あすなろ整形外科クリニックからのお知らせ

年末年始は12月29日(金)~1月4日(木)を休診します
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします

2010年10月31日日曜日

芋バーグ

創作というほどの話ではありませんが、なんとなく冷蔵庫の整理をかねてこんなものを作ってみました。

あるとき冷蔵庫、特に冷凍庫の中ですけど、結構使うに使えないものが余っていたりするものです。あのときの残り物、捨てるのももったいないのでとりあえず冷凍しておいた、なんてことは普通によくある話。

ただ、カレーとかはちょっとお昼、とかいう具合に消費しやすいのですが、中には冷凍庫の中でかぴかぴになって、ますます食べられることなく凍結され続けているものがあったりします。

とりあえず、今回のメインの食材はジャガイモ。けっこう前から冷凍庫に入っていた、マッシュポテト。中途半端に残っていて、何となく置き去りにされていました。

これに炒めたタマネギのみじん切りをいれ、塩・コショウ。そのまま衣をつけて揚げればコロッケになります。ですが、そういう手間がかかることはめんどうなのでやりたくない。

さこで、さらに細かくしたベーコンや、やはり余っていた冷凍コーンなどを追加、さらにこれも余り物の冷凍してあったピザ用のチーズなども入れてしまいました。

そのままハンバーグのようにフライパンで表面を焼いただけにしました。ジャガイモはでんぷんですから、けっこう型崩れしない物です。

ちょっとイタリアンな香りのするジャガバーグ、あるいは芋バーグとでも言いますか、表面がかりっとしてなかなかこどもにも比較的好評でした。

わざわざ作るほどのものでもないのですが、まぁ無駄を無くすと言うことでよかったかと。

2010年10月30日土曜日

Stephane Coombs / Glazunov PIano Works

グラズノフはロシア帝国末期、20世紀前半に活躍した作曲家です。チャイコフスキーの流れをくむロマンチックな曲想を持ち、民族主義に根ざしたロシアの雄大な自然を思わせる叙情的な作品が多い。

グラズノフを含む、いわゆる国民楽派と呼ばれる人たちの作品は嫌いではありません。ロシア近辺ではバラキレフ、ボロディン、スメタナ、ドヴォルザーク、北欧ならシベリウス、ニールセン、グリークなどといった作曲家の名前がすぐに浮かんできます。

グラズノフに限らず、彼らの作曲の中心は管弦楽だったので、比較的ピアノ曲というのはマイナーにイメージなのですが、ピアノ独奏のほうが、端的に民族色が色濃く出てくるような気がします。

今回のクームスによる独奏曲全集はCD4枚。アムランの超絶ピアノの作品集を多数出しているHyperionレーベルからのリリースです。この会社は、レスリー・ハワードによるリストピアノ曲全集(CD100枚以上!!)やヒューイットのバッハ物など、けっこうピアノ曲にも力をいれているのです。

ロシアのちょっと寒そうな大平原をイメージして聴くと、なんだかぴったりで心が洗われるような気がします。日本なら北海道とかの雰囲気でしょうか。

有名なのは「主題と変奏」と2つのピアノ・ソナタ。けして自由な時代ではなかったはずですが、作曲というプロセスの中で思い切り羽を伸ばしていたのでしょうか。

2010年10月29日金曜日

かんなづき

官無月です。いや、もうほんと。

えっ? 字が違うって、いえ、いいんです。

今夜はミナトミライに勉強に行ってきました。リウマチの新しい治療薬についての講演会だったんですが、まぁ、内容はいいでしょう。

実際に薬を使った症例の提示が勉強になりました。もうこの手の講演会では、使うといいよという話は「耳たこ」状態ですので、ひとつひとつの症例の話のほうが役に立つのです。

でもって、ミナトミライです。もうすぐASEAN首脳会議があるので、ここのところヨコハマは厳戒態勢。ついでに捕まっちゃう芸能人が出たりするわけです。

全国から警察官を集合させて、ものすごい規模の警戒態勢です。検問所もいくつもあって、さすがに今夜あたりはほとんど素通ししていましたが、来週からは渋滞もひどくなるんでしょうね。

警察官は数人一組で各ビルごとに配置されているのか、ぱっと見える範囲に数十人はいそうです。これだけの警察官を集めて警備させるための予算はどれだけかかるんでしょうか。事業仕分けをしている時期だけに気になってしまいます。

全国から警察官がヨコハマに集まって、ヨコハマはもはや出雲。日本中に警察官がいない、官無月というわけです。

2010年10月28日木曜日

八海山ビール

何度もお世話になっているセンター南の「梵(ぼん)」ですが、先日は長女の誕生日だったので家族で利用しました。

そこで、日本酒で有名な八海山のビールが飲めるわけです。これが、美味しい。ちょっとフルーティなすっきりした味わいです。

そこで、ネットで探して買ってみました。正直言って安くはありません。この値段を出すなら、ベルギービールでもいいかもしれない。まぁ、美味しく飲めるなら、あまり下世話なことを考えてはいけません。

酵母が生きている真の「生ビール」ですから、クール宅急便で送られてきました。賞味期限は2ヶ月間。

最初の一ヶ月は、さわやかな喉越しが楽しめる。次の一ヶ月は熟成した味わいなんだそうです。と、いうことは今すぐ全部飲んではもったいない。

次は11月の末に楽しむことにして、大切にとっておく・・・おけるかなぁ?

2010年10月27日水曜日

センター南医療ヴィレッジ

センター南医療ヴィレッジというのを知ってますか?

自分が入っているクリニックビルの名称は・・・ベルヴィル茅ヶ崎。平成17年にビルができて。4月に小児科泌尿器科が先陣を切りました。年末に眼科自分(整形外科・リウマチ科)が追って開業しました。さらにビルは違いますが、産科の先生も参入してくれました。

今年は、それぞれのクリニックが満5周年を迎えました。その後内科耳鼻科がオープンして、都筑区内で最も充実したクリニックモールになりました。

最初は、自分のクリニックをなんとか切り盛りするのに精一杯ですが、だんだんいろいろな関係が増えてきますから、いろいろと時間の制約が増えてくるものです。

今までにも、モール全体で運営会議と称して飲み会を幾度と無くやっています。なかなか、まとまりの良いクリニックモールとして、他の先生からも羨ましく思われることがしばしばあります。

ところが、科が違うとそれぞれの用事は重なることが少ない。つまり、飲み会をやりたくても、全員のスケジュール合わせが難しいのです。前回も2ヶ月くらいの中で、全員の日程を聞いたところ、結局1日しか揃える日がないという事態でした。

ヴィレッジのコンビニを自称する自分としては、そろそろ忘年会をやりたいと思うわけで、皆さんに11月から12月半ばまでで日程を聞いてみました。

何と驚いたことに・・・2日もあいている日が見つかりました。いやいや、これは予想を超えた成果です。1日でもあればラッキーと思っていたので、2日も選択肢があるというのは奇跡に近い。

それだけ、それぞれのクリニックが発展してきたということだと思います。忙しいというのは幸せなことです。やるべき仕事があるというのは、がんばる活力です。

よーし、楽しい忘年会を企画しましょう。頑張っているからこそできる楽しみですからね。

2010年10月26日火曜日

ベビー・ラッシュ ~ あすなろ淡水魚館


つい2週間前に稚魚が生まれたと思ったら、その直後からまた♀のおなかがふくらんで・・・

ついに昨日産むわ、産むわの大騒ぎ。
3匹、いやいや5匹いる。どいつもこいつも、体長は2~3mmで、半透明なので見つけにくい。

よ~く見たら7匹だ。さすがにこのままじゃどんどん食べられてしまいそうなので、ベビー専用ルームを設置しました。

やっとこさ、すくいあげたら・・・8匹でした。

前回2匹だと思っていたのは、実はもっといてすでに気がついたときには食べられていたのかしらん。

前回の2匹のうち1匹は消えてしまいましたが、残った1匹は2週間で体調1cm以上になって、もう食べられる心配はなさそうです。

グッピーの生態については、まったく勉強不足で、何がどうなるのかよくわかりません。もうちょっと、まじめに育成しないといけないなと反省しているところです。

2010年10月25日月曜日

忙しい時のブログの書き方

いや、まぁ、その・・・そんなたいそうな事を書くつもりはないいのですが、要するに先週は忙しかったので、そんなとき毎日更新するブログをどうしているかという・・・

要するに言い訳を書いておこうというのが、今日のブログの主旨。

先週は、例によって土日当直して、月曜日は夜に近くの大学病院との連携協議会。火曜日は久しぶりに家で夕食。水曜日は、関節リウマチの毎月の勉強会。木曜日は午後は休診ですが、ちょっと私用がありました。

