2019年1月31日木曜日

車掌さん

f/5.6  1/400sec  ISO-100  230mm

昭和から平成になって、いろいろ変わったことはあるけですが、例えばこれ。

車掌さんですが、まだまだ少ないのかもしれませんけど、女性です。

まだまだ不十分だったり、いろいろ問題はあるのかもしれませんが、平成は女性進出が明らかに拡大した時代です。

男女平等は、男女を同じに扱う事ではなく、男女の差を認めることだと思っています。ですから、男性が入れない女性にしかできない仕事もあるし、その逆もあっていいと思います。

でも、運転手とか車掌さんは、女性もどんどん進出できる職種だろうと。まだまだ、働きにくいところもあるかもしれませんが、是非頑張ってもらいたいと思います。

2019年1月30日水曜日

時代屋の女房 (1983)

村松友視が原作。松竹喜劇映画を多数手がけた森崎東が監督した、亡き夏目雅子を偲ぶ不思議な映画です。

安さん(渡瀬恒彦)の古道具屋、時代屋に拾った野良猫を連れて真弓(夏目雅子)と名乗る女性がやってくるところから始まります。真弓は店にある古道具を面白がり、そのまま上がり込み猫と一緒に自分も預かってと言い出すのでした。

いきなり一夜を共にした二人は、翌日からはもう新婚家庭のように楽しく暮らし始めるのですが、ある日、急に真弓は「ちょっと出てくる」と言って行方をくらまします。数日後に戻ってきましたが、安さんは理由を尋ねたりはしません。

そんな「家出」が何度かあった後のある日、店の前に少年(沖田浩之)が立っているのに気がついた真弓は、少年を連れて再びいなくなってしまいます。今度は、なかなか帰ってこないため安さんは半分あきらめかけていた時、真弓にそっくりな美郷に出会います。

美郷は結婚のため郷里の盛岡に帰る前に、東京で恋人と泣く泣く別れたという想像を現実にしたくて、安さんの家に泊まり、翌日安さんに見送ってもらうのでした。そこへ、以前真弓とでかけた盛岡で古道具の出物があるという連絡が入ります。安さんは、早速車で盛岡に出かけるのですが、真弓は見つかりません。かわりに、三郷の婚約者という男と飲み明かすのでした。

帰る途中で、安さんは真弓の一緒だった少年に出会います。少年の話では、母の葬儀のあとに真弓と出会い慰めてくれて、何度か会ったけど、今はどこかに行ってしまったというのです。

帰宅した安さんの、また一人の日常が始まると思っていたら、盛岡で手に入れそこなった南部鉄のやかんをもった真弓が、初めて店に来た時のように戻ってきたのでした。

めでたし、めでたし・・・という話。結局、真弓の正体はわかりませんし、美郷についてもよくわからない。実は二人は同一人物という説もありますが、二人と夜を過ごして安さんがわからないはずもなく、不思議度は増す一方です。

そもそも始まりからして、かなり風変わりなストーリーで、現実的ではありません。昔話とか、民話によくある、ある時人間の姿をした動物が訪ねてきて家に住みつくみたいなものということ。おそらく、その理由とかを合理的に説明しようとしても無駄。

現代社会で民話の世界を再現してみたくらいのことで、つべこべ考えずに、素直に受け入れられないと、ものすごくつまらない映画になってしまいます。

でも、最近の映画だと、たくさんの伏線をばらまき、それを最終的に回収することが良いように評価されますが、これは見る者の想像力を無視して一方的なストーリーを押し付けてくるだけです。いろいろな出来事は見方によって変わって当然で、物事の解釈は個人の経験値によって変幻自在に動くものです。

この映画に登場する真弓は、猫の変化かもしれませんし、ただの気まぐれお嬢さんかもしれない。もしかしたら、何か絶望的なものから逃げているのか知れません。美郷も同じですし、そもそも安さんも、自分の殻の中だけで生きてきました。

この映画は、そういう不安定な基盤の中で生きている人間たちが、他人と関わり中で、少しずつ視野が広がっていくことを描いているのかなと思います。戦後世代が、安保闘争などで立ち上がり、そしてその虚しさみたいな空気感が漂う昭和五十年代を映し出しているといえば、何となく共感できるかもしれません。

夏目雅子が活躍できた時間は短く、この映画は正面から夏目雅子を見せてくれる数少ない作品です。女優・夏目雅子を堪能するだけでも、十分すぎる価値がありますよね。

2019年1月29日火曜日

なおみと嵐

週明けのワイドショーは、ほぼ全豪優勝の大坂なおみと・・・そして嵐の活動休止の話でもちきりでした。

そりゃそうでしょう。

かつてテニスをやっていた自分としても、日本の選手がテニスのATPランキングで1位になるなんてことは、想像すらできない驚天動地の話。

とにかく、このところの大坂のメンタリティの急速な進歩は誰の目にも明らかで、今後しばらくは大活躍を見せてくれることが大いに期待できます。心からおめでとうと言いたいことでした。

さて、その一方で・・・

突然の嵐の活動休止。

本気のファンの皆さんの悲鳴が聞こえてきそうですが、今の日本のエンタメの核をなしているタレントですから、自分も含めて嫌いな人はほとんどいないと思います。

以前より、メンバーの仲の良さには定評があり、グループであるからにはいつかはばらばらということは想像されましたけど、実際発表されるとまさかという思いでいっぱい。

それにしても、会見の雰囲気が見事でしたね。SMAP問題以後、所属事務所の変革が待望されていたわけですから、ある意味その成果を反映できていたのかもしれません。

それにしても、ふだんニュース以外は、嵐とマツコのバラエティしかテレビで自ら見ない自分としては残念でなりません。

2019年1月28日月曜日

幸福の黄色いハンカチ (1977)

高倉健は、過酷だった八甲田の雪山のロケを終え映画が公開された年、早くも春から次回作の準備にとりかかりました。ここでも、それまでの健さんのイメージを大きく打ち破るキャラクターに挑戦することになります。

1969年から数本を除いて、すでに20本弱の「フーテンの寅さん」映画を作っていた山田洋次監督は、倍賞千恵子が口ずさんでいた「幸せの黄色いリボン」の歌に心をとめ、その歌詞の内容を映画にすることにしました。

主役には高倉健というのはすぐに決まり、不思議な雰囲気で人気が出始めた桃井かおりも比較的簡単に決定。もう一人の主役、武田鉄矢は歌手として落ち目の時期で、俳優は未経験。それでも、九州出身の不器用な男というイメージからの選択でした。

通常は「日本製ロード・ムービー」というくくりで語られ、第1回日本アカデミー賞を総なめにした名作と説明されますが、行く先々での人々との交流が描かれるわけではありません。

それぞれ心に傷を持つ赤の他人の三人が、偶然一緒に旅をする中で、少しずつ前を向いていこうとする話で、基本的には三人芝居のヒューマン・ドラマというのが正しいと思います。

彼女に振られた欽也(武田鉄矢)は、仕事を辞めた退職金で車を買い、北海道へ旅立ちます。網走で、彼氏を友人に横取りされ旅に出た朱美(桃井かおり)をナンパして、海岸に出たところで、殺人で6年間の服役を終えて出所したばかりの勇作(高倉健)とも出会い、3人で旅をすることになりました。

泊まった宿で朱美にせまる欽也に対して勇作は一喝したり、ろくに運転できない朱美が車を脱輪させて立往生したりと、いろいろなことがある中で、チンピラにからまれた欽也を勇作は助けて自ら運転してその場を走り去りました。

