クリニックの2017年夏季休診のお知らせ

① 8月14日(月) ~ 8月16日(水)

② 9月21日(木) ~ 9月25日(月)

2回に分けて休診いたします。ご注意ください。

2014年5月31日土曜日

麦秋至

七十二候に興味を持ち始めたのが、1年前のことです。それから、ずっと一つ一つの暦を意識して、この1年を暮らしてきて、この前の「紅花栄」が72エントリー目になりました。

今日からの麦秋至(むぎのときいかる)が、小満の末候であり、去年のスタート時に最初に話題にしたものです。

とにかく、1年間を通して、昔の人は本当に自然をよく観察していたことに驚きました。そして、自然と密着して生活していた事を、あらためて認識する事ができました。

現代社会では、夏にみかんがでてきたりするように、四季折々の風物詩を科学の力で変えてしまいましたが、それはより色彩豊かな文明ではなく、一年を均等化して白黒の世界を作っているような気がします。

熱いときは熱いなりの、寒いときは寒いなりの、生活の楽しさと厳しさいうものが人間をより豊かにしている気がします。

72ある暦の呼び方のうち、都会で生活していると実感できるものは少なく、半分もありません。しかし、ちょっとだけでも、72ある候を意識してみるだけで、身の回りにまだまだ残っている自然の営みを感じる事ができますし、人間だけが単独で地球に生活しているわけではないことがわかります。

とりあえず、シリーズとして七十二候を取り上げるのは、これで終了です。これからも、暦を忘れないようにして、少しでも何気ない事にも注意を払い、生活の色彩を増やしていきたいものだと思います。

2014年5月30日金曜日

梅雨入り前

なんとなく天気が怪しくなってきて、気象庁の天気図を見てみると、日本の南には梅雨前線が北上しようと期を狙っています。

今のところ、沖縄・奄美地方だけが梅雨入りしていています。関東地方は6月8日ごろの予想となっていますが、このところの梅雨予想は雰囲気重視。「梅雨入りしたと思われる」とか、「梅雨明けしたと思われる」という具合。

ぴたっといつからと決められるものでもないので、それはそれでいいのですが、梅雨入りしたと言われると、やはり体も心もじめじめしてくる感じで、あまり嬉しいものではありません。

まわりを見回してみると、すでにあちらこちらでアジサイが咲き始め、いつでも梅雨よ来いと言わんばかりに準備完了状態です。

2014年5月29日木曜日

昇天祭

キリストの昇天は、一般に言う「死」ではなく、栄光の体を持って天に上がるもの。キリスト教徒ではない自分には、もちろんなかなか理解し難いことではありますが、キリストを神格化するというとあまり夢がない。

磔刑により一度「死んだ」のち、キリストは蘇り神の国について40日間語り続け、そして昇天したとされていて、今日はそれを記念する昇天祭の記念日です。

J.S.バッハは昇天祭のためには
BWV 11 神をそのもろもろの国にて頌め
という長めのカンタータがあります。通常はオラトリオとして扱われているので、バッハが作曲した3つのオラトリオの一つとされています(あと2つはクリスマス・オラトリオ、復活祭オラトリオ)。

ガーディナー先生の録音は、復活祭関連を集めて、通常のリリースでは最終巻となるVOL.28におさるられていました。

2013年は、ガーディナー先生はCDの録音だけでなく、コンサートでも盛んに演奏していたようで、YouTubeではBBC promsでの演奏が、高解像度で視聴できて嬉しい限りです。

復活祭オラトリオは、開始早々、高らかに鳴り響く金管楽器の喜びに満ちた音楽。この昇天祭も、同じような雰囲気で、初めて聴くとどっちがどっちかわかりにくいかもしれません。

日本が誇る鈴木雅明率いる世界のBCL(バッハ・コレギアム・ジャパン)の演奏は、復活祭オラトリオとのカップリングで、鈴木氏の本当に真面目に音楽に取り組む姿勢がそのまま録音された感じ。

もうちょっと、歓喜の高揚感があってもいいかもという感じがしないわけではありませんが、あわてず騒がずじっくりと音楽を演奏するところは素晴らしい。

毎週のカンタータ以外に、こういう特別な記念日が入ってくると、教会暦に沿ってバッハを聴いて行くと言う試みは、大変忙しくなります。

2014年5月28日水曜日

リウマチ診療 この10年と次の10年

このブログでは、関節リウマチ診療は21世紀になって飛躍的な展開をしたと度々書いてきました。これは内服薬のリウマトレックス(メソトレキサート)が発売になったのが1999年で、それまでの薬に比べて画期的な治療薬となったことが一番の要因です。

続いて、2003年に初めての生物学的製剤(略してバイオと呼ばれます)であるレミケード(インフリキシマブ)が登場し、病気の抑制よりも治癒の道が開けたといっても過言ではありません。

その後、毎年のように新たな注射で用いるバイオ製剤が登場し、昨年ついに内服のタイプの登場に至ります。このバイオ10年は、リウマチ診療に携わるものとしては、あまりの情報量に四苦八苦する毎日でした。

治療学のみならず、診断学として、新たな有意義な検査項目の登場や、20数年ぶりの診断のための分類基準の改訂もあり、「リウマチは治らない」から「リウマチを治す」に向けて、大きく舵取りが変わったことは医学史の中に記憶されるべきポイントです。

その結果としては、実はまだ完全な成果は出ていないかもしれないのが現状です。なぜなら、今でも「リウマチは治ります」とは患者さんに説明はできません。

病気が治るのは治癒ですが、リウマチでは寛解という用語を使っていて、「ほぼ治っているが、再発の危険は残る」という意味が含まれます。

現実に、バイオ製剤を導入した患者さんの多くが寛解状態になりますが、投薬を中止すると多くの患者さんは再発してくるというのは、ほとんどのリウマチ医が持っている印象です。

先月あった日本リウマチ学会では、大雑把に言うと1/2は再発し、再開しても同じ薬では1/2は効果が出にくいという感じの発表もありました。このあたりの、治療をやめれるのか否か、あるいはどうやったらやめれるのか、というような点については、まだまだデータがそろっていません。

そして、バイオ10年の患者さんへの影響は、もちろん大きな変形に至ることはなくなり、快適な生活を続けられるようになったことは画期的な変化です。その一方で、非常に高額な薬剤費用により、経済的な圧迫が増えた事が個人レベルだけではなく、医療費全体に携わる厚生行政にも影響したことも否めません。

製薬会社の宣伝の理屈、あるいは一部の大学のお偉いさんの言い分によれば、より通常の生活を送れる事により、経済活動が可能になり、高額な薬剤費を吸収できるのだからいいだろう、という話になります。

しかし、それでは働いて毎日を生きていく目的がリウマチという病気のためになってしまうわけで、本来の人生の目的とは違うと思うんですよね。病気とは別に、豊かな人生が送れることが重要なはずです。

