2007年6月20日水曜日

クリント・イーストウッドの西部劇

西部劇というのは、なんかとってもアメリカですよ。
代表作は? 古くは駅馬車。OK牧場の決闘。ジョン・ウェインならリオ・ブラボー。誰もが知っている、シェーン。変わったところで、ゲーリー・クーパーとグレース・ケリーの真昼の決闘。荒野の七人は黒澤映画の換骨奪胎。最高の失敗作といえば、天国の扉。

クリント・イーストウッドは、正統派(?)西部劇のテレビ版「ローハイド」で注目を浴び、本来はそのまま西部劇スターとしてジョンの次の世代を負う運命であったはず。しかし、ちょっと小遣い稼ぎにイタリアに行っちゃったのが、大きく軌道を変えることになったのは周知の事実。セルジオ・レオーネの「荒野の用心棒(1964)」で一躍名が売れ、日本ではマカロニ・ウェスタン(アメリカではスパゲッティ・ウェスタン)という言葉が生まれる。続いて「夕陽のガンマン(1965)」「続・夕陽のガンマン(1966)」と出演、人気を不動のものにしてアメリカに凱旋。
自らのプロダクション、マルパソを設立しマカロニ風味から脱却すべく「奴らを高く吊るせ(1968)」に出演。さらに映画制作の師匠ドン・シーゲルの監督で「真昼の死闘(1970)」、荒野の七人のジョン・スターシェス監督で「シノーラ(1972)」。ただどちらもいまいちの失敗か、というのも「真昼の死闘」はしょうがなく使った売出し中だったシャーリー・マクレーンが浮いちゃってるし、「シノーラ」はスタージェスに往年の切れ味が無いんだよね。

そいでもって、ついに自分でメガホンとっちゃったのが「荒野のストレンジャー(1973)」。日本ではマカロニのイメージを配給会社が引きずって「荒野の・・・」っていうタイトルを付けちゃったわけですが、これは正統派アメリカ西部劇でもマカロニ・ウェスタンでもないイーストウッド・ウェスタンであった。名無しの幽霊っぽいガンマンが登場し町の悪者を退治する、でもそこには守るべき正義は無く、ガンマンは再び陽炎の砂漠に消えていく。やるーっ!!

次の「アウトロー(1976)」では、またまた独自の世界観を見せ付ける。南北戦争の時代に家族を殺された復讐のために北軍の兵士をおいかけるジェーシー・ウェールズ。一目でイーストウッドの映画だとわかるショットが続く。だんだんついて来るさまざなアウトロー仲間が増え、いつのまにか擬似的な家族を形成。ここにも水戸黄門的な勧善懲悪の図式は無い。しかし、イーストウッドはこのあと西部劇から遠ざかり、ハリウッド自体が製作する西部劇もしだいに数が減っていく。


およそ10年ぶりに「ペール・ライダー(1985)」でイーストウッド西部劇が復活する。これは、いってみれば「荒野のストレンジャー」のセルフ・カバーであった。雪の残る山間にフェード・インしてくる「牧師」。金探しを続ける集落を襲う、実業家の雇ったならず者。金採掘をめぐる利権にからんだ対立。牧師はガンマンとなり実業家が呼び寄せた悪徳保安官と対決し、集落に平和が戻る。再び牧師は雪景色の中にフェード・アウトしていく。おまけにその後からシェーンのパロディ風のエンディング。要するに衰退した西部劇に対するクリント・イーストウッドのオマージュなのである。

そして「許されざる者(1992)」は、イーストウッド自ら「最後の西部劇」と位置づけ作られた。アカデミー作品賞・監督賞などを取りついにハリウッドはイーストウッドに対して長年のキャリアに対して正当な評価を与えたのであった。明確にイーストウッドは変わった。自分の老いを隠さず、むしろそれをさらけ出す。豚と格闘して、糞まみれ。バキューン、でも的に当たらない。そんなガンマいるか。馬に乗り損なって振り落とされる。ンなばかなぁ。しかし、ここにもイーストウッドの美学があり、またらしさがある。相手はジーン・ハックマン演ずる保安官。休みには日曜大工もする気のいい奴で、悪徳ではない。保安官にも、すじが通っている。どちらが正しいとかではなく、その時代を生きるための術は人それぞれで、それぞれの正義が真っ向からぶつかり合う時代があったということ。

見たいなぁ。イーストウッドの西部劇。もう70才を超えて、おじいちゃんだけど、まだまだいい味ですよ。年齢とともに世界を描ける俳優なんだから、またやってほしいよね。

2007年6月15日金曜日

クリント・イーストウッドのDirty Harry

イーストウッドの代名詞とも云える「ダーティ・ハリー」シリーズ。全部で5作あるけど、実際のところロサンジェルス市警のハリー・キャラハン刑事のキャラクターが際立っているのは第1作だけだよね。

第2作は前作のヒットを受けて作られたわけだけど、全体のイメージは引き継いでいるものの、むしろその中で刑事アクション物の色彩を強く出しているし、3作目になるとそれがさらにパワーアップ、さすがにマンネリを嫌って休養に入るわけです。

