2014年2月28日金曜日

J.E.Gardiner / Verdi Messa da Requiem

世界の三大レクイエムといえば、モーツァルト、フォーレ、そしてベルディ・・・って、誰が決めたのか知りませんが、そういうことになっている。

モーツァルトは死神から作曲の依頼を受けて、自分の死期が近いと思い、自分のために楽譜を書いている最中に命が尽きた・・・なんていう伝説になっています。フォーレは、自分の亡くなった両親のために、徹底的に耽美的な静寂の世界を作り出しました。

ベルディは、一番有名なのは「椿姫」、「アイーダ」などの歌劇の仕事でしょう。19世紀なかばのイタリア歌劇はベルディによって隆盛を極めたと言っても過言ではありません。

レクイエムはもともと、ロッシーニの死を痛み複数の作曲家によって共作しようとした試みが頓挫したあとに、小説家マンゾーニの追悼のために作られたもので、ベルディが乗りに乗っていた時期に作られたもの。

初演はベルディ自信が、100人のオーケストラと120人の合唱隊を率いて行ったということで、その人数だけでも圧倒されてしまいます。教会のミサで初演したあとは、コンサートとして演奏されるようになりました。

しかし、「あまりにオペラ的」で「」教会には相応しくない」と酷評され、本人はかなり落ち込んだようです。しかし、絶賛する声も聞かれて、両方の意見は今日まで続いているわけです。

自分がこの曲を知ったのは、たぶん似たような人も多いと思うのですが、映画「バトルロイヤル」でした。''Dies irae''のド迫力の響きが効果的に使われ、大変印象に残ったわけです。

咆哮する金管と、地響きのティンパニー、そしてぐいぐい来る大合唱は、まさにこのレクイエムの象徴的なパートです。さっそく、CDを購入したのですが、それはダニエル・バレンボイム指揮のものでしたが、なんかただうるさいだけであまり面白くありませんでした。

さてあらためて、聴いてみるとなると、ここでもガーディナー盤に登場してもらうしかありません。当然コーラスはモンテヴェルディ合唱団、オーケストラはオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークです。

元の曲がいいのか、ガーディナーの力量なのか、これも素晴らしい演奏で、ピリオド奏法の集団ですが、響きもよく、まるでオペラのように華やかです・・・って、確かにそういう感じ。

キリスト教徒ではない自分としては、宗教から離れた単なる音楽として楽しめる。ただ、全体で90分近い長さはやや辛かった。60分くらいでまとまっていれば、さらに聴き疲れしなかったかもしれません。

2014年2月27日木曜日

第10回田園都市リウマチフォーラム

小さな勉強会から発展し、地域のリウマチ専門医療を充実させるために行ってきた会ですが、昨夜は第10回を迎え、ひとつの区切りみたいな感じとなりました。

年に3回、実地医家の立場から疑問に思う事や知りたい事をテーマに選んできて、激動のリウマチ診療の流れに乗り遅れないようにしていく一助として定着してきたかなと思います。

もちろん、スポンサーとして製薬会社が共催してくれているからできることであり、めんどうな雑務を引き受けてくれているので、本当に助かります。

製薬会社が主導する勉強会は、もちろん扱う薬の宣伝の要素が大きいのですが、自分たちのフォーラムは基本的に医者の側が基本的な内容を決めています。

今回は、東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センター所長の山中寿教授をお招きしました。というと、実際のところ自分のBOSSなわけで、自分が直接声をかけられる最後の切り札みたいな人です。

実際、センターは日本で最も多くのリウマチ患者さんが通院する、リウマチ専門施設の草分けです。山中先生は、2000年から患者さんへのアンケートを行い、実際の臨床の現場におけるリウマチ診療の実態にそくしたデータを収集し続けています。

このなかからは、臨床医が経験的に「これはそうだろう」と思っていたことが、実質的にデータとして証明され裏付けられたり、実際に行った治療がどのような結果をもたらしているかがわかったりしていて、大規模臨床研究としてその意義が認知されています。

山中先生には、このなかから現実的な問題点と今後の課題を整理してお話していただきました。どんどん進歩してハードルが高くなるリウマチ医療の中で、まだまだ簡単には解決しないことが山積み。簡単に治癒するところまでは、難しい問題がたくさんあることを指摘していただきました。

次回は6月。今度は、未来がどうなるかの一つの答えになるかもしれないiPS細胞についての勉強をする予定です。この会が20回、30回と続くように、それは自分自身も含めて、がんばっていきたいと思います。

2014年2月26日水曜日

雪解け

雪かきで街路のあちこちに残っていた雪の小山は、昨日の暖かさでだいぶ解けて、やっといつもの光景が戻ってきた感じです。

そのくらい、昨日は春の日差しで気温が上昇しましたが、経営者的には2月は大打撃でした。昨日は税理士さんが来て、いろいろと雑務をしてもらう日で、経営状態のチェックを毎月してもらっているわけです。

うちのクリニックは、スタート前の予想では1年間で赤字から黒字へ転換し、以後順調に伸びると言う夢のような話でした。しかし、現実にはそんな簡単にはいきません。

石の上にも3年とか言いますが、黒字が出るようになったのは3年くらいたってからで、この間は家族にもたくさん迷惑をかけつづけだったわけです。

5年たってやっと余裕が出てきて、医療法人化し、医療機器なども追加したりすることができるくらいになってきました。ただし、医者一人というクリニックでは、おのずとさばける仕事量は限られてきます。

自分の医療スタイルを崩して、数をこなすだけの医者になれば、もっと何とかなるかもしれませんが、それは心情的に無理。そもそも、地域の実情を考えれば、対象となる患者さんがどんどん増えているわけではありません。

ですから、収益の伸びもだんだん少なくなって、この2年くらいはほとんど変化なしという状況。前年同月比割れも珍しくなくなりました。

もともと、標準的な整形外科クリニックの2/3程度の売り上げしかないわけですから、税理士さん的には、もっと働きなさいといいたいところでしょうけど、自分は経営者としてはあまり才能がないことは重々承知しています。

2月はもともと診療実日数が少ないうえに、今年は雪の影響で月の半分近くは、開店休業状態。残り数日をがんばったとしても、前年同月比割れどころか、完全に大幅な赤字を出す事は間違いない。

4月からは消費税増税とともに、診療報酬改定があり、初診・再診料が値上がりします。このため、受診する患者数の減少は当然のことになる。しかも、うちのクリニックのついては診療報酬が激減する項目もあって、厳しい春が見えています。

 雪が解けても、春まだ遠からじという感じでしょうか。

2014年2月25日火曜日

ネット通販

ちょっと買い物といっても、スーパーで食材を買うだけで、たまの休日はぼーっとすごすばかりの怠惰な生活をしていると、通信販売というのはたいへん便利で、特にネットショッピングほど楽なものはありません。

