2014年12月31日水曜日

大晦日

大晦日です。晦日は毎月の最後の日のことで、1年の最後だから「大」がつく。もともと、「みそか」は三十日と書いていたらしいです。まぁ、最近はネットで簡単にうんちくを見つけられるので、あまり知っていても威張れないですが。

さて、写真は八ヶ岳…のはずですが、あいにく雲に覆われてよくわからない。年末の中央道は、比較的混雑はたいしたことはない。でも、この低い雲が、急におりてくるので特に甲府の盆地は一面の霧。


小淵沢を過ぎると、路肩に残雪がありますが、ほとんどノーマルタイヤで問題なし。やはり雲の流れによっては、青空が見えていても雪がちらほらと落ちてきたりします。

全国的に、強い寒気が入ってくる予想らしく、今日は日没後からはかなり冷え込むらしい。年越しのイベントなども、いろいろとあるとは思いますが、みなさん体調を崩さないように十分にお気を付けください。

いろいろあったような、でもやたらと早かったような2014年でした。毎日の積み重ねは、特に変わるわけではなく、今日の続きが明日でしかありません。でも、暦の大きな区切りですから、一度気持ちをリセットして、より良い方向に向けるようにしたいものです。

来年も、よろしくお願いいたします。

2014年12月30日火曜日

年内の診療は終了いたしました

好むと好まざるとに関わらず、カレンダーはどんどんめくられて、今日は12月30日。わかっていても、今年はあと二日しかないことに気が付いて、けっこう一抹の寂しさがあったり・・・

診療を毎月終えると、いろいろとやることがあるんですが、だいたい1週間くらいかけて診療の合間にこなしています。

一番大事なのは、レセプトの作成。健康保険を扱った場合、患者さんが窓口で支払うのは自己負担分。残りの分を保険組合に請求するために、請求書を整備する必要があります。

今は電子カルテを使っているので、とりあえずパソコンで一気に打ち出す事はできるのですが、これをちゃんと点検しないといけない。

病名が抜けていたり、右手のケガなのにレントゲンが左になっていたり、細かいなんたら管理料を付け忘れていたり。

それと、保険から「これはだめ」と言って戻された過去の請求書を再度点検して、出しなおすのもありますし、交通事故や労災といった別の保険のものもあります。

このあたりのルールはかなり細かいわけで、なかなかパソコンまかせでOKというわけにはいかない。今の時代でも、一枚一枚を目でみていくしかありません。

特に公務員災害という、年に1回か2回くらい混ざってくる、まったく別枠の保険がありまして、これがまた超めんどー。ほぼ手書きで作らないといけない。
さらに健康保険で受診したのに、後から労災に変更なんていうのもある。交通事故で、とりあえず自費のままになっていて、その後まったく受診が無くてどうしたものかちゅうぶらりんというのも。

 昨日は、診療を午前中で終えると、すぐさまレセプト作成を始め、夜の9時までかかってほぼ終了しました。いやもう、大変。病院勤務時代は、こういうのは事務方にほぼまかせっきりでしたが、いざ自分でやるとなると、いまだにわけのわからないことだらけです。

合間に、クリニックの拭き掃除や、ゴミの整理、スタッフの給与計算。県、市、区に出しておかないといけない書類の作成なども含めて、思いつくかぎり年内にやっておくべき全部をこなしたつもり。

というわけで、年末年始は
クリニックのことは一切忘れて・・・ ・・・・ ・・・・・

・・・・・・ 逆に何か、し残している
ことがあるような不安が

熱帯魚の自動餌やりのセットもしたしな

電気は全部けしたと思うし

・・・・・・・

エアコン消したかなぁ

うーん

2014年12月29日月曜日

仕事納

開院当初、大晦日まで診療をしていた・・・なんて、今では信じられませんが、実はそうだったんです。

もちろん、開院したばかりは、こちらも必死でして、できるだけ扉を開いておくしかありませんでした。休んでいてもテナント料は発生するわけですし、開けたら人件費が必要。ですから大晦日は、家族を動員して、少しでも人件費は浮かして・・・

実際に診療をしてみると、大晦日は開いているクリニックがほとんどないので、来るのは遠くからばかり。クリニック周辺地域の住民の方は、ほとんど来ない。

結局、他のクリニックと同じような休み方をした方がベストという結論になりました。数年前からは、29日か30日で終了という形で年末の診療を行っています。

今年は、カレンダーを見ると、あまり悩みようが無い。新年、5日が月曜日なので、ここからスタートというのは簡単に決まります。となると、さすがに、丸々1週間休むというのは気が引ける。

実際、蓋を開けると、都筑区のクリニックのほとんどが今日までの診療で、5日からのスタートでした。

そんなわけで、2014年、平成26年、今年は今日で診療はおしまいです。来年もよろしくお願いいたします。

2014年12月28日日曜日

降誕節後第1主日

3日間の降誕祭が一段落して、新年までの間に日曜日が入ると、降誕節後第1主日となるわけですが、必ず毎年あるわけではありません。今年はたまたま降誕祭から連続しているので、忙しい事この上ない。

今日聴くべきカンタータは、
BWV152 出で立て、信仰の道に(1714)
BWV122 新たに生まれし嬰児 (1724)
BWV28 神は頌むべきかな!いまや年は終り (1725)

そして、クリスマス・オラトリオはお休み。

ガーディナー先生のディスクでは、最初にモテットである「主に向かいて新しき歌をうたえ(BWV225)」から始まります。二重合唱によるもので、後年モーツァルトが感激した曲。クリスマス用というわけではありません。

この日は、新年に続く一連のお祝いムードの中で、将来に目を向けて居住まいを正すことを説く日だそうです。BWV152は、ヴァイオリンより大きめで弦が多いヴィオラ・ダモーレが登場する唯一の教会カンタータ。まず器楽演奏があり、そのあとはバスとソプラノがアリアを歌い、最後はデュエットで終わります。

BWV122では、コラールが半分以上に顔を出します。BWV28は、今年を感謝するソプラノのアリアからスタート。2曲目に合唱がでてくるというのは、珍しい展開。

年内のカンタータはこれで終了です。次は元旦。

12月28日というのは、いわゆる御用納め。今年は日曜日なので、明日まで仕事がある方もけっこういるようです。とはいっても、ほとんど片付け・整理などが中心で、基本的には今年の仕事は終了という感じでしょうか。

あとは、新年を迎える準備をするだけ。クリニックも、明日の月曜日は午前中の半日だけ、診療をして今年はおしまい。ほとんどの医療機関も、同じようなスケジュールです。

2014年12月27日土曜日

降誕節第3日

さすがに3日目ともなると、お祝いとしても長いですね。まぁ、それだけイエスの生誕と受難・昇天は、キリスト教の中で重視されるイベントだということです。

クリスマスと呼んでいるのは、もちろん英語圏とそれを真似ている日本が中心。ドイツでは聖なる夜というweihnachtと呼びますし、フランスではnoelです。

クリスマスというのは、もともとはChrist Mass。つまり救世主(キリスト)のミサという意味です。イエスはキリスト教では救世主とされるわけですが、実は、イエスが12月25日に生まれたという記述は新約聖書の中にはありません。

羊飼いが生誕にまつわる話が出てくるので、真冬に放牧をしたりはしないので、夏から秋のことだったという説もあったりします。また紀元前の略号B.C.はBefore Christの略で、西暦1年が誕生の年とされますが、これも実際はもう少し前だったと考えられているようです。

クリスマスの主役であるサンタクロースは、4世紀の貧しい人をいろいろ助けた神父、聖(セイント)ニコラウス(ニコライ)から来ているのだそうですが、国によって伝説はいろいろ。今のようなイメージが固まってきたのは19世紀になってから。

3日続く降誕祭ですが、今日のカンタータは3曲あります。

BWV64 見よ、父のわれらに賜いし愛の (1723)
BWV133 われは汝にありて喜び(1724)
BWV151 甘き慰めなるかな、わがイエスは来ませり(1726)

そして、
BWV248 クリスマスオラトリオ第3部 天を統べたもう君よ (1734)

BWV64は、神の愛を歌う合唱に続いて、コラール。人の世のむなしさをさらにコラールで確認し、イエス誕生の意義を説いていく内容。お祝い気分が入り込む余地はありません。

BWV133もBWV151も、おちついた感じの曲調なのは室内楽的な雰囲気からでしょうか。しみじみと、神の愛とか、イエスの存在の意味などを再確認して、しっかり信仰心を強くするように語りかけてくるかのようです。

オラトリオ第3部は、再び管楽器も活躍し、華やかさが戻ってきます。羊飼いたちはベツレヘムに出発し、ついにイエスに巡り合いますが、と同時に奇跡に動揺するマリアにも会うことになります。


2014年12月26日金曜日

降誕節第2日

イエス誕生のお祝い第2日目。

BWV40 神の子の現れたまいしは (1723)
BWV121 キリストを われらさやけく頌め讃うべし (1724)
BWV57 試練に耐うる人は幸いなり (1725)


BWV248 クリスマスオラトリオ第2部 このあたりに羊飼いおりて (1734)

以上、4曲を聴きましょう。

普通は最初か最後、あるいはその両方にコラールが配置されているのが多いのですが、BWV40では罪をクローズアップして、コラールで会衆とともに再確認を繰り返すように配置されています。