ちょっと時間をおいて、イーストウッド自らメガホンをとった4作目は、時代がかわりキャラハンも変わらざるえない。キャラハンを終わらせるためのレクイエム的存在。第5作は、イーストウッドが後輩のために一肌脱いで付き合ったっていう程度の作品。映画は読み切り小説だったので、シリーズ化されるものは当時は珍しく、それだけ人気があったということ。

1960年代のアメリカは明らかに病んでいて、ベトナム戦争の泥沼の中からそれまでの体制に対抗する様々なピープルが世に出てきて犯罪が急増した。60年代後半からハリウッド映画界もニューシネマと呼ばれる新しい感性を押し出した映画を数多く製作しだした。巨大なセットを組み人気スターを起用した金をかけた大作は過去のものとなる。

映画の題材はより身近なものに求められ、観客がより共感しやすいテーマが喜ばれるようになった。ただ何となくカーニバルを見に行くバイク乗りの破滅的行程を描く「イージー・ライダー」、反戦活動に関係して悲劇的結末にいたる「いちご白書」、死に方を求めてギャングを続けた「俺たちに明日はない」、いずれをとっても行き場を失ったアメリカの迷走の縮図だ。

刑事ものも当然変化を余儀なくされる。ポパイことジーン・ハックマン演じる「フレンチ・コネクション」は1971年アカデミー作品賞を受賞した異色作であった。

同じ年、B級映画監督とされていたドン・シーゲルが、マカロニ・ウェスタンで一躍名を上げた非主流派西部劇スターのイーストウッドのアウトロー・イメージにそういう時代の風をうまくのせてしまった。

キャラハン刑事は個人主義である。単独行動が好きで、本人は「俺の相棒は死ぬから」とうそぶいているが、実際のところハリーが勝手をするから相棒が困るわけで、自分の価値観だけで行動するところはまさに現在の「アメリカ」に通ずるというといい過ぎか。

悪い奴は悪いんだから、撃ち殺す。ある意味ではわかりやすい行動原理。体制にくみすことなく、名誉に対する執着もない。最後に警察官バッヂを投げ捨てていくキャラハンに、痛烈な風刺がこめられていた。

イーストウッドにとっても、それまでのイメージを転換させるおおきなターニング・ポイントになった。この前にシーゲルとは「マンハッタン無宿」で一緒に仕事をしていたが、これは西部劇をそのまま現代にもってきたような映画で、イーストウッドの役回りは、まさに保安官助手であった。

「ダーティ・ハリー」では部分的にイーストウッドが監督を行った部分があることは有名な話で、このあと監督デヴューする布石となる。アウトロー的な部分を残しながらも、都会の中に混ざり合った軽快なアクション・スターとしての一歩となったのだ。

第4作の「Sudden Impact」は、そのきめぜりふがあまりにも有名になってしまい、一見それまでのキャラハンの流れを受け継ぐもののように勘違いしやすい。「Go ahead, make my day (さぁ撃てよ、俺にも撃たせてくれよ)」なんてかっこいいじゃありませんか。

ところが、ちょっと違うんですな。まず、いきなりキャラハンはいつものように無鉄砲にやっちまうんですが、それで上司に怒られ事実上飛ばされちゃう。お前みたいに好き勝手やる時代遅れはいらない、みたいなことをいわれちまう。

ダーティ・ハリー登場して14年。時代はかわったね。人権擁護団体が出てきて、何かと口を挟んでいくんじゃ、さすがのキャラハンもうんざりだ。第1作のバス飛び乗りのパロディと思えるのが、老人ホームのバスに飛び乗りカーチェイス。しかしキャラハンに喝采を送るのは老人ばかりだ。

そういうイライラを吹き飛ばすのが、「Make my day !!」である。ラストのかっこよさは、イーストウッド自らが用意した、キャラハンを葬るための最高の花道でしょう。
すべての人々がキャラハン化した今のアメリカでは、もはやダーティではなく、埋もれてしまったキャラクターとなった。一時代が終わり、もう復活することは無いだろう。

2007年6月2日土曜日

膝の老化を考える(2)~よる年波を押し返すために

さて、その一では膝の老化について勉強し、私達一人一人がどうすればこれを予防できるか考えてみました。しかし、どう頑張っても痛みが出ることは有りますから、病院に行くことは多いと思います。実際整形外科の外来で、その日の新患の2~3割りは膝が痛いお年寄りです。

「おや、田中さん。どうしました」

「最近膝が痛くてしょうがないんですよ。鈴木さんはどうされたのです」

「私もなんですよ。階段が辛くてね」

「お灸がいいと薦められてやってみたんですけど」

「あら、低周波がいいそうですよ」

「じゃ、今度やってみようかしら」

「でも、水泳がいいと言う人もいるのよね」

「田中さん診察室にお入り下さい」

「あら、呼ばれたわ。それじゃお先に・・・」

なんて会話がされるのは珍しくはありません。田中さんも鈴木さんもいろいろな治療方を聞きかじっています。スーパーマーケットの試食品コーナーみたいな物といったら失礼でしょうか。しかし、本当のところ何が一番いいのかはわかっていません。今回は、病院で行っている実際の治療方を紹介していくことにしましょう。

