2012年9月8日土曜日

ドクター・ショッピング

・・・という言葉があります。たまたま、患者さんの口から、そういう言葉をお聞きしました。どっかで聞いたことがあるような気がしますが、会話の中で直接耳にするのは初めてかも。

患者さんの立場から見て、自分と気が合う医者、あるいは自分が期待する医療を提供してくれる医者とめぐり合うまで、 転々といろいろな病院を受診することです。

一方で、ジプシー患者という言い方もあります。これも同じ意味ですが、どちらかというと医者の視点からの言葉。医者は患者さんを法律的にも選り好みできないのが原則ですが、患者さんは選択の自由があるためにこういう言葉がでてきます。

人間同士の関係ですから、お互いストレスの少しでも少ないことにこしたことはありません。合う合わないというのは必ずありますから、どうしても「この人とは合わない」と思いながら通院することは不幸ですし、病気の回復にも少なからず影響するでしょう。

明らかな納得のできない医療に遭遇した場合、これは医者を変えることはやむを得ない。最近は、患者さんにしっかりと納得してもらうことは医者も重視していますから、セカンド・オピニオンは大変重要です。

ただし、セカンド・オピニオン(第二の意見)は、患者と医者の双方の合意の上に、そこまでにわかっている医療情報をもとに行われることです。少なくともドクター・ショッピングは、セカンド・オピニオンではありません。

今や、医療に限らず、ネットなどで様々な情報が簡単に手に入り ます。これはもちろん大変便利なことですが、こと医療に関しては、一人一人の状態と言うのは単純に教科書的な話で割り切れるものではありません。

その病気の情報が、どこまで自分に当てはまるのかを判断することは非常に難しいことだと思います。思い込みのまま受診することは、ドクター・ショッピングをすることになるきっかけになる可能性があります。

ただ、ドクター・ショッピングをするようになる原因の多くは医者の側にあるのではないでしょぅか。医者がしっかりと病気の説明をしない場合、患者さんは不安になり医者を変えたくなるものです。

日本の保険医療では、どんなに一生懸命説明してもそれに対しての対価はありません。昔よりしっかりと説明するための仕組みは増えましたが、根本的に話術も含めた個々の医者の技量を診療報酬に反映することはできません。一人の患者さんにかける時間を削って、数をこなさないと収益を得られない仕組みになっています。

どんなに話したつもりになっても、患者さんが本当に納得するまでとことん時間をかけるということは現実には難しい。何度かお会いしている中で、少しずつ説明を継ぎ足して行くしかありません。

実際に病気がある場合よりも、実は病気では無い場合は、さらにいっそう事情は複雑です。病気があると言うことより、無いと言う方が遥かに難しい。世の中にはごまんと病気があるわけですから、一度自分は病気かもしれないと思われたら、それを100%の確立で否定することは不可能とも言えます。

もしも本当に病気では無い場合、ドクター・ショッピングの結果、自分が思い描いていた病気があると説明してくれる医者にめぐり合うと患者さんは安心することになる。大多数の不安を取り除くことができなかった医者にも責任があるし、さらに病気があると結論付けた医者は誤診をしているわけです。

自分も、患者さんが少しでも納得して受診してくれるように、限られた時間の中で努力はしているつもりですが、なかなか30年近く医者をやっていてもまだまだだなぁと思ってしまいます。