クリニックの夏季臨時休診のお知らせ
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2021年4月14日水曜日

おもちゃの国 (2007)

日本がミッドウェイ海戦で大敗(1942年6月)し、ドイツがスターリングラードで降伏(1943年1月)した後は、各地で戦闘が継続していましたが、映画化された大規模なものはしばらく鳴りを潜めます。

しかし、衝撃的な事件が発覚しました。一般に「カティンの森事件」と呼ばれる、ソビエトによる、捕虜となったポーランド将校に対する大量虐殺です。

1939年9月の開戦時に、ポーランドに侵攻したソビエトによって捕虜となったポーランド兵は、将校は約1万人、一般兵士は18万人と言われています。その後。ドイツがソビエトに侵攻したため、ポーランドとソビエトは捕虜開放で合意します。しかし、行方不明のポーランド兵士20数万人のうち、解放され確認が取れたのはその1/10程度でした。ポーランドは何度もソビエトに問い合わせをしましたが、スターリンは「彼らは開放された」の一点張りだったのです。

1943年2月、ソビエト内のカティンの町に近い森の中で、侵攻したドイツ軍によって捕虜だったポーランド兵の厖大な遺体が発見されました。赤十字が中心になって行われた調査では、遺体の死亡時期は1940年春で、様々な状況証拠からソビエトに責任があると推定され、ドイツはソビエトを、対するソビエトはドイツをお互いに虐殺の張本人として非難し続けます。

しかし、事件から半世紀近くたったゴルバチョフ政権下の1990年に、スターリンが殺害を指示したことを示す文書が見つかり公開されたことで、自ら公式にソビエトの独裁体制による犯罪と認めるに至りました。結局、殺害されたポーランド兵は2万~2万5千人ということがわかっています。

おそらく、ポーランド民族主義の中核となりうる将校たちが将来的に邪魔な存在であったことが、この事件の原因の引き金だったと考えられていますが、真相についてはいまだに謎が残る事件になっています。

ポーランドの巨匠、アンジェイ・ワイダ監督は、自身も父親がカティンで謀殺されており、2007年に「カティンの森」でこの事件を取り上げました。

戦争の中で攻撃してくる敵を殺すことは犯罪には当たらないことになっていますが、武器を放棄し戦う意思を示さない相手、ましてや民間人を殺傷することは厳しい批判の対象になります。日本も含めて、このような事案は多数発生していて、戦争が人間性をいかに狂わしていくか怖さしか感じられません。

特にナチス・ドイツがおこなったユダヤ人絶滅を目的とした大量殺戮はホロコースト(ドイツ語、丸焼きの供物という意味)と呼ばれ、ドイツ国内はもとより占領地のユダヤ人を強制収容所に集め、特にアウシュビッツに代表される絶滅収容所では信じられないくらい多くの人々が虐殺されました。亡くなった方は600万人とも、それ以上ともいわれています。

この極端な民族主義によってあまりに多くの悲劇を生み出したことは、人類史上けっして忘れてはいけない、そして絶対に繰り返してはいけないことであることは疑いの余地がありません。日本でも、遠藤周作が著した「海と毒薬」のモチーフになった九州大学生体解剖事件(1945年)があり、アメリカ兵捕虜を生きたまま解剖するというおぞましい事件があることを忘れてはなりません。

今回紹介するのは、実はDVDなどのメディア販売はありません。しかも、たったの13分間というドイツの短編映画です。そして、戦闘シーンがあるわけではないし、人が死ぬところが出てくるわけでもありません。しかし、この13分間の中に凝縮されたホロコーストに対する痛烈な思いは2時間の映画に負けない、むしろ短いだけに濃密なインパクトを与えてくれるものです。

監督・脚本はヨヘン・アレクサンダー・フライダンクで、この映画はデヴュー作ですが、アカデミー短編実写映画賞を受賞し、その他のいろいろな映画祭でも高く評価されました。

幸い、YouTubeで英語字幕付きで見ることができますので、是非ご覧になることをおすすめいたします。おかしな日本語ですが、自動翻訳も利用できます。ただし、物語はいくつかの違う時間の流れのシークエンスが、複雑に交差するような作りになっていることと、ベースになるユダヤに対する事象についての説明は特にありませんので、十分に予備知識を整理しておくことが求められます。

町からはユダヤ系住民が、どんどん収容所に送られている時期、つまり1942年頃の話です。小さな二組の手がピアノの連弾をしているところから映画は始まります。とても仲の良い二人のこども、ハインリッヒとダビッドでしたが、ハインリッヒはドイツ系、ダビッドはユダヤ系なのです。

ハインリッヒは母親に、ダビッドの母親が悲しそうにしている理由を尋ねます。母親は正直に答えることができず、一家は「おもちゃの国」に行くことになったと説明します。ハインリッヒは「おもちゃの国」という言葉に魅力を感じ、ダビッドとも離れたくないので自分も行きたいと言い出します。

ある朝、ついにダビッドの一家は親衛隊らによってトラックに乗せられ駅に向かいます。後を追うハインリッヒは、トラックには乗ることができませんでした。しかし、母親はベッドにハインリッヒがいないことに気がつき、一緒に行ってしまったと思い駅に走ります。

親衛隊に頼んでまだ出発していなかった車両のドアを開けてもらうと、ダビッドの一家がいました。振り向いた子供の顔は・・・ダビッドでした。しかし、母親はあらためて「ハインリッヒ、こっちに来なさい」と呼びかけます。ダビッドの両親もそっとこどもを押し出すのでした。最後は年老いた二組の手が連弾をしているところで終わります。

平和な日常が、ユダヤ人だからというだけで理不尽に壊される現実。こどもに真実を伝えられず、思わず嘘をつく母親。その嘘を真に受けてしまう純粋なこども心。ユダヤ人かどうかで大きく変わる親衛隊の態度。自分たちの運命を予見しているユダヤの人々。そして、自分の子ではないとわかっていても、こどもだけでも救い出したいと思う気持ち。この子だけでも助かってほしいととっさに願う両親。

おそらく父親は出征しているのか、すでに亡くなっているのかはわかりませんが、母親だけで二人のこどもを育て上げたことは間違いなく、それは相当過酷なことだったに違いない。そこには自分たちの同胞がユダヤ人に行った多くの残虐な行為に対する贖罪の気持ちがあったかもしれません。