鹿野靖明氏は北海道で1959年に生まれ、12歳の時に筋ジストロフィーと診断されました。筋ジストロフィーという病気は、四肢の筋肉の力が衰え、最後は呼吸するための筋肉にも影響し成人まで生きるのが難しいといわれています。鹿野氏は1982年に「自立」した生活を始めます。1987年には結婚しますが、残念ながら1992年に離婚。以後、多くのボランティアと共に生活を続けますが、1995年からは人工呼吸器が必須となり、2002年に亡くなっています。
北海道在住のノンフィクション作家、渡辺一史が2003年に鹿野氏とボランティアの方々の話をまとめた本を発表し、この映画はそれを原作とする実話をもとにした作品です。脚本は「ビリギャル」の橋本裕志、監督は「大名倒産」、「九十歳。何がめでたい」などの前田哲です。
筋ジストロフィーのため口と手しか動かすことができない鹿野靖明(大泉洋)は、医大生のボランティアである田中久(三浦春馬)の様子を見に来た久の彼女である安藤美咲(高畑充希)を気に入り、強引にボランティアの一人にしてしまいます。夜中に急に「バナナを食べたい」と言い出し、美咲は街中を走り回ることになったりして、そのわがままな態度に美咲ははじめは反発します。
しかし、そんな鹿野を田中をはじめ、リーダーの高村(萩原聖人)、前木(渡辺真起子)、塚田(宇野祥平)らは嫌な顔をせず面倒を見ているのでした。主治医の野原(原田美枝子)は、鹿野のわがままを許すわけでは無いものの、自立した生活を望む鹿野のことを認めていました。
久は病院長である父親との関係に悩んでいて、美咲ともちょっとした行き違いでギクシャクしてしまい、しだいに自分の進むべき道に自信を無くしてしまうのです。しかし、鹿野がついに人工呼吸器を装着しなければならない状態になり、それでも自分の夢を追いかけ意志を貫こうとする姿勢を見ているうちに何かが変わっていくのでした。
自分がかつて勤務した病院は、内科は神経・筋肉疾患、整形外科は脊髄損傷の患者さんばかりが入院していました。脊髄損傷の患者さんは若者が多く、リハビリテーションによってある程度の生活能力を獲得して退院していくのですが、内科の患者さんはほとんどが進行性の病気により確実に死が訪れる方々ばかりでした。
当直のときには、何度も内科病棟でのトラブルに呼び出されることが多くありましたが、未来が無い病棟の雰囲気はとても重々しいものだったことを覚えています。そこからは、これらの患者さんが自立して一般社会の中で暮らすということは現実的に想像すらできませんでした。
同じ時期に、鹿野氏が自立しようと努力していたことは驚くしかありません。当然、そこにはボランティアの方々の「献身的な支え」があるわけですが、鹿野氏の場合自立を支えていたのはそんな上から目線のようなきれいごとではなく、わがままを含めてすべてをさらけ出すことで、対等な人間関係を築いていたところがすごい。それはある意味、疑似的な「家族」を形成したと言うことができるのかもしれません。
映画としては、美咲が最初は視聴者の代弁者として鹿野のわがままぶりに反感を持つのですが、しだいに鹿野を愛おしく思うようになっていく過程がやや急ぎすぎのように思いました。そこの描き込みが足りないために、鹿野に共感していく部分に苦労します。最終的には鹿野は亡くなるわけですが、そこは積極的に描かず久と美咲が鹿野から「自立する」とはどういうことなのかを学び取ったところで止めたのはよかったと思います。