2014年7月31日木曜日

SACD

ここ数年、単なるCDではなく、より高音質で収録された12cm光磁気ディスクがいろいろと登場しています。正直言って、ほとんどたいした機器をそろえていない、パソコンか車内での視聴が中心の自分としては、それほど興味がありません。

そもそも人間の耳が、いろいろこだわるほど高性能とも思えませんし・・・なんて言うのは、半分負け惜しみみたいなもの。何しろ、SACDを聴こうと思うと、かなり高価な機器を買い足さなければなりません。

最近流行のハイレゾ・オーディオ再生装置でまとめて再生できるなら、いっそのことと思いますけど、SACDはコピープロテクトの考え方なのか、一緒になっていることがない。

SACD再生機だけでも、10万円以上するものがほとんど。単なるCDなら、パソコンに装備するするようなもので、2000円もだせば変えてしまう世の中です。数週間に一度、数時間使うかどうかのものに、それだけお金をかけるのもなぁと思うのは当たり前。

ところが、クラシックのCDをいろいろ集めていると、だんだんSACDと通常のCDのハイブリッド盤というのが混ざってくる。

今回、鈴木雅明 & BCJ によるバッハのカンタータ全集という高価な買い物をしたのですが、これがなんと55枚のCDセットで、すべてSACDという構成。

さすがに、せっかくの宝を持ち腐れにしてはと思い、なんとか追加投資無しで再生できないかと、いろいろ探してみました。

結局、通常CDやDVDの場合は、パソコンに取り込むリッピングが簡単に可能で、これが著作権の問題とからんでくるわけです。そこで、リッピングをさせないためメディアとして、よりプロテクトの仕組みを強化したものがSACDやBlurayということになるようです。

ですから、BlurayプレイヤーはSACDも再生できるものが多いということがわかりました。これだと、1万円くらいからでもあるので、かなり身近になってくる。

うちのテレビはBluray再生も可能ものなんですが、残念ながらSACDには対応していない。そこで、一番安い(^^;)ものを用意してみました。それを、ホームシアターの5.1chサラウンドにつないでみた・・・

なるほど、これがSACDというものか、とうなってしまうサウンドが・・・と言っても、本格的なオーディオ・マニアの方からすれば、だいぶチープな音かもしれませんが、それでも十分に楽しめる感じです。

ただ、SACDは通常CDよりも割高で、最近の若者のはダウンロード販売の方が当たり前。こういうメディアが、生き残るのか何とも心細い現状があります。

実際、SACDで出ているものというと、自分たちのような50~60代くらいの人が買いそうなものが中心で、今時のまったくの新しい音楽は、ハイレゾ配信のほうが多いみたいです。

時代の流れですから、文句を言ってもしょうがないところですので、まぁ安くていいでしょう。突然、業界からSACDが消えても、悔しくない程度の出資にとどめておいたほうが無難というものかもしれません。

2014年7月30日水曜日

熱中症

先週1週間での救急車による熱中症搬送数が、過去最高の8500人だったそうです。

そのうち亡くなった方が15人いて、死亡率は1.8%。つまり100人に二人近くが死亡しています。もっとも、救急要請しなかったケースは無数にあるでしょうから、実態は把握しきれるものではありません。

昔は日射病(にっしゃびょう)という表現がよく使われていました。これは炎天下で激しい運動などをした時に、大量に汗をかいて急速に脱水状態になり、めまい、頭痛、吐き気を起こすもので、重症では意識障害で死亡することもあります。

長いこと高温状態にいると、体の熱を放散できず、体温調節がうまくできなくなります。この場合は熱射病と呼んでいて、熱中症は日射病と熱射病を合わせた病名です。

昔と比べると、スポーツドリンクなど、手軽に水分補給をしやすい環境になりました。またエアコンの普及率もかなりあり、どこでも暑さをしのげる環境も多くなった・・・にもかかわらず、近年熱中症になるヒトの数はどんどん増えています。次のグラフは国立環境研究所による死亡者数の統計です。

地球温暖化、日本の温帯かに亜熱帯へのシフトなどが、現実的にこういうところにも現れているのは間違いありません。

自分がこどもの時は、少なくとも自分は熱中症になった記憶はありません。まわりで、ときどき日射病の話は聞きますが、実際に誰かがそれで倒れたという記憶もありません。

でも、平成になった以降、少なくとも2回は熱中症を自覚しています。一度目はキャンプ場、2度目は自宅にいるとき。

キャンプ場は屋外で、いつもより汗をかくことが多かったのでしかたがないとしても、自宅でなるというのは情け無い。やはり若いときに比べて、体の体温調節機能が劣化してきていることの現れでしょうね。

いずれも軽症で、めまいと冷汗、立っていられなくなりました。すぐに足を高くして横になり、水分をしっかり摂取してすぐに回復しましたが、さらに年を取ってきたら、そんなに簡単にはいかないかもしれません。

2014年7月29日火曜日

事件

猛暑はちょっとおちついたのか、今朝はちよっとひんやり。それでも25度ですけど・・・

それにしても、本当に驚いたのが佐世保の殺人事件。殺されたのが女子高校生で・・・殺したのも女子高校生。そこまでは、今時無いわけではない。

ところが、今回は、被害者の体の一部を切断したり、自分のやったことを画像付きでネットに投稿したりというのが、あまりに異様でした。

すぐに警察に逮捕され、取調べを受けている最中ですから、まだまだ真相はわかっていません。しかし、動機については「誰かを殺してみたかった」というものと、ニュースでは報道されています。

人は人を傷つけない、ましてや殺してはいけないという人間として社会生活を営む上での、最も根源的な常識が成立していない。時代を超えて、世代にも性別にも関係なく、価値観の異なる宗教の枠すら超えるもの。

仮に「××を殺したい」という感情が湧いて来ることがあるのは、誰にでも起こりうる。そこには、利害だったり、憎しみだったり、他人に説明できるその人にとって合理的な動機が存在し、時には他人も納得できるものかもしれません。

今回のような、誰でもいいというような事件は、珍しくはなくなってきています。車を運転して、歩行者に突っ込んだりするような事件もしばしば耳にします。たいていは、これらは内向きの感情の結果にように思います。

犯人の中に、社会からの隔絶みたいなものがあって、自らを消し去るかわり、あるいは自殺する勇気が無い場合に、自分以外を消去してしまいたいという感情があるのかもしれません。

今回の事件では、犯人の育ってきた環境から、周囲からの孤立があったことは間違いないようです。その一方で、劇場型ともいえる、犯行を隠すというより、より目立とうとしている行為が異例ですし、それを女子高校生が行った事はどう考えればいいのでしょうか。