今日は、別名「殉教者ステパノの記念日」とも言われているそうですが、BWV57は、試練にさらされ恐れるステパノの魂(ソプラノ)が、イエス(バス)に支えられて来世に進むということを、対話形式で進行させるものです。

いずれも、ちょっと重たい感じがあるのは、昨日はしゃすぎた反省の意味をこめているのでしょうか。

オラトリオ第2部も、比較的おちついた雰囲気。野宿する羊飼いのところに天使が下りてきて、「ダビデの町に救い主が生まれた」ことを告げ、「御子のもとに赴いて子守唄を歌う」ように促す様子が続きます。

ガーディナー先生の全集では、クリスマス関連は当然何枚かのCDに分散しているわけですが、オラトリオを除いてまとめたセットが発売されているので、とりあえず全集はいらないけどという方は、これが便利です。6枚組のボックスですが、かなりお買い得の価格です。

2014年12月25日木曜日

降誕節第1日

世間では、クリスマス・イブと呼ばれる24日の前夜祭が派手で、25日はもうケーキは投げ売り状態。クリスマスは、あくまでもイエスの誕生日であり、当然それは25日の今日です。

キリスト教では今日から降誕節に入り、新しい年を迎えて3日間連続でお祝いをするわけです。当然、待降節の間、我慢していた音楽もじゃかじゃかやってかまいません。

そんなわけで、バッハの仕事もにわかにあわただしくなってきます。第1日のためのカンタータは4曲残されています。

BWV63 キリストの徒よ、この日を彫り刻め (1714)
BWV91 讃美を受けたまえ、汝イエス・キリストよ (1724)
BWV110 笑いはわれらの口に満ち (1725)
BWV191 いと高きところには神に栄光あれ (1745)

なんと、すごいことに、どれも初演されたのは12月25日です・・・って、12月25日は固定された祝日ですから、当たり前。

BWV63はワイマール時代に作られたもので、バッハ自身も気に入っていたのか、その後ライプツィヒの最初のクリスマスをはじめ、数回再演していることが確認されています。

管楽器のいかにも楽しげな響きから始まり、またはじけたような合唱が割って入ってくるところは、まさにイエス生誕の喜びにあふれています。

BWV110は、管弦楽組曲第4番の序曲を冒頭合唱に転用しているのが驚きです。また途中のソプラノとテノールの二重唱が印象的ですが、これもマニフィカトBWV243からパロディにしています。

さて、問題はBWV191です。このタイトルは、原題は "Gloria in excelsis Deo" で、これはまさにミサ曲のグロリアにほかなりません。バッハのカンタータで、唯一のラテン語作品なのです。

1733年にザクセン選帝侯に献呈した、キリエとグロリアからなるミサ曲から、グロリアの部分を抜粋した形。ということは、晩年のロ短調ミサ曲への橋渡しになるもので、カンタータとして扱うかは議論の多いところ。

アーノンクール & レオンハルトの全集には収録されておらず、ガーディナーも鈴木もロ短調ミサを収録してから、だいぶ時が経過していますから、注意して聴きたい。

さて、当然ここにさらなる聴くべき音楽があります。
BWV248 クリスマスオラトリオ第一部 歓呼の声を放て、喜び踊れ (1734)

これだけまとめて、楽しげな音楽を聴くと、もうキリスト教徒でなくても、2000年以上昔のイエスの誕生をお祝いする気分になるってものです。

2014年12月24日水曜日

クリスマス・イブ

・・・というタイトルも、ずいぶんつベタだなぁ、と思いますが、自分が物心ついた頃から、ずっと12月24日はこう呼んでいた様に思います。

今日は音楽の話はありませんが、イエスの誕生を待ち、お祝いの準備にあてるのが4週間の待降節。12月25日は固定された「誕生日」ですから、毎年12月24日はその前夜祭になります。

それまで、静かに音楽無しで待ち続けていたのに、前の夜に騒ぎ出すのはフライングではないかと思ってしまいます。でも、キリスト教では日没が、一日の終わりとされています。従って、12月24日の日没後から、いよいよ実質的な降誕節に入る事になります。

まずは3日間、つまり12月27日の日没までが、連続した降誕祭が行われます。さすがに、元旦よりも盛大になるわけですから、キリスト教中心の国では、降誕祭が一年のはじまりなのは当たり前。

日本人は、大多数は仏教徒です。積極的に信仰を表に出していなくても、自分も含めて仏教の理念が滲透している。となると、当然異教徒のお祭りに便乗しているという情けない感じになるわけです。

ただ、日常に出てくる仏教は、個人の冠婚葬祭だけといっても過言はありません。つまり、お寺で直接仏教に携わっているお坊さんたちを除くと、一般の人々のなかでブッダの誕生や死に関係したイベントは皆無です。

キリスト教では、カトリックでも、プロテスタントでも、あるいはその他の宗派でも、キリストの誕生と受難・復活・昇天というのは、信徒全員で参加する最大のイベントであり、信仰を一枚岩にする役目があるんでしょうね。

まぁ、そんなことはいわず、上っ面だけですが、今日はローストチキンとケーキを食べて、お子さんはプレゼントを楽しみに早くに寝ましょう。仲の良い男女は、雰囲気を盛り上げて楽しい夜をお過ごしください。

今日出勤だったクリニックのスタッフには・・・クリスマスケーキを御馳走しました。センター南のスーグリーというお店のもの。


おじさんは・・・・ ・・・・ まぁ、年末の普通の一日にすぎませんけどね。

2014年12月23日火曜日

2014年 総決算

2014年という年は、クリニック開院してから12月に丸9年となり、10年目に突入した年です。クリニックの運営ということでは、安定といっていいかもしれません。

安定というのは、悪くはならないけど、良くもならないという意味です。一日の患者数は多いときで100人を越えますが、平均的には80人くらいでしょうか。この数字は、この数年ほとんど変動はありません。

初診は少ないときで10人程度、多いと30人近いことがありますが、だいたい一日に20人くらいというところでしょうか。再診の患者さんよりも、倍くらい時間を使うので、初診が20人を越えるとかなり疲れることは否めません。

ただ、最初から重要だと考えているのは再初診。つまり、リピーターがいるかいないかが大事。何か困ったときは、また行こうと思ってもらえることが、口コミにもつながります。

毎日の初診の患者さんのうち、だいたい半分が再初診だと思いますが、これらの比率が多いのか少ないのかは、比較できるデータがないのでわかりません。

開業した平成17年は、横浜市都筑区の人口は17万人。現在は、おおよそ21万人です。人口密度は7500人/平方km。

単純に半径1kmを診療圏とすると、その面積は3.14平方kmですから、クリニックの診療圏には、 おおよそ2万3千人くらいの人が住んでいることになります。

ある一日に、病院を受診する患者さんの数を10万人あたりで出したものを受療率といいます。厚生労働省の統計では疾患種別になっているので、科ごとはなかなかわかりにくいのですが、整形外科の外来受療率は千人弱といわれていたと思います。

都筑区全体では、2100人/日の患者さんがいて、都筑区で整形外科を標榜するクリニックは15軒くらいあるので、一クリニック当たりの人数は140人/日。それからすると、うちの患者数はだいぶ少ない感じですね。

コンサルタント会社でないと、このあたりの詳しい解釈はよくわかりませんが、まぁあせってもしょうがないし、これまでにある程度の実績・評判というのは出来てきていると思いますので、自分の仕事のペースからしても、今くらいがちょうどいいと思っています。

クリニックの内容としては、医療法人化してからは、毎年順調に診療機器の追加・刷新を行ってきました。収益を医療に還元しないと、法人の意味がないし、そもそもどんどん遅れたクリニックになってしまいます。

これまでに超音波検査器、電気治療器の新規導入、骨密度検査器の買い替えなどを行ってきましたが、今年は腰椎牽引器の買い替えを行いました。いずれも、患者さんによりいっそう快適な医療を提供できるものです。

来年は、電子カルテやレントゲン機器の刷新を考えています。パソコンがらみのもので、さすがにWindowsXPで動いているというのは古臭い。スピードアップできれば、診療時間の無駄を少しでも省く事ができるのではないかと思います。

一番力を入れている関節リウマチ診療については、世界的なレベルで比較的おとなしい一年でした。21世紀にはいってからは、激変につぐ激変で、新しい事をどんどん吸収しなければならず、正直、勉強することが多すぎて大変でした。それらの変革を、立ち止まって検証する年だったのかもしれません。

一定の診断方法と治療方法が確立され、標準的な医療を提供する枠組みが完成したといえるのですが、これはあくまでも新たな医療、例えばiPS細胞の臨床応用とか遺伝子治療などのステップまでのつなぎだろうと思います。

 個人的には、今年はあまりいい年とはいえませんでした。家族や知人に、病気が多かった一年です。それだけ、自分も年を取ってきたということかもしれません。

当直バイトは相変わらず、続けています。でも、開業当初に比べると半分くらい。さすがに、ほとんどの日曜日や祝日を当直ですごすというのは、体力的にもしんどい。今のクリニックの状況では、そこまでしなくても困らないようになったということでしょう。

趣味的には、年初はチャップリンとヒッチコックの古い映画を再確認することに休日を使っていましたが、このブログでもわかることと思いますが、春以降はほぼ閑な時間はすべてバッハと周辺の宗教曲に費やしています。

まさか、あれほど声楽が苦手だった自分が、これほどはまってしまうとは思ってもみませんでしたが、予定していたオペラの方向へはまだまったく手が出せないでいます。やはり視覚を伴うものですから、耳で聴くだけのものと違ってなかなか難しいかもしれません。

