2020年12月7日月曜日

太陽の帝国 (1987)

スティーブン・スピルバーグにとって、「1941」以来の戦争物。ただし、もちろんコメディではなく、また実際に戦闘をする兵士たちの話でもない。戦争によって、一人で生き延びなければならない少年の目線で描いた作品です。

スピルバーグの作品には、少年の心のまま大人になってしまう人物が関係することが多いのですが、ここでは少年から大人に成長することが大きなテーマになっています。今回も、いくつかのノミネートはありましたが、アカデミー賞は一つも受賞していません。

第2次世界大戦末期、真珠湾攻撃と共に、帝国日本軍はてを出しかねていた上海の外国人居住地を一気に占領しました。この頃の上海はヨーロッパの街のような賑やかさで、富を築いた裕福なヨーロッパの人々が数万人暮らしていました。

その中の一人だったのが、原作者のジェームズ・グレアム・バラードが書いた小説「太陽の帝国」でした。自身の外国人収容所での生活を軸に書かれた小説は、当初「アラビアのロレンス」デビッド・リーン監督が興味を持ち、そこからスピルバーグへ映画化の話が持ち込まれました。

13才のクリスチャン・ベールの映画デヴューとなった少年ジム・グレアムは、上海租界に住む特権階級のこどもで、空を飛ぶこと、とくに飛行機に異常なほど興味を持ってます。それは日本軍のものであれ、アメリカ軍のものであれ関係はありません。

日本軍の侵攻により、街から逃げ出す群衆の中で両親と離ればれになってしまったジムは、アメリカ人のベイシー(ジョン・マルコヴィッチ)に助けられ、ともに収容所生活を送ることになります。

多くの民間人が死んでいく中で、ジムは生き延びるための術を身に付け、飛行機好きの少年のままたくましく立ち回ります。しかし、あまりに過酷な生活の中で、ついには両親の顔を思い出せなくなり、過去のこどもであった自分との決別・・・今までの自分の思い出がつまったカバンを川に投げ捨てるのでした。それは、まさにこどもであることを止めた瞬間なのです。

そして、突然のアメリカ軍の飛行機の襲来により、飛行機に対する憧れが再確認されたにもかかわらず、次の収容所に移動する途中の競技場で租界から集められた調度品の数々の中に、自分の知っている過去の残骸を見出し、戦争の引き起こす結果を目の当たりにするのです。

終戦となりアメリカ軍に救われ、ジムは施設に入りました。そこへ我が子を探す親たちがやって来る。その中にジムの両親がいて、父親はジムに気がつかない。母親もしかしたらと声をかける。ジムも最初はわかりませんが、触れてやっと母親であると思い出すのです。そして抱き合いのですが、もう彼の目はこどものような喜びをたたえてはいませんでした。

話が話なので、日本人も出演しています。最初の上海市内の収容所の兵隊にガッツ石松、運転手に山田隆夫。蘇州の収容所の軍曹は伊武雅刀。そして、日本軍少年兵の片岡孝太郎は、特攻のために飛行士の訓練を受けていて、ジムとも柵を隔てて飛行機という共通点で魂の交流をする重要な役どころを演じています。

飛行機は本当に飛ぶ実物と、1/3スケールのラジコン模型機をうまく利用していて、要所要所で空への憧れを夢と現実の両面で視覚化することに成功しています。アメリカ映画としては戦後初の中国ロケを敢行し、数千人規模のエキストラを動員した街の再現も見応えがあります。

公開当初は評価が高いとは言えませんでしたが(それはある意味アカデミー賞の弊害です)、年数が経つにつれスピルバーグ作品として無視できない重要な位置づけがされるようになってきました。「カラー・パープル」が無ければ「太陽の帝国」は無く、「太陽の帝国」が無ければ「シンドラーのリスト」も無いということだと思います。