2010年10月3日日曜日

印象派 ~ 絵画史の中の役割

ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場

ヨーロッパを中心とした、19世紀後半から20世紀初頭の芸術活動のひとつが印象派というくくりで呼ばれています。特に絵画の世界が出発点ですが、美術に止まらず音楽の世界にも波及した一大ムーブメントであったことは間違いありません。

印象派の特徴は、作品の主題 - テーマを強調し正確性については必ずしも重視しないということでしょうか。こういう考え方の変革というのは、人類の歴史の中では必然であり結果である・・・と、まぁ大袈裟なことを言ってもね。

初期芸術では、人に見せるわけではなく記録的な意味合いが大きかったわけでしょう。それが宗教的な発展の中で15世紀頃から、鑑賞するためのものに変わってきた。つまり、それがルネッサンスであったわけです。

ルネッサンスは人間性の回復を目的として、自然の美や現実世界の再発見がなされました。その頂点にたったのが、イタリアのダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらでしょう。
そして17世紀になると、より現実的な主題を求めて、時には奔放なバロック時代となり、レンブラント、フェルメールらヨーロッパ全体から百花繚乱の芸術が生まれ、享楽的な時代となるわけです。

18世紀後半、フランス革命の勃発(1789)から新古典主義 - 古代ギリシャ・ローマ時代の再発見をもとに静的な堅い芸術が始まります。そして、少し遅れてロマン主義 - ミレー、ゴヤらのような主観的な感情を織り込んだより現実的な物を描くことが受け入れられていくのです。この流れが、19世紀から現実を正確に描く写実主義も生み出し、その象徴が肖像画の流行でした。

そして、やっと印象派の時代になるわけです。つまり、写実的な表現を重視するあまり、芸術の自由度がなくなってしまったことが、大きな転換につながったのではないでしょうか。芸術家はより自由を求め、形式よりも表現に価値を見いだしました。

この流れが生まれる裏には、絵の具がチューブに入れられ一般化したことが関係します。絵の具を自ら作らなくてよくなり、屋外での作業が簡単になったということです。そして、大事なことは写真の発明(1827)によって、写実を超えた正確性が再現できるようになったのです。

マネ 「草上の昼食」

1863年に発表されたマネの「草上の昼食」は、一般女性のヌードを描いたことで大スキャンダルを起こしました。それまで、裸婦は神話的・宗教的必然の中だけで描かれていたのです。マネは、さらに「オランピア」のような作品を通じて、より革新的な芸術のリーダーとなったのでした。
モネ 「印象、日の出」

そして、1874年にモネ、ドガ、ルノワール、ピサロらが開催した展覧会から「印象派」という言葉が生まれました。これは、モネの作品タイトルからとられ「へたくそ」という皮肉を込めてメディアで用いられたのです。

しかし、その自由な表現は社会に受け入れられていき、さらに個人個人の技法、特に光りの扱い方に磨きをかけていったのが後期印象派と呼ばれるゴーギャン、セザンヌ、スーラ、ゴッホ、ムンクたちです。
スーラ 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

間違いなく、印象派の画家たちの大きな功績は、絵画をより一般的なものとして定着させることができたことでしょう。普通の物を描いていい、正確性がなくてもいい、個人の感性のもとに描いていい。芸術が庶民を含めて、万人のものになったことは大変重大な歴史的事実だろうと思います。

しかし、当然のようにこの流れは20世紀に入って、マティス、ピカソらに代表される前衛性が突出していくという、またもや「必然」を生み出していくのです。幻想的な画風のキリコ、ダリ、クレー、抒情性の強いシャガール、モディリアニ、ルソーらが代表です。その波はさらに抽象的なものへと進むことになります。

いゃあ、こんなに簡単に西洋絵画史を語ってしまっていいものでしょうか。随分と間違いがありそうですが、お気づきの点がありましたら、是非コメントしていただきたいと思います。さすがに、音楽ほどは自分でもわかっていないので、これはあくまでも自分の整理メモ。お許しを。