2017年12月1日金曜日

日本書紀の成立


そもそも、日本書紀って何? という基本的な話。

一言で言うなら、神代から第41代の持統天皇までの歴史を、国家事業としてまとめたものです。一般的に言われているのは、古事記は比較的物語風の国内向けに大和言葉を漢字で表記したもので、日本書紀は日本の正史として外国に向け本格的な漢文体で書かれたもの。

「記「は書き記したものということで、伝承などをそのまま記録したもの。「紀」は物事の流れやきまりに則って書かれたもので、順序だてて正確に書かれたものということ。

推古天皇の時代の西暦620年、聖徳太子と蘇我馬子が「天皇記」と「国記」を編纂していますが、中臣鎌足らによるクーデター、乙巳(おっし)の変の時に焼失してしまいました。

その後、天武天皇は古事記と日本書紀の編纂を指令したとされていて、数十年のかかって712年に古事記全三巻が、720年に日本書紀全三十巻が完成し、もともとのタイトルは「日本紀(やまとふみ)」だったと考えられています。

完成した年は、古事記は序に書かれた日付から推察されるもので、いろいろと諸説がありますが、日本書紀にはどこにも完成年は書かれていません。しかし、続編にあたる「続日本紀」の720年の部分に、天武天皇の皇子である舎人親王(とねりのみこ)が編集長として元正天皇に呈上したと書かれていることで確定しています。

内容的には、古事記と共通の部分が多く、天地開闢以来の神代の時代から始まり、各天皇紀をそれぞれ章立てているわけですが、神話部分については天皇へと直接つながってくる部分が詳しく、古事記では魅力的な出雲関連の話などはかなりはしょっています。

何年何月にだけが何をした、というような淡々とした文章(編年体)が並び、また、国内・国外の他の文献からの参照・引用もかなりあって、より正確性を重視する姿勢がうかがえますが、当然その分、記録としての特徴が表に出ていて文学的な面白さは少ないと言わざるをえない。

また年代順に書かれたわけではなく、いろいろな部分が同時進行あるいは、逆時系列で書かれたと考えられていて、また実際の執筆も漢文ネイティブの帰化人だったり、漢文が得意な日本人だったりと複数の人がかかわったようです。

江戸時代までほとんど話題にならなかった古事記と違って、日本書紀は完成後は宮中行事として、日本書紀の講義が何度か行われました。また写本もたくさん作られ、現存する最も古い写本で14世紀の古事記よりも、さらに古く奈良時代までさかのぼります。だからなのか、神学、国学として重要視されるようになります。

現代においても、いろいろな謎を解こうとする解説本はいろいろとありますが、一般向けはだいたい古事記との相違点などが中心です。日本書紀単独の本は少なくて、詳しく知りたいと思うとけっこう苦労します。もっとも、古事記よりも全体の量がすごいですから、簡単に一冊でというのはなかなか難しいんでしょうね。