2013年9月30日月曜日

ULTRABOOK

暑いっ、・・・と思っていたら、いつの間にか9月も今日でお終い。こんだけ存在感が薄かった長月は、そうそう無いのではと思ったりして。

さてと、今回はパソコンの話。日本では、80年代なかばに家庭で使える、まさにパーソナルなコンピュータをNECが出したのが始まり。当時はスタンドアローンという言葉は無く、というか一台ずつまったく独立して動くのが当たり前でした。

そのうち特定の相手とだけ電話回線を使ってつなぐBBSが出来るようになり、90年代なかばには不特定間をつなぐインターネットが普及。今では、ネットにつながらないとパソコンの意義が無いくらいの社会となったのは周知の事です。

特にこの数年はクラウド・サービスというものが普及してきて、データや、場合によってはアプリケーションすら自分のパソコンには置かないというような形も見えてきました。

そうなると、いろいろなデジタル演算を行って作業効率を高めるのはクラウド側の仕事で、自分のパソコンはネットに高速につながる環境が用意されていればいい。

数年前に、ネットにつなげてブラウザとメールを使うには十分というコンパクトなネットブックと呼ばれる小さいノート・パソコンが流行りました。場合によってはポケットに入れて持ち歩くというような使い方も示されて、スペックも低めで価格も安いのが受けたわけです。

ところが、iPhoneやスマートフォンの普及によって、そういう仕事はネットブックすら必要なくなりました。さらにその部分を拡張した、iPadやタブレットの急速な普及によりネットブックは吸収されてしまったと言っていいでしょぅ。

その一方で、ある程度の仕事もしっかりとこなしたいと思うと、さすがにそれらのハードでは非力。そこで、Intelが提唱し広まってきたのがウルトラブックという考え方。

排除できるハードをはずして、コンパクト化。ただしUSBやBluetoothといった拡張性はしっかり確保。携帯性にすぐれたノートパソコンです。ただしCPUは、それなりに高性能な薄型低電力のものを搭載している。

基本的には無線LANでネットに常時つながっていることが前提で、各種のクラウドをうまく利用していくことが使い方のコツということになります。

コンパクトで高速なSSDの価格もこなれてきて、最近では1TのSSDも登場していますので、本体の中に大容量のストレージを組む事も可能です。

が、実際OSとある程度のアプリケーションをインストールしても250G程度で十分でしょうから、 むしろデータなどはどうしても手元に持っておきたいならばUSBメモリーなどの外部接続を使用したほうが、安全性の上でもいいかもしれません。

Photoshopで有名なAdobeなどは、一般向けにはクラウド・アプリに特化していくことを表明していますし、ますます高機能なブラウザとメール以外のソフトはパソコン本体には不必要になっていくのかもしれません。そうなると、250G程度のROMだけのパソコンというのもありでしょう。

2013年9月29日日曜日

C.Hogwood / Haydn Symphonies

クラシック音楽のアルバムの企画として、昔から全集録音というのはコレクター心をくすぐる定番
物で、特にCDになって収録時間が増えてからはあまたの名作が登場しているわけです。

作曲家ごとにすべて集めるというのもあって、モーツァルトなどはCD200枚を越える。演奏家ごとにすべてを詰め込むというのも、例えばカラヤンとかルビーシュタインとか、もう膨大すぎて、置き場所そのものに困りそう。

一番気楽に手を出せるのが、誰々のピアノソナタ全集とか、協奏曲全集とか、ジャンル的にまとまったもの。これなら、たいていは多くてもCDで10枚くらいで、その気になれば日曜日一日で聴きとおせます。

ベートーヴェンの交響曲全集は、全9曲で普通はCD5枚。モーツァルトになると番号がついているものが第41番まであって、番号無しを含めてだいたい50曲前後というのが定番の量。CDだと10枚から12枚くらいが普通の構成です。

クリストファー・ホグウッドという人は、クラシック界の音楽学者として知れ渡り、古楽奏法の牽引者として有名な一人。ホグウッドは、モーツァルトをあれこれ発掘して今では交響曲として扱われていないが、作曲当時は交響曲として意図されたものなどを含めて、80年代前半に何とCD19枚、全71曲の全集を作りました。

これが、なんとクラシックとしては異例の大ヒット。そこで、次はハイドンの全集を作ろうという企画が持ち上がった。ところが、ハイドンの交響曲はというと100曲を越える膨大な量があります。さすがに、レコード会社もいきなり始めるのは怖かったのか、比較的知られている「ロンドン」、「軍隊」、「奇跡」、「驚愕」という後期の有名どころを出しました。

モーツァルト全集の好調な売れ行きに気をよくしたレコード会社は、いよいよハイドン全集化にGOサインをだして、いよいよ壮大な企画が始まったわけです。ところが、実際はクラシック録音史上、最も残念な「途中で頓挫した企画」として語り草になってしまいました。

なにしろ、全15巻予定でひとつのセットが三枚組み7500円のフルプライス、ほとんど人気の無い初期のものから始めたので売れるわけが無い。それでも、会社もずいぶんと我慢して10巻まで出したところで、終了してしまいました。81曲を録音し、あと少しというところ、それも人気のあるザロモン・セットやパリ・セットが抜けてしまったのは痛い。

それでもCD32枚というのは、なかなかの量。人気はあまり無いとは言え、初期の交響曲の古楽アプローチはあまり録音が無いだけに、それなりに今でも存在意義があるわけです。昨年にすべてをまとめたボックスが登場して、当初の1/10の値段で手に入るようになった事は喜ばしい。

発売されて1年くらいたちましたが、そろそろ入手が難しくなってきたようです。Amazonでは取り扱いが無い状態が続いています。HMVも、一時入手困難となっていました。興味が有る方は、早めに行動したほうがいいようです。

2013年9月28日土曜日

蟄虫坏戸

蟄虫坏戸は七十二候のひとつで、「むしかくれてとをふさぐ」と読むんだそうです。いろいろな虫が、冬篭りの準備をし始めるということらしい。3月頭の啓蟄(けいちつ)の反対ということ。

今年は夏の暑さが厳しく、秋の風情の代表である虫の声が聞こえ始めたのは、割りと最近のような気がしていました。 ところが、この数日で朝は20度を下回り、けっこうヒンヤリするようになって虫の声は尻つぼみ。

おやおや、数えられるくらいしか鳴いていませんね。皆さん、冬支度を始めてしまったんでしょうか。冬を耐えるための巣に入って、扉を閉めてしまったみたいですね。異常気象と言われていますが、季節は粛々として毎年の営みを続けているようです。

