2009年4月14日火曜日

告白

医者、特に外科系の踏み絵としてよく使われる会話の話。

ある患者さんに対して、手術を勧めるときに、「もしも自分の家族だったら、その手術を勧めますか?」というのがあります。

正直に言いますと、過去にやった手術の中には、自分の家族にはやらないかもしれないけれども、自分の興味を満たすため、学会活動のためなどの理由が優っていた手術があったことが確かにあります。

もちろん、やってはいけない手術をしたことは一度もないと断言しますが、手術以外の方法もあったのに、あえて手術を選択したということです。

当然、患者さんには「手術以外にも××な方法もありますが、手術の方がよい結果が出ると思います」というような説明になっていたと思います。手術をしたくてしたくてたまらない医者にとっては、他の方法は価値が無いもののように思っているものなのです。

フェアな気持ちで、いろいろな治療方法を提示できるようになったのは、けっこう最近のことかもしれません。でも、そういうかなりアグレッシブな姿勢が、まったく悪いと言うことはないと思います。

もちろん、手術を失敗していたら駄目ですが、いろいろ積極的に物事にかかわっていく姿勢は、そこから新しい何かを生み出す原動力になっていくと思うからです。

ある意味では、まだいい時代だったのかもしれません。今では裁判になった時の保身を考えて、いろいろ説明し、何枚もの承諾書を書いて、大袈裟に言えば本当は何のために手術をするのかも見失ってしまうような世の中になってしまいました。

これは、手術に限らず医療全体に言えることかもしれません。戦争が医学を進歩させる原動力であったことは間違いありません。どこかで、患者さんを「犠牲」にしている部分が無いとの言い切れないのです。