まれに特別なものを求めてかわったところで買う事もあるのですが、今まではCDはだいたいHMV、それ以外はほとんどamazonを利用していました。ただし、高額なものは価格コムで調べて安いところを利用する、というのが基本的なスタンス。

ところが、どうも最近変わって来た。というのも、クラシック音楽収集に欠かせなかったHMVがどうもあてにならない。ちょっと古いCDになると、入荷できないことがやたらと多くなった。

これは在庫を抱えなくなったということで、商品を売れるもの中心にして、だいぶリストラしたということでしょうか。これはHMVが、数年前にローソン・グループに吸収されてから顕著になったこと。

ポイントもポンタに変更されたのはいいとしても、これとは別にクーポンという制度が始まり、ポイントアップのキャンペーンはほとんどおこわなくなりました。これは、自分にとっては大問題。

というのも、マスター会員の自分としては、ポイントなら表示のさらに倍になるメリットがないということなんです。クーポンは会員のランクは無関係。去年の秋以降は、10倍、15倍という高額ポイント・キャンペーンがまったくない。

つまり、せっせと買い物をしてマスター会員のランクを維持してもメリットが激減。しかも、珍しいものは入荷できないというのでは、使い勝手が悪くてしょうがない。

となると、amazonで探したほうがけっこう安かったりするし、中古も含めれば、けっこうレアなものも見つかるわけです。amazonはこれまで、独自のクレジットカードがなかったのですが、ついに始まって、ポイントアップの特典があるのも魅力的。

まあ、新譜のニュースについてはHMVのほうがしっかりはしているので、HMVで情報を仕入れて、amazonでお買い物という使い方がいいのかもしれません。

2014年2月24日月曜日

霞始靆

今日から雨水の次候となり、七十二候だと霞始靆、かすみはじめてたなびく、です。

空気が暖かくなってくるということなんですか、冬の澄み切った空気よりも、なんとなくもやーっとした感じになってくる。そのかわりと言ってはなんですが、夕焼けなんかが綺麗に見えます。

何となく春めいた雰囲気が、あちみちに見え始めるわけですが、実際気温も上がり気味。大雪の残りが急に解け出しています。少なくとも、普通は首都圏ではもう雪が降る事はないでしょう。

ちょうど、ソチ冬季オリンピックも終了。2週間にわたって、日本全国寝不足気味でした。メダルの数よりも、がんばった選手に素直に拍手を送りたいものです。

受験のシーズンもピークは越えたところで、落着いた人、落着かない人、いろいろといるとは思いますが、いずれにしても春は必ず巡ってくるものです。暦は嘘をつきません。

2014年2月23日日曜日

J.E.Gardiner / Faure Requiem

レクイエムは日本語では「鎮魂曲」と訳されることがありますが、カトリックの典礼儀式としては死者の安息を神に願う事が目的であって、死者の魂を鎮めるものではないらしい。

レクイエムと呼ばれるのは、最初の入祭唱(introitus)の歌いだしが''Requiem aeternam (永遠の安息)''となっているからで、鎮魂は神道の言葉であり慰霊を指すのだそうです。

三大レクイエムといえば、モーツァルト、フォーレ、ベルディと相場は決まっているわけですが、モーツァルトに比べて静のフォーレと動のベルディという特徴があるようです。

もともと声楽が苦手な自分としては、もう一つなかなか入れないジャンルに近代フランス物、つまりフランスのロマン派というのがあります。

モーツァルトは耳に残るメロディがたくさんあって、悪く言えば「キャッチャー」な音楽ですが、フランスものは芸術性が高いといえば聞こえはいいのですが、なんかもやもやした霧の中にいるような・・・まぁ、要するにメリハリが感じられない。

絵画で言う「印象派」と共通の話ですが、墨絵に淡い色彩を加えた感じで主題もその中に巧妙に埋め込まれていて、あまり自分を主張しすぎないとでも言いますか、うーん、聴いていてちょっと辛いものがある。

代表的な作曲家としては、フォーレ、ドビッシー、ラベルなどがあげられますが、何度も挑戦してはいますが、なかなか好きになれないところ。まして、いくら有名だからといって、フォーレのレクイエムとなると、かなりハードルが高いところにあるわけです。

フォーレのレクイエムは、もともと自分の両親の死に対して内省的に作られたものといわれ、教会のために作られる通常のミサ曲とは趣が異なります。最初は5曲のみで、楽器編成もかなり少ない、どちらかというと室内楽として作られました。

その後2曲が追加され、若干の楽器の補充があり、フォーレとしては完成形になったのですが、それでもかなり特異な編成のため、演奏機会がないと判断した楽譜の出版社がフォーレの弟子に普通の編成に直させたということらしい。

ですから、5曲の第1版、7曲の第2版、フルオーケストラの第3版という具合に3つの版が存在し、多くは最後の第3版が演奏されているという状況です。

さてここでも、一定の高い評価を受けているガーディナーさんのお世話になろうと思います。フォーレの時代までくると、あまり古楽器にこだわる必然性はだいぶ希薄になってくるのですが、ガーディナーが使用するのは当然第2版です。

ガーディナーもそのあたりは当然わかっていて、合唱は手兵のモンテヴェルディ合唱団を使っていますが、オーケストラはロマン派専門のオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク、またピリオド奏法についてもあまり強調しない感じ。

とにかく、ひとつひとつが美しい・・・静寂の世界とでも言いますか、冬の湖に、春の気配が少しだけ混ざった緩やかな風が吹いて、微妙に湖面を揺らす感じ。ただ、湖にかかる木々からは一滴のしずくも落ちないので、一切よけいな波紋は起こらない。

おそらく、大きなスピーカで、暗くした部屋でゆったりとソファにでも座って聴きたくなるような印象でしょうか。今の自分の耳には、とりあえず最後まで聴けただけでも進歩があるんですが、やはりフランス物で声楽というのは、まだまだ距離がかなりあるなぁと感じてしまいました。

2014年2月22日土曜日

続・アマリリスが見頃です

雪で大騒ぎしているうちに、気がつくと2月もあと1週間。ソチ冬季オリンピックも、あと数日で閉幕というところまできています。

例年、いただきもののアマリリスの球根をクリニックの待合室に置いているのですが、1ヶ月ちょっとくらいするとだいたい見事な花が咲いて、大変楽しませていただいている。

今年は、1月なかばに4輪が咲いて見頃になり、ラッキーなことにもう一つ花の芽があまり遅れずに出てきていたので、1月末には満開状態。見頃MAXで、これだけまとめて咲くのは初めてのことでした。

ところが、ところがですよ、これで終わりと思ったら大間違い。今年の球根はすごい。なんと、さらにもう一つ花の芽がでてきていたんです。

見頃MAXの花は、1週間くらいでしぼみはじめて、2週間くらいまでには完全にしおれてしまいます。ちょうど雪でバタバタしていた頃は、まったく花がない状態だったのですが、(さすがに)最後の芽が順調に伸びてきて、いよいよ花が咲きそうです。