来年は、平成27年、未年、西暦2015年。今年の延長だと思えばそれまでのことですが、より公私に充実した年になるようにしたいものだと・・・毎年、この時期になると考えてはいます。

2014年12月22日月曜日

ゆず

今日は冬至。

冬至は二十四節気では一年の最後、普通だとここから真冬という感じなのですが、どうも今年は強い低気圧がすでに列島を凍えあがらせています。

とりあえず、お風呂にはゆずを入れときましょう。江戸時代に始まった習慣だそうですが、もともとあまりしっかりとした理由はないようで、それはそれでいいとしましょう。

今年はインフルエンザが早くから流行初めていて、けっこう患者さんが急増中です。

・・・ということは、予防接種のワクチンがはずれの可能性が高いのでは。インフルエンザ・ウィルスと言っても、細かい型があるので、ぴったり合えば完璧。

毎年、誰かが今年の流行するだろう型を予想して、ワクチン作りが始まります。実際は、毎年2月にWHOの討論の中で、国立感染症研究所が決定しているそうです。

実際、予防接種をしているのにもかかわらず、発症している人がかなりいる。ただし、型が違っていても、多少の抵抗力はあるのか、比較的軽症だったり、不定形だったりすることが多いようです。

たいした熱でなくても感染しているかもしれませんから、十分に注意してください。

2014年12月21日日曜日

待降節第4主日

イエスの誕生を待ち望んで、静かに待つ期間が待降節。今日で、第4主日ということで、いよいよイエスの誕生が間近に迫ってまいりました。

300年前のライプツィヒでは、この期間は静かに祈りを捧げるだけで、華やかな音楽は禁止されていたので、バッハのカンタータの連続演奏は一休み。

この日のためのカンタータは2曲がありますが、いずれもワイマール時代のものになります。

BWV132 道を備え、大路を備えよ (1715)
BWV147a 心と口と行いと生きざまもて (1716)

ただし、BWV147aは有名な「マリアのエリザベト訪問の祝日」のためのカンタータの原曲で、一部が失われているもの。

BWV132のタイトルは、道路工事の勧めみたいですが、要するに目前のクリスマスの準備をしましょうということのようです。実際、音楽は室内楽的なコンパクトな編成で、派手さはなくSTBAの順にソロで歌い継いでいきます。

2014年12月20日土曜日

NEW!! Prius α

そうそう、プリウスαがマイナーチェンジしました。この話は11月のことだったので、もうフレッシュな話ではないので、知っている人からは今さらということになります。

最初のモデルが発売されたのが、2011年6月でしたか。そのすぐ後に購入契約したのですが、大震災直後で、部品生産、物流が滞り、生産体制が機能しない。

通常、数週間から長くても数ヶ月で納車されるところが、なんとほぼ1年間待たされました。おかげで(?)、待っている間にいろいろと情報収集ができて、アクアに先を越されるという・・・

さてさて、概ね不満はなく、再三書いてきた「冬の寒さ」だけが唯一の気がかりでここまで2年半使ってきました。今回のマイナーチェンジでは、当然買い換えるという選択肢はなかったので、あまり気にしていなかったというのが本当のところ。

外見は・・・現行の30型マイナーチェンジのプリウスに合わせた感じのフロントフェイスにかわりました。それを除くと、ほとんど変更はなし。

一番驚いた変更点が、ボディカラー。なんとオレンジが追加されました。よっぽど、アクアのオレンジがうけたということでしょうか。まだ見たことがないので、何とも言えませんが、トヨタのオレンジは、何か絵の具をべたっと塗りたくったような感じがするんですけど・・・

内装は・・・これも形状的には変更点はなさそうです。ただし、ちょっとイマイチだった白っぽい配色だけでなく、黒を中心としたものが選択できる。これは、個人的にはやはり黒いほうが落ち着いた感じがする。

グレードはGとS。最初のαでも、内装の違いくらいで、その差別化については意味不明でししたが、今回はSにも最初から7人乗りが設定されていますから、もはやグレードはほとんど意味がない。

GとSでは、20万円以上の差がついていますが、この価格差を吸収できるだけの価値をどこに見出すか人それぞれですが、自分だったらSで十分。それだけ上乗せするなら、ナビなどのオプション を充実させたほうがいいかなと思ってしまいます。

さて、先日書いたシートヒーターの話。前バージョンでは、寒冷地仕様にのみセットになっていて、メーカーオプションとして設定されていました。つまり、後付できないわけで、シートヒーターの人気が無いのではなく、気が付いたらもう付けられないということ。

首都圏あたりで、寒冷地仕様の選択はほぼ有り得ないわけで、しかもリアランプの片方がリアフォグというよくわからない仕様でしたから、 残念を通り越してしまいました。

これだけにこだわってもしょうがないと言われればそれまでの話ですが、シートヒーターはスタート直後から温かくて、ハイブリッド車の欠点をうまく補う強力なオプションだと思うんですけど・・・特に、今みたいに寒いとね。

マイナーチェンジで、アクアのようにシートヒーター単独のメーカーオプションがあれば、ほんと!! 買い換えたいくらい欲しい機能なんですが、どこにもその文字が見当たらない。

そこで、タイヤ交換の際にトヨタの営業マンに尋ねてみました。やはり、無い!!そうで、寒冷地仕様からもはずされているそうです。

Amazonとかで、暖かグッズをいろいろ探すのですが、車用のシートヒーターもファンヒーターも試しましたがまったく役立たずで、それに替わるものはなかなか見つけられません。

今年も、朝の20分程度の通勤では、到着する頃に温かくなってくるということで、着膨れして運転するしかないようです。

2014年12月19日金曜日

歳末のあわただしさ

爆弾低気圧による列島寒波だそうで、とにかく寒い!! 北日本だけでなく、昨日は名古屋でも大雪だそうで、このあたりはまだ陽が出るだけましなんでしょうか。

12月としてはまだ10日以上残っていますが、1年で考えるとあとわずか。もう今年はおわったな感が、色濃く漂うようになってきました。

古典的には12月28日が御用納めですが、今時は来週23日の天皇誕生日あたりから休暇に入る人もけっこういるようです。となると、年内になんとかしたいことは今週中にというわけなのか、クリニックもなんか忙しい。

年が明ければ、また普通の日常が待っているわけで、そんなにあせって何かをしないといけないわけではありませんが、やはり一つの区切りですからね。

年末に消耗品が無くなると困る(かもしれない)ので、思わずいろいろと取り揃えてしまいます。特に診療に関わるものは、有りませんというわけにもいかない。骨折してます、ギプスはありませんのでサヨウナラでは情け無い。

とにかく、最後まで気を抜かずに診療したい思います。年末は29日午前11時30分までの受付です。年明けは5日月曜日からです。よろしくお願いします。

2014年12月18日木曜日

寒い!! プリウスα

トヨタのハイブリッド車にとって、いよいよ寒さが本格化して、辛い季節になりました。

我が家のプリウスα君の外面は、霜が降りるどころか、水滴がカチンコチンに凍っています。走り出す前に、フロントガラスのこれらを取り除くだけでも大変です。

もう言い古されたことだとは思いますが、ハイブリッド車はエンジンをできるだけ使わず、モーターによって走ろうとするわけですから、なかなかエンジンが温まらない。

車の暖房は、エンジンの熱を利用しているので、エアコンから出る空気はいつまでたっても冷風のまま。そのかわり、ガソリンの消費を抑えて、燃費のよさが売り。

アクアは、オプションで単独のシートヒーターが選択可能で、これの威力はなかなかのもの。ポカポカして、エアコンが温まらなくてもほとんど気にならない。αでは、もともと寒冷地仕様でのみだったので、まぁ普通関東で寒冷地仕様は選びません。

11月にαはマイナーチェンジしましたが、シートヒーターの単独オプションがあれば、それだけで買い換えたいくらいのものです。ところが、HPを見ていてもシートヒーターという文字が見つけられません、何か別の対策が施されたのでしょうか?

