2009年5月5日火曜日

Petrushansky / Shostakovich Piano Works

ゴールデンウィーク・スペシャルで、やたらとマニアックなクラシック・ピアノ全集紹介特集をしている「あすなろの木の下で」です。と言うか、ずっと某所にこもっている関係で、まったく新ネタがないもんでスミマセン。

さて、ちょっとピアノの歴史の復習、自分用のメモみたいなものですがお付き合いください。

バロック期にはヴィバルディ、ヘンデルは華やかな管弦楽曲や宗教曲がほとんどでしたが、J.S.バッハは多くの鍵盤曲を遺しました。当時は鍵盤楽器といえば当然弦をひっかくチェンバロか、空気を送って鳴らすオルガンということになります。

18世紀後半、古典派の時代には弦を叩く仕組みが出てきて、音の強弱をつけることができるようになりフォルテ・ピアノ(強弱)という名前で呼ばれるようになりました。

ハイドンはチェンバロ用とフォルテピアノ用のソナタを多数のこしました。モーツァルトになると、最初はチェンバロ主流だったようですが、しだいにフォルテピアノにはまっていきます。

ベートーヴェンは最初は61鍵のものを使用していましが、しだいに68鍵、73鍵と増えていき、それに伴って作曲の音域が広がり音の分離も良くなっていき曲の壮大さが増していきます。シューベルトもこれらの機能拡大により、すぐれた曲を遺しました。

そして19世紀になりロマン派の時代になると、現在のピアノの形がほぼ完成します。そして登場してくるのがショパン、シューマン、リストです。ショパンはピアノの持てる表現力を完成させ、シューマンは芸術性、そしてリストは技巧力を突き詰めることになりました。

その後の作曲家はピアノの利用を抜きでは考えられないような状況になりました。また、19世紀なかばからは音楽そのものがヨーロッパの各地域で独自の発展をとげるようになっていくわけです。

と、無理矢理話を一度おさめておいて、話はいきなりショスタコーヴィチに移ります。

ショスタコーヴィチは20世紀のロシアの作曲家であり、戦争や生死などの重いテーマの交響曲と弦楽四重奏曲において多大な功績をのこしたと言われています。しかし、もともとピアニストであり第1回のショパン国際コンクールにも出場しているのです。

実際彼のデヴューは自身の1926年のピアノソナタ第1番であり、ここでは現代音楽らしいなんとも難解な音があふれているのです。しかし1933年にショパンにインスパイアされた「24の前奏曲」を発表。ここでは現代風の味もあるものの、調性音楽の枠組みにあり評価も高い。

しかし1943年のピアノソナタ第2番の不評で、ピアノ曲の分野についての自信を失ったようです。そして1950年に第1回国際バッハコンクールの審査員になり、優勝したタチアナ・ニコラーエワの演奏にふれたことで、ふたたびピアノ曲の作曲に意欲を持ちます。

バッハの「平均律クラーヴィア曲集」にならって、全ての調性を含む壮大な曲集として完成した「24の前奏曲とフーガ」は1952年にニコラーエワによって全曲初演されました。

ショスタコーヴィチがいなければ、交響曲と弦楽四重奏曲の歴史は途絶えていたと言われますが、無調性の現代曲は作曲者・演奏者の自己満足でありまったく楽しめない自分にとっては、ピアノ曲についてもショスタコーヴィチによって20世紀に生き延びたと思えるわけです。

ニコラーエワの演奏が決定版であることは間違いなく、これを聴かずしてどうするという感じではありますが、残念ながらニコラーエワはショスタコーヴィチのピアノ曲全体を網羅していません。アシュケナージもアルバムを出していますが、取り上げているのはごくわずか。

全てのピアノ独奏曲を聴くことができるのは現在ほとんど唯一と言えるのが、ペトルシャンスキーの独奏曲全集です。ペトルシャンスキーは20世紀のロシアピアノ曲のスペシャリストとして有名で、ここでも実に堅実に、情緒に流されすぎない演奏を聴かせてくれています。ただ、音のカタログとしてはいいのですが、内容的にはなんか物足りない感じがします。

う~ん、やはりニコラーエワで全集を聴きたかったですね。