2011年2月16日水曜日

横浜新緑総合病院20周年

今夜は、新横浜駅近くであった会合に出席しました。

横浜新緑総合病院の創立20周年を記念して、勤務医と開業医との交流のための会、ということでした。ふだん関係のある整形外科の先生方はもとより、都筑区の会ではお会いすることの無い先生などにもご挨拶ができました。

もともとあった横浜緑病院というのは、いわゆる「老人病院」というもので、あまり評判の良い病院ではありませんでした。それを三喜会という法人が買い取り横浜新緑病院としてスタートしたのが、平成3年のこと。

東京女子医科大学の第2外科からのスタッフを中心に、救急を扱う病院として再スタートしたわけです。自分は、翌年の4月から週に1回のパートで勤務を始めました。このときは、まだ整形外科の常勤はいない状態だったのです。

平成5年の4月からは、当時在籍していた東海大学の整形外科から出向で、一人医長として始まったのです。当時は、まだ10年にも満たなかったキャリアにもかかわらず、ずいぶんと生意気だったのと思います。

それでも、たしか年間200件くらいの手術をこなして、とにかく強気の診療をしていました。翌年からは、大学からもう一人出してもらって、二人体制で平成9年の3月まで医長を続けたのです。

その後は、しばらく縁が切れていたのですが、平成12年に東京女子医科大学リウマチセンターに転職すると、ベッドが慢性的に不足していて手術を大学でこなしきれないため、平成15年からふたたび横浜新緑病院にお世話になることになりました。

月に1回の外来をもたせてもらって、そこへ患者さんを紹介して手術をセットするというわけですが、開業してからは自分で手術するというよりも、クリニックにきた患者さんのベッドの確保先として大変助かっているわけです。

クリニックにも、すぐに入院が必要な患者さんが来ることは珍しくありません。近くに大きな病院がありますが、なんでもかんでも引き取ってくれるとは限りません。そんな時、外来をやっている関係で、相当無理をきいてくれるのはここしかありません。

そんなわけで、この病院の歴史は、自分の医者としての歴史と多くの部分で重なるところが大きく、おそらく今後も続いていくのだろうと思います。