アマリリスの球根は毎年花が咲くわけではなく、大事にとっておけば数年に一度花がつくといわれています。いやぁ、この球根は、是非とっておいて数年後にまた復活させてみたいものです。

2014年2月21日金曜日

ソチ五輪 ~ 浅田ラスト

昨日の朝、まだ日本では夜が明ける前、超夜更かしか超早起きをして・・・とにかく愕然とした日本人がどれだけいたことか。

それはひとえに女子フィギア、ショートプログラム、浅田真央の滑り。冒頭からジャンプの転倒、そしてジャンプの失敗。まさに、見ていた人はみんな、無かった事にしてくれと思ったことでしょう。

そして、今度は今朝・・・フリーで浅田は6つのトリプルジャンプをすべて成功させ、自己ベストを更新する素晴らしい演技をみせてくれました。

フリーだけでなら全体の3位、前日のショートが上位3位に入っていれば、メダルも可能・・・いや、それを言ってもしかたがありません。勝負ですから、これがフィジカル、メンタルを含めて今の浅田の実力と認めるしかありません。

しかし、引退を表明している浅田の「ラストダンス」としては、もう何も言う事がない素晴らしいものを見せてくれたのですから、拍手で迎えてあげましょう。

それにしても、今回のメダリストたち、ソトニコワ(ロシア)、キム(韓国)、コストナー(イタリア)の3人は凄すぎた。大変にハイレベルな戦いで、一つでもミスをすれば終わり。

日本のフィギアも、今後のグレードアップが不可欠な世界の情勢がはっきりしたのかもしれません。

2014年2月20日木曜日

J.E.Gardiner / Mozart Requiem

なにしろキリスト教徒でないもので、クラシック音楽、とくに声楽関係の曲についてはなかなか理解がしにくい。

おそらく基本的な言葉としては「ミサ」というものがあって、これはカトリック教会で行われる最も重要で基本的な典礼儀式とされます。イエスの最後の晩餐を模して、その復活を願い、そして感謝を捧げるために祈るものと理解してよいと思います。

その際に使われる楽曲がミサ曲であり、キリエ(求憐誦)、グローリア(栄光頌)、クレド(信経)、サンクトゥス(三聖頌)、アニュス・デイ(神羔頌)と呼ばれる5つの通常文が必ず含まれます。クレドが含まれない場合は「小ミサ曲」と呼ばれます。

ですから、 古来幾多のミサ曲が作られていますが、基本的な「曲名」は一緒であり、歌われる歌詞も同じものになるわけです。

あとは演奏される目的などによって、固有文が適宜挿入される構成をとります。固有文には、イントロイトゥス(入祭唱)、グラドゥアーレ(昇階唱)、セクエンツィア(アレルヤ唱)、オッフェルトリウム(奉献唱)、コンムニオ(聖体拝領誦)などがあり、テキストは状況によって多少の違いがあるそうです。

クラシック音楽では、レクイエムと呼ばれる楽曲もかなりあるのですが、これは死者の安息のための特殊なミサ曲であり、グローリアとクレドは含まれません。 最も有名なのが、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレによるもの。他にはベルリオーズ、ブラームス、ブルックナー、ドヴォルザーク、サンサーンス、リスト、シューベルト・・・などなど。

しかし、やはり一番知られているものといえばモーツァルトであることに異論はないでしょう。映画「アマデウス」でも象徴的に使われ、「自らの死の床で書いた未完の作品」というイメージが人気に拍車をかけているのです。

未完であるために、弟子のジュースマイヤーにより補筆完成した版が基本とされますが、細かく分けると全部で14曲あるうちの、モーツァルトが完成させたのは第1曲のみ。

第2~10曲については、ジュースマイヤーの手が入っていて、第11~13曲はモーツァルトの何らかの指示のもとにジュースマイヤーが作曲。最終曲は、冒頭を部分をモーツァルトの指示により繰り返し使用しています。

そのため、いろいろな研究により、あーだこーだと曲を削ったり追加したりした様々な版が数多く存在し、演奏者もいろいろな版をいいとこどりに使用したりするため、大変混乱した状態になっていることは否めません。

J.F.ケネディの追悼ミサで演奏されたことも有名ですが、名演とされるものは幾多あります。ベームとウィーンフィル、カラヤンとベルリンフィルが、大編成モダンオーケストラの演奏としては双璧をなすものとされています。

YouTubeでも動画でたくさん見ることができます。ショルティのものは、司祭による実際の典礼も含まれ、教会におけるレクイエムの実際の進行がわかり貴重な映像でしょう。

最近ではアバドによるものが素晴らしく、終わった後の指揮棒を降ろせないアバドの約45秒間の沈黙のあとの割れんばかりの拍手は感動的です。個人的にはザビーネ・マイヤーがバセットホルンで参加しているのも嬉しいところ。

さて、ここでもジョン・エリオット・ガーディナーのお世話になりたいと思います。ガーディナーは手兵のEnglish Baloque SoloistsとMonteverdi Choirを指揮して、カラヤンやベームと比べて驚くほど少ない人数での演奏にもかかわらず、濃密な音楽空間を作り出しています。

コンパクトな編成は楽器の分離がわかりやすく、それぞれのパートの動きが伝わりやすい。 またピリオド奏法の特徴である早目のスピードのため、きびきびした展開が飽きさせません。若かりしA.S.オッターのメゾ・ソプラノも楽しい。

自分のように声楽が苦手な方には、突破口として是非お勧めしたい一枚です。

2014年2月19日水曜日

土脉潤起

新春を向かえ最初の節気である立春が終わり、今日から二十四節気では雨水となります。氷雪解け雨水温む、ということでより温かさを感じるところ。

それにしても、今年の立春は寒かった。記録的大雪に2週間連続で見舞われ、各地で大きな被害が出ています。

七十二候では、雨水の初候となるのが土脉潤起、つちのしょううるおいおこるです。雪に変わってしっとりとした雨が降り、土を潤すということなんだそうです。

都会では、ほとんどの道路がアスファルト。土が潤うととう感覚はなかなか実感できません。昔は・・・というか昭和の頃には、車が通るたびに土埃と排気ガスで目鼻口をふさいでいたものですが。

2014年2月18日火曜日

凍結

2週連続の記録的な大雪で、首都圏はもうしっちゃかめっちゃかでした。

バレンタインデーの大雪は、予報をはるかに上回り、せっかく復旧していた交通網を直撃。東名、中央などの高速道は通行止め、国道も大渋滞で、物流はストップ。

昨日になっても、スーパーでは生鮮食品はほとんど売っていない状況でした。中央道とJRがストップした長野県は、陸の孤島状態と言われていましたが、実は孤立していたのは首都圏だったのかもしれません。

