2011年4月25日月曜日

されど映画なんです

もう、何度か好きな映画監督として、アルフレッド・ヒッチコックのことは書いてしまいました。いくら書いても書き尽くすことはないのですが、素人批評なんてものはいつも同じことばかりですから、あまり面白いわけもなく、読む人も「ああ、またか」と思うのが関の山。

じゃあ、好きな映画俳優でクリント・イーストウットのことは・・・これもまた、何度も取り上げていますから、まぁ同じですよね。たまには、違った映画の話でもと思うのですが、いかんせん、映画館にせっせと足を運ぶ真面目なファンではないので、どうもネタが思いつかない。

いっそ、日本に目を向けて・・・やっぱ黒澤でしょう。浪人生の頃に友達と池袋の名画座でオールナイトで見ました。いゃ、もう、映画の内容よりも、お尻が痛いこと痛いこと。そして、終わってから、まだ人もまばらなゴミが散乱した盛り場の朝の殺風景なことばかりが脳裏に残っています。

ちなみに、たぶんその時に見たのは、「どですかでん」と「天国と地獄」と「野良犬」、そして「生きる」の4本立てだったと思うのですが、とにかくいずれも名作というにふさわしいインパクトがありました。

また。別の機会にはルキノ・ヴィスコンティ監督のオール・ナイトもありました。これは、これは内容的にハードすぎて、とても眠い頭では理解不能なだけ。しかし、難しい内容の哲学的な雰囲気が、かっこつけたがりの年頃には妙に合っていたようで、ビデオが手に入るようになってから何度か見ているうちに、しだいにはまっていったものです。

1977年は特殊撮影を駆使したSF映画元年ということができるわけですが、これはひとえに「スター・ウォーズ」がきっかけでした。「スーパーマン」、「未知との遭遇」、「ブレード・ランナー」などのアクションやファンタジー、さらにホラーの「遊星からの物体X」など、この手の特撮にもずいぶんと入れ込んだものです。

まだ日本ではNECの最初の家庭用パソコンPC-8001が発売されるか否かの年ですから、これらの映画の特撮は基本的にアナログだったわけです。今になって古いスター・ウォーズなどを見ても、その撮影テクニックは色褪せていませんね。90年代の三部作のほうが、むしろいかにもCG的なあざとさが感じられ魅力を感じません。

さらにその一世代以前のSFというと、「ミクロの決死圏」や「2001年宇宙の旅」があげられます。いずれも現実には見ることの出来ない世界を映像化して、見るものの想像力を掻き立てるという意味で、いかにも映画的な作品。

もちろん、言うまでもなく「2001年」はまさにSF映画の、いやすべての映画の歴史の中でもベスト3に入るくらいの傑作であることは、異を唱える人は多くはないでしょう。この映画を見た後、あれは何だ、どういう意味があるのか、とにかく誰かと議論をしたくてしょうがなくなる。ある程度の解答が知られている現在でも解釈の仕方は様々で、本当の正解など無いのかも知れません。

一方、70年代以降のアメリカン・ニューシネマと呼ばれる人間ドラマにも秀作が多い。ここでは、必ずしも主人公はかっこよくないし、幸せな結末が用意されているとは限らない。本音で語られる物語は、人間の欲望を正直に描き出し、人間の美しさとともに醜さも正直に映像の中にあらわしていくのです。

しかし、90年代以降になってくると、エンターテイメントという名の元に映画の世界もバラエティ的な部分、とにかく楽しめればいいというような作品が増えてきました。特にアクションものは、どばーっとやって、ずがががっとうなって、だだだーんと終わればいいみたいなものばかり。内容を議論するような必要はまったくありません。

そんなわけで、最近でもなかには見るべき作品があるとは思いますが、もう新しいものにはほとんど期待することがないいい加減な映画ファンとしては、過去の名作を振り返るだけでも時間的に精一杯です。ゴールデン・ウィークには、お気に入りのヒッチコックをまとめて見かえす計画中でして、そのためのあらたな評論集をただいま仕込み中なのです。