学会はリウマチ診療のガイドラインを、「バイオ製剤を第一選択」にする主旨の改定をすると発表しました。もちろんそれは病気を治そうとする立場としては正しい方向性だと思いますが、注意しないといけないのは「病気だけを見て、患者さんを見ない」という医者の自己満足にならないようにすることです。

バイオ製剤は、準備中のものがたくさんあり、今後もいろいろと登場してくると思います。しかし、次の10年間は、医者は大変なんですが、「寛解から治癒」への道を確立するために進歩が期待されます。特にiPS細胞のような再生医療や遺伝子レベルの研究成果が、目に見える形となってくることを期待します。

2014年5月27日火曜日

AKB48襲撃事件

AKB48が襲われた、とテレビのニュース速報で流されたのは驚きでした。単なる好きな人だけのタレントの世界を超えて、社会現象の一つとして今の日本がAKB48を認めているということでしょうか。

天下のNHKも、ニュースの中で負傷したメンバーは総選挙××位の◯◯のように紹介し、AKB48に感心が無いものには、ほとんど無意味なはずの情報も合わせて紹介していました。

今回の事件の犯人は、もともと熱狂的なファンというわけではないらしく、襲撃するのは誰でもよかったというような話をしているらしい。

今までにも、タレントが巻き込まれる事件はいろいろありましたが、ほとんどはタレントに対しての思いが大きくなりすぎて、独占欲が膨らみすぎた場合か、その思いを叶えられないことに対しての恨みを持つようになるケース。そして、後は、個人的なトラブルでしょう。


公開の場で襲われると言うのはそう多くは無いようで、記憶にあるのは松田聖子・・・あとは、美空ひばりくらいか。

有名人というのは、無差別事件の被害者になる可能性は、一般人よりも高い事は否定できませんが、その分、簡単には会う事はできません。今回のAKB48のように、「会いにいけるアイドル」というコンセプトは、そういう芸能人の敷居の高さを逆転させたことが大きな人気につながりました。

その根幹を揺るがす事件の可能性は、当然スタッフも承知していたはずで、今までにもどこまで規制するかというジレンマはあったはず。

襲われ、実際に負傷者が出てしまうと、今後模倣犯的な事件の発生もありうるわけで、今までのようにはいかないでしょう。

整形外科医の立場からは、刃物で切られたのなら縫合は比較的しやすいのですが、のこぎりが凶器だと、単なる裂傷とは言っても組織の挫滅を伴うので、傷跡も残りやすいし、機能障害も残す可能性が高い事が心配ですね。

2014年5月26日月曜日

紅花栄

小満になって、確かにいろいろな「生命が満ちてくる」ので、そこらの雑草も勢いづいた感があります。今日からは、その次候になり、紅花栄でべにばなさかう、と読みます。

紅花というと食用油のひとつの材料ということは知っていても、あまり意識してみた事はないので、どんな花でどこに生えているのかよくわかりません。

ただ、咲き始めは黄色だそうで、赤くなってまさに紅花といえるのは時間がたってから。

昨日は、気温がずいぶんと高くなり、30度ちかくてずいぶんと熱かったですね。自分が専門医の資格を持っているのは、日本整形外科学会のもので、専門医を維持していく条件に5年に1度の学会総会への参加と言うのも条件に入っています。

開業医になると、なかなか平日中心の学会に休診して出かけるわけにはいかず、 この5年間は首都圏での開催が無いため「また、来年」と先延ばしにしていました。

今回は、神戸。今週はいろいろとあったので、へとへとですし、できる事ならゆっくりしたい日曜日でしたが、朝6時の新横浜始発の新幹線に乗って神戸まで行ってきました。そして、少しだけ勉強して、すぐに帰ってきました。

最終日なので、もう聞きたいセッションはほとんどが終わっていて、あまり興味ある演題はほとんど残っていないので、ほとんど3万円かけて2万2千円の参加費を払い、専門医継続の義務を果たしに行ったみたいな感じ。

あぁ~、ふぅ~。なんかなぁ~。という日曜日でした。行き帰りの新幹線の中で、たっぷりとカンタータを聴けたのはよかったですけどね・・・

2014年5月25日日曜日

復活節後第5主日

磔刑から気積の復活を遂げ、いろいろ現世での最後の活動をしていたキリストも、時間がだいぶなくなって、いよいよ今週の木曜日は昇天祭です。

復活節後第5主日のためのバッハのカンタータは2曲残っています。

BWV 86 まことに、まことに汝らに告ぐ
BWV 87 今までは汝らなにをもわが名によりて

いずれも、ライブツィヒに着任してから作られたもの。復活後のこの期間のカンタータは、おめでとう気分が勝っているのか、比較的重々しい感じのものが少ないので、気楽に聴きやすい。

ガーディナー先生は、実際の演奏会にあたって、もう一つ、使途不明のカンタータを一緒に収録しています。

BWV 97 わがなす すべての業に

264年も前に亡くなったJ.S.バッハですが、研究者と呼ばれる方々の努力というのは凄いもので、教会、世俗合わせて220曲程度あるカンタータのすべての作曲時期は特定されています。

その大半で、いつの何の時のために作られたかもわかっていますが、中にどうしても使いみちがわからないというものが何曲か残っています。

歌詞の内容から、教会用か世俗的目的かは想像できるとしても、「初演」された聖トーマス教会にも、資料が残されていないのでしょう。このBWV 97についても、夏ごろのものくらいと推定されています。

この曲では、当時は少年合唱隊と大人の男性合唱隊が絡み合うように歌うところから始まり、これがなかなか印象的だったりするんですね。

2014年5月24日土曜日

緑のラブレター

中央道を走っていて、普通はまっすぐ前を見ていないといけないので、気がつくはずがないのですが、なんかのはずみで、横を見るといきなり山腹にラブレターが落ちているのにびっくり。

場所は、藤野町、神奈川県相模原市です。これは、もうすでに有名らしく、ネットで探すといろいろと話が出てくるのですが、自分は最近まで知りませんでした。

「緑のラブレター」と呼ばれているオブジェで、縦17m、横25mの大きさで、平成元年に設置されたそうです。元々、芸術家が多く住んでいて、町の活性化の一環として作られ、町のシンボルとしての役割をはたしています。

渋滞していたら、前ばかり見てイライラしないで、ちょっと横を見ると、こんな素敵な驚きがあるんですね。

2014年5月23日金曜日

お詫び

一昨日午後から昨日にかけて、急遽休診すねことになり、来院された方には、大変ご迷惑をおかけいたしました。本当に、申し訳ありませんでした。

休診にしたのは、義母の葬儀に出席するためという事情のためです。遠方にいるため、診療を続けながらということができませんでした。

可能な限り、関係各位にはご連絡差し上げましたが、一人一人の患者様すべてに周知する事は、到底できないために、多くの方に不快を思いを抱かせたことと思います。


急な事とは言え、重ねてお詫び申し上げます。なお、本日より、通常の診療を再開いたします。よろしくお願いいたします。

2014年5月22日木曜日

ピリオド奏法のこだわり

以前に、古楽器による演奏とモダン楽器による演奏にこだわっていないという主旨のことを度々書いてきました。

現代の通常の楽器を使って、楽譜通りに演奏するのは、極々普通のこと。ピリオド奏法を行う演奏者は、作曲家の生きていた時代に実際に使われていた楽器、またはその複製を用いて、当時の雰囲気を限りなく再現する・・・ものと思っていました。