しかし、たまたま警察の検問があり、勇作は無免許のため捕まってしまいます。しかし、偶然にも以前世話になった警部(渥美清)がいて見逃してもらえることになりました。このことで、勇作が殺人を犯した過去があることを二人は知ります。

それでも、3人は旅を続け、勇作の過去の話を聞くことになるのです。夕張の炭鉱で働き、結婚していたこと。奥さん(倍賞千恵子)が流産したことで、むしゃくしゃしてチンピラと喧嘩になり死なせてしまったこと。奥さんに別れ話をしたこと。

そして、勇作は出所してすぐに、もしもまだ待っていてくれているなら、家に前に黄色いハンカチを目印にしておいてくれとハガキに書いて出したことを話すのでした。欽也と朱美は、一緒に夕張に行くことにしますが、家が近づくと「待っているはずがない」と嫌がる勇作を無理に連れていきます。

欽也と朱美が車から降りて見ると、なんとたくさんの黄色のハンカチが風にたなびいていました。二人は勇作を車から降ろし、背中を押し出すのでした。欽也と朱美もやっと吹っ切れる想いになりました。

人情喜劇が得意な山田監督は、主として笑いは武田鉄矢と桃井かおりに任せていますが、健さんも強そうで実は弱い人間であるという面を引き出しています。奥さんが待っていないだろうとくよくよするところは、それまでの高倉健像では考えられない。

しかし、物語が進むにつれ健さんの視点で、観客の気持ちをしだいに作り上げていき、応援したくなるように仕向けていくのはさすが。期待通りの裏切らない結末で、健さんと一緒に安堵できる映画です。

2019年1月27日日曜日

瀬戸内少年野球団 (1984)


原作は作詞家の阿久悠による自伝的小説で、監督は篠田正浩。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの渡辺謙の映画デヴュー作。

・・・というより、この映画を最も有名にしたのは夏目雅子であり、しかも夏目の遺作となったことが大きいと言わざるをえない。

やはり、あらためて観賞すると、確かに夏目雅子の美しさに異を唱えるものはいないでしょうし、画面から湧いてくる女優としての凛としたたたずまいは見事です。

おそらく、今どきの「身近な」雰囲気とは逆の、吉永小百合を代表とする「近づきがたい」、「神聖な」イメージを体現した最後の女優なのかもしれません。しかも、若くして亡くなったことで、完全に伝説化・神格化し、後に続く者にとっては乗り越えられない壁となったように思います。

映画は、敗戦による淡路島という狭い地域の混乱をこどもたちの視点から描いた群像劇。夏目雅子は、この映画で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しましたが、あくまでも主役は竜太(山内圭哉 )、バラケツ(大森嘉之)、武女(佐倉しおり)の3人のこどもです。

冒頭、終戦の玉音放送から一転して、"In the Mood"の浮かれるようなスイング・ジャズが響き渡るのは、これから急速に日本が変わっていくことを端的に合わらしていて見事な始まりです。

駒子(夏目雅子)が教鞭をとる淡路島の学校へ、武女が転校してきました。武女の父親(伊丹十三)は戦犯となることを予想して、一時の娘との安らぎを求めていました。こどもたちは仲良しになり、武女は島の生活に馴染んでいきます。

まじめな竜太の両親は戦争で亡くなり、村の駐在をしている祖父(大滝修二)と祖母(加藤治子)のもとで暮らしていました。バラケツは、アメリカ軍に取り入って羽振りの良い兄にならって、金儲けを考えるようなこども。

駒子は網元の家に嫁入りしましたが、召集された夫の正夫(郷ひろみ)は安否不明。正夫の弟の鉄夫(渡辺謙)からの求婚を、頑なに拒み続けていました。戦争で片脚を失った正夫は、密かに島に戻り駒子に連絡を取りますが、鉄夫に強引に関係を持たされたために拒絶しました。

床屋を営むトメ(岩下志麻)は戦争未亡人で、剣劇役者に入れあげたあげく、店をバーに改装します。武女の父親も、戦犯として収監されるため島を去りました。島の生活が激変していく中で、自分も、そしてこどもたちも心をしっかり持ち続けるために、駒子は「野球をしましょう」と言い出しました。

そして、自分を取り戻した駒子は正夫を迎えに行き島に連れ戻します。二人はこどもたちに野球を教え、皆がすこしずつ自信を回復し始めていた時、武女の父親が死刑に処せられたという連絡が入ります。

進駐軍として来島したアメリカ兵が帰国するにあたって、こどもたちと野球をしようということになり、武女を先頭にアメリカに勝ちたいという気持ちで試合に臨むのでした。

終戦直後から、日本の国内でどんなことが起こっていたのかという、たくさんの問題を提示しているのですが、こどもの側から描くことで深刻になり過ぎず、わかやすく伝えることに成功していると思います。

復員軍人、傷痍軍人の問題。戦犯の問題。戦争未亡人の問題。闇市の問題。学校の教育変化の問題。進駐軍に対する恐怖。生活の再建の方法・・・などなど。日本が、まさに180゜転換する中で、さまざまなことが日本人の生活に影響していたことが伝わってきます。

自分の場合は、高度経済成長期の時代のこどもですから、当然終戦直後のことは実体験していません。話として聞いていても、なかなかピンと来ないわけですから、このような映画を通じて・・・そして、夏目雅子の美しさを懐かしみながら、考えてみることがあってもよいようです。

もちろん、そこまで難しく考えなくても、戦後のこどもたちの生活を垣間見るだけでも楽しい映画です。今は、DVDも中古しか手に入らず、場合によってはプレミアがついています。リマスターして、せめてBlurayでの再発売を期待したいものです。

2019年1月26日土曜日

Japanesque

f/5.6  1/80sec  ISO-80  135mm

和風のもの・・・日本人として生まれて、特別に好んでいようといまいと、何となく安心するものです。

三つ子の魂百まで、とか言いますけど、やはりこどもの時に慣れ親しんだものというのは、大多数が潜在的に自分の価値観などの形成に関わっています。

家には畳や襖があるわけではなく、日本茶よりコーヒーを飲むことが多い。全体的には西洋風の生活をしているわけですが、和の模様などは何かと安心する感じ。

これは、お祭りの時に担がれるお神輿の飾りです。こどもの時に、毎年慣れ親しんだ近くの神社のもの。さすがに半世紀前のものからは世代交代していると思いますが、あらためて見ると、小さな神社の小さなお神輿ですが、なかなか豪華な飾りつけです。