ひとつの極端な例外として片付けることは簡単かもしれませんが、現代社会の歯車がかみ合っていないことの一つのきしみなら、一度生じた歪みを放置していると全体へいつかは波及していまうのかもしれません。

2014年7月28日月曜日

まだまだすごいSMAP

土曜日の夕方から、フジテレビは27時間テレビという日曜日の夜9時までSMAPをメインMCにした番組を放送していました。

27時間の間、生放送を中心としてテレビ電波で遊び続けるということ自体の是非も議論すべき問題だとは思いますが・・・日本テレビの24時間テレビのように募金を軸にしているわけでもありませんしね。

さすがに、全部見てはいませんが、断続的に見たところろでは、SMAPの5人は司会という枠を超えて、まとまった休憩もわずかに、バラエティの主軸としていじりいじられつづけていたようです。

夜も28度を切る事はありませんでしたし、暑さと湿気が多く、屋外の中継では相当体力を消耗したことでしょうが、最後に45分間のノンストップ・ライブという過酷な企画が待っていた。

たくさん踊りが入ってくるステージですから、かなりの体力が必要なことは容易に想像できます。実際、中居クンは、完全に脱水気味でフラフラ。それでも、自分の見せ場だけはしっかりと、歌い踊っていたことは、さすがにプロとしての意地を感じられました。

まぁ、そりゃそうでしょう。考えてみたら、全員40歳代に入って、そもそも「アイドル」と呼ぶには本来無理がある。若さだけで、なんでも乗り切る事は厳しいのは当たり前。

ジャニーズでも、40歳を越えてこれだけのパワーと人気を保ち続けているタレントは他にいません。多少誤解しやすい表現ですが、SMAPは現代の「クレイジー・キャッツ」みたいな存在かもしれません。

タレントとして、SMAPは今のテレビを牽引し続ける存在の一角であることをあらためて再確認した感じがしますし、5人それぞれの個性もまだまだ伸びしろが残っていると思いました。

まだまだ、できるぞ、SMAP !!

2014年7月27日日曜日

三位一体節後第6主日

三位一体節後第6主日です。もう、どんな暦を追っかけていても、時間がたつのがやたらと早くて、ぼーっとしていると、何もしないうちにクリスマスを迎えそうな感じです。

この日のためにバッハが用意したカンタータは、2曲が残されています。
BWV170 満ち足れる安らい、嬉しき魂の悦びよ (1726)
BWV9 われらに救いの来たれるは (1732頃)

BWV170は、タイトルが示すとおり、大変優しい安らぎのメロディが印象的な出だし。しかも、全編がアルト歌手の独唱という珍しいパターンです。途中で、不安になり、最後にまた喜びに満ちていくという構成。

カンタータの中にコラール(伝統的なプロテスタントの賛美歌)を組み込む事を重視していたバッハとしては、コラール合唱を含まない曲は珍しい。ふだんはトーマス教会の学校の生徒から選抜した歌い手を使っているわけですが、当然彼らに1曲丸ごとまかせるというのは冒険のしすぎ。

生徒たちとは別に、相当優秀なアルト歌手がライプツィヒに滞在して、その歌手のために用意したと考えるのが順当のようです。当時、教会では表立って女性が歌う事はなかったので、それはカウンターテナーの男性か、あるいはカストラート(去勢した男性歌手)かもしれません。

他にも1726年の夏から秋にかけて数曲のアルトによるソロ・カンータがあるので、特定の歌手を引き立てる目的があったことは間違いないと考えられています。

BWV9は、コラールとコラールの間に、アリアとレチタティーボを交互に挟んでいます。比較的典型的な作りですが、中央に位置するアルトとソプラノの絡み合うデュエットは聴き応えがあります。

バッハは、1723年の三位一体節以後、ライプツィヒに赴任してはりきって作曲活動をしていたものの、そろそろ疲れがでてきていたのか、1723-1725年のこの日のためのオリジナルは残されていません。

そのかわり、1725年にはテレマン、1727年にはヨハン・ルードヴィヒ・バッハのカンタータを演奏したようです。他人の作品を演奏して、自分の頭はちょっと休憩させたのではないでしょぅか。

2014年7月26日土曜日

焼き鳥屋の親子

たまプラーザの駅近くにある焼き鳥屋さん、とり日和です。知る人ぞ知る名店ですが、過去にも話題にしたことがありました。

金曜日の夜、しかも給料日だったりして、昨夜はさぞかし混んでいるだろうと。駄目もとでのぞいてみたら・・・あれ? 意外に席が空いている。

夏休みに入って、世の中のお父さんは、家族サービスで忙しいのかしら。とか、思いつつ、久しぶりに焼き鳥を楽しんだわけです。

〆は・・・たいてい頼んだ事はないのですが、昨日は急に親子丼をたべたくなりました。

汁だくで、たっぷりのふわっとした卵がのっていて、大変おいしゅうございました・・・なんですが、やはりこのボリュームは、お腹がきつかった。スボンがくるしゅうございました。

2014年7月25日金曜日

バッハの世俗カンタータ

バッハが作曲した世俗カンタータの数は、少なくとも50以上はあったと考えられていますが、完全な形で残されているものは非常に少ない。大多数が記録上は確認されていても、歌詞と楽譜の片方か、あるいはいずれもがが見つかっていません。

研究者は、いろいろな調査によってある程度の復元を行ったりしているわけですが、特定の機会のために一度だけ演奏されることが多い世俗曲は、その実態を把握することは困難がつきまといます。

BWV524 クォドリベト(断片) (1707頃) $
用途不明
これは、最も古いもので、今でも演奏されることがあるものの、一部の断片のみ。


現在、演奏しうる形が残されているものは、次の20曲となります。

BWV208 狩のカンタータ、楽しき狩こそわが悦び (1713) $,#,*2
ヴァイセンフェルスの領主の誕生日祝賀会用

BWV134a セレナータ 日々と年を生み出す時は (1719) $,*2
ケーテン宮廷の新年の祝賀会用

BWV173a セレナータ いとも尊きレオポルト殿下よ (1722) $,*3
ケーテン候レオポルトの誕生日祝賀会用

BWV203 裏切り者なる愛よ (1723以前) $,#
用途不明 イタリア語ソロカンタータ

BWV209 悲しみのいかなるかを知らず (1729以後) $,#
用途不明 イタリア語ソロカンタータ

BWV198 侯妃よ、さらに一条の光を (1727) $
ライプツィヒ大学追悼行事用

BWV36c 喜び勇みて羽ばたき昇れ (1725) $,#,*3
ライプツィヒ大学教授誕生日用

BWV205 鎮まれるアイオルス、破れ・砕け・壊て (1725) $,#,*4
ライプチィヒ大学学位授与の祝賀会用

BWV207 音楽劇 鳴り交わす絃の相和せる競いよ (1726) $,#,*4
セイプチィヒ大学教授就任の祝賀会用

BWV202 しりぞけ、もの悲しき影 (1730以前) $,#,*3
用途不明 婚礼用?

