2018年3月11日日曜日

あれから7年


平成を生きた日本人にとって、おそらく忘れることができないのが、2011年3月11日に発生した東日本大震災。

今日で丸7年が経ちました。一度に2万人もの方が亡くなるというのは、戦後では最悪の災害でした。当時、すでにこのブログを書いていましたから、あらためて見返してみると混乱ぶりが思い出されます。

しかし、ブログに書いていなかったら、おそらく年々忘れていくのは当然で、メディアでは必ず取り上げたりしますが、日常的に話題にすることはどんどん無くなりました。

一番大きな被害を出した、東北地方、岩手・宮城・福島は、今でも復興工事などが行われているわけですから、忘れたくても忘れようがない。

距離が離れれば離れるほど、被害が少なければ少ないほど意識は薄れていく・・・というのは、ある程度しょうがないことです。

阪神淡路大震災は、関東ではほとんど揺れはありませんでしたから、関西圏はほとんど知らない自分が知っているのは、テレビに映し出された、まるで映画のような日常が破壊される映像だけです。

それは、2000年9月11日のニューヨーク同時多発テロ事件のときのような感覚で、「一体、何が起こったんだろう」、「これはどこの話なんだろう」というような自分とは直接関係無い「何かとんでもない大事件」というものでした。

東日本大震災は、横浜でも初めて恐怖を感じるくらいの強い揺れがありましたし、その後の電力問題によって、長く節電を必要としましたから、対岸の火事ではありません。

今でも、電力を無駄使いしないようにという気持ちは持ち続けてはいますが、一方で電化生活はさらに深まっていて、電気が止まったら途方に暮れることは明らかです。

関東大震災が発生した9月1日は、今では「防災の日」として記憶に残されていますが、3月11日も「春の防災の日」というような形にして、今後確実に記憶から風化させないというのもいいかもしれません。