易な名前なのですが、「みけ、みけやぁ~い」とうちの窓からも呼んでいたものです。すると、ぴょんっと飛んできます。

すると、まんまつぶに鰹節をがりがりとけずった細かいかすを混ぜた物をあげたりします。すると、みゃーぉ、とか言いながら旨そうに食べて、またもやさっと隣へと帰っていくわけです。

犬は人につき、猫は家につくとはよく言ったもので、隣のみけはそのあたりは、たいへんにうまく立ち回っていたんでしょうね。

ですから、自分は犬は飼いたいと思うわけですが、猫を飼おうとは思わないんですよね。もちろん、ゴロニャンとしているところは可愛いと思いますが、どうもあちこちで八方美人になっていそうですから、よその家の猫を可愛がっているくらいがちょうど良さそうです。

しに方講習会

・・・というものがあってもいいのでは、とふっと思ったことありません?

自分は医者ですから、基本的には患者さんが死んでは困るわけで、たとえば安楽死のような問題を医者が積極的に援助することには疑問を持っているわけです。

まぁ、ここでは安楽死の問題を話したいわけではありません。自殺の問題です。過去に自らの行為で病院に運ばれてきた人を治療する経験を幾度となくしました。でも、その時に思うのは、何で死にたい人を助けなければならないのか、という疑問でした。

もちろん、たいていの場合には、退院する頃には、何て馬鹿なことをしたと後悔している事が多いので、命が助かって、もう一度何かに向かっていくことができることは、大変に意義があることに違いはありません。

しかし、実際に治療に当たる立場では、こちらも人間ですから、生きたい人を治療するのと死にたい人を治療するのではモチベーションに差が出るのはやむを得ない。

だったら、きっちり死ねる方法をきちんと講習してくれる会があってもいいんじゃないの、と思いたくもなります。実際に、自殺マニュアルというのが一時物議をかもしました。しかし、今ではネットでいくらでもその手の情報が手に入ります。今年流行った自殺法しかり。数年前に流行った練炭もそう。さらに、一緒に死にましょうというサイトまである始末です。

実際、手首を切ってもよほど周到な準備をしていなければ死ぬことはまずありません。夜中に整形外科医がぶつぶつ文句を言いながら、切れた血管や神経や筋肉を縫合するだけです。雪山で綺麗に死にたいなんていうと、捜索隊が出て下手すると数千万円とかの費用を請求されるでしょう。

いずれにしても、楽な死に方なんてないし、残された者に迷惑がかからない方法もありません。普通の感覚では、自ら命を絶つことより勇気が必要なことは、きっと無いでしょう。それだけの勇気があれば、何でもできるはずと考えたいものです。

行動を起こせば、周りに迷惑をかけ、助かった場合は肉体的、あるいは精神的に大きな傷を持つわけですから、最初からやらない方がいいに決まってます。ですから、死に方講習会というのは、けっきょく生き方講習会と同じなんでしょうね。

2008年6月21日土曜日

けんこう一番

今の医学は、病気を治療することから、健康を維持することに目的がシフトしてきています。メタボもその一つ。

新たなセンセーショナルな病気を提唱して話題性だけは満点で、一見、もっともらしい感じがしなくはないのですが、実際には医療費をはじめとする社会保障抑制の元に厚生労働省を中心に国が行っている政策に踊らされている現状があります。

何か、すごい話を始めたなぁ、と思われるかもしれませんが、これが今の医療崩壊の根幹にあることは、間違いのないところで、日本の厚生行政がどこに向いているかが問題なのです。

今日のニュースでは、元タレントの厚生労働大臣さんが社会保障抑制政策を「死にかかっている国民を死なせても借金を払え」と言っているようなものと批判したというニュースがありました。

何やねん、今更。あんた、この1年間近くどうしていたの。メディア受けしやすい話題作りばかりに奔走して、けっきょく国民全体にかかわる問題を棚上げしていたんでしょうに。

もとはといえば、その大臣さんは前の総理大臣だったコイズミさんの腰ぎんちゃくみたいなもんやったでしょうに。そのコイズミさんが、「改革」という名のもとに今の医療費抑制の基礎を作ったんでしょうに。

みんなが痛みを分かち合う改革、って言うても、痛いのは一般の国民だけじゃないですか。自民党をぶっつぶす、って言うても、自民党は何もかわってないじゃないですか。

後期高齢者医療制度がやり玉にあがってきたからって、今頃になってまたもやメディア向け受け狙いみたいにいいこぶっても遅いでしょうが。

1週間前に某なんとかという東大の偉い先生が医療費抑制をやめましょうというような発言をしたとのニュースがありました。いわゆる有識者の代表みたいな人なんでしょうけど、遅すぎるでしょう。

有識者と言われる人たちは、確かに偉いわけですが、99%の大多数の一般国民のように毎日の生活を心配することもなく、ガソリンが高くなろうが、バターが手に入らなかろうが関係ない人たちです。もう怒るのもばかばかしい。あきれるだけ。

特定検診はまったく先行き不詳のまま6月から開始されましたが、いまだに実際のところどうなっているのかよくわからない。まだメディアが注目していないので、大臣も気にしていないようですけど、次はこれでしょう。

メタボに踊らされる国民やメディアは、メタボ以外の病気に関する健康診断がばっさり切り捨てられてしまったことに気がついていません。今や日本人は健康一番、病気にはなれませんから。

大臣発言で、みょうに怒りがふつふつと湧いて、多少我を見失った本日のブログでした。

2008年6月20日金曜日

ふとったでしょう

と、言われた。

そうなんです。開業してから最初の1年間、肉体的にも精神的にも、かなり疲弊したわけで、事故に見せかけて自殺などをすると保険金は普通におりるんかいな、とか思っていました。

みるみる体重が減って、15kgくらい減少。ずぼんユルユル。ワイシャツは、ネクタイらくらく。クリニックの床をモップで拭き拭きしていると、けっこうな運動だったりしたり。

とにかく自殺するわけにもいきませんから、当直バイトを増やして、平均して毎月6日くらい当直をした開業2年目。3年目に突入しても、当直はほとんど減っていませんが、これが問題。

なにしろ当直のご飯があまりにまずい。おかげで大好きなピーナッツとか、おせんべいとか、そしてカップ麺などを当直している間に大量に消費。これはまずい。

相当なカロリー摂取です。わかっちゃいるけど、やめられない。家にいてもアルコール摂取が日課になってしまいました。またもや体重は増加の一途をたどっているのが実感としてわかります。

こりゃ、早くクリニックが忙しくなって、当直をしなくていいようになるしかありません。皆様、よろしくお願いします。

2008年6月19日木曜日

ころっけバリエーション

クリニックの近くで野菜を作っているおばあちゃん、他数名の患者さんにジャガイモを大量にいただきました。スタッフでも分けたりしましたが、それでもものすごい量のジャガイモ。これを一気に食べるのほうほうは・・・

カレーライス、いやいやそんなに減るもんじゃありません。肉じゃが、まぁそれなりに使えます。

しかし、何と言ってもKing of Potatoとくれば、コロッケです。さぁ、始めたのはいいけど、あーやめときゃよかった、と後悔してももう遅い。

まず、皮むき。これだけでも、けっこううんざり。20個くらい剥いたでしょうか。これをちいさく切って鍋で煮ます。その間に、タマネギ4個をみじん切りにして炒めました。

ジャガイモとタマネギ、塩こしょうとバター少々をしっかり混ぜていきます。腕が疲れて、またもやくじけそうになります。

さらにオールスパイスを加えて挽肉を炒めます。続いて、しめじとえのきの醤油炒め、ミックスベジタブルなども炒めておきました。できあがりはこれ。ちょっと綺麗じゃありませんが、味はOK。

