2012年6月14日木曜日

上同下

学校でも、社会に出ても、必ずヒトとヒトの関係には上下関係が付きもの。昔、福沢諭吉は「学問のす々め」の中で、「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」と書きましたが、現実社会ではそうはいきません。

実際のところ、上下関係があることである一定の秩序も生じてくるわけで、必ずしも悪いことではないと思います。もしも、すべてのヒトがまったくの並列状態では、決まるものも決まらず、成すべきことも成されないかもしれません。

大学でテニス部に入ったのですが、一つ上の学年の部員が大量にいて、自分たちの学年はいつでも「その次」という感じでした。整形外科に入局すると、またもや一つ上の学年が大量にいる。やっぱり、自分たちの学年は「その次」という扱い。

上級生が、先であることはある程度しょうがない。実際、もっと上の先生から理論的なことを教わるわけですが、今日必要な現実的なことをいろいろ教えてくれるのは一つ上の先輩だったりするわけです。

同級生は、お互いが仲間でありライバルであったりする。とは言え、そんなにシビアな関係ではなく、和気藹々としたものです。それなりに、苦労を共にした、「同じ釜の飯を食った」仲間であることは間違いありません。

下級生ともなると、今度はこっちが先輩になるわけで、しっかりとしないといけないのですが、なにしろ下っ端根性が染みついているので、さぞかし頼りなかったことでしょぅ。

この人より下級生でよかったというのはそうないことですが、 正直言ってなんでこっちが下級生なんだと思うことは時々あったりしました。それよりも、こいつより上級生でよかったということの方がよくあります。

とにかく、ヒトの上や下にヒトがいることは、ヒトが成長していく上である程度必要なんだろうな、と思います。