2010年10月21日木曜日

イノセント

1976年、イタリア映画。
巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作。編集作業段階で心臓発作のため、ヴィスコンティはわずかに69歳で死去。すでに書いたように、お気に入りの映画監督の一人です。

ヴィスコンティの映画は、正直言ってかなりハードルが高い。純文学のような、とにかく見て感じて、そして何かを語り合わなければならないような高貴さが満ち満ちている。

全体的に長めの映画で、しかも笑いの要素などは一厘も存在しません。しかし、どの映画を見ても、基本的なテーマ、あるいはコンセプトは変わることは無い。ですから、そこに絞って見て行くと、何となくわかったきになる。

つまりヴィスコンティが描くのは、繁栄・退廃・没落という世界です。もともと貴族出身のヴィスコンティは自ら、その過程を体験したのです。そして、第二次世界大戦のなかで、人間の本質とか、いろいろなものが見えてきたのでしょう。

没落の後に、さらに新生があったら、相当希望の持てる明るい映画になったでしょうが、ヴィスコンティは没落でおしまい。それがネオリアリズム・・・つまり現実ということでしょうか。

舞台から出発し、ルノワールの下で映画術を勉強。1942年「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で映画デヴューし、亡くなるまでの35年間で監督作品は17本というのは多くはありません。

「イノセント」では古いスキャンダル小説を原作として、19世紀末の貴族の退廃を描いています。好き放題の貴族が妻の浮気を疑い、苦悩した末に自分の子ども殺し、自らも絶望の中で幕を引いていく過程を、たんたんとつづっていくのです。

主演は、ジャンカルロ・ジャンニーニ。後年「ハンニバル」で殺されるために出てくるみたいなあわれな刑事を演じていましたが、これにはある意味泣かされました。

そしてその妻には「青い体験」でブレークした、当時のイタリアのセックスシンボル女優だったラウラ・アントネッリ。お色気以外何の取り得も無いような女優ですが、この一作のみによって永遠に映画史に記憶されることになりました。

それにしても、華麗な貴族の世界を描きつつも、まったく明るさがなく虚栄の極致とも言える描画はみていて息苦しくなります。華やかな別荘でも、美しい景色がこれでもかと出てくるのですが、主人公たちの愛情の欠如が雨雲のようにたれこめている。

ところが、実はヴィスコンティ・ファンとしては、そこがまたたまらないところなのです。そこでギャグでもでてきたら、すべてが台無しです。その重圧感を楽しむことが重要。

自由人を気取っているものの、その結果がもたらす重大な結末を受容できず、自ら滅んでいくこの主人公にはとても感情移入はできません。。デカダンのムード楽しみたいと思います。