右のは一番普通の挽肉コロッケ。左は、同じものにカレー粉を加えたカレーコロッケ。手前は、ミックスベジタブルにバジルとチーズを加えたイタリアンコロッケ。後ろはしめじとえのきに青のりを加えた和風コロッケです。

それぞれ10個ずつくらいできました。それにしてもコロッケを揚げるのは難しい。しっかり衣をつけないと、揚げている最中にすぐに爆発してしまいます。揚げ物は、どうもあかん。こんなことしていて、あー2時間もつこうてしもうたぁ~。

どれも、けっこう受けましたが、さすがに数個ずつ残りました。明日の弁当は、これで決まりです。 皆さん、ありがとうございました。

2008年6月18日水曜日

えねるぎーを何に使うか

今日は、整形外科のためのリウマチの勉強会でした。北里大学の先生の講演は、開業医向けに今のリウマチ治療の流れをやさしく解説したものでした。

自分にとっては、知識の整理という点で意味がありました。また、大学によって、微妙な違いというものも実感させてくれました。これは。この前の聖マリアンナ医科大学の先生の講演でも感じたことでした。

女子医科大学のリウマチセンターに関係している者としては、今まで自分が学んだことがスタンダードだと思ってきましたが、それぞれの施設によっての違いというのは確かに存在しているわけです。

もちろん、大部分は変わりないのですが、関節リウマチのように短期間に急速に進歩している領域では、やむを得ないことなのではないでしょうか。開業してやっていると、そのあたりの束縛は薄れてきますので、単純にいいところは取り込みやすいのが利点でしょうか。

もう一つ感じたことは、関節リウマチがますます内科的疾患になってきたことです。これは、現代医学の中で、最も最新の知見を利用した薬物療法を行う疾患であるということです。

リウマチ専門医は整形外科系の日本整形外科学会と内科系の日本リウマチ学会とが、別々に存在していますが、最近の状況では整形外科学会はかなり置き去りにされているというのは否定できません。

実際、生物学的製剤という新しい薬を使用していると、それに対する医者のエネルギーはかなりのものが必要になります。正直に言って、一般整形外科はやめて、リウマチ科だけでやりたいくらいのストレスを感じます。

しかし、関節リウマチの患者さんはけっして多くはないので、一般開業医がリウマチ科だけでやっていくには、整形外科にしても内科にしても経営的な困難があります。また、今までやってきた自分の仕事を、あっさり捨てることもできません。

となると、リウマチ内科を標榜する気概で進むしかありません。日本整形外科学会のリウマチ専門医では不十分。あー、いよいよ日本リウマチ学会認定の専門医を取るしかありません。機は熟せり!!

2008年6月17日火曜日

手は英語でHAND、手首はWRIST、では指は?

FINGERと答えた方、実は答えとしては不十分。正確には4 fingers and a thumbです。

えっ?
何?
へりくつ言うなって?

でも、そこをこだわりたいのが手の外科やっている整形外科医なんですよね。日本語では全部いっしょくたで「指」と言ってしまいますが、機能が全然違います。

母指(ぼし)、つまり親指は他の「指」とあわせて使う、独立した「指」ですからthumb(サム)という別の呼び名があるんですよね。

そして、残りの4本、つまり示指(じし、人差し指)、中指(ちゅうし、なかゆび)、環指(かんし、薬指)、小指(しょうし、こゆび)にも違った機能があるんです。

示指は母指とあわせて、ものをつまむ(pinch)働きをします。中指は示指のサポート。環指と小指は母指とあわせて握る(grasp)働きをしているわけです。テニスのラケット、剣道の竹刀、ゴルフのクラブ、いずれも環指と小指で握るのが基本です。示指と中指は握りの位置をコントロールするのに使っています。

全部の指をまとめて言う場合はdigitという単語を使います。つまり5 digits in one handというわけ。両手では10 digits、ということで十進法decimalの元になっています。そして、パソコンでおなじみのdigitalの語源でもあるわけです。

今日の絵はオランダの画家でエッシャーの有名な絵です。以前に、一度は倒産した長崎のオランダ村に行ったときに、エッシャーの展示があって、ずいぶんと楽しむことができました。

うま味は肉じゃない

今朝はチャレンジャー。こどもたちの評価はいかに!!というのは、旨味成分って、けっきょく鰹とか昆布とかの魚介系がほとんどなわけで、少なくとも動物の肉ではないようです。

と、いうわけで肉無し弁当にチャレンジ。やはり、なかなかメニューは思いつきませんね。冷蔵庫の温度が下がるのを承知で、じーっと中を見ていると・・・

塩鮭
切り昆布と煮たイカ
豆腐煮 including たまねぎ (with そばつゆ & しょうが)

そして、トッピンクは伝家の宝刀、のりたま。
どうよ、これ。残さず、食ってこいよぉ~

2008年6月16日月曜日

ゐの一番

味の素、ハイミー、そしていの一番。合成旨味成分の三羽烏。

ひところ、どこの家にもかならずあって、どんな料理でもぱらぱら。でも、いつのまにかハイミーは味の素に吸収されていて、いの一番は業務用だけになっていました。

昆布だしとか、かつおだしとか、家でも作れるようになって、しだいに家庭から姿を消してしまいました。うちにも、もう何年もありません。

だから、なんなのさ?

と言われれば、それまでのことですが、なんか嫌いじゃありません、味の素。

白菜の漬け物にぱらぱらっとして、ご飯がすすむ、そんな経験あるでしょう?

2008年6月15日日曜日

のくたーん

ノクターンというのは、クラシックの中で、主としてピアノの小品、日本語では夜想曲と呼ばれています。誰もが、曲の固有の名前と勘違いしそうなくらい有名なのはショパンが作曲した21曲。

バッハからモーツァルトを経て出来上がってきた鍵盤楽器曲を、ハーモニーを重視してより美しく仕上げた功績はベートーヴェンとショパンにあるんでしょうね。夜想曲というくらいですから、比較的ムードがたっぷりで静かな曲が多いわけです。

偉大なショパンに圧倒されてか、他の数ある作曲家でノクターンという名前を使った人は割と少ないように思います。リストの愛の夢第3番は有名ですが、もともとピアノのための夜想曲です。チャイコフスキーにもありますけど、圧倒的に多いのがフランス勢でしょう。

ジムノペディで有名なエリック・サティは5曲のノクターンを作曲していて、ショパンと違い比較的明るい。短調と長調の違いと言ってしまえばそれまでですが、夜の明るさに違いがあるかんじです。蝋燭と電気の差かもしれません。

フォーレの夜想曲もけっこう有名です。となると、もう一人ドビュッシーも忘れてはいけません。1曲だけピアノ用の夜想曲がありますが、むしろ有名なのは管弦楽の夜想曲。女性コーラスもはいって、とってもカラフルです。

さらにラヴェルには夜のガスパールという曲があり、ノクターンのようなイメージなのではないでしょうか。このあたりは、フランス人の芸術感が見え隠れするようなきがします。なんか、照れずに「ジュテーム」と言える、フランス人のロマンティックな雰囲気はこのあたりから培われているようなきがしますね。

日本人には、きっと作り出せないムードではないでしょうか。

おとうさんの日

今日は父の日。久しぶりの休日。家で1日ゆっくりできるのは1ヶ月ぶりです。

が、しかし、次男はサッカーの試合。
5時起床。お米を炊いて弁当作りで~す。

ホタテのバター焼き
昨夜作っておいた鶏ハム
Booのソーセージ
レタスときゅうり

そして一番奥がわかりにくいのですが、一番手間がかかっているのですが、トマトとバジルとラム肉を炒めて、コンソメの素と鶏ハムをボイルした煮汁で煮込みました。

今日は父の日です。繰り返します、父の日です。

次男が出かけていって、ブログを書いていても誰も起きてきません。

父の日です。
父の・・・

くらしっくはつまらない

※リンクにはそれぞれの演奏の一部をMP3で聴くことができます。

と、思っているあなた。実は自分も、数年前まではそう思っていました。みーはー的ですが、フジ子ヘミングの登場で、演奏者の解釈や演奏法にけっこう違いがあるということを知りました。