病院に行くとたいていはレントゲン写真を撮られます。そして、膝の隙間が無くなっているとか、骨の出っ張りができているとか云われます。そして、臨床症状としての痛みが中心の場合には、とりあえず、何等かの痛みを抑える薬を使おうということになります。

程度の軽い物では、湿布・塗り薬といった外用薬が使われます。これらの薬の中には消炎鎮痛剤が含まれており、老化した関節の中に生じた炎症反応を抑えて痛みを軽減します。湿布は貼ったときに冷たい感じがするものと、だんだん暖かくなってくるものとがあります。これは、基本的には貼って気持ちが良ければ、どちらでも構いません。積極的に冷やすことは避けたほうがいいのですが、湿布のひんやりした感じは最初だけで冷却しているわけではありません。一方暖める貼り薬は、皮膚への刺激が強いのでかぶれやすく注意が必要です。もう少し痛みが強い場合は、これらの消炎鎮痛剤の内服薬を使用します。一般に消炎鎮痛剤は胃粘膜を荒らすことが多いので、原則として食後に服用して下さい。

ところで、よく関節に「水が溜まる」ことがあります。これは関節水腫という状態で、関節内の炎症反応によって関節のまわりをとりかこんでいる関節の袋の中に関節液が過剰に貯留したために生じます。「水は抜けばくせになる」と考えている方がよくいますが、もちろん関節の袋はそのまま存在しているわけですから炎症が残っていれば再び溜まってくるのは当然です。しかし、当然だからほっといてよいと考えるは間違いです。関節液が溜まりすぎると、関節がぱんぱんに張って動きが悪くなり、動くときの痛みが強くなります。そして長く続くと関節は固くなってきますから、よけいに痛くなるという悪循環をします。ですから毎週のように針を刺す必要はありませんが、あまり溜めてもいいことはありません。故人曰、「ためていいのはお金だけ」。

同じく針を刺すにしても、薬を膝関節内に注入する場合があります。普通は、がさがさしてきた軟骨のうるおいを保ちなるべくスムースに関節面が動くようにするための薬や、関節内の炎症をなるべく抑えるためのステロイド剤を単独あるいは一緒に使います。使い方も短期集中で使う方法やどうしても痛い時だけ使う方法など様々です。いずれにしても老化による変化は絶対に元に戻りませんから、薬で痛みが減っても、「勝って兜の緒をしめ」ることが大切です。

これらの保存的治療で効果がない場合には、手術的治療が必要になります。簡単なものから3つだけ紹介しましょう。最初は、炎症を起こしている関節の袋の内側の膜を切除し、凸凹になった関節面を削って滑らかにする方法です。これは簡単に云うと、関節の中の大掃除と考えれば良いでしょう。とりあえず効果が有りますが、またゴミは溜まりますから、効果の持続はやってみなければわかりません。ただし、高齢の方や、あまりおおげさな手術をしたくない方には良い方法です。

次は、膝の下ですねの骨を切って、すこし角度を外に向けてつなげ直す方法があります。膝関節での大腿と下腿との角度を変えて関節の接触する場所をなるべく痛んでいないところに変えるというものです。関節の形がある程度残っている場合には大変効果が有り、普通は何年も効果が持続する優れた方法です。最後に、変形がひどい場合、これは自分の関節はあきらめて人工関節に取り替えます。動きには多少制限が出ますが、人工の関節に神経は通っていませんから痛みは無くなります。

いろいろ治療について考えましたが、人生に限りがある以上、老化は避けられませんから、いちど痛みが出はじめたら、これとうまく付き合っていくことが大切です。現在の自分に必要な活動力をよく認識して、あるときは守りに徹し、またあるときは積極的に攻撃して、忍び寄る年波を押し返しましょう。

2007年6月1日金曜日

膝の老化を考える(1)~忍び寄る年波に勝つために

どなたにも年を取ったと感じる時があるものです。ある人は、翌日に酒が残るようになった時、またある人は子供が生意気を言うようになった時かもしれません。しかし確実に年を感じるのは、体のいうことが利かなくなった時でしょう。「立ち上がる時に痛む」、「歩き出しがつらいが、歩きだせば大丈夫」、「階段の昇り降りがつらい」、「風呂に入ると少し楽になる」といった症状を訴える患者さんが大勢います。この方々が問題にしているのは、膝です。ある程度年を取られた方ならば、多かれ少なかれこのような症状に心当たりがあることと思います。

本来人間の耐用年数なんてたいして無いわけで、昔は「人生六十年」とか申しました。それが、医学や生活環境の進歩によって八十年を越えてしまいました。あちこちがいたんでくるのは当然といえばそれまでですが、現実には何とか鞭打って頑張らねばなりません。高齢化社会の到来を胸を張って迎えるために、いたんだ膝関節をながもちさせる方法を考えてみましょう。