BWV210 佳き日、めでたき時 (1727以前) $,#,*1
用途不明 婚礼用?

BWV204 満足について、我は己が内に満ち足れり (1726-27) $,#
用途不明

BWV201 フェーブスとパンの争い、急げ渦巻く風ども (1729) $,#
用途不明

BWV211 コーヒーカンタータ、おしゃべりはやめてお静かに (1734?) $,#,*1
用途不明

BWV210a 楽しき旋律よ (1729)
ヴァイセンフェルス公の訪問の表敬用

BWV30a たのしきヴィーデラウよ (1737) $
J.C.ヘニッケへの表敬用

BWV212 農民カンタータ、わしらの新しいご領主に (1742) $,#
C.H.ディースカウへの表敬用

BWV213 岐路に立つヘラクレス、われら心を配りしかと見守らん (1733) $,#
ザクセン選帝侯の誕生祝賀会用

BWV214 鳴れ太鼓よ、響けトランペットよ (1733) $,#
ザクセン選帝侯妃の誕生祝賀会用

BWV215 おのが幸を讃えよ、祝されしザクセン (1734) $,#
ザクセン国王戴冠一周年の祝賀会用

BWV206 しのび流れよ、戯るる波 (1736) $,#
ザクセン選帝侯の誕生祝賀会用

BWV207a いざ、勇ましきラッパの嚠喨たる調べよ (1735)
ザクセン選帝侯の命名日用

世俗カンタータをまとまって収録しているのは、ヘンスラーのバッハ全集のリリングかブリリアントのバッハ全集のシュライヤーが有名。前者がCD10枚($印)、後者はCD8枚(#印)だが完全ではない。

コープマンのカンタータ全集も世俗を含みますが、全体の流れの中に収録されているので、何が入っていて、何が抜けているのか人目では判断できません。

鈴木雅明 & BCJ による世俗カンタータ集は、これまでに4枚のCDが出ているので、それぞれ*1~*4で印しました。
 
「狩のカンタータ」、「コーヒー・カンタータ」は、特に有名で、単独で収録する演奏家はけっこういますが、他についてはかなり冷遇されているといわざるをえません。

しかし、BWV213~215は、そのまま有名な「クリスマス・オラトリオ」にパロディとして転用されていたりするわけですから、十分に注目すべきジャンルなのです。

2014年7月24日木曜日

安全優先

う~ん、困ったものです、マクドナルドのチキン・ナゲット問題。

中国で生産し輸入しているものがあるわけで、今回はその中国の工場が古い肉を混入させていたというもの。一見、あくまでも中国側の責任のようであり、日本マクドナルドも「被害者」であるように見えます。

鰻や餃子、その他様々な食の安全に関する問題点が次から次へと出てくる中国。食に限らず、文化全体でも「パチモン」天国であることが、度々話題になります。

根本的に、世界のクローバリゼーションの波の中で、中国の「常識」というものがまったく成熟してこないということなのかもしれません。

企業は「価格競争」の末に、より安いものを求めて中国にどんどん進出してきましたが、日本式の導入はいまだにできず、根強い中国式に妥協せざるをえない現状が続いてるということ。

すでに中国も外国企業なしでは、経済が立ち行かないはずですから、価格面の不利は承知で一斉撤退くらいの揺さぶりをかけてでも、安全性を高める意識改革を起こさせてもらいたいものです。

日本の企業も、バブル崩壊後、一転してとにかく安ければいいという方向性になってしまいましたが、消費者側も含めて、優先すべきは安全ということを改めて強く認識する必要があります。

例えば、牛丼競走でも、某社は品質をグレードアップして、実質的な値上げを発表しましたが、ちゃんと価格に見合った価値があるのなら、消費者は歓迎するでしょう。

アベノミクスとか言って政治家は浮かれていますが、そういう価格の上昇を素直に受け入れることができるような下地を作る事が、本当の経済回復なのかもしれませんね。

2014年7月23日水曜日

幻のカップヌードル

カップヌードルといえば、日本の食文化の一面を代表する元祖カップ麺。

スタンダードなものが、定番として最も食べられていますが、シーフード味とカレー味も、それに次ぐ人気で、発売から40年以上、いずれも売られていないことがない。

それ以外に、変り種もちょこちょこと登場してくるので、ついつい手にとってしまうのですが、結局スタンダード・トリオに戻るの繰り返し。

さて、最近気になったのがこれ。左はトム・ヤンクン味、そして右はそーめん。どちらもカップヌードル・ブランドから出ているわけですから、日清としてはそうとう自信があるはず。

すでに発売と同時に超人気で、コンビニで発見することができない「幻の新作」状態です。本当に売っているのかと疑いたくなります。

たまたま見つける事ができるとラッキーなわけですが、もう一個手に入れたら食べてみようと思っているものの、まだ次が手に入らず、いまだに食べていません・・・

2014年7月22日火曜日

時代遅れのバッハ

「カンタータ」という言葉を、まったく普通にここまで使っていますが、そもそもどういう意味? と尋ねられると、ちゃんとわかっていない。何となく、バッハの教会礼拝用の音楽のイメージがカンタータ、くらいにしか思っていませんでした。

ところが、いろいろ調べていると、バッハのカンタータというのは、比較的特殊な物であり、と同時に時代の流れからは古臭い形式であるというような論調をしばしば目にしました。

カンタータ(cantata)は、もともとはイタリア語の「歌う」という動詞のcantareから派生した「歌うもの」という意味で、器楽伴奏を伴う声楽曲全般を指す言葉なんだそうです。それに対して、一つの楽器を中心に聴かせる伴奏付音楽が「ソナタ(sonata)」です。

カンタータという言葉は、16世紀後半からイタリアで使われるようになり、最初は単一楽章のアリア(aria、叙情的・旋律的な独唱)だけであったのが、しだいにレチタティーボ(recitativo、非旋律的な状況説明的な語り)が挟まるようになります。

テーマは恋愛が多くを占めるのは、今と同じ。貴族を対象とした娯楽の一つとして発達し、貴族はお気に入りの歌手と伴奏者(チェンバロ、あるいはリュートなど)をお抱えにして楽しんでいたわけです。つまり、基本は現代で使っている「世俗」的なものが、カンタータの中心でした。

アリアが拡大するに連れ、アリアとレチタティーボが独立し、多楽章になるのは17世紀末のこと。それまでは一人の歌手のみが歌う、今で言う「ソロ・カンタータ」が普通だったわけで、当時イタリアに留学したヘンデルの残したカンタータの多くがその形式で作られています。