カブトムシとクワガタは、何となく外観が勇ましく似ている感じがする昆虫です。ところが、蟄虫坏戸の状況はずいぶんと違う。

カブトムシは夏の終わりに卵から幼虫となり、脱皮を繰り返しながら来年の夏の初めまで土の中。成虫になって2ヶ月間程度で、また卵を産んで死んでしまう。

クワガタは幼虫のまま1年以上朽ち木の中で過すそうです。夏の終わり近くになって成虫となるのですが、そのまま朽ち木の中で越冬する。次の年に夏の間だけ外に出て活動して死んでいく。

人生いろいろ、いや虫生いろいろ。何にしても、秋真っ盛りになってきましたが、あちこちですでに冬の準備が始まっているということですね。

2013年9月27日金曜日

暖かくして食べるお弁当

今時の弁当・・・温めてから食べるんですね。って、もう、数年前からあった仕組みですが、実際に触ったのは初めてのことだったので、なんか嬉しい。

横に出ている紐を引っ張ると、モクモクと水蒸気が出始めて、けっこう温かくなる・・・というか、一時は熱いくらいで、とても持っていられない。

多少厚みのある大きめの弁当箱になっていて、その厚さの半分は発熱の仕組みのためのもの。生石灰というのが入っていて、外の紐を引っ張ると、水の入った袋が破ける仕組み。

CaO + H2O = Ca(OH)2 + 熱エネルギー

ということらしい。生石灰は水を加えると、直ちに発熱が始まり、数分以内に80度くらいになって、あとは消石灰に変わるそうです。消石灰は、肥料として再利用が出来るというのもポイント。

確かに冷たい弁当を食べるより、美味しいことは間違いない。ただ、発熱ユニットが大きいので、弁当の量としては箱の大きさからするとだいぶ少ない感じ。

食べる部分が多ければ、その分発熱ユニットもさらに大きくなるのでしょう。どうもヒトというのは一度贅沢を覚えると、貪欲にさらなるものを求めたくなるもの。

もっとたくさんの量を温められる、もっと効率的な発熱システムを開発してもらいたいものだと思ってしまいます。それと、部分的には冷たいままにしておく仕組みもあったらいいなとか・・・

2013年9月26日木曜日

ローレライ (2005)

日本の映画 - あるいはテレビドラマも含めてもいいのですが - では、戦争を題材にした場合、基本的に「戦争の悲劇」をテーマにしたものがほとんどで、エンターテイメントとして娯楽性を前面に出したものはたいへん少ない。

欧米でも戦争物の映画たくさんあるわけですが、終戦後しばらくは比較的戦争に関わる人の人間ドラマが多かったのですが、60年代くらいからは戦争の現場を題材とした娯楽映画、つまりアクション物が人気を持つようになりました。

太平洋戦争は、基本的に日本の近隣諸国に対する「侵略戦争」という考え方は一般的になりました。本来、日本は加害者側の立場にあるものの、敗戦した事、特に世界で唯一核爆弾の被害を受けた事もあり、戦争を反省する一方で、多くの悲劇が発生した事などがテーマになりやすい。


日本では戦争を娯楽映画として作る事には、ややアレルギー的な、何となく避けているようなところがあることは否定できません。アクション物の映画では、ヒーローは最後には「勝つ」ことが求められるので、戦争の肯定につながる可能性があるからでしょうか。

1979年の「戦国自衛隊」は、珍しく戦争エンターテイメント映画として記憶に残るものです。ただし、太平洋戦争ではなく、もっと古い戦国時代が舞台ですから、受け入れやすかったのかもしれません。

福井晴敏は、現在40歳代前半の小説家であり、まさにガンダム世代。2000年頃から、ヒット作を連発し、映画界にも積極的に関わるようになりました。

「終戦のローレライ」は、21世紀に発表された架空の戦争小説としては代表的な作品となっていて、日本では比較的珍しい太平洋戦争を題材にした娯楽映画として2005年に映画化されました。「踊る大捜査線」のプロデューサとして名を上げ、最近はフジテレビの社長になった亀山千広が制作したことからも、映画の内容は想像できるというもの。

単純に娯楽作品として見ると、それなりに楽しめます。ただし、潜水艦という密閉空間では発生する諸問題はある程度語られつくした感があり、あまり目新しさはない。そこで、まったく新しいドラマを作り出すために、無理やり潜水艦に女の子が載っているという状況を作ったところがこの映画のミソ。

ただし、やはりこういう設定にはもともと無理があり、SF的な超自然現象的な解釈が支配することでストーリーを進ませているので、太平洋戦争という歴史の中にまったくありえない時空間を作ってしまい、どうも世界観がピンとこない感じです。

やはり、自分も含めて太平洋戦争に娯楽性を見出す事は、作る側も見る側も日本人にとってはまだまだ難しいのかもしれません。

★★★☆☆

2013年9月25日水曜日

イージーライダー (1969)

ベトナム戦争が、さまざまな形でアメリカ人に影響を与えた事は周知の事実。映画の世界の中から、それらを端的に拾い上げることが可能で、直接的に否定するメッセージは1970年代後半から。

80年代に入ると娯楽化した映画が出始めるわけですが、これは戦争を楽しみに変えてしまったという批判的な見方ができる一方で、ベトナム戦争をアメリカ人が客観的に考える事ができるようになったということでしょうか。

同じではありませんが、日本人は太平洋戦争を「茶化す」ことは今だにタブー視されている傾向があります。そういうところに、70年近くたっても整理しきれていない日本というものが見えてくるのですが・・・話を戻します。

しかし、60年代初めからベトナムへの軍事介入を増大させたアメリカでは、初めから戦争を表立って批判できたわけではありません。50年代に人気を博したプレスリーは、軍隊入隊を誇らしげにアピールしたのとは対照的に、特に60年代の若者の間では、FREEとかPEACEを掲げる行動が強まってきます。

それが、ヒッピーという集団を生み出し、麻薬などの使用してより自由が得られるという、まさに「サイケデリック」な文化が広まっていく事になるわけです。映画界では、この中からニューシネマと呼ばれる独特の雰囲気を持った作品がどんどん作られるようになっていきます。

そのほとんどはアメリカの閉塞感と自由回帰をテーマとしているわけで、空間的・時間的に直接的な体験をしていない者には、本当の中身は理解しきれないのかもしれません。

1969年の"Easy Rider"は、比較的わかりやすい形で、60年代後半のアメリカの若者の考え方と、それを否定する保守性の対立を描いた傑作として、映画史に残る作品でした。