整形外科で扱う典型的な老化現象の発生部位は膝の関節です。では年を取ってくるとどのような変化が起こってくるのでしょうか。関節の部分では固い骨と骨が擦れ合って動いています。ただし直接骨どうしが当たればごつごつしてしょうがありません。実際には擦れ合う面には軟骨という軟らかいすべすべの骨がかぶっていて動きを滑らかにしています。しかし軟骨は次々に再生するような組織ではありませんから、擦れ合っているうちにしだいに表面がけば立ち、そしてすり減ってくるのです。さて軟骨が無くなってしまうと、骨と骨が直接ぶつかるようになり、骨そのものの変形がしだいに強まっていきます。

特に動きが大きく、いつも体重の重みによって負担を受けている膝の関節では影響が強く出ます。普通の人は膝の内側の方にかかる体重の方が大きいので、内側に症状が出ることが多いのです。従って変化が進むといわゆるO脚になっていきます。また年を取ってしだいに足の筋力も低下してくるために、関節の不安定性が起こり、膝がグラグラしやすくなってくることも、これらの変化に拍車をかけます。このような関節の変化を総称して変形性関節症と呼び、膝の場合には変形性膝関節症と言います。その人のそれまでの人生でかけてきた負担の程度によって、出現する症状の度合も千差万別です。これは「病気」かと聞かれると、老化現象を基盤にしている生理的な変化、つまり誰にでも起こるものですから、純粋な意味での病気ではありませんが、その生理的な範囲を越えたときに症状が出ると考えれば、立派な病気でしょう。

さて何となく敵の正体がわかってくれば、いくつか防衛するための対策が考えられます。第一の作戦は、若いころからなるべく関節を使わないようにするということです。しかし、これは非現実的ですし、実際使わなければ人間の体はどんどんバカになってしまうので、この作戦は却下します。しかし若いころから、あるいは症状の出現する前から過度の負担をかけないようにできればそれにこしたことはありません。使えばいたむし使わなければバカになる。軟骨がすり減っていくのはしかたがないとして、現実的な作戦を考えましょう。

年を取ってから関節を使うような運動を避ける、しかし下肢の筋力トレーニングはかかさない、体重を増やさないようにするなどいったことは現実的かつ基本的な予防対策として重要です。特に適切な運動によって筋力を維持し関節の安定性を獲得できればかなりの症状を抑えることができます。それでも絶対ということは無い医学の世界です。実際の医療の現場ではどのような治療が行われているのでしょうか。続いて、飲み薬、注射、そして手術といった究極の老化膝治療を紹介します。

2007年5月25日金曜日

山 岳 映 画

「山岳映画」と呼ばれる一ジャンルがあるんですね。基本は、山を舞台にした映画であればいいわけですが、どうしても舞台が限られるため、内容が似てくるのはしょうがないかな。

見せ場はたいてい苦労して登攀していく部分で、出演者が自ら厳しいアクションを見せ付けることになるわけ。雪崩にあったり、落石が襲ったり、ロープが切れたり、という具合です。

生と死が背中合わせになった、極限状態が様々なドラマへと発展していくんだけど、そこまでを前提条件として納得できていれば、こいつが大変面白い。

たぶん初めて見たのはテレビで放送された、そのものズバリ「山」。1956年アメリカ映画で、出演が「老人と海」で孤高の漁師を熱演したスペンサー・トレイシーとテレビ・シリーズ「スパイのライセンス」で大人気だったロバート・ワグナー、監督は「ケイン号の叛乱(1954)」のエドワード・ドミトリク。

山頂に墜落した飛行機の救助のため、山に登る兄弟。しかし弟の真の目的は飛行機にあるお宝だった。ってな話。セット撮影であるものの、なかなか迫力のある登山シーンでした。

日本にも1968年の熊井啓監督の「黒部の太陽」がありますが、父親に連れられて劇場に見に行き最後のシーンだけ記憶にあるんですよ。

これは黒部第4ダムを作る話で、工事のための隧道を両側から掘っていき、数々の困難を乗り越え最後の発破で貫通し両方から人々が握手して喜ぶ、というもんです。三船敏郎と石原裕次郎が豪華競演した作品。ただ、話としては吉村昭の黒3ダムにまつわる小説「高熱隧道」がお勧め(映画はありません)。

次に印象にあるのはクリント・イーストウッドの「アイガー・サンクション(1975)」。前半モニュメント・バレーのトーテム・ポールを上りきるのが本当にイーストウッドなのには感激した。

アイガー北壁に挑戦する仲間の中にスパイがいて、これを始末するために殺し屋イーストウッドが加わる。後半はアイガー登攀となるわけだが、実際に登山しているだけあってなかなかのシーンが続きますが、最後の滑落シーンのあと救助されるシーンが、ちょっとあっけないかなぁ

シルベスター・スタローンの。 クリフハンガー(1993)」は、記憶に新しい。ここでもさすがにスタローンのフリークライミングは見せます見せます。ロープが切れて友人が転落死して心の病を持つ主人公という設定は、ありきたりでいただけない。

スタローンの映画はあまり、何故とかどうしてとか考えずにアクションに徹することが楽しむ秘訣でしょう。そう思って見れば、全体のサスペンスの張り巡らし方と実写のアクションが見事に融合して、一級の娯楽作品といえますな。

