2008年12月8日月曜日

避けられない仕事

医者の大事な仕事のひとつに、人の死に立ち会うということがあります。まぁ、もっとも整形外科なんていうのは、患者さんが亡くなることの少ない科なので、比較的臨終の場とは無縁であることが多いのです。

それでも、今までに何度かそういう場面にでくわしていますし、特に最近はいわゆる老人病院で当直バイトをせっせとしている関係で、どうもそういう仕事が増えてしまいました。

昔は、何とか延命して欲しいという家族の希望が多かったので、心配蘇生術を行うことが基本でした。今は、高齢者では無理に延命しないという考えが一般化しましたし、また脳死という考え方も普及して心臓が止まることが死ではないということも知られるようになって、だいぶ臨終の光景も変わってきたように思います。

昔の流儀で、医者はまず聴診器を使って、心臓の音と呼吸音がしないことを確認します。続いて、目を開いてライトをさっと当てて瞳孔反射というものをチェックします。脳が生きていれば、ライトによって瞳孔が縮むのを確認するわけです。

この3つを確かめられれば、患者さんは死んでいるということになり、「ご臨終です。ご愁傷様でした」と家族に宣告をすることになるのです。でも、今時たいてい心電図などのモニターがあるわけですから、心拍がないことはすぐにわかりますので、前半は形式的なものと言わざるをえません。

このモニターがくせものです。ご臨終です、と言った後に、心電図にピョコっと波形が出たりすることがあります。また、反射として横隔膜が動いて呼吸をしたように見えることもあるんです。こういうことがあると、家族は一瞬びっくりして、医者の判断を疑う事になりかねません。

たぶん、医者ならたいていそういう目に一度や二度はあっているんじゃないでしょうか。そこで、決まり台詞を言った後は、モニターの電源をすぐに切って、ご家族には速やかに一度退室していただきたいと思うわけです。

家族の反応も様々で、淡々としている家族、みんなで泣き出す家族などいろいろ。自分は、ふだん主治医として関係しているわけではないのですが、何で病気が良くならなかったのか説明しろと詰め寄られたこともあります。でも、できるだけ家族が納得した形で幕を引くのが役目ですから、可能な限り説明させていただくわけです。

何にしても、医者としては避けて通れない仕事の一つですが、できることならやりたくない仕事であるというのも本音かもしれません。