2009年10月31日土曜日

インフルエンザワクチン状況

10月も今日でおしまい。あっという間に季節が移り変わって、明日からは11月。すでに年末年始の当直バイトの予定も決まってしまいました。なんか、一年中時がたつのは早いと言っているような感じです。

今年は4月の末から、新型インフルエンザに振り回されっぱなしで、いまだに確定的なことがわからない。おかげで季節性インフルエンザのワクチンについても、もう不確定はなはだしいこと。

とにかく、新型の突貫生産の関係で、季節性のワクチンの生産量が減少して各医療機関へは前年の実績の7割程度となっています。それも、ちょっとずつしか入荷してこないので、もうはらはらしっぱなしです。

うちのクリニックでは、予想される入荷量より少な目の通院患者さんに限定の予約制としましたが、9月中に予約は一杯で、新規の予約は受け付けていません。いまだに問い合わせの電話はじゃんじゃん来ますが、すべてお断りしているという状態です。

予約したが家族に回したいというような申し出もありますが、かかりつけなのにお断りした方へ申し訳ないので、一切お受けしていません。また実際にキャンセルが出ても、本当にワクチンが足りるのか不透明なため追加の予約も受け付けることができません。

こんな状況ですから、いろいろお叱りを受けていすが、何卒ご理解いただきたいと考えています。

予約をしている方には、当日ワクチンの在庫があるか是非お問い合わせの上来院していただきたいと思います。

2回接種で予約された方で、まだ1回目を行っていない方がいますが、できるだけ早く1回目を済ませて下さい。2回目は3~4週間あけて行いますが、そのころ風邪などをひいていると延期することになります。場合によっては、2回目が出来なくなることがありますので、ご注意下さい。

新型インフルエンザのワクチンについては、当院では最優先グループである関節リウマチ患者さんに対してのみ行う希望を出してあります。しかし、実際のところ、希望通りの供給があるという見込みはなく、入荷がゼロということも十分にあると考えられます。

ワクチンは来るのか来ないのか、来るならいつなのか、どのくらいの量が来るのか、まったくわかりません。従って、実際に手にしない限りは、何もアナウンスできないという状況は、1ヶ月ほど前と変わっていないのです。

最優先グループの患者さんには、「最優先接種者証明書」というのを発行できることになっていますので、もしも11月半ばまでに入荷してこないようであれば、当院に通院加療中の関節リウマチの方には、証明書をお出しするような対応が必要になってくると考えています。

いずれにしても、ワクチンを待っている方には大変ご迷惑をおかけしていますが、このような状況であることをご承知おきください。

とりあえず、10代の感染者が圧倒的に多い割には、それ以外の年代の発生が異常なほど少ないというのは事実であり、また死亡率も季節性インフルエンザと比べて多いわけではないということは間違いありせん。通常の予防対策・・・うがいと手洗い、そして人ごみでのマスク着用・・・をしっかりとってください。

2009年10月30日金曜日

圓樂死去

五代目圓樂が亡くなった。76歳だそうです。

師匠は六代目三遊亭圓生。弟弟子に三遊亭圓窓。弟子には三遊亭楽太郎。

無骨な落語で、圓生の弟子としては艶がなく、地味な落語家だと思う。性急に喋ろうとすると、時にどもることもあった。

明治の圓朝、師匠の圓生から伝わる三遊亭の人情噺をなんとか守らなくてはいけないという立場にあって、おそらく本人は相当努力を強いられたことだと思う。

落語協会騒動の時も、圓生について三遊協会旗揚げに尽力しかけまわっていた。

あまり熱心に高座を直に見ない、中途半端な落語ファンの自分だが、圓樂の落語は生で見たことがある。さげがわかっている当たり前の落とし噺ではあったが、これがおもしろい。

落語はしゃべりだけでなく、仕草や、そのタイミング、いろいろな要素が関係している。圓樂は器用な噺家ではないが、確実に聴衆を楽しませるつぼをおさえていたのだと思う。

明治を受け継いだ圓生、志ん生、文樂、正蔵、金馬、小さん。そして次の世代として名をはせたのが、志ん朝、圓樂であり、あと残っているのは談志と小三治くらい。

今は落語はちょっとしたブームと言われているが、もう明治から昭和の落語を語れるものは皆無である。残念であるが、時代の流れであるから受け入れるしかない。圓樂の死によって、落語はさらに一歩、廃れゆく文化としての古典芸能となった。

合掌。

2009年10月29日木曜日

新生たまプラーザ

そういえば、先週のローカルニュースとしては忘れてはいけないのが、たまプラーザ。駅ビルが完成し、TAMA PLAZA TERACEとしてオープンしたことです。

部分的には完成していたのですが、全面オープンは10月22日。10月19日にプレオープンで東急お得意様だけが入場できるということで、早速・・・

いえ、うちの長女が偵察に行ってきました。でもって、写真をいただいてブログのネタにするという、楽している父親です。

とにかく、どこかの空港かい、と聞きたくなるような感じですね。東急も力を入れています。次男も、すでに見て回ったようで、期待の一風堂のラーメンも早くも食べてきたようです。

駅舎となっている中央と、南側のサウステラス、そして今までの東急SCがノーステラスということで、巨大なショッピングスペースとなるわけです。

・・・わけですが、やはり地下鉄が隣のあざみ野に行ってしまったのが痛い。あざみ野は、どう考えても発展性が乏しい。たまプラーザを今更大きくしても、田園都市線1本では寂しさはついて回ります。

いろいろな横浜市と東急の戦いがあったようですが、たまプラーザをとおって新百合ヶ丘まで地下鉄が通っていたらと悔やまれることしきりです。

2009年10月28日水曜日

喋り

今日は久しぶり、本当に久しぶりに一日中喋り続けでした。

医者の仕事は、実際にやっていることと言えば、ほとんどが喋りです。朝から晩まで、独演会みたいなもんです。

この喋りというのは、本当に疲れるんです。一般の方で、いくら話し好きの方でも、医者ほど喋り続けることはないと思いますよ。

喋るというのは、呼吸のうちの息を吐く方の連続ということです。人は酸素を吸い込んで、二酸化炭素を吐くことで呼吸をしているわけです。喋り続けていると、体の中の二酸化炭素が欠乏してしまい、ぼーっとなってくる。

時々、ゆっくりと深呼吸をして、二酸化炭素を少し体の中に貯めていかないと、意識を失ってしまいそうです。

パソコンの来院者リストを見て、ここで一区切りつきそうだと思っていて、区切りの患者さんの診察をしていることがあります。

今日はその患者さんが終わると、また1人来院されているという状態でした。なかなか休憩するタイミングがなく、けっこう消耗した感じでした。

患者さんがまとまって来院された場合は、どうやっても待ち時間はでてしまうわけで開き直ってやるしかありません。ところが、ポツンポツンと患者さんが来る場合には、1人に使う時間ものんびりペースになるので、気が付くと結局待ち時間が多くなってしまうことがしばしば。

とにかく、専門用語をできるだけ使わず端的に説明していくことを心がけていると、やはり喋りの量ほ減らすわけにはいきません。二酸化炭素が減っていくのも、医者としては歓迎すべきことなのかもしれません。

2009年10月27日火曜日

たまプラーザ べこ亭

たまプラーザから犬蔵に行く道、というとかなりローカルな話題ですが、この道が昨年だったかきれいになって、くねくねしたていたのも整理されました。そして、途中にできたのが「高級」焼き肉の店、べこ亭です。