実際、古楽器の方が音量は少なく、響きも悪い。これは、新しいものほど、改良されてきた結果ですから、当然といえば当然。もっとも、今のような大きなコンサートホールなんて、そうそう無かったでしょぅから、特に困っていたということもないでしょう。

ですから、どうがんばっても完全に再現することはタイムマシーンでもできない限り不可能ですから、聴いて気持ちがよければ、ピリオドでもモダンでも、どっちでもいいと考えていたわけです。

ガーディナー先生は、ピリオド奏法を中心に活躍してきた人。アーノンクールらとともに、80年代から盛んになって来た初期の古楽ブームの仕掛け人ともいえます。初めの頃は、ただ古楽器を使ってみましたみたいな演奏が多かったと評されるのですが、次第に奏者も楽器の扱いに慣れてきて、90年代以降は、どんどん優れた演奏が増えてきました。

さて、宗教曲からあらためてバロック音楽、あるいはそれ以前の音楽を聴くようになってみると、この古楽かモダンかという問題はずいぶんと重要であることに気がつかされます。

そもそも、現代とは音程が違っていたということ。つまり調律の問題が出てくるわけで、現代は一定の周波数の音は一定の音階名が当てられていて、どの楽器でもその名前の音は同じ高さの音として演奏されます。

詳しい楽典を知らないので、あまり細かいことはわかりませんが、バッハの時代には楽器によって音の高さが違っていたということがあります。つまりバッハの直筆譜通りに今の理論で演奏すると、まったく正しいハーモニーが生まれてこない可能性が出てきます。

楽器によって、どのように調律するかは重要で、当時の楽器が完全に使えればまだいいのでしょうが、今の楽器だと出せない音もたくさん記載されていたりする。1オクターブ上で演奏するのか、あるいは下で演奏するのかによって、曲の聞こえ方はずいぶんと違ってくることは容易に想像できます。

宗教曲では、重要なのは声楽パートですが、これについてもずいぶんと事情が違っていたようです。バッハの頃の教会では、女性は教会内ではしずかにしていないといけないと言われていたそうです。また大学に行く女性はいませんでした。

つまり、教会で歌われる独唱にしても合唱にしても、女性の声はなかったということです。また、大学でも女性がいないわけですから、高いパートもすべて男性が歌っていたわけです。

これは、主に少年合唱隊が割り振られていました。ボーイソプラノの高い済んだ声が重要な役割をしていたのですが、今より遅めの16~18歳ごろに変声期を迎えると、後は後進に譲って通常の男性歌手となるわけです。

また、その美しい声を維持するためにヨーロッパ中で行われていたのが去勢でした。男性ホルモンを失った歌手は、美しいソプラノの声を維持でき、彼らはカストラートと呼ばれ、ずいぶんと活躍したようです。

バッハが亡くなったころから、しだいに衰退して、19世紀後半にやっとカトリック教皇によりはっきりと禁止されます。女性の声が使えず、良い少年合唱団なしで、カストラートもいないとなると、通常男性が裏声を用いていたわけで、今で言うカウンターテナーが活躍することになります。

いずれにしても、バッハが毎週の教会のカンタータ演奏に起用していたのは、各地をいつでも巡業しているようなプロの音楽家ではないことは明らかで、聖トーマス教会の楽器奏者と神学校の生徒たちです。彼らが、単純に譜面を理解して、数日の練習ですぐに演奏できることが重要だったはずです。

それだけ楽譜というものが、現代とは読み方が違っていたのだろうということになります。ということは、バッハの直筆譜を単純に、そのまま演奏すめばよいということはなく、やはり作曲者の時代のいろいろな研究成果を推敲して、現状で可能な限り復元する作業の結果がピリオド奏法ということであり、こだわるには深い理由があるということです。

そうなると、出来るだけピリオド奏法による演奏で聴きたくなってきました。確かにカール・リヒターのマタイ受難曲などは、まさに荘厳の一言に尽きる襟を正さずにはいられない名演だとは思いますが、バッハがこんなに大勢のオーケストラや合唱団を用いた演奏をしたことは絶対にありません。

リヒターの荘厳さは、今の演奏法による響かせるだけ響かせた音から来るものであって、バッハの音楽を利用したリヒターの精神世界の具現化の産物なのです。リヒターの音楽として傑作であることは、まったく否定されることはありませんが、本来のバッハの世界とはどこかが違うといわざるを得ません。

そこのところを理解していれば、どちらを好むかは聴く人各自の自由です。ピリオドとモダンを単純に比べて、どっちがいいとか悪いとか言うのは意味がありません。

2014年5月21日水曜日

蚕起食桑

二十四節気でも今日からは小満です。そして、七十二候では蚕起食桑、かいこおきてくわをはむになります。

実は、昨年生活に密着した暦に興味を持つようになって、順次取り上げ始めたのが6月のことで、今日からの小満が最後の節気で、もうすぐ1年ということになります。

蚕というのは家畜化した珍しい昆虫で、野生の蚕というのは存在しないそうです。そういう意味では絶滅危惧種かもしれません。蚕の作る繭から絹糸が作られるというのは、小学校の社会科で習う常識。

昭和の人間にとっては、とても馴染み深いのは、これが怪獣となって登場するのモスラがあるからでしょうか。全面的に悪者の怪獣でないだけに、普通なら芋虫として嫌われそうな幼虫も可愛げある気がするものです。

2014年5月20日火曜日

バッハの経歴

教会暦にしたがって、バッハの膨大な教会カンタータを聴いていくと、一つのイベントに対して異なる時期に作られた数曲が存在することに気がつきます。

最初はあまり深く考えなかったのですが、よく考えてみると、ある年のある教会暦では1曲あればいい話。となると、作曲された時代による違いというのが重要になってくる。

そこで、最低限のバッハの経歴というものを知っておかないと訳がわからないことになるわけです。1685年にアイゼハナで生まれたバッハは、1703年、18歳でワイマール宮廷楽団に入団するところからプロの音楽家としてのキャリアが始まりますが、同じ年に、すぐアルンシュタットの教会オルガン奏者に転出したところから作曲家としての活動がスタート。

1703年 - 18歳 アルンシュタット時代

主としてオルガン奏者としての活動が中心で、教会カンタータの作曲はありません。1705年にはブクステフーデの元を訪れ、短期間のオルガン演奏の指導を受けています。このとき、行き遅れのブクステフーデの娘との結婚を条件に地位を約束されますが、バッハは断って逃げ帰ってくるというエピソードは愉快。

