2012年6月22日金曜日

八方ふさがり

現実にそんな甘いことが実現するとは思っていないまでも、おそらく自民党に対する「反対する」野党の姿勢だけのことなんだろうと。

それでも、何かが変わってほしいといういくらかの期待をこめて民主党への政権交代を黙認したのは、国民の日本社会のなんともいえない閉塞感に対する気持ちだったはず。

トップが変わっても、すでにできあがって稼働しているシステムは簡単に変わるわけはなく、自民党から民主党になって何かが良くなったかと言うと、ほとんど実感できるものはありません。

あれだけ騒いだマニフェストって何だったんだろう・・・という。選挙公約とするならば、国民に対する約束であり、履行する義務を伴うものです。政党としての国民との契約ですから、守れないならそれなりのペナルティを科せられなければなりません。

単なる「あーしたい、こーなるといいね」程度の希望を出しただけのものなら、単なる意見であって国民に約束したものではないわけです。マニフェストが実行されなくても、それを真に受けた国民の責任と言うことなんでしょうかね。

政権交代以後、民主党には「できる政治家」がいないということが露呈した感は否めず、小泉以降ボロボロになった自民党はさらに野党らしくなりました。その他の弱小政党の存在感はいっそう希薄になり、もうほとんど忘れられた感じです。

最近思うのは、政治に対する透明性の要求や、特権の否定といった国民の意識が、政治家をどんどん小さくしていないかということです。社会が、平等性を正義としすぎていないでしょぅか。

いずれにしても、もう一定の行動基準の中にいる現在の政治家には期待することはできないのかもしれません。根本的な日本のシステムをひっくり返せる行動力と、それによる負担を国民に理解させられるだけの説得力を持った政治家の登場はないのでしょうか。

集団をリードするためには、それなりのカリスマ性は必要で、もしかしたら間違った方向性を示しているかもしれませんが、それを評価するのは歴史の仕事です。