2019年1月11日金曜日

父と暮らせば (2004)

黒木和雄監督作品。原作は井上ひさし。

こまつ座は、井上ひさしが主宰し彼の作品を専門に上演する劇団です。井上は「戦後"命"の三部作」という構想を持っていて、その一作目として1994年にこの広島を舞台とする「父と暮らせば」を初演しました。

しかし2010年に井上ひさしが亡くなったため、長崎と沖縄を舞台にする残りの二作品は井上の生前に日の目を見ることはありませんでした。

長崎を舞台とする作品は、その構想を山田洋次監督が引き継ぎ、舞台では2018年にやっと上演されました。沖縄を舞台とする「木の上の軍隊」は2013年に初演されています。

察しのいいひとならすぐ気がつくと思いますが、実は山田洋次監督作品「母と暮らせば」が、長崎を舞台にする「父と暮らせば」と対になる作品です。この両作品は合わせて観賞するべきもの。

広島に原爆が投下されて3年。23才の福吉美津江(宮沢りえ)は、原爆により半壊した家で一人暮らしを続けていました。務めていた図書館に、原爆の資料収集のために訪れた木下という青年(浅野忠信)に被爆以来初めて恋心を抱きます。

その気持ちが芽生えたことをきっかけに、原爆で亡くなった父親(原田芳雄)の幽霊が出現するようになり、美津江の恋を成就できるように応援するのです。

しかし、美津江はかたくなに「自分は幸せになってはいけない」のだと言って殻に閉じこもろうとします。父親と庭にいた被爆の瞬間、美津江は親友への手紙を落としてかがみこんだことで、石灯篭の陰で救われました。

その親友は死に、その母親からは「何故うちの子が死んで、あなたは生きているの」と責められたのです。さらに、原爆病の恐怖も手伝って、生き残ったことは罪だと思い込んでいるのでした。しかし、さらにその気持ちの一番奥には、「お前だけは生き延びろ」と言われて、瀕死の父親を置いてその場を離れたことが、最大の呵責となっていたのです。

もともと舞台での二人芝居ですので、映画でもほとんど父娘の会話劇として物語が進行します。二人の会話の中に、戦争で死んだ者の悔しさ、生き残った者の辛さ、そして何よりも原爆の恐ろしさが埋め込まれていて、そのすさまじいエネルギーに心を奪われてしまいます。台詞はすべて広島弁で、それが本当に被爆した方々の心の叫びのように感じられる。

当然、宮沢、原田二人の演技が本当に見事であることが大きな要因なのですが、たくさんの長い台詞だけでなく、言葉が無い時の仕草なども、この映画のエネルギーを増大させていることは間違いありません。

ほとんどの場面は福吉家で進行しますので、舞台劇を見ているような錯覚をします。映画としては、どうしても地味になりやすいところですが、長台詞の間二人の周りをカメラが360゜回転して見せたり、被爆の様子や、被爆後の壊滅した街の様子をCGなどを駆使してリアルに見せたりすることで、映画としての立体感・空間感を作り出している監督の手腕はさすがです。

力強く生きていくための希望を見つけたかもしれない美津江は、父親に「しばらく会えんかもしれんね。おとったん、ありがとありました」と言って物語は終わります。