2017年11月5日日曜日

記紀の楽しみ方


これは、もう人それぞれ。日本建国とか、天皇論まで含まれてしまうので、単なる歴史だけでなく、政治的、宗教的、または哲学的など思想論まで行ってしまう内容を含んでしまいます。

とりあえず、日本の歴史を知る上で最古の書物である「古事記」上巻を読み飛ばしてみました。今さらですけど、自分の立場を明確にしておく必要を感じました。

自分の場合は、半世紀以上日本人をしていますから、天皇制度については、特に疑問を感じることもありませんし、ほぼ無批判に受け入れている。

また、宗教的には、生活の必要上、仏教を中心にした形式は排除できませんが、だからと言って特定の宗教を信奉しているわけでもない。

例えば、以前キリスト教について、けっこう突っ込んだ勉強をしたんですけど、キリスト教徒になりたいわけではなく、バッハの音楽を深く知るうえで必要不可欠だったからという理由です。

古事記の勉強をしてみると、資料となる本やネットの情報は、ほぼ上巻の部分、つまり神話と呼ばれる部分(神代)に集中しています。中巻、下巻は初期の天皇の話で人代と呼ばれています。

人代については、同時期の日本書紀が日本の公式文書として詳しいので、どちらかというと古事記はあまり顧みることは少ないようです。

いずれにしても歴史は勝者の文書ですから、勝者の主観が働いて、都合の良い書き換え、思い込み・・・悪く言えば捏造が含まれていることは当然のこと。

ですから、すべてをそのまま信じるわけにはいかないのですが、そのあたりは古いことで事実を最終的に確認することは誰にもできません。いろいろな説が入り乱れて、どれもが自分が正しいと主張はしているものの、決定的証拠を提示することは不可能な話。

となると、古事記・日本書紀について、歴史学者ではない一般人としては、古典文学として作品の面白さに注目して楽しむ方が気楽というものです。当然、いかにも歴史を羅列した感がある日本書紀よりも、ファンタジー満載の古事記の方が読んで楽しい。

その面白さは、一見荒唐無稽なSF的な話の中から、実際のあったことを想像することにあります。つまり、古事記が口頭伝承を文字にしたものとしても、まったくの作り話ということではない。

何か実際に起こったことをほんの少しだけヒントにしている話から、一から十まで事実に基づいたものまで、いろいろな程度の脚色が含まれているのだろうと思います。

そう考えると、書かれていることから基になった事実を探して、どうやって伝承されてきたのか、自分が納得できる答えを見つける。その中から、日本という国がどんな感じで出来たのか、朧気にわかればいいんじゃないかと思っています。

さて、参考にする資料はどう選択するかということなんですが、基本となる原典については、文学作品としては本来はそのままずばりがいいわけです。

しかし、如何せんほとんど漢字だらけの世界ですから、超苦手だった古文・漢文をもう一度勉強しないといけない。そこは妥協が必要で、原典を参考にしつつ、その読み下し文、そして現代語訳の3つの形式を往きつ戻りするしかありません。

特に重要なのは一番ストレートに内容を理解しやすい現代語訳ということになるのですが、山ほど書籍が出版されているので、注意が必要なのは、訳した人の主観がかなり混在するという点。

現代語訳は、行間を理解するための解釈が追加されてしまうので、訳者の一方的な考え方が含まれる可能性があるので、できるだけ淡々とした文章を選びたい。

原典、読み下し、現代語訳の3つが揃っていて、客観性がありそうな物は意外と少ない。岩波書店版の単行本・文庫くらい。単行本は高いし重たいし、文庫は見ずらい。

いっそのこと記紀をもとにした主観入りまくりの小説的な作品までいけば、記紀の世界観を知るための入門編としては、それはそれでありなのかもしれません。それらのおすすめ本の紹介は、また次の機会ということにしたいと思います。