去年の夏にもお邪魔しましたが、今回も都筑区の整形外科開業医と昭和大学北部病院整形外科との親睦会ということで利用させていただきました。

より専門性で話題も共通のことが多く、お互いに顔が見える関係を作ると言うことでより連携をとりやすくするということで意味のある会でした。

病院は患者さんの多さで大変な思いをしており、開業医はそのあたりをできるだけカバーして、病院の先生には入院が必要な患者さんの治療に専念してもらうことが大事です。

ところで、べこ亭は・・・というと、はっきり言って自分は苦手。

なんでかというと、あまりに肉が霜降りなんです。霜降りが高級という感覚がわからない。ほとんど油ですから、肉が軟らかいのではなくて、油でやわらかいだけ。

年を取ると胃にこたえます。油のないミノを追加してしまいました。まぁたまにはいいかもしれませんが、オージービーフの方が妙に安心というのは本音です。

2009年10月26日月曜日

リウマチ新診断基準

今日は朝から冷たい雨が降り、風も強くて日中も気温が上がらず、超ぅ~うぉ~う、閑でした。スタッフは、日頃できないいろいろなところの整理や掃除に精を出してくれましたので、たまにはこんな日もあってもいいかと思います。

さて、日頃からリウマチ診療を行っていて、いつも感じていたのは、1987年に作られたアメリカリウマチ学会の分類基準が、20年以上だってもいまだに診断の要になっているのは如何な物かということでした。

この間に、メソトレキセートという画期的な内服薬の登場、さらにその上をいく生物学的製剤が普及。検査ではMMP3や抗シトルリン化ペプチド抗体の測定、画像診断でもMRI検査や超音波検査が用いられるようになり、いかに早期に病気を発見し確定するか、そしていかに早期に寛解状態(治癒に近い状態)にもっていくかが専門家の間では焦点となっている昨今です。

しかし、根拠のある医学(EBM)の元では、すでにかびを生え始めた20数年前の基準を満たしていることが求められてきたのです。どう考えても時代のニーズにマッチしていないのは歴然としていて、これではハードルの高い現在の治療目標を達成することは困難でした。

実際、自分も日本リウマチ学会が作成した早期基準をもとに診断を考えるようにしているわけで、過去の基準はほとんど使うことはありませんでした。その早期基準も完璧とはいえず、必ずしも高い精度があるとは言えませんので、日本でもより早期に高い確率で診断を確定するツールの模索が始まっています。

そこへ、ある意味衝撃的なニュースが飛び込んできました。今、アメリカではアメリカリウマチ学会(ACR)が行われているのですが、ついにその場でヨーロッパリウマチ学会(EULAR)と共同で新診断基準が発表されたというのです。

やっとリウマチ学の総本山が動いたと言うことも驚きですが、ヨーロッパと共同というのも凄い話です。最近は、ヨーロッパの学会の方がいろいろな新しい波を敏感に感じ取った動きが目立っていて、リウマチ学の中心がアメリカからシフトしている印象を持っていました。

ですから、アメリカの学会もヨーロッパを無視することはできなくなったのでしょうか。日本人には欧米人とは違ったリウマチの特徴が無いわけではないので、日本の学会もここに混ざっていたならさぞかしよかったと思います。まぁ、これから日本人に向けたローカルルールなどが見当されていくことになるのでしょう。

さてこの新しいACR/EULAR基準の最大の特徴は、これまで画一的に項目の数だけで判定したのに対して、項目の中に点数制を導入し、疑わしい項目に対して比重の重さ軽さの考え方を取り入れたことにあります。

従来、リウマチ結節という項目がありましたが、病初期から認めることは希で、何で基準に入っているのか疑問を感じていました。また、朝のこわばりというのも有名な言葉になってしまいましたが、ある程度疾患とは関係なく感じる症状なので特異性は低いのです。

今回はこのような不確実な項目が排除され、自分としても比較的納得できる形に整理されたと思います。新基準では関節病変(0~5点)、リウマチ因子及び抗シトルリン化ペプチド抗体(0~3点)、滑膜炎持続期間(0~1点)、炎症マーカー(0~1点)の4つの項目に集約され合計10点のうち6点以上を確定とするなりました。

しかし、症状である関節病変を一番点を多くしたことは理解できますが、その中身を「腫脹または疼痛」としたことはちょっと残念。疼痛だけと腫脹もあるのでは、疑い方には相当な差があることはリウマチ診療に携わっていれば、誰でも感じていることだと思います。

その点を病変関節の数で補っているようなのですが、このあたりは早期の患者さんの取りこぼしがないようにという意図が入っているのでしょう。ただし、その分誤診を生じる余地になってしまうのではないかと危惧します。

逆に、これまでどんなに疑わしい腫れ方をした関節を見ても、それが一カ所しか無い場合は診断を確定することはできなかったのですが、例え一カ所でも診断を下すことができるようになったことは意義深いことだと思います。

これから、実際にいろいろな臨床の場で、この新基準の妥当性が討論されていくことになると思いますが、より現状にそくした使える基準が発表されたということは間違いなく、臨床の現場としては歓迎したいと考えます。


中・大関節:肩関節、肘関節、股関節、膝関節、足関節
小関節:MCP関節、PIP関節、第2~第5MTP関節、第1IP関節、手関節
血清学的因子:陰性=正常上限値以下、陽性・低力価=正常上限値の1~3倍まで、陽性・高力価=正常上限値の3倍より大
滑膜炎持続期間:評価実施時に存在する滑膜炎に関して、患者自身の報告に基づく滑膜炎症状(疼痛、腫脹、圧痛)の持続期間
炎症マーカー:正常/異常の基準値は各施設で採用しているものに準ずる

2009年10月25日日曜日

Windows 7

先週は、インフルエンザでばたばたしていましたが、実は個人的には大変興味を持っていることがあったんです。

Windows 7の発売です。まぁ、マイクロソフトの商売はなんだかんだといわれますが、実際遊びだけでなく業務でもWindowsを使い続けているわけですから、OSのバージョンアップには敏感になります。

今のWindowsの実質的な歴史はVer.3.1から始まったと言えるわけです。Ver.1は見たこともありません。Ver.2はMS-DOSという古典的なOSの上で動くアプリケーションで、やたらの重くなるだけのプログラム・ランチャーでしかありませんでした。

そしてVer.3でやっと、Windowsらしい動きがでるようになって、Ver.3.1で使えるものになったと思います。インターネットが一般に使われだしたのもこのころ。

真のWindowsはその次のWindows95からと言われるのは、Win95が初めてOSとして存在し、互換性維持ためにMS-DOSは形だけ内包されるようになったからです。

次のWindows98では、インターネットが強化され、まさに誰もが使う形が整ったといえます。と、同時にWindowsNTという、業務用のセキュリティを強化したMS-DOSを完全に 排除したOSが登場し、Ver.3から4になって、こちらも使えるものになっていました。

このNT系の進化、つまりWindows2000に力を注いでいたマイクロソフトは、一般向けのWindows98はWindowsMeというマイナーチェンジでお茶をにごしてしまったのです。このようなソフトをとりあえずのつなぎという意味で、ブリッジングソフトと呼ぶわけです。

そして、NT系と98系を統合した形で完成されたのがWindowsXP。はじめはWindows2000に比べて、安定性が悪いとか動きが重たいとか言われていましたが、少なくとも現時点では大変成熟したOSとして高い評価を与えることができると思われます。

そしてマイクロソフトは2007年に大いなる自信をもってWindows Vistaを世に送り出したわけですが、これがまったく受けない。見た目の華やかさはあるものの、そのためにOS自体が肥大化しすぎて、とにかく動きが悪すぎる。