そこらの道路には雪かきで詰まれた雪の塊がたくさん残っていますが、当然そこから崩れた雪や融け出た水が朝は凍った状態です。

いやはやスケートリンクもまっつぁおのつるつる状態ですから、歩くにしても車にしても危ない事この上ない。朝の危険が無くなるには、あと数日かかりそうです。


2014年2月17日月曜日

J.E.Gardiner / Berlioz Missa Solennelle

ずっと何度も書いていることですが、クラシック音楽の中で大規模オーケストラ作品と声楽曲だけはどうも苦手で、おそらく数ある楽曲のうちのかなりの部分を避けて通るという偏屈な聴き方をしているわけです。

器楽曲や室内楽曲だけでは、さすがに「限りある資源」の中では、何年かたつと行き詰まってしまうわけで、そろそろ何とかそのあたりを打開したいといろいろ考えているところ。

そこで昨年挑戦したのが、ジョン・エリオット・ガーディナーという指揮者。いわゆる古楽というジャンルを中心に活躍している方ですが、モダンでも古楽でもどっちでもいいんですけど、ただ古い宗教曲、例えばバッハのカンタータなどは最も苦手なところ。

ところが、ガーディナーの面白いのは、モーツァルト以前と、ベートーヴェン以後ではオーケストラを変えているところ。もともとモンテヴェルディ合唱団という、世界で最も有名な合唱団を組織しているのですが、その合唱団を生かせる楽団として作ったのがEnglish Baroqoe Soloists (EBS)。

古楽器を使用してピリオド奏法を用いた演奏は、一定の成果を出してきたのですが、バロックという言葉が入っているともっと新しいところに手が出せない。そこで、さらに新たに組織したのがOrchestre Révolutionnaire et Romantiqueという楽団です。

これはオルケトル・レボリューショネル・エ・ロマンティークと読むんですが、あえて和訳すると浪漫の革命的管弦楽団とでもいうんでしょうか、とりあえず長いのでORRと簡単に省略したりする。メンバーはEBSとかぶるようですが、箱が変わることでまた別のアプローチも可能となってくる。

最初に聴いたのが、ベートーヴェンの交響曲でした。例えばカラヤン指揮のベルリンフィルの演奏などが、もともと典型的なものとして人気だったわけですが、自分はこの分厚い大人数よる怒涛の重々しい演奏があまり好きではありませんでした。

ガーディナーの演奏は、古楽器の特性からきびきびしていて、大変気に入った。作曲家の時代の音にこだわるわけではないのですが、古楽器オーケストラは自分の苦手を突破するためのチョイスとなりうることを発見させてくれました。

つまり、ガーディナー+ORRはオーケストラ作品の糸口となり、必然的にモンテベルディ合唱団もついてくるということで、このあたりを苦手を克服するための突破口にしたいと思ったということです。

もともと、ORRはベルリオーズの幻想交響曲を演奏したいというのが結成の理由だったというくらいで、このCDは今でもベストセラーですが、今回はビデオ作品があるというので購入してみました。

今では見ることが無い変わった楽器も登場して、視覚的にも大変面白いのですが、おそらく小学生以来、幻想交響曲をちゃんと聴いたわけで、もちろんなかなかよかった。実は、それよりも楽しめたのが、一緒に収録されていたベルリオーズの荘厳ミサ曲でした。

ベルリオーズの荘厳ミサ曲は、近年発見されたもので、ガーディナーが初演したものというくらいですから、もう彼らのためにあるような曲。当然、こっちも初めて聴くわけで、聴きなれた旋律が出てくるわけでもないのですが、意外と聴き通せました。

これは動画があるという効果が大きいのかもしれません、というのも演奏の様子が視覚的に入ってくることで飽きにくかったのかなと思います。同じ組み合わせで、ベートーヴェンの宗教曲のCDもあるので、次はそのあたりに攻め込んでみたいと思ったしだいです。

2014年2月16日日曜日

クリニックと病院

関節リウマチの話をたくさん書いてきましたが、どんな病気でも同じことではありますが、リウマチを心配している方と、すでにリウマチと診断された方では、おのずと知りたい情報は違ってくるものです。

心配している方の場合は、リウマチとはどんな症状かとか、どのように検査をするのかとか、一般的には診断学の情報が重要でしょう。一方、リウマチが確定している方は、むしろ治療学を中心として、これから自分がどうなっていくのかを知りたいものです。

ですから、医学の中で診断学と治療学はどちらもたいへん重要で、片方だけでは意味をなさない。診断学が進んでくると、より診断の精度が上がり、治療に対しても必要性が増してくる。治療学の進歩は、より早期の発見の重要性が増して、診断学の向上にも関係してくるわけです。

21世紀のリウマチ学は、まさにこのような診断学と治療学の抜きつ抜かれつの進歩の上に成り立っています。このため、より専門性は高くなり、実地医療の現場では重視されている「ホームドクター」という存在からより遠くなっていることは否めません。

ホームドクターが診断をして、治療については専門医に送るという形が理想と考えられることが多いのですが、こういう形はなかなか連携のシステムの中でうまく機能していないというのが現実です。

クリニックの専門医と大学病院の専門医の間の連携と言うのも、なかなか難しい。セカンドオピニオンの場合はいいのですが、一人の患者さんを複数の医者が同時に診るというのは、医者も患者さんも混乱しやすいものです。

ですから、重症化や合併症などの問題があって、より多角的な高度の医療を必要とする場合に、より大きな病院に転医していただくというのが、現実的な病診連携といえるでしょう。

今年の4月には診療報酬点数の改定が行われるのですが、厚労省は大学病院が一般の患者さんを診ることをさらに制限していく方向性を出しています。医師は原則として診療を拒否できないわけですが、紹介患者以外は受診できないようなシステムがさらに強化されることは明らかです。

そうなると、クリニックの医師の役目もさらに重要になってくるわけですが、原則として関節リウマチについては、基本的には外来で完結する病気ですから、クリニックであろうと大学病院であろうとやることはかわりありません。

ですから、専門性を出しているクリニックについては、大学の医師と同じだけの知識と経験の維持が必要になってくるわけです。非専門医も、リウマチのように専門化が進んだ領域については、できるだけ早く専門のクリニックや大学病院に送ることが求められているわけです。

医学の進歩という観点で考えると、これが必ずしも最良の流れかというと、多少疑問が残ることも否定できません。大学の場合には、診療とともに研究・教育という重要な役割があるわけで、患者さんの病気が偏ることはこれらの点に不利であることは明らかです。

特殊な治療を必要としない患者さんはいないとなると、最も病気の典型的な状態を知らないということになります。また、より病気の状態が悪くなれば、たいてい遠くにある大学病院にまで通院ができなくなり、そういう患者さんもいなくなってしまうわけです。