なるほど、確かに楽譜というものがあって、そこにある音符をたどっていけば、誰が演奏しても同じといえますが、実は楽譜もいろいろ、テンポや強弱、さらに装飾音のいれかたなどにより、ずいぶんと違った印象をもつものなんです。

そこで、J.S.バッハ作曲のゴールドベルク変奏曲の主旋律であるアリアを例をとって聞いてみましょう。もともとバッハの時代デイから、楽器はチェンバロあるいはハープシコードと呼ばれる鍵盤楽器で演奏するのが由緒正しいと考えられがちですが、実はバッハは楽器の指定をしていないので、何で演奏してもかまわないわけです。

もともと戦前にランドフスカ女史のチェンバロの演奏が有名で、それ以上のものはいらないという雰囲気になっていました。ところが、ゴールドベルグ変奏曲といえば、カナダのピアニスト、グレン・グールドの1955年の演奏がたいへんに有名なわけです。

グールドのデヴュー盤だったこと、楽器がモダンピアノだったこと、反復して演奏する部分を省略して、若くてはじけるようなスピード感を出したことなどがその理由で、おそらくクラシックレコードでは世界で最も売れているのかもしれません。

リスト直系のアラウは男性的なドイツ音楽の正当な継承者としての演奏で、ピアノで演奏する場合の典型的なものかもしれません。

もう一人のドイツ音楽の継承者であるケンプは一切の装飾音を省いて演奏しているため、まったく別の曲のようにすら聞こえます。この演奏がアリアのエッセンスなのです。

チェンバロの演奏では、近年決定版として評判が高いのはレオンハルトの演奏。ピアノと違って、音の強弱が付けられないため、音の紡いでいく様子はピアノに比べより精巧になっています。

かわったところでは、ジャズピアニストのキース・ジャレットの演奏。ジャレットはバッハの他にもいくつかクラシックの演奏を録音していますが、残念ながらあまり面白くない。楽譜をたどるだけというのは、こういう演奏ですの典型かもしれません。

ジャズといえば、ジャック・ルーシェは昔からバッハの曲をスイングして演奏して有名です。さすがにアリアは崩しようがないのか、あまり面白くはありませんが、そのチャレンジ精神には拍手です。

鍵盤以外の他の楽器でもいろいろな演奏がありますが、一押しなのがギター。北欧のギタリスト、エトヴォスの演奏は内容的にも大変素晴らしく、楽器の違いによる違和感もなく素晴らしい。このようにいろいろな演奏があって、クラシックはあなどれません。

その中で、自分が最も気に入っているのはグールドの1981年の最録音。とにかくきわめて静に、そしてゆっくりとした演奏が特徴です。映画の中で、レクター博士が聞いていたのがこの演奏です。どうです、けっこう面白いもんでしょう。

クラシックははまりだすと、とにかく奥が深い。ゴールドペルク変奏曲だけでも、古今東西数え切れないくらいの録音があって、とにかくその一つ一つに演奏者の個性があるんですね。是非、皆さんも楽しんでみてください。

2008年6月14日土曜日

やれやれ、夕飯だ


昨日は、またまた花の舞に行きましたよ。金曜日の夜ということもあってか、激コミです。もう、ほんとにセンター南駅前に、こういう店をみんなが待っていた、という感じ全開ですね。

昨日のメニューの中で、豆腐のサラダがなかなかいけている。と、いうわけで、今夜は早速真似てみました。豆腐を置いて、周りに適当に野菜をばらまいて、すりごまドレッシングをかけるだけ。これが、なかなか旨いですよ。

豆腐の料理って、けっこう種類が少ない。これは、これから豆腐レシピとして、しばしば登場しそうです。

メインはずけ丼です。特売のかつおとびんちようまぐろ。多少、ヘルシーな雰囲気があって、自己満足な夕飯です。

2008年6月13日金曜日

まつたかこデヴュー10周年

日本人の歌手で欠かさず買って聴いているのが松たか子さん。以前にもこのブログで何度も話題を取り上げていますが、その松さんが今年デヴュー10周年で、ベスト盤が発売されることになりました

なんとCD3枚組で、全てのシングルを収録。さらに自選のお気に入り曲を追加。ただし、すでに手元にあるわけです。それだけなら、自分でCDに焼き直しても同じ。

ただ、これに特典があるのです。何と12曲収録のDVD。ブロモを見る機会の少ない松さんとしては、これは貴重です。さらに、さらにですよ、豪華写真集ブックレットが付属し、予約すればポスターまでついてくる。

あ~、み~は~でもいい。

6月25日発売・・・どうしよう・・・

2008年6月12日木曜日

つるみ区で友人が開業

鶴見区も横浜市ですから、自分のいる都筑区からもさほど遠くはありません。友人の一人が、このたび皮膚科・形成外科で新規開業をします。この際ですから、宣伝しちゃいましょう。

あいはらクリッニックという名称で、クリニックモールでの開業、すでに内科・整形外科・眼科・歯科・心療内科が入っており、6番目のオープンということです。この物件はまだスペースが残っていて、小児科・耳鼻科・泌尿器科・婦人科などを募集しているようです。

このモールの面白いのは、1階に調剤薬局とデイサービスが入っていて、ここがビルの主体になっているわけですが、ここで総合案内をやってくれるわけです。そして、待合いやトイレなどの共用スペースをクリニックスペースとは別に持っているところです。

家賃も共益費込みで坪1万円ですから、けっこういい条件のようです。川崎駅までは車で5分、駅周辺には皮膚科は多数集まっていますが、この地区ではあまりないようです。

川崎駅、矢向駅周辺の皆さんなかなか面白い先生なんで、是非困ったときには行ってみてください。ちなみにこの院長の実姉はたまプラーザ駅で、うちのこどもたちもお世話になった相原皮膚科の院長先生なんですよ。

2008年6月11日水曜日

ねみみに水の騒動

昨日家に帰ってからのニュース。三重県の某整形外科クリニックで、ノイロトロピンとメチコバールという薬を点滴で投与された患者さんが何人も入院し、一人が死亡していた、というもの。もう、びっくり仰天です。

これは神経痛をおさえるために一般的に行われている方法で、うちのクリニックでも毎日数人の患者さんに行っています。しかし、自分の所も含めて、いまだかつて何か問題があったという話は聞いたこともありませんでした。

経営的には、注射薬を購入して、点滴の道具を使用してほとんど利益はありません。処方箋を出せた方が、なんぼ儲かることか。しかし、ある程度高齢者の方に行う事が多いので、すでにいろいろな薬を服用されている方に内服薬を増やすよりは、効果も出やすいこの方法の方が使いやすいのです。

しかし、このようなニュースが流れると、そのまま同じ注射をするというわけにはいきません。本日はいつも注射をしていかれる数人の患者さんには、事情を説明して安全性が確認できるまで注射は行わないことにしました。メチコバールの製薬会社は、本日すぐに事情を説明しに来ました(こういうところはジェネリックメーカーと対応が大きく違うところです)。

さて、ニュースのその後はどうなったのか気になるところです。このクリニックは1日に300人もの患者さんが来るそうです。これはすごすぎます。医者一人ですから、いくらなんでも限界をはるかに超えています。患者さんに対しても、スタッフに対しても目が行き届くはずがありません。

さらにびっくりしたのは、毎日この点滴をする患者さんが100人いるということ。3人に1人は点滴するわけです。いくらなんでも多すぎでしょう。そして、どうも大量の点滴をさばくために点滴の用意をまとめて作り置きしていたということに重ねてびっくり。

