2017年12月18日月曜日

日本書紀 (1) 相反する武烈と継体


日本書紀全30巻のうち半分の15巻までの内容は、基本的には古事記と同じです。伝承文学的な古事記に対して、日本書紀はできるだけ客観的な記述に終始します。すでに古事記を読み進める中で、その内容の主な違いも見てきましたので、ここでは省略します。

第16巻からは日本書紀の一人舞台で、正直にいえば面白さはかなり減退し、けっこう読み進めるのは辛い所がある。しかし、ヤマト王権の天皇制が出来上がり、大化の改新を経て、律令国家として成熟するという「真の日本国史」の出発点に至る話ですから頑張りましょう。

・・・って、いきなり、かなりの重要な問題からスタート。

つまり、欠史と言われる天皇より短い記述にもかかわらず、歴代天皇史上、もっとも極悪とされる武烈天皇の話から始まります。いや、もう、これは怖い話の羅列です。

髪の毛を抜いて、木のてっぺんに登らせておいて、切り倒して殺しちゃう。池に入らせて、流れてきたところを矛で刺し殺しちゃう。また、木に登らせておいて、弓矢で射殺しちゃう。

さらにやばいことに、裸にした女性に馬と××させて、感じちゃったら殺す。感じない場合は、皆の慰み者にしちゃう。

狩りでは自分だけ支度万端で、大雨・大風でみんなが困っても気にしない。豪華な贅沢な食事を好み、天下が飢えていても気にしない。宮殿では、毎夜宴会で大騒ぎ。

いやはや、これだけめちゃくちゃな事を書かれまくっては、人として完全に終わってますが・・・ところが、実はこの辺りは大陸のいろいろな暴君の話を元ネタにしているらしい。つまり、かなり作り話の要素が濃い。

実際、武烈天皇は億計天皇の息子となっているのですが、冒頭には朝から晩まで、法を重んじ犯罪を取り締まり裁いた・・・と褒めまくったかと思うと次の文章では、様々な悪事をはたらき、良いことはまったくせず、国中の民は恐怖におののいていたと書かれている。どっちやねん、と突っ込みの一つも入れたくなる。

そんなわけで、実在性についても疑いがもたれることになるわけですが、一番困ったことは、この天皇は世継ぎがいないこと。本人も気にしていたらしいのですが、万世一系を売りにしていた天皇家は、ついに跡取りがいない事態に陥るのです。

それというのも、安康、雄略、清寧の三代で政敵になりうる皇位継承者を粛清しまくったつけが回って来たということです。武烈天皇は即位して8年で亡くなりますが、気がついたら、まさに一系しか残っていなかったため、ついに血が途切れてしまったのです。

周りは、焦ったでしょうね。必死に探したんでしょうが、やっとのこと丹波国で仲哀天皇から五代目にあたる倭彦王(ヤマトヒコノオオキミ)を見つけて、迎えに行きますが、大勢で押し掛けたせいか、相手はびっくりして逃げ出して消息不明。

続いて見つけ出したのが、越前国高向で育った男大迹王(オオドノオウキミ)です。こちらは応神天皇からつながる五代目の彦主王(ヒコウシノオオキミ)が父親で六代目にあたり、母親は垂仁天皇から七代目にあたる振媛(ふりひめ)です。それぞれ天皇からつながってはいますが、具体的な系図は不詳です。

ちょっと待て。通常、親戚って呼んでいるのはどこまででしょうか。おそらく父母の関係、祖父母の関係、もしかしたら曽祖父母くらいまでじないでしょうか。つまり三代上くらいまでで、それより昔のこととなると・・・そりゃ、神代まで遡れば「人類皆兄弟」になりますけど。

倭彦王にしても、男大迹王にしても、途中の系図は明らかになっていませんし、五代目とか六代目とか、もうほぼ他人と言っても文句はでないくらい遠い、遠~い親戚筋です。実質的には万世一系の天皇家という表現はここで途切れているという考え方は根強くあり、最初のヤマト王朝は終わったことは否定できません。

男大迹王は「そんなうまい話があるわけがない」と思ったのか、使者が来てもすぐには承諾せず、数か月の熟考の後に第26代の継体(けいたい)天皇として即位しました。後付けの呼び名ではありますが、継体というのも怪しい。体を継ぐということで、まさに間を埋めた感満載です。

即位後、すぐに百済(くだら)との間で使者をやりとりを始めます。勢力圏だった任那国(みまなのくに)の一部を百済に譲渡。新羅(しらぎ)を荒らす伴跛国の討伐に敗戦などなど・・・天皇の業績として、ほとんどが朝鮮半島との外交に終始しています。

もちろん国内のことにもがんばったということも少しは書かれています。ある時、国勢が強まり「皆、贅沢に慣れたので、気持ちを引き締めなさい」という話をしています。この時期に、朝鮮半島人との間に混血が進んだことも記載されています。25年間の治世の後に、82歳で亡くなり、息子の勾大兄皇子(マガリノオオエノミコ)が継ぐことになります。

遊びまくり、人を殺しまくった、最低の武烈天皇との対比が色濃く描かれた感がある継体天皇紀でしたが、これは明らかに血脈の無理を正当化する目的。事実上途切れた血統を「万世一系」として、万人を納得させるために、武烈天皇をことさら悪く書き、継体天皇が政治をまじめに行ったことを強調しています。

結局、このあたりが作られた話として歴史書としての疑義が生じることにつながり、登場する天皇の実在性にすら疑問が挟まれるわけです。