大学病院の医者が知っているのは、ほどほどに重度の患者さんか、あるいは本当に特殊な病気の方だけということにもなりかねません。今後は、高齢化社会にも対応した、ホームドクター~専門クリニック~大学病院という、それぞれの立場の明確化が必要になってきそうです。

2014年2月15日土曜日

ソチ五輪 ~ 羽生、金

実感として、記録的な雪が降った感じがします。いやぁ、こりゃ、すこがった。天気予報にうらみつらみを言ってもしょうがないのですが、夜から雨という話で、降っても融けるかもと・・・そんなもんじゃありませんでした。

何しろ、暗くなってからの方が雪はすごくて、自宅の付近では40cm以上は積もっています。場所によっては腰の高さまで・・・って、記憶に無いくらいの状況。一昨日、全面復旧した中央道も、またもや通行止め。

そんな中で・・・雪に閉ざされた各家庭では夜中に電灯がこうこうとついているところが多くて、さぞかし雪を心配して・・・ではなくて、お目当てはソチ五輪。男子フィギアのフリーが行われて、注目の羽生選手が登場したのは午前3時すぎ。

前日のショートでは、史上最高点をマークして、かぜん金メダルが期待されました。しかし、さすがにオリンピックの緊張があったのでしょうか、ややミスが出てやきもきさせられました。

それでも、若さの勝利というものか、圧倒的な演技で文句なしの金メダル。本当におめでとう。よかったよかった。

2014年2月14日金曜日

魚上氷

二十四節気で立春となり、春を迎えてから、実際の気候は寒さが爆発。首都圏でも、けっこう寒くて、特に朝はつらいものがあります。

今日は2月14日で、当然バレンタインデーとして定着した記念日ですが、七十二候では今日から魚上氷、うおこおりをのぼる。

川の氷が解けて、魚が顔を出す・・・って言われても、想像できない感じですが、いずれにしても暖かくなってきたよ~、という感じは出ています。

今日も天気予報は雪。真冬真っ只中です。冬来たりなば春遠からじ。

2014年2月13日木曜日

Daishin Kashimoto / Beethoven Complete Violin Sonatas

基本的に西欧で発展したクラシック音楽は、日本人のような異教徒にとっては、どうしても他人の家にあがる感覚というものがある。まして、演奏家が認められるということは、そうとうな天才と努力の両方が必要なのかもしれません。

クラシック音楽界に身を投じた日本人はたくさんいますが、世界から認められる存在は数えられるほどしかいません。作曲家では武満徹くらいしか思いつきませんし、指揮者なら小澤征爾、ピアノは内田光子、小川典子、バイオリンで五嶋みどりくらいでしょうか。

1999年に20歳でデヴューした樫本大進は、この数年最もめざましい活躍をしている日本人バイオリニスト。もっとも日本にいた時間はほとんど無いんじゃないかと思うくらい、海外での生活が中心。

最初に日本で名前が知られたのは、NHK大河ドラマ「利根とまつ」(2002)の音楽でしょうか。自分が注目したのはフランスのピアニスト、ル・サージュのシューマン・プロジェクト(2010)への参加でした。

シューマンの室内楽での、研ぎ澄まされたバイオリンに魅了された人は世界中にたくさんいたのではないでしょうか。ソロ、室内楽で着実に実力を磨いてきた樫本が、世界中、そして日本でも大喝采で知られることになったのがベルリンフィルへの参加でした。

それもベルリンフィルの第一コンサートマスターへ2010年12月に就任したわけで、これはもう日本のクラシック音楽界としては快挙としかいいようがありません。コンサートマスターということは、歴史のあるベルリンフィルのバイオリンのトップ、首席奏者ということです。

その樫本が、コンサートマスター就任後に始めた最初の大きな仕事が、ベートーヴェンのバイオリンソナタの全集録音でした。ベートーヴェンでは、ピアノは伴奏という枠には収まらず、対等なせめぎあいが魅力。コンスタンチン・リフシッツがその相棒として参加。

自分は知っている中で最もお気に入りで、スタンダードの位置にあるのがクレメールとアルゲリッチの演奏です。ムターはバイオリンが目立ちすぎ、 デュメイはおとなしい。イブラギノヴァは若さの勢いで大注目というところ。

さて、10曲あるソナタの中で、必ず最初に聴いてみるのが第9番です。通称「クロイツェル」で親しまれるこの曲は、まさにバイオリンとピアノの絡み合いがすさまじく、演奏者は高度の技術と感性を要求される永遠の名曲です。

まず最初の印象は、遅い。その分、バイオリンの音色をしっかりとコントロールしていこうという姿勢が見えてきました。全体的には悪くはないのですが、丁寧すぎる感は否めない。

コンサートマスターの立場から離れての個人の録音ではありますが、立場上あまり遊べないのかもしれません。もう少し冒険する部分があってもいいかもしれない、というところでしょうか。

後世に残る名盤とは言えませんが、バイオリン奏者にはベートーヴェンのバイオリンを攻略するお手本としては推薦しやすい。聴くだけの人にも、最初にお勧めするにはいいかもしれません。樫本はまだまだ30歳代なかば、これから更なる活躍が期待される逸材であることは間違いありません。

2014年2月12日水曜日

ソチ五輪 ~ 10代の夢

ソチ五輪は始まってまだ数日ですが、日本の選手はがんばっているものの、まだメダルに届かない・・・

と、思っていたら、なんと15歳の平野がスノーボード・ハーフパイプで銀メダルを獲得。王者ホワイトがミスをして4位でしたが、かりにホワイトがメダルに入っても、確実に平野は3位以内に入ったわけです。18歳平岡も銅メダルで、凄かった。

一方、期待の女子ジャンプ、17歳高梨は・・・残念、4位でメダルならず。周囲からの期待が大きすぎたのかもしれませんが、ワールドカップの時と違って、本人の好むと好まざるとに関わらず国を背負わされるのは大変です。

10代の選手は、今回の成績に関わらず、まだまだ4年後、8年後にもチャンスがあるわけで楽しみです。ただ、夏のオリンピックだけでなく、冬のスポーツに対しても国をあげての積極的な援助が必要かもしれません。

2014年2月11日火曜日

除雪作業

やっと中央道が開通しました。そこで、行ってみた。

もちろん、それなりの理由があってのことですけどね。
まだまだ除雪作業中でした。大部分は問題なく走れます。

なにしろ、8日の大雪で夜間に通行止め。9日は高井戸から諏訪まで、まったく通れない。10日になって、やっと一部区間が通れ。11日早朝に、チェーン規制は残るものの、なんとか全線が通行可能になりました。