どうもどこかで細菌が混入してしまったことが原因と考えられているというのです。この問題については一医療施設の注射を行う方法が原因であり、治療法そのものの問題ではないという結論がでそうですが、このようなことが、医療全体の信用を低下させるわけですから、自分ももう一度気持ちをひきしめないといけません。ふだん、何気なくいつも通りに行っていても、実は大きな問題をはらんでいることはありうるわけです。

2008年6月10日火曜日

なんと、びっくり・・・

・・・したことに、うちのクリニックの宣伝をただでやってくれている方がいました!!とはいっても、もちろんご本人はそのつもりはないかもしれませんが、これはうちにとっては、十分宣伝効果があることで、たいへんにありがたいことであります。

それはこちらのうみてんぐのSunny Blueな日々さんです。先日当直しながら、ブログのアクセスログをチェックしていたら、あまり馴染みのないリンク元を発見。

うん?これはどこだろう、と思って開いてみたら、どこかで見たことがある光景があるじゃありませんか。あすなろ菜園のきゅうりの写真です。

しばらく、あれこれブログを探索して、やっとブロガーの正体判明。なるほど、そういうことですか。そこで、たぶん今日はおいでになるかと思い、待合室でひまつぶしになるように海が好きな人にはちょうどいいビデオを流しておきました。

そしたら、今日のブログはまさにその話。それも、たぶんクリニックから帰ってすぐにアップしたんじゃないかと思います。なんか、ブログを書いていてよかったなぁ、と思うわけでした。

実はきゅうりの苗はこちらから頂いたものなんです。こういうコミニュケーションって楽しいですよね。うみてんぐさん、きゅうりを収穫したら、まっさきに差し上げますからね。

さらに、もうひとつびっくりしたことがあります。北海道から配達物が到着。こちらは北海道は帯広の病院に勤めているmasumi先生からでした。チーズを使ったお菓子。しかも冷凍してあって、新鮮そのまま。

先日、やはりブログで落語を聞くことを知って、嬉しくなって自分のコレクションの一部をCDに入れてお送りしたわけです。そしたら、こんなものを頂いてしまって、かえって気を遣わせてしまいました。申し訳ありません。

他にも一杯落語はありますから、また送りますね。でもお返しなんて気にしないでくださいね。チーズのお菓子はスタッフみんなでいただきました。大変美味しかったですよ。さすが、北海道という感じでした。こちらも、ブログ書いててよかったなぁ、と本当に思うわけでした。

ららサンシャイン

それぞれの家庭に、それぞれの朝があると思うんですけど、うちの場合はもう、ずーっとめざましテレビで朝をすごしているんです。

フジテレビということで、いろいろ言いたいこともある方がおられるとは思いますが、まぁ仏様のようにも見えなくもない大塚さんに免じて、ここは許しておいてください。

今年はめざましテレビ15周年という企画でいろいろやっていますが、たぶん15年前から見ていると思うんですよね。八木さんから小島アナ、木佐アナときて、今の高島・中野とずっと見てきました。小島ナッチャン転落事故なんていうショッキングなこともありましたね。

1994年番組開始時の最初のテーマソングはリンドバーグ。実はあまり印象に無い。最初に記憶に残っているのが、森高千里の歌った「ララサンシャイン」なんです。

これは1996年の春から。なんか、朝が来たぁ~、っていう感じで、気分も盛り上がります。森高千里は歌手としては、自分があまり歌番組を見なくなってからの人なので、ほとんど印象がない。

この歌の前では、デヴュー曲の「17才」とポンキッキで流れていた「ロックンロール・オムレツ」くらいしか知りませんでした。南沙織のカパーだったデヴュー曲は、ずいぶん元気な感じがしたものです。

2008年6月9日月曜日

むねさだです。

あすなろ整形外科クリニックの院長はむねさだ、宗定といいます。

なにも今更ことわることもないのでしょうが、クリニックのメインの商品は院長ですから、一押しの商品の名前がしられていることは大切なんですよね。

自分の父親は渋谷で内科・小児科のクリニック、宗定医院を開いていました。まだ自分が開業する準備ができていなかったことと、場所が患者さんがいない、つまり住民がどんどん減少している地域であること、そして自分が整形外科で内科・小児科医ではなかったことなどの理由で、亡くなったときに閉院しました。

いざ、自分が開業するときに宗定整形外科医院のような名前も考えましたが、なにしろ宗定という名前が正しく読まれることが少ない、こっちからむねさだと名乗っても正しく聞き取ってもらいにくいということがあって、はなから自分の苗字を使うことはあきらめました。

誰にでもすぐに分かってもらえる名前、親しみの持てる名前、やさしい感じのする名前などを条件に、自然の雰囲気が漂うような名前を探して決めました。今では、だいぶクリニックの名前は知ってもらえたのではないかと思っています。

そうなると、いっそう院長の名前も知ってもらいたくて、初診の患者さんの時には「こんにちは、院長のむねさだです」と挨拶をしたりしていました。でも、だんだんじぶんは「あすなろ」でいいかな、と思うようになりました。

あすなろ先生と呼んでもらえることは、親しみを持ってくれたことになりそうですから、それはそれで嬉しいことです。次に名刺を作るときは「宗定 亜沙郎」とかいてみましょうか。

2008年6月8日日曜日

わんこのいる生活

我が人生を振り返ってみると、わんこ、つまり犬がいない時間の方がすくなかったのではないかと思うわけです。

はっきりとは覚えていないのですが、たぶん小学校に入る頃に初めて犬が 家に来ました。柴犬の雑種だったと思います。ただし子犬からではなく、すでに成犬になっていました。名前はバーク。昔のアメリカのTVドラマの「バークにまかせろ」から来ていたと思います。

子犬からではないので、なかなか言うことをきかず、脱走も何回かしましたし、自分の右手には咬まれた傷跡が残っています。でも、なかなか憎めない奴でした。今のようなドッグフードはあまり見かけなかった時代でして、ごはんとキャベツとかを一緒に煮たものとかをたべていました。

高校3年生の時に、バークはすでに15才くらいだったはずで、さすがに老犬となり、体調を崩し死んでしまいました。死ぬ間際には、「うぉーーーん」ととても長く遠吠えをしたのを覚えています。

1年くらいして、今度はヨークシャーテリアがやってきました。どこでどうしたのか、詳しくは知りませんが、たぶん父が見つけてきたのでしょう。今度は子犬です。名前はジョン。さすがに小さくて、はじめは片方のスリッパにもぐりこんで寝ていました。

だんだん親離れしていくこどものかわりだったのかもしれません。父はとても可愛がって、いつも自分の懐に入れて寝ていましたし、ごはんの鶏のささみを包丁で細かく切るのも父の係でした。

医者になって家を離れてからは、もちろん犬はいません。でも結婚して、こどもができて、やはり生き物を飼っているということは、こどもにとってとても大事なことではないかと思っていました。

今の一軒家を手に入れてから、やっと犬を飼うことにしました。条件は屋内で飼えること、大きくないこと、毛が抜けないことです。お店に行くといろいろな子犬がいて、どれもが可愛いのですが、生後3ヶ月を過ぎてちょっと売れ残り気味のミニチュアシュナウザーが自分をじっと見つめているのです。数年前にはやった某金融ローンの宣伝みたいな雰囲気なんです。

ということで、こいつに決定。もともとミニチュアシュナウザーはあまり吠えず、比較的覚えがいいといいますが、動物病院でも「このこは当たりですよ」というお墨付きをもらえるくらいおとなしいんです。これまでも、随分と遊んでもらえましたが、でも1999年生まれですから、もうすぐ10才。もう若くはないんだから、体には気をつけてちょうだいよ。