昨年は、Amazonでシートヒーターを買ってみましたが、断線したのか、1週間もたたないうちに使い物にならなくなりました。

結局、エンジンが動く事が多くなってしまうので、燃費はどんどん下がってしまいます。街乗り中心でも、秋は20km/Lを越えていましたが、最近は18km/Lをキープできません。下手すると16台になりそうな感じ。

もっとも、去年の冬は14前後だったことを考えると、まだましなんですけどね。

2014年12月17日水曜日

バッハのカンタータCD

バッハのカンタータ全集いろいろ、というタイトルを書いたのが半年前の事。意外に、このブログへのアクセス数としては、最近のものでは高い。けっこう、同じような趣味の人がいたりするのかと、楽しくなります。

カンタータ素人の自分が探して書き留めたメモみたいなものですが、半年たってだいぶ知識も増えてきましたので、再度まとめてみます。と言っても、新たに全集がふえたわけではありません。

まずは、もう一度、出ている全集の整理から。

約200曲ある教会カンタータを網羅した最初の全集は、ヘルムート・リリング指揮、シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム。録音は70~80年代にかけて行われ、モダン楽器によるもので、世俗カンタータも含みます。これはHensslerのバッハ全集にまるごと含まれています。

続いて登場たのが、ニコラス・アーノンクールとグスタフ・レオンハルトが共同制作したもので、古楽器を用いた最初の全集になりました。およそ2/3がアーノンクール、1/3がレオンハルトが担当していて、BWV番号順に収録されています。純粋な世俗や世俗っぽいものは含みません。

TELDECのバッハ全集である「BACH2000」に含まれ、現在はWernerから発売されているバッハ全集として入手可能。バッハのすべての全集としても、カンタータ単独の全集としても、比較的購入しやすい価格です。

クラシックの廉価レーベルとして知られるBrilliantがバッハ全集を制作するに当たり、1999年から2000年に集中的に録音されたのがピーター・ヤン・リューシンク指揮、ネザーランド・バッハ・コレギウムによるもの。当然、一番安い。カンタータのみのボックスもあります。

次がトン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック・オーケストラが、1994~2003年にかけて作曲年代順に録音されたもの。途中で挫折しそうになりながらも完成。世俗カンタータ、小ミサ曲、断片なども含みます。ただし、ボックスはあまり出回っていないし、中古でもけっこう値段が高いために、手に入れにくい。せっかくの偉業なのに、聴ける人は数少ないのでは。

そして、1999年のクリスマスからスタートし、1年間かけて毎週教会暦に沿ってライブ演奏する「カンタータ巡礼」の企画を収録したのがジョン・エリオット・ガーディナー指揮、イングリッシュ・バロック・ソロイスト、モンテヴェルディ合唱団 。当初ARCHIVから4枚のCDが発売されましたが頓挫。ガーディナーが自らSDGレーベルを立ち上げこつこつと発売し、先行したArchiv盤も含めた全集として今年完結しました。

自分がメインで聴いているセットはこれですが、価格も良心的で、一番手に入れ易いセットだと思います。ただし、残念ながら世俗カンタータは含まれません。

さらに今年発売されたのが、我が日本の鈴木雅明指揮、バッハ・コレギウム・ジャパンによるもの。1995年からスタートし、スウェーデンのBISレーベルが一貫して高水準の録音で作曲順に世界に発信し続け、昨年完結したもの。世俗カンタータは、現在別に進行中で、今のところ4枚のCDが発売されています。

5月に限定発売されたものの、すぐに完売。来年春に限定再生産が決まりましたが、とにかく値段が高い。それもそのはずで、すべてSACDになっています。清水の舞台から飛び降りた気持ちで、ついつい買ってしまいました。ガーディナー盤と聴き比べながら、楽しんでいます。


以上、全集として完成されたものは6種類。何しろCDで50枚以上必要な量ですから、そうそう簡単に企画制作されるものではありません。いずれも偉業として讃えられるものばかりです。

さて、残念ながら全集とはいきませんが、まとまった録音を残している演奏家もいます。

まずは、いまだに神格化され、バッハならリヒターと言う人が多数存在し、古楽器での演奏が主流になっている現在でも、無視して通り過ぎる事ができないのがねカール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ・オーケストラ。70~80年代の収録で、CD26枚のセットが発売されています。

最初に出たものは、かなりのプレミアがついていますが、最近廉価なボックスが出ました。ただし、これも売り切れ状態で、安く手に入れるのはなかなか難しいかも。

自分はたまたま、最初のボックスを破格の値段の中古で購入できました。ただし、ガーディナーの古楽演奏から入った者としては、正直この演奏は「大げさ」な感じがしてしまい辛い。

フリッツ・ヴェルナーも、リヒターと同じ時代で、20枚のCDにまとめられボックス化され安く入手可能。ヴィンシャーマンも、まとまった録音を残していて、以前に5枚のCDとしてまとめられましたが、廃盤でほとんど中古も出回っていません。

これらは、いずれもモダン楽器による、古いバッハ解釈、つまり厚化粧のバッハという評価は間違ってはいませんが、バッハを現代世界に広めた功績は消えるものではありません。

80年代以降、古楽器を用いてピリオド奏法による、実像に近づくバッハの素顔が見え隠れする演奏が増えはじめました。いまのところ、最も多くの録音をしているのが、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮、コンソート・ボカーレ・ゲントでしょうか。Harminoa MundiとVirginに20枚程度の録音がありますが、テーマ別に収録していて、全集にしようという感じてはありません。

現役トーマスカントルのビラーがゲバントハウス・オーケストラ、トーマス少年合唱団とともに収録したカンタータ選集は、 テーマ別でCD10枚が発売されていて、真のバッハの音楽の一面を聴くことができます。

1982年にジョシュア・リフキンが提唱したOVPP方式は、当初受け入れられませんでしたが、本人が実証しようと数枚のカンタータCDを制作しています。それらは、とにかくやってみた感は否めません。面白いのは、バッハ・コンチェルティノ大阪と組んで、一部だけが残されている「満ち足れるプライセの都よ(BWV216)」復元演奏というのがあったりします。

しかし、バッハがそんなに大人数の歌手や楽器奏者を集めることはできなかっただろうことは、数々の研究でも認められるようになり、賛同する演奏は着実に増えています。




確かに、毎週教会にコンサート規模の人数を集めて演奏会をするというのは、現代であっても現実的とは思えませんから、少人数の室内楽としての音の方が、300年前のライプツィヒを再現しているように思えます。

現在本気でOVPPに取り組んで成功しているのがシギヴァルド・クイケン。レオンハルトから受け継いだ手兵のラ・プティット・バンドとともに、2006年からスタートし、教会暦に沿ってセレクトして現在までに18枚のCDがSACDで発売されています。

もともと20枚のセットとして計画されたようで、もう少しでゴール。ところが、計画は遅れ気味で、なおかつ政府からの補助金がなくなり名門ラ・プティット・バンドそのものの存続が危ぶまれていて心配です。そういう状況では、当然全集は無理でしょうね。

同じくOVPP方式で、なかなか秀逸な録音をいくつか行っているのが、ピエール・ピエロットと彼が率いるリチュルカーレ・コンソート。 テーマを決めたアルバムが数枚でていますが、深みのある優秀な録音によって、人数の少なさをうまくカバーしているところもあり、今後が期待されます。

特に、カンタータではありませんが、マグニフィカトのOVPPは、他には見つけられません。祝典的な華麗な冒頭ですが、人数の少なさはほとんど気になりません。

あと、ちよっと興味があるのですが、CDが高いので手が出ないものに、ルドルフ・ルッツ指揮、バッハ財団の演奏というシリーズが出ています。一応、全曲制覇する予定らしいのですが、櫻田亮なども参加していたりして注目ではあります。

番外として、ヘルヴィヒが偽作とされるカンタータ集を収録したものがあり、BWV番号の抜けたところにどんな音楽があったのかという興味を満たしてくれる、なかなか面白いものです。

カンタータ趣味事始からまだ1年の初心者ですから、まだまだ把握できていないものも多数あることと思いますが、今のところこのくらいをセレクトできれば十分かなと思っています。

2014年12月16日火曜日

2014年忘年会

そうだ! 忘年会のこと、書くのを忘れていた。

このブログの側面として、後で「えーっと、2014年の忘年会はいつどこでやったんだっけ」という時にわかるというのが、けっこう大事。

当然、誰かが読んだとしても、まったく毒にも薬にもならない話ですけど・・・

今年の忘年会は先週の土曜日に、いつものお店で行いました。開院以来、最多の利用回数になっているセンター南の居酒屋です。

先に苦言を一言。時期が時期ですから、混んでいて大変なのかもしれませんが、注文がいつまでも来ないし、そうかと思うと、なんかやたらと同じものが来たり。

メニューも先に「鍋」に限定されて、美味くないとは言いませんが、別に食べたいものじゃありません。焼き鳥で「ネギ間」がないって、それ基本でしょう!! という感じ。

これまで、お気に入りの店だったんですが・・・残念な感じは否めない。

それはともかく、日頃がんばっているクリニックスタッフには、それなりに楽しんでもらえたでしょうか。

例年、「院長セレクト・クリスマス・ブレゼント」を用意して、ゲームで争奪戦を行うのですが、去年はばば抜きをしました。

トランプを二組混ぜて、カードの枚数を増やしたのですが、あまり意味はなくて、けっこうすぐに終了してしまいました。

そこで、今年はやはり二組ばば抜きのリベンジということで、色縛りのルールを追加してみました。つまり、数字が一緒だけでなく、色も黒と黒、赤と赤というゆうに合っていないと捨てられません。

さてさて、実際やってみると・・・けっこう時間がかかる。いや、かかりすぎかも。途中で間延びしてしまい、人数が多いので、自分の番がなかなかまわってこない。

来年は、10周年忘年会なので、しっかりゲームを考えないといけません。

それはともかく、それなれに今年の疲れを癒して、来年へのエネルギーをチャージ!! ・・・して、もらえたでしょうか。

2014年12月15日月曜日

バッハは嫌な奴

ヨハン・セバスチャン・バッハについて、いろいろと本を読んだり、ネットを検索したり、そして音楽を聴きこんだりしていくと、この天才音楽家の人間としての興味が尽きません。

あまり多いとは言えない、いろいろな残されたエピソードは、バッハという人物像についてあまりいい印象は与えません。

まぁ、はっきり言って、頑固で扱いにくい、上司に持っても部下に持っても面倒くさい人だったのではないかと思います。周囲からの干渉を嫌い、一人で自分のやりたいように黙々と仕事をこなすような職人というところなんでしょうか。