ドイツにおいては、宗教音楽としてカンタータが発展したという経緯があり、特に宗教改革により発生したプロテスタント系では、ルターが自らも曲を作り、積極的にコラール(キリスト経の教義を信者全員で合唱する)を取り入れました。

バッハの教会カンタータは、まさにコラールを重視し、聖句に基ずくアリアやレチタティーボ、時には器楽演奏のみを取り混ぜてまとめあげるという、当時の音楽としての集大成だったわけです。

しかし、すでに同時代のテレマンらが作っていたカンタータは、聖書などの言葉に縛られない自由詩に曲をつけたものが多く、バッハもその流れに乗っていたとはいえ、基本的に聖書から離れきれないところが、「古めかしい」とか「流行遅れ」と言われる所以なのでしょう。

ですから、バッハの死後は急速に忘れられ、バッハの遺産を受け継いだこどもたちも流行遅れの楽譜を大事にしなかった(特に長男)ことが、多くの譜面の散逸にもつながったのかもしれません。

1829年にメンデルスゾーンにより、マタイ受難曲の再演を行ったことが、忘れられていたバッハの存在を再認識するきっかけになったことは有名な話。結局、「新しい」カンタータは今で言う流行歌であって、時代の変化と共に消えていくわけですが、バッハの「古めかしい」カンタータは、そういう潮流に流されること無く普遍的な評価を得ることができたわけです。

そういうわけで今では、カンタータと言えば、ほぼバッハの教会カンタータ群と同意語というくらいになっていて、それに対して世俗カンタータという言葉が使われています。バッハは、自分は地方の教会を中心に仕事をする、ただの敬虔なプロテスタントで、こどもの頃から教わってきた世界を音楽で表していただけなのかもしれません。

300年経って、世界の音楽の基本のように扱われていることなど想像もしていなかったことでしょう。もしかしたら、天国でしてやったりとほくそ笑んでいるのかもしれません。

2014年7月21日月曜日

マタイから葬送

ヨハン・セバスチャン・バッハの時代・・・つまり、17世紀末から18世紀前半のドイツということになりますが、当然ネットなんてものは無い。テレビも無い、ラジオも無い、映画も無い。

人々が情報を集める手段は限られていて、基本的には教会における礼拝に集い四方山話に花を咲かせることが重要なイベントであったことは想像に難くない。

そこで奏でられるカンタータは、当然教義を伝えると共に、市民に与える娯楽としての意味もあったはずです。音楽は文化として、現代よりもより密接に市民生活の中にありました。

当然、教会を離れて、市民のいろいろなイベントでも音楽は、場を盛り上げる重要な道具として使われていたわけです。バッハとしても、教会以外の場における作曲以来や演奏の機会を持つことは、多いとは言えない収入を補填する意味でも重要でした。

誕生日や結婚式などの祝賀行事、あるいは葬儀などのために作られたカンタータは、数多くあったものと考えられていますが、残念ながら基本的に一度きりの演奏機会のためのもので、楽譜や資料の散逸がほとんどで、現代に残された資料は僅かです。

当時は、録音という技術も当然無いわけですから、一度演奏してしまうと、楽譜通りにもう一度演奏する以外に、後でまた楽しむ術はありません。バッハは、そこで多くのこれらのカンタータを教会用のカンタータへ改作を行うわけです。

つまり、せっかく作った曲をお蔵入りにするのはもったいないというわけで、曲の一部や歌詞を変えることで、恒久的に演奏機会を得られる教会用に改作することは、ごく自然な流れだったと思います。また、毎週新たな曲を作り続ける激務を和らげる効果もありました。

もちろん、これらの改作行為は「使いまわし」であり、時には他人のメロディを借用したりもしますが、一度発せられた音は、その瞬間から消えていく時代では、批判の対象にはなりません。

これらを総称して、現代では「パロディ」と呼んでいるわけで、改作・改変によりバッハらしさを取り入れ、曲の音楽的寿命を延長することに成功したといえます。

19世紀になって、バッハの再認識がされた後に、教会用のカンタータに対して、これらの一般用途のものを世俗カンタータと呼ぶようになりましたが、教会カンタータが主で、世俗用は従という価値観が出来上がってしまい、残されている作品が少ないことも影響して、やや下に見られる傾向があることは残念です。

多くの世俗カンタータのパロディは、別の世俗カンタータに取り込まれるか、新たな教会カンタータへと改変されています。唯一、例外として教会から世俗へ転用されたものとして知られているのが、ケーテン侯葬送のための音楽です。

1727年に作られた、最も重要なバッハの教会音楽である「マタイ受難曲 BWV244」の中の多くの楽章が、1729年に若くして亡くなったケーテン侯レオポルトの葬送の音楽として使われているのです。

葬儀も教会儀式の一つと考えると、それほど特殊性はないともいえますが、自分を引き立ててくれたケーテン候に対して、バッハが強い恩義を感じていたことの表れなのかもしれません。

これは、BWV244aとして一部の楽譜が残されています。当時、葬儀で使われた歌詞などから、ある程度は復元が可能で、アンドリュー・パロットによる独自の研究による「完成版」のCDで確認できます。

確かにマタイ受難曲の印象的なメロディが、どんどん出てきます。 パロットの少ない人数での演奏のせいもあってか、派手さは無く、まさに葬列がゆっくりと移動していくような、深い悲しみにあふれているかのようです。YouTubeでは、確定的に残された部分について、ラファエル・ピションによる演奏を動画としてみることができます。


2014年7月20日日曜日

三位一体節後第5主日

この1ヶ月間くらい、サッカーに気を取られて、「カンタータ研究」・・・というほどのことはしていないのですが、やや力が抜けていて、あっという間に三位一体節後も第5主日まできています。

昨日も書いた鈴木雅明の全集も手に入ったので、気合を入れ直して聴いていかないと、このままだとクリスマスもすぐに来てしまいそうです。

三位一体節後第5主日のためのバッハの教会カンタータは、2曲残っていてます。
BWV93 尊き御神の統べしらすままにまつろい (1724)
BWV88 見よ、われは多くの漁る者を遣わし(1726)

BWV93は3拍子系の乗りのいい伴奏に、ゆったりと声が絡んでいく合唱から始まるのが印象的。その後も合唱とソロが交互に出くるような構成で、聴いていて飽きが来ない。

BWV88の方は曲調は明るく、前半はテノール、後半はソプラノが活躍します。

ガーディナー盤では、バッハのカンタータとしては最初期の作品の一つが収録されています。
BWV131 深き淵より われ汝に呼ばわる、主よ (1707)