1706年ごろから、オルガン奏者として教会暦に関連したオルガン曲の提供が始まり、同時に結婚式とか葬儀などの世俗カンタータを作り始めます。1707年には、ミュールハウゼンのオルガン奏者として転出し、マリア・バルバラと結婚しました。

1708年 - 23歳 ワイマール時代

ワイマールの宮廷オルガン奏者となったバッハは、多くのオルガン曲を作曲します。1714年になると宮廷楽長に任命され、毎月の新曲の提供を義務付けられたところから、いよいよ本格的な教会カンタータの作曲が始まります。

それまでの作曲の蓄積はなく、また作曲も1ヶ月に1曲というペースですから、この時期の20数曲については流用・転用といったパロディはほとんどないようです。

比較的恵まれた環境での仕事が続いていたのですが、宮廷ないの権力闘争のあおりを食らう形で、バッハはワイマールから追い出されてしまいました。

1717年 - 32歳 ケーテン時代

幸いケーテンの宮廷楽長という職を得たバッハは、ここから多くの器楽曲を作り始めます。有名なブランデンブルグ協奏曲や無伴奏バイオリン、無伴奏チェロをはじめ、鍵盤曲の大半、大多数の世俗曲はケーテン時代の産物です。

ところが、旺盛な創作意欲の割には、カンタータなどの声楽曲はほとんど作られていないのです。ルター派プロテスタントのバッハに対して、ケーテンはカルヴァン主義改革派の土地で、宗教的音楽については重視していなかったことが大きな理由のようです。

この間、1720年に妻のマリア・バルバラが急死し、翌年バッハはアンナ・マクダレーナと再婚しています。

1723年 - 38歳 ライブツィッヒ時代

バッハはもともと「系統だてられた教会音楽」を究極の目標としていたので、ライプツィッヒの採用試験には相当意気込んだ作品を用意していて、うまいことに聖トーマス教会のカントル(トーマス・カントル)に採用されます。カントルはその教会の音楽監督であり、音楽についての最高責任者です。

ここから、毎週の主日に演奏されるカンタータの量産が始まります。また、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲などの大規模な声楽曲も作られ、まさに教会音楽家として八面六臂の活躍をすることになります。

宗教曲以外では、鍵盤曲のイタリア協奏曲とゴールデベルク変奏曲、およびチェンバロ協奏曲、そして音楽の捧げもの、フーガの技法なとが作曲されました。それまでの数からすると、曲数は激減していますが、そのすべてがバッハの主要作品としてなっていることを考えると、大変充実した仕事ぶりと言えるでしょう。

そして、おそらく最後の作品がロ短調ミサ曲であり、1750年にバッハは65年間の生涯を閉じ、聖トーマス教会に埋葬されました。


 地図でバッハに縁の地を確認してみると、一番長くいたライプツィッヒはベルリンの南西160キロ、ミュンヘンの北450キロです。日本で言うとミュンヘンを東京、ベルリンが大阪、ライブツィッヒが名古屋くらいの位置関係でしょぅか。

バッハの行動は意外と狭い範囲に集中していて、直径で100キロ程度の中に納まってしまいます。もちろん、今と違いますから、すべてが歩きか馬車での移動と考えれば大変でしょうけど。


ちなみに亡くなる原因となった眼の手術を行ったのは、イギリス人の眼科医ジョン・テイラーで、手術は成功したと主張したが、 実際は失敗であり、その合併症が原因とされています。さらに興味深いことに、ヘンデルもテイラーの手術の失敗により失明したということも何かの符号でしょ うか。

2014年5月19日月曜日

バッハ・カンタータ全集いろいろ

バッハの偉大なる遺産の中で、非常に大きな部分を占めているのがカンタータというジャンルです。現存するものが、教会カンタータで200曲、世俗カンタータで20曲程度あり、バッハ研究者および演奏者にとっては、そしてバッハ愛好家にとっても、一度は踏破してみたい巨大な山麓です。

愛好家は、ただ聴くだけですから一番楽をしています。とは言え、これだけの量があると、手当たりしだい行き当たりばったりで聴いていくとわけがわからないことになる。

そこで、ほとんどが演奏される目的があるカンタータであり、特に教会カンタータは教会暦にのっとって演奏されたわけですから、暦にあわせて聴いていくと、毎週3曲程度。特別な祝日があると、大変ですが、1年間で聴いていくにはちょうどよさそうなペースです。

また、バッハが作曲した年代もだいたいわかっているので、その順番を意識して聴いていくという方法もあります。よほど注意深い愛好家ならば、どこかで以前に耳にしたフレーズが再登場するのに気がつくでしょう。これらのパロディを極めるという、大変高度な楽しみ方もしやすくなります。

演奏目的と作曲順を組み合わせて聴くという、当時の教会に集った人々のリアルタイムな感動を再現しようという方法もあることはありますが、これはすべて聴き終るのに5年以上かかってしまいますので、さすがに無理。

演奏家にとっても、非常に困難な仕事になるので、録音で全集という形を残した人はそう多くは無い。

初めて一人の指揮者によって完成された教会カンタータ全集は、ヘルムート・リリングによるもので15年間かかって1985年に完成しています。これは、最初の偉業として、十分に歴史的な価値を伴うモダン楽器による記念碑といえます。

今では、Haensslerのバッハ全集の中に丸ごと含まれていて、数万円でバッハのすべてと共に手に入りますし、カンタータだけでも71枚組の単売が1万円以下で売られています。

Brilliantからもバッハ全集が出されていますが、その中に含まれるのはピーター・ヤン・リューシンクという指揮者の古楽器使用のもの。値段は一番安いのですが、2000年の全集発売に合わせて1年程度で、一気に録音されたもの。評判は、曲によってはいいらしいのですが、さすがに有名どころと比べるのは酷というところ。

もう一つあるバッハ全集はワーナーのもので、EratoやTeldecを中心に一番有名な演奏家のものが集まっています。カンタータはニコニス・アーノンクールとグスタフ・レオンハルトによる共同制作なので、一人の指揮者によるとは言えませんが、名演ぞろいで評判の良い全集です。

トン・コープマンによるものは、古楽器による最初の、 そして世俗カンタータも含むCD67枚の完全な全集です。1994年から始まって、2006年に完結。異稿やミサ・ブレビスなども含まれていて、その上カンタータ関連の書籍としては最強の「バッハ=カンタータの世界(全3巻)」という書籍まで登場したツワモノです。

そして次に登場するのが、我らがガーディナー先生によるもの。これは、1999年のクリスマスから1年間かけて、毎週各地で行ったカンタータ巡礼という企画を収録したもの。教会暦に沿って演奏されたことが最大の特徴で、1年間の間、毎週新たに数曲の演奏を披露するというのは尋常ではない労力を要するチャレンジです。