金曜日は医師会の理事会で、土曜日は相模大野までいって関節リウマチ講演会に出席。お世話になっている先生の講演なので、ちょっとテリトリー違いの講演会でしたがでかけてみました。

そして、やっと昨日の日曜日。1ヶ月ぶりにまったく予定のない休日で、朝から目一杯うだうだして、完全休養することができました。

で、けっきょく、ブログをゆっくり書いているヒマがなかなかないということになるわけです。

そこで、まずは日曜日に当直中のヒマな時間や木曜日の夜に書きためておいてということになるわけです。自分の使っているBlogger(Google)は、いつ公開するかの日時を指定できるので、順番をつけておくという具合。

となると、リアルタイムな話を書くわけにはいかないので・・・そこで映画の話ということになるわけです。音楽ネタは最近、けっこう書いていますから、ちょっと遠慮してみました。

原則として、リアルタイムに毎日書くようにしているのですが、たまにこういう時があるのはお許しいただきたいと思います。

それにしても、映画の話といっても、自分が知っている映画を適当にチョイスするというのは意外に難しいものです。そこで、好きな俳優で3つ、好きな監督で3つ、全然関係ないところで1つを選んでみました。

いずれも、自分が繰り返し見たくなるという基準で決めてみたのですが、何しろ
好き勝手な意見ですから、世間一般からは認めてもらえないかもしれませんね。

まぁ、本当に忙しい時や、へろへろに疲れているときは、超短い文章一つでごまかしてしまいますから、先週はまだ余裕があったのかもしりません。

2010年10月24日日曜日

ライト・スタッフ

1983年、アメリカ映画。

小学校の時、アポロ11号の人類初の月面着陸はこどもながらに大変なインパクトを与えてくれました。この映画は、そこに至るアメリカの宇宙開発の歴史を物語として見せてくれるのです。

基本的なストーリーは実在するテストパイロットだったチャック・イェーガーの伝記に基づいて進行するのですが、もちろん映画用にフィクションもかなり盛り込まれており、とにかく3時間の長丁場ですが飽きることなく一気に見ることができます。

音速を超えることに命をかけていた時代から、宇宙へ飛び立つマーキュリー計画、そして月にたどり着くためのアポロ計画へと、アメリカ威信をかけた政治的思惑も加わったプロジェクトが進行していきます。

その中で年老いて表舞台から去っていく者、事故で命を落とす者、栄光をつかんで絶頂に上り詰める者、いろいろな人間模様が交錯し壮大なドラマとなって、見ている者を感動させずにはいられません。

監督のフィリップ・カウフマンは、どちらかというと脚本家で監督作品としては他に見るべき物はない。実はクリント・イーストウッドの「アウトロー」(1976)の監督に抜擢されていながら、あまりにしょうもなく首になった過去があるのです。

そういう意味では、脚本がよかったのか、プロデューサーの手腕のおかげなのか、はたまた出演者の演技力にささえられたのか、カウフマン監督としては奇跡の一作ということができるかもしれません。

実際、出演者がいい。男性陣はサム・シェパード、スコット・グレン、エド・ハリス、デニス・クエイド、女性陣はヴェロニカ・カートライト、バーバラ・ハーシーといった個性的な当時なら全員が助演賞をとれそうな人ばかり。特にイェーガー役のシェパードがいい。そして、家を出たら(死んで)帰ってこないかもしれない妻を演じるハーシーもいい。ビル・コンティの雄大なテーマ曲も悪くない。

いずれにしても、60から70年代のベトナム症候群から脱却し、壮大な夢の実現 - アメリカン・ドリームを高らかに謳いあげた一作といえるでしょう。このあと事実上の続編的な「アポロ13」を生み出すことになります。

ただし、一方で「地獄の黙示録」、「デア・ハンター」、「プラトーン」といった病めるアメリカを客観的に見つめなおす作品に注目が集まることが多く、ある意味ノー天気なこの映画は片隅に追いやられた感があるのも事実でしょう。

2010年10月23日土曜日

泥棒成金

今週は映画ウィークということで、旧作ばかりですが芸術として娯楽として忘れられない作品を紹介しています。

映画の中にはいろいろなジャンルがあるわけですが、娯楽作品は一般的にB級扱いでアカデミー賞などでも冷ややかに見られていることが多い。最も、最近は内容よりも商業性のほうがまさっているような感じがしますけれど。

そういう意味では、映画の娯楽性、いかに観客を楽しませるかということを考え抜いて作品を作り続けたのがアルフレッド・ヒッチコックではないでしょうか。

ヒッチコックに対する思いはすでに書いてしまいましたし、娯楽作品としての傑作である「鳥」については、けっこう前にネタにしています。他の代表作としてしばしば名前が出るのは「サイコ」、「裏窓」、「北北西に進路を取れ」など、もうあげだしたらきりがありません。繁盛しているコロッケ屋さんみたいなものです。

ヒッチコックの作品を読み解くには、いくつかのキーワードがありますが、その代表的なものが「マクガフィン」です。これは話の展開の上で重要なもの、物だったり人物だったり、単なる言葉の場合もありますが、実はどうでもいいわけであくまでも「きっかけ」程度のことであるのです。

ヒッチコックはマクガフィンを効果的に使う天才で、観客はほとんどそれを意識することなくストーリーに没頭させられてしまうのです。

そして、次に「間違えられた男」がしばしば登場します。日常から非日常の落差が大きなスリルを生んでいくわけで、そういう意味では失敗作と言われている「トパーズ」は最初からスリルを持っているスパイが主役だったことがつまらなくしている要因かもしれません。

そして、ヒッチコックは短い画面展開 - カットバックを繰り返し行うことでハラハラドキドキ感を盛り上げたり、マクロ(俯瞰ショット)からミクロ(アップ)への画面転換で観客を一気に引き込んで効果的にサスペンスを作っていくことが得意でした。

映画は観客を裏切ってはいけない、というのもヒッチコックの映画哲学のひとつです。観客は登場人物に感情移入していくので、観客が期待する状況をうまく提示していくことが商業的な成功の秘訣であると述べています。

それを逆手にとったのが「サイコ」です。誰もが主役と思っている有名女優が物語の前半で惨殺されてスクリーンから消えてしまう。こんなことは、普通ありえない。これが観客によりいっそう大きな混乱と恐怖を与えているのです。

さて、そこでヒッチコック作品としては娯楽に徹して、サスペンスよりも比較的ユーモアの多い冒険活劇ものとして「泥棒成金」(1955)を取り上げてみます。

これは、明らかに当時ヒッチコックがお気に入りだったグレース・ケリーを撮ることが目的の映画と言っても過言ではありません。高級リゾートのリヴィエラを舞台に、ヒッチコック物にはおなじみのケイリー・グラントをちゃかして、遊び心をふんだんに取り入れているのです。

美人女優と人気男優、美しい風景、ユーモア、冒険という具合に、観客が文句なしに楽しめる要素がふんだんに盛り込まれました。まさに、観客の期待を裏切ることが無い、教科書的な娯楽作品なのです。ですから、「泥棒成金」は傑作とまではいえないかもしれませんが、適度の刺激を求めて映画館にきた人々を十分に楽しませることができました。

実は最近感じているのが、一連のトム・クルーズの作品。つまり、ヒッチコックの娯楽映画はかくあるべきみたいなところを、意識してかしていないのかはわかりませんが、けっこう影響されているのかなということです。最新作もキャメロン・ディアスの巻き込まれ型のコメディ要素も取り入れたサスペンス。

偉大なるヒッチコックが、映画を作る人たちに与えた影響ははかりしれないものがあって、直接的でなくても、さまざなところにその足跡が残されているということは間違いありませんね。

2010年10月22日金曜日

博士の異常な愛情

スタンリー・キューブリック監督の代表作と言えば、たぶん誰もが知っているものとして「2001年宇宙の旅」(1968)が当選確実だと思います。確かに、すばらしい映画で、エンターテイメントとしても、哲学的思索願望を満たしてくれるところも完璧です。

近未来バイオレンスの傑作「時計じかけのオレンジ」(1973)、中世完全再現の「バリー・リンドン」(1975)、心理的ホラーの傑作「シャイニング」(1980)、ベトナム戦争のアメリカ人の闇を描いた傑作「フルメタル・ジャケット」(1987)、夫婦間の深層心理学を抉り出した「アイズ・ワイド・シャット」(1999)。