バッハがアルンシュタットの教会オルガン奏者として、事実上プロの音楽家としてスタートしたのは、1703年わずか18歳のとき。

1706年に聖職会議に召喚された時の記録が残っていて、そのときの模様をわかりやすくするとこんな感じ。

議長「バッハ君、本日、君を呼び出しの他でもない、ずいぶんと長いこと仕事をほったらかして旅行してたことを説明してもらい」

バッハ「自分の芸術性を高めるための旅行をしてました。ちゃんと教区監督にOK貰っている」

教区監督「彼が願い出たのは4週間です。ところが、帰ってきたのは4ヶ月もたってからです」

バッハ「だって、仕事のオルガン演奏は代理のものがちゃんとやったはずでしょう。私が怒られる筋合いじゃない」

議長「バッハ君、君はこれまでにも今までとずいぶんと違ったオルガン演奏をして、会衆者を困らせているそうじゃないか。それに周囲との合奏をしないようだが、やる気がないなら他の者を雇うので、その点もはっきりしたまえ」

バッハ「教区監督がまともなら、合奏だって何だってしますよ」

生徒「バッハさんは教区監督殿に演奏が長いと言われたら、次の日から極端に短い演奏をするようになりました」

議長「とにかく8日以内に、辞めるのか続けるのかはっきりさせたまえ」

こりゃまた、ずいぶんと不遜な態度と言わざるをえません。自分の身勝手を棚に上げて、公の場で上司を批判しているわけですから。

そもそも代理が仕事をやったからいいじゃないかというのは、自分でなくてもいいと自ら認めているようなものです。

バッハはこのとき、リューベックに赴いたのですが、その目的はすでに高名であったブクステフーデに会うためでした。ブクステフーデからは、バッハのオルガン演奏は大変気にいられ、場合によっては自分の後釜に座らないかという話まで出たのです。

それで、ついつい長居をして、本来の仕事を顧みなかったのですが、この話にはオチがあります。自分の地位を譲る代わりに、ブクステフーデの婚期を逃した娘と結婚して欲しいという条件が出されて、バッハはほうほうの態で逃げ帰ってきました。

同じ聖職会議の議事録には、 こんなのもあります。

議長「バッハ君、君は生徒たちとうまくやっていないそうだね。一人に下手くそなファゴット吹きといって侮辱したそうだね」

バッハ「生徒たちの演奏能力が低いんですよ。彼は広場で私に襲いかかって来ました。しかたがないので、剣で応戦しましたけどね」

議長「みんな欠点があるのだから、それを認めてうまくやってくれないと困る」

生徒たちがバッハの音楽を演奏するのにはレベルが低いわけですが、だからといって彼らを教育する気はなく、オルガン主体の音楽に専念していたらしい。それにしても、教会のオルガン奏者がふだんから剣を持ち歩いているというのも驚きです。

ライプツィヒで、市当局との折り合いがだんだん悪くなった頃、従弟もヨハン・エリアスに宛てた手紙というのも面白い。

贈り物のブドウ酒に対する「お礼」の内容ですが、お礼よりも運搬されてくる途中でほとんどが破損してしまい、配達人に対する手間賃などを払い、税金も取られたのでずいぶん高くついたことを書き残しています。

こんな話ばかり見つけると、ずいぶんと嫌な奴だったんだなぁという感じなのですが、芸術家として考えれば、自分の音楽に対して妥協のない一貫した態度が、数々の傑作を産む土壤になっていたと、善意に解釈するしかありませんよね。


2014年12月14日日曜日

待降節第3主日

待降節も今日で第3主日となり、あっというまにあと1回をのこすのみ。クリスマスが、足早に近づいています。日本人的には、♪もう、いーくつ寝ると、お正月、と歌いたくなるところ。

この日のバッハのカンタータは、
BWV186a 魂よ、つまずくなかれ (1716)
の一曲だけですが、BWV番号にaが付いているので、当然残っていません。

BWV186aでは合唱、コラール、アリアからなる6曲構成で、レチタティーボがはさまれていませんでしたが後に追加され、2部構成に拡大されたのがBWV186で、ライプツィヒでの最初の三位一体節後第7主日に演奏されました。

以上です。なにしろライプツィヒでは、待降節中は演奏が禁止されていたので、どうも話が短くなってしまいます。

重ねて言いますが、自分はキリスト教徒ではありません。医者ですから、理系のはしくれ。どうしても、理屈で理解しようとする傾向が強い。ですから、イエスが蘇生復活するということは、現実的に不可能という考えが勝ってしまいます。

日本人ですから仏教によるいろいろな行事をこなしていますが、どちらかというと、無宗教に近く、「神」とか「仏」とか、あるいは「魂」などは、存在を否定する根拠は持ち合わせていませんが、逆に存在する確証も無い。

キリスト教の基本的な考え方に、「信じるものは救われる」というのがあります。おそらく、イエスという人物が存在し、当時の人々に対して宗教活動と言えることを行ったのだろうと思います。

イエスは、ユダヤ教でいう救世主(メシア、キリスト)と崇められたのでしょうが、時の政治からは邪魔な存在として抹殺されたところまでは、歴史上の事実として認めてもいいでしょう。

ただし、本来はそれで終結する話であって、実際に終結していればキリスト教という宗教は存在しなかったはずです。

イエスが処刑された3日後に復活したということで、イエスの弟子たちが、死後にイエスのカリスマ性を強調することが可能になり宗教として成立することが可能になったはずです。

この点については、新約聖書の4つの福音書に、処刑された後3日目に墓が空になっていることでイエスが蘇生したということにしています。つまり蘇生する状況については記述はなく、あくまでも状況証拠のみ。

復活後に40日間活躍した人物がいたとしても、キリスト教内部からの記述によるだけで、それがイエスと同一人物である客観的な第三者による記録はありません(たぶん)。ましてや、「昇天」というイベントも理論的には説明不能な超自然現象であることは間違いありません。

ですから、「信じる」べきものはイエスの復活・昇天であり、まずこれを無条件に受け入れる事がキリスト教徒としての本来のスタートなのだろうと思います。

しかし、キリスト教では、人の子であるイエスを昇天させ神としてしまったことで、三位一体という非論理的「言い訳」を作り出し、自己矛盾を持ち続けていることになります。

18世紀のヨーロッパに巻き起こった啓蒙思想は、これらの矛盾点を非事実として受け止めた上で、近代キリスト教へと発展させたのだろうと思います。

なんか、難しいことばかり考えてしまいましたが、要するに何が言いたいかというと、ヨハン・セバスチャン・バッハはそういう過渡期に活躍し、明らかに啓蒙主義に晒される前の旧世代の敬虔なルター派プロテスタントのキリスト教徒だったということです。


2014年12月13日土曜日

今年の漢字

ことし1年の世相を漢字一文字で表す「今年の漢字」が京都の清水寺で発表され、消費税の増税が話題になったことなどを理由に「税」という字が選ばれました。

・・・という、年の瀬が近づくと毎年の話題。まぁ、確かに「それもあったなぁ」という程度で、人それぞれですから必ずしもその通りともいえないことはよくあること。

特に文句を言うほどのことではありませんが、これが始まって今年で20年目だそうです。なんか、もっと前からやっているような気がしていましたが、意外と新しい。

清水寺の住職が書き上げる文字は見事ですが、これを決めているのは日本漢字能力検定協会という団体。てっきり、住職が一人でもんもんと考えているのか思っていました。

HPに、今までの 選ばれた漢字が掲載されています。あらためて眺めていると、この20年間にあったことをいろいろ思い出しますね。

今年の「税」というのは、あまりぴんとこないのですが、できれば良いイメージの漢字が並ぶほうがいいですね。

自分にとって今年一年の漢字を選べと言われたら、良いイメージにしたいのですが、周囲に病気が多かった年で、必ずしも楽しいものではありませんでした。

そこで、来年は逆転することを願って、



を選んでおきたいと思います。

2014年12月12日金曜日

昭和のお菓子

こどもの時食べたお菓子というものは楽しかった・・・ごはんも楽しかったと思いますが、時には嫌いなものも出てくるし、無意識に義務感みたいなものもありました。

時代や地域によって、記憶に残るお菓子はちがうと思いますが、自分の場合は「終戦後」をひきずったようなものが中心でした。

つまり、キャラメル、チョコレート、ガム。これが三種の神器みたいなところで、家の近くのお菓子屋さんで買えました。

キャラメルは、グリコと明治。チョコレートは、明治と森永。ガムは、ロッテとフルヤとマルカワ。ハリスとかカバヤなんていうメーカーもありました。

だいたいこれらのお菓子には、テレビ・アニメのキャラクター・グッズがおまけでついていました。とは言っても、そのほとんどは シール。転写式と言って、貼りたいところにあてて上からこすると絵だけがうつるというもの。

これが、一度つくと取り除くのがけっこうやっかいなもので、学習机とか本棚のあちこちに鉄人28号や鉄腕アトムがベタベタと張り付いていました。

それ以外で、けっこう人気があったのは粉ジュース。本来は水に溶かして飲むためのものでしょうが、これを粉のままなめて楽しむのが主流。狼少年ケンのシールが目当てでしたが、合成甘味料のチクロが社会問題になって消えてしまいました。

意外なところで、お菓子ではありませんが、丸美屋ののりたまのふりかけが嬉しい。もちろんおまけのシールがついていたからで、ふりかけに混ざって8マンが出てきたものです。

たまに親が買ってくるポテトチップとポップコーンは、いわゆるスナック菓子の基本形で、アメリカからの舶来品ということでも高級感があって嬉しかったものです。

どちらも塩味だけですが、ポテトチップ派とポップコーン派にわかれて、どちらがより旨いかみたいなどうでもいい争いをしていました。

スナック菓子というのは、かっぱえびせんとかが日本では元祖みたいになっていますが、「やめられない、とまらない」のキャッチフレーズは覚えていますが、それほど食べた記憶が無い。

ビスケットは、パサパサしているだけで人気はありませんでした。お煎餅でしたら、丸い草加煎餅が中心。ケーキといえば、ほぼいちごショートだけと言ってもいい。

日本人のグルメ志向が強くなるのは、80年代からでバブル期にピークを迎えます。その後は健康志向が入ってきますが、本質的に双方の志向は相容れないところがある。

お菓子のジャンルでも、それは当てはまります。今は凝りに凝ったものが山ほどありますが、美味しいものほど危険なワナがたくさんありますよね。

2014年12月11日木曜日

サンタさん、いざ出陣!!