かいすいよく

こどもの頃に、葉山とか大磯あたりへ海水浴をしにいった覚えがあります。その頃は水はきれいだったんでしょうかね。

今時のこどもと違って環境問題なんてことは、まったく考えていませんから、泳いで遊んで海の家で食べたり飲んだりすることしか頭にはありません。

ただ、あの極塩辛の海水が口にはいるのはかなりつらいものがありまして、どうせ泳ぐならプールの淡水のほうがいいわぁ、と思いながら大きくなりました。

しかし、こどもができると、そんな好き嫌いばかりを言ってはいられません。大磯、下田などの海水浴場にこどもを連れて行き塩水を飲んだことがあります。そんな中で、数回行ったのが土肥のもう少し先にある宇久須。ここはキャンプ場があるんです

キャンプ場は海岸にあるわけで、ほんとにすぐ目の前が海水浴場なんです。これはもうプライベートビーチに近い感覚で遊べますので、最高に楽しいところです、水の塩辛さをのぞけば。すぐ横にお風呂もありますし、近くには観光スポットもたくさんありますから、飽きることはありません。

ちょっと、最近はわかりませんが、キャンプ場はオートキャンプではないので、駐車場から荷物を運ぶのはちょっと大変なのが、唯一の残念なところでしょうか。ただし、暑いですよ、なにしろ海岸ですからね。

よりによって・・・

なんで、こんな医者が当直バイトしている病院に救急車が来るんでしょうね。いわゆる老人病院ですよ。すぐに検査なんてできません。レントゲンだってとれません。

でも、ベッドが空いているわけですよ。あ~、何もなければいいなぁ、と思いつつ当直荷物をとくわけです。今回は、ほどなく電話です、やっぱり。バイト料をいただいて、何とか生きていられる身としては極力受ける覚悟はできていますが、さて、どんなですかね。

何々、老人施設で意識不明で倒れていたおばあさんですと。この「意識不明」というのが、一番困るわけで、患者さんはここが痛いと自分で説明してくれません。

それで、血圧はOK、糖尿病があるんですか。じゃ、低血糖性昏睡かな、血糖値はすぐ測れる小道具があるので、まぁいいか。じゃ、どうぞ。というわけで、ピーポーピーポー到着です。

確かに意識障害、反応らしきものがありません。早速、血糖値チェック。あれ、異常じゃないの? さて、困った。眼球は両方右をにらんでいるよ。手足は動くような動かないような。

こりゃ、CT検査をするしかないでしょう。レントゲン技師さんに何とか連絡してもらうと、来てくれるとのこと。いゃー、助かります。まぁ、出血でなければ、なるようにしかならないみたいなところがありますから。

さて、小一時間して技師さん到着。CT検査開始。一枚ずつ頭の下の方から輪切りした絵が出てきます。脳硬塞ですかねぇ、あまり神経症状もはっきりしないんで、なんてのんきなことを言っていると、何枚目かで白いものが。

う?
おや?
あれ?
出血だぁ~。

それもけっこう広がっているじゃないですか。Dr.Flickerのブログの話が頭をよぎります。幸い、この病院は「一晩入院ですから」なんて怖いことは言われません。

すぐに近くの大学病院に連絡しました。救急車を呼んで、患者さんを乗せて見送ると仕事は完了です(これは正しい救急車の使い方です)。今年お医者さんになった皆さん、お年寄りは教科書通りの症状をだすとは限りませんよ。

そういえば、結局、ベッドは空いたままなので、さらに次の救急依頼にびくびくし続けるのでした。

2008年6月7日土曜日

たいいく祭弁当

たいくつ祭りではありません。金曜日がグランドコンディション不良のため順延になった、こどもたちの体育祭が土曜日に。連日の朝から大車輪で、栄養ドリンクなしでは生きていけません。

買い置きで冷凍しておいた鶏唐揚げ
手作りハンバーグ 焼き肉用ハラミの細かくしたものをいれて、牛肉の食感プラス!!
チルドしゅうまい
鎌倉ハムの粗挽きウィンナー
渾身の青のり入り卵焼き

もう運動会定番ネタのオンパレード。

おにぎりはしゃけ、たらこ、昆布と、これまた定番3種類。
こどもは変わったメニューより、定番を好むのです。

れっつ医師会 6月

医師会の役員をやるようになったのは去年7月から。もうじき1年たちます。

そろそろ今年もやらなければならない医師会の仕事が出てきました。会議に出て弁当だけいただいて帰ってくるわけにはいかなくなってきました。

今年も秋に区役所と共催で講演会を行います。昨年は大地震などの震災を中心にした、防災がテーマでした。さて今年は?

もしも新型インフルエンザの大流行がもしも起こったら、地震以上の人的被害が発生すると予想されていますので、広い意味では災害としての対策が必要になります。そこで風評被害を防ぐためにも、みんなが正しい知識を持っていただくことが重要と考え、新型インフルエンザをメインテーマとした会を計画しています。

また、この時に併せて救急医療の講習会の企画もしていく予定です。さらに、区役所と「本音で行える」防災計画を整備していくための会議を行っています。今月あたりからは、実際的なディスカッションが出てくると思いますし、昭和大学横浜市北部病院とも話し合いをしていく予定です。

ところで先日、あざみ野棒屋先生がセンター南駅前ロータリーに面する10のクリニックという書き方をしていましたが、この中で医師会に入っているのは6つ。残りの4つは医師会に入っていません。今までは、自分にも余裕がありませんし、そこまで考えたこともありませんでしたが、限局した場所で、敵対関係でやっていくことはお互いに利益はありませんから、何らかの協調関係は必要になってくるかもしれませんね。

どのように考えるかはいろいろですけど、これからは非医師会会員の先生方との関係というのも無視はできなくなりそうです。

その気にさせないで


キャンディーズです。言わずと知れた、70年代から80年代にかけての超アイドル・グループ。でも、バラエティで笑いを作った最初のアイドル、つまりバラドルではないでしょうか。

淳子・百恵・昌子もレギュラーで笑いを取ったりはしませんでした。秀樹・ひろみ・五郎もしかり。真理・ルミ子・沙織だって。キャンディーズはアイドルにもかかわらず、キャラを壊しました。

伊東四朗や小松政夫と一緒になって、「世界のニャンニース」なんて叫んでいましたよね。まぁ、正直言ってそれほどファンではなかったのですが、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」は同時の一番人気のパラエティだったんではないでしょうか。

「あなたに夢中」(1973)、「そよ風のくちづけ」(1974)、「危い土曜日」(1974)、「なみだの季節」(1974)に続いて発売した「年下の男の子」(1975)が始めてヒットチャートのBEST10入りしてブレーク。「内気なあいつ」(1975)をはさんで発売された7枚目のシングルが「その気にさせないで」(1975)。

それまで、勢いだけで歌っていた感じでしたが、初めてグループとしてのハーモニーを重視し音楽的に昇華した楽曲となったのです。 コーラスはかなりシュープリームスを意識して、伴奏もR&B的なのりです。

その後は「ハートのエースがでてこない」「春一番」「夏が来た」とヒット曲を連発したわけです。キャンディーズの音楽的な方向性を確立した曲として、「その気にさせないで」は忘れてはいけないターニングポイントと言えそうです。

2008年6月6日金曜日

ちょっと嬉しい生姜焼き

今日はこどもは体育祭ということでしたが、クランド・コンディション不良のため中止。用意していた唐揚げなどは、急遽冷凍。

「えっ、唐揚げは~」という声に、「うるせぇい、てやんでぇ、べらぼうめ。生姜焼きを前倒しで作るんでぇい」と啖呵を切って、作りました。こどもは、ちょっと嬉しいわけです。