ハードの性能に依存しすぎて、一般が使うクラスのパソコンではとても実用的ではありませんでした。自分も一台購入して、あまりのひどさにあきれてしまいました。そのパソコンは、無理やりサポート外のXPへのダウングレードをしてなんとか使っています。

マイクロソフトとしては残念ながら、一般からはブリッジングソフトの扱いを受けることになってしまいました。OSの不評は、ハードの売れ行きにも大きな影響を及ぼしました。

長々と書いてきましたが、その反省の元に完成したのがWindows 7というわけです。前評判では外見的にも機能的にもVistaの多くを踏襲しているものの、動きが軽くなって、使いやすくするための機能強化が随所にあり期待度は高まります。

というわけで、今回は早速購入してみました。クリーンインストールで、とりあえず使えるようにして、今日は一日いろいろいじってみました。全体の印象としては、確かに悪くない。

もちろんハードがよくなっているわけですから、当然といえば当然ですが、一見地味な感じがするものの、ちょっとした使い勝手が向上しているというところでしょうか。ただ、これでXPのサポートも近々終了ということも発表されているので、なかなか思いは複雑です。

ただ、このインストールで実はだいぶてこずった。すでにVistaが入っているパソコンに対して、アップグレードという形で導入するパッケージなのですが、途中でミスをしたらしく、ブルースクリーンの連発となってしまいました。

何回も出したり入れたりで、こりゃもうハードを修理に出すしかないかと思いました。結局、認識できないデバイスの関係だったようで、これを強制的にオフにして何とか事なきを得ました。

いゃ~、パソコンメーカーのサポートディスクが、届いてからにすればよかったと思いましたが、おかげでWindows 7のいろいろなところが勉強になったところもあって、まぁよしとしましょう。

2009年10月24日土曜日

ひとつ、ふたつ、みっつ、腰痛

最近、やたらと若い腰痛の患者さんが多いような気がするのです。

自分がクリニックを開いている横浜市都筑区というところは、住民の平均年齢が若いことが特徴。クリニックの患者さんの年齢も40歳代~50歳代が中心という、整形外科開業としては経営的に大変苦しいわけです。

まぁ、そんなわけで、高齢者の腰痛は背骨の変形が進んでおり、治るか治らないかと聞かれれば、根本的に治ることはないと言わざるを得ません。それに対して、若い方の腰痛は背骨を支える筋肉に原因があることがしばしばあります。

こういう場合は、負担をかけすぎて背筋が悲鳴をあげているか、運動不足で背筋が弱くなってきているような場合が想像できるわけです。

よく「ぎっくり腰」と言いますけど、中には神経症状を出して、ほっとけないものがありますが、ほとんどは筋肉性の痛みです。数日間は痛みが強いのですが、1週間くらいでたいていはおさまります。

ですから、治療は1に安静、2に安静、34も安静、5に安静。痛み止めの内服薬や外用薬を適宜使用して、落ち着くのを待てばいい。痛みが強い人や、どうしても動きたい方には簡易コルセットの着用を追加します。

1週間して痛みが残っていたら、再診してくださいとお願いするのですが、まぁほとんど再診することはありません。あそこに通っても治らないと思われてしまったのかもしれませんが、やはりほとんどの場合はおさまってしまうんでしょう。

それはそれでいいわけです。もっとも、だから経営的に辛いところではあるわけですが、お話しした予想の通りに痛みが遠のいてくれればクリニックの信用にもつながるわけです。

ただ、そういう患者さんには、腹筋とか背筋の筋力アップのお話をすることが多いのですが、痛みが取れてから運動をしてくれているのか気になるところ。実際には、なかなかトレーニングをする方は多くないのではないかと心配しています。

自分が患者だったら、痛みが取れればそれでいいやと思ってしまいそうです。医者がそんなことを言ってはいけないのですが、実際のところ現役の社会生活をバリバリにしている世代では、いろいろなことで忙しくてなかなか自分の健康管理には手が回らない。たいていの腰痛では、死ぬことはありませんからね。

でも、何度も腰痛を出しているようじゃ、10年後、20年後が心配ですから、何とか自分の体力に過信せず、健康を持続できるように努力してもらいたいと思うわけです。

2009年10月23日金曜日

実在した幻のワクチン

横浜市では、本日やっと新型インフルエンザワクチンが届きました。

あるあると言われて、ずいぶん時がたち、もはやこの世には存在しないのではないかとさえ思えていました。その幻のワクチンがやっと手に入ったのです。

が・・・なんか、どれだけくるのか、いつくるのかもわからないうちに届いたというのも気になります。余っても、キャンセルの仕方が公表されていません。

あまりのめんどくささに、接種をとりやめたいと考えている医療機関も多いようです。

だいいち、医者で感染したという話をほとんど聞きません。発症したこどもの親が感染したという話も、きわめて少ないように思います。どういうことなんでしょうかね。

左の通常の季節性インフルエンザワクチンと違うところは、パッケージカラーがピンク。そして、まるで危機感をあおるようなパンデミックワクチンという文字。

まずは医療従事者用ということで、クリニックはどこでも一律8人分が配布されました。8人以上の接種対象者がいるクリニックでは、どうするんでしょうか。接種するスタッフと、しないスタッフを区別するのは難しいですよね。

この後の患者さん用のワクチンについては、あいかわらずいつ入荷するかはまったく不明。いつまでたってもアナウンスができない状況にはかわりあのません。

ふぅ~。

2009年10月22日木曜日

オリオン座流星群

オリオン座というと、どこか場末の名画座でありそうですね。

昔、渋谷の駅前、今のビックカメラがあるところに全線座という名画座があって、ロードショー公開の新作が700円くらいだった時に入館料は100円だったと思います。

おっと、話がそれてしまいました。

流星群です。この数年、なんちゃら流星群というのが、しばしば話題になるようになって、ちょっとした天文マニアが急増したようです。

オリオン座流星群も、随分と有名になりましたが、今年は10月20日ごろから特によく観測できるという話です。

オリオン座は、首都圏のように夜空の星がほとんど見えない地域でも、ほぼ唯一観測できる星座。自分もこどもの時に、カシオペアと北斗七星、そしてオリオン座の観測を何かの宿題でやった覚えがあります。

そうか、40年くらい前は、それだけ東京でも見えたんですね。当時はスモッグがひどかったにもかかわらずです。

なのに、今の方が多少は空気がきれいになったように思いますが、かえって星が見えない。これは地上が明るすぎるからでしょうか。とりあえず、オリオン座だけは今でも大変わかりやすい。

昨夜は午前3時頃に目が覚めたので、ベランダに出てしばらく東の空を眺めてみました。雲一つない快晴の夜空で、くっくりとオリオン座が見えていましたが・・・

う~ん、流れ星はわからない。近視で乱視で老眼じゃ、じっと見つめているのも疲れるってものです。かぜをひいては大変なので、トイレに行って寝ちゃいました。

今夜も目が覚めるようなら、もう一度挑戦してみます。

2009年10月21日水曜日

知らないことなんて山ほどある

そうでしょう。世界中の知識を得ることはできません。本当に、山ほど知らないことはありますよね。

自分が専門と思っていることでも、どうでしょう。たぶん、知っていることは知られた事実のうちのほんの一握りなんでしょうね。

テレビというのは、いらない情報を無理矢理押しつけてくるところもあります。しかし、時には、びっくりするような知らなかったことを教えてくれるのです。

昨日は「のどちんこ」の働きをテレビで見ることができました。おにぎりをたべる時ののどちんこの動きを、リアルタイムに画像で見せてくれたのです。のどちんこは身近な存在で、具体的な動きとか働きを気にしたことがありませんでした。

