2011年6月8日水曜日

Unforgettable

その患者さんは10代のうちに脊椎の悪性腫瘍を発症し、何度も入退院を繰り返していました。かなり美人の女の子で、自分が医者になって6年目、彼女は20代なかばというころに主治医になりました。もう、かなり状態は悪く、腫瘍は肺転移し呼吸もくるしそうでした。

ちょうど国際学会でパリに行くことになり、自分は1週間大学病院を留守にしました。一緒に行った数人の先輩・後輩はパリの学会の後に、スイスとロンドンで遊んで帰る計画だったのですが、自分だけは患者さんが気がかりだったのと、当時病棟のベッド調整を担当していた関係で早々に一人で帰国したりしたのです。

患者さんは、日増しに衰弱しているのが手に取るようにわかりました。お姉さんが、ほぼ毎日のようにつきっきりになっていました。お姉さんも、かなり疲労がたまっていて、相当大変だったと思います。

ある時、お姉さんから「ちょっとお風呂に入ったり、着替えを取りに帰ってきたいけどいいでしょうか」と尋ねられました。「今日は落ち着いているようなので、大丈夫だと思います。お姉さんもお疲れでしょうから、少しゆっくりしてきたらいいと思います」と答えました。

しかし、そんなタイミングで患者さんは急変したのです。病棟からの連絡ですぐに駆けつけましたが、心拍数が減って血圧が下がり、危篤状態です。すぐにお姉さんに連絡をしてもらいましたが、心臓は今にも止まりそうで、間に合うかどうか厳しい状況でした。

そして心停止となり、心臓マッサージをし、人工呼吸をし、昇圧剤を使い、お姉さんの到着を待つしかありませんでした。どれくらい心肺蘇生をしていたかよく覚えていませんが、とにかくお姉さんが病室に戻ってきて、状況を説明しもう無理だと話をしてから、患者さんが亡くなった事を確認しました。

亡くなった後に、病理解剖をさせていただきました。肺の中は8割がた腫瘍が占めていて、ほとんど呼吸ができるような状態ではありませんでした。本当に苦しかったのだろうと思うと、何もしてあげられなかった自分が情けなく、患者さんが可哀想だったと思うしかありませんでした。

お姉さんは「いろいろとありがとうございました」と頭を下げて、病院を後にしましたが、自分は、何故あの時「今日は帰ってはいけない。ずっと、ついていてあげてください」と言わなかったのか、いまだに後悔しているのです。

あれだけ妹のことに親身になっていたお姉さんですから、急変したときにそばにいてあげなかったということを悔しく思っていたに違いありません。もしかしたら、帰っていいと言った自分は恨まれているのではないかと考えてしまいます。