しめじ炒め
炒り卵
しゃけほぐし
きゅうりの漬け物
そして、生姜焼き。

どう、ちょっとおかずいろいろ。
とはいっても、まじめに作ったのは生姜焼きだけ。やっぱ、手抜きか。

りうまち専門医

関節リウマチという病気、日本には約70万人の患者さんがいると言われていますが、実は関節リウマチ専門医と呼べる医者は約8000人いるのです。

もしも、全ての患者さんが専門医の診療を受けているとしたら医者一人平均87.5人の患者をみていることになりますが、実際にそんなことはないでしょう。専門医以外のところで治療している患者さんも大勢いるでしょう。

ただ、ここで問題なのは専門医以外の医者の話ではなくて、専門医そのものです。関節リウマチ専門医は内科系と整形外科系に別れます。

つまり主として内科系の日本リウマチ学会と日本整形外科学会がそれぞれ別々に認定をしているのです。日本リウマチ学会の専門医はおよそ3000人、日本整形外科学会の専門医はおよそ5000人といわれています。

これは患者さんにとっては混乱を招くことになりますよね。どっちに受診するのか悩みどころです。もともと関節の痛みで病院に行こうと思うことから、はじめは整形外科にかかる可能性が高い。しかし、変形がないうちは薬の治療が中心になるので内科的に管理されることになります。

特に最近のように、どんどん薬が進歩し、しかも副作用が大変重要な課題になってくると、内科中心と考えられなくもありません。生物学的製剤の登場により、今後はますます変形を起こして手術が必要になる患者さんは減少すると予想されますので、ますます内科的疾患になっていくものと思います。

ただ、内科系の医者は血液検査に頼る傾向があり、また整形外科の医者はレントゲン検査に頼ることが多いんです。両方のバランスが必要なわけで、そういう意味で、じぶんの場合はリウマチセンターに行けたことは本当に幸運でした。

ですから、クリニックレベルでは「整形内科」をやっている専門医のところに受診するのがベストではないかと思うんですよね。基本的には関節リウマチは外来で診る病気です。コントロールがどうしてもつきにくい患者さんや合併症や副作用のある患者さんは、専門施設の病院のリウマチ内科が必要になります。

リウマチ内科の医者は、適切な時期に適切な手術治療を整形外科に依頼できる知識も併せて習得することを強く望みます。整形外科も十分に薬を使いこなす勉強をしなければなりません。

自分は、日本整形外科学会の専門医の資格を取っています。女子医大リウマチセンターにいたので、取ろうと思えば日本リウマチ学会の専門医も取れると思うのですが、実はこのような専門医の資格を維持していくのには大変な時間と費用と労力が必要なのです。

だからこそ、意味があるわけですが、日本整形外科学会専門医(全般)日本整形外科学会リウマチ専門医の二つの資格を維持していくだけでも、いっぱいいっぱいなのです。学会に行って、ちゃんと教育講演を聴いて単位を集めなければならないのです。

開業してからは、なおさら簡単にクリニックを休んで学会にいくわけにはいきません。さらに資格を増やすのは、とてもきついと思い日本リウマチ学会の資格には手を出していません。実は日本手の外科学会の専門医も取れる状況でしたが、同じような理由であきらめました。実際、開業して手の外科専門で患者さんが集まるとは思えませんし。

一時、両方の学会のリウマチ専門医を統一していくというような話もあったように思いますが、なかなか話は進みませんね。ただ、多少は整形外科専門医からリウマチ学会専門医への移行措置はあるようなので、今後考えたいとは思います。どちらにしても、とにかく専門医として恥ずかしくない知識と経験を積み重ねていくしかありません。

ぬいぐるみ

自分は男ですから、あまり人形とは縁がありませんでした。

ただ、小学生のころにチャーリー・ブラウンの漫画が流行って、もとの英語のセリフ付きのピーナッツ・ブックがうちにも何冊か転がっていた時代があります。

スヌーピーは大人気で、何故か自分もスヌーピーのぬいぐるみを持っていました。自分で欲しがったのかどうかは覚えていません。

うちのこどもたちも何となく人形が好きで、小さい頃はいくつか買わされた覚えがあります。ただし、あまりかわいげはない。ドラゴンとか、なんかわけのわからない動物とか・・・。

今でもベッドにはザク(←ガンダム)の頭だけのぬいぐるみが転がっています。枕にするにはコロコロしすぎか。

2008年6月5日木曜日

るみえーる先生

自分のクリニックは、いわゆるクリニックモールと呼ばれる診療所が複数入ったビルにあります。とは、言っても、特別にモールの名前が無かったので、センター南医療ヴィレッジというのは、自分たちで勝手に決めた名称。公式の呼び名ではないので、郵便物に書いてもだめです。あしからず。

3階に眼科がありまして、アキコ・ルミエール眼科という名前です。ルミエールはフランス語の光という言葉から来ているそうで、眼科と光は大いに関係がありますから、なるほどと思うネーミングです。最近はルミナリオという言葉もよく使われますので、けっこう市民権を得ているようです。

2005年11月末に開院していて、うちより1週間早い。でも、内装工事が始まったのはうちより遅くて、あっという間に工事が終わったのでびっくりしたのを覚えています。

ここの院長先生は山口暁子先生といいます。卒業は、東京女子医科大学で、自分とだいたい同じくらいの年代にあたります。自分も女子医大のリウマチセンターに所属していますので、そっちの方で山口先生をご存じの先生も何人かいらっしゃいました。

大変な美人の女医さんで、実はお嬢さんがさらに美人。山口先生も相当若く見えるので、一緒にいると姉妹にしか見えません。今年の正月には、山口先生のお母様も一緒に女系3代で中国旅行。きっと目立ったでしょうね。

自分がブログを書くようになったのはあざみ野棒屋先生の影響、あざみ野棒屋先生はルミエール先生の影響でブログを始めたとのこと。ただ、残念なことに本家本元のブログは昨年の開院2周年で止まっています。何とか、再開してもらいたいと思います。

自分のクリニックのBGMには自分の趣味でクラシックのピアノ曲と弦楽四重奏曲が流れますが、実はその間隙をぬってジャズをよく使います。ところがルミエール先生も相当なジャズ好きのようで、だいぶはまっているようです。そこで、この前Oscar Petersonをお貸ししたところ、お礼にと水戸納豆をいただきました(つながりは不明)。これからもガンガンとジャズを流していきましょう!!

2008年6月4日水曜日

「を」ってがんばってますよね。誰も見向きもしてくれないのに。でも、「を」がなかったら日本語は随分使いずらくなるでしょうね。

「君を愛している」なんて告白するとき、「を」がなかったら、愛していると言いたい相手がはっきりしなくなっちゃう。

どう発音しています? うぉっと読んでいる人が多いと思いますがも「お」との区別は無いようですよ。「を」とひらがなで書いた場合は、「遠」の草体。カタカナで「ヲ」と書いた場合は「乎」の変形だそうです。

でも、「せざるを得ない」「やむを得ない」と言うときには、絶対に「を」でなければならないわけで、意外と存在感がありますよね。眞鍋かをりも「かおり」じゃありません。

何気なく使っていますが、外国人が日本語を勉強するときに一番難しいのは、こういう助詞の使い方でしょう、。無意識に使い分けることが出来るようになった日本人は、けっこうすごいかも・・・

いんたーねっと

パソコンというものが、世の中で手軽に使えるようになったのはNECのPC-8001というパソコンが80年代にはじめに発売されてから。数年後にはmodemと電話回線を使って別のパソコンと接続することができるようになりました。

この頃はウィルスなんてことは心配することもなく、ある意味原始的な状態だといえるかもしれません。この頃はパソコン通信と呼ばれ、基本的には1対1の接続、またはサーバーとなるパソコンの下に接続したクライアントがすべてぶら下がっているわけです。個々のクライアント同士では接続することはありませんでした。