2019年1月25日金曜日

YOSHIKIのピアノ

f/3.5  1/125sec  ISO-100  28mm

しばしばテレビに登場するので、YOSHIKIが使用しているピアノは有名です。

何が有名って、クリスタルですよね。透明な外観は美しいのですが、素材は何でしょうか。

クリスタルというくらいですが、水晶ということは無いでしょうから、ガラスでしょぅか。

いくらなんでも、プラスチックでは、音の響きは期待できるとは思えませんね。

河合楽器のショールームにおいてある普及版の価格は・・・・640万円。

うわっ!! 高っ!! と思いますが、スタインウェイのピアノとかは中古でももっと高いわけですから、リーズナブルなのかもしれません。

ちなみに、世界限定5台の完全受注生産の最上位モデルというのがあって、そちらは1億円。

誰が買うんだろ~

2019年1月24日木曜日

街の窓に雪が降る

f/4  1/125sec  ISO-100  38mm

今年は暖冬・・・というより、これから「寒冬」は来ないのかもと不安になりますが、まだ、まとまった雪を見ていません。

降らない方が生活上は助かるんですけど、年に一度くらいは都会暮らしでも雪くらいは見たいものだと。

探して見ると、ショーウィンドウに雪らしきディスプレイを見つけました。まぁ、おしゃれだこと。

そういえば、「南の島に雪が降る」という映画がありましたね。戦時下ではないですし、今なら雪らしく見せることは簡単です。

これは、おしゃれすぎて、単に窓の汚れにしか見えないこともない。ショーウィンドウの中もあまり寒そうじゃない。

そもそも、天気がよくて、日差しが温かそうなので、ますます雪らしくないですね。都会はこんなものですかね。





2019年1月23日水曜日

Super Moon

f/5.6  1/250sec  ISO-800  300mm

月に代わってお仕置きされちゃうセーラー・・・じゃなくて、昨日はスーパー・ムーンだったんですよね。

スーパー・ムーンは、満月で、なおかつ地球へ最接近したときに、月が大きく見える現象です。

確かに、何か大きい感じがしますが、最小の時と最大の時を並べてみることはできないので、あくまでも雰囲気の話。

でも、月が地球に一番接近した時と離れた時では、何と5万kmも違う。地球の直径が約1万2千kmなので、地球4個分の差です。

夜空の事に比べれば、人の営みなんて小さいものです。

2019年1月22日火曜日

Nature in Flat

f/4.2  1/400sec  ISO-100  48mm

都会の中だと、大自然とは縁がないコンクリートに囲まれた人工的な世界が広がるんですが、誰でもグリーンとかの中に癒しを求めるものです。

煉瓦模様の壁。それだけでも、レトロな雰囲気で、少しだけほっこりするんですが、壁にへばりついて伸びている緑が藪の中のような錯覚をうんでいました。

そこに木が生えていて・・・いえ、影が映って、ちょっとだけ森っぽい雰囲気も作っていました。

なんか、平面の中に閉じ込められた自然が、いかにも都会らしい感じがしますね。

2019年1月21日月曜日

八甲田山 (1977)

「天は我々を見放した」

この絶望的なコピーは、公開当時たいへん有名となり、当時劇場に足を運ばなかった自分も含めて、ほとんどの日本人は知っていたのではないでしょうか。

日露戦争直前、明治35年(1902年)、青森の陸軍の連帯が八甲田山での雪中行軍で大量の死者を出した実際にあった遭難事件を題材にした新田次郎の「八甲田山 死の彷徨」の映画化です。

「砂の器」の大ヒットで一躍知られるようになった野村芳太郎監督が製作にまわり、黒澤明の懐刀である橋本忍が脚本、やはり黒澤の助監督で鍛えられ「日本沈没」の監督をした森谷司郎が起用されました。また撮影は、ここから高倉健と長い付き合いになる木村大作という、今から考えると日本映画界の重鎮がそろっています。

当初から主演は高倉健でと懇願され、東映を退社してフリーとなった健さんにとっては「君よ憤怒の川を渉れ」に続く作品。

特に、初めての明治物であり、また「極寒俳優」とも呼ばれるスタートになる作品で、足掛け3年にわたる撮影、実際の行軍を再現する行程で真冬の八甲田山でのロケは過酷を極め、俳優のキャリアの上で大きな足跡を残すことになります。

今ならCGなどで、いくらでもこの猛吹雪の中を進む様子は映画として表現できるわけですが、当然この当時はそんな技術はなく、野村芳太郎に「映画には空気が映る」と言われ、すべて本物の自然の猛威の中での撮影でした。出演者は真冬の八甲田山を2回経験したのですが、何時間も雪の中で待ち続け吹雪いてくると撮影開始という極限的な状況に終始したといわれています。

当然、映像としてのベストのアングル、明るさとは言えないシーンは多々あります。しかし、この「本物」の自然の猛威は、確実にフィルムの中に結実していて、特撮では絶対に出せない空気を見たものに伝えることに成功しています。それが映画の興行的な成功を導き、また健さんをはじめてする出演者、スタッフの自信へとつながったと思います。

陸軍はロシアとの戦争が近い事から、寒地での戦闘で不利にならないように雪中訓練を計画します。そこで弘前の連隊からは徳島大尉(高倉健)、青森の連隊からは神田大尉(北大路欣也)が八甲田山ですれ違って行軍演習をすることになりました。徳島は神田を自宅に招き、妻(加賀まりこ)の手料理でもてなし、山中で出会うことを固く約束して別れました。

徳島大尉は、より距離があり日数が必要になるため、少数精鋭の27名で万端の準備の上で早めに出発し、安全も重視して地元民(秋吉久美子)に道案内依頼しながら、順調に進軍していきました。

一方、神田大尉は、大隊長(三国連太郎)の「弘前に勝つ」という本来とは違う目的を言われ、210名の大所帯で出発。大隊長の口出しで、案内人も頼めず、無理な行軍の中、天候が悪化し、次から次へと倒れていくのでした。

神田隊の遭難を知らない徳島隊は、八甲田山の麓まで遅れて到着しましたが、そのまま山中に入っていき、そこで凍死した神田隊の兵士を発見します。そして、ついに神田大尉の亡骸を見つけるのでした。

なんとか全員が八甲田山を踏破した徳島隊は、神田大尉をはじめとする多数の遺体が山中にあることを報告します。しかし、すでに神田隊の遭難者の遺体が一部収容されており、その中には神田大尉もいるといわれ驚きます。

徳島大尉は遺体安置所に行き、そこで神田大尉の妻(栗原小巻)から「徳島大尉との再会だけが今回の行軍の唯一の楽しみだ」と言っていたことを伝えられると、「確かに山中で再会しました」と言って泣き崩れるのでした。

青森の連隊は大隊長、倉田大尉(加山雄三)、村山伍長(緒形拳)ら、帰還できたのはわずかに12名でした。大隊長は、自分の責任を詫び拳銃自殺します。それから、何十年もたち平和な世の中になり、八甲田山のロープウェイに乗って八甲田を眺める老人がいました。彼は凍傷で片腕を無くしたものの生還を果たした村山伍長でした。

この最後のシーンだけはいらない気がします。徳島大尉以下、揃って八甲田山を背に弘前に帰投していくシーンで終わりで良かったのではないかと思います。ところどころで、青森の春・夏・秋の風物のシーンと徳島大尉のこどもの時の津軽の平和な風景が挿入され、雪中の厳しさとの対比を際立たせています。

命令に従って愚直に行動する武骨な明治の軍人、しかし、その中で部下の無事を最大限に考慮し、人との信頼関係を大事するキャラクターは、高倉健本人のイメージとも重なり、まさに他の誰にも演じることができないものでした。

上官の無理に振り回され、悲劇の中に精一杯行動した北大路欣也も、健さんに負けず主役級の頑張りを見せ、確実に日本映画史上忘れられない一本となったのでした。

2019年1月20日日曜日

君よ憤怒の河を渉れ (1976)

高倉健の東映退社後、最初の映画は西村寿行原作のアクション物のサスペンス映画でした。健さんは、大手映画会社のヒット作量産体制によるマンネリ化に対して、危機感を感じていたわけで、徳間書店が企画した一本立て興業作品の先駆けとなる本作の出演を快諾したわけです。

監督は「新幹線大爆破」に続いて佐藤純彌があたり、健さんは濡れ衣を着せられた検事という新しい役どころに挑戦しました。しかし、アクション・ドラマとしては、かなり展開が強引であることや、シリアスな場面でのあまりに呑気なBGMは映画としての格を落としたことは否めません。