麻薬で儲けたお金をバイクに隠して旅に出る二人に、旅の途中で様々な仲間が加わる一方で、彼らを排除しようとする「大人」が出現し、この映画では最終的には簡単に自由は潰されてしまって終わります。

そこから何を感じ取るかは、人によって違うでしょう。しかし、この映画が今でも語られるのは、主人公に共感してもしないにしても、少なくとも何かを感じる事ができるからだと思います。

そして、この映画の話を誰かとしたくなるからではないでしょうか。例えば、それが登場する音楽のことでもいい。それが「映画」という文化なのかもしれません。

☆☆☆☆★

2013年9月24日火曜日

ランボー First Blood (1982)

この映画は、ロッキー色からシルベスター・スタローンが抜け出て、アクション・スターとしての地位を確立した作品。基本的には娯楽映画という範疇に入るものですが、タイトルは"First Blood"であって、ランボーはあくまでも主人公の名前。

First Blood は「先手」という意味で、この映画ではベトナム帰還兵のランボーが、風来坊というだけで保安官から攻撃されることから、先に手を出したのは保安官というところからついたタイトル。あえて、邦題をつけると「ちょっかい」という感じでしょうか。

60年代末にアメリカはベトナムに派兵して、世界の警察としての大義名分を発揮し始めます。これは今でも、シリア問題などで「世界の平和」のためというような威信をちらつかせるわけですが、他国に対する軍司活動はあくまも自国の利益を死守することが最優先であることは疑いようもありません。

ベトナム戦争は、実質的にアメリカの敗北となり、精神的・肉体的にもアメリカに重い後遺症を残すことになるわけですが、映画の世界でも70年代なかばからベトナム戦争を描くものが作られるようになりました。

その代表は、アカデミー賞に輝く"Deer Hunter(1978)"であり、ベトナム戦争によって病んだアメリカを痛烈に描き出しました。そして"プラトーン(1986)"で、ベトナムを否定的に見る反戦映画は完成したのだと思います。

一方で、"ランボー"は、帰還兵の悲劇をベースにしているものの、ベトナム戦争そのものを描くわけではなく、一人の軍隊と呼ばれるランボーと警察との戦いをテンポよく見せるアクション映画。ベトナム戦争をエンターテイメントにした最初の映画かもしれません。

それでも、戦争の悲劇というものが、戦争そのものが終わった後も続いているということを端的にアピールすることには成功しているのかもしれません。

この後に続くシリーズは、主人公の「一人の軍隊」という設定だけを受け継いだ完全に派手なアクションのみの映画で、あまり内容を考える必要はなくなります。

第一作は、そういう意味ではやや地味な感じですが、あえてシリーズの中から一つだけ見るならこれだけで十分というところでしょぅか。

☆☆☆★★

2013年9月23日月曜日

雷乃収声

今年の9月23日は秋分の日、そして二十四節気では今日からの約2週間を秋分と呼びます。

秋分の日は、春分の日とともに昼夜の長さが等しい日。正確には、地球と太陽の位置関係、傾きなどから求められる一瞬が秋分なので、実は今年については9月22日、つまり昨日の夜に秋分になっている。

七十二候では、今日から秋分の節気の初候で「雷乃収声」となり、これは収と声の間にレ点をつけると何となく読めそうな感じ。「かみなりすなわちこえをおさむ」と読んで、意味もそのままで、雷は発生しなくなるということ。

雷雲は地表の気温が高く湿度が高いいところに、上空に寒気が入ってくることで発生しやすくなります。上昇気流によって水蒸気が、凍ってぶつかり合うことで静電気が発生するらしい。

地表の温度が下がってきて、湿度も低くなって来れば、原理的には雷の発生は起きにくくなるということで、まさに秋のさわやかな気候と雷はそぐわないわけです。

仏教では、天文学的な暦とは関係なく、春分の日と秋分の日の前後の3日間を含めた1週間を彼岸と呼んでいます。この期間に、祖先を供養して悟りの境地に至ることが重要だそうですが、現実にはお墓参りをする期間として定着していますね。

先祖がいるから今の自分がいて、子孫のために自分もがんばる。生物の原始的な本能は「腫の保存」ですから、自分のことばかりを考えずに先祖に感謝して、未来につなげていくということが「悟り」なのかもしれません。

いやぁ、まだまだ俗人で、悟りの境地にはほど遠いのですが、今日くらいはちょっとだけは努力しておきたいものです。

2013年9月22日日曜日

連休

週末連休が続いて、日本人はどうも遊びすぎ・・・休みをふやして消費を拡大という政府の方針で、祝日が日曜日と連結するように何年か前からなっています。

消費を増やすためには、当然懐具合が良くないと無理な話。消費税増税は間近に迫り、最終判断はまだなんてことを言っていますが、もう決定事項てあり今更撤回されるなんてことは無いであろうことは誰もがわかっている。

政治家の方々がするのは、昔も今もまず大企業を儲けさせれば、後から個人の収入も増えてくるさ的なもので、民主というには違和感を覚えざるをえないわけです。

まぁ、民主主義というのは基本は多数決の論理で成り立っているところがありますから、 あまりそのあたりについて不平不満を言ってもしょうがないのかもしれませんけれどね。

おっと、話があらぬ方向へいってしまいました。そんな難しいことを言いたかったわけではなく、連休の話。クリニックをやっていると、なかなか長期の休みを取るなんてことは難しい。

先日のiPhone5sの発売の話で、1週間も前から並んでいる人たちがテレビとかにずいぶんと取材されていました。

価値観の違いですから、どうでもいいのですが、会社を有給取って休んで並んでいるって・・・何か、もっと他のことに貴重な時間と労力を費やせばいいのにと思ってしまいます。それだけ休んでも自分は困らない・・・おそらく会社も困らないのでしょうね。

おっと、話がまた脱線しそうになった。連休ですよ、連休。連休を増やすということをせっせとやっていた頃に、学校でもゆとり教育なんてものが取り入れられたわけです。

ところが、最近はゆとり教育の結果がいろいろと問題になり、ゆとりを返上する傾向にある。自分のこどもたちも中高でこんなに休みばかりで、先生は一体何してるんだろうとか思いました。

だったら、ハッピーマンデイとかもやめて祝日は、もとの通りに戻したらとか思ってしまいます。毎年、9月15日って決まっているから敬老精神も発揮しやすい。連休で遊んでいては、敬老どころじゃないでしょう。

・・・と言うのも、やっぱりなかなか休みをとれない仕事をしている故の、ただの羨望のぼやきにしかすぎないというところでしょうか。なんだか、今日は話にまとまりがないので、このへんで。

2013年9月21日土曜日

プラチナデータ (2013)