しかし、同じ指揮者、演奏団体が短期間に集中して行ったことは、全体の統一感につながり、ライブ収録の割には録音も大変素晴らしい。あとは、何とか世俗カンタータも網羅してもらえれば完璧です。

そして、現時点で最強の教会カンタータ全集として完結したのが、 1992年から2013年の21年間を費やした鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)によるもの。今年の7月に全集ボックスとして、すべてSACDとして発売が予定されています。

日本人がバッハ、それも宗教曲? という感じがしますが、その緻密な演奏スタイルは今までのどれよりも世界的に高い評価をされているのです。考えてみれば、ドイツ人のバッハによる、ドイツ語のカンタータですが、ガーディナー先生だってイギリス人ですから、クリスチャンの鈴木雅明が宗教曲を演奏することに何の問題もありません。

ドイツ語の発音などが、しばしば評価に影響するようですが、BCJは発音・発声の明瞭さでも定評があります。初期メンバーには、「もののけ姫」でブレークして方向性が変になったカウンターテナーの米良美一が参加していて、これも評判が高かったようです。

値段は高額ですが、一番の強みは1000ページを超える解説が付属しているということ。歌詞の内容についても、すべて日本語対訳がつくのはありがたい。他のものはすべて輸入盤でしか手に入らないので、ドイツ語、英語、フランス語のどれかが理解できないとブックレットは有っても無いようなものです。世俗カンタータのシリーズも順じ録音が続いているようで、今のところ半分くらいが発売されています。

バッハ演奏では、神格化されたカール・リヒターによるカンタータは、全集を目指していたのでしょうが、リヒターが比較的早くに亡くなったため未完。現在、世界が認める古楽演奏のヘレヴェッヘも、カンタータはまだ半分以下の収録です。

もちろんお勧めは、ガーディナー先生のものが、内容的にも値段的にもリーズナブル。すべてを聴きたければ、ちょっとお高めですがコープマン、芸術的最高峰を目指すならBCJ(10万円!!)というところ。最低限の選集でよければ、リヒターでしょう。

こんな訳のわからないブログを、たまたま見てしまったあなた、是非一緒にこんな世界を楽しむのも悪くはありません。今から準備して、クリスマスからスタートというのも理想的です。

追記
意外にも、このエントリーへのアクセスが多い。あらためて知識が多少ふえたところで書き直しました。そちらもご覧ください




2014年5月18日日曜日

復活祭後第4主日

今日の日曜日は、復活祭後の第4主日です。キリストが昇天するまで、もう少し。

バッハが用意したカンタータで、この日のためのものは2つ残っています。

BWV 166 汝はいずこに行くや?
BWV 108 わが去るは汝らの益なり

いずれも、比較的おとなしい感じで、寂しさの漂うような曲調です。

ガーディナー先生の全集では、同じCDにもう一つ、
BWV117 讃美と栄光 至高の善なる者にあれ
がはいっていますが、これは使途不明で、何用に作曲したかはわかっていません。


そもそも、バッハは5年間分の教会暦に即したカンタータを作曲したことが記録されています。これはおよそ300曲のはずで、現存するのは200曲。あとの100曲は散逸してしまったらしい。

なんで、そうなるのかというと、そもそもバッハは生きているときは声楽作曲家としての知名度はほとんどなかったわけで、聖トーマス教会のオルガン奏者として名をはせていたというわけです。死後、急速にその名前は忘れられていきました。

メンデルスゾーンが1829年にマタイ受難曲を演奏したことが、バッハ再認識の出発点といわれています。そこから、膨大なカンタータにも注目が集められたのですが、同時代にバッハよりも多くのカンタータを作った作曲家はいるのですが、バッハが優れていたのは、まさに「量より質」でした。

それはともかく、亡くなってからメンデルスゾーンの再発見までの80年間に、実は長男のヴィルヘルム・フリーデマンが相続した分が、一番消えてしまったのではないかという説があるようです。

ヴィルヘルムは才能はあったらしいのですが、バッハに可愛がられ過保護に育ったせいかあまりまともに職につかず、父親が亡くなった後は放浪生活でかなりお金に困ったらしい。

いずれにしても、遺された200曲だけでも、ちゃんと聴いていくなら相当大変な量。まぁ、バッハ研究家の方には、ある程度の謎が残っていないとやることがなくなっちゃうので、まぁよしとしましょう。

2014年5月17日土曜日

Vaio消滅

マイコン・・・マイクロ・コンピュータ、パソコン・・・パーソナル・コンピュータ、略してPC、いろいろありますが、もとはUNIXというOSが動いているコンピュータに対して、小さいとか個人向けという意味合い。

UNIXは出発の当初から、頑強なシステムで企業などが使用していましたが、しだいに個人の開発者が同じ機能を持つ無料のOSをいろいろと開発して、今ではむしろそっちの方が有名。

FreeBSDと呼ばれていたものは、アップルに取り込まれて現状のMacOSへ進化。Linuxは、その後もFreewareとして命をつないで、商業ベースの機器にも利用されています。

ハードウェアについても、日本では当初は圧倒的にNECの天下で、パソコンと言えばPC-9800シリーズでした。EPSONなども、NEC互換メーカーとしてスタートしています。

ところが、90年代にDOS/Vと呼ばれる、日本語が簡単に使用できるようになったグローバルなOSが登場して、外国のソフトも利用できるようになった。

東芝はいち早くDOS/Vを採用して、さらに今で言うUltrabook的なDynabookの大ヒットで一躍のし上がってきました。NEC-MS-DOSは、その特異性の高さからどんどん嫌われて、シェアは激減していくわけです。

そのあたりまでが、1980年頃から1995年くらいまでの話。その後、元祖のUNIXの方は、価格の高さや、ガリバーと呼ばれたIBMの没落によって、ずいぶんと落ち目の感じ。最近の企業は、圧倒的にMicrosoft Winodws Sreverを利用しているようです。

モダンなデザインで一世を風靡したSONYのVaioの撤退が発表されたのは、記憶に新しいところですが、ノートパソコンは基本的にバイオを使い続けてきた自分としては、かなりショッキングなニュースでした。

パソコンの価格がどんどん安くなったのは、ユーザーとしては嬉しい限りですが、その中でバイオは比較的高め。高めではあっても、それなりの付加価値があって、機能的にもその時代の望まれる最も高スペックのノートがラインナップされていました。

大手のノートは、価格を下げるためなのか、スペック的にはかなり落ちるものが多い。どうせ買うならもう少し、という要求を満たしてくれるものがなかなか見つかりません。

パソコン市場は頭打ちみたいなところがあるようで、スマートホンやタブレットへの移行が加速されているようですが、当然機能的な制限が多く、パソコンとは比べ物になりません。