人間性を演じ切る健さんの特徴も生かし切れてなく、今一つ主人公に感情移入しにくい感じがします。健さんは、珍しいラブシーン(というほどのものではないけど)や、廃人となったふりをする演技など、今までにない役柄に挑んでいる点は面白い。

いきなり街頭で強盗・強姦犯人とされた検事の杜丘(高倉健)は、無実を証明するために捜査を担当する矢村警部(原田芳雄)のもとから逃亡します。偽証した男を追って北海道にわたりますがすでに警察の包囲網がしかれていました。牧場主(大滝秀治)とその娘、真由美(中野良子)の助けを得て、やったことがないセスナを操縦して東京に戻ります。

代議士の自殺事件に疑問を持っていた杜丘は、単独で捜査をつづけていたため、黒幕の長岡(西村晃)にうとまれ罠にかけられたのでした。長岡の息のかかった病院に乗り込みますが、院長(岡田英次)により監禁され、精神を破壊する薬を投与されます。

実は杜丘は薬を服用したあと、すぐに吐き出すことでじっと機会を待っていたのですが、そこへ真実を知った矢村警部がやってきて院長は自殺します。二人は国外に逃亡しようとしていた長岡のもとに向かい、長岡を射殺するのでした。

・・・と、まぁ、あらすじはこんな具合なんですが、やはり、逃亡の経過を追いかけていくところに重点が置かれていて、それぞれのキャラクターの描写は不十分です。主人公の杜丘、真由美、矢村のいずれも、無茶な行動をする理由がよくわからない。

ただし、原田芳雄は、「新幹線大爆破」のオファーがあったのですが、「新幹線が主役の映画は嫌だ」と断ったそうですが、完成した映画を見て悔やんだそうです。ですから、この映画の出演は快諾したという逸話が残っていて、当時のニヒルなキャラが立っています。

また、文化大革命後の中国で最初の外国映画としてこの作品が上映され大ヒットとなったことは有名な話で、中国では健さんはヒーローとして人気を呼びました。2017年には「マンハント」のタイトルでジョン・ウー監督がリメイク、矢村役で福山雅治が出演したことは記憶に新しいところです。

2019年1月19日土曜日

新幹線大爆破 (1975)

ヤクザ映画ばかりになっていた高倉健は、1970年に高倉プロを創立し、自身の方向性を変えようとしていました。そして、1976年からは東映からの完全な独立を果たすことになります。

「新幹線大爆破」は健さんのキャリアで東映専属の最期を飾るもので、オールスター・キャストによる、当時アメリカで流行していたパニック物の日本での先駆けとなる作品となります。

開業から10年を経過し、安全神話の中にあった新幹線の盲点を突くプロットは秀逸で、高倉健にギャラは少なくても、犯人役でもいいから出演したいと申しださせることになります。高倉が出演が決定したことで、犯人の視点を描くシーンが追加され、映画全体の奥行きが深まったことは成功の一因でしょう。

ただし、新幹線が犯罪に利用される話を嫌った国鉄(現JR)からは協力を拒否されたため、実写で迫力のあるシーンは撮影できず、やむをえず模型を使用した特撮が行われました。今のCGなどを含むリアルな特撮からすれば、おもちゃであることは簡単にわかりますが、当時の技術力からすれば妥当な線だと思います。

倒産した町工場の社長だった沖田(高倉健)は、互いの境遇から信頼関係を築いた古賀(山本圭)、ひろし(織田あきら)らと、時速80km/h以下に速度を落とすと爆発する爆弾を新幹線ひかり109号に仕掛けます。爆弾の信憑性を証明するため、別の貨物列車にも同様の爆弾を仕掛け爆発させました。

運行指令室で、色々な指示をする責任者は宇津井健、鉄道公安本部長は渡辺文雄、捜査に当たる警察は鈴木瑞穂、青木義朗、黒部進など、新幹線の運転手は千葉真一、小林稔侍、同乗していた鉄道公安官は竜雷太、パニックになる乗客は田坂都、十勝花子、藤田弓子などなど。

起きたの妻に宇都宮雅代、国鉄総裁に志村喬、内閣官房長官に山内明、さらに特別出演として、丹波哲郎、北大路欣也、川地民雄、田中邦衛。ちょっとだけの顔出しで、多岐川裕美、志穂美悦子、岩城晃一なども出演しています。

とにかく、昭和を代表する俳優たちのオンパレードですが、ほとんどは犯人高倉健、指令室長の宇津井健、警察の鈴木穂積のやり取りが中心のサスペンス。パニック映画という観点からは、新幹線車内の混乱描写が少なく物足りなさは否めませんが、綿密に計画した犯罪がしだいに綻びを見せていく過程のスリルは十分に堪能できます。

落ちぶれた中年の犯罪者という、それまでの健さんのイメージからはありえないキャラクターでしたが、この役を得たことでこの後の高倉健の再出発の一つのイメージが出来上がったことはまちがいありません。

2019年1月18日金曜日

網走番外地 (1965)

このタイトルは、好き嫌い、見た見ていないにかかわらず、たぶん昭和世代の人は必ず聞いたことがあるはず。

高倉健をスターダムに押し上げた映画であり、制作した東映の思惑に反して大ヒットしたためシリーズ化されています。

基本的に、ヤクザ映画、あるいは暴力映画みたいなものは好きじゃないので、自分としては見るべきものとは思ってはいませんでした。ただし、後年の人間味あふれる高倉健は嫌いではなく、2014年に健さんが亡くなったことで、一度は見てみようと思い立ちました。

「網走番外地」は、もともと網走刑務所に収監されていた伊藤一が書いた小説であり、1959年に日活が映画化していましたが、東映は三国連太郎の持ち込み企画をいただき、タイトルこそ使用していますが、中身はアメリカ映画「手錠のまま脱獄(1958)」を監督の石井輝男が換骨奪胎したものでした。

北の果て網走刑務所に到着した橘(高倉健)は、厳しい寒さの中、黙々と日々の作業をこなしていましたが、母親が病気で一目でもいいから会いたいと考えていました。保護司の妻木(丹波哲郎)は、何とか保釈の手続きに奔走します。

ところが、房内で脱獄の計画が持ち上がり、作業場に行くトラックから権田(南原宏治)と鎖でつながった橘は無理やり飛び下ろされます。二人は逃亡の途中で妻木の家に立ち寄り、道かった妻木の妻をケガさせます。

やっと列車の線路まで来た二人は、線路に横たわり鎖を列車の通過で切断に成功しますが、その衝撃で権田は崖を落ちて重傷を負いました。一度は権田を置いたまま逃げようとした橘でしたが、権田の「母さん、母さん」といううわごとを聞いて、助けることにしました。

そこへ、追いかけてきた妻木が到着し、「お前は人間の屑だ」と罵倒しました。橘は「俺はどんな償いもするが、こいつを病院に連れて行って欲しい」と懇願します。妻木は馬そりに二人を乗せ、病院へと向かうことにし、橘に「お前は、お人よしなのさ、底抜けのな」と言うのでした。

高倉健はキャラクターとして、ヤクザでありそれが元で刑務所に送られてきたわけですが、この映画の中では母親思いで、道から外れた境遇を少しずつフラッシュバックしていきます。また、そこで実際に受刑者の間に伝わっていた歌をもとに高倉健自ら歌う主題歌が効果的に繰り返し流れることで、人との付き合い方が不器用ですが、人としてはずれたことはしたくないという、まさに健さんの原点が作られていました。