今日は脳を半分切除した少女の話をやっていました。脳を半分切除するということが現実に可能であるという事実も驚愕物でした。

自分が医学部に入った頃に、先生から言われたことを覚えています。「君たちは大変だね。私の頃から比べたら数百倍の知識を勉強しないといけないんだよ」と言われました。

でも、今の方が、もっと大変。指数関数的に知識は増大し、そのほとんどは「知らなければならない」知識となっているのです。自分が医学生だった四半世紀前から比べれば、今ではさらに何倍、いや何十倍にもなっていることでしょう。

自分はある程度専門分野だけに注意を払っていればいいわけですが、まだ専門が確立していない若い先生はさぞかし大変でしょう。

そうは言っても、自分が専門に選んだ関節リウマチは、広い医学の中でもとりわけ進歩が激しい分野。もう、正直言ってしんどいものがあります。なんで、こんなに進歩するのか。患者さんにとっては福音が増えていますが、医者にとっては・・・まぁ、そんなことを言ってもしょうがない。

医学以外でも、同じようなことはいっぱいあるでしょう。デジタル社会の急速進展を考えると、いわゆるITと言われているジャンルも大変でしょうね。自分が知っているころ・・・つまりBASICとかPASCAL・・・からすれば、すごい量の知識が必要なんでしょう。

ですから、いつも思うことは、知らないことを知らないと言えることが本当に大事だということです。

とにかく、テレビも使いようによっては、自分の不足を補う効果的な道具だということは間違いないようです。

2009年10月20日火曜日

昭和の名曲

今夜の「とくばん」のスペシャルは、昭和の名曲・平成の名曲と題して、とにかく楽しみました。昭和の名曲として出てくる曲のほとんどが、歌えてしまうのでした。

自分は昭和30年代は小学校前でしたから、ふつうならあまり歌謡曲などしらないはず。ところが、亡くなった父が歌謡曲が好きで、当時8トラックといわれていた4曲入りのテープが家にいろいろありました。

黛ジュン・小川知子・伊東ゆかりという当時のアイドルが、よく家ではかかっていたんです。おかげで、随分音楽好きの基礎が身についたのかもしれません。

昭和40年代半ばからは中学生。この頃からは自分の意思で好きなものを聴くようになって、クラシックとかロックとかを聴くようになりました。

でも、天知真理とか浅田美代子のアルバムも買った覚えがあります。さらに小林幸子の「思い出酒」のアルバムとか、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」のアルバムなんかも買って、行きつけのレコード屋さんの店員さんにびっくりされたこともあります。

高校生になるとロックからジャズにはまりだして、しばらく日本語の唄からは遠のきました。

大学に入って、医師国家試験が近づいた昭和50年代後半から、医者になって世間を見渡す余裕のない平成はじめまでは、どんなヒット曲があったのかすっぽり抜けてしまいました。尾崎豊が死んだって、「誰それ」という状態でした。

平成の歌は、聴いたことがあっても自然と歌える歌はほとんどありません。大人になったからということだけではなく、興味の対象が他にもいろいろあったからなのかもしれません。

でも、人の心に染みいっていく歌が減ったということもあるんではないでしょうか。使い捨ての歌が増えて、本当に未来に残っていける曲は本当に少なくなったのかなぁと思います。

2009年10月19日月曜日

あすなろ海水魚館 めげてます

今日は悲しいお知らせ。カクレクマノミのペアが☆になりました。

うちにやってきてちょうど一ヶ月。沖縄からやってきた天然物で、最初からペアになっていて、ころころしてかわいかったんですけどね。

原因ははっきりしていて、白点病です。先週はじめから、体にちいさな白い点が見え始めていて、半ばには夕方体中にひろがっていました。

次の日の朝には消えていて、錯覚かしらと思っていたら、また夕方から白い点々が目立つので、これは間違いないと思っていたのです。

でも、そう言われてみるとその前の週にはサンゴ砂に体をこすりつけるようなところを何度か目撃していたんですよね。このあたりから発病していたんですよね。

そこで、先週後半に、一生懸命水替えをしたり、水温を上げたり、塩分比重をさげたり、高栄養の生き餌を与えたりといろいろやっていたんですが、今朝2匹とも並んで死んでいました。

これは、さすがにめげまくりです。海水魚飼育の難しさが本当に身にしみます。海水魚飼育と白点病との戦いはほとんど同義語という人もいるくらいなんですね。

白点病が発症した原因は特定することは難しいのですが、いろいろ調べてみると、良くないと言われていることが山ほど思い当たります。

環境の変化は当然ある。あとから魚を追加し続けていることも、ストレスになっている。後から入れたものの何かが、白点虫を持っていたかもしれません。

掃除をするときにサンゴ砂をかき回して、中に潜んでいた白点虫を活性化させてしまったかもしれません。餌を食べるのが不器用なベニゴンベのために、餌が多めになっていましたので、水質が急速に悪化していたかもしれません。

さすがに、すぐに次にチャレンジするわけにはいきません。2週間程度様子を見てから考えます。次は養殖物にしたいと思います。天然に比べて、水槽環境への適応力があって丈夫と言われているのです。

患者さんも、すぐにカクレクマノミがいないことに気がついて、心配してくれました。それにしても、一ヶ月間で、カクレクマノミ2匹、イソギンチャク、キンギョハナダイと立て続けに死なせていては、さすがにまずいですよね。なんのために飼っているのかわからない。まだまだ勉強が足りないようです。

2009年10月18日日曜日

MiChi / UP TO YOU

最近、めざましテレビ(我が家ではず~っと、朝はこれ)で随分と応援しているので、MiChiなるアーティストを知ることになったわけです。

テレビで見ていると、イギリス人と日本人のハーフで、それなりに美しい女性でいらっしゃる。でも、この手の歌手にしては比較的地味な印象を受けました。

たまたま今ヒットしているシングル曲がバラードで、しっとりとした味わいがあるためかもしれませんが、外見的にもおとなしいお嬢さんというイメージ。

ところが、アルバムを聴いて印象が、ガラっと変わりました。

かなりモダン。かなりハード。かなりきわどい。

けっこう盛れてる。音だけ聴いている、かなりパンクなセクシー系の歌手を想像してしまう。

というわけで、もちろん若者にはうけることは間違いない。

・・・が、しかし。やっぱり、おじさんにはちょっとしんどい。これで、のりのりでドライブというのはちょっと辛い。

2009年10月17日土曜日

Let's 医師会 10月

昨夜は医師会の理事会。クリニックの診療が終わって、夜の7時半から始まって、終わったのは10時過ぎ。

正直言って疲れます。もうちょっと、てきぱきやれば9時半には終われるのに・・・

とは言え、てきぱきできない最大の理由は言わずと知れた新型インフルエンザのワクチンの問題です。おぽろげに見えてきましたが、まだまだ不透明なことが多くて、確実な情報が少ないのですから、この話題に関連した話になると遅々として進まなくなってしまいます。

また、ここに来て2回接種としてきたものが、1回にするというような変更もあり、相変わらず現場は混乱し続けているわけです。

まぁ、それはともかく、自分としては与えられた仕事を粛々とこなしていくしかないわけです。

最近やっていることは、来年の2月に行う市民向け危機管理講演会の企画。区役所との共同開催ですので、区役所の関係の方と話し合いをしながら進めていますが、なかなか講演者が決まらない。

今回は新型インフルエンザ関連の話を考えています。ずばり、タイトルは「かかった方も、かかっていない方も・・・新型インフルエンザの真実と嘘(仮題)」というのを考えています。いろいろな情報が錯綜しているので、しっかりと整理して本当に大事なことを伝えたいと考えています。