「2001年」以後は、30年間でたったの5作品というのが驚きですが、その一つ一つが問題作であり、その濃厚な内容は他の映画監督とは一線を画するものでした。

「2001年」以前はというと、1951年からはじまるフィルモグラフィですが、最初の10年間はほとんど雇われ監督という扱いであり、正直言ってみるべきものは少ない。

そのピークにあるのがカーク・ダグラス主演の「スパルタカス」(1960)で、ただただ長いだけの当時流行した古代史スペクタクル映画の二番煎じでした。しかし、ここでキューブリックは自分流に仕事をすることに開眼したといわれ、完全主義者のキューブリックは次の「ロリータ」(1962)によって、初めて映画作家として認識されることになったのです。

そして、いよいよこの作品です。

正式なタイトルは''Dr. Strangelove or : How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb''であり、邦題も「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(1963)というやたらと長い。

これは大戦後の冷戦状態で、被害妄想を膨らませ、核戦争の危機を現実のものとしてしまう完全なブラック・ユーモアを描いたもので、この時代の中での警笛として映画史上忘れることのできない作品となりました。

もちろん、キューブリックの映画術が最も前面に出てきているのは間違いないのですが、このブラックユーモアをサポートした人物として、脚本に参加しているテリー・サザーンの影響がつよく感じられるのです。

サザーンは「イージーライダー」の脚本家としても有名で、小説「キャンディ」、「マジック・クリスチャン」などの作品を通じて、60~70年代の病めるアメリカを代表する文化人と言う事ができます。

そして、もう一人主演+助演男優であるピーター・セラーズの活躍も大きい。セラーズは3役をこなし、それぞれの違う役どころを同じ人物が演じることで、さらにこの映画の混沌とした世界を効果的にシェイクしているのです。特にDr.Strangeloveの怪演は鬼気迫る名演です。

「2001年」前夜、キューブリックの映画人としての自信が始めて噴出した作品として、忘れてはいけない大事な映画として認識することにしましょう。

2010年10月21日木曜日

イノセント

1976年、イタリア映画。
巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作。編集作業段階で心臓発作のため、ヴィスコンティはわずかに69歳で死去。すでに書いたように、お気に入りの映画監督の一人です。

ヴィスコンティの映画は、正直言ってかなりハードルが高い。純文学のような、とにかく見て感じて、そして何かを語り合わなければならないような高貴さが満ち満ちている。

全体的に長めの映画で、しかも笑いの要素などは一厘も存在しません。しかし、どの映画を見ても、基本的なテーマ、あるいはコンセプトは変わることは無い。ですから、そこに絞って見て行くと、何となくわかったきになる。

つまりヴィスコンティが描くのは、繁栄・退廃・没落という世界です。もともと貴族出身のヴィスコンティは自ら、その過程を体験したのです。そして、第二次世界大戦のなかで、人間の本質とか、いろいろなものが見えてきたのでしょう。

没落の後に、さらに新生があったら、相当希望の持てる明るい映画になったでしょうが、ヴィスコンティは没落でおしまい。それがネオリアリズム・・・つまり現実ということでしょうか。

舞台から出発し、ルノワールの下で映画術を勉強。1942年「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で映画デヴューし、亡くなるまでの35年間で監督作品は17本というのは多くはありません。

「イノセント」では古いスキャンダル小説を原作として、19世紀末の貴族の退廃を描いています。好き放題の貴族が妻の浮気を疑い、苦悩した末に自分の子ども殺し、自らも絶望の中で幕を引いていく過程を、たんたんとつづっていくのです。

主演は、ジャンカルロ・ジャンニーニ。後年「ハンニバル」で殺されるために出てくるみたいなあわれな刑事を演じていましたが、これにはある意味泣かされました。

そしてその妻には「青い体験」でブレークした、当時のイタリアのセックスシンボル女優だったラウラ・アントネッリ。お色気以外何の取り得も無いような女優ですが、この一作のみによって永遠に映画史に記憶されることになりました。

それにしても、華麗な貴族の世界を描きつつも、まったく明るさがなく虚栄の極致とも言える描画はみていて息苦しくなります。華やかな別荘でも、美しい景色がこれでもかと出てくるのですが、主人公たちの愛情の欠如が雨雲のようにたれこめている。

ところが、実はヴィスコンティ・ファンとしては、そこがまたたまらないところなのです。そこでギャグでもでてきたら、すべてが台無しです。その重圧感を楽しむことが重要。

自由人を気取っているものの、その結果がもたらす重大な結末を受容できず、自ら滅んでいくこの主人公にはとても感情移入はできません。。デカダンのムード楽しみたいと思います。

2010年10月20日水曜日

ボギー!俺も男だ

1972年、アメリカ映画。

監督はハバート・ロス。70年代アメリカ・ニューシネマを代表する監督ですね。たくさんのちょっと軽めの笑いを入れたロマンス物が得意で、「ボギー! 俺も男だ」も初期のかくれた傑作ではないかと思います。

原題は'' Play it again, Sam''で、「カサブランカ」(1942)の中でハンフリー・ボガートが酒場のピアノ弾きに言う台詞。このあとに有名なAs Time Goes Byがはじまるわけです。正確にはagainは入っていないので、これはこの映画に込められた思いということでしょう。

ということで、まさにこの映画は限りなく「カサブランカ」を中心としてハンフリー・ボガートに対するオマージュが詰まった映画なのです。そして、ダンディの代名詞のようなボガートに憧れるダメ人間を演じるのがウッディ・アレン。

アレンは実際に脚本も書いており、そういう意味でも、まさにボガートにリスペクトしているのはアレン本人。アレンはアメリカ・インテリ階級(ある意味ベトナム戦争によって病めるアメリカ人の代表)の象徴みたいなひとですからね。逆にがちな男っぽさを振りまくボガートには、本気で憧れていたのだと思います。

ダメ人間の主人公は「カサブランカ」の映画が大好きで、何かとカサブランカのハンフリー・ボガートが妄想に登場して、いろいろあおってくる。友人の奥さん(後に私生活でもパートナーになるダイアン・キートン)に恋をするが、空港で別れを告げかっこよく決めるわけです。

スタッフ、キャストともに70年代を代表する人たちによる、シリアス・コメディの傑作と言える映画です。元ネタの「カサブランカ」と共に、一度は見てもらいたい映画としてご紹介します。

2010年10月19日火曜日

天国から来たチャンビオン

1978年、アメリカ映画。監督と主演はウォーレン・ビーティ。

スーパーボールでの活躍が期待されていたアメフトのクォーターバック(司令塔ですね)が、交通事故で死亡。彼は天国に行くと、天使長(名優ジェームズ・メイスンが演じていました)から、死んだのは間違いと言われる。

下界に戻ってみると肉体は荼毘に付され、仕方がなく奥さんに殺された大金持ちの体に期限付きではいることに。そこで、お金を物をいわせて、ロサンゼルス・ラムズ(実在のチーム)を買い取って、自分がクォーターバックをすることにしちゃうという荒唐無稽な話です。

もとからのコーチにだけは事情を説明し協力をしてもらう。金持ちの企業が公害を発生させていると知ると、そこから撤退。抗議活動をしていた美しい学校教師(ジュリー・クリスティ)と恋に落ちる。

ここにさらに奥さんと不倫に関係にある自分の部下がからんで、どたばたコメディ的要素が加わって、もうにぎやかな映画になっています。

スーパーボールを目前して、そろそろ金持ちの体が使えなくなる期限がせまり、主人公は恋人にいうせりふ。

「心配はないよ。怖いことなんてないさ」

そして、分かれた直後に奥さんの陰謀で再び金持ちは殺される。スーパーボールがはじまり、試合の途中でラムズの正クォーターバックがタックルを受けて死亡。主人公は、彼の体に入ってチームを優勝に導くのです。

試合が終わって、スタジアムの通路を歩いていると、向こうから恋人がもとの金持ちのクォーターバックを探して歩いてくる。すると、通路の灯りが消され真っ暗になってしまいます。主人公にはもう、以前の記憶は消えています。彼は通路の出口の扉を開けながら、

「心配はないよ。怖いことなんてないさ」と、言うのです。

彼女は何かをかじるのでした。そして、肩を並べてスタジアムを後にするのでした。

・・・って、なんかロマンチックでしょう。単なるラブコメディではありませんよ。アメフトのアクション的なところもあり、いくつもの要素が絡み合って、なかなかのテンポで進んでいくのです。そして、最後のしんみりした感じがまた最高です。