映画としては、今では突っ込みどころ満載であることは否定できませんが、雪原の逃亡、トロッコに乗ってのアクションなどの見どころも多く、よくできていると思います。しかし、この映画のヒットもあって東映時代の健さんは、この後10年間、ひたすら網走番外地シリーズや、任侠物の映画ばかりに出演することになってしまいました。

とりあえず、その第1作は高倉健ファンならずとも、一度は見て損はしないでしょう。

2019年1月17日木曜日

アマリリス 2019

f/5  1/100sec  ISO-2000 82mm

毎年、以前通院されていた方にいただくアマリリスの球根。

わざわざ、このためだけに11月にお出でくださいますが、去年もいただきました。

12月はじめから芽が出て、年末年始の休みの間は咲かないように、暗がりに置いておきました。

今年は花のつく茎が2本伸びてきて、それぞれに2輪、3輪の花が咲きました。ほとんど同時に咲くことはあまり無いので、まとまってくれるとゴージャス感がはんぱない。

今週一杯が見頃。先に咲いた方が、少ししおれだしているので、来週はボリュームダウンです。

それにしても、見事なもので、毎年毎年ありがとうございます。

2019年1月16日水曜日

SKYLINE GT-R


自動車マニアではないし、一貫してトヨタ党なので、それほど詳しいわけではありませんが、スカイラインGT-Rが自動車好きの羨望の的の車種だったことくらいは知っています。

もっとも、今は日産のラインナップにあるらスカイラインは名前だけという感じで、若者にうけるようなスポーティさは無くなってしまいました。

もともと、スカイラインの最上級グレードとして存在したGT-Rですが、今は単独の「GT-R」として残っていますが、その新車価格は・・・・

驚きの1000千万円からという超高額!!

外国のスーパーカーに比べれば安いかもしれませんが、そうとう気合を入れないと・・・というわけで、昔のスカイラインGT-Rを中古で手に入れるという方は珍しくありません。

今でも覚えている当時のスカイラインの一番の外見の特徴は、やっぱり丸い独立した4灯のテールランプです。

今回目撃したのは、テールの間にウィンカーがあるので、1989~2002年に発売されていた第2世代、三代目のスカイラインGT-Rです。バブル時代の、自分的にも一番馴染みのある型です。

実は中古車相場でも、状態の良いものなら今でも1000万円、安くても200万円という価格ですから、おいそれと手が出ないのは同じ。

20~30年前の車種ですから、当然修理したくても部品の在庫はメーカーには無いでしょうから、メンテナンスもけっこう大変だと思うんだけどな・・・まぁ、好きな人にはたまらないということですよね。

2019年1月15日火曜日

夜と朝のあいだに



・・・というのは、ピーターの1969年のデヴュー曲。

このあと、「・・・一人の私、天使の歌を聞いている死人のように」と続く、当時としては、歌っている人も、歌っている内容も、かなり衝撃的でした。

自分はまだ小学生でよくわかりませんでしたが、インパクトは絶大で、けっこう美少年が低音の野太い声で歌うところはよく覚えています。

実際のところ、夜と朝の間というのは、日の出前から日の出直後の数分間ということですかね。太陽が出ると、急速に明るくなるので、夕闇に比べると時間的には短い気がします。

そういえば、ドラキュラは太陽に弱いんでしたよね。何か魔物とかいるんだったら、急いで退散しないとね。


2019年1月14日月曜日

ラプラスの魔女 (2018)


人気作家、東野圭吾の書下ろしを映画化。どちらかというと暴力描写が得意な三池崇史が監督、主役に嵐の櫻井翔、若手躍進中の広瀬すず、福士蒼汰、ベテランの豊川悦司を配した最新作。

う~ん、いやはや、なんだかなぁという感じなんです。

まず主役の一人、桜井君なんですが、捜査に協力しているどこかの大学教授ということなんですが、突然この人が出てきても、教授としての力量は描かれず、教授としてはあまりに若い桜井君ではキャラクターとしての説得力が無さ過ぎる。

広瀬すずは、さすがに若手の中でも注目されるだけの女優さん。演技に関しては、素晴らしいと思うのですが、いかんせん国家権力によって監視されている立場にしてはあまりに行動が自由過ぎ。

クライマックスは、桜井・広瀬はほったらかしで、どちらかというとトヨエツと福士君の歪んだ親子関係の対決となっている。狂気のトヨエツはさすがですし、それに対する福士君もなかなか頑張っているので、真の主役はこの二人かなという感じです。

広瀬・福士の二人が持っている特殊な力は、予知能力ではなく予測能力であるというところは説明としては理解できます。ただし、この能力をうまく話しの中で生かし切れているわけではなく、単なる超能力者という扱い方でしかないように思いました。

というわれで、あまり多くを語れる映画ではありませんでした。

2019年1月13日日曜日

ちはやふる 上の句・下の句 (2016)、結び (2018)

映画でも、内容を簡潔にわかるように分類するというのは普通のこと。そこで「ちはやふる」なんですが、「青春物」とか、「恋愛物」とか、「コメディ」などなど、いろいろなジャンルが当てはまる。

ただし、一番ふさわしいものを一つだけ挙げるなら、直接的なスポーツではありませんけど「スポ根物」というのがいいかと思うくらい、登場人物の頑張りがすごい。

もともとは少女漫画ですが、当然原作は呼んだことはありませんし、本来マンガが原作の実写化映画の多くは、マンガの人気にあやかってヒットだけを狙っているような、映画としては駄作が多いのであまり興味が無い・・・んですが、ひょんなことから見てしまったこの映画、なかなか只物ではありません。

監督は小泉徳宏で、あまり作品は多くない若手の一人。ところが、たくさん出てくる主要人物のキャラクターの描き方がうまい。脚本も担当していて、3作でのぶれがなく、またストリーごとの主人公たちの成長の過程も納得できる作りはたいしたものかも。

基本的には、小さい時に競技かるたのチームだった三人(広瀬すず、野村周平、新田真剣佑)が、敵味方に分かれ団体で、あるいは個人で対戦していく中で成長していく話。競技かるたという、ややマイナーな競技をわかりやすく説明してくれているし、また興味深く話を追いかけていくことができました。

当初は、高校1年生の前後編の2部作で終了する予定だったようですが、高校3年になった続編が作られることになり、登場人物もリアルに2年間での成長が映画の中にうまく投影されています。続編は2匹目のどじょう的なものが多く、やらなきゃよかったのにと言いたくなる映画が多いものですが、ここでは続編を作った意義がはっきりしていて、3作続けてみることで映画としての完成度の高さを実感することができます。

あらすじとかは、いろいろなネット情報におまかせするとして、まず痛快なのが主人公の千早を演じる広瀬すずのはっちゃけぶり。かるたに対して真っすぐで、一度やると言ったらとことん突き進むところがめちゃめちゃいい。

ひそかに千早に好意を抱く太一(野村)は、何をするにも千早のため。結局、かるたを続けているのは千早のためで、最後に自分の進み先が見えなくなってしまう。新(真剣佑)は、名人の祖父が亡くなり、祖父のためとがんばっていた目標を失いますが、千早たちをみて、自分のためにかるたを再開する。

とにかくうまいと手をたたきたくなるのは、最終的な部分を直接的にえがかないところ。スポ根としては、最後に勝利を手にして万歳で終わる。あるいは、恋愛ものとしては、三人の三角関係に決着がついて、どちらかが潔く手を下ろしてさわやかに去っていくというところ・・・