ワイマール直前、ミュールハウゼンにオルガン奏者として着任早々に作られたもので、大きな火事があったため、厄災を悔い改めるための礼拝用。

2014年7月19日土曜日

鈴木雅明のカンタータ全集

鈴木雅明は1954年生まれ、今年還暦を迎えた兵庫出身の日本人。プロテスタント系のキリスト教信者で、芸大卒業後、オランダに渡りトン・コープマンに師事して腕を磨き、日本で古楽の教育活動に携わりました。

1990年にバッハ・コレギアム・ジャパン(BCJ, Bach Collegium Japan)を結成し、主としてBIS recordにバッハを中心とした録音を行い、海外では古楽系アーティストとして高い評価を受けています。

2012年にはバッハ・メダルを受賞したことは記憶に新しい話です。バッハ・メダルは、バッハの総本山とも言える、ライプツィヒ市から送られるもので、毎年6月にあるライプツィヒ・バッハ音楽祭で授与されます。

バッハ・ルダルは古くからある権威のある賞かと思ったら、実は意外にも歴史はまだ浅い。2003年から始まったもので、まだ10年ちょっと。

でも、何しろライプツィヒ市が後ろ盾にいるというだけで、その重みは十分に担保されているわけで、逆に今までの受賞者を見てみると、現代における注目すべき最高のバッハ演奏者が誰なのかが一目瞭然です。

第1回のレオンハルトから、リリング、ガーディナー、コープマン、アーノンクール、マックス、ベルニウス、ヘレヴェッヘ、ブロムシュテットときて、2012年が鈴木雅明。そして、昨年はシュライヤーで、今年は何とベルリン古楽アカデミーです。

それはさておき、鈴木雅明のBCJのバッハ演奏は、比較的癖がない正確無比な演奏で知られ、ある意味完璧すぎるというのが、むしろ欠点だったりします。もともとクリスチャンである鈴木雅明の、日本人にしては深い宗教的理解から来るものなんだろうと思います。

ガーディナーのバッハ・カンタータ全集は、教会暦に従って、1年間で一気に演奏されたもの。まさに情熱の塊で、多少のキズがあったとしても(実際キズがないのがすごいことなのですが)、音楽の勢いでねじふせてしまおうというところ。

一方、BCJは1995年からカンタータに取り組み、昨年までの18年をかけて、演奏会と録音で全曲を制覇しました。ガーディナーとは対極的な取り組みで、一つ一つをじっくりと熟成させたものです。

そして今月、待望の全集のボックスが発売されたのですが、これがいろいろな意味でびっくりすることが多い。最初に言うのも何ですが、まずは驚いたのはその値段。なんと10万円!!

昨今、廉価ボックス流行で、かつての名盤がCD一枚数百円程度で入手可能が当たり前。 50枚組みで1万円程度のものが大量に出回っているわけですから、10万円という値段には驚いた。

http://www.amazon.co.jp/J-S-%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F-%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%85%A8%E9%9B%86-Sebastian-Collegium-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E8%A7%A3%E8%AA%AC%E3%83%BB%E5%AF%BE%E8%A8%B3%E4%BB%98/dp/B00IODK18G/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1405717622&sr=8-1&keywords=%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%9B%85%E6%98%8E
でも、よく考えると55枚のCDのセットですから、一枚あたり約1800円と考えると、新譜であれば法外な値段ではありません。しかも、さらに驚くのはすべてSACDになっていること。

18年かけて録り貯めてきたものですから、当然初期のものは、通常録音のCDでした。これを、あらたにリミックスしているという、ずいぶんと手間をかけているわけです。

さらに驚く事は、この全集は実は完全限定生産の日本盤のみのリリースで、通販大手のamazonとHMVでは、発売日までに完売。Tower Recordのみが、在庫僅少という状況。amazonでは、早くも倍額の中古が出品されています。

実は、自分も買っちゃった!! のですが、この価格ですから、今年下半期に使うかも知れない分をすべて、これに投入した感じ。幸い、ポイントバックも大量ですから、どうしても聴きたいCDが見つかったときはポイントで購入することにしたいと思います。

実際、このセットの購入動機の大きなポイントにあるのが、日本盤であることで付属している日本語の解説。なんと、全部で1000ページにも及ぶ、楽曲の解説と対訳がついているわけで、いろいろな資料をバラバラに見ているのはなかなか大変でしたが、まとめて日本語で読めるのかすごく嬉しい。

もう一つのポイントは、収録順序。ガーディナー盤と違って、こちらは作曲年代順ですから、バッハの音楽的な成長とともに聴いていけるという、別の楽しみがあります。パロディ関係などは、この方が理解しやすい。

そんなわけで、ガーディナー盤と鈴木盤の両方をクロスさせながら、カンタータ制覇の作戦は、さらなる高みへと・・・いや、もっと大変なことになってきたのかもしれません。

2014年7月18日金曜日

シンスプリント

今年は、やたらと多い・・・感じがしている。いわゆるシンスプリント、正確にはすねの内側・下半分に出る痛み。しかも、そのほとんどが中学1年生、あるいは高校1年生。

シンスプリント(Shin Splint)は、骨に付着している筋肉が酷使される事で、収縮する際に骨の表面を覆っている骨膜を持ち上げてしまうことで傷めるもの。

骨そのものは痛みを発しないのですが、骨膜には神経が通っているので、最初は運動時の鈍い痛みから始まり、がまんして運動を続けていると、日常的にも痛みを感じるようになってしまいます。

また、そういう状態を継続している事が、結局骨そのものにストレスをかけ続けるために、すねの疲労骨折を併発するようなことも珍しくはありません。

走ったり、ジャンプをしたりする事が多い陸上選手やバレーボールとかバスケットボールの選手に多い、スポーツに関連した障害として有名ですが、クラシックバレーのような持続的に筋肉に緊張をかける場合にも発生します。

基本的には、練習量が増えたり、練習内容を変えたり、不適切なシューズを使用することなどがきっかけになります。

治療は、通常は消炎鎮痛剤の外用薬、つまり湿布とか塗り薬しかありませんが、最も大事なのは局所の安静。はっきり言って、ひとたび痛みが出ると運動を休まない限り、なかなか落ち着く事はありません。

こどもたちは自発的に運動を休む事はほとんどないし、中には親が「そのくらいがんばれ」みたいに言うケースも少なくない。ましてコーチなどの指導者が、運動を続けさせる場合は、結局選手としての能力、場合によっては寿命を縮めてしまうことになりかねません。

痛みが出てきたという事は、走り方のフォームが悪かったりするわけで、まずはそれを直すことをせずにがんばっても、結局は記録にはつながらないという事を理解すべきです。根性論だけでは、記録は生まれません。