このバックで効果的な音楽を作ったのが、フュージョン音楽で有名なデイブ・グルーシン。18世紀の管楽器の合奏風の、風格はあるけど堅すぎない音楽が随所にちりばめられてムードを盛り上げます。

このあとウォーレン・ビーティはロシア革命の中に飛び込んだアメリカ人を題材にしたREDSという映画をつくります。ここでも、ダイアン・キートンとの絶妙な夫婦愛を描いて見せます。終盤、駅での再会シーンは映画史に残る隠れた名場面だと思います。

60年代終わりから始まる、アメリカ・ニューシネマといわれる映画の中で、ウォーレン・ビーティは「俺たちに明日はない」からのまぎれもないスターの一人であったことは間違いありません。

2010年10月18日月曜日

荒野の用心棒

うーん、いろいろな意味で有名な映画。1964年、イタリア製。

まず、黒澤明監督の「用心棒」のリメイク作であることは、設定・筋書きから明かであるにもかかわらず、許可を得ていなかったため盗作扱いされ、実際の裁判でも負けている。

アメリカで西部劇テレビシリーズ「ローハイド」で人気が出始めたクリント・イーストウッドが主演し、名実共にイーストウッドの名実共に出世作となった。

監督は今でこそ大物となったセルジオ・レオーネ、音楽も大河ドラマの音楽(武蔵)も作って超有名人のエンニオ・モリコー。当時はまったくの無名の駆け出しだった。

この作品からマカロニ・ウェスタンという言葉ができて、以後イタリア製西部劇は独特の人気を持つジャンルとして確立された。

まぁ、いろいろありますが、自分としてはイーストウッドの第一回映画主演作として、映画史に記録すべき名作であると認識しているわけです。

それまでのイーストウッドの出演映画は、B級映画の脇役ばかりです。ローハイドで人気が出たのはいいけど、契約上アメリカの映画に出れなかったので、イーストウッドは日本映画のリメイクの西部劇、しかもイタリア人が作るという胡散臭い話に飛びついた・・・いゃぁ、飛びついてくれてよかったですよね。

最終的には、どれだけ「かっこいい」ガンファイトを見せるかという所に向かって進んでいくわけです。ローハイドでは、どちらかというと好青年風の役柄でしたが、ここでは悪とも善とも言えないニュートラル、どちらかというと見た目にもダーティで、以後のイーストウッドのイメージを決定づけたということが言えます。

それが、ハリウッドがイーストウッドをB級俳優というような扱いをし続けることにつながるのは皮肉なことです。1971年からは映画作家として、自らメガホンをとるようになるわけですが、早くから独特な世界を作り上げていました。

ハリウッドがついにイーストウッドを評価したのは1992年の監督作品「許されざる者」でした。皮肉なことに引退して落ちぶれたガンマンという役所を自ら演じて、アカデミー監督賞を受賞したのです。

年を取るに従って老いを隠すことなく、こつこつと映画を作り続けたイーストウッドは、今や80歳。ハリウッドの長老として変わりなく現役として活躍続けています。まだまだ、これからも楽しませ続けてもらいたいと心底祈っています。

2010年10月17日日曜日

Il Giardino Armonico BOX

これまでにもクラシック音楽の中で古楽というジャンル、あるいはピリオド楽器による演奏(作曲された時代の楽器を使用する)は、自分の場合は否定もしないし肯定もしないという、まぁ言ってみればこだわっていないということを書いてきました。

作曲者の意図をできるだけ正確に演奏に反映させるというのは、ある意味正しい演奏解釈なのでしょうが、それを突き詰めてしまうと「演奏不能」ということになりかねない。

数百年前の楽器だけでオーケストラを編成することは不可能。そのほとんどは復元楽器です。演奏会場も、今のようなコンサートホールとはまったく違う響きをもっていたでしょう。

最大の問題は、演奏する側と聴く側の人々の意識がまったく違う。今は楽譜以外にも録音・録画の資料が豊富にあり、聴きたいときに何度でも聴き直すことができます。もっとも、それが本当の生きている音楽ではないという考え方もありますけどね。

ですから、自分の場合は音楽として気に入るか入らないかのことだけになってしまうのです。ただし、歴史的背景というのは無視はできないことで、例えばベートーヴェンのピアノ・ソナタにしても、32曲を作っているあいだにピアノの著しい進歩があったわけで、それに伴い音域の拡大や技術的な革新という変遷があるわけです。

エリー・ナイアルバムにベートーヴェンが使用したフォルテピアノを使った録音が残されていますが、正直言うと歴史的な価値は認める物の、ほとんど残響もなくポコポコした壊れたピアノの音のような感じで、聴いていて気持ちはよくありません。

現代ではいとも簡単に演奏できるようなものもあれば、今となっては演奏のしようがないような場合もあるでしょぅから、楽器・楽典の歴史というのは知っていた方が何かと楽しみを広げてくれることに役に立つはずです。

ちょっと生意気な中学生の頃の自分はバッハを中心としたバロック音楽が好きだったのですが、これは楽器としてのチェンバロとパイプオルガンの音が気に入っていたからです。

ですから、あまり知識もなく初めてグレン・グールドのアルバムを買ったときは失敗したと思いました。バッハをピアノで演奏するなんてありえない、という気持ちだったんですね。特にグールドのノン・レガート奏法で、ペダルをほとんど使用しないので、よけいにピアノらしくもない音がダメで完全お蔵入り。

5年くらい前に、たまたまあらためて聴いたとき、なんか新鮮な新たな感動がありました。ジャズとかロックとかを聴いたあとで、感性がだいぶ変わってきたのだろうと思いますが、これはこれでグールドというジャンルの音楽として完成されたものと思えるわけです。

ピアノ以外に好きな楽器の音はチェロ。これはフルニエのバッハ/無伴奏組曲から始まるのですが、落ち着いた低音が心を癒してくれるのです。名手クイケンによる復元古楽器による演奏も悪くはない。

ヴァイオリンでも、最近はムローバやポッジャーのような古楽器奏者が注目を集めるようになっていますが、今のところ狙っているのはポッジャーのモーツァルトのソナタ全集。CD8枚で分売されたので、ボックス化されて廉価になるのを待ちわびているというわけです。

そんな古楽器関連の所有CDで、とりあえずお奨めなのがイル・ジャルディーノ・アルモニコの廉価版セット。イタリアの古楽器楽団としては、はずせないグループです。11枚のCDに代表録音がぎっしり詰まっていて、かなりお得な感じ。

ヴィバルディの四季やバッハのブランデンブルグ協奏曲などの有名曲は、イムジチの定番の演奏と比べて、かなりのスピードで過激な演奏と言えると思いますが、これがなかなか刺激的で楽しい。ある意味ロックに通じるところがあるかもしれません。

とりあえず古楽というのがどういうものを知るのには大変便利なセットで、是非一家に1セット。損はありません。

2010年10月16日土曜日

iPadに未来はあるか?

ぶっちゃけ、負け惜しみではありません。iPadという道具、少なくとも自分には向いているとは思えない。

理由① 大きすぎる。手帳感覚で使うには中途半端にでかい。

理由② どこでも使うためには3G通信の契約をしないとだめ。

理由③ やはり文字入力はキーボードが便利。

理由④ 根本的にアップルが嫌い。

なんだか、ひがみっぽい感じがしますが、現在携帯電話をスマートフォンのXperiaを使用していると、どこでも手軽にインターネットが見れるというのは大変助かるのは事実。

閲覧するには画面はでかいにこしたことはないというのも事実。指でさーっと動かす感覚は、慣れるとものすごく便利である反面、誤動作もしやすくいらつくことがある。


iPadを完全に閲覧専用の端末と考えれば問題はないのですが、当然いじっていると文字入力をする場面が出てくる。携帯電話の指入力が得意な人には問題ないのかもしれませんが、自分の場合キーボード以外のインターフェースはからっきしだめなのです。

携帯ですでに月に8000円近く払っているのに、さらに数千円追加して契約するというのもなんだかなぁ、という感じ。携帯のSIMMカードを挿入して、使用する端末を自由に交換できるようなシステムになったらいいんですけど(なりそうな気配はありますが)。

とは言え、いろいろ考えてみると、根本的な理由としてアップル嫌いというのが、最大の理由のような気がします。

もうかれこれ20年くらい前でしたか、アップルが話題になりはじめて、日本の代理店はキャノンだったんですよね。キャノンはシェアを拡大するために、使用するソフトを違法にコピーしたのを配布するという、今から考えると過激な作戦をとりました。

