2013年9月25日水曜日

イージーライダー (1969)

ベトナム戦争が、さまざまな形でアメリカ人に影響を与えた事は周知の事実。映画の世界の中から、それらを端的に拾い上げることが可能で、直接的に否定するメッセージは1970年代後半から。

80年代に入ると娯楽化した映画が出始めるわけですが、これは戦争を楽しみに変えてしまったという批判的な見方ができる一方で、ベトナム戦争をアメリカ人が客観的に考える事ができるようになったということでしょうか。

同じではありませんが、日本人は太平洋戦争を「茶化す」ことは今だにタブー視されている傾向があります。そういうところに、70年近くたっても整理しきれていない日本というものが見えてくるのですが・・・話を戻します。

しかし、60年代初めからベトナムへの軍事介入を増大させたアメリカでは、初めから戦争を表立って批判できたわけではありません。50年代に人気を博したプレスリーは、軍隊入隊を誇らしげにアピールしたのとは対照的に、特に60年代の若者の間では、FREEとかPEACEを掲げる行動が強まってきます。

それが、ヒッピーという集団を生み出し、麻薬などの使用してより自由が得られるという、まさに「サイケデリック」な文化が広まっていく事になるわけです。映画界では、この中からニューシネマと呼ばれる独特の雰囲気を持った作品がどんどん作られるようになっていきます。

そのほとんどはアメリカの閉塞感と自由回帰をテーマとしているわけで、空間的・時間的に直接的な体験をしていない者には、本当の中身は理解しきれないのかもしれません。

1969年の"Easy Rider"は、比較的わかりやすい形で、60年代後半のアメリカの若者の考え方と、それを否定する保守性の対立を描いた傑作として、映画史に残る作品でした。

麻薬で儲けたお金をバイクに隠して旅に出る二人に、旅の途中で様々な仲間が加わる一方で、彼らを排除しようとする「大人」が出現し、この映画では最終的には簡単に自由は潰されてしまって終わります。

そこから何を感じ取るかは、人によって違うでしょう。しかし、この映画が今でも語られるのは、主人公に共感してもしないにしても、少なくとも何かを感じる事ができるからだと思います。

そして、この映画の話を誰かとしたくなるからではないでしょうか。例えば、それが登場する音楽のことでもいい。それが「映画」という文化なのかもしれません。

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