今年は6月ごろから、この痛みを出した部活初心者の中高1年生がやたらと多い。これは指導者が変わったのか、指導内容が変わったのか、何かありそうな気がします。

いずれにしても、初心者の1年生には練習そのものよりも、前後のストレッチを十分以上にさせることが重要です。

2014年7月17日木曜日

鱶鰭姿煮拉麺

中華の高級食材のひとつに、フカの鰭(ひれ)があります。

フカは鱶と書きますが、当然これは鮫(サメ)のこと。たいていは、尾びれか背びれを使うらしいのですが、怖い鮫の一種であるヨシキリザメが多く用いられているそうです。

乾燥させて販売されるわけですが、バラバラになりやすいのでそのままの形を保ったものは値が張ることになります。姿煮となると、けっこう高くてそうは簡単に口に入れる事はできません。

フカヒレのラーメンというのは、昔からありますが、ラーメンと考えると超高い。渋谷にPARCOが出来たばかりの頃、上の階のレストランで食べる事ができたんですが、今から40年近く前のこと。

一度だけ食べたことがありましたが、当時で、確か1000円以上はしていたと思いますが、もちろん普通のラーメンが200~300円くらいでしたから、それはそれは高級メニューでした。

今時のラーメン専門店では、基本的には食べる事はできません。やはり、ちゃんとした中華料理店でないと、メニューにはのっていない。

これは南国酒家のもので、鶏がらベースに和風だしを効かせたスープが絶品です。いやぁ~、何とも贅沢な気分で食べるラーメンなんですが、もちろんお値段も・・・

2014年7月16日水曜日

都会では、ごみ荒らす、烏が増えている
今朝見た、近所の屋根の上、とまってた
だけども、問題は普通ゴミ、狙っている

行かなくちゃ、ゴミめがけて行かなくちゃ
ネット無しのとこに行かなくちゃ、らくちんだ

回収車が、今日はなかなか来ない
プラのゴミ以外は荒らしたい放題だ
それはいい事だろう?

行かなくちゃ、ゴミめがけて行かなくちゃ
容器無しのとこに行かなくちゃ、らくちんだ

大変だ、道にゴミがちらばって
片付けるのが大変だ、誰がする?

(以上、井上陽水「傘がない」のメロディにのせて)

2014年7月15日火曜日

原宿族

原宿というと、神奈川では国道1号の渋滞ポイントとして有名。でも、全国的には、東京都渋谷区の明治神宮の表参道を中心としたエリアとして定着しています。

基本は参道ですから、本来は繁華街とは縁遠い場所。明治神宮は、明治天皇と皇后を奉って、大正9年(1920)に作られたもの。表参道も、その時に一緒に整備され、始点になる青山通りとの交差点には今でも石灯籠が置かれています。

自分が地元民だった頃・・・昭和30年代~50年代に、一気に若者の街として発展し、まるで若者文化の発信基地のように言われるようになりました。

原宿に集う若者には、いろいろな名称が使われたのですが、「竹の子族」なんかは一番有名かもしれません。街路で集団で踊り、鮮やかなゆったりとした衣装が特徴。この中からは、芸能人もたくさん出ています。

古くは「アンノン族」というのもいて、片手に雑誌のアンアンかノンノを抱え、それを頼りに表参道を行ったり来たりする。ただし、実際は原宿を知らない「田舎者」というニュアンスもあり、皮肉交じりに使われていたように思います。

以前に比べて、最近は高級ブランドの店舗が立ち並び、相変わらずの賑わいをみせていますが、これは昔の原宿に親しんだ若者が大人になったのと同じことなのかもしれません。

なんにしても、すでに神奈川県民としての人生のほうが長い自分にとっては、これだけの人ごみは圧迫感が強く、精神衛生上よろしくない。どこかの見知らぬ街みたいなもので、原宿の「族」とはかなり縁遠いことを実感します。

2014年7月14日月曜日

FIFAワールドカップ2014 閉幕

今年のワールドカップの決勝戦は早朝から行われ、ドイツとアルゼンチンが激突。

結果は、すでに皆さんご存知の通り。

前半は、両者譲らず0-0。もともとの評判では、攻めのドイツと守りのアルゼンチンという感じで、実際の試合もそんな感じ。守りがしっかりしていて、ドイツの攻撃の精度が落ちたのでしょうか。

後半も同じ展開で、延長戦に突入。後半、ついにドイツのゴール。終了間際、メッシのフリーキックがはずれたとき、メッシの笑顔が印象的でした。

サッカー王国と呼ばれる開催国ブラジルは、悲願のホームでの優勝に向けて、順調に勝ち上がってきましたが、準決勝でドイツに1-7の大敗。そして日曜日の早朝に行われた、三位決定戦でもオランダに0-3で完敗。

スーパースター、ネイマールの負傷・戦線離脱の影響なのか、完全に自信を喪失したかのように、もう何をしたら勝てるのかを一瞬にして失ってしまったかのようでした。

我が日本も、グループリーグで敗退し、ほとんど「自分たちのサッカー」は見えてきませんでした。あまりあてにはならないと言われているFIFAランキング通りの結果でしたが、またこれからのスタートに立ったのだと思いたいものです。

試合終了のホイッスルは、次の試合の開始の合図。そんな内容の言葉をよく耳にしますが、日本は次の大会までの課題をたくさんもらったのだと考えれば、選手も、そしてサポータもモチベーションを保てるのではないでしょうか。

日本にとって、嬉しかった話題は、現地で直接観戦したサポータの方々の行動のニュースでした。日本が負けた試合でしたが、ゴミをしっかりと拾い集める行為はネットでも話題になり、世界中から賞賛されました。

日本人は負けて悔しい思いをしても、「飛ぶ鳥、跡を濁さず」で、結果はどうであれ頑張った選手たちを讃え、試合を運営した関係者や会場に感謝をする。それが、フィールドの外から選手をしっかりと応援することだということを知っているのです。

次回は、2018年ロシア。今回活躍した選手の大半は出場しないかもしれませんが、栄光を勝ち取ったチームよりも、ブラジルや日本のように悔しさを味わったチームの方が、より強い気持ちを持って挑んでいくのではないかと期待したいと思います。

2014年7月13日日曜日

三位一体節後第4主日

J.S.バッハの残されている三位一体節後第4主日のための教会カンタータは3曲あります。

1715年 BWV 185 永遠の愛の憐れみ満てる
1723年 BWV 25  まじりけなき心
1732年 BWV 177 われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ

三位一体節が終わると、キリスト教の教会暦では、いくつかの記念日を除いて、クリスマス・シーズンまではめだったイベントは無く、地味で長い半年。

教会暦に沿ってカンタータを聴いてこうという計画では、単調すぎて飽きてしまう心配があります。そこで、重要なのが、いろいろな取りこぼしを拾い集めていくことかも。

まず考えたのが、世俗カンタータです。バッハの教会カンタータで、重要な要素となっているのが「パロディ」、つまり他から、あるいは他への転用です。世俗カンタータは、その宝庫であり、また究極的にはバッハ最後の作品とされるロ短調ミサ曲へ続きます。