これでアップルに対する根強い不信感が形成されたわけで、もうどうあがいても払拭できるものではありません。

その後の製品の数々も、アップルの秘密主義には辟易してしまいます。特にi××シリーズはいずれも、アップル伝統のブラックボックスとなっていて、ユーザーはアップル戦略の囲い(ソフトもハードも)の中から抜け出ることができないような仕組みになっている。

もっとも、ただの家電製品みたいなものだと思えば、その方が便利でしょうけどね。実際、仕様としては今時のものとしてけして高級とはいえない中身ですが、ブランドイメージというのはすごいものです。

まぁ、とにかくそんな風に思っているユーザーもいるわけです。とにかくiPadが一つの起爆剤となって、よりコンピューティングが楽しくなるならよしとしましょう。

2010年10月15日金曜日

Fumiko Shiraga / Mozart Piano Concertos arranged by Hummel

クラシックである程度聴き込んでいくと、聴くものが無くなる。そりゃ、そうでしょう。ベートーヴェンにしても、200年くらい前に死んでいるわけで、当然新作は無い。どこからか、ピアノソナタ33番なんて譜面が出でてこないとは限りませんが、まぁ普通は期待できる話ではありません。

そうなると、お気に入りの演奏家のものを次から次へと聴いていくか、お気に入りの曲のいろいろな演奏を楽しむというのは自然の道筋ということになります。

とは言え、これにも限界がある。グレン・グールドは30年前に亡くなり、もう新しい録音が出てくることもないでしょう。

じゃぁというわけで、辻井くんを片っ端から聴き倒そうと思っても、まだ数枚のCDしかありません。

バッハのゴールドベルク変奏曲の世にあるすべての録音を制覇してみようと思っても、あまりにありすぎてとても無理。ベートーヴェンのピアノ・ソナタは32曲全部聞くのにほぼ丸1日はかかりますし、とても何人も聴き続けることはできない。だいいち、お金がかかってしょうがない。

結局、そういうクラシックファンが、次に目をつけるところは「編曲物」というジャンルであることは必然の結果といえそうです。

作曲者自身が編曲する場合と、他人が編曲する場合。ほとんどそのままに編曲する場合もあれば、よくぞここまで変えてくれましたというようなことある。

以前にベートーヴェンのピアノ・ソナタを他人が弦楽四重奏に編曲したものを紹介しましたが、実はベートーヴェン自身もソナタ9番を自ら弦楽四重奏に編曲しているんです。スメタナ四重奏団の演奏で聞くことができますが、さすがに自分の曲だけに文句のつけようがありません。

モーツァルトは人気作曲家だけあって、いろいろな人がいろいろな曲をいじっているのですが、ピアノ協奏曲については直弟子のフンメルの編曲集は、モーツァルト編曲物の決定版といってもいいかもしれません。

ピアノ協奏曲をピアノ、フルート、ヴィイオリン、チェロという4人編成で演奏するようにしたものですが、弟子だけあって、当時のモーツァルトの実際の演奏に即したものと考えられています。

当時は、録音なんてことは当然できませんし、大編成のオーケストラが簡単にあちこちで演奏するわけにもいかない。ですから、こういう小編成に編曲したものがちょこちょこと演奏されることが、曲が知れ渡ることに大きな関係があったといわれています。

今回の白神典子の演奏は、このフンメル版に焦点を絞った好企画。この人は日本人ですが、早くからヨーロッパを舞台に活躍しており、特に「編曲物」を取り上げることが多いので、マニアには受けがいい。

以前にショパンのピアノ協奏曲の室内楽版を聴いたのですが、もともとオーケストラが下手くそなショパンですから音をそぎ落として、エッセンスだけにした室内楽版は大変いい感じで嬉しくなってしまいました。

モーツァルトのピアノ協奏曲では、オーケストラを最小人数に絞り込むフンメルの力に驚かされます。そして曲の中でのピアノの動きが手を取るようにわかるのが、実に楽しい。

原典至上主義と考える方には邪道な方向性だとは思いますが、改悪なら困りますけど、こんな楽しいいじり倒しは、もっともっとやってもらいたいものだと思うわけです。

2010年10月14日木曜日

東京女子医科大学付属膠原病リウマチ痛風センター

長いでしょう、この名前。でも、なんと言っても、日本で一番関節リウマチの患者さんが多い病院ですからね。多少長い名前でもしょうがない。

実際のところ、今の自分はここあってのものですから、何しろ新宿の方に足を向けて寝れたもんじゃありません。

東京女子医科大学というくらいですから、学生はみんな女性。と言う事は、卒業生で大学に残るのは全員女性です。実際は半分位は男性でしょうから、男性は全員他の大学から来た医者ということになります。

自分も東海大学の卒業で、卒業後10年間は母校にお世話になったわけですが、それから縁があって東京女子医科大学にトラバーユ。2000年から2005年までは正職員として在籍させてもらいました。

この間に、関節リウマチのイロハを勉強させてもらったわけですが、正直言ってそれまで知ったつもりだったリウマチ診療の常識を完全にひっくり返されたような、今までの不勉強ほどを思い知らされたのでした。

その一番は副作用という問題。ぶっちゃけ、ノー天気な整形外科医は薬の治療についてはあまり関心がありませんでした。ましてや、副作用なんてほとんど気にしていない。

膠原病リウマチ痛風センターのすごいところは、その膨大に症例数もさることながら、内科系と外科系の医者が一緒に仕事をしていることです。

初診の患者さんについても、分け隔てなく振り分けられます。それぞれの不得意なところは、隣の診察室にちょっと顔をだしてアドバイスをもらうことがすぐできたりするんです。

医局も一緒で、いろいろな相談や雑談の中から、いろいろな知識を整理して増やしていくことができます。特に2000年からは、怒涛の進化を続ける関節リウマチ診療の世界ですから、一人だけで勉強していてはとても追いつくものではありません。

自分は、今では非常勤講師という立場をいただいていますが、なかなか大学に恩返しをできる状況にはなっていない。月に1回の外来といっても、患者さんの数も多くなく、大変申し訳ないように思うわけです。

センターのホームページは、内科系と外科系全体のものですが、整形外科の独自のページもあります。ここを作っているのがセンターのホープ猪狩勝則講師です。この人はすごい。若くして、遺伝子関係からの基礎研究を早くからこなし学会の賞も受賞、これからの日本のリウマチ学を牽引していく一人になることは間違いない。

自分も開業して、自分からは新しいことを見つける立場ではなくなったので、こういう意気盛んな若い先生から、もらえるだけエネルギーを分けていただく気持ちが大切だと思っています。

センターは、これからも日本のトップクラスの施設として存在してもらいたいと思いますし、そこに少しでも関係がある身であることが誇りに感じられるというのは大変嬉しいことです。

2010年10月13日水曜日

Hiraly Hahn / Tchaikovsky Violin Concerto

チャイコフスキーの協奏曲というと、ピアノとヴァイオリンが有名で、まぁクラシックファンでなくても、たいてい聞いたことがあるものです。通の人は「チャイコのピーコン(Piano Concerto)」という呼び方をしていますが、「ブイコン(Violin Concerto)」という言い方はあまり使わない。

いずれも、かなり印象的なオーケストラの序章から始まって、1分くらいするとソロ楽器が颯爽と登場するわけです。ピーコンの場合は全体的に派手さが目立ちますが、ヴァイオリンではややじっくりと盛り上がっていく雰囲気があります。

どうもチャイコフスキーがヴァイオリンは得意ではなかったことが関係しているのかも。チャイコフスキーは自分ではヴァイオリンを弾かなかったらしく、いろいろ知人からアドバイスをもらって完成させたそうです。

完成した譜面を、当時高名なヴァイオリン演奏家であったアウアーという人に献呈したところ、こんなのは演奏不能といわれ相当へこんだそうです。挙句の果て、アウアーは難しい部分をばっさりと切り捨てて演奏して、比較的最近までそのアウアー版が標準として知れ渡っていたというのも驚きです。

さて、女流中堅どころのヒラリー・ハーン。今年の最新アルバムでは初めてチャイコフスキーを取り上げました。もちろんチャイコフスキーの原典版。とはいえ、最近の録音はアウアー版はほとんど無いようですから、それを売りにしてもしょうがない。

ここではヒグドンという現代の女流作曲家がハーンのために書き下ろした協奏曲とのカップリングというのがポイントで、新旧ふたつの協奏曲のコントラストがなかなか楽しいわけです。