毎年、うちのクリニックでは、この時期になるとサンタさんの折り紙を、自分も含めてスタッフ全員で折ります。

もちろん、ちょっと時間が出来たときを利用してなのですが、今年は11月半ばから折り始めて、ついに500個作りました。

完成した姿は、以前のブログを見てもらうとして、去年は400個で、今年も同じ位の数があればいいかと思っていたんですが・・・

実は、このサンタさんにはポケットがあって、ここにお菓子を入れて患者さんに差し上げています。用意したお菓子が、数えたら500個以上ありそうなので、急遽増産体勢に入りました。

今年は、サンタさんではなくて妖怪ウォッチ・バージョンもあったりします。

そんなわけで、大量のサンタさんがスタンバイOKということで、いよいよ今日から配ります。
クリスマスまでの2週間、さすがに500個あれば余裕で足りる事と思います。

が、・・・しかし、もしも、もしも、無くなっていたら御免なさい。

2014年12月10日水曜日

ヨハネ受難曲 Part 2

マタイ受難曲、ロ短調ミサ曲と肩を並べるバッハの体表曲だけに、ヨハネ受難曲のCDもかなり多い。それらを全部聴くことは、到底無理ですが、いくつか聴けたものを整理してみます。

モダン楽器による演奏としては、カール・リヒター、フリッツ・ウェルナーらのものが有名。リヒターは、その特徴であるゆったりとしたテンポで重みのある演奏で悪くはないのですが、合唱団の力不足は否めません。

バッハというとリヒターは神格化された存在で、批判的なことは書きにくいのですが、リヒターの信仰に基づく使命感のようなものが、団員の訓練不足を補っているということは否定できないところだと思います。

あとは、古楽器を用いるピリオド奏法によるものの紹介になります。

 第4稿で演奏しているのが、ヘルマン・マックスと鈴木雅明。どちらもすぐれた演奏で、当然リヒターよりも速く、演奏者の人数も少ないのですが、けして受難という悲劇の重さの表現力は劣っていません。

鈴木雅明とBCJの演奏はライブのDVDもリリースされていて、基本的には同じような演奏ですが、ライブの緊張感がダイレクトに視覚的に伝わってくる素晴らしいものになっています。

われらがガーディナー先生は2度録音していますが、どちらがいいということはなく、いずれもモンテヴェルディ合唱団の実力を見せつける演奏になっています。

トン・コープマンのものは、録音のせいか低音が遠くて合唱が強調されすぎの感があります。合唱だけなら、ガーディナー盤には到底勝てそうもない。

リフキン提唱のOVPP(one voice per part)式を実践したのが、アンドリュー・パロットと最近ではフィリップ・ピエロット、シギヴァルト・クイケンです。楽器も歌い手も絞り込んだ分、各声部の分離がよく聴き取りやすい。

特にクイケンは、楽器と声のバランスもよく、合唱での人数の少なさをうまくカバーしています。ただし、合唱重視のヨハネでは、どうしても物足りなさも感じてしまうのはやむをえません。

OVPP系では、もう一人注目されるのがジョン・バット。1739年版総譜を中心にした演奏ですが、面白いのはバッハの時代の典礼の形式に準拠した構成をとっていること。

まず入場用のオルガン・コラールから始まり、会衆によるコラールの合唱、さらに神父入場のためのオルガン前奏曲のあと、おもむろにヨハネ受難曲の冒頭合唱が始まります。

第一部が終了すると、コラール合唱が入って神父による説教が1時間弱はいります。第2部のあとも、コラールの合唱などがあって終了するというもの。さすがに説教はCDには収録されておらず、聴きたい人はHPからダウンロードするようになっています。

これらの付加的な音楽が邪魔になることはなく、実際の現場にいるかのような錯覚を起こさせるほど、うまく融和していて、長い礼拝の中で、バッハが目指していた音楽の形の一端が見えてくるような気がします。

バッハの合唱団は、基本的にはトーマス学校の男子生徒だったわけですから、少年合唱によるものを聴きたいというのであれば、現代のトーマスカントル、ビラーによるトーマス教会合唱団のものがあります。

そして、バッハ演奏家として有名なフィッリプ・ヘレヴェッヘは2度の録音がありますが、2001年に録音したのは、なんと1725年の第2稿バージョンの復元でした。うーん、さすがにあの冒頭が無いと中途半端に始まったヨハネという感じで、これは学者的な興味が勝りすぎた感は否めない。

というわけで、合唱重視のヨハネ受難曲では、ヘルマン・マックスが一押し。映像でなら鈴木雅明、OVPPならバットをお勧めしたくなります。

2014年12月9日火曜日

ヨハネ受難曲 Part 1

語られ尽くした話ですが、出だしの持続的な低音の不協和音と弦の上昇と下降が、いきなりその場の雰囲気を作り出します。これから、イエスの受難の物語が始まることを、嫌が応にも知らしめる効果は絶大です。

そして、突然始まる悲痛な「主よ!」と叫ぶ合唱が、この曲の性格を雄弁に語っています。確かにこの冒頭曲だけでも、現代の自分の耳にも釘づけにさせるだけの大きな魅力が詰まっています。

初演は1724年4月7日、ライプツィヒの聖ニコライ教会でのこと。300年前、厳格なルター派プロテスタントで、道徳的にも保守的な土地柄のライプツィヒの市民であれば、おそらく今までに耳にしたこともない強烈な音楽に度肝を抜かれたことでしょう。

ちなみに、ライプツィヒ市内には聖トーマス教会と聖ニコライ教会の仏の大きな教会があり、トーマスカントルはその両教会の音楽についての責任がありました。聖金曜日の受難曲のような大きなイベントは、毎年両教会で交互に行う決まりで、本来は1724年は聖ニコライ教会の番だったのです。

ところが、知ってか知らずか、バッハは当初聖トーマス教会での演奏を計画して、実際チラシも配布していました。当然、厳格な市当局の怒りを買うことになり、呼び出されたバッハは戒告を受けることになります。後年、あからさまになる市との確執の始まりが、すでにこの時期に始まっていたわけです。

ヨハネ受難曲は、バッハにとって、1723年6月にライフツィヒの聖トーマス教会のカントルに着任してから、初めての聖金曜日のために作曲したものです。後年のマタイ受難曲に比べると、規模は小さく(と言っても、全曲で2時間)、コラールが多く含まれていることもあって、合唱の比率が多い。

歌詞については、作者不詳となっているのですが、一部はテレマンやヘンデルが競作したことで知られるブロッケスの自由詩による受難曲からも流用されています。

ブロッケス受難曲は、聖書の語句から離れた自由詩によるもので、自由都市ハンブルグですでに10年ほど前から人気を博していたもので、すでに今のコンサートの元祖というべき形式での上演も行われていたのです。

バッハは生涯にわたって、聖書からの引用を重視していたので、その点が特に古臭いと感じられていたわけですが、より劇的効果が高い自由詩をまったく除外していたわけではありません。ただし、ブロッケスの詩の一部を使うに当たっては、過激な表現を簡素なものに改めたりはしているようです。

しかし、バッハ自身が厳格なプロテスタントであり、またライプツィヒ市当局からトーマスカントルに課せられた華美な装飾の除外という規律の相まって、聖句やコラールと自由詩のバランスをしっかり取ることで、教会音楽として神学と芸術の融合した革新的な作曲をしたと評価されています。

内容的なことは各種のソースにより詳しく紹介されていますので、付け焼刃の知識の自分が解説するまでもありません。 全体としてはヨハネの福音書を中心にして、いきなりイエスが捕まるところから始まり、緊張感の高い進行が特徴です。

バッハは、翌年の聖金曜日にもヨハネ受難曲を取り上げています。この時の第2稿は、大幅な組み換えがあり、最も特徴的な冒頭合唱がありません。以前の楽曲が新たに取り入れられたり、後年マタイ受難曲に移される曲が含まれていたとされますが、一部の譜面しか残っていないので全容はわかっていません。

1732年の上演で用いられた第3稿では、初期稿にほとんどが戻されたと考えられています。続いて1739年に再演が予定され、総譜が清書されたのですが、何らかのトラブルで中止になり、バッハの自筆譜面も中断しました。ただし、のちに弟子らの手によって初期稿からの写しによって不足分が補われました。

1749年にバッハ存命中最後の上演があり、初期稿を底本としていくつかの変更を含めて総譜が作られ、現在の新全集ではヨハネ受難曲の決定稿に位置づけられています。ただし、一般的に演奏されるのはバッハの1739年の自筆総譜と足りない部分は第4稿のパート譜を基にしています。


