2017年12月11日月曜日

古事記 (20) 血統を守ったオケ・ヲケ兄弟


雄略天皇による血の粛清の結果、後継ぎがいなかった息子の清寧天皇の死去により、皇位継承者が不在の緊急事態が発生しました。

履中天皇には、皇子(雄略天皇からみると従兄弟)が二人、皇女が一人いました。皇子はいずれも雄略天皇により謀殺されましたが、兄の市辺忍歯別王(イチベノオシハワケノミコ、日本書紀では磐坂市辺押羽皇子)には、二人の皇子がいて兄を意祁命(オケノミコト、オケと表します)、弟を袁祁命(オケノミコト、ヲケと表します)といい、父が殺された時逃げ延び、一般人に紛れて隠れて生活をしていました。

清寧天皇が亡くなって、天皇不在となったため市辺忍歯別王の妹、忍海郎女(オシヌミノイラツメ)、別名、飯豊王(イイドヨノミコ)が臨時に政権を維持しました。

ある時、播磨国の国守が招かれた宴席で、少年兄弟が舞を披露しました。兄に続く弟は舞いながら「私たちは市辺忍歯別王の子である」と歌います。国守は驚いて、すぐに二人の発見を飯豊王に知らせました。

意祁命も袁祁命も、互いに天皇になることを譲り合いましたが、兄は「名を明かし復権できたのは弟の功績」とし、弟が第23代の顕宗(けんぞう)天皇に即位し、かろうじて天皇家の血統が断たれることが回避できました。

このエピソードは、日本書紀では多少の食い違いと、より詳細な裏事情が書かれています。まず、飯豊王は億計王・弘計王(意祁命・袁祁命)の叔母ではなく妹(か姉?)になっています。二人が発見される宴席があったのは清寧天皇存命中のこと。

弟の弘計王は、「乱から数年がたちそろそろ身分を明かそう、明かして抹殺されるかもしれないが、卑しい身分で死んでいくよりまし」と兄の億計王に言います。兄も承諾し、宴席での舞と歌になるわけで、知らせを聞いた清寧天皇は世継ぎがいなかったため、喜んで二人を迎い入れました。

清寧天皇が亡くなって、皇太子だった兄の億計王は弟が即位すべきといいはり、二人の間で譲り合いが始まります。しかたがなく、飯豊王は忍野飯豊青尊(オシヌノイイトヨノアオノミコト)として暫定政権を維持しましたが、1年経たないうちに亡くなり、ついに兄に説得された弟・弘計王が天皇に即位したということです。

ちなみに飯豊王に「尊」をつけ、亡くなったことを「崩じた」と記してあるので、事実上、初の女性天皇と認識されていたことになりますが、代を数える場合からは除かれています。

さて、神代から続いてきた古事記の最後を飾る大きなエピソードが、意祁命・袁祁命、二人による雄略天皇への復讐です。

顕宗天皇が即位してしばらくして、父親の市辺忍歯別王の歯は押歯(山形に削った歯?)だったことを頼りに、兄弟は父の骨を見つけ出し丁寧に埋葬しました。

次に、父の仇討ちとして雄略天皇の墓を壊そうということになり、兄の意祁命が「それは人にやらせてはいけないことだから、自分がやって来る」と言いでかけていきます。

意外に兄が早く帰って来たので、わけを聞くと、「父の仇ではあるが、我々の親族でもあり、天下を治めた方であるので、それを破壊したら後世に汚点を残す。ですから、少しだけ掘り返すだけにして侮辱するだけにしてきた」との説明に弟の顕宗天皇は納得しました。

日本書紀では、さらに「息子の清寧天皇には世話になったのだから」という理由も加えて、少しだけ掘り返すこともせず、大人の対応で事を収めています。

顕宗天皇は38歳で亡くなり世継ぎはいなかったので、兄の意祁命が第24代の仁賢(にんけん)天皇として即位しました。仁賢天皇は、清寧天皇の異母妹である春日大郎女(カスガノオオイラツメ)を妃とし、息子の小長谷若雀命(オハツセノワカササギノミコト)が、後に即位して武烈天皇になりました・・・という記述で古事記は終わります。

ドロドロした権力闘争の後、御家断絶の危機を乗り越え、兄弟を通して家族愛、天皇崇拝が何よりも重要であることを高らかに示しての終了です。

とりあえず、抜けている話もありますけど、重要処はだいたいおさえたと思います。日本書紀については、全30巻のちょうど半分にあたります。古事記を通して読み終えると、神代のファンタジーから、しだいに歴史上の事実に近そうな話になっていきますが、それでも編纂上、いろいろな意図的な創作・改変は多々あることは容易に想像できました。

日本古代史を知るために古事記は重要な書物ですが、考古学的知見も含めてそれ以外の史料も不可欠であることもよくわかりました。古事記には、編者が知らなかったのか、書き忘れたのか、意図的に隠したのかわからない事柄がたくさんあり、日本書紀をはじめいくつかを並行して勉強していかないといけません。

でも、知れば知るほど実際の歴史の事実は混沌として、謎が謎を呼ぶことになるんですね・・・・いやはや、終わりが見えてきませんね。

中つ巻以後は天皇家の歴史が中心になるため、天皇系図は理解する上での必須資料です。最も信頼すべき公式の系図は宮内省により公開されています。
http://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/img/keizu-j.pdf