それにしても、チャイコフスキーという作曲家、本当に美しいメロディを書く人です。当時のロシアの作曲家の中では、かなり甘い旋律に走るほうではなかったかと思います。ある意味、ポップスに近いかもしれません。

まぁ、誰が演奏していても十分に楽しめるのは、やはりもとの曲が良くできているということが大きいのだと思いますが、誰もがたいてい録音しているのでちょっとずつ聴き比べてみたいと思うわけです。

2010年10月12日火曜日

すすき

秋深し、隣は何をする人ぞ。
まぁ、そんなことを思い出している場合じゃありません。秋らしさというのは、随所にあるものです。ちょっと、あたりを見回してみると・・・
すすきです。さすがに仙石原のような見事なものではありませんが、十分に秋を感じさせる雰囲気が漂っています。

以前は、箱根にキャンプに行くことがよくあって、秋は仙石原で行き帰りにすすきの原っぱをよく見ました。視覚的に秋を感じるというのは、四季を持つ日本人としても大事なことだと思います。

2010年10月11日月曜日

伊勢詣

伊勢神宮には天照大御神を祀る内宮と豊受大御神を祀る外宮があるんだそうで、そんなことも知らないのかと怒られてしまいそうです。

10月は出雲では神在月ですが、その他の地域は神無月と思っていたら、実は神様が出雲に集まるのは旧暦だそうで、実際は11月の話らしい。

そんなわけで、とうちゃんは故あって身動きのできない今年最後の連休である、昨日から我が家の母娘の二人は急に思い立ってお伊勢詣でに出かけていきました。歴女とまでは言わないけれど神社仏閣に興味をもつ娘とパワースポットが大好きな母親の小旅行です。

自分は高校1年生の修学旅行が伊勢・志摩だったので行ったはずなのですが、まったく記憶に残っていません(なんてバチ当たりなことか)。昨夜は宿で、きっと美味しい海の幸の夕食を食べたはずです。

伊勢参りは上方落語では東の旅というシリーズがあり、大阪から伊勢までの往復の珍道中は比較的若手の練習用として語られることが多い。しかし、現桂米朝が復活させた旅の最終話は1時間以上もかかる「地獄八景」ですから、なかなか手強い。

まぁ、それはともかく、おみやげにはおかげ犬をたのんでみました。その昔、伊勢参りに行くことができない人が、かわりに犬を伊勢神宮に行かせて参詣をしたという話からはじまるものです。

早速、お土産屋さんでみつけたおかげ犬の写真が送られてきました。直接足を運ぶことはできませんが、よろしくお願いいたしますだワン!!

2010年10月10日日曜日

Julia Fischer / Paganini 24 Caprices

ピアノを弾く人にとっては、バッハの平均律とベートーヴェンのソナタは制覇すべき巨大な山のようなものだそうです。同じような、一度はチャレンジせずにはいられない大きな目標はヴァイオリンにもあります。

それがパガニーニの作曲した24の奇想曲(24 caprices)とバッハの6つのパーティータとソナタではないでしょうか。いずれも無伴奏であることが、いっそう演奏者の気持ちをかき立てることは間違いありません。

無伴奏のヴァイオリン曲はテレマンやイザイの物も有名ですが、発売されている録音の数は比べものになりません。無伴奏は、まさに奏者の孤高の世界で、自分の感じるがままに好きなように演奏ができます。しかし、そこが逆に大きな落とし穴にもなっているところが怖い。

クラシックの世界は、楽譜に忠実に演奏することを良しとする人と、可能な限り独自の解釈を楽しむ人に分かれるように思います。無伴奏曲では、もしもすべての演奏者がまったく同じに演奏するようなら面白くはありません。やはり、奏者の個性をできるだけ感じてみたいものです。

ニコロ・パガニーニ(1782-1840)は超絶テクニックの持ち主で、悪魔の申し子のように思っていた聴衆も少なくなかったと言われています。24の奇想曲はパガニーニの代表作で、ヴァイオリン弾きに取っては、超絶技巧を要求される最高難易度の曲であることは今更言うにおよびません。

当然、歴代の名だたるヴァイオリニストで録音を残していない人はまずいないと言うほどのものですが、ピアノ中心に収集している自分の場合は、実はアッカルドの物くらいしかもっていないのです。

最近はピアノ収集も多少行き詰まっているので、室内楽にもてを出すようになりました。そこで、今のところ最も新しく発売されたユリア・フィッシャー盤を購入してみました。フッシャーは21世紀になって活躍し始めたヴァイオリニストの中では、最も躍進のめざましい一人でしょう。

現役女流の中ではムターが女王であれることは誰も異論を挟まないと思いますが、ではその後を追いかけているのは誰かというといろいろな意見がでてきそうです。順番ならヒラリー・ハーン。古楽系ならムローバかポッジャー。そしてその次の世代を担うのが、フッシャーとヤンセンという感じでしょうか。

ヴァイオリンを聴き込んでいない自分にはよくわからないところもあるのですが、フィッシャーのパガニーニはおそらく比較的こじんまりとそつなくまとめた感があり、悪くはないのですが何か物足りない感じがしました。

もう少し攻めるところを攻めて、泣かせるところは泣かしてもらいたかったような気がするのです。でも、ちょっと前に出たシューベルトのソナタは面白かった。協奏曲ばかりでなく室内楽を積極的にやるようになると、もっと面白い音が出るようになるのではないでしょうか。

2010年10月9日土曜日

骨肉腫

整形外科の守備範囲には、比較的悪性腫瘍が少ない。ところが、数少ない悪性腫瘍の代表が骨肉腫という病気で、やっかいなことにそのほとんどの患者さんはこどもなのです。

大人でも「あなたはガンで、死ぬか生きるか五分五分です」みたいな告知をされたら、冷静でいられることは少ないわけです。まして、相手は10代のこどもだと、それを理解してもらうというのは大変困難な作業になるわけです。

医者になって10年目くらいの頃に、大学にいてなんとなく腫瘍担当みたいになっていた時期がありました。特に腫瘍に興味があったわけではなかったのですが、偶然に数人の患者さんを同時にもつことになってしまいました。

骨肉腫はたいてい単純レントゲンで疑いを持つことになるのですが、たいてい緊急入院をしてもらわなければなりません。すぐにいろいろな検査を行い、早急に診断を確定して治療にはいらないと、病気はあっというまに進行していくのです。

患者さんにとっては楽な検査などはなく、入院して2週間くらいは大変な思いをしていたはずです。そして、最後に組織を一部取り出す生検を行い、病理診断で確定することになります。実際の所、ここからが本当の戦いの始まりなのです。

悪性腫瘍は、見つかったときにはすでに骨内転移を起こしていると思って間違いなく、見た目にわかる腫瘍だけを切除しても、命を救うことはできません。そこで、まず抗がん剤による化学療法を行わなければならないのです。

そこで、ここまでのことを、本人と親の両者に説明して理解してもらう仕事をしなければなりません。化学療法は、大変な苦痛を伴うので、こどもにそのことを理解して協力してもらうことはなかなか難しい。また、命に関わる重大な病気を親に冷静に納得してもらうことも簡単なことではありません。

しかし、何故か骨肉腫のこどもたちは大変素直ないい子ばかりなのです。何故苦しい治療を行わなければならないのか、そしてその結果がどのような期待がもてるものなのか、必死に理解しようと努力してくれるのです。

抗がん剤の治療が始まると、医者の側も大変なストレスがあります。薬を使った後、もしも何もしなければ確実に患者さんが死んでしまうような量の薬を使うので、毎日必死にケアを続け週末になると、何とか無事に今週は終えたとほっとすることの連続です。

以前、たったの9歳の女の子が骨折をして運ばれてきました。レントゲンで、明らかに骨が溶けていて骨折したことがわかり、骨肉腫が疑われました。検査の結果でも、間違いなく早速化学療法が始まったのです。

数週間にわたる化学療法に耐え、検査ではかなりの腫瘍組織が壊死したことがわかりました。そうなると、足を切断せずになんとか残すことが可能な状況になったのです。とはいえ、かなりの骨を切除するため、かわりに人工の骨を入れないといけない。

そこで両親に説明した上で、数百万円もかかる特注の人工骨を用意することになりました。というのも、まだ9歳ですから、身長が伸びるのでそれに合わせて人工骨も延長しないといけないからです。けして経済的に余裕がある家ではなかったようですが、両親は快く同意してくれました。

