2014年8月23日土曜日

バッハの時代の礼拝

毎週毎週、教会歴に沿ってカンタータを聴くのはさぞかし大変かと思うでしょうが、数年分をまとめて聴いたとしても20分程度のものを数曲ですから、時間的にはたいしたことはありません。

しかし、リアルタイムでバッハが作曲して演奏するカンタータを聴いた18世紀のライプチィヒの人々にとっては、どうだったのでしょぅか。

毎週日曜礼拝で1曲聴くだけなら、短ければ15分、長くても40分です。ただし、カンタータの演奏は、礼拝の中で神の教えを分かりやすく伝えるための一手段に過ぎません。

単純に音楽を楽しむだけならキリスト教徒ではない自分にとってはどうでもいいことですが、当時の礼拝の様子を知ると、カンタータに対してより深い理解が得られそうです。

バッハの時代の日曜礼拝は、日常生活の中にしめる割合はきわめて重要でした。基本的には、午前7時から始まる聖餐(せいさん)の説教が11時まで、昼前から昼の説教、午後1時から晩祷と呼ばれる説教が午後4時くらいまでという一日がかりのイベントでした。カンタータは、最も重視されていた聖餐の説教の中で演奏されていました。

カトリックでは、ミサは厳格に式次第が決まっていて、そのほとんどがラテン語で一字一句変更することは許されません。その文言を歌詞にして、楽器の伴奏をつけたものがミサ曲で、式の中でバラバラに演奏されていました。

バッハの所属するルター派プロテスタントの教会では、一部カトリックの要素を残しながら、基本的にはドイツ語で語られ、集まった人々(会衆)が一緒に讃美歌を歌う部分が多く含まれます。バッハ自身が、カンタータの譜面に礼拝式次第をメモしているので、実際の様子はかなりはっきりとわかっています。

午前7時になると、トーマス学校の生徒による合唱隊と10人程度の楽器奏者が入場し位置につき、オルガンの前奏が始まります。続いて4人の生徒によるチェンバロ伴奏によるモテットが歌われます。

続いてラテン語によるキリエとグロリアの器楽伴奏による歌唱があり、その途中で牧師が入ってきます。その日の教会歴に見合った使徒書の朗読に続いて、会衆によるコラール歌唱、福音書の朗読の後、いよいよカンタータの演奏です。

カンタータの歌詞は、当日朗読された聖書の内容に沿ったもので、当然この後の説教につながる内容が厳密に割り当てられていました。会衆に、その日の教えを分かりやすくする目的と、より親しませることが重要な課題であったことは容易に想像できます。

ここまで終わって、午前8時からいよいよ主任牧師による説教が始まりますが、これがだいたい1時間かかる。毎週音楽を用意するバッハも大変でしょうけど、毎週1時間の講演をする牧師さんも変わらず大ごとだったことでしょう。

そのあといくつかの讃美歌が歌われ、聖餐式(最後の晩餐に由来する、パンとワインを信者に与える儀式、カトリックでは聖体拝領)が始まりますが、これにかなりの時間がかかるので、その間にカンタータの第2部やオルガンの演奏が行われました。

とりあえずバッハが一仕事終えるのが午前11頃というわけで、バッハは自分の部屋に一目散に戻って、すぐさま来週の準備にとりかかったことでしょう。

市民は、まだまだ残っていて、ここでいろいろな情報交換をしたんでしょうね。隣の国が戦争したがっているとか、あそこの誰々が恋仲になっているとか、何しろ新聞もラジオも、ましてやネットもないわけですから、礼拝の場は生活の基本です。

さらにテレビ、映画もなく、娯楽としての要素も兼ね備えていたのが礼拝であり、その中でカンタータの役割はことさら重要であったことは容易に想像できます。

そういう意味でも、プロテスタントが歌っていたコラールを、バッハが積極的にカンタータの中に埋め込んでいくことにこだわったこともわかる気がします。会衆が馴染みのある曲が出てくることで、より大衆参加型の娯楽性が強まることになるのです。