あー、次の段階では、嫌でもWindows8を使わないといけないのかな、と思うと何とも憂鬱な気分です。

2014年5月16日金曜日

Celeb de TOMATO @ たまプラーザ

本店は南青山、洋物スーパーの老舗、紀ノ国屋の裏にあるトマト料理の専門店。たまプラーザの東急の食堂街にあるお店です。

たまプラーザは数年前に駅舎の大改造を行い、周辺の東急の土地をフルに活用して大規模なテラスと呼ばれる商業施設になりました。どうしても、そういう新しいところに目が行き勝ち。

元からあった東急SCは店が抜けていくというイメージでしたが、いやいやなかなかあなどれません。食堂街には、けっこう評判の店が並んでいます。

ここは、さすがに店名にトマトと入れるだけに、ほとんどの料理にはトマトが使われており、使われるトマトの種類も多いですし、トマトを使ったメニューの豊富さには驚かされます。

とりあえず、いろいろなトマトのレシピを楽しみたいのに便利なのが、このワンプレート・ランチ。

 9種類の味が楽しめて、一見量が心もとないのですが、食べだすとけっこう満たされます。値段は安くはありませんが、本当はワインを飲みながらゆっくりと食べたい感じ。

下右はマカロニ型のパスタ、明太子ソースが絶品でした。下中はオムレツ、下左はトマトとすずきのカルパッチョ。

中右はトマトのジェレ、中中はバーニャカウダ、中左はトマトのアボガトディップ

上右はトマトの生ハム巻き、上中はトマトソースで食べるライスコロッケ・・・上左だけ忘れました。

出てきたときに説明してくれたのですが、いろいろありすぎで全部覚えていられません。これにオプションのトマトのシフォンケーキとかつければ、もうトマトづくしで、体中リコピン満タン充電です。

2014年5月15日木曜日

竹笋生

暦の上では夏の訪れ、立夏となって、今日からは末候の竹笋生です。たけのこしょうず、と読みますが、意味はまさにその通り。

最近は、たけのこの旬というと、もう少し早いですね。4月が中心かな。掘り慣れた人だと、竹林のここっていうところを一発で見極めて、見事なたけのこを取り出します。

以前に一度だけ、たけのこの塩釜焼きというのを食べた事があります。なんでも、その日の朝に取れたたけのこでしかできないらしい。

たけのこは、切り取ったあとも成長しているので、寝かせておくと1日で曲がってくる。そして、あくがどんどん増えてくるのだそうです。

取り立てのたけのこを昆布で包んで、大量の塩の中で蒸し焼きにします。もちろん下茹でなどしません。よけいな水分は塩が吸収して、たけのこ本来の味に昆布の旨みとほのかな塩味がつくわけです。

いやぁ~、これが絶品でした。もう一度食べてみたいと常々思っていますが、相当高級料理店にでもいかないと無理でしょうか。

そこらのスーパーに出ているような、掘り出してからどんだけ時間がたっているかわからないものでは怖くて真似もできません。

2014年5月14日水曜日

ユーストマ

花屋さんにはこの時期様々な花があるもので、色とりどりで、ふだん花を買う事も無い中年のおじさんも、思わず見入ってしまいます。

これは、アメリカに主として生息する植物で、リンドウの仲間。ユーストマという名前で呼ばれていますが、日本ではトルコギキョウという方が知られているかも。

アメリカ原産なのにトルコっていうのは、これ如何に?

ターバンに似ているからとか、トルコ石の色に似ていたからとか、いろいろ言われているようですが、本当のところはわからない。

まぁ、由来なんていいでしょう、きれいなんで、そのまま飾っておけばよしとしましょう。

2014年5月13日火曜日

はちべえトマト

去年は、ゆるキャラと呼ばれる、地方をアピールする様々な人気者が話題になりました。その中で、全国区にのし上がって、日本中である程度認知されたのはくまモンだけ・・・かも。

今でも、くまモンのキャラの商品がスーパーやコンビニに少なからず並んでいますし、新しい商品も見かけることがあります。

我が家では、以前と比べると肉料理、あるいは炒め物や揚げ物のような油を多く使う料理の頻度は激減しまして、野菜や魚が主食になりつつあります。

特に生野菜サラダはメインになることが多く、そこに欠かせないものの一つがトマト。

実は、自分はもともと生のトマトはあまり好きではありませんでした。ランチなどにミニトマトとか、彩のためについていることが多いけど、たいてい残してしまいます。残せないような状況の時は、しょうがないから一気に飲み込んでしまう。

ところが、昔から味付けしたサラダとか、煮たり焼いたりしたトマトならOK。それでも、最近はこだわり栽培のトマトが増えてきて、そのまま食べても美味しいと思えるトマトが増えてきました。

このはちべえトマトは熊本県八代市で作られているもので、くまモンが宣伝に一役買っている。 黄色灯あんしん栽培というのがこだわりのようで、防虫対策にこだわっている。その分、いろいろな化学農薬の使用量をできるだけ少なくしているんだそうです。

食の安全というのは、最近はしばしば話題になるところ。生産者の方々も、いろいろな努力をして、少しでも安全で美味しいものを提供しようとしているんですよね。

2014年5月12日月曜日

鶏味座 @ 南青山

昨年の夏に、軽井沢の塩沢湖の近くにある鶏味座(とりみくら)という店を紹介しましたが、今回はその本店である南青山の方に行ってみました。

表参道から青山通りを赤坂方面に曲がって、ちょっと行ったところの路地を右に入ってすぐ。超いまどきな店を立ち並ぶ界隈ですが、そこだけいきなり田舎のたたずまい。

こりゃ、なかなかいい雰囲気じゃないですか。入ってみると、意外に狭い。軽井沢の店の半分くらいでしょうか。カウンター席が10くらいと、テーブル席が10くらいで一杯の感じ。

串物は、どれも肉の味がしっかりしていて美味しいです。東京軍鶏という種類を中心にしているようですが、肉の味を引き立てるために塩やたれの味付けは軽め。

前回美味しかったもつ煮、出し巻たまご、鶏皮のから揚げなどなどもよかったのですが、面白かったのはバーニャカウダ。

バーニャカウダのソースは、簡単に手に入る瓶詰めのものは、けっこう臭みが強くて苦手だったりします。この店のものは、ほどほどのところで、とても美味しかったです。

野菜の中で、うけたのがオクラ。オクラを生のまま初めて食べたのですが、けっこういけるものですね。ソースがたっぷりだったので、野菜をおかわりしてしまいました。

2014年5月11日日曜日

復活祭後第3主日 ~ 母の日

母の日は祝日ではありませんが、自分が物心ついたときから5月の第2日曜日ときまっていて、ずっと変動のない記念日です。もともとはアメリカにならって、戦後にこの日に決めたもの。

なかなか、ちゃんとした親孝行もしていないので、こういう日にだけは何かしなくちゃ・・・と、まぁ思う事が大事かと。すみません。それでも、父の日よりは、世間的にもずいぶんと気を使っていますよね。

