2017年11月24日金曜日

古事記 (11) 神武天皇の東征


古事記上つ巻の最後の復習。

天孫降臨の主役、ニニギの三男が山幸彦で知られるホオリ。ホオリの孫が4人いて、上から五瀬命(イツセノミコト)、稲氷命(イナヒノミコト)、御毛沼命(ミケヌノミコト)、若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)。

何故か、次男は母をいる海の国へ、三男は常世国に行ってしまい、これ以上話には絡みません。中つ巻は長男と四男の話から始まります。

特に、最初の話の主役・・・というか、人代編のスタートとして最重要人物になるのが四男のワカミケヌですが、別名を神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、後世に初代天皇として神武天皇と呼ばれる方。

高千穂の宮で、イッセとイワレビコは天下を取るにはどうすればいいか相談している。日本書紀には、この時45歳ですでに既婚、一人の子持ちと書かれていて、ここで家臣に向かって演説するですね。

「ニニギ様の降臨以来、179万年(!!)が経ったが、いまだに国土は統一されず争いがつづいている。東の地に、天磐船(あまのいわふね)により降臨した饒速日(ニギハヤヒ)がいるというので、そこで都を作ろう」

古事記では、あっさりと「やっぱ東の方だということになって、早速旅立ことにしました」くらいのことになっています。これが世に言う有名な「神武東征」の始まりです。

実は、このニギハヤヒは、ちょっと問題。ほとんど説明がないけど、実は高天原から降臨したニニギ以外の人物がいることを匂わせているわけです。

とりあえず、古事記の記載に従ってルートを確認していきます。日向を旅立ち、筑紫を通って豊国(大分県)の宇佐へ。また筑紫に戻って岡田宮に1年間滞在。続いて阿岐国(安芸国、広島県)の多祁理宮(たけりのみや)に7年滞在し、さらに吉備(岡山県)の高島宮に8年。

・・・って、最低ここまで16年かかっとるやないか。還暦すぎちやったんですけど。天下を取りにいくにしては遊びすぎ・・・なのか、それとも各地でよほどの抵抗を受けたのかもしれません。ここからは船の旅で、浪速の渡しをを経て白肩の港に到着します。

そこには地元の那賀須泥毘古(ながすねびこ)の軍勢が待ち構えていたので、イワレビコは楯を手に船から降り立ちました(だからその土地を今でも楯津と呼びます)。しかし、兄のイッセは敵の矢を受けて負傷し、退却を余儀なくされます。

イッセは、「アマテラスの子孫の我々が太陽に向かって戦ったのがいけなかった」と反省し、太陽を背にするように迂回しようということになり、紀国(和歌山県)の男の水門(おのみなと)についた時に亡くなります。

兄を失ったイワレビコは熊野に到着した時、出てきた熊の毒気により気を失います。さぁ、どうなるイワレビコ・・・って心配する必要はないんです。何たって天つ神の子孫ですから。

案の定、イワレビコの危機を察知した高天原のアマテラスとタカギは、オオクニヌシの国譲りで登場した力自慢のタケミカズチに相談します。タケミカズチは、立派な太刀を熊野の高倉下(たかくらじ)という人物の夢枕ごしに渡しました。

高倉下が太刀を持って駆けつけると太刀をかざすと、イワレビコをはじめ軍勢は目を覚まし、毒気を放った熊は死んでしまいました。さて、進軍を再開と思いましたが、周りには敵がたくさん。どうやって進むか困ってしまいました。