ホワイト・アウト(2000)」は映画化不可能といわれた真保裕一の原作を若松節朗監督が、見事に料理した日本映画の快作。登山映画ではないけど、山間の密室化したダムを舞台の中心にして周囲の厳しい自然を巧みに配している。織田裕二、佐藤浩市らの出演者の熱演も素晴らしい。むしろ大和撫子松嶋が邪魔なくらい。

ダムを占拠した過激派はダムの破壊をネタにして政府を脅迫、ダムの下流の人々が人質状態になる。ダム職員の富樫は、誰も救援にこれない状況で一人で立ち向かう。ストーリーの展開に無理が無く、説明の有るとこ無いとこ見ていて納得できる。家でみるときはDVDを止めてトイレに行く事すら許さない、スピーディな流れです

もうひとつミレニアムなタイトルがあります。 もバーティカル・リミット(2000)」です。TVのコマーシャルでは、ずいぶんロング・ジャンプで驚かせられました。これは犯罪物ではなく、そういう意味では純粋な山岳映画といえますかな。

自分の名声のために無理に登攀し遭難、こりグループに妹が混ざっていた。主人公(おっと、これはバットマンのロビン君じゃないか)は、決死の救援に向かう。確かに実写だけでなく、SFXも駆使して、最高の登攀シーンがみれます。ただ残念なのは、見終わって凄い登山だったねぇ、ということ以外はあんまり印象に残ってない。DVDを止めてトイレに行ってもいいよ

2007年5月10日木曜日

走る・走る・走る~マラソンランナーの孤独

マラソンは古来オリンピックの最後を飾る、究極のスポーツなのかもしれません。人間が生の体ひとつで、どこまでがんばれるのか、ひたすら走り続ける選手を見ていると、とにかく感動し応援しない訳にはいかないのが心情というものでしょう。ああ、思い出されるは東京オリンピック。幼稚園児だった自分は、青山通りあたりで紙の旗を振っていたらしい、と聞いたことがあります。自分でははっきり覚えていませんが、アベベ、円谷の名前はしっかり記憶に残りました。


マラソンの選手を見ていると、ある種の陶酔感にひたっているような場面をしばしば見つけられます。無表情というよりも恍惚感。彼らにとって、走れるという至福の時を、心から楽しんでいるのでしょうか。


ランニングハイという言葉があって、長距離ランナーが走っている最中に麻薬中毒のような、酔っ払ったような悦楽感を味わうことを意味しています。適度なスピードでいったん走り出し、数kmくらい走った頃に、「風」が吹く。この「風」が吹くとランナーは気持ちよくどこまでも走れるような気分になります。この状態をセカンド・ウィンドと呼びます。普通のピープルはセカンド・ウィンドを感じられても、その後に疲労が襲ってきて無風状態に陥り失速・墜落という過程をとります。


ところがテレビに映るような選手は違います。そんな一般ピープルとは比べ物にならないくらいの持久力があるのです。30分、40分と無心に走っていくうちに彼らはついにランニングハイへと到達していくのです。


医学的にはエンドルフィンという、麻薬用の生体内物質が増えてきて脳内の受容体に作用するためと考えられています。


一方、マラソンは代表的な有酸素運動です。筋肉内の糖分が分解するとATP(アデノシン3リン酸)というものが出来て、これが筋肉を動かすエネルギーの源泉となります。この過程には酸素が不要ですが、1分以内の短時間しか持続できません。従って、呼吸無しで酸素をとりこまないでできる運動を無酸素運動といい、一気に走りぬけるような短距離走のような運動があてはまります。


運動しながら呼吸をすると、酸素下でのATP合成が可能となり、持続的に運動をし続けることが可能になり、さらに筋肉内の糖分を節約して脂肪を原料としてくれます。これだけで、有酸素運動が喜ばれているのも納得できますね。街中のアスレチック・クラブで飛んだり跳ねたりしている皆さん、エアロビクスは呼吸をしながらやってくださいよ。終わってから、ハァハァしているようじゃ駄目なんです。


マラソンはいいよ、気持ちがいいし、やせれるし。なるほど、その通り。いっちょ、がんばってみますか。

2007年5月1日火曜日

手のしびれ~鐘が鳴ります手根管

お寺とかで大きな金を撞かせてもらえるところがあります。この時とばかりに、思い切りボーン、その後手がびりびり。それとは関係ありませんが、手のしびれる病気でシュコンカン症候群というのがあるんですね。これについて、さぁ、考えてみよう。

シュコンカンは手根管と書きます。まさしく、手の根っこのところの管。手の平の手首に近いところを見てください。親指側のふくらみと小指側のふくらみがあるでしょう。その間の谷のところ、ここにあるんです。骨に囲まれた半円の空間で、上を強靭な靭帯組織で蓋をしたような構造をしています。この管の中を指を曲げるための筋肉の腱と一本の神経がすし詰め状態で通ります。

何らかの原因で、この神経が圧迫されると親指、人差し指、中指、そして薬指の親指側にしびれが出てきます。いたずらされる神経の名前は正中神経、しびれた状態を手根管症候群と呼びます。