東野圭吾原作を、大友啓史監督、二宮和也、豊川悦司主演で描くサスペンス映画。

舞台は数年後の日本という設定で、DNA鑑定のプロファイリングにより、データが登録されている中から、ほぼ一人の人間を絞り込めるということが話の骨核。

そのためには、すべての国民のDNAデータを収集する必要があり、この究極の個人情報を法律によって様々な手段で集めていく。しかし、そこには当然登録されてはいろいろと困る人たちがいて・・・というのが、事件を大きくしていくわけです。

他にも、すべての監視カメラからの情報をコントロールして、顔、体型、音声などから写っている一人を特定する技術なども紹介されています。これは今でも、ほぼそれに近いことが可能であることを紹介したテレビ番組もありましたね。

例えば「国民総背番号制度」といわれるようなシステムの構築が議論されますが、さらに発展していけば、この映画の中で描かれるような「国民完全登録制度」というのもあながち絵空事とも言えないところです。

今のところ、病気になったりするとそれぞれの病院などに、個人の病歴は個別に保管されていきます。それらを結ぶ直接的な方法はありませんから、必要なときは「紹介状(診療情報提供書)」を持っていくことになります。

個人の病歴を、個人が管理することができれば、そういう手間もなく、また正確な情報がすぐに取り出せるので大変便利な事になり、現在の技術でも小さなICカードにすべて詰め込むくらいは簡単に可能なこと。

もしも、映画のようにそれらの個人情報をある組織がすべて管理してデータベース化すれば、学問的にも臨床研究の大部分が飛躍的な成果をあげられることは間違いありません。

その一方で、組織の中でそれらを悪用しようとするものが出てくれば、いくらでも恐ろしいことが発生するだろうことも想像に難くありません。少なくとも、まだまだ管理体制はほぼないような状況で、仮に現実化するとしても相当先のことでしょう。

映画の話に戻ると、テーマとしては面白いのですが、映画としては短い時間に詰め込みすぎたきらいがないわけはない。監督は元NHKでテレビの出身。これはNHKで、5回程度の連続ドラマで作るくらいのボリュームがあったほうがよかったかもしれません。

全体的には消化不良な感じで、二宮クンの嵐人気に乗った感も否定できません。二宮の二重人格という設定も唐突で、豊川の行動もやや理解に苦しむところ。拾い物は、真面目な演技をさせると生瀬勝久はすごいということを再確認(ガリレオ2もよかった)したことでしょぅか。

☆☆☆★★

2013年9月20日金曜日

十五夜

昨夜は「十五夜」、いわゆる仲秋の名月というわけで、まぁ見事な満月を見ることができました。台風がすぎた後で、大気がすんでいたのでしょうか。

そこで、久しぶりに月の写真をとってみました。久しぶりというのは、だいぶ前にデジタル一眼と200mm望遠を使って撮影したことがあるのですが、今回は最近紹介したSONY DSC-HX50Vを使用しました。

恐るべし、コンデジの威力。シャッタースピードを1/1600にして露出も少なくして・・・って、一眼レフなみのことができる。

オートにしてただのバカチョンとして誰でも使えるわけですが、やろうと思えば光学30倍+デジタルズームで最高120倍は720mm望遠相当という力は伊達ではありません。

さらに凄いのが、手持ちの撮影というところ。手ぶれ補正の機能の技術と言うのは、格段の進化をしていて、しっかりと固定していなくてもここまで撮影できる。

さあて、ウサギは何見て跳ねているんでしょうかね。

2013年9月19日木曜日

センター南のあっち側

センター南というのは、もちろん横浜市営地下鉄のセンター南駅。港北ニュータウンと呼ばれる街の「官公庁街」のことで、自分のクリニックの最寄り駅。

センター南駅には出口が北側と南側にあるわけですが、クリニックのあるのが北口でこっち側。そしてあっち側というのは、反対の南口ということです。

もともとは、あっち側に区役所、警察署、消防署などがあって、そらに強力な東急SCがでーんっと居座っていますから駅からの人の流れは圧倒的に南口。バスロータリーへは北口からの方が降りやすいにもかかわらず、ほとんど歩いている人がいません状態。

ところが、隣のセンター北駅の賑わいとともに南北の駅間が元気になってきて、ホームセンター、スパーマーケットなどもできて、こっち側の人の流れが増えてきたのは、クリニックにとってはありがたいところ。

そのかわりと言ってはなんですが、あっち側はしだいに衰退している事は否めない。要の東急でさえ、けっこう厳しい状況が続いてるようです。全体的には、都筑区の人口増加の割にはセンター南周囲は人が増えているようには見えません。

クリニックの営業を考えると、あっちもこっちもなくセンター南全体が活気付いてくれないと困るわけですが、最近は駅周囲の開発がやっとのこと盛り上がってきました。

駅に隣接する大きな空き地がやっと着工されましたが、一足先に工事が始まっていたパルスポットという商業施設の完成が間近になってきました。もともとCREATEという薬局が中心になっていたあまり大きくない建物だったのですが、全体が木造を感じさせる温かみのあるビルになっています。

そうは言っても、駅横のビルは1階はパチンコだそうで、何かなぁという感じ。パルスポットの方は、2階が医療モールになっていて、うちのクリニックのある医療ビル(都筑区で一番各科がそろっている)にとっては、強力なライバルになりそうです。

まぁ、そういう私情はぐっと抑えて、こっちもあっちもなくセンター南全体の賑わいにつながる新しいビルにはそれなりの期待をしたいとは思います。

2013年9月18日水曜日

高速道路でMOS BURGER @ 藤野

一昨日は台風上陸で、全国的に大荒れの天候。各地で被害が続出でしたし、せっかくの連休が台無しという方も多かったことでしょう。

実は家内の実家のある信州に行っていたのですが、台風が過ぎ去ってから帰るのでは遅くなると思い、天候はひどかったのですが朝のうちに向こうを出てきました。

実際、お昼前に横浜に着いた頃には、ちょうど信州から山梨あたりに台風がいて、帰るタイミングとしてはちょうどよかったようです。それでも、途中、風雨が激しくて、ハンドルを取られそうになったり、タイヤがスリップしそうだったりと、なかなか大変でした。

朝早めだったのと、天候が天候ですから、中央高速は当然空いていました。普通なら、上りは談合坂のSAを過ぎると渋滞になることが多く、トイレ・タイムはその前にと考えてしまいます。ですから、いつも談合坂から東京側のSAはスルー。

ですから、いつもだと通り過ぎるだけの藤野SAに今回は立ち寄りました。談合坂を過ぎた次の、お土産を買うこともままならないくらいの大変小さなSAですが、実はここにはMOSがある。というか、MOSしかないのです。

