2018年12月25日火曜日

是枝裕和 #2 ワンダフルライフ (1999)

是枝裕和監督の劇場映画第2作は、ずばり、ファンタジーをドキュメンタリー仕上げにした作品です。

テーマは、「あなたの今までの人生の中で、最も大切な思い出を一つだけ選んでください」というもの。第1作の「幻の光」は原作がありましたが、今回は監督自身のアイデアを自ら脚本に起こしました。

物語の舞台は、死んだ者が天国(?)に向かう途中に必ず足止めされる場所。そこでは、3日間の間に「大切な思い出」を一つだけ選び出し、次の2日間でスタッフがそれを映像化。そして6日目にそれを観賞し、その思い出だけを持って天国へ旅立っていくというもの。

一つだけと言われて、簡単に思い出を選び出せる人はなかなかいるものではありません。この施設のスタッフは、いろいろと話を聞いて、時にはその人の人生の概略が録画されたビデオを提供したりして手伝います。

スタッフを演じるのは、まとめ役の谷敬、実際に担当するのが、内藤剛志、寺島進、そして俳優デヴュー作となる井浦新(ARATA)の三人。研修中の新米に小田エリカ。ちなみにセリフの無い端役で木村多江が出演していますが、今と全く変わりませんね。

今回新たにやってきた亡くなった方々には、内藤武敏(若い頃を阿部サダヲ)、由利徹、白川和子、原ひさ子などの有名人もいますが、当時芸大の学生だった伊勢谷友介も起用されました。

そういう、まだ世間的に知られていない俳優と共に、実際に素人もたくさん死者の中に混ざっていて、彼らの演技ではない「本物の」インタヴューが、このファンタジーにリアリティを与えることに大きく関与しています。

前作では、カメラは俳優に寄らず客観的に視点に終始することで、ドキュメンタリー・タッチを醸し出していました。しかし、今回はしっかりと選ぶ側の渡辺老人(内藤武敏)と、選ばせる側の望月(井浦新)、そして望月に好意を持つ里中(小田エリカ)の三人を中心に、映画を見る側は彼らの心情を主観的に捉えようとすることになります。

しかし、完全にドキュメンタリー的な手法で撮影され編集されている映像は、俳優陣の演技すら素でやっているように見えてきます。また、変に感情を操作される音楽は排除され、映画に必要な音としての音楽以外はありません。

さて、物語は比較的簡単に思い出を選べる人もいれば、なかなか一つに絞れない人もいます。またフリーターの若者、伊勢谷(本人が希望して役名も同じ)は、いろいろ屁理屈を言って選ぼうとしません。

その中で、渡辺老人もなかなか選択できない一人で、望月は一緒に彼の人生ビデオを見ることになりました。その中で、老人が見合いをして結婚した相手を見た時はっとします。

実は、この施設のスタッフは、結局思い出を選択できず天国へ行けなかった人々だったのです。望月は渡辺老人と同世代で、終戦直前に婚約者を残して戦争でのケガが原因で亡くなったのでした。そして、渡辺老人のすでに亡くなった妻が、実は自分のかつての婚約者だったことに気がついたのです。

渡辺老人も、望月の命日などから彼の素性を察します。そして、ギリギリのタイミングで妻との何気ない日常を選択することができました。渡辺は望月に手紙を残し、謝意を残します。

望月は、渡辺の妻の選択した思い出を確認してみると、何とそれは自分とのデートの様子でした。そのことを知った里中は、望月に「ついに持っていく思い出を見つけてしまったのね。私のことも忘れてしまうことになる。自分は皆の事を忘れたくないから、思い出を見つけたりはしない」と言うのでした。

望月はかつて渡辺の妻と一緒に座ったベンチに一人で座り、それを撮影しているところを仲間が見守るシーンを映像化します。出来上がった映画を、全員で見終わった時、望月の姿は消えていました。

里中は独り立ちし、新たに思い出を決めなかった伊勢谷が研修生としてスタッフに加わり、新しい週がまた始まるのでした。

生きていくための思い出は必要ですが、無くても生きていけるし、また後から作ることもできる曖昧さみたいなものを指摘しているように思います。そして、思い出を映像化する、つまり映画を作ることそのものの難しさみたいなものも提示しているのかもしれません。

いずれにせよ、商業映画という制約の中で、かなり実験的なアートな作品作りだと思いますが、ファンタジー要素を取り入れることで成功した作品なのではないかと思います。