路肩側に固められた雪が大量に残っていましたが、一部は車線を一つ潰して雪置き場になっています。

夜通し作業に追われたNexcoの方々は、ご苦労さまです。

2014年2月10日月曜日

ソチ五輪 ~ 残念!! 上村愛子

女子モーグルの上村愛子のオリンピックが終わりました。長野以来、ソルトレイク、トリノ、バンクーバー、そして今回が5度目の出場はすごいことです。

白馬出身で、小さい頃からスキーに親しんでいたとはいえ、4年に一度のオリンピックに5大会連続出場は、それだけで誇れる記録でしょう。

ただ、惜しい事に、メダルがなかった。7,6,5,4と来て、前回のバンクーバーで涙で「なんで一つづつなんだろう」という言葉が印象的でした。

そうならば今回はいよいよ3位以上のメダルが期待されましたが、残念ながら今回も4位。本人的にも、だいぶ素晴らしい滑りができたのだろうと思いますが、最後に抜かれてメダルを逃してしまいました。

レスリングの吉田沙保里が、オリンピック、世界選手権を連覇し続けているのも、凄い事ですが、金色をずっと取り続けいると勝って当たり前。もちろん、応援はするんですが、どうせ勝つだろうと思っているわけです。

上村は、なかなかメダルまで届かないところが、日本人の心をよりくすぐる。同じ「がんばれ」でも、本当にメダルを取らせてあげたいという気持ちがこもっているわけです。

さすがに、年齢的なことも考えると今回のオリンピックが最後でしょうから、ついに無冠の女王という感じになってしまいましたが、それでも試合後の「やりきった感」のある笑顔に救われました。

でも、本当は悔しいんだろうな・・・ご苦労様でした。

2014年2月9日日曜日

黄鴬見睨

暦の上では春が来た!! ・・・はずなのに、昨日は平成になって一番の雪でした。未明には雪は止んだものの、自宅のあたりでは40cmくらいの積雪となり、もう大変な状況。

スタッドレスタイヤの車でも、積雪が多すぎてまともに走れない。あまりの豪雪で、雪かきもまったく追いつかないという状況。

それでも、暦は今日から春の第2弾。七十二候では、黄鴬見睨、「うぐいすなく」なのであります。

ウグイスは、たまに鳴き声を聴くことがある。どこにいるのかはわかりませんが、比較的身近な鳥のような気がします。

ホー、ホキェキョ!!

2014年2月8日土曜日

吹雪

おやおや、まぁまぁ、こりゃまた・・・とほほほ。

今日の天気予報は、未明から雪。都心でも20cmの積雪が予想されている・・・ということは、うちのあたりだと、その倍は積もるのかも。

でも、最近はやたらと雪が降る降ると気象庁が言うので、たかをくくっていたら、どうも今回は本当のようです。朝起きた時点で、もう5cmくらい積もり始めていました。

いやぁ、まいるなぁ。9時過ぎからは、クリニックのあたりはほぼ吹雪状態です。ピーターパンならいざしらず、普通の大人になってしまった自分としては、ただただ困惑するだけです。

2014年2月7日金曜日

ソチ冬季オリンピック開始

昨夜から、いよいよ始まりました、冬季オリンピック。今回は、ロシアのソチという場所で行われ、オリンピックがなければ、あまり聞いた事がない場所。

そもそも、会場の工事が間に合うのかとか、テロに狙われていて危険度が高いとか、いろいろと本質と関係ないところが注目されていましたが、始まってしまえば競技の話題に集中したいところ。

すでにスノーボード、モーグル、フィギア団体などが開会式前に始まり、日本人選手が始動しています。ただ残念なのは、時差の関係で競技が行われるのが日本だと夜間が多い事。

さすがにおじさんは早寝早起きなので、この時間に合わせるのはかなりしんどいものがある。まぁ、なんとか、いけるところまで着いていきたいとは思います。

冬にもオリンピックがあると知ったのは、1972年の札幌から。特に印象に残っているのは、日本が活躍したスキージャンプと可愛いフィギアのジャネット・リン。

1998年の長野も、当然記憶に残る。スキージャンプ、モーグル、スピードスケートなど、日本人の活躍もずいぶんと増えました。

このあとくらいからでしょうか、フィギアスケートが注目されるようになったのは。一方、ジャンプは低迷気味。今回は、フィギアは男女ともに世界が注目し、女子ジャンプに期待の高梨がいます。カーリングやスノーボードなども気になるところ。

さぁ、がんばれ日本。

2014年2月6日木曜日

傑作の裏

広島出身の被爆2世の作曲家で、両耳の聞こえないことから「現代のベートーベン」とも呼ばれて話題を集めた佐村河内(さむらごうち)守さん(50)が、「交響曲第1番〈HIROSHIMA〉」などの楽曲を、実際には別の作曲家に制作を依頼していたと、佐村河内さんの代理人である弁護士が5日未明、明らかにした。音楽界などに困惑が広がっている。 ~讀賣新聞(2/5)

クラシック音楽が好き、というか音楽全般を好む人にとって驚愕のニュース。アイドル・タレントの本ならいざしらず、まさかクラシックの範疇でこういうことが起こるというのは想像もできませんでした。

去年、話題になった「交響曲第1番 HIROSHIMA」については、このブログでも取り上げたのですが、音楽としては正直つまらなかった。音の洪水という評価で、これを傑作と称して持ち上げる気にはならないのは今でも同じ。

音楽の好みは、聴く人それぞれの感性の問題ですから、その音楽がいいと思うならそれはそれでいいわけで、作曲者が誰であっても関係は無い話・・・ではありますが、なかなかそう簡単には割り切れないところ。

古くはモーツァルトの贋作とされている作品は数え切れないくらいあったりするわけですが、そうだとしてもその中には音楽として素晴らしいと思えるものもけっこうあったりします。

特に、この人の場合メディアが積極的に取り上げた事が大きい。何故取り上げたかというと、当然「聴覚障害者」だからであり、それが話題になりやすいということ。

最近の日本テレビのドラマの問題にも通じることかもしれませんが、話題作りのために障害者を利用するメディアの「常識」という図式が存在している。それは、視聴者側にも問題があって、潜在的にもそういうものを求めているということでしょうか。

テレビのドキュメントを見た後に、楽曲を聴いた人々の多くは、「聴覚障害者」が作ったと言う前提があって、それが個人の評価を「傑作」へ持ち上げる事になった部分は否定できません。

もちろん佐村河内氏の場合は、ゴーストライターの存在はもっと昔、世間に知られるようになった最初からのようですから(ほぼ全キャリア?)、本人が障害を利用して有名になろうとしたわけではないのでしょう。

メディアが取り上げて、いっきに有名になり、クラシックとしては異例のCDの売り上げを記録。当然、次回作が期待されると、本当の作曲者への要求が過大になる。佐村河内氏と真の作曲者との格差も急速に広がった事が、関係の破綻につながったのでしょうか。

なんにしても、社会に対しての「裏切り」であることは間違いなく、佐村河内氏と真の作曲者の両者に本当に才能があったとしても、二度と表舞台で取り上げられる事はなく、少なくとも一つの才能は終わりを迎えたのかもしれません。