ちょっと遅めの朝ごはんを食べたい時間でもあったので、ほんと10数年ぶりに立ち寄ったというわけです。もちろんMOSは普通に何度も食べていますが、高速の上と言うのは初めて。味はとくに変わった事はなく、普通のMOSです。

2013年9月17日火曜日

玄鳥去

白露の節気も、今日から末候となり、七十二候では玄鳥去となります。

玄鳥去は「つばめさる」と読み、春にやってきて子育てを終えた燕がそろそろ南に帰って行くということだそうです。

日本の平地でよく見かける鳥というと、鳩、烏、雀、そして燕というところが思い浮かぶくらい馴染みがあるのですが、日本で越冬しないというのは何となく知っていましたが、燕がいつからいなくなるかは考えてもみませんでした。

燕はよく民家の軒下に泥交じりの巣を作って、雛が顔を出しているみたいな光景が思い浮かびます。もうひとつ、言葉だけならよく聞くのが燕の巣。

広東料理の高級食材である燕の巣は、アナツバメという種類が作るほぼ唾液だけで作られたもの。 中には空中の粉塵も含まれるのだそうですが、雛が巣立って使われなくなったものを食材として利用するのだそうです。

味は・・・う~ん、実は食べた事がないのでわかりません。高級中華だったらフカヒレだけでも感動してしまうので、もっと高い燕の巣は手を出す気がしません。そもそも唾液が固まったものと思うと、それだけで・・・

2013年9月16日月曜日

敬老の日

敬老の日は、いまさら説明するまでもなく、年を取った方を敬う日。日本中が高齢化社会になってきて、敬老されるべき方の数は増える一方。

ところが、昔だったら60歳代後半くらいから「お年寄り」というようなイメージでしたが、最近の高齢者は確かに元気で、80歳を超えてもバリバリに生活している方も少なくありません。

自分が医者になった30年くらい前だったら、80歳というと「すごい」という感じがしていたものです。100歳超えなんて、もう神様の領域。でも、今や100歳以上は5万人を超えているのだそうで、特に21世紀に入ってからの増加が驚異的。

あと20年くらいすると、自分が敬老される側になるかと思っていたら、そうはいかないかもしれません。100歳超えだけでも数十万人いて、90歳になっても年寄とは呼ばれないような社会だったらどうしましょう。

高齢者か増えることはいいのですが、問題は健康な高齢者でいられるかということ。健康を維持するために、いろいろな医学的な研究が進むことが必要なんです。

ところが、それがまた寿命を伸ばすことにもつながり、よりいっそうの高齢化社会を作るというジレンマみたいなものもあったりするんですよね。

まぁ、先のことは若い人にまかせて・・・って、若い人が足りないとなると、日本の将来は本当に心配になってきます。

2013年9月15日日曜日

たぶんミートソース @ Los Angels

Los Angels ・・・って、店の名前じゃない。

もちろん、アメリカ西海岸の、あのロサンゼルスのこと。ビバリーヒルズで有名。日本との時差は16時間。日本で9月15日午前0時なら、あっちは9月14日午前6時。

えっ? 行ったのか? って、そりゃ無理です。そんな時間はありません。そもそも、パスポートだって、何年も前に失効してますしね。

実は、うちの子が只今観光旅行中。それにしても、時代はずいぶんと便利になったようで、到着した最初のアメリカでの食事の写真がこれ。

LINEを使って、写真が送られてきました。たいていホテルとかでは、無料で使えるWiFiがあるでしょぅから、ネットにさえつながれば時差と距離なんて無いのも同然。

どう見ても、スパゲッティ。それもミートソース、なんですが・・・中にミートボールのような、ハンバーグのような、何かの肉料理らしき物体が入っている。

店で出されたものにしては、盛り付けが適当すぎのような。それでも美味しければ、許せるというものです・・・が、付いてきたトークは「まずい」の一言でした。

2013年9月14日土曜日

ひさしぶりの揚州商人 @ あざみ野

ラーメンは国民食としての地位にあり、巷ではもう百花繚乱の勢いで様々な種類が乱立しています。

でも、自分が高校生の頃までの東京では、ラーメンといえば何も言わなくとも「鶏がら醤油」と決まっていました。それ以外は札幌で名をあげた「味噌ラーメン」のように別物という感じでした。

揚州商人の味は、とにかくそういう「ラーメン」の原点の味。とにかく懐かしくて、こういうラーメンというより中華そばとか支那そばと呼びたくなる味は、他ではなかなか見つからない。

とにかく、ときどき無性に食べたくなるんですね。あっさりとしたスープと細麺ですが、実にちょうどよい。トッピングはほうれん草、メンマ、たまごと長ねぎ。あとはチャーシューですが、今回はワンタンメンにしました。

ワンタンは、皮しかないみたいなのがよく出てきますが、揚州商人のワンタンはしっかりと肉が詰まっている。これだけでも、高評価。 

塾帰りに友人とよく寄り道した中目黒の100円ラーメン・・・ 懐かしい記憶を呼び戻してくれる、時代を超えた味がここにあります。

2013年9月13日金曜日

ひさしぶりの梵 @ センター南

センター南で、和食系の店として定評があるのが梵(ぼん)。このブログでも5回程度は登場していると思いますが、別名「美食の隠れ家」というくらいでお店の外見は比較的地味。

今回は、ずいぶんと久しぶりで、行ったのは一昨日の事。これも、恒例となった卒業した大学同門の仲間との気楽な食事会。いつものことながら、古くからの知り合いとは気兼ねがなく、大いに楽しめます。

例によって御造りから始まり、和食宴会フルコースで、楽しんできました。ただ、今回はどうしても車で帰らないといけないのでノン・アルコールです。

ノン・アルコール飲料もずいぶんと進化したもので、まぁまぁ飲めるモンです。食事が楽しければ、雰囲気は盛り上がって本当にビールを飲んでいるような気分になりました。

2013年9月12日木曜日

鶺鴒鳴

鶺鴒鳴(せきれいなく)とは、七十二候のひとつ。二十四節気の白露の次候にあたるわけで、暦の上では秋真っ只中というところ。

鶺鴒というのは、鳴くからには鳥の一種。それほど珍しい鳥ではないということですが、もちろん「あー、鶺鴒が鳴いている」とはっきりと認識したことはありません。

ところが、セキレイというのはクリニックのある港北ニュータウンでは、わりとよく知られた言葉。

これは、ニュータウンの中をいろいろと散策して歩くためのコースが、「せきれいの道」と呼ばれているためです。自動車とは分離した、安心して散歩のできる道が整備されている緑の豊かなコースで、「緑道」とも言います。

