2020年2月18日火曜日

小澤征爾 Boston SO / Mahler Complete Symphonies (1980-1993)

小澤征爾 (Seiji Ozawa 1935-)は、おそらく日本人として世界的に知られた指揮者としては頂点に立つ存在です。国内では有名、あるいは海外でも活躍する指揮者はいますが、小澤ほどの存在は皆無と言っても異議を挟む者はいないでしょう。

満州で生まれた小澤は、1951年成城学園高校に進学した際に、斉藤秀雄の指揮教室に入門。斉藤により設立した桐朋学園に転入、卒業後指揮活動を開始します。1959年、単身フランスに渡り、カラヤン指揮コンクール優勝を果たしカラヤンに師事。さらにアメリカにわたり1961年にはニューヨークフィルの副指揮者となってバーンスタインにも師事します。

この後、NHK響に招かれますが、ツアーの途中で団員からボイコットされるという屈辱的な事件が発生しました。小澤の慢心と若い指揮者に対する寛容さを持たなかった楽団側との溝が原因だったようですが、結果として小澤を世界に向かわせ飛躍させるきっかけとなったことは間違いない。

その後シカゴ響、トロント響、サンフランシスコ響などとのキャリアを積み、1973年にボストン響の首席指揮者(2002年まで)に就任しました。また1984年に、恩師斉藤秀雄没後10周年に世界中で活躍していた門下生を集めたオーケストラを結成し、日本のスーパー・オーケストラとして活動を開始しました。

2002年のウィーンフィルのニューイヤー・コンサートを日本人として初めて指揮したことは大きなニュースになり、クラシックを聴かない日本人にも小澤の名前は深く浸透することになりました。しかし2005年以後体調を崩すことが多くなり、2010年食道がん、2011腰部椎間板ヘルニアで手術。現在は体調を見ながらサイトウ・キネン・オーケストラを中心に活動しています。

小澤は経歴からもカラヤンとバーンスタインの両方から影響されていますが、マーラーについては、当然バーンスタインがきっかけにありそうです。ボストン響時代にPhilipsで全集を完成させています。

1980年 第8番
1986年 第2番 キリ・テ・カナワ、マリリン・ホーン
1987年 第1番、第4番 キリ・テ・カナワ
1988年 亡き子をしのぶ歌 ジェシー・ノーマン
1989年 第7番、第9番
1990年 第5番、第10番(アダージョ)
1992年 第6番
1993年 第3番 ジェシー・ノーマン

全集に向けて最大の難関である第8番を真っ先に録音していたわりには、次まで6年間開いているのは何か理由がありそうですけど、その後からは順調に事は進行したようです。

指揮をしている姿はバーンスタインを彷彿とさせるものがありますが、音楽解釈は奇をてらったことは無く、歌うところは歌う、元気な所は元気に素直な演奏をしていると思います。

Philips全集以外に見つけた小澤マーラーは以下の通り。

1977年 第1番 + 花の章 (DG-CD) ボストン交響楽団
1989年 第2番 (ネット動画) ボストン交響楽団 伊原直子、ヘンリエット・シェレンベルグ
1995年 第2番 (ネット動画) 新日本フィルハーモニー交響楽団(+ ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団)
キャスリーン・バトル、フローレンス・クィーヴァー
1999年 第2番 (ネット動画) サイトウ・キネン・オーケストラ ナタリー・シュツットマン、大倉由紀枝
2000年 第2番 (SONY-CD) サイトウ・キネン・オーケストラ ナタリー・シュツットマン、菅英美子
2001年 第9番 (SONY-CD、ネット動画) サイトウ・キネン・オーケストラ
2002年 第9番 (ビデオ) ボストン交響楽団
2008年 第1番 (DECCA-CD,ビデオ)サイトウ・キネン・オーケストラ

最近の小澤の様子からして、今後マーラー物が新たに登場することは期待できないかもしれません。現状で最後のマーラーである2008年は、ビデオも発売されていて、サイトウ・キネン・オーケストラが、アバドのルツェルンのように、スーパー・オーケストラと言われる所以がよくわかります。

クラリネットのカール・ライスター、フルートのジャック・ズーン、ハープの吉野直子、ヴィオラの清水直子、ティンパニーのライナー・ゼーガース・・・などなど、すごいメンツが集まっています。

最後に小澤が、コンマスだけでなく、段の上まで回ってほぼ全員と握手する光景は素晴らしい。指揮をできる喜びが伝わってきます。N響事件がなければ、今のこの小澤の姿は無かったことを実感できますね。