このような複雑な過程を経ていますが、バッハの宗教曲を聴いていく中で、避けては通れない名曲であることは間違いありません。

2014年12月8日月曜日

#3000

今日のブログで、エントリー数がついに3000になりました。ちなみにクリニックは、先週の金曜日から開院10年目に突入です。

一番最初の投稿は、2007年2月4日ですが、周囲でブログを書いている人が増えて、自分もやってみようと2007年初めから、いろいろなブログ・サービスで試行錯誤を始めていました。

ですから、本当に始めたのはいつかと聞かれると、自分でも正確にはよくわからない。しかも、当初は何を書いていいかもよくわからないので、ホームページにすでに出していた内容や、手持ちのネタなどをコピペしたりして投稿していました。

なんだかんだで、正式公開したのは7月24日から。正式にというのは、周りの人にブログを書き始めたことをしゃべったということと、ブログへのアクセス制限を無くしたということです。

初めは、ちょっと思いついたら、1日にいくつも投稿していましたから、1000番目はけっこう早くて2009年7月21日、ほぼ2年間で達成しました。

ネタもだんだん無くなってきますから、さすがにこのペースはつらい。このあたりから、日々の日記としての色合いが強くなって、1日に1つという感じになります。

2000番目は、実はすっかり忘れていて、気が付いたら通り過ぎていた。2012年3月あたりなのですが、1日一つよりも早まったのは、その前年に大震災があったから。

震災の影響で、伝えたいことが増えてしまったわけで、急な変更などの告知にはブログは大変便利なものでした。

そこからは、完全に1日ひとつのペースで今日にいたるわけです。再三書いていますが、今やこのブログは個人的な趣味に走り、自分の興味に対するノートと化しています。当然、誰かが読むことなどあまり考えていませんから、コメントもつくことはほとんど無くなりました。

今までに3000ちょっとのコメントが付いていますが、半分はコメントに対する自分のリアクションですから、実質的にはその半分。しかも、この数年は数えるくらいしかありません。

それでも、毎日150エントリーくらいが、誰かに読まれているというのも不思議な感じがします。

クリニックの宣伝という意味では、HPにしてもまったくヒットするための対策とか考えていないので、まぁブログでたくさん書けば下手に鉄砲数撃ちゃ当たる的な気持ち。

ですから、「横浜 リウマチ」で検索しても、うちのクリニックが出てくるのはずいぶんと後ろの方。「都筑区 リウマチ」だと最初の方に出てくる程度。

まぁ、そんなわけで、もう毎日書くことだけが習慣になってしまっただけのブログなんですが、やめるにやめられず、と云うかやめる理由も無いというところなんでしょうか。

2014年12月7日日曜日

待降節第2主日

今日のためのカンタータは、BWV70aしか残っていません。これは、ワイマール時代のもので、歌詞しか現存していません。

バッハは、ライプツィヒに着任した最初の年の三位一体節後第26主日に、これを転用して「目を覚まして祈れ、祈りて目を覚ましおれ(BWV70)」として演奏しました。ライプツィヒでは、待降節には盛大な音楽の演奏が禁じられていたためです。

というわけで、今日のカンタータについての話はこれで終わり。ちょっと、これでは短すぎ。

そこで、ヨハン・セバスチャン・バッハの音楽を聴いていく上で、知っておいた方がいい基礎的な項目である作品番号について整理しておきます。

教会カンタータには、第×番という呼び方もあるのですが、別にバッハが番号をふっていたわけではありません。ここで使っている数字はBWV番号というもの。

当時は、まだ印刷技術というのが確立していませんから、バッハが生前に出版できた譜面は数えるほどしかありません。

そのほとんどは、手書きの楽譜であり、バッハ本人、バッハの奥さん、バッハのこども、バッハの弟子などが記載したものが中心です。これを必要に応じて、持ち出して、時には貸し出したりしていたようです。

ですから、バッハ研究で問題になってくるのは、譜面の脱落、消失、散逸などともに、それが本当にバッハの作曲したものなのかどうかということ。そして、自作だとしても、大多数は正確な初演日程は不明ですし、そもそも曲の入れ替えや加筆が多すぎて、大多数で作曲順が特定できません。

バッハ自身は作品目録などを整備するという意識はありませんでした。自身も以前の作品の使いまわしは数多くやっているし、なかには他人の作品をぱくったりもしています。まだ、著作権という概念が成立する前の話なのです。

著作権という考え方がしっかりしてきて、自分の作品をきちっと出版することが重視されるようになるのは、ベートーヴェンの時代から。ですから、そのあたりからは自分の作曲したものには原則として作品番号がつくようになりました。

息子のC.P.E.バッハが、バッハの死後に略伝を書いています。そこに「5年分のカンタータと5つの受難曲を作曲した」と記載されているために、われわれはカンタータのうち100曲くらいが消失していると考えるわけです。

ところが、いろいろな研究から、近年は他人の作品なども含めて丸々5年間分の教会暦を埋めることができる楽譜を所蔵していたと考えるのが妥当とされています。

メンデスゾーンらによって、19世紀中頃にバッハが再認識され、バッハの作品を整理することが始まりました。この結果、バッハ全集というものが50年ほどかけて出版にこぎつきました。これは、バッハらしいもの含めて、集められるだけ集めたというもの。

BWV番号は、Bach-Werke-Verzeichnisの略で、正式にはバッハ作品主題目録番号というもので、バッハ全集の成果を基に1950年にヴォルフガンク・シュミーダーにより発表されたものです。番号は、作曲順ではなく、曲の特徴によってジャンル分けをして設定されました。

1950年から、再びいろいろな歴史的考証を含めて再検討がはじまり、BWV番号も1990年に改定されています。新しい研究の成果がまとめられ完成したのは2007年のこと。

これが現在「新バッハ全集」と呼ばれていて、以前のものを「旧バッハ全集」として区別しています。例えば重要な大曲であった「ルカ受難曲」は偽作であることが判明し、全集からはずされたりしています。

新全集には、研究成果を踏まえたBC番号というものが設定されていますが、これは曲のジャンルだけなく、できるだけ作曲順、初演順などを盛り込もうとしたもの。カンタータでは教会用と世俗用に大別され、教会暦順にふられています。

BWV70は、演奏可能な作品として譜面が確立できたもの。BWV70aのように、後ろにa、b、cなどが付くものは、その原型であったり、あるいは後日改訂したもので、曲全体の譜面が無かったり、歌詞だけだったりして全容が不明な場合です。

BWV番号は、現在1120まであり、散逸したもの、偽作の疑いの濃厚なものについては補遺としてAnh(anhang)が付加されています。

そんなわけで、バッハの声楽作品を楽しもうと思う場合、BWV番号順だとカンタータの番号は順番になりますが、カテゴリーが変更されたり、偽作が判明して抜けたものが多数ありかなり混乱します。

実際、頭から見ていくと、第11番は昇天節オラトリオとして、オラトリオに分類しなおされ抜けています。次に第15番は、もともと最初に作られたカンタータとして重視されていたのですが、ヨハン・ルードヴィヒ・バッハの作品であることが判明して欠番になってしまいました。

いくつか完成したカンタータ全集も、収録順はいろいろ。リリング、アーノンクール&レオンハルトのカンタータ全集では、BWV順に収録。コープマン、鈴木の場合は、作曲年代順、ガーディナーは教会暦にそってまとめて収録という具合に、それぞれ各人各様です。

その音楽そのものが気に入ったのなら、番号とかはどうでもいいことですし、場合によっては偽作であったとしても自分にとっての価値が下がるわけでもありません。

ただ、できればわかりやすく整理整頓されていることは、いろいろと便利なわけで、今後もしかしたら新々全集という形で変わってくることもあるかもしれません。

2014年12月6日土曜日

薄明光線

いろいろな気象現象に名前がついていますが、日頃何気なく見ている比較的ありふれたものは、その呼び名すら知らないことが多いものです。

例えばこれ。昨日の朝、低めで厚めの雲が浮かんでいて、その雲の切れ目から、朝の太陽の陽射しが放射状の光のシャワーのように見えていました。

しょっちゅう目にするものですから、いちいち気に留めることはないし、おーっと言って感動することもありません。

なのに、昨日はなんか思わず見入ってしまいました。別に理由は特にありませんが、何か綺麗だなぁ、くらいのことでしょうか。そう言えば、これ何て呼ぶんだろうと思ったわけ。

ネット検索してみると、薄い明かりの光の線と書いて「薄明光線(はくめいこうせん)」と呼ぶんだそうで、現象全体を指して光芒(こうぼう)、別名が「天使の梯子(てんしのはしご)」なのだとか。

当然、太陽を遮るだけの雲の厚みが必要。でも、雲が空を埋め尽くしていてはいけません。さらに空気中に適度の水分が無いとダメでしょうから、それなりに見ることができる条件が整う必要があります。

レンブラントは、光の魔術師と呼ばれますが、この現象も好んで描いています。レンブラントには、この光に沿って天使が降りてくる様子が見えていたのかもしれません。

2014年12月5日金曜日

開院記念日

12月5日は、あすなろ整形外科クリニックの開院記念日です。

大学病院だと、臨時休診になったりしますが、街のちいさなクリニックですから、休めるわけがありません。いつもと同じ、一年の中の一日に変わりありません。

これまで9年間やってきて、今日から10年目に入ります。来年の10周年記念日は、ちょうど土曜日になっていますので、胸を張って多少は盛大な忘年会ができるように、この1年間もがんばりたいと思います。

