2010年12月8日水曜日

言論の自由

またまた、難しいテーマについて語ろうとしている・・・あさはかと言われてしまいそうですが。

何でも、それぞれの個人・団体が言いたいことを自由に発表できる、というのが言葉の主旨。別の言い方をすれば、そういう発表を妨げることはできない、ということになるのでしょう。

実際、真の言論の自由は・・・おそらく、世界中どこにもない。どんなに自由に振る舞っていても、何らかの手かせ足かせはあるもので、それは見える形の拘束である場合も、見えない形での - 自分の心の中の決まり事みたいなものであるかもしれません。

よく、報道機関は言論の自由を主張しますが、まるでそれを正義のようにふりかざすのは、どうもピンと来ないことが多い。報道を盾にして、あることないこと書き立てるような場合も少なくないと思いますし、その逆もあるような気がします。

結局、建て前と本音みたいな話になってしまうのですけど、建て前だけで上っ面だけ仲良くしても、それはあくまで社交辞令のような物。しかし、本音だけで通すと、まとまるものもまとまらず、社会は混乱をきわめてしまいそうです。

違う価値観を持つ様々な人々が、ある共通の枠組みの中で社会生活を営むためには、少しの本音と多くの建て前が必要であることは、やむを得ません。そこのバランス感覚は大切で、それを持っていることが「大人」ということなんでしょうか。

言論の自由よりも、言論の不自由の方がより大切なのかも知れません。