さて、教会暦では今日は復活祭から数えて3回目の日曜日。キリスト教の教会では、当然ミサが行われているわけです。J.S.バッハが用意したカンタータは、3曲あります。

BWV 12  泣き、歎き、憂い、怯え
BWV 103 汝らは泣き叫び
BWV 146 われらは多くの患難を経て

BWV 12 は、タイトルからして、ちょっと異色な感じがします。ネガティブな感情を表現する言葉が連なっています。出だしのシンフォニアはオーボエの独奏が印象的。続く合唱は、ロ短調ミサ曲に転用されているのは有名な話。

BWV 103 は、第1曲の出だしが短調にも長調にも聞こえます。続いて独唱者が順番に登場して絡み合って、しだいに合唱になって行くあたりは素晴らしい。

BWV 146 は、なんとチェンバロ協奏曲第1番(BWV 1052)へ転用。チェンバロのかわりにここではオルガンが活躍して、原曲よりも重厚感が増しています。

カンタータに詳しい人は、こういう曲の転用を探して楽しむのだそうですが、さすがに新米の自分としては、言われて初めて気がつく程度で、まだまだよくわかりません。

そもそも、どっちが先かもよくわかっていないのですから、困ったものです。少なくとも、ロ短調ミサ曲はバッハの人生でほぼ最後の曲ですから、転用している側であることはたいてい間違いない。

バッハもさすがに、毎週新曲のカンタータを用意するのはしんどいわけで、こういう流用・転用、いわゆるパロディが随所にあることはいたしかたがないところでしょう。

2014年5月10日土曜日

蚯蚓出

蚯蚓出は立夏の次候で、みみずいずる。蛙の次はミミズです。

・・・と思って下を向いて歩いていたら、早速見つけました。確かに、ミミズがでてきました。

都会のミミズは、こうやって土から這い出してきても、そこはアスファルト。車に轢かれたり、地面の熱でかぴかぴになったりと受難が多くて可哀想です。

でも田舎のミミズはというと、ネズミとか鳥に食べられる生物の食物連鎖の最初のほうにいるわけで、どこにいてもあまり楽しい事はなさそうです。

うねうねして、見た目にもあまり歓迎されることはなく、まぁ気の毒な生き物ですが、土の中の毒素を減らしてくれたり、畑を耕す効果をもっていたりと、何かと役に立っているんですよね。

2014年5月9日金曜日

ヴィバルディはもちろんカトリック

どうせバロック全体を眺めるついで、と言っては失礼ですが、一応カトリックの総本山のあるイタリアからヴィバルディにも登場してもらいましょう。

フランスにもクープラン(1668 - 1733)という有名人がいるのですが、なにしろフランス人は「フランスにはバロックはない。あるのはフランスの音楽だけだ」ということらしい。

もっもと、クープランの代表作は鍵盤曲でクラブサン(チェンバロのフランス語)曲だけで200曲以上。またルイ14世の御前で毎週室内楽を演奏したコンセールが残っています。声楽曲は作ったかもしれませんが、まったくと言っていいほど遺されていません。

アントニオ・ヴィバルディ (1678 - 1741)はヴェネチア出身で、間違いなくカトリックです。父親はサン・マルコ大聖堂の専属ヴァイオリン奏者で、こどもの頃から父親にヴァイオリンを教わります。

しかも、25歳のときに司祭になっていますから、もうカトリック以外の何者でもありません。髪の毛が赤毛だったことから「赤毛の司祭」と呼ばれていたというのも有名な話。ただ聖職者として全うしなかったのは、喘息の持病のためミサの最中に咳き込んでしまうためだったらしい。

おかけで多くの音楽を作ったのですから、何が幸いになるかわからないというのはヴィバルディには当てはまる話です。捨てられたこどもたちの養育を行うピエタ慈善院で、音楽を教えることになって、あの大量の協奏曲シリーズが量産され始めるのです。

30歳代になるとオペラ作家として人気がどんどん高まり、ヨーロッパ中に名前が知られるようになりました。40歳代に、世界中で知らない人はいないくらい人類史上最大のヒット曲かもしれない「四季」が生まれます。

ホグウッドがコンスタントにヴィバルディの作品を録音してきましたが、去年それらを集めたCD20枚のボックスが発売されています。ただし、これはほとんど器楽曲。一般のクラシックファンには、十分すぎる量の名演です。

宗教曲は、当然仕事が仕事でしたから、そのキャリアの早い段階からコンスタントに作られていて、大作はありませんが、いかにもヴィバルディらしい明るい曲調のものが百数十曲はあるんじゃないでしょうか。

その中で、今でもしばしば取り上げられるのが、''Gloria''、''Manificat''、''Nisi Dominus''などですが、ガーディナー先生はヘンデルで紹介したアルバムが一枚あるだけです。また多くの作品を集成したものとしては、これも先に紹介したV.Negriのものがあれば十分かもしれません。

もう一人、イタリアバロックで忘れてはいけないのがペルゴレージ。1710年に生まれ、ヴィバルディの次世代を担う一人。数多く有る"stabat Mater"の中で、彼の作曲したものは群を抜く人気。


ところが、なんと26歳という若さでヴィバルディよりも早くに亡くなっています。しかし、彼の作品が''Stabat Mater''の一つだけだとしても、その奇跡のような美しさは、宗教曲の中で忘れられないものになっています。

1月に亡くなったアバドは、体調を崩してベルリンフィルを去った後、ピリオド楽器を取り入れ、自分のやりたかった音楽だけを楽しむようになりました。晩年に特に力をいれていたのが、ペルゴレージの作品です。

''Stabat Mater''から始まり、''Salve Regina''、''Dixit dominus''などCD3枚分の宗教曲を録音していますが、どれも元の曲も素晴らしいだけでなく、アバドの自分の寿命を知った上でなのか、その崇高なまでに高められた演奏そのものに聴き入ってしまう名演だと思います。

2014年5月8日木曜日

パーセルはどっち?