ところがしばらくして、突然母親から思っても見ない申し出があったのです。母親はある宗教の信奉者で、輸血が必要になる手術はどうしても賛成できないというものでした。何時間もかかる大きな手術ですから、輸血無しと言うことはとうていあり得ません。

それでも、自分の血液を輸血用に採り貯めておくという方法を説明して、何とかその場は理解してもらいました。ところが、数日後にやはりその方法でもダメだというのです。一方、信者ではない父親は、何とか自分から説得するので計画を進めて欲しいという意向でした。

ところがさらに数日して、その父親から、特注の人工骨の支払いをすることはやむを得ないが、輸血の必要のない足の切断手術をしてもらいたいとの話がありました。毎日、母親と言い争いになり、父親はもう心底疲れたと言うのです。本当に精神的にまいっている様子で、医者の側としてもそれ以上説得することはできませんでした。

結局、女の子は大腿部から足を切断することになり、自分が記憶する限り、これほどやっていてむなしい手術は他にありません。そして、切断した骨の標本の病理検査の結果、腫瘍組織が99%以上死んでいたことが確認され、ほぼ間違いなく足を残すことができたはずだったということがわかりました。

個人の宗教感については、他人がとやかく言うことはできません。しかし、親だからと言ってこどもの将来に重大な不利益を伴う結果を残す権利はあったのでしょうか。医者は患者さんのプライベートな部分にどこまで立ち入ることができるのでしょうか。骨肉腫の治療の経験の中で、一番考えさせられた患者さんでした。

2010年10月8日金曜日

平等と差別

今回は、かなりヘヴィなタイトルをつけてしまいました。あんまり、真面目なことを書くと照れくさいし、だいいち自分がそんなことを語れるほど立派な人間ではないと思ってしまいます。

ですから、まぁ勝手な思い込みみたいなものですし、読む方がいるならできるだけ軽く読み流してもらったほうがいいかと。

平等というのは、「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」という説明は広辞苑。何しろ、日本語の辞書としてはもっともぶ厚いものに書いてあることですから、尊重しないわけにはいきません。

でも、すべてが一様で等しいなんてことがあるでしょうか。いろいろな立場の人々がいて、いろいろな価値観が混沌としたこの世界ではありえないでしょう。そうなると、やはり五代目立川談志師匠の言ったことが素直にうなずける。

つまり「平等」とは、お互いの差を認めることであるというもの。それまで、談志は落語の本流からは外れた噺家というイメージだったのですが、これを聞いてからは好きな落語家になりました。

そうです。差があって当たり前。差を認めないことは悲しいことで、やさしさとか思いやりは差に気がついて生まれてくる感情なのでしょう。そういう意味では、その差をしっかり認識することは「差別」ということなのかもしれません。

しかし、実際のところ「差別」というのは、そんな温かい感覚とはだいぶかけ離れたところで行われています。日本でも歴史的に「部落問題」を持ち出すまでも無く、陰湿な差別は厳然たる事実として存在し続けています。

差別では、互いの差を優劣という感覚で表現している場合が多く、ある意味誰かより優勢な立場に立ちたいというのは人の本能的な願望なのかもしれません。しかし、現実には「互いの差を認める」ことができれば、人と人の間には優劣は無くなるのではないかと思います。

例えば医者と患者の関係では、昔は「お医者様」という表現が語っているように、医者のほうが明らかに優位に立っていたわけです。経済的にも、医者は平均的な生活水準からすれば明らかに上のランクでした。患者は「病気を治してもらう」という立場から、すでに劣勢に立たされていたということもあるでしょう。

しかし、この20年間くらいの中で、病気を治すのは医者と患者との共同作業であり、どちらかが優勢に立つようなものではないということに医療界がきがついたのです。大変気がつくのが遅い話で、もう恐縮するしかありません。

ただ、最近はその傾向がさらに強まり、むしろ一部に患者のほうが優位に立つような動きがあることも事実で、誤解を恐れず言うなら、自分は強い違和感を感じているところもあります。これは、何も医者と患者との関係だけの話しにとどまる事ではありません。

人権というものを大切にする風潮が強まっている反面、個人の権利の主張が膨張して、他人を愛する部分と排除する部分の両極端の価値観が混迷を極めているのが現代社会ではないでしょうか。

あらためて言います。「平等」とは互いの差を認めること、そして「差別」も互いの差を認めること。おそらく二つの言葉の中間にあるのが真実なのでしょうね。

2010年10月7日木曜日

永遠に喝!!

今朝のニュース。親分死す。

もう、ずいぶんと前から日曜日の朝は、必ず8時からTBSのサンデイ・モーニングをかかさず見ています。1週間の社会の動きをわかりやすく説明してくれますし、またちゃんとしたコメンテーターの方々の意見も大変参考になる。

それにもまして、大沢啓二と張本勲が加わってのスポーツコーナーが楽しい。もはや、このコーナーがメインといっても過言ではない。二人の入場には、楽しい大沢親分の歌がついて、いろいろなスポーツに「天晴れ!!」「喝!!」というのも楽しい。

9月までの放送はいつも通りでしたが、先週の10月3日の放送では、入場の歌が無い。というよりも、親分がいない。あれっ? と、思っていたら司会の関口宏が「今日は体調を崩したのでお休み」というアナンウスをしました。

やはり、親分無しのスポーツコーナーは何となくしまらない感じがしたばかりで、このニュース。もう、あの名調子が聴けないと思うと、本当に寂しい思いです。野球界を本当に盛り上げてくれたて偉大な方だったわけで、これからはあの世で「天晴れ」を連発してもらいたいものです。

合掌

2010年10月6日水曜日

げっ、生まれた! ~あすなろ淡水魚館


いやいや、びっくり。この前仲間入りしたばかりのグッピーの稚魚がいるじゃありませんか。雌の一匹のおなかがだいぶ膨らんでいるなぁ、とは思っていました。

それが今週、月曜日にはしぼんでいる。うっ? あれぇ? と思っていたら、スタッフが2匹の稚魚を発見。これが小さい。だいたい3~4mmくらいでしょうか。しかも、半透明で見つけにくい。

上の写真、よ~く見てください。真ん中あたりに2匹の稚魚が写っているんです。わかります?

この水槽は弱肉強食の世界。なんとか、食べられずに大きくなれるものだけが生き残れるという厳しい世界なのです。

がんばれ、BABY !!

2010年10月5日火曜日

心に残る一言

ここ10年くらいでしょうか、トラウマ trauma という言葉が一般的に使われるようになりました。トラウマというのは、整形外科的には外傷、つまり骨折とか脱臼とかのいわゆるケガをさす英語です。

ところが、一般に使われている場合は「心の傷」という意味に限定されている。肉体的なキズと思っていた言葉が精神的なキズの意味になって、自分としてはその辺のギャップがけっこう気になっていたことです。

誰かが言った、何気ない一言。これが、誰かを元気付けることもあるでしょうし、逆にひどく傷つける場合もある。心に残る一言は、良い場合も悪い場合もあるわけです。

例えば自分の場合、ある人に「どうせ君は人生で負けたことなんてないでしょうから」と言われたことがありますが、これはけっこうトラウマになる一言でした。医者は社会的地位もあって、苦労なんて知らないでしょうというような意味で言われたと思ったのです。

ちょうど開業して半年過ぎて、患者さんは来ないしお金もほとんど底を着いて、クリニックの賃貸料も払えず待ってもらっうことにした時期でしたので、かなりこの一言はこたえたのです。

そのとき思ったのは、「人生で負けるということは自殺でもするようなことだろう。行き続けているからには、人生で敗者になる者なんていないさ」ということでした。

まあ、それはそれでへりくつみたいなものでしょうけども、逆に「負けるわけにはいかない」という気持ちを持たせてくれたということもあるんでしょうね。

まだまだ勝利者というにはほど遠い状態ではありますが、今から考えると良い意味での「心に残る一言」だったと思うわけです。

2010年10月4日月曜日

稲垣潤一 / 男と女

世はカバー・ブーム。
と、思っているのは自分だけでしょうか。

徳永英明の"Vocalis"シリーズは大ヒットでした。というわけでもないのでしょうが、二匹目の鰌を狙った企画と言われてもしょうがないのが稲垣潤一。

「ドラマティック・レイン」と「クリスマスキャロルの頃には」の2曲が有名でしょうか。それも20年以上前の話。ちょっとハスキーな甘いボイスが、世の女性の心をわしづかみ。