そして、もう一つも新型インフルエンザ関連。これも区役所とのからみですが、今度インフルエンザでパニック担ったときの医療体制に冠する訓練を行うことになりました。8月から何回か区役所と会議を重ねてきて11月末に、ついに訓練を行う運びとなりました。

明日は区内の医療救護拠点での防災訓練がありますが、これは近くの先生にお任せして、久しぶりの「日曜日」とさせていただきます。

でも医師会でやっている休日診療所は、とにかく発熱患者さんで大混雑で、休みの日にもかかわらず当番で出ている医師会員の内科・小児科の先生は本当に大変です。

何とか増員をしたいので、理事会では他の科の先生にも協力を要請しようという話が出てきました。できることでは助け合っていきたいと思うのですが、どうなることかまだわかりません。

そんなわけで、整形外科医でも新型インフルエンザについては多くの関わりを持たざるをえない状況なのです。日本ではまだ数%の人しか感染していません。ワクチンをいかに速やかに効率的に接種していけるかが、本当に大事と考えられます。

神奈川県で死者はこれまでに2名ですが、いずれも都筑区。こどもが多いことが要因として考えられますが、とにかく関わりを持った医者としてはなんとかしたいと思う気持ちは誰でも同じ。

医師会に入っていない開業医の先生も少なからずいますが、こういう時にお互いに協力していくことが医者として大事だと思ってもらいたいと願っています。

2009年10月16日金曜日

あすなろ海水魚館 本日のベニゴンベ

いやぁ~、またまた、こんな話で申し訳ありません。

てせもね、ベニゴンベ君(ちゃん?)が、なかなか魅力的なんですよ。

こんな風に岩のところにちょこんと乗っているんですけど、目をきょろきょろさせて、周りを気にしています。そうかと思うと、なんか数秒間は一生懸命泳いで、またべつの場所で休憩。

ときにはパイプの間で胸びれを精一杯突っ張らして止まっているところなんか、もう応援したくなりますよ。

ところが、餌の時間になると目をぎらぎらさせて、これと決めたら一目散に上昇して海面に浮いている餌に食らいつきます。でも、力がもつのはそこまでで、またふぁ~と落ちていく。

しばらく、休憩して、また一直線です。なかなか頑張り屋さんです。

ずーっと眺めていても、けっこう厭きない魚です。カクレクマノミが主役の水槽ではありますが、かなり存在感があって目が離せません。

2009年10月15日木曜日

ハイネケン

今年の夏はあまり暑くなかったそうで、ビール類の出荷量は伸び悩み。

業界の方はさぞかし大変だろうと思いますが、大丈夫ですよ。少なくともうちでは、しっかり毎日消費していますよ。ただし、ビールは滅多にないので、たいていは発泡酒かリキュール類ですけど。

とは言っても、きょうはレギュラーののどごし生とカロリー気にするZERO(どっちもキリンですね)以外に、ハイネケンを用意しましたよ。

ハイネケンは、19世紀なかばにオランダ人のハイネケンさんが始めたもので、ドイツ系ビールなんですよね。

昔、学会でパリに行ったときに、レストランで注文するわけです。「ウィ、ムッシュ~、アン・ビア・シルブプレ」というとビールが出てきます。「メルシー・ボクー」と言って受け取ると、たいていハイネケンなんですよ。

パリではビールと言えばハイネケンなんでしょうか、誰か知ってますか?

香りがけっこうあって、喉越しがすっきりしているところがお気に入りなんです。しつこくないところが、フランスの料理に合っているのかもしれませんね。

ところでね、前菜のうちはガンガンビールが出てくるんですけど、メインが出るといくら注文しても、給仕の方はニコっと笑って帰って行くんですが、いくら待ってもビールが出てこないんですよ。

これって、なんだろうと思っていたら、どうもメインディナーになったらワインか水しか飲んじゃいけないらしいです。何も知らない外国人と思われたのかもしれません。まぁ旅は恥のかきすてということでいいんですけど。

とにかく、それ以来ハイネケンのファンになってしまいました。時々は飲みたくなるのでした。

2009年10月14日水曜日

あすなろ海水魚館 できてます

またまたで申し訳ありませんが、だんだんできあがってきましたよ。

魚がそれぞれ、自分の住み家を作り始めています。今日ご紹介するのは、ルリスズメダイのおうち。

カクレクマノミに邪魔にされながら、いつの間にか底砂にしているサンゴ砂を掘り進め、ミニ・アワビの貝を屋根として地下一階のマイホームを造りました。

これって。冗談じゃありませんよ。

だって、このトンネルを通る度にルリスズメダイは尾で砂をまき散らしたり、時には砂を口にくわえて出たりしていたんですよ。間違いなくお家の建設です。

ところが、ベニゴンベがときどき後ろからつつっいておどかしたりします。おかげで、底面においてあるフィルターがむき出しになってしまいました。

小さな小さなあすなろの海ですが、確実に命をはぐくむ世界になりつつあるのです。

ちなみに淡水魚館も、また掃除しましたよ。忘れてませんからね。

2009年10月13日火曜日

インフルエンザ騒動はまだまだ続く

今日の日中は、何となく夏の暑さを思い出すような暖かさでした。

でもさすがに10月半ばになってくると、一気に陽が落ちて、あっという間に夕方になります。そうすると風はひんやりしていて、季節を実感するわけです。

Dr.Mが書いていたように、都筑区の休日診療所は昨日は200人を超える発熱患者さんが受診して、もうてんてこ舞いだったようです。

それでも、新型インフルエンザに感染した人は、日本人では全国でまだ数%だそうです。横浜市北部地域では、もうかかっていない人はいないんじゃないかと思ってしまいます。

ところが、あまり医者がかかったという話は聞きません。医者だって人間ですし、まだワクチンが出回っているわけではありません。

自分でも、当直バイトで毎週のように何人ものA型インフルエンザ患者さんに接していますが、今のところは大丈夫。

特に抗ウイルス剤を予防投与しているわけでもありません。患者さんに近づくときはマスクをし続けています。あとではうがいをしています。手はしょっちゅうアルコール性の消毒液をつけています。

当たり前に言われていることをしているだけですが、確実に効果はあるんでしょう。

さすがに流行もピークにさしかかっているようで、簡易検査キットも品薄のようです。症状と経過だけで判断するしかないような状況も考えておかないといけないのでしょうし、場合によっては薬もなくて家でおとなしくしていてと説明するしかないかもしれません。

メディアでは重症化した方の話とか、亡くなった方がいるというような話しかニュースにしません。これでは、相変わらず不安をあおっているだけです。悪い話ばかりだけでなく、良い話もニュースにしてもらいたいものです。

そろそろ季節性のインフルエンザも出始めているようですから、もういろいろごちゃごちゃになっていくんでしょう。季節性のワクチン接種を希望している方は、早めに接種しましょう。例年のようにのんびりしていると、生産量が減少した季節性ワクチンは無くなってしまいますよ。