これらをいずれも、アニメーションで処理することで、むしろ主人公たちの成長していく姿を印象付けたと言えます。今まで、皆からもらってばかりだった千早が、最後の最後、今度は自分がみんなに上げる番だと悟っていく流れは素晴らしい。映画のラストシーンは、そんな千早の将来をチラ見せして終わるのも粋な計らいです。

難しいことを言わずに、とにかく楽しんで、出てくる登場人物の全員を応援して、そしてさわやかに見終えることができる映画でした。

2019年1月12日土曜日

母と暮らせば (2015)

山田洋二の84本目の監督作品。松竹創立120年記念、第39回日本アカデミー賞で、最優秀主演男優賞(二宮和也)と最優秀助演女優賞(黒木華)を受賞しました。ちなみに、この年の最優秀作品賞は「海街ダイアリー」で、最優秀監督賞は是枝裕和が受賞しています。

井上ひさしの「父と暮らせば」と対をなす「戦後"命"の三部作(山田洋次が命名)」の一つ。井上ひさしが亡くなったため、山田洋次がその原案をもとに脚本を書きました。

「父と暮らせば」はすでに舞台劇として完成していたので、映画として舞台を限定した会話劇の体裁でした。こちらも、その流れをある程度意識して、基本的には母と子の楽しかったころを思い出しての会話劇のスタイルを踏襲しています。

ただ、さすがに映画監督が作るからには、登場人物も多くなり、母子の家以外の場所でのエピソードもそれなりに盛り込まれ、ファンタジー色も強めになっています。

「父と暮らせば」は、広島で被爆して生き残ったことを責め続ける娘のもとに、3年たって初めて戦争以外に気持ちがむきそうになることをきっかけに、父親の幽霊が出現してくるというもの。

一方こちらは、長崎で息子の浩二(二宮和也)を亡くした母親(吉永小百合)のもとに、3年たってやっと息子をあきらめようとすることをきっかけに浩二の幽霊が出現します。また、息子の許嫁、町子(黒木華)も気持ちの整理がつかぬまま重要な登場人物となっています。

被爆瞬間を、強大な光とその中でガラスのインク瓶が溶けていく様子で表現したのは秀逸です。浩二は町子との楽しかったひと時を回想しながら、しだいに町子が自分にこだわらなくていいと考えるようになります。

母親は、体調が悪くしだいに体力を落としていく中で、息子との会話の中から自分の人生を納得していきます。そして許嫁に対して、別の人を好きになっていいんだと説得するのでした。

年の瀬、町子は婚約者を連れて母親のもとを訪れます。この婚約者を演じるのは浅野忠信で、「父と暮らせば」に対するオマージュとしての配役でしょう。母親は、浩二に死期が近いことを教えられ、静かに息を引き取るのでした。そして母親と浩二は連れ立って天国に向かって行って映画は終わります。

何と言っても、吉永小百合さんが死んでいく役と言うのは驚き。ある意味、これは禁じ手です。一人で静かに死んでいくというだけで、涙ものとしかいいようがない。

でも、最後で婚約した町子を祝福したにもかかわらず、母親は「なんであの子だけが幸せになるの」と思わず本音を言ってしまうところは、「父と暮らせば」で生き残った娘の親友の母親が「なんであなたは生き残ったのか」と責めるところと同じ。

でも、こちらで、そんなことを言ってはいけないということはわかっているというのは、「父の暮らせば」の娘に対してのものかもしれません。

原爆の直接的な悲劇というよりは、戦争そのものが家族を引き裂いていくことがメインのテーマになっているように思いますが、中途半端な登場人物たちの喋る長崎弁が気になります。

また、浩二の幽霊の登場の仕方や、最後の二人で天国に旅立つシーンのベタな演出は好き嫌いが別れるところだと思います。この辺りは、ある意味「昭和的」なところ。

総合的に2作品を比べてみると、映画的には「母」が良くできていて、吉永・二宮という二人の「アイドル」の登場で、ファンタジー色が強まりました。しかし、戦争の悲劇を伝える力は「父」の方に圧倒的に軍配が上がるように思いますし、舞台劇の制約の中で映画的な処理に工夫を凝らしている点も高く評価できると思いました。

2019年1月11日金曜日

父と暮らせば (2004)

黒木和雄監督作品。原作は井上ひさし。

こまつ座は、井上ひさしが主宰し彼の作品を専門に上演する劇団です。井上は「戦後"命"の三部作」という構想を持っていて、その一作目として1994年にこの広島を舞台とする「父と暮らせば」を初演しました。

しかし2010年に井上ひさしが亡くなったため、長崎と沖縄を舞台にする残りの二作品は井上の生前に日の目を見ることはありませんでした。

長崎を舞台とする作品は、その構想を山田洋次監督が引き継ぎ、舞台では2018年にやっと上演されました。沖縄を舞台とする「木の上の軍隊」は2013年に初演されています。

察しのいいひとならすぐ気がつくと思いますが、実は山田洋次監督作品「母と暮らせば」が、長崎を舞台にする「父と暮らせば」と対になる作品です。この両作品は合わせて観賞するべきもの。

広島に原爆が投下されて3年。23才の福吉美津江(宮沢りえ)は、原爆により半壊した家で一人暮らしを続けていました。務めていた図書館に、原爆の資料収集のために訪れた木下という青年(浅野忠信)に被爆以来初めて恋心を抱きます。

その気持ちが芽生えたことをきっかけに、原爆で亡くなった父親(原田芳雄)の幽霊が出現するようになり、美津江の恋を成就できるように応援するのです。

しかし、美津江はかたくなに「自分は幸せになってはいけない」のだと言って殻に閉じこもろうとします。父親と庭にいた被爆の瞬間、美津江は親友への手紙を落としてかがみこんだことで、石灯篭の陰で救われました。

その親友は死に、その母親からは「何故うちの子が死んで、あなたは生きているの」と責められたのです。さらに、原爆病の恐怖も手伝って、生き残ったことは罪だと思い込んでいるのでした。しかし、さらにその気持ちの一番奥には、「お前だけは生き延びろ」と言われて、瀕死の父親を置いてその場を離れたことが、最大の呵責となっていたのです。

もともと舞台での二人芝居ですので、映画でもほとんど父娘の会話劇として物語が進行します。二人の会話の中に、戦争で死んだ者の悔しさ、生き残った者の辛さ、そして何よりも原爆の恐ろしさが埋め込まれていて、そのすさまじいエネルギーに心を奪われてしまいます。台詞はすべて広島弁で、それが本当に被爆した方々の心の叫びのように感じられる。

当然、宮沢、原田二人の演技が本当に見事であることが大きな要因なのですが、たくさんの長い台詞だけでなく、言葉が無い時の仕草なども、この映画のエネルギーを増大させていることは間違いありません。

ほとんどの場面は福吉家で進行しますので、舞台劇を見ているような錯覚をします。映画としては、どうしても地味になりやすいところですが、長台詞の間二人の周りをカメラが360゜回転して見せたり、被爆の様子や、被爆後の壊滅した街の様子をCGなどを駆使してリアルに見せたりすることで、映画としての立体感・空間感を作り出している監督の手腕はさすがです。