さすがに、そのままカバー曲集ではどうかと思ったのか、なんとすべて女性とのデュエットという企画がなかなかはまった感じです。

まさに自分の年代なら知らない曲はないという70年代半ばから80年代を中心としたセレクトは、大人をターゲットにした懐メロ大全集。ここで大事なのは、オリジナルのイメージ。

人それぞれ、曲に対する思いの強い大ヒット曲ばかりを並べるからには、オリジナルのイメージを壊してはいけない。少なくともヒットさせるには・・・

そういう意味で、失敗作と言いたいのが中森明菜の「歌姫」シリーズ。中森明菜の再生を狙って、曲よりも歌い手の個性を作ろうとしている。大胆なアレンジが多くて、懐かしさが半減以上という感じがします。

その点、稲垣潤一はオリジナルの雰囲気をうまく残しながら、女性とのデュエットという形で新鮮さをうまく出したということでしょうか。プロデューサーの企画力の勝利ということができそうです。

それにしても、宇多田ヒカルの活動停止はびっくり。おそらく最後の曲がカバー曲というのに、再度びっくり。完全に才能を使い果たしてしまい、ついに最後の曲すら作ることができないということなのでしょうか。そのまま引退したかったのではないかと、むしろ可哀想に感じます。

2010年10月3日日曜日

印象派 ~ 絵画史の中の役割

ルノワール 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場

ヨーロッパを中心とした、19世紀後半から20世紀初頭の芸術活動のひとつが印象派というくくりで呼ばれています。特に絵画の世界が出発点ですが、美術に止まらず音楽の世界にも波及した一大ムーブメントであったことは間違いありません。

印象派の特徴は、作品の主題 - テーマを強調し正確性については必ずしも重視しないということでしょうか。こういう考え方の変革というのは、人類の歴史の中では必然であり結果である・・・と、まぁ大袈裟なことを言ってもね。

初期芸術では、人に見せるわけではなく記録的な意味合いが大きかったわけでしょう。それが宗教的な発展の中で15世紀頃から、鑑賞するためのものに変わってきた。つまり、それがルネッサンスであったわけです。

ルネッサンスは人間性の回復を目的として、自然の美や現実世界の再発見がなされました。その頂点にたったのが、イタリアのダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらでしょう。
そして17世紀になると、より現実的な主題を求めて、時には奔放なバロック時代となり、レンブラント、フェルメールらヨーロッパ全体から百花繚乱の芸術が生まれ、享楽的な時代となるわけです。

18世紀後半、フランス革命の勃発(1789)から新古典主義 - 古代ギリシャ・ローマ時代の再発見をもとに静的な堅い芸術が始まります。そして、少し遅れてロマン主義 - ミレー、ゴヤらのような主観的な感情を織り込んだより現実的な物を描くことが受け入れられていくのです。この流れが、19世紀から現実を正確に描く写実主義も生み出し、その象徴が肖像画の流行でした。

そして、やっと印象派の時代になるわけです。つまり、写実的な表現を重視するあまり、芸術の自由度がなくなってしまったことが、大きな転換につながったのではないでしょうか。芸術家はより自由を求め、形式よりも表現に価値を見いだしました。

この流れが生まれる裏には、絵の具がチューブに入れられ一般化したことが関係します。絵の具を自ら作らなくてよくなり、屋外での作業が簡単になったということです。そして、大事なことは写真の発明(1827)によって、写実を超えた正確性が再現できるようになったのです。

マネ 「草上の昼食」

1863年に発表されたマネの「草上の昼食」は、一般女性のヌードを描いたことで大スキャンダルを起こしました。それまで、裸婦は神話的・宗教的必然の中だけで描かれていたのです。マネは、さらに「オランピア」のような作品を通じて、より革新的な芸術のリーダーとなったのでした。
モネ 「印象、日の出」

そして、1874年にモネ、ドガ、ルノワール、ピサロらが開催した展覧会から「印象派」という言葉が生まれました。これは、モネの作品タイトルからとられ「へたくそ」という皮肉を込めてメディアで用いられたのです。

しかし、その自由な表現は社会に受け入れられていき、さらに個人個人の技法、特に光りの扱い方に磨きをかけていったのが後期印象派と呼ばれるゴーギャン、セザンヌ、スーラ、ゴッホ、ムンクたちです。
スーラ 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

間違いなく、印象派の画家たちの大きな功績は、絵画をより一般的なものとして定着させることができたことでしょう。普通の物を描いていい、正確性がなくてもいい、個人の感性のもとに描いていい。芸術が庶民を含めて、万人のものになったことは大変重大な歴史的事実だろうと思います。

しかし、当然のようにこの流れは20世紀に入って、マティス、ピカソらに代表される前衛性が突出していくという、またもや「必然」を生み出していくのです。幻想的な画風のキリコ、ダリ、クレー、抒情性の強いシャガール、モディリアニ、ルソーらが代表です。その波はさらに抽象的なものへと進むことになります。

いゃあ、こんなに簡単に西洋絵画史を語ってしまっていいものでしょうか。随分と間違いがありそうですが、お気づきの点がありましたら、是非コメントしていただきたいと思います。さすがに、音楽ほどは自分でもわかっていないので、これはあくまでも自分の整理メモ。お許しを。

2010年10月2日土曜日

インフルエンザ予防接種シーズン到来

10月からインフルエンザワクチンの予防接種が始まりました。うちのクリニックでも、予防接種を行いますが、今まで受診したことがある方・・・というか、原則として通院中の方に限定で行います。

昨年は新型インフルエンザ騒動で、通常の季節性ワクチンすらてに入りにくく、オープンに予防接種をすることができませんでした。今年は、供給は問題ないのですが、昨年のやり方に準じて、案内は院内でだけ行っています。

一昨年までは、誰でもどうぞという形式で、かなり安く(ぎりぎり赤字にならない程度)やっていたのですが、さすがに内科でも小児科でもないうちのクリニックでせっせと予防接種をするというのも気が引ける。

とは言え、うちのクリニックにしかかかっていないという方もいるでしょうし、また関節リウマチの患者さんでは特に予防接種が推奨されますので、まったく用意をしないというのもひんしゅくを買いそうです。

毎年毎年、インフルエンザ一つをとっても振り回されっぱなしで,本当に疲れる話ばかりです。厚生労働省の一貫した早め早めの行動・・・なんてものは、期待できませんね。

今年のワクチンは新型とA型とB型を混合した形の物が主に使われますが、おかげで昨年の新型インフルエンザに関する法律が生きていて、これに準じるという。去年もかなりしちめんどくさいことで、患者さんにも多大な迷惑をかけました。

自民党時代の最後の厚労省大臣が、適当にきめたことで大混乱。民主党になって大臣になった方はまったくの無策で、実務的な変更をしなかったため、最終的に大量のワクチンを廃棄するというばかばかしい失態。

しかも制度をそのまま放置しているうちに今年のシーズンに突入という、もう素晴らしいことになっているわけです。ほんの数日前にやっと最終的な実施要項が配布されるという、もうぎりぎりのところ。

日頃の予習復習をせずに、試験前日になってあわてふためくというのはよくある話ですけどね。それにしてもお粗末からまつジュウシマツ。そういえば大臣は変わっちゃいましたよね。一番得意としていた年金問題ですら、何か仕事ができたんでしょうかね。

あ~、ぼやきは健康によくありません。精神衛生上、負のオーラなんてものは何の得にもなりません。この週末で気持ちを入れ替えて、また来週からは元気にがんばろう!! っと。

2010年10月1日金曜日

神在月

今日から10月・・・いやほんと、今年の9月は短かった。
すごく損をした気分です。

10月というと英語ではOctober。octoというのは8を意味する接頭語ですから、おかしいことになっている。たこの足は8本でオクトパス。8人編成の楽団はオクテット。

ずーっとずーっと昔に暦が2ヶ月ずれたときに、直さずそのままにしていたからという理由らしいですが、まぁあまりたいしたことではありません。

日本でも、10月のことは神在月という。
えっ? 違うだろうって?

いえいえ、あっています。神無月だと思っていたでしょう。
これは日本中の神様が10月になると、出雲大社に集まっていろいろな相談をするために日本中で神様がいないということからついた呼び名。

と、いうことは出雲では・・・・神様が大挙しているわけで、ですから神在月と言うのだそうです。

神様の会議って、どうするんでしょうか。だいいち、席順きめるだけでもめそうだ。
幹事の人は大変でしょうね。終わった後の懇親会とかも準備するんでしょうか。それより、日本をよくするためにしっかりと結論を出してもらえればいいんですけどね。