2014年2月5日水曜日

雪は降る

昨日は「春」になったとたんに雪が降り、まだまだ冬まっさかり。どうも、最近の天気予報は、悪そうなときはやたらと悪く言うことが多い。

予報より荒れた天気だと「当たらない」と批判されますが、予報より良ければ誰も文句は言わないだろうということでしょうか。

ところが、天気が悪いとなると、とたんに患者さんが減ってしまい、クリニックは閑。本当に悪天候ならしょうがないのですが、それほどでないときは肩透かしを食った感じ。

そこで、雪にちなんだ唄とかを思い出したり。アダモの・・・って、アダモというと、今時はアダモちゃんを思い浮かべる人のほうが多いかも。

昭和の人間は、アダモといえば外人の歌手で、日本語で歌う事で記憶に残ります。今でも活動されていて、熱心なファンもいるんだそうです。

♪ 雪は降る 患者さん来ない
  雪は降る そうじはかどる

もうすぐソチ五輪です。

2014年2月4日火曜日

東風解凍

昨日は節分。節分は季節の分かれ目で、当然この時期ですから、冬から春になるわけです。暦は、ここですべてリセットされるわけで、ある意味本当の意味での1年の始まり。

二十四節気だと、大寒から立春に移る。一番寒そうな大寒の後ですから、いきなりポカポカというわけにはいきませんが、春が立つと思うと、気持ちも晴れやかになってくる。

そして七十二候では、東風解凍(はるかぜこおりをとく)となり、まさに東から吹いてくる暖かい風に喜びを感じるわけです。とは言っても、そう感じるのは人だけ。

実は、馬はそうは思わないらしい。 耳をなでる暖かい風が吹いても、馬はなんとも思わない・・・と、誰が調べたものか。そこで、人の言うことを聞かずに我が道を行くことを「馬耳東風」と言ったりするわけです。

そういえば、70年代に渡辺貞夫、日野晧正ら日本のジャズが元気だったときに、かれらを束ねたEastWindというジャズ・レーベルが立ち上がりました。ここから発信された音楽は、ジャズのフォーマットを持ちながらも独特の雰囲気があり、若さの熱気が感じられるもの。

EastWindはまさに東の風ですし、そしてレーベルを象徴する日野晧正と菊池雅章の双頭ユニットがKOCHIでした。ここでは、アメリカ発祥のジャズで日本人にしかできない音楽を聴くことができます。

今日は旧暦の元旦、一年の始まり、一年の計は元旦に有りです。今年の目標を立てそこなった方は、もう一度リトライするチャンスです。

2014年2月3日月曜日

チャップリン「黄金狂時代」 (1925)

1914年2月に銀幕デウューしたチャップリンは、瞬く間に人気者になり、出演する映画は次から次へと製作されます。最初の年には36本に出演し、特に4月以降は自ら監督もこなし、20本が監督・脚本も兼ねています。

当然サイレント映画ですから、セリフは関係なくチャップリンのドタバタの滑稽な仕草が受けたわけでしょう。ほとんどは20分以下の短編で、他愛の無い内容のものがほとんど。まだ、後年のメッセージ性はほとんどありません。

1915年には会社を移籍して13本、1916年は9本、1917年は4本という具合に本数は減っていくのですが、内容的にはしだいに濃くなってくるのが、順番に見るとよくわかります。

そして、人気を不動のものにして経済的にも余裕ができたのか、ついに自分のスタジオをハリウッドに持つことができて、映画会社も興したのが1918年。

ここからは、有名な短編がぞくぞくと生まれ、1918年には「犬の生活」と「担え銃」、1919年には「サニーサイド」と「一日の行楽」、1921年には「キッド」と「のらくら」、1922年は「給料日」、1923年に「偽牧師」が製作されました。

そして仲間とユナイテッド・アーティスツを作って、ついに1923年に長編「パリの女性」が作られます。ただし、これはコメディではなく、チャップリンは登場しない。その後は、数年ごとにどれもが傑作といえるようなチャップリンの長編映画が続くことになります。

これらの作品では、確かにチャップリンの超人的な動きによる笑いが映画の重要な要素としてあるわけですが、笑いの後ろには人間のドラマがしっかりと描かれている。特に哀愁(ペーソス)を隠すための笑いであり、また人間の幸福とは何かということを絶えず訴えてくるものなのです。

そんな中で、淀川長冶さんが、最も大好きだったのが「黄金狂時代」ですが、現在一般的に見ることができるのは、1942年にチャップリン自ら、音楽とナレーションをつけたサウンド版と呼ばれているもの。

字幕ででた分を、言葉として説明したり、一部はセリフのようにアフレコした感じに仕上がっています。画面が字幕で分断されることがないので、見ていて話の連続性が感じられ、現代の目からすると出来栄えは素晴らしい。

サイレント映画とは思えないくらいに、音楽もうまくかみ合い、一部の効果音を取り入れて、映画としての完成度がより高まっています。ちょっと前に完全トーキーの「独裁者」を作ってみて、チャップリン自身がサイレントの限界みたいなものを感じたのかもしれません。

でも、他の作品をサウンド版にしていないのは、もともとサイレントで撮ったものはそのままがいいと思うところもあったのかもしれませんね。実際、「キッド」や「街の灯」のこどもや女性の声をチャップリンがアフレコするのは雰囲気を壊すかもしれません。

サウンド版のエンディングは恋しい女性と再会して、新聞記者が「ハッピーエンドですね」と言って終わります。一方、オリジナルでは、そのあとに二人が見詰め合って記念撮影をするところでキスをして終わるんです。

個人的にはオリジナルのほうが、幸せそうなチャップリンの笑顔が印象的で好きです。たぶんもサウンド版は言葉で説明したので、内容がだぶる映像をカットしたのかもしれません。 もしかしたら、戦時下という時節柄キスシーンは遠慮したのもしれませんね。

2014年2月2日日曜日

チャップリン「独裁者」 (1940)

映画についても、ずいぶんと書いていますが、好きな映画人は決まっていて、アルフレッド・ヒッチコック、ルキノ・ヴィスコンティ、黒澤明、そしてクリント・イーストウッド。

つまり、この4人は全作品を制覇したい対象ということで、だいたいこの4人で映画に関する楽しみは事足りてしまうということなんですが、実は大事な人を一人忘れていました。

それが、チャールズ(チャーリー)・チャップリン(1889-1977)です。日本で言えば昭和の前半が主として活躍した時代ですから、自分が興味を持ったときにはすでに引退していました。

最初に、チャップリンという名前を頭の中に刻んだのは、実はコント55号の萩本欽一さんがらみ。こどもの時に、テレビ番組で当時人気絶大だった欽ちゃんが、引退してスイスにいたチャップリンに会いに行くというのがあった。