2009年10月12日月曜日

金目鯛の煮付け

魚を飼育しようっていうのとは裏腹に、魚を食べる話というわけです。

そう思うと鑑賞される魚と食べられる魚がいるというのも、なんか世の中の悲哀こもごもですね。

金目鯛というと、いわゆるスズキの仲間の鯛とは違う種類になるわけで深海魚ですよね。ですから水揚げ量が一定しないということで、かなり高価な魚のひとつ。

脂が乗っていて、一般には煮付けにすることが多いわけですが、たまに開きになっているのも見かけます。

煮付けにするときは赤い皮がぼろぼろになってしまうと、見かけが悪いですよね。

今回はテフロン加工のフライパンに皮を上にして、アルミ箔の落としぶたで15分ほど弱火で煮てみました。とりあえず、外見は上出来でしょうか。

あすなろ海水魚館 性懲りもなく

めげてばかりはいられない、というわけで、性懲りもなくさらにもう一匹。新人の登場です。縄張りを考えて、底層を主として住み家とする魚を選びました。

この赤いのがそれ、ベニゴンベという何ともあか抜けない名前です。目のふちが黒くて、なかなか愛嬌のある顔をしています。

浮き袋を持っていないため、泳ぎはうまくない。たいてい底や岩の上にちょこんと乗っかって休んでいるようです。

時々必死に泳ぎますが、せいぜい数秒間。パイプの隙間なんかに、胸びれを精一杯突っ張って止まっているところなんかは愉快です。

ただし、縄張り意識はそれなりに強いらしく、底層は俺のものだという感じなんでしょうか。小さい甲殻類は食べられてしまうかもしれない。

入れたときはルリスズメが突いて、邪魔者扱いをしようとしましたが、逆にどつかれて退散。カクレクマノミはまったく興味がないようで、意に介していません。とりあえずおさまりそうな雰囲気です。

問題は餌。カクレクマノミが水面の餌の大多数を食べ、水中に落ちていったものをルリスズメがかすめていき、底までいく餌があまりありません。

餌を撒きすぎると水質の劣化が進みますので、大量にぶちまけるというわけにはいきません。体力が消耗してしまえば、キンギョハナダイの二の舞になるやもしれず。

とにかく☆にしないように、注意していきたいと思います。

2009年10月11日日曜日

あすなろ海水魚館 めげません

そんなわけで、海水魚飼育という何とも得体の知れない深みにはまっていくような気がしている今日この頃ではありますが、めげてばかりもいられません。

もともとかなり小さめの20リットルくらいの水槽で準備して、2匹のカクレクマノミと1匹のオトヒメエビと1匹のイソギンチャクで開始しましたが、やはりこれではさすがに狭い。

急遽倍の水量の水槽を用意したわけですが、だとすると、もう少し魚を入れてみたいと思うのは人情。

とにかく、いきなり難しいものを入れても無理ですから、海水魚の紹介の本の各種類のトップにあるものを目標にしてみました。

そこでキンギョハナダイともう1匹、ルリスズメダイを購入。どちらも、それほど値段も高くなく入門者向けという感じです。ところが、キンギョハナダイは早くもアウト。

一方、ルリスズメダイは元気いっぱいです。抜けるような青さが美しいので、何匹がいると水槽が華やぐとは思いますが、これがまた縄張り意識の固まりのような魚なんですね。2匹いれるとどちらかが死ぬまで戦うそうです。

カクレクマノミには、時々追いかけられていますが、すばしっこいので大丈夫のようです。ちなみに、こいつは♀。尾びれの先まで青いのが♂だそうです。

2009年10月10日土曜日

あすなろ海水魚館 不安が一杯

淡水に比べると、海水はほんと大変です。

淡水は落ち着いていて、最初5匹いたラスボラが3匹に減りましたが、その後はほとんど問題はない状態です。

1週間に一度くらい水を1/3くらいずつ変えているくらいで魚は元気。他にやったことと言えば、水草も伸びてきたので最近切りそろえたことと、いつの間にか出てくる貝が増えすぎると除いています。

海水は、魚が入ってまだ1ヶ月とたっていませんが、ついにイソギンチャクが☆になりました。写真は在りし日の姿(って、数日前ですが)。結局、カクケクマノミがはいることはありませんでした・・・

1週間ほど前から瀕死の状態でしたが、水流を増やして少し持ち直したように見えたのですが、今日ついにだめだと判断しました。水槽全体に影響してからでは遅いので、溶けてぐちゃぐちゃになる前に取り出しました。

そして魚ですが、淡水と違って海水は縄張りが意識が大変強いということがいやっと言うほどわかりました。

1週間前に入れたばかりのキンギョハナダイは、カクレクマノミにプレッシャーをかけられていつも岩陰でひっそりと身を隠していましたが、餌もほとんど食べれず体力を消耗していたようです。木曜日の朝、ぼろぼろになって☆になっていました。

キンギョハナダイはもともとそんなに弱い魚ではないはずですが、時には餌付けが難しいようです。また。海水魚にしては群れを作りやすいようなので、1匹だけというのがこの環境ではつらかったんでしょう。

ヤドカリは無事に過ごしていますが、ほとんど岩の陰にひっそりとしていて、元気な姿はみることができません。夜行性なのでしかたがないというところでしょうか。

オトヒメエビはまったく元気で、早くも今朝2回目の脱皮をしていました。もちろん、主役のカクレクマノミはあいかわらず水槽の主として君臨しているようです。

そんなわけで、朝クリニックに行くと何かが起こっているような不安が一杯で、けっこうどきどきしてしまうわけです。

2009年10月9日金曜日

ジェットコースター

駄目なんです。はっきりいって苦手。

ディズニーランドのスペースマウンテンとか、もう目を開けていられません。ひたすら下を向いて目を閉じて、早く終わることを願っているだけ。

好きな人には、あんなのはたいしたことはないと思うでしょうけど。ビッグサンダーマウンテンが限界。

ましてや、今時の絶叫マシーンなんて・・・おぞましい。きっと、乗ったらちびっちゃうでしょうね。

ああいうのが好きという人の気が知れません。あり得ない。

こどもの時からですから、今更変えようもないし、また変える気もありません。

遊園地では他にいくらでも楽しいアトラクションがあるじゃないですか。ティーカップだって、相当なスピードがありますよ。目も回るし・・・

今やこどもも大きくなって、遊園地に連れて行くことも無くなりました。それはそれで寂しいところもありますけど、ほっとした部分もあるわけです。

まぁ、唐突でしたが、急に思い出したので、何の関連もなく書いてしまいました。

2009年10月8日木曜日

インフルエンザ・ワクチン

台風一過。今日の午後は、まさにそんな快晴の天気が広がりました。

こどもの学校は朝早々と休校になりました。クリニックは閑散。午後の大学の外来も、天気は回復したものの早々と予約はキャンセルで、これ以上ないくらいの~んびりしてしまいました。

こんな日もあるさ、少し休みなさいよということだと思って、ゆっくりさせてもらいました。

それはさておき、インフルエンザの話をしておかないといけません。

季節性のインフルエンザのワクチン予防接種については、うちのクリニックでは昨年まではご希望の方にやってきました。しかし、大変申し訳ないと思ってはいますが、今年はこれまでまったくアナウンスをしませんでした。

もともと内科クリニックではありませんので、通院している方、特に感染のリスクのある関節リウマチの患者さんへのサービスということと、クリニックの宣伝という目的でやっていましたのです。

ところが、今年は生産量が減っていて、各クリニックへの割り当てが昨年の実績の7割~8割と決められ、自由に追加の注文ができないことになったのです。

そこで、クリニック内のみで9月中だけ確実に確保できる分だけの予約を取らせていただいたのです。必ずしも公平なやり方ではないかもしれませんが、何卒ご理解いただきたいと思います。

なお、追加の予約は一切受け付けておりません。予約ができなかった方で、接種をご希望の方は、最寄りの医療機関にご相談ください。

さて、予約をしていただいた方はワクチンが入荷していますので、日程を考えて予約表と問診票を忘れずに来院してください。

ただし、ワクチンは少しずつしか入荷してこないので、日によっては在庫が切れていることがあるかもしれません。いろいろとご不便をおかけしますが、今年の特殊な事情によりお許しいただきたいと思います。