ただ、世俗カンタータは、かなりの量が散逸しているようで、記録がある数にたいして残されたものはかなり少ない。

ペーター・シュライヤーの録音が、CD8枚で最も多数を収録しています。単に聴くだけなら、これがベストなんですが、今は廉価なBrilliant盤しか入手できず、資料的にも乏しい世俗カンタータを聴くにはちょっと辛い。

そこで、期待度が高いのが鈴木雅明が率いる我が日本のBach Collegium Japanの演奏でしょう。教会カンタータ全曲を昨年収録し終え、以前より継続的に行っていた世俗カンタータへの取り組みも継続しています。

今年は、すでにその第4巻が発売されており、今後も続くものと考えられるので、大多数の世俗カンタータを網羅できるものと期待しています。

もう一つ聴きたいのが、偽作と呼ばれる作品群。バッハが他人の作品を写譜してコレクションにしていたものが、自作として残されてしまったものや、単純に作風からバッハのものと解釈されていたものなど、おびただしい数の作品があるのです。

まぁ、今のように著作権とかはっきりしていないでしょうし、パソコンも無くデータベースも構築されていない300年くらい前のことですから、しょうがないと言えばしょうがない。

真の作曲者が判明しているものは、同時代のスターだったテレマンなどのものが多い。作曲者不明というものもかなりある。受難曲のうちルカ受難曲は、誰かの作品を写譜したことが判明していて、現在ではバッハの作品としてははずされています。

実は、バッハの作品として最も有名かもしれないのが「トッカータとフーガニ短調 BWV565」というオルガン曲も、今では偽作の疑い濃厚とされているんですね。

フーガがバッハの曲としては簡単すぎるという理由かららしいのですが、もしもこの曲が偽作と断定されるようだと、クラシック史上最大の勘違いということになるかもしれません。

はっきりと偽作として作曲者が特定されているものは除いて、バッハの作曲である可能性が残されているものについては、一通り聴くべき価値があるのですが、残念ながらそれらを取り上げる演奏家はほとんどいない。

これらについてはヘルヴィヒの演奏の一択です。ヘルヴィヒは、これらの埋もれた作品に注目して、精力的に収録をしたのですが、計画途中ですでに亡くなってしまいました。

とにかく、クラシックという限られた範囲ですが、楽しみ方はいろいろあって、そうは簡単に制覇できない深さがありますので、飽きたなんてことはとうてい起きそうにありません。

2014年7月12日土曜日

向日葵

夏にあるとびっくりするとのはみかん、夏に見るのが当たり前の代表のひとつが向日葵 - ひまわりです。

背高く伸びていって、一斉に同じ方向に大きな花を咲かせて、咲き終わるとたくさんの種が取れて・・・何しろsunflowerというくらいですから、太陽に一番似合う。

最近は、品種改良なのか、丈の低いもの、花びらの大きなものなど、いろいろあって、育てる場所を選ばなくなりました。

きっと、以前にも書いていると思うのですが、ひまわりというと思い出すのは映画の「ひまわり」です。映画本編は思い切りメロドラマで、内容的には好みではないのですが、やはりあのラストシーンは感動します。

画面の中すべてに映し出される、ひまわり畑の大きさに圧倒されます。言葉に出来ない圧倒的なひまわりの群生をこれほど見事にとらえた映像は、他にはありません。

ですから、この映像を借用してコンサートに用いたのが小田和正。オフコース時代の武道館コンサート、「言葉にできない」を歌うところでスクリーンに映していました。

とにかく、この花が咲くと「夏が来た!!」と思います。


2014年7月11日金曜日

夏にみかん

今回の「最大級」の台風は、ほぼ列島縦断状態。

ただし、大雨・強風の被害を受けた地域の方には申し訳ありませんが、関東地方に接近してきた昨夜以降は急速に勢力が弱まり、幸いなことに今朝の時点でほとんど台風の存在感はありませんでした。

さて、話は変わって、お中元でみかんをいただきました。えっ?、みかん? そうなんです。夏に普通のみかんです。夏みかんではありません。みかんといえば、正月にこたつでぬくぬくしながら食べるイメージ。

今時は、季節感というものが薄らいでいるのですが、こういうところに原因の一つがあるんでしょうね。高知の温室みかんなんですが、これが下手に冬に食べるものより、めっぽう美味しい。

落語に「千両みかん」というのがあります。

大棚のわがまま娘が、病気になって「みかんを食べたい」というのですが、季節は夏。旦那は番頭になんとかしろと命じるわけですが、番頭はやっとの思いで一個千両するみかんを手に入れてきた。結局、番頭は、これだけの価値のあるものさえあればとみかんを懐に入れてとんずらしたという話。

となると、この写真にあるだけで四千両という・・・そんなわけはありませんが、一個の値段は相当しそうなので、しっかり味わって食べました。

2014年7月10日木曜日

ワールドカップ準決勝


FIFAワールドカップ2014は、決勝リーグ。ベスト4は、自分の予想通りで、ブラジル、ドイツ、オランダ、アルゼンチン。

昨日の早朝は、準決勝の最初の試合、ブラジル対ドイツが行われたのですが・・・・もう、散々報道されたことですが、何と世界最強とまで言われた開催国ブラジルが、7失点という歴史的な大量失点で敗れました。

個人的にはドイツを応援・・・というのも、患者さんに数人ドイツの方がいて、サッカーの話で盛り上がるものですから(もちろん、日本語で)。とはいっても、ブラジルの方がホームということもあって、有利かなぁと密かに思っていました。

しかし、イエロー累積による主力選手の欠場だけでなく、エースのネイマールの脊椎骨折というアクシデントは予想以上にサッカー王国の基盤を崩してしまったようです。さすがに前半終了時点で、興味を失ってしまいました。

それにしても怖いのはブラジル人の反応。ニュースなどで伝えられるところしかわかりませんけど、試合会場にいたサポータは、1点目悲鳴、2点目怒号、3点目呆然・・・最後はドイツを応援という状態だったらしい。

自国の国旗を燃やしたり、町では暴動がおきたりもしたらしいし、新聞では1面で「監督は地獄に墜ちろ」という見出しが出ているとのこと。その点、日本はまだまだ優しい。負けても、選手をねぎらう気持ちを忘れてはいません。

南米では、以前敗戦の後、選手が襲われたり、殺害されたこともあります。日本とは、選手が背負っているもの、国民が期待するものの大きさが違うのでしょうか。

今朝は、準決勝のもう一つの試合、オランダ対アルゼンチン。オランダも強さを見せつけて来ましたが、ヨーロッパ勢同士の決勝より、アルゼンチンに勝ちあがって欲しい気持ちがありました。それにもなんてったって、現代世界最高のサッカー選手、メッシの決勝での戦いを見たいじゃないですか。