正中神経は手関節部分ではほとんど知覚に関する働きしかしないのですが、唯一親指を手の中のほうに折りたむ力になる筋肉の刺激をする運動関係の働きがあります。このため、症状が進むと親指を中に入れられなくなり、他の指との間で行うつまみ動作ができなくなってしまいます。

原因ははっきりしないことが多く、中年女性に突然起こってくることが多いのですが、中には明らかに神経を圧迫する腫瘍ができていたり、関節リウマチが関与していたりする場合があります。血液透析をしている方に多いこともいわれています。手の使いすぎや性ホルモンの何らかの影響が関係しているともいわれています。

治療としては、軽ければ局所の安静と消炎鎮痛薬の外用薬で様子を見ますが、効果が無ければステロイド剤を局所に注射します。それでも駄目か、親指の筋肉の麻痺があるなら、手術を検討します。手術では、手根管の上蓋の役目をしている靭帯組織を切開して手根管の空間を広げ、神経への圧迫を減らしてあげます。最近は明らかな原因がない場合には、関節鏡というのぞき道具を利用することで、小さな傷でできる方法が広まってきました。腫瘍がある場合は、ちゃんと開いて腫瘍そのものを摘出する必要がありますし、リウマチの場合にはあちこちでべたべたくっついているのでしっかり開けないと危険です。

普通は早くに治療を開始すれば、直りの良い病気ですから心配はありません。しかし麻痺が進むと回復しずらくなります。またしびれの原因が首にあると、区別するのが大変難しいことがしばしばあるので注意が必要ですね。

2007年4月20日金曜日

肉離れの正体~肉を切ったら骨を断てない

親離れ・子離れを総称して、肉(親)離れといっているわけじゃありません。スポーツ新聞に、××選手は「肉ばなれ」のため欠場というような、見出しをしばしば見ます。スポーツによる代表的な筋肉のケガなわけです。スポーツというと、私は関係ないと考えられる方もいるかと思いますが、これは普段の運動能力に比べて、どれほどの力が筋肉にかかったかが問題なのですから、必ずしもスポーツでしか起こらないわけではありません。

医学的に言うと、これは筋肉の部分断裂なのです。お肉屋さんから買ってきた肉をみたことがあるでしょう。細い糸みたいな線維組織が集まっていますよね。完全に断裂してしまえば、「筋肉が離れてしまう」のでしょうが、通常はこのようなことはまれです。十分な準備運動なしに急激な力で筋肉が引き伸ばされると、糸のような筋肉の線維の一部が、動きについてこれずにところどころで、ぷつんと切れてしまうのです。筋肉が断裂あるいは部分断裂すれば、その筋肉の運動能力は落ちますから、さらに運動を続けるのは困難になります。

治療は急性期と慢性期とに分けて考えなければなりません。受傷直後の急性期には、とにかく安静と冷却が必要です。筋肉は血液を豊富に含んだ組織ですから、断裂した部分から大量の内出血が起こります。あて木をして傷めた筋肉の上下の関節を含めて固定し安静にすることと、冷却して血管が縮こまることで、出血を最小限に止めます。湿布薬は貼ったときにヒヤリとしますが、最近の物は含まれている消炎鎮痛剤の効果が中心になっているので、冷却効果はそれほど期待できません。むしろ、氷を使って本気で冷やしましょう。本気で冷やすと麻酔効果つまり鎮痛効果もありますので、これによって腫脹をおさえ痛みも強くしないですみます。内出血した血液は、皮膚の下でかさぶたになってしだいに吸収されていきますが、量が多いと吸収されきれずに固い瘢痕組織となって傷跡を残します。瘢痕組織は痛みの原因になったり、周囲の筋肉の伸び縮みを妨げたりします。

2週間から3週間たつと、急性期から慢性期に移行します。この時期になると、今度は温めることと運動することが大切です。急性期に安静にして動かさなかった筋肉は、瘢痕組織の出現も重なって全体にこわばってきています。これをマッサージしてよくほぐし、ストレッチを中心にした運動を行って下さい。さらに温めることによって、血管が拡張し血液の流れがよくなると効果が増します。

2007年4月10日火曜日

くだける腰~ぎっくり・びっくり・動けない

その瞬間、腰の力が抜けて崩れるようにその場にへたりこむ。立とうにも力が入らず、無理に動こうとすれば、腰の周囲に激痛が走る。そして動けずに、ただただじっとしているだけで、時間が一秒一秒を確認しながらのように過ぎ去っていくのであった。

あなたは、ギックリ腰になったことがありますか。あれは辛いですよ。正しくは急性腰痛症と云いますが、いくつかの発症原因のどれかによって、急激な腰痛が生じる症候群なのです。予想もしない時に急激な激痛で身動きが取れ無くなりますから、本当に辛いものです。普通は、中腰や前屈みの姿勢を長くとったり、急に重たいものを持ったりしたときに生じます。

