2009年1月2日金曜日

年寄りのつぶやき

昨年はいろいろと嫌なニュースばかりで・・・もっとも、良い噂は広がりにくいし、良い話は忘れていまい易い。悪い話の方がニュースになりますし、良く考えれば反省して成長にもつながるということで。

黒澤明の映画で「天国と地獄」というのがありましたが、これは白黒映画でしたが、最後の方で映画の鍵になるシーンだけがカラーで、その対比が強烈なインパクトを与えていました。

この映画は、こどもの誘拐がテーマの犯罪物です。三船敏郎と山崎努の善悪の2極に別れて対決するすごい映画でしたが、この映画がきっかけで刑法が改正されて誘拐事件の罪が重くなったと言われています。

そういう誘拐事件というのが、最近はめっきり聞かなくなりました。世間が多様化して、犯罪者はさらに深く潜行して姿を見せない形か、あるいはまったくの行き当たりばったりのものになったように思います。

前者の代表は振り込め詐欺、後者の代表は無差別殺人でしょうか。誘拐事件は一般にリスクが高く割が合わないと言われていましたが、その理由は金を受け取るために必ず犯人は姿を現す必要があるためです。

黒澤映画の中でも、犯人は必死に姿を出さないためのいろいろな工夫をしていました。もともと犯罪ですから正義などないのですが、昔の犯罪はある意味正々堂々と行われていたのかもしれません。

個人情報を声高に叫ぶ現代人は、匿名性ばかりが突出しより犯罪を、それも陰険な犯罪を起こしやすい環境を作ってしまったのかもしれません。

無差別殺人事件も、社会の弊害から来る病的な心の問題を掲げて犯人を正当化するような論評も見受けますが、精神疾患であれば罪を問えないというのは、いまだに納得がいかない話です。

通常精神状態がまともなら、人を殺したりはしないわけで、その時は犯罪者はすべて精神異常になっていると思います。

話を誘拐事件に戻すと、うちにもこどもが3人いるわけで、何となく誘拐されたらどうしようみたいなことは考えたことがあります。身代金を要求されて、数百万円くらいなら何とかなるでしょうけど、数千万円なんて言われたらアウト。

そうなったら、すぐに警察に頼むしかありません。さすがに、こどもたちももうだいぶ大きくなったので誘拐されるようなことは無いとは思いますが、より複雑になった犯罪に巻き込まれたりしないとは限りません。

正月に年始参りをするような習慣、言い方を変えれば近所の顔が見えるお付き合いみたいなものが、少しずつ戻ってくるような社会がいいんじゃないかな、と新年早々考えているのでした。