そのうち大学レベルで情報の共有を目的に、それぞれのパソコン通信を接続する試みが始まり、ネットワークとネットワークをつなぐという意味でインターネットと呼ばれることになります。これが90年代始め。当時パソコンはCPUクロックがせいぜい100kHz程度。メモリーも32MBとか64MBでしたね。

一部のマニアは、モデムを使って自分で接続ソフトを調整して楽しむようになりました。当時のホームページはほとんどテキストのみで、画像なんて重たすぎて使いません。そして一般向けにもIPアドレスを解放し、Windows95が発売され、OSレベルでインターネットをサポートするようになったことが、今の爆発的な普及のきっかけでした。

それに会わせるようにISDNが登場し、それまでのmodemよりも高速な通信が可能になったことも大きい要因です。ロクヨン・ロクヨン・イチニッパーというのは当時のトレンドでした。そして、画像も使えるレベルになり、電子メールも一般化。世の中のすべての紙文化は消滅するのではないかという勢いです。

90年代後半になってくると、音楽や動画も配信できるようになってきました。最初にネット・ビジネスを思いついた人はすごい。携帯電話の普及も、インターネット無しではありえなかったでしょう。

そこで、ふと思い出すのが、本来の大学などの研究を促進するための本来のインターネット。今の状況の中で、十分に機能しているのでしょうか。逆に商業的なネット利用の中に埋もれてしまってはいないでしょぅか。

このようなブログも大手10社くらいに開設されている数は日本人4人に一人がブログを書いているといわれるくらいの数だそうです。実際にそんなに多くの人がやっているはずもなく、自分も作ってみたけど放置しているものがあったりします。ネットワークの無駄使いということも気にしたいものです。

2008年6月3日火曜日

ろいまちす

ろいまちす・・・昔の関節リウマチの呼び名で、ドイツ語が語源です。日本の医学は、もともと戦前のドイツ医学からの流れの中で出来上がってきたので、今でもドイツ語がちょろちょろと残っているんですよね。

でも、自分くらいの年の医者からは、ほとんど現場でもドイツ語を使うことは無く、ほとんど日本語化した言葉としての元ドイツ語だった単語をちょこっと使う程度です。でも、今時関節リウマチをロイマチス、あるいはリューマチと呼ぶのは、相当年配の医者だけです。

この言葉には、実はヒポクラテス以来の医学の歴史が凝縮していて、関節痛を呈する疾患全般を含むものだったんです。ですから、年齢から来る膝の痛みのようなものもロイマチスと呼ばれることがしばしばあったので、昔はやたらと「リューマチ」が多かったわけです。

「私も昔はリューマチをやってね・・・」というようなことを仰る年配の方がよくいますが、この場合はまず間違いなく今で言う関節リウマチではありません。

白血球はワイセ、赤血球はローテ、心電図はエーカーゲーなどもドイツ語です。また処方箋に薬の飲み方を記載するときにも、まだドイツ語からきた略語を用いています。最も生き残っている単語は、たぶんカルテ。英語ならカード card です。

現代日本医学は完全にアメリカに占領されてしまったような状態ですから、会話の中で「うちのクランケ(患者)はシュメルツ(痛み)が・・・」みたいに使う医者に出会うと、妙にすげーっと思ってしまうのでした。

はな咲くクリニック


・・・と、言ってもきゅうりですけど。あすなろ菜園第3弾です。

2週間くらい前にもらった苗が、どんどん大きくなって花が咲きました。ただし、これは花だけ。実はなりません。

先端の方に蕾があります(右の写真)が、よーく見るとミニきゅうり風のものが。これが実になる花。楽しみ楽しみ。

第2弾のミニトマトは順調にでかくなっています。でも、梅雨入りして日照が減るので、これからが心配。

2008年6月2日月曜日

にっぽんチャチャチャ

とにかくオリンピックが近づいてきました。日本人ですから、当然日本を応援します。

高校野球だと、まず自分が住んでいる神奈川を応援、もしもいなくなると育った東京、それもだめなら社長のふるさと長野、親戚がいるから熊本・・・だんだん遠くなっていきます。

オリンピックでも、もしも日本がメダルに届かなさそうな時は、アジアとか近場の国を応援したくなるのが普通ですよね。いきなりグローバルな視点で、ヨーロッパを応援しようなんていうのは、特別な関係が無いと難しい。

今回の中国五輪は、チベット問題、大地震、北京の大気汚染などさまざまな問題が見え隠れ、そこにさらに水泳の水着の問題などもからんで、始まる前から何となくもの上がりに欠ける感があります。

でも、やわらちゃんこと谷亮子選手のママでも金は是非見たいものです。そして、意外と嫌いじゃないのが女子バレーボール。なんか花があるし、選手がみんな元気で楽しそうです。

一時期消えていた栗原が日本のエース。よくぞ、復活した。残念なのが、栗原とメグカナ・コンビで活躍した大山がはずれてしまったこと。腰痛がひどいそうです。あすなろ整形外科にくれば相談にのるんですけどね。かおる姫も落ちちゃいましたね。

木村も成長しました。あいかわらず元気印の高橋もいいですけど、世界最強最小セッターと言われる竹下とともに、そろそろ引退も近いかもしれませんよね。ちなみに男子はきびしい戦いのようですね。

自分の記憶にある最も古いオリンピックが1964年の東京五輪。体操のチャフラフスカ、マラソンのアベベ、柔道のヘーシンク、陸上のヘイズらに混ざって、重量挙げの三宅、体操の遠藤らはある意味英雄でした。そして東洋の魔女と言われた女子バレーボールも忘れられません。

こどもたちは素直に選手の活躍をしっかりと覚えるものです。がんばれ、にっぽんチャチャチャ!!

ほんものになるために

自分の医者としての師匠というと、もちろん母校の整形外科学教室の教授を最初にあげなければなりません。次に、手の外科の手術をいろいろ教えてもらった先生がいます。そして、この春に退職された女子医科大学に移ってからの親分。今の自分が出来上がったのは、これらの先生方の力というわけです。

でも、実はもう一人尊敬して止まない先生がいるんです。それは母校で整形外科に入局したときの講師のU先生です。今は東京の国立医療機関で整形外科部長をしています。自分や家族が手術をするような場合に、メスをおまかせできる数少ない先生の一人です。

研修医のころ、当直などで、困ったときもすぐに相談に乗ってくれますし、手術のインストラクターも嫌な顔せずにやっていただけました。

逆にU先生の手術に助手で入るのは、極度の緊張をしたものです。なにしろ、術野に見えるものは何でも「これ何?」攻撃の対象になるのです。わからず、だまっていると、しばらくして、「で、こっちは?」という具合に、攻撃の手をゆるめてはくれません。

研修医の中には、怖くて震えて助手にならないものもいたようです。でも、こっちが勉強していけば、手術が終わった後には丁寧にいろいろ教えてくれるのです。

少し手術に慣れてきた頃に、よくある骨折の手術でインストラクターになってもらいました。こっちはすでに何回かやったことがあったので、気楽な気持ちでしたが、始まってすぐにU先生は難題を持ち出してきました。

金具を使った骨折の固定では、しばしば気動式ドリルを使用します。U先生は、気動式ドリルを今日は使わないで手術をしろというのです。となると手動式ドリルを使うしかありません。

「いつでも、どこでも、便利な道具が使えるとはかぎらない。どんな状態でもちゃんとした手術ができなくてはいけない」ということでした。スイッチを押せば、ギュイ~ンと簡単にすませていたことを、一生懸命ギコギコ回してやらねばならず、これは大変でした。

また手術中にレントゲンの透視を使って、位置などを確認することがあるわけですが、これを禁じられたこともあります。「患者さんのレントゲンの被曝は最小限にしないといけない。同時に自分も少しでも被爆しないことが大事」だからという理由からでした。