欽ちゃんが、それほど会いたいというのなら、相当すごい人なんだろうと思うわけです。しかも、実際行ってみると、まったく会ってくれない。欽ちゃんほどの人気者(・・・日本だけのことですが)を、門前払いするなんて、どれほど偉いんだろうと。

今はウィキペディアで、簡単に当時の話が確認できます。1971年のことだったんですね。少なくとも、何となくチャップリンのあのいでたちは知っていましたが、当時は実際の映画を見ることはできなかったので、こういう話で伝説のスター的な記憶が残ったわけです。

そして、もう一人、映画の話となるとなくてはならないのが淀川長冶さん。テレビ朝日の日曜洋画劇場は、かなりの頻度で見ることがあって、そこで前後に出てくる淀川さんのチャーミングな解説と、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」は昭和のお茶の間の定番でした。

その淀川さんが大好きで大好きで、事あるたびに話にだしていたのがチャップリンでした。映画会社に入社した関係で、チャップリンに会ったことがある数少ない日本人の一人となりました。

80年代にNHKがずいぶんと集中的にチャップリンの映画を放送したことがあり、ちょうどビデオデッキがあったためしっかりと録画して、短編も含めて初めてしっかりとみることができました。ただビデオがβだったので、せっかく録画したものの繰り返し見ることはできませんでした。

今はDVDやBlurayの時代で、もちろんチャップリンの作品は繰り返し発売されているわけですが、最近やっとまとめて手に入れることができました。そこで、初めて気がついたのですが、チャップリンの初めての映画作品は1914年。つまり、今年はチャップリンが映画に登場してから記念すべき100周年なんです。

初期のサイレント作品は、10分~20分程度のものが中心で、さすがにいくらリマスターされても、画質的にはかなり苦しいところがあります。チャップリンの芸術的変遷を研究していくには重要な作品が目白押しではありますが、やはり映画史上忘れられないのは長編作品でしょう。

その中で、自分の場合一番に位置づけたいのが「独裁者」です。これは、チャップリンにとって最初の完全トーキーであり、今の映画感覚での鑑賞が可能なんです。つまり、サイレント作品の歴史的な位置づけとは別に、最近の映画と同列に評価できるわけです。

この作品については、もういくらでも評論はあって、いまさら自分ごときがどうのこうの言う必要もないくらいの名作とされています。一言で言えば、ヒットラー率いるナチス・ドイツを笑いの中で痛烈に批判した映画。

今でこそ、独裁者としてのヒットラーやナチスが行った残虐行為に対する批判はいくらでもあるわけですが、この作品を見る上で最も重要なことは、この作品が作られた1940年の世界の情勢です。そこを抜きにすれば、単なるブラック・コメディとなってしまうかもしれません。

第一次世界大戦ご政界に進出したヒットラーは、1929年の世界恐慌により国民の政府への不満に乗じて一気にその存在が知られるようになりました。1932年に首相、1934年には大統領も兼任し独裁体制が確立しました。1938年に、ついに隣国オーストリアを武力で併合したのです。

アメリカ国内では、この時点ではヒットラー手腕を評価する声も出ていたらしく、必ずしもヒットラーの独裁がすべて批判されていたわけではないようです。しかしユダヤ人に対する迫害はすでに始まっていて、それらを危惧する文化人も現れ始めていたのです。

チャップリンは、予定していた次回作を見送って、急遽ヒットラー批判の映画を作ることを決断したのですが、真っ向から他国の現役の指導者を揶揄することは、相当な勇気がいることだったのではないでしょうか。今だったら、大きな外交問題になることは必至です。

最大の見せ場は、もちろん最後の演説シーンです。約6分間、途中で一瞬失意の恋人のカットが入りますが、ほぼワンカットで独裁者に対する批判を展開します。もちろんチャップリン自ら監督・脚本をしているわけで、これが心からの悲痛といもいえるチャップリンの叫びなのです。


映画史上、最高の名場面にあげられることが少なくない、現代社会にも大きな意味を持つ演説であり、チャップリンが単なるコメディアンという枠ではおさまらず、映画という道具を用いて世界に向けてメッセージを発信する偉大な文化人たる所以でしょう。

興味深いのは、チャップリンはホロコーストの存在は当時知らなかったと述べていることで、もしも知っていたらこの映画は作れなかったとも言っています。つまり、最も深刻な悲劇においては、もう笑いが入れる余地が無くなるということです。ですから、ナチスの残虐性がほぼ明らかになった今では、このような映画が登場することはおそらくないでしょう。

2014年2月1日土曜日

S - 最後の警官

あっという間に1月が駆け抜け、今年もあと11ヶ月です・・・速いなぁ。

それはともかく、今期のテレビドラマなんですが、あまり面白そうなものがない。1年の始まりとしては、ややパワー不足・・・と自分勝手に思っているところ。

医療系ドラマは、嘘っぽさばかりが目立ってみる気がしないのはいつものこと。ちなみに昨年視聴率をとった某番組ですら、なんで人気なのかまったく理解できないわけです。

何年か前まで、トレンディの代表だった月9ドラマ。今回は嵐の松潤と石原さとみの組み合わせ。1回目だけ見ましたが、 松潤の夢想ばかりで話の展開がわからない。石原さとみの役どころが、あまりにバカっぽくて、とてもついていけません。

何かと話題が多いのが「明日ママがいない」で、制作サイドはまじめな意図で作っていることを協調していますが、そもそもタイトルからして「芦田愛菜がいない」をもじったギャグだろうことは明らか。

少なくとも、昼の愛憎ドロドロドラマのようなやりすぎの展開を、こどもたちが演じているのがあまり楽しくない感じでした。社会問題を提起するというのであれば、やり方は他にいくらでもあるはず。

いろいろな批判によってドラマが中止されるというのは別の問題で、もちろん基本的にテレビにはスイッチがあって見るか見ないかの選択は視聴者にある。嫌なら見なければいいだけですが、本質はそういうドラマを歓迎する人がたくさんいるということかもしれません。

相変わらず警察物は花盛りで、今期もたくさん放送されています。そんな中で「S-最後の警官」は、たまたま一回目を見てもまあまあ楽しめた。テレビとしては比較的派手なドンパチがあるのですが、基本的コンセプトが「誰も死なせない。犯人も殺さない」というところがいい。

原作はマンガだそうで、アクションだけでなく、何故誰も死なせないのかということを二人の違う立場の警官の異なる経験を対比していく展開はいいと思います。

犯人が死んだら、被害者側の残されたものは、どうしてこの悲劇が起こったか納得できる説明がなく、その怒りの矛先を失う。だから、犯人を絶対に生かして捕まえたいという主人公の意思は納得できる。

一方、犯罪者は絶対に許されず、殺してもかまわないと考えている警官がいる。ただ、それは司法権限を手に入れているかのような錯覚であり、ある意味合法的な私刑になるわけで、そこをうまく説明していけるかが大事になってくるかもしれません。