宗教曲というジャンルを掘り下げていくと、どうしてもバロック音楽が多くなります。バロック音楽の定義は、特徴から説明するのはなかなか難しく、単純に時代区分として用いられるのが一般的らしい。

つまりルネッサンス期の音楽を経て、16世紀半ばから18世紀はじめまでの作曲家に対して使われるわけで、広く知られている有名人は17世紀半ば以降に生まれた者がほとんど。

ドイツ代表はJ.S.バッハ、ヘンデルとテレマン、フランス代表はクープラン、イタリア代表はヴィバルディ、コレッリとスカルラッティ、イギリス代表でパーセルくらいをおさえておけば、一般教養的にはたいてい間違いがないところ。

ところが、宗教曲というところで探し出すと、これらの作曲家も多くの作品が残っているものの、まったく不十分。聴くべき音楽は、もっともっとあって、時代をどんどん遡らないといけないことになってきます。

17世紀前半に生まれた中期バロックの作曲家では、フランスのシャルパンティエ、スペインのビーバー、ドイツのブクステフーデなど。

さらに16世紀生まれだと、イタリアのモンテヴェルディ、ガブリエーリ、アレグリ、フレスコヴァルディ、ドイツのシュッツ、オランダのスウェーリンクなどが、しばしば登場してきます。

いずれにしても、これらの音楽の形成に大きく関与するのがマルチン・ルターによる16世紀はじめの宗教改革であるわけで、ルネッサンス運動により人が人らしく生きようという動きが聖書に対して行われた結果なのかもしれません。

ドイツ人のルターのもと、教会での音楽はより大衆のものとなり、いっきにキリスト教と音楽との関係が強くなりました。当然ドイツを中心に、新しいキリスト教であるプロテスタントがヨーロッパ中に広がって行くことになり、バロック音楽の隆盛に結びつくのです。

その中で、プロテスタント運動が広がりそうで広がりきれなかったのがイギリス。結局、中道主義的なイギリス国教会が主流となり、カトリックでもないプロテスタントでもない形が出来上がりました。

イギリス人に言わせれば、帰化したヘンデルもイギリスの作曲家になりますが、実質的なバロック期のイギリス音楽家としてはパーセル(1659 - 1695)が最も有名です。イギリス人のガーディナー先生も、当然パーセルは重要レパートリーです。

オペラでも有名ですが、王室礼拝堂のオルガン奏者であったパーセルは礼拝のための音楽や王室のための曲を多数残しています。

イギリス国教会の朝と夕の祈りのための音楽がアンセム、カトリックのミサに相当するものがサーヴィスです。また王室の祝典のための音楽がオードやウェルカムソングと呼ばれるもので、それぞれは1曲が数分の短いものがほとんどですが、膨大な量があります。

これらをすべてまとめたのが Robert Kingで、hyperionから全部でCD19枚。さすがに、これを全部聴くのはしんどいと思っていたら、やはりガーディナー先生のお世話になるのが一番。

最も有名な、メアリー女王にまつわる誕生のオードと葬送の音楽がまとまったCDがありますので、あいかわらず完璧なモンテヴェルディ合唱団のハーモニーを堪能できます。葬送の音楽は、早死したパーセル自身の葬儀でも演奏されたそうです。

カトリックでもプロテスタントでもない、独自のキリスト教様式の中で生まれてきたパーセルのイギリス音楽も、宗教曲探求をしていく上では忘れてはいけないわけです。



2014年5月7日水曜日

ヘンデルもプロテスタント

宗教曲に深入りしているからと言って、何もバッハばかりを聴いているわけではありません。バッハは音楽の父としばしば呼ばれるのに対して、日本では音楽の母とたとえているのがヘンデルです。

ヘンデルはバッハと同じ1685年生まれのドイツ人ですが、二十歳過ぎからはイタリアで修行して、27歳のときにロンドンに渡り、そのままイギリスに帰化してしまったので、イギリスではイギリスの作曲家として扱われます。

一般には「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」で知られるバロック期の音楽家の一人というくらいで、大バッハと比べるとだいぶ粗末な扱いを受けている。実際、自分も最近までその程度の知識しかありませんでした。

ところが、当時はバッハは一つの教会で毎週の礼拝の音楽、しかもやや古臭いタイプの曲をせっせと作る音楽職人の一人。それに対して、ヘンデルは多数のオペラを作曲して、ヨーロッパ中に名前が知れ渡るような大物だったのです。

バッハが2回面会を望んだらしいのですが、結局一度も顔を合わす事はなかったようです。そりゃ、そうでしょう。何しろメディアに取り上げられた事がないご当地アイドルが、いきなり今をときめくAKB48に会おうというようなものだと思います。

ところが、今では評価が逆転してしまったというのは、バッハは時代からは遅れた音楽に固執して、その後に続くものがいなかったので、唯一無二の存在になったわけです。

ヘンデルはその後に似たような音楽家がどんどん登場したために、その中の一人になったということでしょうか。

また、ヘンデルの活動の中心はオペラだったため、しかもやたらの長い作品が多いために、後世において簡単に取り上げにくかったということも大きく影響しているようです。

いずれにしても、ヘンデルを知るためには、超有名な管弦楽曲はヘンデルの創作活動のほんの一部に過ぎないわけで、作曲した大部分を占める声楽曲に入っていかないと不十分であると言えます。

バッハの膨大な「カンタータの森」のように、ヘンデルのオペラ・オラトリオの大海原は、広く果てしなく、そして時には波がほとんどない静かなときもあれば、荒れ狂う嵐の中で聴く者を翻弄するのです・・・ってのは、やや大袈裟。

さて、オペラの前に取り上げて起きたいのが、かなり有名なのが''Dixit Dominus"という曲で、イタリアに渡ったばかりの若きヘンデルが、聖母マリアのための夕方に行う祈りのために教会から依頼されて作った聖書の詩篇109番を歌詞にしたもの。

最近は、動画サイトでボーカロイドも公開されていたりして、けっこうメロディを知っている人は多いかもです。

タイトルはラテン語で、「主は言われた」というもの。その後に続くのは、キリスト教徒では無い自分には、その意味するところがよく理解できないのですが、隣に座りなさい、そしたらあなたの敵をやっつけちゃいますよみたいな感じ。

イタリアといえばローマ、ローマといえば・・・テルマエじゃなくて、カトリックの総本山です。ラテン語なのは当然として、ヘンデルはもともはドイツ人でプロテスタントのはず。

郷に入れば郷に従えということでしょうが、実際カトリックへの改宗を勧められたらしいのですが、拒否したという話が残っています。若き日の気合の入った曲調で、全部で8曲に分かれていますがどれも印象深い。

ガーディナー先生は2度録音しているのですが、最初はモダン楽器の伴奏で、後のは手兵のイングリシュ・バロック・ソロイストによるピリオド楽器を用いたもの。どちらもモンテヴェルディ合唱団の完璧な合唱は優劣付け難い。

ただし、新録音のほうがピリオド楽器のために、全体が早めで音もメリハリがあって聴いていて気持ちいい。このアルバムは新発見のヘンデルの''Gloria''とともに、ヴィバルディの宗教曲の中では人気のある''Gloria''とのカップリング。

最初、なんでイタリアのヴィバルディと組み合わせるのかと思っていたのですが、ヘンデルがイタリア修行中の曲だからですね。ヘンデル、バッハより7歳年上のヴィバルディは、ヘンデルがイタリアに渡った頃から、急速に作品が知れ渡り、まさにイタリアでは時の人だったようです。

もうひとつ、面白い録音を見つけました。ピリオド奏法の中ではガーディナー先生の次世代の人気者のミンコフスキーのアルバムです。もともと。けっこう速いDixit Dominusですが、ミンコフスキー盤は超快速。ちょっと歌手の方々もきつそうなところが・・・とりあえず、しびれたい方にはこれもありです。