2017年2月10日金曜日

文学の小径


昨日はクリニックのある都筑区だと、ちょいみぞれ。住んでいる青葉区だと少し雪でした。

たかだか8kmくらいしか離れていないのですが、たいてい青葉区の方が天気は悪い。

自分では、丹沢山系の向きの関係だろうと勝手に決めているんですが、どうしてかは本当のところはわかりません。

まぁ、首都圏ということでは、今シーズンは「雪が積もる」というほどのことはまだありません。(大人的には)喜ばしいことではありますが、(こども的には)物足りない冬というところ。

急に話は変わりますが、趣味は何? という質問の答えに、昭和人としては読書というのは定番の答えですが、実際本を読むのは嫌いじゃない・・・老眼が出るまでは。

とは言っても、自分の読書のルーツは、横溝正史と江戸川乱歩という、あまり文学としての薫り高い雰囲気とはほど遠いところから始まっています。

ですから、1970年、日本万国博覧会が終わって一息ついたときに、日本中に衝撃が走った平岡公威が自殺したニュースは、小学生だった自分にとってはその事実だけに驚愕したものです。

市ヶ谷の自衛隊に乱入して、何かの演説をしたあとに、割腹自殺、仲間が介錯という・・・しかも、翌日の朝刊には修羅場の写真が掲載され、床には首らしきものが2つ並んでいたことは今では考えられないことでした。

三島由紀夫を最初に知ったのがこの事件で、日本文学史上忘れてはいけない「金閣寺」などの作者としての三島を知るのは後のこと。ですから、もはや作家としてみることはできません。

文学者としての三島を知る自分より年上の人たちは、もっと違う驚きだったと思います。また、自分より若い人は、波乱の人生を送った作家として学んだことと思います。つまり、当時、自分が5歳くらい年が上か下だったら、もっと違う見方ができたのかもしれません。

どんなに有名小説だとしても、「暴走した狂気の右翼」が書いたものという印象は拭えず、手に取ることは避けてきました。

たまたま、最近、三島由紀夫文学館に足を運びました。そこで、文学者としての三島を初めて知ることができました・・・が、その文学者が何故あのような事件を起こしたかの疑問についての答えはありませんでした。

そこがわからないで、三島の文学だけを楽しむことは・・・できない。自分の中では、趣味の読書から抜け落ちたままで、きっとこのままいくのかなぁという感じです。

文学館から外に出ると、すぐ横に文学の小径と名付けられた散歩道がありました。降り出した雪がすでに積もり始めて、三島文学を理解できる人が思索に耽るにはちょうどよい趣でした。