2008年9月5日金曜日

International Symposium

大学人ともなると、学会発表というのは大切な仕事です。医者の場合、最初は地方会という小さな学会で症例報告というのが、たいていのデヴュー戦でしょう。

そういう自分も神奈川の整形外科の小さい学会に、たまたま担当した患者さんの症例報告をするのが最初でした。でも、たいていそれほどきばって報告するほどのものではないので、学問的なカチはそれほどあるわけではありません。学会発表を経験するための学会というニュアンスがあることは否定できません。

それから、だんだんいろいろな発表を経験して、やはり最後は国際学会での発表というのが一番大変なことなのでしょうね。自分は6年目に国際学会デヴューでしたが、国際学会と言っても日本で行われたもので、プレッシャーは多くありませんでした。

とはいっても、当時手関節外科を勉強していたものにとっては神様のような先生が多数来日して参加した、かなり本格的な学会でした。

予演会という、大学の教室内で行う発表の予行演習は3回くらいやりました。当然英語の発表ですから、英語の質問がびしばし飛んできます。当然、答えられるわけも無く、ひたすら固まっていました。発音も随分となおされ、もうほとんど泣きしかありません。もう特攻隊のような気分で本番を迎えました。

自分の発表するセッションが始まり、後ろで聞いていると、やたらと手を上げてすごい勢いで質問しているアメリカ人がいます。しかも杖をぶんぶん振り回しているので、なんか威圧的。こんなのに質問されたら、一撃でおしまいだなと思っていました。

そして、いよいよ自分の番になりました。そのセッションの座長は当時世界的に有名なフランスの先生。発表自体は原稿を読めばいいので、あまり問題はありません。

あー、原稿1枚終わっちゃった・・・あー、あと1枚しか残っていない・・・あー、いよいよ最後の文章だ・・・などと考えながらついに読み終わってしまいました。

さて質問はこないといいんだけど、と思うまもなく、一番前で杖を振って手を上げているやつがいる。あー、何でこいつが手を上げているの。でも、自分が勉強していたところについての質問ですから、何となく質問がわかるもんなんですね。何となく答えることができるもんです。まあ、何とか撃沈せずにすんだ。

そしたら座長が何か言っている。ところが、これには困った。フランス人ですから。英語なんでしょうけど、フランス語にしか聞こえない。こりゃ、下手な日本人の英語よりひどい。まったく、何を言ってんだか。

そしたら、日本の自分とは関係ない大学の教授が助け舟をだしてくれて、もう感謝感激雨あられです。もう終わってから、すぐに飛んで言ってお礼を申し上げました。そんなこんなで、なんとか無難に終了。

それで終わりとおもいきや、発表をきちんと本にするから、英語の論文をだせという連絡がきました。偉い先生は数十万円だせば、代筆してもらえるから何とかしろとかいうのですが、ぺーぺーの医者にそんな金ありません。毎晩ひたすら英作文です。

出版社に提出すると、編集の先生から何かいろいろ文句が書かれて戻ってきます。また直して出すと、今度は別のところにチェックが入っている。一度に言えよ、とは言えず、また直す。そんなことを数回して、やっと通してもらいました。

まぁ、今となってはその英語の本が宝物みたいなものですけど、知るっている人には世界のそうそうたるメンバーが名を連ねる英語の本に自分の書いたものが残ったというのは忘れられない思い出のひとつですね。