さて肝心の新型インフルエンザのワクチン接種については、やっと昨日接種実施を希望するかどうかの調査がきました。

自分のクリニックでは、治療上免疫力に影響を与える薬を使用している関節リウマチの患者さんに対してのみ接種を行うことを前提とした希望を出しました。

まだできるかどうかはわかりませんが、可能になった場合には対照となる患者さんには直接ご案内いたします。いましばらくお待ちください。

とにかく、厚労省がさんざんメディアに発表してきたことが、やっと現場でも見える形になってきたというところでしょうか。

2009年10月7日水曜日

大雨・洪水注意報

平成最大の台風が近づいています。

沖縄をかすめて九州か四国に上陸するかと思いきや、少しずつ東よりの進路を取り、関西に向かっているわけです。しかし、もうちょっと東よりに変わってくれば、神奈川・東京を直撃する可能性がでてきます。

今夜、神奈川県に大雨・洪水注意報が発令されました。

昔は、雨戸を釘で固定したり、いろいろな物をひもでしっかり結んだりと、台風に備えていろいろな準備をしましたが、住宅地ではさすがに今時ほとんど前もってすることはありません。

それでも、今の家を選んだ理由の一つには下水の比較的上流ということがありましたね。雨水が流れていく下流では不安ですから、きにしたので、一応大丈夫と思います。

横浜市青葉区の近辺には遊水池というのが一杯あって、大雨を一時的に貯水するための土地が用意されています。こういうアイデアも土地の価値を高めるひとつの指標ですよね。

まぁ、台風だからといって仕事を休めるなんて経験は今までに一度もありません。当然明日もクリニックは通常診療です。

台風が最接近すると言われている午後は大学での外来。患者さんは激減とわかっていても、やらないわけにはいきません。

それに比べてこどもはいいですよね。警報が出ると休校になるんです。不謹慎ですが、こどもは天気が荒れることを喜んでいたりすることがあるんです。

ところが、まだまだ休みにはなりません。

風です。風が足りない。

つまり、暴風雨警報が出たら、初めて休校になるんですね。もちろん風が強まってくるのは時間の問題ですから、暴風雨警報がいずれ出ることは間違いない。

問題はそれがいつかということです。朝の時点で警報がなければ、当然学校はあるわけです。
さぁ、彼らの運命はいかに!!

2009年10月6日火曜日

あすなろ海水魚館 キンギョハナダイ

海水魚水槽としては王道を行く、というと大げさですが、だいたい初心者が最初に飼い出す魚として、カクレクマノミの次のチョイスはキンギョハナダイ。

ところがこいつが、めっぽう気弱な奴でして、ほとんど岩の中の隠れ家に入ったきりで出てきません。まぁ、出てくるとカクレクマノミに追い回されるのだから、しょうがないと言えばそれまでですが。

ピンクの体色で、金魚のような尾ひれをゆらゆらさせているところは素敵なんですけどね。

まぁ、狭いのでしょうがないということでしょうか。

2009年10月5日月曜日

整形外科と整骨院

整形外科と整骨院はどう違うのですか? という質問をしばしば受けるんですよね。さらに整体やカイロプラスティックはどうなんですか? というのもあります。

確かに整形外科そのものが何を扱うのかわからないという方がいますので、その他のものにいたっては何をか言わんやの状態です。

整形外科というのは、一言で言えば内臓以外の運動器を扱う医学で、主として外科的な方法によって治療を進めるものです。

実際には頭の部分と胸と腹の中身を除いた部分が対象ということで、主として四肢と背骨を扱うわけです。そこには骨、筋肉、神経といった組織が大多数をしめています。

中身としては病気と外傷があります。病気では、関節リウマチや痛風のような炎症性疾患、奇形のような先天性疾患、そして骨粗鬆症や骨の変形のような加齢性疾患、骨肉腫などの悪性疾患などがあります。

外傷は骨折、脱臼、捻挫、打撲、切り傷などなど。症状は痛みが最も多く、しびれ、脱力、変形などが含まれてきます。

従って、対象となる方は老若男女を問わず全ての方々となり、他の科の病気とリンクすることもしばしばあるので決して楽な科とは言えません。

整骨院というのは柔道整復師という国家試験資格を持った方が経営している治療院のことです。

もともと「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律」によって規定されていた、西洋医学を基本とする医療とは別の主として体の痛みを和らげる療法の中から、柔道整復師だけが昭和45年に独立した国家試験資格となりました。

その名が示すとおり、柔道で骨折・脱臼などのけがをしたときに応急処置をすることができる資格というのが基本的な法律上の定義となります。このあたりは、いかにも日本独自のものということができます。

柔道整復師は、基本的には保険診療を行えるのは骨折・脱臼・捻挫などの外傷だけであって、肩こりや慢性的な腰痛や膝痛は保険を使った診療を行うことはできません。また湿布以外の薬の使用、レントゲンなどの画像診断などもすることはできません。

整体やカイロと呼ばれるものは、民間の資格であって医療あるいは医業とは厳格に区別されます。それらを教える学校によって、考え方や方法論が必ずしも一定ではないので、どこでも同じことをしているとは言えません。

大事なことは、うまく使い分けることだと思います。医者だからと言ってマルチなわけではありません。医者では良くならなかったが、整骨院で良くなったという方がいることは間違いありません。また、その逆も当然あります。痛みを和らげることができて、自分に合った方法に巡り会えることが大切なんですよね。

2009年10月4日日曜日

Mitsuko Uchida / Beethoven Late Piano Sonatas

内田光子は、世界で活躍する現役ピアニストであり、日本人としては唯一「巨匠」と言っても過言ではないかもしれません。小川典子、田部京子といった方々も後を追っていますが、とてもかなうものではありません。

1980年代前半にモーツァルトのソナタ全集を名門PHILIPSで録音し、一気に注目されると、80年代後半にはモーツァルトの協奏曲全集を完成し世界中から絶賛されました。

しかし、一方であまりに理詰めな内田のスタイルに息苦しさを感じる人も多く、好き嫌いがはっきりする演奏であるかもしれません。特にモーツァルトの場合は、全体的な明るさがあるだけに、よけいにそういう印象を与えているのかもしれません。

90年代に完成したシューベルトの主要ピアノ独奏曲選集は、まさに作曲家というキャンパスに内田の絵の具が完璧に塗られ、大変完成度の高い演奏といえます。

シューベルトはちょっと聴いただけでは、つかみ所のないようなところがあり、取っつきにくさがあります。シューベルトのソナタを一般に知らしめたのはケンプの力が大きかったと言われていますが、シューベルトの理念を演奏の中に結実させたのは内田が初めてではないでしょうか。

そして、シューベルトと同時進行でベートーヴェンの協奏曲全集を録音していました。そして、21世紀を迎えてついに内田はベートーヴェンのソナタの録音に着手したのです。

全集の企画では「悲愴」「月光」「熱情」などの有名曲から、あるいは最初から順番に録音されることが多く、最後の30番・31番・32番については、最後になることが多い。

それは、この3曲が精神世界を含めたベートーヴェンのピアノソナタの最高峰という位置づけにあり、もっともピアニストの技量が試されるからだと言われています。

ところが、内田はその最後の3曲から始めたのです。これには驚きを隠せません。

2005年に録音されたこのアルバムは、これまでの一貫した内田のスタイルがきっちりと続いていることを示しています。一音一音を吟味して、一回の打鍵でさえおろそかにしない。音符への執念というか、音楽への限りなくのめり込んだ姿勢はゆるぎもしないのです。