見ればいいやという安易な気持ちがあるもので、ついつい透視に頼ってスイッチを押してしまうものです。しかし、それ以来3次元的なイメージをいつでも持つようにする意識ができたと思います。

自分が一人医長で出向したときには、一人で何となく不安なので、当時比較的近くの一般病院にいたU先生に頼んで、近くの同じような環境の仲間数人と毎月症例検討会を開かせてもらいました。大学を離れると、そうそう珍しい症例はありません。

ところが、君たちこんなのみたことがある?といって出してくるU先生の症例のびっくりさせられること。こんな病気があるとは知りませんでしたみたいなものが、山ほど出てきます。経験だけではない、しっかりとした知識の裏打ちがないととても見つけることはできません。

自分の医者としてのスタイルは、そうやって作ってもらえたものと思っています。少しでも本物になるために、U先生から教わったことを少しでも実践しようと思いながら、今でも診療を続けているのです。

2008年6月1日日曜日

へんだよ、水着騒動

北島康介選手はは、4月9日のミズノ社の新作水着の発表会見で「スピード社は一流選手と多く契約しているから世界新が多いのは当然」と発言しています。

ところが4月中旬の五輪合宿でスピード社の五輪用新製品レーザーレーサーを選手が試着したところ、明らかにタイムが短縮することが確認されどたばたが始まりました。

北島選手のコーチは日本のメーカーに対する不満を言い出しています。去年まではスピード社の水着はミズノが代理店販売していたのが、ミズノが自社ブランドに切り替えたため、日本水泳連盟とメーカーの契約により、選手はスピード社の水着が使用できないということ。

これを受けて4月26日にミズノ、アシックス、デサントの国内3社に対し、五輪に間に合うよう性能改善を求めることを発表しました。さてそれから、あの選手は試してよかったとか、あっちで好記録がでたとか、あるいはやっぱりこれでいいとか、いろいろな話がでました。

そして、いよいよ5月30日に国内メーカーが新製品を発表。ところが31日からの合宿にはミズノは欠席。結局発表した新作を試せない不満が再び選手から出るというどたばたぶりです。まあ、1ヶ月で世界記録を出せる新製品を作れといわれても、しょせん無理な話で、とにかく何なんでしょうね。

でも、よく考えてみると、ちょっと変じゃありません? 締め付けのきついと言われているレーザーレーサーは、簡単に言えば加圧トレーニングと同じ原理なわけで、筋肉を圧迫することで大きな収縮力を得ることができるわけです。これは、明らかに「ドーピング」ですよ。

薬に対してはノイローゼかと思うくらいうるさいスポーツ界で、なんで道具については政治家まで加わって推し進めているんでしょうかね。野球などでは、一定の使用道具の規制があったりしますよね。水泳は、人間の体ひとつで勝負する、本来は道具とは一番縁の遠いところにあるスポーツではないのでしょうか。

もちろん、零点何秒以下の勝負ですから、できることは何でもしたいというのはわかります。でももしもスピード社の水着を使用してメダルを取っても、この雰囲気ではメダルはスピード社のもので選手のものではありません。何か違うんだよね~。

どっちにしても、もう時間はないんだから、選手の方々は自分を信じて突き進め!!

がんばれ、ニッポン!!

とりあえずブログで広告

自分が開業している横浜市都筑区というところは、横浜とは言っても海とはほど遠く港町の風情などはまったくありません。

どちらかというと、東京よりの町で、市営地下鉄グリーンラインが開通してからは、東急田園都市線と東横線で渋谷に出るのが楽、と考えているのは、もともと自分が東京育ち、それも渋谷育ちだからでしょうか。

そんな場所ですが、港北ニュータウンという名称でも呼ばれて昭和の時代から再開発が始まり、平成になって都筑区と独立して近代的な住みたい街となってきて、自分を含めてクリニックもわんさか集まり、活況を呈しています。

患者さんの側からすると、選択肢は多い方がいいわけです。ただインターネットに象徴されるように最近の情報過多傾向は止まるところを知らない勢いで、逆に多すぎる情報は無いのと同じ。患者さんも、どういうときにどこに受診すればいいのか判断に困るということになってきます。

医療機関の広告は厳しく制限されていますし、例えば「腰が痛いとき肩が痛いとき、骨折や傷といった外傷のときはあすなろ整形外科へ」というような広告は出させてもらえません。

写真を使うときも、受付のようにどこの医療機関にも必ずあるものは使えますが、何かの医療機械は有るところと無いところがあるために「均一な医療を提供する国民皆保険制度」の立場から規制されてしまいます。

これはナンセンスでしょう。そう思いません? それぞれの医療機関の特徴を出そうとすれば出そうとするほど禁止されるのでは、患者さんはますますどこに行くか判断できません。街に一軒のクリニックならいざしらず、これだけ狭い範囲に医療機関がひしめき合っていると、それぞれが特徴を出していくことが必要です。

もしも、すべての医療機関がいわゆる「総合診療科」であったら、人口に対して適正な数に規制すべきだと思います。今の医療制度の中では、医療機関は自由競争ができないわけですから。もちろん、それがいいと思っているわけではありません。

医者一人が持っている守備範囲は、現代の膨大な医療情報の中ではオールマイティというわけにはなかなかいきません。自分が医師国家試験の勉強をしている頃、つまり30年近くも前ですら、必要な知識量は戦前の数百倍と言われていました。

遺伝子レベルの急速な学問の発展を考えると、どんなに少なく見ても最近の国家試験はさらに数十倍の知識が必要なのではないかと思ってしまいます。もうすべてを知っているなんてことは人間ワザではありません。そこで、広く浅くでいくか狭く深くで行くか、ある程度選択をする必要があります。

診療所は広く病院は狭くという考え方がありますが、実際には医療制度の崩壊は歯止めが効かなくなっており、病院はいろいろな問題でしだいに機能しなくなっている。

とにかくまずはクリニックへという方向性があっても、クリニックではどうせらちがあかないから最初から大きな病院に行った方がいいや、という考え方も根強くあるわけです。開業医は総合診療科になれといわれても、結局病院への集中につながるだけのような気がします。

もっと基本に立ち返ると、病院と診療所の違いは医者の違いではなく、入院するベッドがあるか無いかの違いだということに政治家さんや役人さんに気がついてもらいたいもんです。もちろん、受診する患者さんの意識改革も必要で、そのためにも医療機関を適切に選択できるような情報公開の仕方を可能にしてもらいたいと考えるわけです。

というわけで、都筑区の整形外科の話。都筑区には整形外科をまっさきに標榜している、つまり専門を宣言している医療機関は自分がわかっているところで次のようなところがあります。

港北整形外科・仲町台さいとう整形外科
センター北根上整形外科医院・木下整形外科
笠井整形外科・えんどう整形外科
あすなろ整形外科クリニック・横浜つづき整形外科
リッツ・クリニック
葛が谷整形外科・野沢整形外科

それぞれに特徴があるわけですが、自分がわかっていることわかっていないことがありますし、たぶん広告制限にもひっかかるかもしれませんから、ここに書くわけにはいきません。

医師会に入っている先生、入っていない先生、整形外科専門医の先生、そうではない先生、スポーツ障害が得意な先生、リウマチが得意な先生(自分?)、骨粗鬆症に詳しい先生、背骨の病気が得意な先生、休日にも診療する先生、往診がてきる先生、在宅中心の先生・・・などなど、特徴はいろいろ。

自分のクリニックは整形外科全般は常識的に広く浅くカバーしているつもりですが、その中で特に得意としている部分自分そのものを知ってもらうために、このブログを書いているわけで、何とか患者さんの医療機関選択の材料にしてもらえればと考えています。

さぁ、6月です。また新たな気持ちでがんばるぞ!!