きっと、早渕川がニュータウンの真ん中を通っていますから、この川辺でセキレイの鳴き声を聞くことができるんでしょうかね。

2013年9月11日水曜日

ブログを読んでますよ

最近、このブログを読んでますよ、という話を何度か耳にしました。

いゃあ、こんなつたない、誤字脱字だらけ、句読点の打ち方もめちゃくちゃ、中身もほとんど好き勝手な戯言で・・・

とにかく、大変強縮です。

基本的に、毎日ブログを書くという行為は自己満足的なものであって、誰かが常に読むためにやっているわけではない・・・とは言っても、公開しているものですから、完全なプライベートな文章ではありません。

正直言って、それなりに自分の中で制約というものがあるわけで、巷の話題にふれる場合はできるだけポジティブなものにすること。何かを批判するような文章は、できるだけ避ける。

ですから、自分の好きな音楽や映画などを勝手に紹介するのは気楽にできる話題ですが、興味のない方にはまったく面白味のないものになってしまいます。

宣伝という意味合いもかなりあるので、専門にしている関節リウマチについての話も、定期的にのせています。これは常に新しい情報を求められているわけですから、間違いを書かないように慎重の上に慎重にしないといけない。

特に、書いている本人の正体がはっきりしているわけですからなおさらです。世の中のほとんどのブログは匿名であって、中には匿名である事をいいことに、傍若無人の書きたい放題というのも少なくありません。

とにかく、自分の感想・覚書、個人的な日記、クリニックの宣伝など、大多数の方には何の意味もないものばかりのブログです。この数年は、ツイッターやFacebook、ラインなどどんどんネットのコミニュケーション・ツールが増えて、ブログそのものもが時代遅れ。

今のところ絶対に続けるというほどの覚悟もありませんが、もうやめたいということもありません。まぁ、読まれた方はそんなものだと、お付き合いくださればありがたいと思います。

2013年9月10日火曜日

黒カレー

カレーライスというと、もはやラーメンとともに日本の国民食。ボンカレーの登場以来は、レトルト食品としても、代表的なメニューになっています。

個人的にも、凝ろうと思えばとことん深みのある突っ込みも可能なものですから、いろいろな意味で楽しめる。だいたいスーパーで安いのは「こくまろ」か「二段じこみ」なんですが、これすらもにんにくと生姜をたっぷり入れれば、かなりのパワーアップが可能。

ちょっと、おしゃれな感じなら「カレーマルシェ」あたりが一番。レトルト食品としても、具の多さなどからもなかなか立派なもの。最近は、いろいろなレトルト・カレーが出ていますが、このジャンルは競争が激しい。

そこで、最近これはなかなかと思ったレトルト・カレーが、「男の極旨黒カレー」です。確かに黒い。

カレーを黒くしようとすると、カレー粉を作る時点で焦げるくらいまで煎るのが簡単。ただし、それだけだとちょっと焦げ臭い。どうやって、この黒さをだすんでしょうかね。

そして、一番大事なのが味ですが、にんにくの風味が最高のバランスです。具も、比較的しっかりとした肉が入っていて、十分に合格点。

というわけで、しっかりとしたカレーを食べたいときの選択肢の一つとして、これは是非チェックしておいて欲しい感じです。

2013年9月9日月曜日

レスリング残留

ブエノスアイレスのIOC総会で、2020年のオリンピックの開催地が東京に決定したのに続いて、中隔競技の最後の一枠がレスリングに落ち着きました。

レスリングは最初から行われていた競技で、ある意味人と人が直接対決するもっともスポーツの原点に近いもののひとつではないでしょうか。なんでレスリングがオリンピックからはずされそうになったのか、いろいろと議論を呼ぶところです。

レスリングが残ったことは、特に問題を感じる人は多くないでしょう。野球・ソフトボールが復活できなかったのは残念ですが、こういう感覚はあくまでも日本人の場合ということに限定したもの。

実際に日本人だって、レスリングを実際に経験した人はそんなにいるもんじゃない。競技人口は、もっと多いスポーツは山ほどある。レスリングを見ることだって、オリンピックと世界大会以外で目にすることはほとんどありません。

でも、何となくオリンピックというと、レスリング。レスリングというと、オリンピックという感覚ができているのは、やはりメダルの獲得数が関係しているのでしょうね。また、同じものではありませんが、昭和の時代にプロレスが国民の娯楽として意識に定着していたことも、ちょっとは関係あるかもしれません。

次のリオデジャネイロ のオリンピックでは、ゴルフが登場することになっています。確かにスポーツではありますが、何となく説明のしにくい感覚があります。

実はアトランタのオリンピックで野球が登場した時も同じでした。もしかしたら、1964年の東京オリンピックから始まった柔道も、世界からは同じような感覚を持たれていたのかもしれません。

各種の競技が独自のワールド・カップを開催することが多くなった今では、オリンピックの意義というのはだいぶ本質から変わってきていることは否定できません。

 スポーツって何? という一番簡単な疑問の答えが、実際のところ一番難しいのかもしれませんね。

2013年9月8日日曜日

2020 TOKYO OLYMPIC

2020年、7年後のオリンピックの開催地が東京に決定しました。

積極的に招致に賛成だったかも、それほどでもなかったかたも、あるいはどっちでもいいと思っていたかたも、決定すればそれなりに嬉しくなるものです。招致に向けて、いろいろと努力を続けてきた方々、ご苦労様でした。

もちろん、こういう国際的なイベントには、政治的な問題もたくさん絡んでくるわけで、経済的な意味合いが深く関与することは当然のことです。ですから、政治家 - 総理大臣までもが一生懸命になる。

でも、思い出してみても、オリンピックでの日本人の活躍というのは、とても気持ちを明るく元気にしてくれてきました。政治色・経済色のことは、横に置いておいてもいいじゃないですか、と思うわけです。

冬季オリンピックは、札幌・長野と2回ありましたが、夏のオリンピックは1964年以来で、実に56年ぶり2回目となります。

1964年の東京オリンピックは、戦後の荒廃した首都の回復、そして高度経済成長の大きなアクセルとして日本にとって、大変に意味のあるものでした。オリンピックに向けて、新幹線や高速道路の整備、テレビやカメラの普及など、国民の生活を大きく変える原動力となったわけです。

自分のことでは、まだ6歳になる前、幼稚園年長だったので、多くのことは覚えていませんが、それでも記憶残るイベントとしては人生のスタートみたいなものとして忘れられないことがいくつかあります。

