2014年5月7日水曜日

ヘンデルもプロテスタント

宗教曲に深入りしているからと言って、何もバッハばかりを聴いているわけではありません。バッハは音楽の父としばしば呼ばれるのに対して、日本では音楽の母とたとえているのがヘンデルです。

ヘンデルはバッハと同じ1685年生まれのドイツ人ですが、二十歳過ぎからはイタリアで修行して、27歳のときにロンドンに渡り、そのままイギリスに帰化してしまったので、イギリスではイギリスの作曲家として扱われます。

一般には「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」で知られるバロック期の音楽家の一人というくらいで、大バッハと比べるとだいぶ粗末な扱いを受けている。実際、自分も最近までその程度の知識しかありませんでした。

ところが、当時はバッハは一つの教会で毎週の礼拝の音楽、しかもやや古臭いタイプの曲をせっせと作る音楽職人の一人。それに対して、ヘンデルは多数のオペラを作曲して、ヨーロッパ中に名前が知れ渡るような大物だったのです。

バッハが2回面会を望んだらしいのですが、結局一度も顔を合わす事はなかったようです。そりゃ、そうでしょう。何しろメディアに取り上げられた事がないご当地アイドルが、いきなり今をときめくAKB48に会おうというようなものだと思います。

ところが、今では評価が逆転してしまったというのは、バッハは時代からは遅れた音楽に固執して、その後に続くものがいなかったので、唯一無二の存在になったわけです。

ヘンデルはその後に似たような音楽家がどんどん登場したために、その中の一人になったということでしょうか。

また、ヘンデルの活動の中心はオペラだったため、しかもやたらの長い作品が多いために、後世において簡単に取り上げにくかったということも大きく影響しているようです。

いずれにしても、ヘンデルを知るためには、超有名な管弦楽曲はヘンデルの創作活動のほんの一部に過ぎないわけで、作曲した大部分を占める声楽曲に入っていかないと不十分であると言えます。

バッハの膨大な「カンタータの森」のように、ヘンデルのオペラ・オラトリオの大海原は、広く果てしなく、そして時には波がほとんどない静かなときもあれば、荒れ狂う嵐の中で聴く者を翻弄するのです・・・ってのは、やや大袈裟。

さて、オペラの前に取り上げて起きたいのが、かなり有名なのが''Dixit Dominus"という曲で、イタリアに渡ったばかりの若きヘンデルが、聖母マリアのための夕方に行う祈りのために教会から依頼されて作った聖書の詩篇109番を歌詞にしたもの。

最近は、動画サイトでボーカロイドも公開されていたりして、けっこうメロディを知っている人は多いかもです。

タイトルはラテン語で、「主は言われた」というもの。その後に続くのは、キリスト教徒では無い自分には、その意味するところがよく理解できないのですが、隣に座りなさい、そしたらあなたの敵をやっつけちゃいますよみたいな感じ。

イタリアといえばローマ、ローマといえば・・・テルマエじゃなくて、カトリックの総本山です。ラテン語なのは当然として、ヘンデルはもともはドイツ人でプロテスタントのはず。

郷に入れば郷に従えということでしょうが、実際カトリックへの改宗を勧められたらしいのですが、拒否したという話が残っています。若き日の気合の入った曲調で、全部で8曲に分かれていますがどれも印象深い。

ガーディナー先生は2度録音しているのですが、最初はモダン楽器の伴奏で、後のは手兵のイングリシュ・バロック・ソロイストによるピリオド楽器を用いたもの。どちらもモンテヴェルディ合唱団の完璧な合唱は優劣付け難い。

ただし、新録音のほうがピリオド楽器のために、全体が早めで音もメリハリがあって聴いていて気持ちいい。このアルバムは新発見のヘンデルの''Gloria''とともに、ヴィバルディの宗教曲の中では人気のある''Gloria''とのカップリング。

最初、なんでイタリアのヴィバルディと組み合わせるのかと思っていたのですが、ヘンデルがイタリア修行中の曲だからですね。ヘンデル、バッハより7歳年上のヴィバルディは、ヘンデルがイタリアに渡った頃から、急速に作品が知れ渡り、まさにイタリアでは時の人だったようです。

もうひとつ、面白い録音を見つけました。ピリオド奏法の中ではガーディナー先生の次世代の人気者のミンコフスキーのアルバムです。もともと。けっこう速いDixit Dominusですが、ミンコフスキー盤は超快速。ちょっと歌手の方々もきつそうなところが・・・とりあえず、しびれたい方にはこれもありです。