2016年6月5日日曜日

蝶のように舞い、蜂のように刺す


まるで、昔からあった諺のようなこのフレーズは、たった一人の男を形容するために作られたものでした。

1942年生まれのアメリカ人、1960年ローマオリンピックのボクシング金メダリスト、アメリカ最強のヘビー級チャンピオン・・・

力任せに殴り合うだけのイメージだったヘビー級で、華麗なフットワークで、相手を翻弄するスタイルで圧倒的強さを見せ、遠く離れた日本でも知らぬ者はいないくらい昭和の時代を代表する人物。

本名はカシアス・クレイ・・・プロ転向後はイスラム教に入信してモハメド・アリと名乗った人物は、華やかな勝利とは裏腹に、メディアからはホラ吹きとしてバッシングを受けたり、ベトナム戦争徴兵拒否により王座を剥奪されたり、絶えず栄枯を繰り返していました。

昭和の少年に知られていたのは、一つは「あしたのジョー」の人気からボクシングの話が比較的耳に届くことが多かったせいもあります。また、最大の理由は、アントニオ猪木との異種格闘技戦が関係している。

1976年に日本武道館で行われたこの一戦は、当然のことながら大きな評判となり、誰もがどうなることかと期待を膨らませていたわけですが、実際テレビで観戦していて、あまりのつまらなさに大きな失望をさせられました。

猪木は、いろいろな制約を課せられたために、戦いようがなかったということは後に知られるわけですが、リアルタイムにはリングに寝転がってアリの足に蹴りだけを入れ続け、アリもなすすべもなく立っているだけという試合は、「最低のクソ試合」状態でした。

しかし、両者に様々な影響があっただろう試合でしたが、この一戦後日本でのアリの知名度は確固たるものになり、伝説の一つとして忘れられなくなったことは間違いない。

引退後は、パーキンソン病を発症し、ときに姿を見せても現役の頃とは見る影もない雰囲気で、昔を少しでも知るものからすると、かなり寂しい気持ちにさせられました。

2016年6月3日、モハメド・アリ、呼吸器不全により永眠。

合掌