2007年には28番と29番を録音。ここでも、超弩級の大作「ハンマークラーヴィア」は早くも登場しているのです。内田はすでに自分の中で、ベートーヴェン・ソナタ全集を完成させているのだと思います。

ですから、このような離れ業的な順番が可能なのでしょう。それまでの全集に比べて録音は大変ゆっくりで、もしかしたら今年中に3作目が作られるのかもしれません。

内田は、丸2年かけて自分のなかでのベートーヴェン・ソナタ32曲を一周させているのではないでしょうか。おそらく、32曲全てがそろって、巨大なピアノ曲の一大叙事詩であると考えているのだと思います。

それにしても、このジャケット・・・どう見てもムンクの「叫び」ですよね。

未来を担う者

正直に言って、自分の年になって見ると人生の半ばは確実に過ぎているわけで、今から大きな軌道修正というのはなかなか難しい。

だからと言って、もちろんネガティブな思考に走ればどんどん小さくなってしまうだけですから、少しでも前向き思考で現在自分のできることを頑張り続けることしかありません。

しかし、若い人には未だに何かを達成していない分、自由で大きな未来が広がっているわけです。うちにもこどもがいて、彼らにはいろいろな可能性があります。長女は今年成人するので、もう親の用意したレールから離れて、自分の未来をしっかり考えてもらいたいと思います。

2016年の東京オリンピックの夢は水泡と帰しましたが、そこでも書いたように若い人がいろいろな希望を持てる未来というものがあることが大切です。

もちろん、理想的には自ら切り開いていくことが望ましいとは思います。しかし、オリンピックのような国家規模の大きなイベントは、応援する多くの人の力が必要でしょう。

それにしても、日本の招致活動の最後を締めくくったIOC総会プレゼンテーションでのサプライズには、本当に驚きました。

体操をやっている15歳の少女が突然出てきて、雰囲気に臆することなく堂々と英語でのスピーチを行ったわけです。

何で驚いたかというと、実は、この少女とは縁があって何度か会っているのです。まさかこんな場で顔を見るとは思ってもみませんでした。

今回のオリンピックは逃しましたが、彼女のような若者がいるなら、まだまだチャンスはありますね。スポーツに限らず、日本の未来はまだまだ大丈夫と感じさせてくれたことが、何となく嬉しいと思うわけでした。

2009年10月3日土曜日

あすなろ海水魚館 イソギンピンチ

イソギンチャクがピンチです。最初の数日は、元気に動いていましたが、そのあとだいたい場所も落ち着いたようでした。

しかし、そこからオトヒメエビの攻撃が始まりまって、平気で上に乗っかられたりするもんですから、どうにも広がれないようです。そこで、今週火曜日に急遽水槽を倍以上の大きさのものに交換。少しでもオトヒメエビから離すことにしました。

そうこうしているうちに、今朝はついに真ん中の口を開いてだらーっとしている状態。こりゃ、まずいというわけで、昼にショップに相談に行きました。

やはり専門家が見ても、かなり厳しい状態のようで、まずは水流を増やすことを勧められました。あとは様子を見るしかありませんが、何にしても原因をはっきりさせるのは難しい。

水槽交換時に、ほぼ全取っ替えに近い水質は問題なく、水温・比重も安定しています。光は蛍光灯でも一般に言われている十分な明るさがあります。

餌だけは与えていません。もともとそれほど白くはないので、褐虫藻があり光合成で栄養が出てくると考えていました。

もともと弱っていた個体だった、水槽環境の変化、オトヒメエビによるストレス、水流不足などが考えられるのでしょうか。さすがに、まだまだ素人の自分には判断ができません。やはり、よく言われているようにイソギンチャクの飼育は大変だということなんでしょうか。

それに比べて、カクレクマノミはやたらと元気です。水槽に手を入れると、縄張りを守るためか頭から突進してきます。愛くるしい外見からすると、かなり気が強いことがわかります。

新しい住民のやどかりは、岩陰に入ってしまうことが多く、ほとんど姿を見ることができません。死んでしまっているのかと心配になって、岩をどけてみるとちゃんと生きていました。しかも、3匹のうち2匹は早くも脱皮をしています。

まだまだ始まったばかりのあすなろの海ですが、すでに生き物のいろいろなストーリーが展開しているのです。

2009年10月2日金曜日

東京オリンピック

自分の人生の中で「東京オリンピック」と言えるのは、もちろん1964年、昭和39年の東京オリンピックです。当時はまだこどもですから、当然記憶に残っていることは多くはありません。

昭和39年といえば、まさに日本の高度成長期のピークだったんでしょう。オリンピック直前には、東海道新幹線が開業。東京から大阪までひかり号で3時間10分という、まさに超高速で駆け抜ける「夢の超特急」でした。

東名高速道路も、オリンピック直前に全線が開通したわけです。確か、ちょっと前に幼稚園の遠足で通ったときにすぐに終わってしまったように思います。それに上下線の間が空いていて、したが見えたような覚えがあります。

それまで一回の乗降客が数えることができるほどだった山手線の原宿駅は、国立競技場と代々木体育館という二つのメイン会場の入り口として一躍有名になりました。

しかし、逆に青山通りを渋谷から青山一丁目に走っていた路面電車、つまり都電はオリンピックの直前に財政難から廃止になりました。

当時、紀伊国屋まの近く青山通りから入って数軒目に住んでいたので、小さいながらもこれらの変貌を直接肌で実感化することができたのです。

いざオリンピックが始まると、カラーテレビが話題になりました。うちには白黒しかなかったので、隣の家で見た覚えがあります。

重量挙げの三宅。体操の遠藤。バレーボールの東洋の魔女。女子体操ではチャスラフスカ。柔道のヘーシンク。そして男子マラソンのアベベと円谷。

こども心にも、数々の名場面が思い浮かぶのです。最近のような商業オリンピックとは違い、純粋に国の威信を賭けて戦う素晴らしい大会であったのであろうと思います。

そして、2016年のオリンピック招致をめぐって東京が名乗りを上げて、いよいよあと数時間で結果が発表されようとしています。

冬期は札幌と長野がありましたが、夏期はすでに東京オリンピックから半世紀が経過しているのです。いろいろ言われてきましたが、もう一度、選手はもちろん自分のような見るだけの人にとってもいろいろな夢をかなえる場として実現してもらいたいと素直に思います。

2009年10月1日木曜日

一番好きな季節

いつも思うことですが、年を取ると月日が経つのが早い。う~ん、もう10月ですよ。

政権交代が実現しましたよ。今年の夏はあまり暑くなかったねぇ。梅雨が長くて、じとじとした日が多かったよね。新型インフルエンザ登場でびっくりしたねぇ。なんかよくわからない一時給付金があっよねぇ。うちでも受験生がいましたっけ。おやおや、新年あけましておめでとう。

あっという間に今年の初めまでプレイバックです。

これまでの9ヶ月がこれだけ早いと言うことは、この後の3ヶ月なんてないのも同じ。そして、また年をとっていくわけです。年を取れば取るほど時間が大切になっていくわけです。

でもって、夏をひきづった9月が終わり、秋らしい深みが出てくる10月。自分としては、寒くなる手前の10月から11月が一年の中で一番好きなんですよね。

もともと汗っかきなんで、夏は苦手。これから暑くなると思うと春もあまり好きではありません。そして、一番好きな季節が終わってしまったので冬もいまいち。

とにかく風は気持ちいいですし、食べ物は美味しい。あらためて、テンションを上げていきたいと思うわけです。