2008年6月2日月曜日

ほんものになるために

自分の医者としての師匠というと、もちろん母校の整形外科学教室の教授を最初にあげなければなりません。次に、手の外科の手術をいろいろ教えてもらった先生がいます。そして、この春に退職された女子医科大学に移ってからの親分。今の自分が出来上がったのは、これらの先生方の力というわけです。

でも、実はもう一人尊敬して止まない先生がいるんです。それは母校で整形外科に入局したときの講師のU先生です。今は東京の国立医療機関で整形外科部長をしています。自分や家族が手術をするような場合に、メスをおまかせできる数少ない先生の一人です。

研修医のころ、当直などで、困ったときもすぐに相談に乗ってくれますし、手術のインストラクターも嫌な顔せずにやっていただけました。

逆にU先生の手術に助手で入るのは、極度の緊張をしたものです。なにしろ、術野に見えるものは何でも「これ何?」攻撃の対象になるのです。わからず、だまっていると、しばらくして、「で、こっちは?」という具合に、攻撃の手をゆるめてはくれません。

研修医の中には、怖くて震えて助手にならないものもいたようです。でも、こっちが勉強していけば、手術が終わった後には丁寧にいろいろ教えてくれるのです。

少し手術に慣れてきた頃に、よくある骨折の手術でインストラクターになってもらいました。こっちはすでに何回かやったことがあったので、気楽な気持ちでしたが、始まってすぐにU先生は難題を持ち出してきました。

金具を使った骨折の固定では、しばしば気動式ドリルを使用します。U先生は、気動式ドリルを今日は使わないで手術をしろというのです。となると手動式ドリルを使うしかありません。

「いつでも、どこでも、便利な道具が使えるとはかぎらない。どんな状態でもちゃんとした手術ができなくてはいけない」ということでした。スイッチを押せば、ギュイ~ンと簡単にすませていたことを、一生懸命ギコギコ回してやらねばならず、これは大変でした。

また手術中にレントゲンの透視を使って、位置などを確認することがあるわけですが、これを禁じられたこともあります。「患者さんのレントゲンの被曝は最小限にしないといけない。同時に自分も少しでも被爆しないことが大事」だからという理由からでした。

見ればいいやという安易な気持ちがあるもので、ついつい透視に頼ってスイッチを押してしまうものです。しかし、それ以来3次元的なイメージをいつでも持つようにする意識ができたと思います。

自分が一人医長で出向したときには、一人で何となく不安なので、当時比較的近くの一般病院にいたU先生に頼んで、近くの同じような環境の仲間数人と毎月症例検討会を開かせてもらいました。大学を離れると、そうそう珍しい症例はありません。

ところが、君たちこんなのみたことがある?といって出してくるU先生の症例のびっくりさせられること。こんな病気があるとは知りませんでしたみたいなものが、山ほど出てきます。経験だけではない、しっかりとした知識の裏打ちがないととても見つけることはできません。

自分の医者としてのスタイルは、そうやって作ってもらえたものと思っています。少しでも本物になるために、U先生から教わったことを少しでも実践しようと思いながら、今でも診療を続けているのです。