隣の家がカラーテレビを買ったので、見に行った覚えがあります。このあたりは、まさに「三丁目の夕日」の世界でした。遠足に行くのに首都高速ができて、初めてバスで高速道路というものを通ったことも感激したものです(用賀までですが)。

個人的なことはともかくも、大きな期待をしながら、2020年を待ちたいものです。日本という国にとって、どういう意味をもたらせるかはこのあと7年間にかかっています。2020年からその向こう側につながる国つくり、都市作りを期待したいものです。

一方、アスリートにとっては大変大きな課題ができました。日本は比較的スポーツに対しての援助は多くはない国であると、しばしば言われているわけで、政治も開催する経済効果だけではなく、オリンピックの本質であるスポーツの振興についても力をいれてもらいたいものです。

現在、中学生・高校生の人たちは、2020年の中心選手になっていくわけですから、大きな夢を抱いてください。おそらく、2020年に自分が出ることはないだろうに、現役アスリートたちが招致活動に力を入れてきたのは、次の世代の人たちのためです。

決定の瞬間、フェンシングの太田選手が、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたのが印象的です。彼も、未来のアスリートたちのために、涙を流したのです。さぁ、大きな期待をもって2020年を待ちましょう。

2013年9月7日土曜日

草露白

二十四節気では、今日から白露(はくろ)。大気が冷えてきて、露ができ始めるころとされます。

白露の初候は、七十二候では草露白と書いて、「くさのつゆしろし」と読む。こちらでも、露が降りて草が白く光るということで、いずれにしても地面がだいぶ冷えてきたということ。

日中の暑さは、まだまだですが、この1週間は各地で豪雨や竜巻の被害がたくさんありました。ずいぶんと極端な天候でしたが、確かに雨が続いたせいか大地の温度はだいぶ下がったようで、朝は日に日に気温が低くなってきました。

こうしてみると、異常気象とよく言われていますが、けっこう暦の動きと言うのはあまり変わる物ではなく、一つ一つの気象現象が極端化しているというのが正しいのかもしれません。

2013年9月6日金曜日

J.Geoffroy / J.S.Bach Partitas & Sonatas, Cello Suites


木琴というと、小学校の音楽室みたいな想像をしますが、木製の鍵盤打楽器でプロの音楽家が使っているものはマリンバと呼ばれます。ほぼ似たようなものとしては、シロフォンというのもあります。

ジャズの世界では、ヴァイブあるいはヴィブラフォンと呼ばれ、ミルト・ジャクソンやゲーリー・バートンのような人気奏者がいて、昔から馴染み深い楽器。柔らかみのある味のある音色は、聴いてなごみやすいものです。

中にはマレットを両手に数本ずつもって、アクロバティックに演奏されることもあったりします。しかし、楽器としては基本は片手で1音ずつ、一度に和音は2音くらい。どちらかというと、単音楽器として扱われるのが無難。

また、音域は実用的には5オクターブ程度で、 ピアノと比べるとかなり狭い。また音量にも多少不利な点があるので、大規模なオーケストラの中では使いにくいということもあってか、クラシック音楽の世界ではあまりポピュラーなものではありません。

それでも、クラシック畑のマリンバ奏者も世界にはいるもので、ジャン・ジェフロイという人、なかなか只者ではありません。自ら編曲して代表的な無伴奏弦楽器曲であるJ.S.バッハのバイオリンのためのパルティータ & ソナタ、およびチェロ組曲をすべてマリンバで演奏してしまいました。

もともと単音中心の曲だけに、ギターやリコーダーなどの編曲版は数多く存在し、それらも含めて馴染み深い楽曲なのですが、マリンバ版というのは初めて知りました。

なかなかすごいもので、自分が演奏した事など無いわけですが、それでも驚愕するに値する怪演と言ってもいいかもしれません。お見事としか言いようのない、名人技を堪能できます。

怪演としたのは、実はマリンバの特徴である残響が出すぎでせっかくの音が団子になっているんです。そのために、打楽器として特徴である音の切れが隠れてしまいました。

このあたりは、録音の技術的なものも関係しているのかもしれません。普通のバイオリンやチェロでの演奏の次に聴きたいと思ったときの、次の楽しみとしては一度はお奨めできる演奏です。

2013年9月5日木曜日

天候は大荒れ

昨日から今日にかけて、天気は大荒れ。昨日は晴れたかと思うと、いきなり黒い雲が広がってきて、あっという間に土砂降り。そんな空模様が、何度も繰り返されました。

そして、夜間は断続的に雨が降り、ずっと雷鳴が轟き続けるという、何とも派手派手な天候でした。名古屋などでも市街地が水浸しになっているとか、関東一円で竜巻がいくつも発生したりと、もう天気の神様(というのがいるなら)もやりたい放題です。

センター南駅前の様子も、こんな感じ。霧が出たわけではなく、土砂降りで向こう側が見えずらい。スマホのカメラで撮影しましたが、木のところを見ると雨の線が写っています。線が写るだけでも、相当大雨だというのがわかります。

今年の夏は随分と気象異常が話題になっていますが、"亜熱帯"ニッポンとしては、この程度の大荒れの天候に、いちいち驚いていては生きていけないのかもしれません。

2013年9月4日水曜日

桐島、部活やめるってよ (2012)

原作・・・昨今の邦画としては珍しくマンガではない・・・の小説を読んでいる人にとっては、違う視点から描かれる映画に新鮮さを感じるかもしれません。

小説では、桐島が部活を突然やめるというエピソードを主な仲間ごとに追っていく形式だったのが、映画では時間軸で収束して拡散していく様子を何度も見せていきます。

通常、主人公の視点を主観的にたどることで、映画のストーリーは進行します。その中で、観客は主人公に共感して泣いたり笑ったり、応援したりがっかりしたりと、感情的な入り込みをしていくのが映画の楽しみ。

この映画では、ある高校の人気者の桐島が中心。ところが、桐島は出てこない。原作を知らない者にとっては、桐島って誰? というところからスタートするのですが、積極的な説明はまったくないまま映画は進行します。

桐島が部活をやめ、学校にも来ない、携帯にも反応しないという、まったく周囲の仲間にとっては予想もしていなかったことに直面して、それぞれの桐島との関係が少しずつ明らかになっていきます。

そして、仲間同士の関係も、桐島の喪失により水面に落とした石の波紋が広がっていくように揺れながら変化していく。

一人が桐島を目撃したと思ったことで、桐島を追って全員が学校の屋上に集合する事で、変化した仲間たちの関係が明白になり一種のカオス状態になる。そして、波紋は消えていく感じで映画は終わります。

