2014年11月18日火曜日

ロ短調ミサ曲

さて、そこで晩年の大作、バッハのキャリアの中で一二を争う傑作とされている「ロ短調ミサ曲」にたどり着くわけですが、もう世界中のバッハ研究者が語りつくしても語りつくせない有名曲ですから、にわか愛好家の自分が解説などする立場にはありません。

ここで確認しておきたいことの一つは、これが一つの曲として成立しているのかという疑問です。その大部分が、過去の自作から引用して正式なミサ曲としての体裁を整えられました。

その結果、早めの演奏でも2時間はたっぷりかかる超大作となっていますから、当然通常のミサの中で使用できるものではありません。実際に上演する機会があったとは考えられていないわけで、ばらばらの曲と考える学者も少なくはありません。

しかし、ある一定の時期に集中的に曲が構成されていることから、バッハはミサの通常文をすべて網羅した形式を意図的に作り上げたことは間違いないようです。 これは、バッハにとってはキャリアの総決算という意味合いがあったことが容易に想像できます。

つまり、当時バッハは一都市の教会カントルであり、その知名度はそれほどのものはなく、自分の死後、時勢を取り入れたカンタータは忘れ去られることを予想していたはずです。

バッハは自分の仕事、痕跡を後世に残すためには、キリスト教の中で普遍的なラテン語を用いた曲の必要性に気がついたといわれています。実際、バッハの危惧は現実になり、バッハの死後、大多数の作品は演奏されることはなく簡単に忘れられています。

後に早くから楽譜として出版されたのは、ラテン語のマニフィカトやロ短調ミサ曲であり、バッハが音楽界の偉人として考えるようになるのは死後80年してのメンデルスゾーンのマタイ受難曲の復活演奏以後のことです。

1730代以後、急速にドイツ語教会カンタータの創作が減ってしまいますが、バッハの最後のカンタータ群のひとつに1945年のクリスマスに演奏されたBWV191が、唯一のラテン語カンタータとして作られています。

タ イトルはまさに「いと高きところには神に栄光あれ(Gloria in excelsis deo) 」であり、ロ短調ミサ曲と同じドレスデンに捧げた小ミサ曲を母体にして作られたもので、死期の迫っていたバッハにとって、ラテン語曲を作ることは重要度の 高いことがらだったことが想像できます。

とにかく、出だしのキリエの合唱から、「魂を揺すぶられる」ような感覚があり、「kyrie eleison」の二つの言葉だけからなる音楽空間から、もう耳を離すことができません。

もちろん、世界一といわれる名に恥じないモンテヴェルディ合唱団を率いたガーディナー盤は、自分の中ではスタンダードの位置にありますが、鈴木雅明のBCJ盤も捨てがたい。ドラマ性のある受難曲よりも、ひたすら真面目に演奏するBCJは、こちらの方が向いているのでしないでしょうか。

1980代初めに、バッハの時代には演奏は一パート一人(one voice per part, OVPP)を提唱したリフキンは、すぐに自らロ短調ミサ曲をOVPP方式で収録しましたが、これは風通しはいいものの、合唱の魅力が半減であまり成功とはいえないようです。

しかし、その後OVPPを実践する演奏家が、しだいに増え始め、最近ではJ.バットのものや、S.クイケンの新録音などは、OVPPであるにもかかわらず、大変バランスの取れたすぐれた演奏だと思います。

もう一つ、自分のお気に入りの演奏がJ.サヴァールの2011年のライブ。これが実にいい。OVPPよりは、やや多めの演奏者数で、音の厚みを損なうことなく、一つ一つの声部の独立性が確保されている感じがします。

特に、出だしの合唱に続いて、すぐにテノールのソロであらためてKyrieが歌われるところはぞくぞくっとするくらいいい声です。このテノールは日本人、BCJでも活躍した櫻田亮さん。このCDは、実際のライブのDVDもついていて、視覚的にも楽しめておすすめです。