中腰や前屈みの姿勢は腰に対しては大変に負担となる姿勢なのです。ここで簡単な実験をしてみて下さい。必要なものは鉛筆一本、なければ箸でもなんでも構いません。机の上にまっすぐ鉛筆を立てて、真上から押して倒れないようにしてみて下さい。まっすぐの場合には、触れている程度のほんとに少しの力で十分に倒れないように支えていられます。ところが、すこしだけ傾けてみるとどうでしょう。今度は明らかに押していないと鉛筆は倒れてしまうでしょう。それだけ斜めの物を支えるには力がかかるということなのです。これは腰痛の予防を考えるとき、重要なヒントになるでしょう。

さて腰部椎間板ヘルニアは、ギックリ腰を起こす病気のなかでは老若男女を問わず最もポピュラーなものです。ギックリ腰と腰部椎間板ヘルニアを、ほとんど同じ意味で使っている医者もいるくらいです。動物の背骨は、ちょうど鮭缶のような形をしており、これがいくつも重なって支柱としての脊柱(せきちゅう)になっています。椎間板は背骨と背骨の間でクッションの役目をする軟らかい組織です。ヘルニアとは、体の組織が正常の位置から飛び出した状態です。椎間板ヘルニアの場合、なんらかの原因でグズグスになった椎間板が、いろいろな負担を受けて背骨と背骨の隙間からはみ出したものです。ちょうど鮭缶と鮭缶で饅頭を挟んで押したら、中のあんこが外に飛び出した様なものです。

脊柱の後方には脊髄という神経の束が頭からお尻まで通っているので、ヘルニアが後方に飛び出ると神経を圧迫して足の麻痺症状が出て来ます。こうなるともう立派な病気です。これらの変化がゆっくりと進行する場合もありますが、中には急に重たいものを持ったときに、いっきに飛び出すことも珍しくありません。麻痺症状が強い場合は、緊急的に手術治療を必要とすることがあります。

もちろん腰部椎間板ヘルニアの他にも、ギックリ腰の原因はいろいろ考えられます。背骨と椎間板がいくつも積み重なって脊柱を構成することは前に説明しましたが、これらだけでは柱としてビシっと立っているのは難しいのです。実際には柱の周囲を、いわゆる背筋と呼ばれる太いしっかりした筋肉がいくつもいくつも取り囲んで支えているのです。したがって背骨だけで支えきれない分の負担は、まわりの筋肉に対してかかってくるのです。このため筋肉への負担が大きすぎると腰部筋膜炎という状態になります。これも急性に生じればギックリ腰ということになります。この場合は真ん中の背骨の部分より、そのすぐ横(傍脊柱と云います)の方の痛みが強く、通常は神経症状は伴いません。

その他にも、背骨の老化現象の総称である変形性腰椎症、背骨の一部に亀裂が入って不安定になる腰椎分離症、上下の背骨の重なりがずれてしまう腰椎辷り症(すべりしょう)、骨が脆くなる骨粗鬆症など、多くの原疾患が考えられます。

いずれにせよ、腰痛の急性期は、一に安静、二に安静、三四も安静、五も安静です。適当な鎮痛剤を使いながら、最も楽な姿勢で横になっていることです。どれだけ安静を保てたかによって、痛みの程度や持続期間が決まってくるのです。無理に動いて病院に行くより、救急車を呼ぶか、何とか動けるならば2~3日安静にして痛みが少し楽になってから病院に行って適切な診断と治療を受けましょう。

2007年4月1日日曜日

指の腱鞘炎~かっこん動くばね指の秘密

一般の方が使う言葉で、医者の側からすると何だろうと思わせる言葉がよくあります。「すじ」という単語は、使う人によって意味が異なっている場合があり、やっかいです。ある人は、「すじを伸ばした」と云います。この場合は、関節の周りで関節がぐらぐらしないように固定している靭帯組織を指しているようで、ようするに捻挫のことであろうと思います。一方「すじに沿って痛い」という使い方もあります。この時の「すじ」は、筋肉あるいは腱のことであり、前者とは逆に関節を動かすための組織を指すことになります。

腱に沿って痛みがあるとき、たいていは腱鞘炎という病名を聞かされますが、本当の腱鞘炎以外に「腱鞘炎みたいなもの」も含まれていることが多いようです。実際、ここだけの話しですが、私も腱鞘炎ではないのに「腱鞘炎みたいなものですね」という表現をします。患者さんは妙に納得してくれることが多く、話しが早いのです。そこで今回は日頃の嘘の罪滅ぼしに、腱鞘炎の話しをしましょう。

まず登場人物の紹介をしましょう。てがたい演技で主役を引き立てるのは「筋肉」です。そして筋肉から引き続いて登場するのが「腱」。骨にくっついている筋肉が縮んだり伸びたりして腱を引っ張ります。腱も骨にくっついているので、筋肉の動きによって筋肉と腱との間にある関節が動く仕組みです。そして筋肉が縮んで、関節が曲がった時に腱が骨から浮き上がりすぎないように頑張っているのが、今回の主役「腱鞘」です。本来一直線に腱が伸びている場合には、腱鞘はありませんが、関節の周辺で腱が方向を変えている場所では必要になって来ます。まぁ云ってみれば、滑車みたいなものだと考えて下さい。