高校生の時に、誰しもどこかで感じた事があるだろう何かを、登場人物の中に見つける事ができるわけで、見る人によって「主人公」は違ってくるのだろうと思います。

監督は吉田大八という、50歳代になったCM関係の仕事をしてきた人。これも珍しくテレビ出身ではなく、CMという超短編を作ってきた人らしく、映像に無駄が無い(テレビは時間の無駄使いが多い)。

昨年、メディアで取り上げられる事もなかったのに、公開されるや口コミで話題となった久しぶりに映画らしい邦画なのかもしれません。

☆☆☆☆★

2013年9月3日火曜日

頼れるドクター 2013-2014年版

田園都市ドットコムの編集による「頼れるドクター」は、2008年に初めて出版されました。以後、毎年号を重ねて、今年の2013-2014年版で6冊目ということになります。

もともと、田園都市線沿線を中心としたインターネット上の医療機関検索のポータルサイト として始まったもの。立ち上げからすぐの頃から、うちのクリニックは掲載してもらいました。

デジタル・メディアにもかかわらず、後からアナログメディアである本に手を出すというのも、デジタルの良いところと悪いところを会社がしっかりと把握しているからなんでしょう。

本の形になってからも、ずっとうちのクリニックの紹介をしてもらっていますが、今では当院の宣伝といえば駅の看板と、後は年に一度のこの本だけ。そんなわけで、創刊からずっと連続で載っているクリニックは、いったいいくつあるんでしょうか。

何しろ自分の専門が関節リウマチという病気ですから、この本に載せる内容もほとんどリウマチ関係の話だけになってしまいます。日進月歩の激しい分野なんですが、広告的に考えるそれほど毎年変わったことはそんなにない。

少しでも違った視点からの文章を書いてもらえるようにライターの方にはお願いするのですが、ずいぶんと注文の多いクライアントだと思われているかもしれません。

ただ、去年までは1ページ枠で願いしていたのですが、今回は思い切って見開き2ページ枠に拡大してみました。他に広告を出すわけではないので、このくらいは出費がかさんでもいいかなと。

そのおかげか、センター南エリアの中ではトップに載せてもらえて、何となく嬉しかったりするわけです。でも、以前のと比べてみると、だんだん自分も確実に年を取ってきたなということがわかるのも、ちょっと寂しいかも・・・

2013年9月2日月曜日

禾乃登

禾乃登と書いて、「こくものすなわちみのる」と読むのだそうです。今日から、処暑に入って末候となるわけです。こうやって七十二候を追いかけてみると、いっそう季節の移り変わりとは早いものだと思います。

こくものとは、穀物のことなんでしょう。さらに、はっきり言うとお米のこと。8月になると稲の花が咲いて、今頃になると実がなってくる、すなわち稲が実って米でできてくるということ。

もうじき稲の刈り入れの頃を迎えるわけで、季節のイベントとしては本格的に秋を連想させるものです。ところが、今年は特に厳しい暑さが続いていますし、ゲリラ豪雨がいつ来るかわからない。

さらに、台風もちらほら出てきました。農家の方は気が気じゃないでしょうね。自然を相手にする仕事は、本当に大変だと思います。

とりあえず、まだまだ暑そうな空が広がっています。雲の形は、ちょっとだけ秋っぽさが出てきたかもしれませんね。

2013年9月1日日曜日

関節リウマチの早期診断と勉強

関節リウマチを心配して病院を訪れる方は、うちのような小さなクリニックでも月に10人程度はいらっしゃいます。そのほとんどは、リウマチではなく使い過ぎ的な物理的ストレス過多か加齢性の問題だったりするわけで、本当にリウマチであると診断できる方は数か月に一人くらい。

これは、女子医科大学のリウマチセンターで診療をしていても言えることで、リウマチが怪しいとして紹介されてくる方が中心にもかかわらず、実際リウマチと考えられるのは10人に一人程度でした。

関節リウマチという病気は、有病率は0.5%。けっして多い病気ではありません。しかし、心配する人は少なくないのは、一つには数年前まで使われていた診断のための分類基準の中に「朝のこわばり」という言葉があって、これが一般に広く浸透したことが関係していると思います。

何かしら、手指の痛みを伴うような問題があると、たいていはこわばりを感じるもので、特に朝は筋肉の動きが悪いため、よけいに感じるものなのです。必ずしもリウマチに特異的なものではないのですが、「こわばり」=「リウマチ」というイメージが作られてしまったのは医者に責任がある。

また、リウマチ因子と呼ばれている血液検査項目があるのですが、この名称のために陽性だとリウマチと診断してしまう医者がいまだに少なくないことも問題です。

リウマチ患者さんでは、リウマチ因子が陽性になるのは60~70%と言われていて、陽性でもリウマチではない方はけっこうの割合で含まれています。逆に、因子がゼロでもリウマチの方はたくさんいるものです。

もちろん、診断の上で重要な検査項目なのですが、現代のように超早期の診断が求められるようになってくると、ますます色々な検査の結果から多角的に判断していく必要があり、リウマチ因子だけに注目していては簡単に見誤ってしまいます。

関節部分に限局した腫れと、安静にしていてもうずくような痛みがあれば、症状からはリウマチを疑いやすいのですが、これも発症早期でははっきりしないことも少なくありません。早期から治療を開始すれば治ったような状態になることも知られてきたので、最近は症状が出始めてから来院するまでの期間が大変短い。

ですから、現在使われている分類基準では症状と血液検査の結果から判定をしますが、それだけでは診断は困難なことが多く、超音波検査やMRI検査でのチェックなども状況によって併用していくことが大事になってきます。

したがって、かぜのように、医者ならだれでも診療ができないと困るような病気とは一線を画す問題であり、診断した後の治療も含めてますます専門性が高くなっているわけです。自分たちのようなリウマチの専門医を名乗っている医者にとっても、日々の知識のアップデートは休む暇がありません。

実は、こういう話を書いているのも、先日医師会でリウマチ関連の講演会があったからなんです。いろいろな科のいろいろな専門を持っている医者の集まりである医師会では、この手の勉強会では、最小限の知識を整理して、適切に専門医に紹介したりすることが目的。

出席してみると、内容的には目新しいことはなかったのですが(講演していただいた聖マリの山田先生ごめんなさい!!)、もう一度知識の再確認ができました。こういう会に参加するのは、実質的な専門医と自覚している医者か、逆に専門医ではないと自覚している医者です。リウマチ関連以外のプライマリー医学の領域についても、自分ももう少し勉強をしないといけないなと改めて思いました。