力強く生きていくための希望を見つけたかもしれない美津江は、父親に「しばらく会えんかもしれんね。おとったん、ありがとありました」と言って物語は終わります。


2019年1月10日木曜日

花びら

f/5.6  1/50sec  ISO-800  210mm

魅力的な花の代表は、何と言っても薔薇。

老若男女問わず、さしあたって何か困ったら薔薇を用意しておけば困らんでしょう。

もちろん種類にもよるんでしょうけど、新鮮な薔薇の花びらは、ビロードのよっな質感があり、確かに魅力的です。

ビロードはポルトガル語で、英語だとベルベットです。高級品は絹で織られていてフォーマルウェアに用いられますが、正直着たことが無いので本当のところはよく知りません。

たぶん、見た目で似ているということなんですが、ゴージャス感は半端ないですね。

2019年1月9日水曜日

寒さとインフルエンザ、真っ盛り

f/5.6  1/100sec  ISO-500  135mm

年が明けて、インフルエンザがすごく元気づいています。

例年の事ですけど、1月に流行のピークを迎えます。内科クリニックでは、毎日数十人がインフルエンザと診断されているようです。

うちは、整形外科ですから、基本的に発熱や咽頭痛で受診する方はいませんが、中には「ちょっと、熱っぽいんだよね」という方もいないわけじゃない。

先日、定期的に通院している方が、受付で「昨日から少し熱がある」と話してくれたので、同じビル、同じ階の内科に先に行ってもらったら、インフルエンザ陽性でした。

予防接種はしていた方なんですが、予防接種すれば罹患しないことを100%保証するわけではありませんので、手洗い・うがいなどは励行したいものです。

2019年1月8日火曜日

鐘の音、聞きました?

f/5.3  1/125sec  ISO-100  112mm

新年開けて1週間。

普通は、ここらで正月気分がおしまい。

・・・にもかかわらず、いまさら年末の話を持ち出すのも何ですが、大晦日は、昔は紅白が終わったNHKと民放テレビは全社共同で「ゆく年くる年」というタイトルで番組を放送して、必ずテレビから除夜の鐘が流れて来たものです。

今は民放はカウントダウン番組ですから、鐘の音は聞けません。そもそも紅白に興味がなく、さっさといつも通りに寝てしまうので、鐘の音とは無縁としか言いようがない。

大騒ぎせずに、ゆっくり1年を振り返りながら新年を待つのには、BGMは鐘の音で十分なのかもしれません。

2019年1月7日月曜日

白樺

f/3.5  1/800sec  ISO-100  28mm

カバノキ科カバノキ属の落葉樹が白樺。正式には「シラカンバ」ですが、だいたい「シラカバ」と呼んでいるかと。

樹皮が白いことからそう呼ばれているわけですが、これはベチュリンという成分のため。ただし、何故白いのかはよくわかっていないようです。

でも、この独特の白さが冬の風物詩として目立つ存在になります。特に、たくさん集まっている白樺林は、独特の優雅さがあって美しいですね。

春になると、大量の種子が風に乗ってばらまかれるので、花粉症の方には大敵の一つで要注意です。

2019年1月6日日曜日

たぶん憧れ

f/5.6  1/320sec  ISO-100  210mm

日本と違って、アメリカの自動車のナンバー・プレートは個性的。

州によって、デザインはいろいろで、とにかく絵になるアイテム。ですから、お店の内外の壁を飾るのによく用いられています。

どちらかというと、東海岸よりも西海岸のイメージ。それも60~70年代くらいのノスタルジーを感じます。

たぶん、1973年の「アメリカン・グラフィティ」の影響が大きい。「スター・ウォーズ」で有名になったジョージ・ルーカス監督のの最初のヒット作です。

ひとえに「何か楽しそうで、夢が叶う国」という、アメリカに対する憧れのような感覚であり、たぶん、この数年で急速に失われつつあるもの。

相撲と同じでメジャー・リーグだって、現在は(日本人を含む)外国人選手の活躍で成り立っているところがあるわけで、純粋なアメリカ人(そんな人がいるのかわかりませんけど)からすれば面白くないのかもしれません・・・

2019年1月5日土曜日

線路は続くよどこまでも

f/5.6  1/400sec  ISO-100  300mm

自分は、いわゆる「鉄オタ」ではありませんが、時と場合によっては確かに画になることは否定しません。

実際に列車が視界に無くても、長く続いている線路だけ見ているだけでいろいろと想像することができます。

当然これは、踏切の真ん中で立ち止まって見ているわけですが、キンコンキンコン鳴ってたら、この場所にはいられません。

このアングルで、迫りくる列車をとらえるというのは無理な相談です。

そこですぐ近くの線路をまたぐ陸橋の上に行ってみると・・・

f/5.6 1/400sec ISO-100 300mm

こんな感じ。

やはり、真正面というわけにはいきませんね。それに、たくさんの高架が邪魔だし。

まぁ、いろいろと想像して楽しいかもとは思いますけどね。


2019年1月4日金曜日

是枝裕和 #7 空気人形 (2009)


前作が、言ってみれば「ホーム・ドラマ」というジャンルで、是枝監督の代表的な作風を作り出したのですが、一転して今回の作品は、かなりソフトな衣装をまとった硬派な作品です。

ソフトというのは、いわゆる「ダッチワイフ」と呼ばれることがあるねビニール製の空気を入れて使う性的玩具が主人公であるということ。ハードなところは、「人間とは」とか、「幸福とは」とかというようなかなり根源的な命題を提示しているところ。

エロっぽいシーンもあるので、是枝作品のほのぼの感を期待していると、ひどいしっぺ返しをくらいます。正直、見終わった後に、それなりの疲労感を感じる映画でした。

中年にさしかかって、若い上司に怒られながらファミレスの店員を続ける秀雄(板尾創路)は、家に帰ると空気人形の「のぞみ」(ペ・ドゥナ)を恋人のようにして生活していました。最初の登場シーンでは、いかにものビニール製の人形ですが、ある朝、秀雄が出かけた後に少し動き出していくシーンは、本当の人の動きのように見えます。

心を持つことになったのぞみは、窓を開け外の世界に興味を持ち、メイド服の姿で外出します。そしてレンタル・ビデオ店の店員の純一(ARATA)と仲良くなり、そのまま店でバイトを始めます。ある日、釘で腕が裂けてしまい空気が抜けてしまいますが、純一がおへそのところにある空気の栓から息を吹き込んで事なきを得ました。

それまで、ただ知らないことだらけで、いろいろな知識を吸収して成長していたのぞみは、好きな人の息で満たされたことで、「老いること」あるいは「死ぬかもしれないこと」を受け入れることができるようになります。

のぞみは自分を作った工房にでかけていき、人形師(オダギリジョー)と再会します。人形師は何で心を持ったかはわからない、でもどのように扱われてきたかで同じ顔に作った人形でも、それぞれ個性を持つようになると話します。

秀雄はいくらでも代わりがいる店員ですし、純一も自分の生き方に疑問を持ち続けてきた様子です。他にも、登場するのは何か事件が起こると「私が犯人です」と交番で話し出す老婆(富司純子)、その話を聞いてなだめる警官(寺島進)も警察官としてのストレスを溜めているらしい。

若い娘ばかり人気があって不満だらけの中年受付嬢(余貴美子)、都会の生活に心をすり切らして過食症になっている娘(星野真里)、酸素無しでは生きていけないのにタバコが好きな元教師だった老人(高橋昌也)などなど・・・・

のぞみは自分の事を繰り返し「私は空気人形。性欲処理の代用品」と言いますが、人間も代わりがきく存在で、ある意味「人形」みたいなもの。一つ一つの出来事を新鮮な思いで経験していくのぞみの方がはるかに「人間的」ということ。