試合は・・・壮絶な互角の戦いで、延長戦でも決着がつかずPK戦。アルゼンチンが勝利しました。

さあ、いよいよ決勝戦。2014ファイナルは月曜日の朝4時キックオフです。その前に日曜日に3位決定戦に、ブラジルがもう一度登場しますが、大丈夫でしょうか・・・


2014年7月9日水曜日

楽天 VS アマゾン

「あなたはアマゾン派ですね」

・・・と言われて、なんのことやら。よく聞いてみると、日本のネット通販は二大勢力があって、片やAmazon、片や楽天ということらしい。

確かに、ほとんど買い物はAmazonを利用していて、音楽CDやDVDも最近はHMVを利用していません(お得意さま向けサービスが極端に悪化したから)。

楽天は、正直言って、物を探すときにひっかかっても、ほとんど見向きもしない。というか、なんか、苦手。

楽天のイメージは、基本的には小さいお店が同じ軒下に長屋状態に並んでいて、お店はそれぞれが独自の販売をしている感じがします。

Amazonにはマーケットプレイスという、楽天と同じ個人の運営する小さい店が軒を連ねているのですが、あくまで大元のAmazonのルールにのっとって運営され、Amazon自身がある程度の管理をしているような感じなんです。

つまり、楽天は商店街、Amazonは百貨店というのが自分のイメージ。あるいは、自分だけの解釈でしょぅけど、品物から探すのがAmazonで、お店から探すのが楽天というのはどうでしょうか。

ネット通販のメリットの一つに、海外からの購入というのがあって、日本国内だけではなかなか探せないもの、あるいは日本版だと価格が高いものを安く買う事ができます。

最近、海外からの購入のトラブルがよく話題になりますが、Amazonの場合、親元の監視が効いているのか、ほとんどトラブルに見舞われた経験がありません。

また、商品が到着しなくても、Amazonに出店しているところは対応が丁寧な印象があります。ただし、注意しないといけないのは、既購入者の意見。

出品者の評価が見ることができるので、自分の場合、原則として95%以上が高い評価をしているところしか利用しません。90%以下のところを値段につられて利用すると、問題が起こる確率が高くなるような気がします。

どっちにしても、使い慣れれば、どっちでもいいのかもしれませんが、確かに自分はAmzon派なのでした。

2014年7月8日火曜日


そのまんまですが・・・蛍です。

暗くすると、お尻のところがぼやーっと光りますが、写真に撮りにくいので明るいままの写真です。

一応、光ってる状態のイメージを合成して作ってみました。

こんなに間近で見たとはありませんでした。たくさん飛んでいて、光の舞う様子は幻想的ですよね。

たまたま飛んできたところを親類が捕まえて見せてくれましたが、その日の夜のうちに放したそうです。命はかなき虫ですから、箱の中で終わるのは可哀想だということで・・・

2014年7月7日月曜日

七夕

毎年、7月7日と言えば、たなぼた・・・いえ、たなばた。使い古されたギャグを、平気で使いまわしてしまいすみません。これで、4年連続か・・・

今年も、クリニックに笹を置いて、患者さんにも短冊に願い事を書いてもらいました。この笹は、実は自分の自宅の後ろ隣の家の庭にあったもの。毎年、どんどん伸びてくる中から、適当なものをいただいています。

切り立ては緑色も鮮やかですが、一日で乾燥してきてしまいます。一応、根元は水を入れたビンにさしているのですが、ほとんど効果はあるのか、ないのか・・・

今年は、実は2本いただいたので、それぞれ三日ずつ使って、まぁ何とか1週間近く飾る事ができました。ただ、天気はいまいち。いずれにしても、天の川を肉眼で見ることは首都圏では、不可能ですけどね。

2014年7月6日日曜日

三位一体節後第3主日

キリスト教からすると、今日は三位一体節後第3主日ですが、なんちゃって仏教徒の自分にとっては7月の最初の日曜日でしかないわけです。

そういってしまうと話が終わってしまいますが、バッハの教会カンタータを教会暦に合わせて聴いてみようなどという、もともと声楽音痴の自分にとって無謀な計画を遂行中ですから、しっかり「今日は何の日」か確認しないと。

三位一体節後にキリスト誕生まで続く、この長い期間は、そういう自分にはいろいろと下調べをするにはちょうどいい期間です。そこで、ネット上でとても参考になるいくつかのサイトをまとめておきます。


バッハのカンタータを聴く
日本語で様々な説明が読めるのサイトとしては、最も素晴らしいのがここ。教会暦を意識して聴くとき、本当に助かります。

Bach Cantata Website
英語だったら、内容の充実度では天下無敵。

川口バッハハウス
カンタータに限定したものではありませんが、バッハを広く知るための充実した案内が豊富です。

Kenichi Yamagishi's Web Site
バッハだけでなく、クラシック全般の名曲・名盤の紹介をしています。宗教曲、古楽のジャンルが充実していて、とても参考になります。

教会暦について
教会暦の説明は、直接教会のHPなどだとけっこうわかりにくい。ここだと、バッハを意識した説明があり、理解しやすく助かります。

Cantata Finder
これは我らがガーディナー先生の運営するSDGレーベルのサイトの一部で、お目当てがどのCDに入っているかすぐに探す事ができますし、今聴くべきカンタータをいつも表示しているので助かります。

La VOCE ORFICA
日本の声楽アンサンブルのHPですが、豆知識として宗教曲を聴く上で知っておくべき楽典的なキーワードの解説があります。

探せば、役に立つサイトは山ほど見つかるのですが、とりあえず上にあげたものだけおさえておけば、自分の場合たいていのことは困りません。

もちろん以前に紹介した本はもっとも重要な情報を与えてくれるわけで、普段はネットで、時間があるときはゆったりと読書で勉強するという感じでしょうか。

さて、今日のためにバッハが用意したカンタータは2曲あります。
BWV 21 わがうちに憂いは満ちぬ(1713)
BWV 135  ああ主よ、哀れなる罪人なるわれを(1724)

BWV21はワイマール時代のもので、40分かかる大作。シンフォニアから始まり、2つのコラールを含む4つの合唱が含まれます。前半の憂いと後半の憂いが晴れた曲調の明暗の違いが、バッハの構成力を感じさせます。

それに比べるとBWV135は15分かからない短めの、2つのコラールのアリアとレチタティーボをはさんだ普通の構成。地味といえば地味。実はバッハ自身が、出張でいなかったらしく、この曲の演奏当日はライブチィヒにはいなかったらしい。