腱鞘はどこにでもあるわけではありません。手の甲では、指を伸ばす筋肉の腱が手首の部分で腱鞘に包まれています。手の平では、指を曲げる筋肉の腱が手首の部分と指の部分で腱鞘に包まれます。筋肉が動くと腱は腱鞘のトンネルの中を行ったり来たりしています。したがって、指や手を使いすぎるとこのトンネルの中での腱と腱鞘の擦れ合いが強くいたんでしまい、しだいに肥厚した固い腱鞘に変化していきます。こうなると、腱鞘内での腱の滑りが悪くなり、痛みが出て来ます。これが腱鞘炎なのです。指を曲げる部分で腱鞘炎が起こると、固くなった腱鞘の中をやっとのことで腱が滑るため、かっこんかっこんと指が動くようになります。この状態を「ばね指」と云います。

痛くなったら安静・消炎鎮痛剤の外用あるいは腱鞘内への注射を行いますが、程度のひどい場合は簡単な手術で固くなった腱鞘を開きます。いずれにせよ早めの治療が大切なのは云うまでもありません。

2007年3月7日水曜日

手術をいつまでできるのだろう

本日は新患の方が多く、テンテンコマイでした。水曜日はひまで、ゆとりがありすぎなことに慣れていたので、昼休みに近くの横浜新緑総合病院で手術に行くことにしていたのです。と、いうのも土曜日にけっこうまともな外傷の患者が来て、近くの大学病院にお願いしようと連絡したのですが、一杯で無理と言われてしまい、無理をきいてもらえる病院に連絡をしたわけです。そしたら、手術をやりに来てよといわれ、水曜日ならと答えてしまったのです。時間制限での手術は疲れます。大忙しで病院に着くなり、手を洗ってすぐに手術室へ。やることをやって、「ありがとうございました」と挨拶するなり、後はよろしくと飛びだしクリニックに戻りました。すぐさま外来を開きました。
手術は開業したときに捨てたものの一つと思っていたのですが、実際には大学の外来をやっているし手術を完全に切り離すわけにはいかず、この1年間でもちょこちょこやっているのです。しかし、やはりだんだん下手になっていくなぁ、と思います。手術は継続してやっていないと、だんだん勘がにぶっていくんでしょうね。外科医としての「引退」は遠くないのかもしれません。とりあえず、今日はOKでしたが・・・

2007年3月4日日曜日

開院祝い

さて、旧友が泌尿器科クリニックを開業しました。なかなか面白い男です。自分の開業の時には、皆が集まって飲み会がありおおいに盛り上がったのですが、只今自分はまったくゆとりが無く、週末はひたすら当直バイトをしている状態です。それでも開業のお祝いを何かしたいと思い、いろいろ考えた末プリザーブドフラワーの飾り物にしました。
これは自分の経験から、というのも、開業するときにはいろいろな方から山ほど花をいただきました。笑っていいとものゲストのようでした。ただ、どうしてもこの大量の花、それもほとんどが胡蝶蘭かシンピジウムなので、時期を見て引っ込めるのはいいけど全部家に持って帰るわけにもいがず、あげたくても重いので嫌がられて、しかたがなく一個ずつ持って帰り、コンビニから宅急便で親戚に送りつけ・・・という具合でした。そうなると今度は飾り物が無くなって、クリニックは急に寂しい感じになってしまいます。
プリザーブドフラワーの小物の飾りは、花が痛まなくて、ずーっと受付などに飾っておくのにちょうど良い。時計のようなものはクリニックの雰囲気にマッチしないとかえって変ですし。という、気持ちですが、汲み取っていただけましたでしょうか、マスダ先生

2007年2月23日金曜日

ぬめぬめ丼

とにかく、ぬめぬめしそうなものをいろいろ入れてご飯にかけてたべるだけです。今夜は、長芋をすりおろして、生玉子1個、めかぶ、おくら、なめこなどを混ぜていきます。ここにまぐろのぶつ切り、長ネギを追加。わさびとつゆの素で味を整えます。5人分で1000円かかりません。
簡単で10分間で出来上がり。栄養たっぷりで、是非お試しを。いまどきのネバラーにもお勧め。

2007年2月21日水曜日

往診はじめました

今月から往診を始めました。もともと、自分の父親は内科の開業医で、しばしば往診をしていたので、「往診」ということに対しては特に違和感は持っていませんでしたが、ずっと勤務医をしていて患者さんのところに自分から赴くというのは初めての体験です。
昔は、患者さんの状態によって、自分が出かけていくのは、医者としては普通のことだった。落語で「夏の医者」というのがありますが、山を越えた向こうから医者を呼びに来る。近道で山頂を通ると、大蛇に飲み込まれてしまうという、想像を絶するSF落語ですが、得意にしていた六代目圓生は枕で「上手(じょうず)にも下手(へた)にも村の一人医者」という川柳を振ってさげにつなげていました。往診することで、患者さんとのつながりが深まり、より地域に定着していけるんですよね。
なかなか、時間の制約があり、いつでもどこでもというわけにはいきませんが、こういう形はある種の「楽しみ」があります。