唯一無二の存在である人なんて、何十億の人間の中でごく一握りです。自分を含めて、大多数の人は代替のきく存在ですが、それぞれの生活は千差万別。そこに、何かしらの生きていく意味があるんだろうということなんでしょうかね。

2019年1月3日木曜日

是枝裕和 #6 歩いても歩いても (2008)

本作は、是枝監督が最も得意とする「家族」の日常を描いた作品の一つです。そして、前作で進めたドキュメンタリーよりも「映画的」に作ることを明確に出して、誰かがどこかで書いていたんですが、「芥川賞なんだけど直木賞」という作風を確立させました。

また、このあと是枝作品の常連として度々登場する、樹木希林、阿部寛という二人の俳優が初めて登場する作品としても記憶しておきたいと思います。

海辺の住宅街の廃院した診療所に年老いた医師だった父親(原田芳雄)と母親(樹木希林)が住んでいて、長男は海で溺れていたこどもを助けて自ら命をおとし、長女(YOU)は現実的でしっかりもの、次男(阿部寛)は仕事がうまくいかず前夫と死に別れた子連れの女性(夏川結衣)と結婚しています。

夏のある日、毎年、亡くなった長男の命日に家族が集まった一泊二日の話です。次男は、いまだに、頑固でプライドの高い父親に認めてもらえません。実際、仕事もうまくいかず、細かい所で虚勢を張るしかありません。母親も、亡くなった長男を年々美化していくため、次男はこの家に来るのは気が進まないのは当然です。

一つ一つのエピソードは、ごく普通の家庭にいくらでもありそうな話だし、特別な事件が突発するわけではありません。しかし、その会話の自然な流れ、いかにもありそうな行動が、普通の人にとって共感しゃすくしている。

その中で、それぞれの家族のメンバーが、家族だらこその無遠慮と同時に、いちいち口に出さないけれどお互いを信頼していることが伝わってきます。これは、是枝が描きたい映画というフィクションの中の「リアル」だろうと思います。

その中で、特に印象的なのは、さすがと言うべき樹木希林がらみのシーン。長女との何気ない調理シーン。墓参りの帰りに、長身の阿部寛と並んで「弱々しく」歩くところの年老いた母。

長男が助けた相手を毎年命日に招き、「簡単に忘れてもらっては困る。一年に一日だけは、ここで辛い思いをしてもらう」という残酷な母の本音。

認知症があるわけではなさそうなのに、部屋の中に迷い込んだ蝶を長男が帰って来たと思って追いかけまわす母の狂気。

次男の嫁に対して、「死に別れなら嫌いあって別れるからいいけど、死に別れはね・・・」と思っており、着物を譲るけど破るに破れない見えない一枚の壁をしっかり作っている感じ。

そして、昔浮気中の夫のもとに乗り込もうとして踏みとどまり、部屋の中から聞こえて来た歌謡曲のレコードを買って帰ったと初めて告白するところ。そのレコードは昭和44年のいしだあゆみの大ヒット曲の「ブルーライト・ヨコハマ」でした。

その中の有名な歌詞が「歩いても、歩いても、小舟のように・・・」です。この歌詞の続きは「私は揺れて、揺れて、あなたの腕の中」と続く。つまり、ずっとあなたを信じてついていくわ、という内容なんですよね。

本当に何も起こらない映画なんですが、ずっとさざ波は立ち続けていて、その要素は登場人物の会話と仕草、さらに画面には映っていない周囲の音、全体を包むやさしい自然光などに凝縮され、また見たくなりました。

2019年1月2日水曜日

是枝裕和 #5 花よりもなほ (2006)

是枝裕和の監督作品、第4弾は、明らかなそれまでの4作品とは異なります。確実に、新しいステップに入ったことを感じることができる作品です。

人の生活の営みの中で、「あるある」をうまく表現する是枝の特徴が、作り込まれたストリーの中にはっきりと見えました。そして、時代劇であることから、ドキュメンタリー作品出身の是枝のこれまでの最大の武器の多くを封印したように思います。

さらに、前作で余裕ができたのか、多くの有名俳優を揃えたことも、ある意味「映画的」ですし、彼らをとらえる主観的な映像も多く、初めて意識的なカット割りを行う事で、場面転換にスピード感があります。

監督自ら語っているように、この映画のテーマは「仇討ち」ですが、仇討ちよりも大事な何かを見つけた喧嘩に自信が無い侍の話。赤穂浪士の武勇伝の陰には、数百人の主君の仇討ちから逃げた者がいるという、誰もが注目しなかったところから思いついたという。

そして、もう一つは黒澤明監督に対する挑戦。白黒映画である「どん底」や「隠し砦の三悪人」をあげて、汚れ具合のリアルさをカラーで表現してみたかったというのが面白い。

自分としては、最初の印象は「どですかでん」を思い出しました。一本の芯となるストーリーと、長屋に住む人々のちょっとした脇道の話がたくさん絡んでくるところが、黒澤へのオマージュでないはずがありません。

時は元禄、戦の無くなった文化が爛熟する時代。信州から父親の仇討ちのため江戸に出て来た宗左衛門(岡田准一)だったが、剣の腕はからっきしだめ。

同じ長屋に住んでいるのは、夫に先立たれたらしいシングル・マザーのおさえ(宮沢りえ)、仕官の夢を捨てきれない落ちぶれた侍(香川照之)、仇討ちのため隠れ住んでいる医者の十内(原田芳雄)、何かの過去をひきずるクールな遊び人(加瀬亮)などなど。

他にも、代書屋(中村嘉葎雄)、大家(國村隼)、その後妻(夏川結衣)、お調子者たち(平泉成、田畑智子、古田新太、上島竜兵、木村祐一、千原靖史などなど)などが、いろいろ騒ぎ立てます。

宗左衛門の伯父(石橋蓮司)、弟(勝地涼)も話に割って入ってきます。宗左衛門の仇の十兵衛(浅野忠信)、十内のもとに集まる赤穂浪士(遠藤憲一、寺島進、田中哲司)などは、是枝作品ではお馴染みになってきた面々が固めています。

いわゆる「グランド・ホテル」形式なんですが、その割には初めて有名どころの俳優を大勢扱う是枝にしては、うまくまとめあげたと言えます。サイド・ストーリーだけで、数本の映画ができるくらいのアイデアですが、メインの「仇討ちをしない」ことを盛り立てる方向性がぶれていない。

落語の「花見の仇討ち」をうまり利用したりするあたりは、是枝の発想の柔軟性を感じます。そもそも、元々のモチーフである仇討ちから逃げた赤穂浪士をメインにしなかったことで、見ている側がいろいろと想像する余地を残してくれているようです。

是枝作品としては、比較的地味な扱いをされている本作ですが、後年の「海街ダイアリー」などにも通じる、是枝作品のリアルな人間観察を積み重ねをきわめて「映画的」に作り上げた最初の作品だろうと思います。

2019年1月1日火曜日

謹賀新年

f/5.6  1/800sec  ISO-100  190mm

明けましておめでとうございます
本年もどうかよろしくお願いいたします

            2019年元旦


今日から元号も変わってくれれば、すっきりした・・・・とか、思ったりする新年が始まりました。

年を取ると、昨日の続きで今日があって、きっと今日の続きが明日という感じです。

でも、暦が改まると、ちょっと気持ちが引き締まるところはありますよね。

また何か新しいことが始まる期待のようなものが、ちょっとだけ感じることができます。

誰にとっても、今年が良い年であるといいですね。