2021年2月19日金曜日

2001年 宇宙の旅 (1968)

60年代に娯楽性の高いSF映画がどんどん作られた感がありますが、はっきり言って賞レースとは縁遠いものばかりでした。しかし、スタンリー・キューブリックが放ったこの映画で、SF物での芸術性が一気に高まり、単なる娯楽ではない文芸性を伴うことで、映画史上に名を残しました。

はっきり言って、SF映画としてこの作品を超えたものは半世紀たっても存在しないし、すべての映画の中でも十本の指に収まるくらいに選ばれるようなの不朽の名作です。

この映画にまつわるエピソードは膨大な量にのぼり、あまりに多くの論評がされているので、いまさら自分のような単なる映画好きがどうのこうのと言う必要はありません。

もう何十年も前に映画館で見て、レーザーディスクを買い、DVDはもちろんブルーレイでも買いなおしました。何度も見直していますが、毎回新しい驚きがあり、毎回楽しめる。ただし、「さぁ、見るぞ」という気合は必要で、約2時間半の緊張を覚悟しないといけません。

何故かと言うと、一つ一つの場面の素晴らしさを見逃してはいけないのは当然のこと、必要以上に言葉で明示的にストーリーを説明しないことが大きな理由です。見るものの想像力を試しているようなところがあって、だからこそいろいろな解釈が議論され続けていると言えます。

それは冒頭の「人類の夜明け(The Dawn of Man)」と最後の「木星と無限の彼方(Jupiter and beyond the Infinity)」のパートで顕著です。いずれも台詞は無く、映像と効果音、あるいは電子音楽だけで進行します。

「人類の夜明け」は比較理解しやすい。類人猿がコロニーをつくって生活していて、水を巡ってグループ間の抗争が生じる。ある時武器を使うことを覚えたグループは文明を手に入れるのです。

次の瞬間、画面は宇宙空間に時空を超えて変わります。この後の当時の知見を最大限に考慮した宇宙での様々な事象については、多くの考証がなされ、ほんの少しだけ誤りが指摘されていますが、些細なことで映画の価値が損なわれるものではありません。

「木星と無限の彼方」では、木星近くの宇宙空間にてディスカバリー号乗務員のボーマンが体験する光と時間が交錯する幻想的な空間を、見ている者も一緒に経験するわけですが、おそらく初めて見た時はほとんど混乱の中で映画が終了すると思います。

ですから、(映画の楽しみ方として正しいかわかりませんが)何度も見返すことが推奨されるし、何回か見ていくうちに自分の中に何らかのイメージが出来上がって来て、その個々の一つ一つが正解になって来る。

謎を謎のままにしておくことは、生理的に気持ちが良いものではありません。何とかその理由を知りたい、納得したいと思うのは人間としては普通の事なんですが、そこを逆手にとって個人で解決するように仕向けていることがすごいことです。

まだ一般にはコンピュータなど影も形も無い時代に、これだけの見事な特殊撮影を実現したことだけでも勝算に対します。後に「未知との遭遇」や「ブレードランナー」で活躍したダグラス・トランブルによる当時最先端の技術は、50年たっても色あせていません。

「2001年」は、まだ見ていない方は、死ぬまでに絶対に見るべき映画ですし、すでに見た方は再度見直すことを是非お勧めしたくなります。

ちなみに、1984年に続編として「2010年」が制作されました。ここでは、「2001年」の謎だった部分がある程度合理的に説明されてしまいました。そういう意味で、「2001年」の最も特異的な部分を安易に解決して、個人が抱いていたイメージを潰してしまった作品という言い方ができる。ですから、正当な続編ではありますが、むしろ見ない方が良い作品です。