最初の3年間は、自分で言うのもなんですが、大変でした。何とかなったのは、家族の協力があってのこと。次の3年間で軌道に乗り始め、医療法人にすることができました。

この3年間は、出てきた余裕で、診療設備の充実をはかってきました。超音波検査機器の新規導入、骨密度計測器の買い替え、リハビリ機器の追加などで、患者さんによりよい医療を提供できるようになりました。

経営者としての才覚があれば、もっと早く軌道に乗せられたんでしょうけど、いまだに当直バイトに身を置く状態からは脱していません。10年たつと、開業時の借金もほとんど返済できるので、たぶん当直をしなくてもよくなる・・・ ・・・ と期待しています。

2014年12月4日木曜日

年末の街並

旧暦では小雪の末候で橘始黄に入り、来週からは大雪です。去年は、そんな暦にはまっていましたが、今年はヨーロッパの暦、それもキリスト教の暦を意識しているわけです。

日曜日から待降節に入り、いよいよクリスマスに向けてお祝い気分が解禁になったというところでしょうか。だからと言うわけでもないでしょうが、街並みも急にそれらしくなってきた。

昨夜は、リウマチの勉強会仲間とたまプラーザで飲み会・・・まぁ、いわゆる忘年会というわけで、ちょいと飲みすぎました。

気がついたら、お店で最後の客になっていました。そしたら、お店の大将が、サービスに柿を出してくれました。

柿と言っても、実は元は渋柿だそうで、これを焼酎に漬けておくと渋が抜けるんだそうです。二日酔いの予防になると言われて、美味しくいただきました。



2014年12月3日水曜日

リウマチはレントゲン不要

関節リウマチというと、かつては手足の変形を起こして、日常的なさまざまな障害を引き起こす代表的な病気でした。

・・・でした、と過去形なのは、2003年の生物学的製剤と呼ばれる革新的な薬の登場以来、骨破壊抑制効果が各種のテストで実証され、実際に使用している現場でも実感できるようになったからです。

その結果、骨変化を確認できる代表的な検査であるレントゲン写真の必要性は、ずいぶんと減ったと思います。

早期発見・早期治療が、ずいぶんと滲透してきたせいか、症状が出現してから来院するまでの期間が短縮されました。早ければ早いほど、骨変化はありませんから、当然レントゲン検査では異常がないことが多い。

治療を開始しても、外見での変形が進まないので、あまりレントゲンを確認する必要性が感じられない事が多い。

かわって重要性が増したのが、超音波検査とMRI検査です。何故かと言うと、軟部組織の評価ができるからです。リウマチで早期から認められる変化は、軟部組織である関節内の滑膜の炎症です。

MRIは、大きな装置が必要で、各診療施設が単独で持つのは難しい。その点、超音波検査の機器は手軽で、自分も利用しています。患者さんへの侵襲も無いので、大変有益な道具だと言えます。

じゃあ、レントゲン検査はもういらないのかというと、そうではありません。以前より、薬による肺の問題などが多くなっているので、胸部レントゲン検査は重要性が増しました。

関節のレントゲンは、薬の効果がなかなか出ない患者さんが一定の割合で存在する以上、どうしても必要なときがあります。ですから、手術などの外科的な治療が完全に必要なくなることは、現状ではありません。

治療方法の変化は、診断学にも大きな影響を及ぼしたわけ、今後も日進月歩の医学の世界ですから、今やっていることも古臭いといわれることも、そう遠からずやってくるかもしれません。

2014年12月2日火曜日

サル3つ

世の中には、あまり楽しくないことがあったりします。

そんな時は・・・


あえて、見なかったことにしたりします。



いろいろな秘密を知ってしまうと、ついつい誰かに話したくなります。

でも、軽々しくしゃべるわけにはいきません。

そんな時は・・・


口が堅いことは、人としての信用に関わります。



いろいろな制約を受けていると・・・

人生つまりません。


そう思うあなた、

いろいろな噂が耳に入ってくるかもしれませんが・・・


ぜひ、

そんな時は、

・・・・


・・・・










ぱーっと行きましょう。

ぱーっと。


着飾る、でした (^_^;)

2014年12月1日月曜日

クリスマス・オラトリオ

本当に、本当に、早いものて、もう12月。1年なんて、あっという間です。そう考えると、人の一生なんてものも、宇宙全体の時間軸からすれば、ほんのほこり程度のもので、毎日あれこれやっているのも、大したことではないのかもしれません。

興味が無い方には、まったく意味のないことではありますが、300年前の・・・とくると、あーまたバッハの話かいと・・・その通りなんですが、例えば300年前のドイツの地方都市のライプツィヒで、人々はどんな暮らしをしていたのかと。

みんな敬虔なルター派プロテスタントのクリスチャンで、毎週日曜日ともなると、12月のまだ暗くて寒い朝から、みんなが着飾って教会へ向かうんですよ。

道路はもちろん舗装なんてされていませんから、馬車の轍は雪が残ってぬかるんでいるかもしれません。ヒートテックだって無いわけですから、紳士淑女の皆さんは、やたらと着膨れしてなおさら歩きにくい。

教会についても、石造りのやたらと天井が高い空間ですから、当然冷え切っているわけです。きっと、隣の人と触れるくらいに近づいて着席していたんでしょうね。それでも、1か月後にせまったクリスマスを楽しみにして、蝋燭に火を灯したことでしょう。

さて、クリスマスはキリスト教の暦の中でも、お祝いムード豊かな大きなイベントです。バッハは、このクリスマスから新年に続く降臨節のために、わざわざ特別な音楽を用意したのは1734年のことでした。

ひとつひとつは独立した20分程度の、通常のカンタータと同じような構成ですが、明らかに関連性をもたせた6部61曲からなる連作として作られています。そして、バッハ自筆の総譜には「オラトリオ」という記載が残されています。

オラトリオは、聖書などの宗教的題材をもとにして、一定のストーリーのもと、器楽演奏、独唱、重唱、合唱などのいろいろな形式の音楽の組み合わせから成り立っています。世俗的なストーリーを持つオペラと似ている部分がありますが、演技や小道具はありません。

オラトリオの中で、特にイエスの受難の話に絞ったものを受難曲と呼んでいます。 これは17世紀なかばからドイツで流行った形式で、バッハの代表的な宗教曲である、マタイ受難曲やヨハネ受難曲がこれにあたります。

実際には18世紀初頭からは、テレマンやヘンデルらによる、聖書の文章に制約を受けない自由詩によるものが人気がありました。バッハも受難曲の中に一部自由詩を取り入れていたものの、聖書の語句やコラールにこだわるところが、当時としては古臭い感じだったのかもしれません。

クリスマス・オラトリオ BWV248 には自由詩がかなり取り入れられていますが、その作者は不明で、おそらまマタイ受難曲と同じピカンダーと推測されています。

最大の特徴は、その1~2年ほど前に演奏した世俗カンタータからのパロディがほとんどを占めている点にあります。特に主要部分に引用されているのは、BWV213 「岐路に立つヘラクレス(1733年9月」、BWV214 「太鼓よとどろき、ラッパよ響け(1733年12月)」の2つ。

ほかにも、わずか2か月前に初演したBWV215 「おのが幸を讃えよ、祝されしザクセン」、同じく直前に作られ今は失われているカンタータ(BWV248a)、失われた1731年のマルコ受難曲の一部などがパロディとして転用されていることがわかっています。

第1部 歓呼の声を放て、喜び踊れ
 降誕節第1祝日(12/25)
第2部 このあたりに羊飼いおりて
 降誕節第2祝日(12/26)
第3部 天を統べたもう君よ
 降誕節第3祝日(12/27)
第4部 ひれ伏せ、感謝もて
 新年・キリストの割礼と命名祝日(1/1)
第5部 栄光あれと、神よ、汝に歌わん
 新年後第1日曜日
第6部 主よ、勝ち誇れる敵どもの息まくとき
 顕現節(1/6)

全体を通して、基本的には管楽器を多用して祝典色の強い、歓喜の調べが基調になっています。もちろんバッハは、その日の中でも多彩な調性やテンポを織り交ぜて、さすがの作りになっていますので、2時間強を続けて聴いても飽きません。

受難曲に比べると、やや人気の点で劣るのか、録音は少なめ。基本的に、4大宗教曲すべてを制覇するつもりが無いと、演奏されないようです。たとえば、カラヤンもマタイとロ短調ミサだけで満足なのか、ほかのものは録音がありません(何故かマニフィカトだけある)。

ガーディナー先生は、1987年の録音があり、さすがのモンテヴェルディ合唱団の見事さもあいまって大変素晴らしい。実は1999年のクリスマスから始まった、教会歴に沿って毎週カンタータを連続演奏する「カンタータ巡礼」のトップに演奏されたのがクリスマス・オラトリオでした。

この時の模様がDVDになっていて、しかも輸入盤でも日本語字幕付きなんです。視覚的にも楽しめて、カンタータ巡礼のスタートだけに、こちらの演奏の方が緊張感もあって素晴らしい演奏になっていると思います(最近Blurayでも発売されています)。

クリスマス近くには、クイケンによるOVPPのものが発売予定になっているので、これも今から大注目だと思います。